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輝く瞳と素敵な笑顔

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年06月30日 06時45分07秒

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    見えるものが広がれば

     視野の狭さが今の自分を作っている。そう考えると日々の取り組みをこれで十分だとは言えなくなる。まだまだ、足りない。もっと配慮することがあったのではないかと反省する。気づかないことで失敗することはどうしようもない。気づいていてできなかったこととは違う。自分のしたことであっても責任が取れない。そうなれば、謝るしかない。ただ、気づいていないことでも、事前にもっと時間を費やせば、気づくことができたかもしれないと思うと悔やまれる。1つのことに思う存分の時間をかけて取り組むことができたらなあと思うが、現実そんなことができることばかりではない。じっくりと考えないでしてしまうことがある。いや、その方が多いだろう。これは、車の運転と同じだ。意識しないでも運転ができるように習慣で身につけたいつもの自分のやり方で動いてしまう。
     だから、怖い。じっくりと考えれば、失敗せずに済むはずなのに考えないでいつもの癖でするのだから、同じ失敗を何度も繰り返すことは間違いない。自分の癖の発見でなければ、失敗から学ぶことはない。だから、次に生きてくることはない。
     失敗を繰り返すことが多い子どもは、失敗をしたときに感じる辛い思いを自分の感覚にうまく落とせないでいる事が多い。失敗する前の楽しさやおもしろさが優先してしまい、失敗したときの辛さを押しのけてしまうからだ。
     「何度言ったらわかるの?」と叱っても、したことの重大さに気づかない。分かることではなく、感じることが大事なのだ。
     例えば、人に多大な迷惑をかけたとき、親が子どもの代わりに謝ることがある。このときに、「親に迷惑をかけてしまった。とっても辛いことだ。」と思うように対応して初めて、子どもの感情を動かすことになる。子どもが見ている前で謝らないと意味がない。子どもの知らないところで謝っても、子どもは何も感じない。どうせ見せるならば、大げさにして見せたい。これが強い衝撃となって子どもの感情を揺り動かす。「もう、二度としない。」と強く感じるために謝るのだ。
     子どもが悪いからと言って、暴力を振るったり、けなしたりして子どもを責めても、「痛いからやらない。」「言われたくないからやらない。」となるだけで、事の本質を見ることはない。だから、似た過ちを犯してしまうことになる。それだけではない。子どもからするとこの親の姿勢は、失敗すると私を守ってくれる存在ではなく、私から離れていく存在として映る。これでは、絆を深めることにはならない。子どもは必死で親から離れないように自分を繕うことになる。子どもにこんな思いをさせることは親のすることではない。離れていく不安を感じることなく、安心して親の側にいれば、子どもは自由にのびのびと育つことはない。このように子どもにとってどんな自分でいることが子どもの力になったり、子どもとの絆を深めたりすることになるかをじっくり考えると対応の仕方も考えなければならなくなる。暴力を振るったり、子どもをけなしたりするのは、とっても安易な行動だ。子どもが失敗したときに、「ごめんね。お母さんが気づいていればこんな失敗をせずにすんだのに。」「安心していいよ。お母さんがちゃんとあなたを守ってあげるからね。」と言うことはあるだろうか。絆を深めることを考えるとこんな言葉が浮かんでくる。
     子育ては、やはり自分を磨くしかない。
    「あなた方が失敗したのは、先生が『できるから』と言ったあなた方を信じたからだね。」・・・学級の立て直しをしたい思いの中で吐露した言葉に、子どもたちはしーんと静まりかえった。さて、「この言葉は、よかったのだろうか。」と自問自答している自分が今ここにいる。 

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年06月29日 05時38分36秒

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    どこに焦点を当てるか

     私たちは、焦点を当てた所にしか、目が向かない。しかし、焦点に当たったかどうかは別である。当てたつもりでもうまく当てられないで失敗をすることも多い。授業で子どもたちに投げかける所謂「発問」もその典型だ。ほんの違いが焦点をぼかしてしまうことになり、何度も言ったり、言い方を変えたりしながら、子どもたちの意識がこちらの意図に合うようにしようとする。初任者では、これがうまくできず、試行錯誤となることが多い。
     このことは、授業だけに限らない。日常生活でも、同様だ。課題をもって生活していると、必ずその課題に関わるところに焦点が当たる。そのため、課題解決に向けての取り組みが充実する。もし、課題をもって生活していなければ、充実することはなく、「こなす」ことに自分を使う。しなければならないことができなければ不満をもち、しなければならないことのために自分を使うことになる。酷いときには、自分だけでなく他人をも巻き込んでしまう。そして、しなければならないことに目が向いているうちは、子どもを育てる意図性がなく、自分の日頃の癖でしか子どもを育てていない。意図性がないので、意識することはない。これも、人は焦点が当たったところにしか目が向かないからだ。だから、子どもを意図した方向に育てたいと思うならば、どんな子どもに育てたいのかを明確にし、今何をすべきなのかをその願いに合わせて考えることが必要になる。子どものせいにしたり、自分の能力のなさを責めたりするのは、そんな働きかけをしていない自分に気づいていないからだ。
     「すること」に焦点が当たっていると「すること」に関する子どもへの言葉かけが多くなる。投げかける言葉に着目すると、どこに焦点があたっているかがよくわかる。子どもの育ちは、行動が変わることでわかる。そのため、行動を変えるための「すること」の言葉かけを多くし、繰り返しているのかもしれない。
     しかし、行動が変わったから育ったということではない。「すること」を通して、できることが増え、見方や考え方が変わり、自分の生き方に影響を与えて初めて育ったことになる。育てるためには、子どもの行動だけでなく、子どもの能力や見方・考え方、そして、子ども自身への働きかけをしているはずだ。
    ・こんな力がついたね。
    ・こんな見方や考え方ができるようになったね。
    ・頑張るあなたはすごいね。
    ・○○さんは、すごいでしょ。
    などと、「すること」ではない言葉かけをしているはずだ。
    こんな子どもの成長を喜ぶための働きかけをしていると子どもは成長する。ひょっとして、こんな言葉が少なくなっていることはないだろうか。それは、「すること」に焦点を当てているからだ。それは、子どもの成長を喜ぶところに焦点が当たっていないからだ。子どもの成長を喜ぶところに焦点を当てる言葉かけを粘り強く繰り返しできる自分にしたい。
     焦点が当たっているうちは、課題が生まれてくる。だから、課題解決のための努力をし続ける。子どもが育つまでは、安心できない。だから、安心できるまで何度も子どもの成長を喜ぶ声かけを繰り返す。そして、安心できたときには課題は解決しているし、子どもは成長している。
     7月も近づいた今、つらいと諦めてしまっていることはないだろうか。することに焦点を当てていることはないだろうか。諦めてしまったり、することに焦点が当たっていると子どもの成長に焦点が当たらなくなる。そこには、子どもの成長もなければ、教師自身の安心や満足はない。
     さて、今の自分はどこに焦点を当てているだろう。子どもを育てるところに焦点を当てているだろうか、それとも、することをこなすことに焦点を当てているだろうか。今の自分を振り返ってみたい。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年06月28日 07時54分40秒

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    自分さがし

     人それぞれ、いろいろな癖をもっている。しかし、その多くを気づかないでいる。それは、無意識のうちにしていることが多いからだ。客観的に見ている第三者は、他と比較してみることができるから癖がよくわかる。
     例えば、「思いやりのある子どもを育てたい。」と考えていたとする。A教師は、見るからに思いやりのある教師だとするとその意識や行動は自分の中にあるので、第三者からみて、思いやりのある姿はどんな姿なのかをつかむことができる。しかし、B教師は、自分に足りないからそれを求めているとすると、意識と行動にずれがあり、第三者から見ると矛盾を感じる事が多くなる。無意識にしている癖の中に思いやりのない癖が多いため、いくら「思いやりを持ちましょう。」と言っても子どもには伝わらない。思いやりが必要だと感じるのは、感性であり、感じる人にしか感じられない。気づかないで済んでしまう。「あれ?ここでは、思いやらないといけないのでは?」と感じる思いやりのある子どもから見ると、教師の行動に矛盾を感じることになる。これでは、子どもはどうすればよいのかが分からず迷ってしまう。
     子どもの中に教師以上の温かい心があってもそれを見抜けない教師であれば、温かい心は育てることはできない。教師の器以上のことはできないのだ。だから、教師自身が自分の器を大きくする努力が必要なのだ。本当に大切にしていることは何だろう。自分を振り返り、無理をしていることはないだろうか。今、自分が大事にしたいと思って子どもに伝えていることを疑ってみる。無理にしていると必ずボロが出る。
     それなら、「思いやりのない教師が思いやりのある子どもを育てられないのか。」というとそうではない。自分になければ、1つの方法として、憧れる思いやりの姿を見つけて、紹介することができる。そして、どうしてそんなことができるのかを問えば、意識を探ることもできる。子どもの中に思いやる姿を見つけて紹介することで補える。子どものよさ見つけは、子どものためにあるばかりではなく、教師自身のためにも大切な事だ。教師自身は反面教師としての自分をさらけ出すことになるかもしれない。しかし、それを恥じることはない。自分が本当に大切にしていることが他にあるということなのだ。それは、意識と行動が伴っているので、矛盾はなく子どもに伝わり、子どもを育てることができる。つまり、思いやりとは別の面を育てることができるということだ。だから、一番大切なことは、「本当に自分が大切にしたいと思っていることは何か。」を見つけることなのだ。これが自分の教員人生の柱であり、大切にしなければならない。ヒントとなると思うが、概ね多くの教師が大事にしていることは次の4つの中にある。
    自主性・・・自ら進んで取り組むことを大切にする。(真面目さ、誠実さ)
    連帯性・・・仲間と協力することを大切にする。(優しさ)
    創造性・・・新しいものを生み出すことを大切にする。(賢さ)
    健康性・・・元気さや活発さ、根気強さを大切にする。(明るさ、たくましさ)
     そして、これが柱となって学級経営に当たっている。しかし、一度に4つを求められない。1つに絞り込み、他を関連づけることを考える。
     つまり、自主を太い幹に例えるならば、連帯性や創造性、健康性は枝にする。また、連帯性を太い幹に例えるならば、自主性や創造性、健康性は枝になる。このように考えれば、どんな子どもでも育てることができるということになる。何を幹にするかは、自分らしさであり、ここに個性が表れる。それぞれの教師が自分らしさを出した経営ができるのだ。
     例えば、自主性を柱にしていれば「進んで仲間に働きかけよう」(連帯性)、「進んでやり方を工夫しよう」(創造性)、「進んで明るく振る舞おう」(健康性)となる。連帯性を柱にしていれば、「役割分担して仲間と協力して取り組もう」(自主性)、「相談してよい考えを見つけよう」(創造性)、「へこたれないで元気が出るように声をかけよう」(健康性)となる。
     自分が本当に大切にしている柱が見つかれば、指導にブレがなくなる。よいことは何でもするということではない。幹を決めて、それに枝を付けるのだ。それができなければ、自分らしさを伝えることはできない。
     指導がうまくいかない原因の多くは、自分の指導にブレがあるからだ。本当にしたい指導をしていないからだ。言われたことを自分なりに解釈して自分流に置き換えていないからだ。
     ここまで考えていくと、教育は自分探しの旅だと言われるがまさに教師である我々も自分自身の生き方を見つめる自分探しの旅を子どもを借りてしているのかもしれない。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年06月27日 03時45分31秒

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    どこまですれば

     子どものトラブルの仲介に入ることは日常茶飯事だ。そんなとき、迷惑をかけた子は、「ごめん。」と謝る。しかし、謝ったからよいというものでもない。時々「『ごめん。』と謝ったからいいでしょ。」という子がいる。
     相手が、納得して「ごめん。」を受け入れたときに事が終わるはずなのに、「謝ったから」では、いかにも自己中心的だ。謝った相手が許してくれたかどうかを見ていないと誠意は伝わらない。
    ・許してくれるまで何度も謝る。
    ・物を壊したら、一緒に修理をする。
    ・怪我をさせたら、保健室まで付き添う。(怪我の心配をする。)
    ・代わりのもので補う。
    ・要求に応える。
     「子ども同士だからそこまでしなくてもいいのでは。」という考えもあるが、生き方として、いろいろな対応があることを学ぶことはとても大事なことだ。
     失敗は誰にでもある。だからこそ、その失敗を乗り越えるための具体的な手段を身につけていかないと同じ失敗を繰り返したときの対応で失敗をする。人によって、納得の仕方が違う。相手に合わせることができるかどうかは、対応する具体的な手段を豊富にもっているかどうかが鍵となる。そのためにも、相手が納得して「いいよ。」と許してくれるために何ができるのかを子どもには考えさせたい。「ごめんなさい。」だけではない。失敗から乗り越える手段をいろいろ学ばせたい。
     だから、トラブルが解消したとき、「〜が学べてよかったね。」と子どもに話すことができる。迷惑をかけた友達の痛みは、その償いをするための努力でしかわからない。努力をすることで、「大変なことをしてしまった。」と感じるのだ。いつまでも引きずらないように、互いに納得し、きちんと解決すれば、「仲良くしようね。」が言える。
     仮にも、「謝っているから許してあげなさい。」と間に入って子どもに言ったり、「後は先生がやるから。」などと代役をしたりしては後から大変なことになる。ここでは、子ども同士が納得しあえるまでその場を維持することが大事だ。失敗を互いに許し合える関係を築くためにも、お互いが納得するまでその場を維持する。「ちょっと待って。相手が納得していないでしょ。」「本当にこれでいいの?」「許してあげられるの?」と迷惑をかけられた側の気持ちになって対応する。そして、「何か、言いたいことはない。」などと聞く。迷惑をかけられたいやな気持ちがすっきりとなくなるまで、付き合う。後にいやな気持ちを残してはならない。残すと「あの時、○○さんに〜されたから。」と報復の材料となってしまう。これでは、仲間関係を築くことにはならない。つまり、仲介に入るということは、仲間関係を築くことであって、目の前のトラブルの解消ではない。その場を繕うだけの指導をしていれば、またトラブルが起こる。同じようなトラブルが再発しないようにするためにも、仲間関係を築くところまで、付き合う。そして、「これで、仲良くできそう?」「これで、一緒に遊べる?」「これから、一緒に活動できる?」と互いにすっきりした気持ちになっているかを確かめる。トラブルは起きて当たり前。仲間関係を築くチャンスと考えれば、多少時間がかかっても得るものは大きい。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年06月26日 04時51分54秒

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    子どもが動く

     「先生、このことに困っているんだけれど、どうしたらいい?」と子どもから友達とのトラブルで悩みの相談を受けたときにどんな動きをするだろう。
     こんな時に「子どもの悩みだから何とか答えないといけない。」と思って、一緒になって考え、解決の方法を見つけ、子どもに頑張るように助言する教師は多い。これも大事な取り組みだ。ただ、これだけだと思わぬ落とし穴にはまってしまう。
     私たちは、自ら考え行動する子に育てるために子どもたちと関わっている。前述のようにいつも教師が子どもに、「こうするといいよ。」「こうしたらどう?」と投げかけていると、子どもは教師を頼りにし、自ら考えず、いつも教師に頼って行動する姿になっていく恐れがある。これでは、指示待ちの子どもになったり、自分で考えず教師の考えに頼る子どもになったりし、子どもを思ってやっていることが、逆に子どもが育たないことをしていることになってしまうかもしれない。
    「そう考えているのは、あなただけではないよ。友達に相談してみたら?」
    「友達と話してみた?」
    などと仲間に働きかけるような言葉かけをしてみてはどうだろう。
    ちょっと冷たいと感じるかもしれないが、ここが大事。その後の取り組みを見届け、誰と関わるのか、どのように話をしたのか、仲間からどんな考えを得たのか等常に、気遣い心配し続ける。「どうだった?」「友達は、何と言った?」などと仲間と関わった後の考えや気持ちを聞く。
     つまり、子どもが教師に相談しなくても、解決できることが分かったり、仲間の意見を参考にし新たな自分の考えを生み出したりするようになるかどうかを見届けるのだ。
     このように子ども同士で起きた問題を教師が解決するのではなく、子ども自身に解決させようと子どもと子どもをつないだり、子どもたちの間に入って支援されたりするのだ。
     そして、ある時には、Aさんの立場、またある時にはBさんの立場と、立場を変えて子どもに考えさせるように投げかける。子どもは、自分を中心にしかものが見えてこない。この見える世界を子ども自身で広げるように手助けをすることが子どもの育ちを応援することにもなる。
    また、この取り組みをすることで次のことが明らかになる。
    ・子どもが自分で考えたり、第三者の立場で考えたりできる。
    ・どれほど子どもに自分の考えが伝わったのか知ることができる。
    ・誰がどんな考えをしているか知ることができる。
    ・子ども自身で考えさせる事が新たな問題に生かすことになる。
    ・子ども同士で解決することで、自分の事としてとらえやすくなる。
     自ら考え、判断し、行動するためには、自分が先頭を切って歩くのではなく、子どもを先頭に立たせる教師の構えや営みが必要だ。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年06月25日 04時07分30秒

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    真似から学ぶ

     素敵な先生のいい所を取り入れたいと思って、その先生の取り組みを真似ることは、きっとあるだろう。真似をしてもなかなか思うようにはならない。これには、わけがある。
     形として見えてくるのは、氷山の一角でしかない。その背景にはその素敵な先生の能力や価値観、そしてその人なりがある。その先生だからその形を作るために子どもとの関わりの中で伝えているものがある。その伝えているものが分からなければ、いくら真似をしても思うようになることはない。
     素敵だと思ったら、その素敵な先生と話をし、何を考えているのか、どんなことを日頃しているのか。この形を作り出すためにどのような苦労をされたのか、また、気を付けていることや直接作り上げていくときに子どもたちにこれまでにされたこと等をつかむとよい。そうすることで、形が氷山の一角であることがわかり、氷山全体が見えてくる。
     でも、これだけではまだまだ足りない。実際に自分で取り組んでみて、その取り組みを見てもらうとよい。聞いたことだけだと自分の思い込みによって自分流のやり方になっていることがある。これを修正するには、見てもらわないと変わらない。やってみた感想や悩みを相談するのもよい。ここに素敵な先生の自分とは違う考え方が見えてくる。これをつかむことで自分のやり方を変えることができる。
    <例>席かえ
     月1回の席かえをしている私を真似て、新採の教師が取り組んでみた。席替えにかかる時間を毎月計ってみると、段々早く終わるはずなのに、「先生、2ヶ月経ってもかかる時間が変わらない。どうしてでしょう。」と新採の教師から質問を受けた。
     原因がわかった。席かえをすればよいと思っていたようで、ペアの質を高めるための1ヶ月間の日々の取り組みをしていないのだ。
    「いい友達を選んでよかったね。」「二人は仲良しだね。」「助け合える仲間でいいね。」等とペアの動きを観察し、機会ある事に承認し、誉めている私とは違い、何もしていないため、席替えに向かう子どもたちの意識に違いが生まれた。
     実践し、悩みをもったから質問をすることもできる。自分の至らない点も見えてくる。そして、何度も繰り返し、続けることで、考え方もはっきりしてくる。繰り返し取り組んでいるうちに、自分流の考えも生まれてくる。ここまでくると自信も生まれ、真似が真似でなくなっていく。自分流の形が出来上がるのだ。
     真似ることは、自分流の形を作る近道にもなる。素敵だと思った自分こそが、自分らしさだ。その自分を大切にすることが真似から学び、自分を生かすことにつながる。素敵な先生を見つけて、よりよい自分を作りあげたいものだ。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年06月24日 05時35分24秒

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    本当に育てたい姿

     日常の子どもへの投げかけそのものが、子どもを育てる指導になっていることは言うまでもない。ところが、育てたい願いが弱いと無意識に働きかけをしてしまい。自分の生き方そのものが映ってしまう。教師自身が、育てたい子どもと同じ生き方をしているのならば、無意識であっても何の違和感もなく、子どもにストレートに伝わっていく。しかし、そうでなければ、育てたい子どもの姿と自分とのずれから、育てるための指導の邪魔をする。
     例えば、教師が話をしたいとき、子どもが他事をしていて話を聞いていなかったとする。教師が「こちらを見て、話を聞きなさい。」と注意することは、よくあることではあるが、これだけでは、どんな子どもになってほしいかという願いは伝わらない。ひょっとすると、自主性を伸ばしたいという思いで言ったのか、連帯性を高めたいという思いで言ったのかよく分からない。つまり、注意した意図が、「進んで話を聞くと話の内容がよく分かるから、話し手から目を離さないで聞くといい。」ということなのか、それとも、「相手の気持ちを分かる子は優しい子だ。そんな子になってほしいから聞いてほしい。」ということなのか分からない。
     注意した後、話を聞いた子に対して「ほら、よかったでしょ。話の内容がよくわかったでしょ。」と言えば、自主性を伸ばしたいと思っていたことがよくわかる。しかし、「わかってくれたの?先生の気持ちを分かってくれて嬉しいな。」と言えば、自主性ではなく、連帯性を高めることになる。このように願いがはっきりしていないと無意識に出てくる言葉を子どもに投げかけてしまう。つまり、無意識のうちに育てたい思いを子どもに伝えていることになる。これが、本当に育てたい姿と一致していればよいが、違っていると子どもからすると、ブレを感じることになる。そして、「先生の言っていることとやっていることは違う。」「以前、言ったことと違う。」となっては、子どもは場当たり的にしか動けなくなる。
     本当に育てたい子どもの姿が明確になっているのならば、日頃の言葉かけにもっと注意を払わなければならない。
     気づいていなければ、「何故、子どもたちに通じないのだろう。」と思うだけで、子どもの反応を変えることはできない。意図をもって、きちんと願いまで語る指導を繰り返し行わなければ、いつもの自分が顔を出してしまう。
     「こんな願いをもっているから、こんな話し方をするのだ。」と願いと行動をつないで話すという意識をもって言葉を投げかけるとよい。繰り返し行っているうちに癖になり、意識しなくても言えるようになる。癖になるまでは、繰り返す。そう、癖になるまでだ。本当に育てたい姿に基づいた言葉かけをしているかどうかを見つめ直してみたい。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年06月23日 05時41分46秒

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    本気で叱る

     許せないと思った時、本気で叱ることができるかどうかが大事なことだ。ただ、この本気が必ずしも人によってとらえ方が違う。そして、ここのとらえ方の違いが子どもに本気が伝わるかどうかの境目となる。
    ・いつでも許さない。
    ・誰であっても許さない。
    ・どんな理由があっても許さない。
     そんなとき、子どもは自分を守ろうと必死で抵抗をする。
    「だって、〜だから、仕方なかった。」「私だけではない。」と言い逃れようとする。
     この時、その言葉に反応してしまうと本気が伝わらない。本気なら、相手の言葉では踊らされない。
    「あなたが大事だから。」「あなたの事が心配だから。」と訴える。そして、「今はあなたの事を考えているんだよ。」となる。これが言えないならば、本気で叱るねうちがあることかどうか見直す必要がある。
    ・これから生きていく上で大事なことなのか。
    ・一緒に仲良く生活できなくなることなのか。
    ・人に危害を加えることになることなのか。
     教師の都合で叱っているわけではない。あなたを仲間の中で生かしたいと思っているから本気になっているのだ。これがなければ叱れない。
     だから、叱っているときには、真剣な顔になるし、頑固にもなる。それを子どもが見るから、子どもは怖いと思う。もう逃げられないし、自分の至らなさを見ざるを得なくなる。この時、子どもは、教師の姿勢を感覚で捉え、「本気だ。」と感じる。
     本気が伝わったかどうかは、子どもの姿で見ることができる。
    ・真剣になり、口数が少なくなる。
    ・顔を背けることなく、聞く耳をもつ。
    ・訴えた言葉に体が反応する。
     ここまで追い込んだ以上は、「許さない。」と言ったことに責任をとる自分でなければならない。だから、「決して見捨てないよ。」「あなたと一緒にいて見ているから。」となる。この気持ちがあれば、必ず見届けができる。叱りっぱなしにはならないはずだ。その後の姿も気になるはずだ。声をかけられたとき、「やっぱり本気なんだ。」と子どもも気づく。もし、これがなければ「ひょっとしたら、その場だけのことで、本気でなかったのかもしれない。」と疑いをもつことになりかねない。子どもに疑いをもたれたら、叱ったことが逆に信頼関係を損ねることになってしまう。だから、その場限りではいけない。「いつでも」なのだ。それが、本気なのだ。だから、絶対に許されないことなのだと子どもが分かる。
     本気になって叱ることは、まさに自分の生き方を問われることになる。だから、子どもが「いつも、あの先生は、〜を言う。」となって伝わっていくのだ。
     叱れない自分があるのなら、「私は、何を大切にして生きているのだろう。」ともっと自分の生き方を見つめる必要がある。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年06月22日 06時15分54秒

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    夢や願いを語る

     子どもたちにこんな姿になってほしいという思いは、誰にでもある。しかし、このまま語っても子どもの立場にはならない。あくまでも育てる側に立場だ。
     こんな姿になると、「こんな素晴らしいことができる。」「こんな素晴らしいことが起こる。」そして、「周囲にこんな影響を与える自分になる。」と子どもたち自身が「へえー、そうなんだ。そんな自分になったら素敵だなあ。」と関心や憧れをもったとき、子どもは、「私もそうなりたい。」と思うのだ。
     だから、「〜しなさい。」ではない。ここは、易者のように、子どもたちの素敵な未来を想像させ、その場に自分がいるようなそんな思いにさせることが重要だ。これは、まさにイメージトレーニングである。その素敵な未来を想像させたときに感じる五感が未来の自分を作り上げる。
     そわそわした感じ、何となく温かくなる感じ、明るく輝いた感じ、胸がきゅんとなり締め付けられる感じなど子どもたちの感覚まで迫る語りができることがとても重要になる。
     自分の未来を見て、それを目指すようにすることはそれほど、簡単ではない。「〜しなさい。」では無理だ。それよりも、教師自身が夢を持ち、夢に向かって生きている姿を見せる方が、どれほど具体的でわかりやすいだろう。子どもたちが見る未来がより明確になる。
     夢をもって生きているとこんないいことがある。
     夢をもって生きているとこんな困難なんて簡単に超えられる。
     夢をもって生きているとこんなに明るくなる。
     夢をもって生きているとこんなに元気でいられる。
     夢をもって生きているとこんなに仲間が増えていく。
     夢をもって生きているとこんなに人に優しくなれる。
    子どもたちが、教師を見て夢や願いをもつことの素晴らしさを感じたとき、「私も夢をもちたい。」と動き出す。夢や願いを語る機会を作っているだろうか。子どもたちが、現実を未来につなぐよい機会になる。自らの夢や願いを語ろう。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年06月20日 06時45分19秒

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    心が動くとき

     研究会の始まりに、多くの方の挨拶があった。その挨拶を聞きながら、心が動くときはどんなときなのかを考えてみた。形式的な差し障りのない挨拶には、感動はない。考え方や大事にしたいことは「分かった」と思うけれど、心が動かされたとは思えない。自分らしい言葉で自分の感じたことや思いを語る挨拶の言葉には、心を動かされる。「そうだ。」「その思いだ。」と共感しながら、話の内容を聞く。話の中で語られる感情的な言葉が心をくすぐる。同じ感じ方をしている自分がそこにいる。その時に心が動かされている。
     似た経験があれば、想像しやすい。同じ感情も持ちやすい。その経験と重ねて話を聞いているときに心が動く。心を動かされるということは、自分と重ね合わせることができたときに感じる心の動きなのだろう。相手に感動を与えるということは、相手の体験や経験の中にある感じるであろう思いを語ることが重要な気がする。自分の心ではなく、相手の心の中にある感情を引き出したときに心が伝わるのだろう。
     このように考えると、子どもの前で話をするとき、自分の言いたいことを言い放すだけになっていることはないだろうかと反省をする。受け手の子どもが受け取りやすい言葉を見つけて話をしているだろうか。わからない言葉を使っても、心は動かない。子どもが分かる言葉で、自分の感情を交えて話をするとき、子どもの中にある感情が動いたならば、きっと子どもに伝わるのだろう。
     時々、子どもの前で演技をしながら話をすることがある。子どもは夢中でその中に入ってくる。その時の感情をむき出しにして演技をしているとそれが分かるときには、子どもは反応する。これが、子どもの心を引きつけたことになるのだろう。
     最近、子どもに直接「好きだよ。」という言葉を多く使っている自分に気づく。心から好きだと感じているから好きだとつい出てしまう。抱きしめたくなる感覚がこの言葉を使うだけで、増してくる。本当に可愛いと思う。いたずらをして気を引こうとする子、ちょっと大人ぶって見たがる子、悪びれてみる子、もっとうまく自分をアピールすればいいのにそれができないでいる。何と可愛い子どもたちだろう。「ちゃんとあなたを見ているから安心していいよ。」と言いたくなる。

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