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輝く瞳と素敵な笑顔

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年07月31日 05時30分52秒

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    忙しい

     「忙しい」・・・この言葉は、とても便利だ。何かを依頼されても、この言葉を使って話をすると相手は、遠慮して依頼をしなくなる。そして、壁を作って自分を守ってくれる。それだけではない。相手の思いやりをも引き出してくれる。しかし、この言葉を使うことで、入ってくるものがなくなってしまう。今の自分で満足してしまう。相手は、固定的に私を見てしまう。
     だから、私はこの言葉を使わないようにしている。新しいことに挑戦しようとするときには、時間は気にならない。無我夢中になって取り組んでいる時には、時間がほしくてたまらない。そして、そんな時には、効率を上げ、自分で時間を工面する。依頼されたことは、自分を変える可能性があることだと思えば挑戦する価値はある。時間を作って挑戦する価値がある。
     依頼されるには、それなりの理由がある。期待を込めての依頼のはずだ。可能性を見ているから依頼されるのだ。可能性がないと思っている人には依頼はしないものだ。今の自分が本当の自分なのかは自分ではわからない。ひょっとしたら、もっと違う自分なのかもしれない。考えている自分よりももっと素敵な自分なのかもしれない。思い込みで自分をみているのかもしれない。このように考えると、依頼されることを断ることは自分の可能性を自分自身で奪っていることになる。依頼を受けるとどんな自分が出てくるのだろう。そして、どんなことを考えることになるのだろう。どんな人と出会うのだろう。広がりは無限だ。「今、忙しい」と決めるのは、今の自分だ。その今の自分が未来の自分を決めてしまっているのだ。これは、もったいない。つまり、忙しいと言わないことが、新たな自分を作り出すのだ。
     「忙しい。」の他にも、「面倒だ。」「何で自分が?」「私には関係ない。」「私には無理だから。」などという言葉が見つかる。これらは、どれも自分を固定し、自分の可能性を奪う言葉になる。この言葉を吐き出すときの自分に意識を向けてみると、自分と距離を置こうとしている感じはしないだろうか。自分に近づけて考えることが危険を伴うことだと思えば避けようとするのが人間だ。物事には危険も安全もない。それを危険と考える自分だから避けるのだ。安全と考えれば受け入れることができる。依頼する人を信じ、安全なものをもってきたと思うか、いやなものをタライ回しにして危険なものをもってきたと思うかは、自分次第だ。人は自分を生かすために存在していてくれると思えば、決して危険なものはない。何か自分が試されているのだと考えれば、興味をもって前向きにとらえることができる。つまり、物事には肯定的な意図があると考えるだけで、見えるものが違ってくる。前向きさは、人や自分の可能性を信じて生きようとするところから始まる。素敵な人が自分の回りには一杯いる。私に幸せを運んでくれる人が一杯いる。そう考えたら、どれだけ幸せな人生を送ることができるだろう。すべてが自分次第なのだ。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年07月30日 05時40分07秒

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    自分らしく

     「いいなあ。」「よし、これだ。」と思ったことは、すぐにしてしまう自分。その結果何が起こるか先を考えないで動いてしまう。まるで子どものように興味関心が強いことを先にしてしまう。そして、しなければならないことが後になる。そのため、失敗も多い。
     そして、失敗は日常茶飯事だから、失敗をしても落ち込むことはない。この失敗から学ぶことの方が多いので、むしろ失敗したことを糧にして、次に生かすことを考える。これは、ある意味で楽な生き方かもしれない。回りのことを気にして、回りの考えに振り回されることも少ない。ただ、何でもよしということではない。自分なりの思いやりをもって人と接するようにはしている。全く思いやりのない人間だと思われることはないだろうと勝手な解釈をして生きている。
     人が喜ぶだろうと思うこととは、自分が動けばよいと思えば動いてしまう。
    ・集会の折に座るところがなくて、きっと困るだろうなあと思うと、見知らぬ人ばかりの集団であっても、平気で「すみません。全体にあと50㎝前に詰めてもらえませんか?座れない人がいますので。」と声をかけてしまう。
    ・授業参観にいらした保護者が教室に入れなくて困っているだろうなと思うと、授業中でも、前の方から後ろの参観者に向って入口付近を開けてもらうようにジェスチャーでお願いをしてしまう。
    ・役割を引き受ける人がいなくて困ってしまう状況ならば、自分から「それなら、私でよければやります。」と言ってしまう。
    ・「これ、お願いできませんか?」と尋ねられれば、「はい、わかりました。」と困っている顔を見るとつい引き受けてしまう。
     辛い顔は、見たくない。悲しむ人を作りたくない。そんな思いがいつの間にかすること増やしてしまう。でも、それを辛いと思うことはない。何とかそれをやりこなす自分にしたいと思ってしまう。時間を何とか生み出す努力をしようとする。その分、しなければならないことが後回しになることもある。それでも、楽しい。特に子どもたちの笑顔を見るのが楽しい。子どものためにすることは、かなり優先順位が上がってくる。これは、長年の教師生活を経てきたため、体に染みついているのかもしれない。
     夏休みには、子どもたちに会えない寂しさを感じる。笑顔をたくさんもらって元気になる自分があるからかもしれない。さあ、ラジオ体操へ行って子どもたちの笑顔を見に行こう。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年07月26日 09時21分30秒

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    自分を見つめる時間

     長い夏休みの中で一番大事にしたいことは、自分見つめの時間を作ること。ゆっくりと時間をかけて自分を見つめる。子どもから離れ、家族と過ごす時間が増え、自由な時間がある。ここでは、自分をじっくり見つめ、2学期に向けての準備をしたい。構えが変われば、考え方ややり方も変わる。地道な努力ではあるが、この夏休みをかけて自分なりに整理をしてみる。
     このとき、自分を見つめる視点が明確になっていないといけない。私が利用するのは、ニューロロジカルレベルだ。これは、人の意識を5つのレベルで考える考え方だ。
     アイデンティティーレベル・・・自分の役割や立場
     信念・価値観レベル・・・・・・それに合った見方や考え方
     能力レベル・・・・・・・・・・それに合った能力
     行動レベル・・・・・・・・・・それに合った行動
     環境レベル・・・・・・・・・・それを生かす環境
    すべてに一番影響を与えるのがアイデンティティーレベルだ。「今の自分はこれでいいのだろうか。」を見つめ直す。人にはいろいろな顔がある。その顔ひとつひとつを見つめ直してみる。
    ・父親としての自分
    ・自治会役員としての自分
    ・教育者としての自分
    ・社会人コーチとしての自分
    ・ドライバーとしての自分
    まだまだある。人は誰もがよりよく生きたいと思っている。しかし、その歩みを止めているのは、安定・安心だ。慣れていることには安心して取り組める。この安心がいずれは不安につながっていくことに気づいていない。常に前向きに自分を見つめていると不安定ではあるが、自分らしさがはっきりしてくる。自分らしさがはっきりすればするほど、安定感は増し、自分への安心につながる。人から言われて動いている自分、人の振りを見て動かされている自分、そんな自分はないだろうか。失敗したとき、他人に転嫁せず、きちんと自分なりに責任が取れる自分を確立することが安定につながる。まだまだ、未熟な自分を見るのはつらいが、生きている証がここにある。夏休みはもう一回り大きな自分を創りあげる機会でもある。子どもたちも2学期に出会うときには、夏休みの体験を通して一回り大きくなっているはずだ。子どもたちに負けることなく、自らも大きくなった自分を子どもの前にさらけ出したい。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年07月25日 06時09分47秒

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    意思の疎通を欠かない

     慣れてくると、きっとわかっているだろうという思いになりがちだ。これが、溝を作る元になる。安定していると安心してしまうのが人間。しかし、人は変化している。それも、気付かないうちに少しずつ変化している。出会う人が変われば吸収するものも違う。場所が変われば、感じるものも違う。刻々と変化する毎日の生活の中で生きている。新聞やテレビなどで得る情報も違えば、家族で話す内容も同じではない。変化に合わせて生きているのが我々だ。その変化は大きな変化ではない。だから、変化しているにも関わらず、変化していないように感じる。また、脳は変化を嫌う。変化しない方が安定しているので安心できる。安心できるように脳が働く。だから、思い込みが多くなる。夫婦でも家族でも同様だ。まして、教えている子どもたちもそうだ。わかっていてくれるだろうという思い込みが、変化に対応できない自分を作ってしまう。コミュニケーションをとり、今の相手を十分理解しながら、事を進めていくことで常に変化に合わせた生き方ができる。人を固定的に見ないで常に変化している存在としてとらえることができれば、会話も違ってくる。ひとつひとつの説明も丁寧にしなければ、わからないだろう。「前に話したでしょ。」「わかっているでしょ。」ではない。わかってほしいから、わかっているかどうか心配だから、丁寧に話すのだ。常にこの気持ちをもちながら、相手に接することで思いやりのある生き方も身についていく。言葉足らずになることの裏には、思い込みがある。「ここまではわかっているはずだ。」「ここから話せば理解できるだろう。」などという思い込みだ。これは自分本位であり、会話をする前提に欠ける。会話はお互いを理解するために行うものであり、自分の一方的な思いを伝えることではない。伝えたいことがあっても相手を知らなければ伝わらない。嫌いだと思っている相手から話をされても聞く耳を持たない。今忙しいのでそれどころではないと思っている相手ならば、聞いても別の事が脳裏にあるため意図が伝わらない。気になることがあって、それどころではない相手ならば、早く用件を済ませてしまいたいと思い十分に話を受け止められない。このようにすべては受け取る相手を知ることから始まる。その相手に合わせて会話を進めることになる。ここで大切にしたいことが、「話してもいい?」という言葉かけだ。相手に許可を得ることは、相手が話を聞く構えができたかどうかを確かめることができる。「ちょっと待って」ということならば、相手は先に自分のしたいことができる。相手が主導権を握っているので、相手は安心していられるので、したいことが終わったら話を聞く構えができる。この状態ならば、安心して受け入れてもらえる。「後にして」であっても、「いづれは聞くよ。」ということであり、聞く準備ができたときには知らせてもらえば、安心して受け入れてもらえる。相手との意思の疎通を欠かないでうまく関わりをもつことになる。
     急ぎだからというのは、こちらの都合。それでも言いたいのならば、100%伝わらないということを前提に話を進めるしかない。決して後から「あの時、言ったでしょ。」と言わないようにしたい。例えば、「忙しいときに話したから十分伝わらなかったんだ。」ということなのだ。相手の心を開いていない以上伝わらなかったとしても相手の責任ではない。心を開いていない状態で話した自分に問題がある。どうしても確実に伝えたいのならば、受け取ってもらったかどうか心配する気持ちから、絶えず確認を取る必要がある。「例の件はよかった。」「大丈夫。」と声をかけるのだ。学級の子どもへの指導も同じだ。大人である教師は弱い立場の子どもたちの立場になければならない。丁寧に繰り返し何度も言わなければならないことを一度で済ませてしまおうということはないだろうか。「何度も言わせないで。」と自分の傲慢さを子どもの問題として押し付けていることはないだろうか。このような丁寧さに欠けることが子どもとの関係を悪化させることになるとしたら、とてももったいない話である。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年07月23日 04時04分37秒

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    会話を楽しむ

     夏休みが始まった。日課のようにラジオ体操に出かける。地域の子どもたちと久しぶりの対面。近年毎年、地域のラジオ体操に出かけるので、顔見知りの子どもたちも多い。小学校1年生らしい子どもが話しかけてくる。「僕、ラジオ体操すき。毎日出るよ。1学期一度も学校休まなかったよ。」と話にくる。
     1学期一度も休まなかったことがきっと言いたかったのだろう。そして、そのことが、自信となって、ラジオ体操も続けられると考えているように思えた。
     1つの自信が次につながる。つなぎ方は、似た体験と重ねることができるということだ。この場合、続けることに自信をもったから、別の続けることに挑戦しようとしている。このような思考の流れはどの子ももっている。子どもの思考に無理がないように論理を進めていくためには、このように会話の中にある「同じ事」とつなぐことだ。子どもが使った「毎日」という言葉を使って、会話を進めることは子どもにとって無理のないことになる。一方的にこちらの考えを話しても通じることが少ないと考えたり、子どもに大きな負担をかけることになると考えたりする。すると子どもの顔色を伺いながら、通じているかどうか気にしながら会話をすることができる。会話の中の言葉が、子どもが日常的に使っている言葉であれば、使い慣れているので自然と子どもとの会話が弾む。「すごいね。毎日、学校に行けたんだね。これからが楽しみだね。」と言葉を返す。にっこりして「うん。」と言って返事が返ってくる。「ところで、おじいさんは?」と話題を変えても、話題についてくる。身近な所に焦点を当てながら会話をすると、どんどん話が広がっていく。しゃべり始めた幼児のように笑顔で子どもが話した言葉を使って返答する。すると、安心して言いたいことをまた話してくれる。そんな安心できる関係ができあがるとまた、次の会話が生まれる。こちらに話のネタがなくても、十分に会話を楽しむことができる。聞き役になることが大事なのだろう。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年07月22日 05時01分14秒

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    似た子ども

     あの先生が担任をするといつもこんな子どもが育つ。そんな思いになることはないだろうか。これは、意識的にそうしているわけではなく、無意識のうちに繰り返ししている指導が自然と子どもたちに受け入れられ、子どもたちが育つためだ。例えば、先生がいつも気にしていることは、癖のように自然と口に出る。綺麗好きな先生ならば、乱れているとすぐに綺麗にするよう指示をする。自分自身も綺麗な状態にするために動く。子ども同士の仲間作りを気にしている先生ならば、仲間はずれになる言葉や行動に敏感に反応する。これは意識せず、無意識のうちに言葉に出して子どもたちに話しかけている。これで育つことの方が意識して子どもを育てる事以上に多い。だから、教育は人なりと言われる。意識していることならば、変えられるが、無意識のうちにしていることは自分自身が気づいていないため、なかなか変えられない。「どんな時に先生が笑顔を見せてくれるのかな。」「どんなことをすると褒められるのかな。」「どんな時に先生は叱るのかな。」と先生の反応をいつも見ながら子どもたちは生活をしている。自立をする前の子どもたちは、まさにこの姿だ。だから、担任に似てくるのだ。子どもがどんな姿になると喜んでいる自分なのか、どんな子どもの姿を見ると腹が立つ自分なのか等自分の感情の変化を観察してみると自分が大事にしているものが見えてくる。これは理屈ではない。感じることだ。だから、力が強い。
     気が合うとか合わないということはある。それも感じ方が違うからだ。子どもは、家庭の力で育っている。その子どもたちの努力で、学校では、担任の先生に合わせている。先生の個性が強ければ強い程、子どもにとって先生と合わせないと死活問題となるから、合わせようと必死で努力をする。個性がつよい子どもであればぶつかり合うことになる。気が合わないというのは、この状態だ。子どもは教師の働きかけに反応しているだけだ。子どもと同等の立場になってしまってしまえば、ぶつかる子どもとの関係は改善されない。ここは大人である先生が子どもに合わせるしかない。まずは、感情のコントロールができて初めて子どもとの関係をうまく築くことができる。どんな子を叱っている自分があるのだろう。どんな子を褒めている自分があるだろう。叱られ役の子どもが固定していれば、その子どもは先生から離れていく。どうせ1年間付き合うのだから、仲良く子どもと関わり合いたい。離れていく子どもを作らないためにも感情のコントロールができる自分にしたい。そして、自分と似た子どもを育てることに自信がもてる自分にしたい。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年07月20日 08時31分13秒

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    時間の使い方

     気が張っているとき、次から次へとすることが浮かんでくる。これだけのことをしないと次に進めない。何とか時間までにしなければ。そんな気持ちでいるとき、時間はあっという間に過ぎていく。夏休みになると急にそんな時間は少なくなる。焦ることもなく、ゆったりとした時間が過ぎていく。時間は、とらえ方次第でどのようにでもなる。これをうまく利用することで、メリハリのある自分の生活を作り出すことができる。子どもたちは、時間を使うというよりも、時間に使われていることが多い。計画的に時間を使うのではなく、まずは、活動あり。子どもたちは、その活動をし続ける力をもっている。飽きるまでやり続ける。していること以上にしたくなることがあれば、途中で止めることはできるが、そうでなければ、途中で止めることは苦手である。
     しかし、しなければならないことがある。したいことだけをし続けることは、楽である。しなければならないことをするにはしたいことを後に回すことや一端止めることをしなければならない。我慢することが必要だ。このことは、我慢強い子にすることではなく、我慢できる子にすることだ。これも繰り返しが必要となる。我慢した時に、「よく我慢したね。」と褒め続けることで、我慢できる子になる。我慢することは、自分の意志を強くすることにもなり、誰にもでも必要な力だ。
     時間の使い方には、この我慢する力が大きく影響する。計画通り進めることができれば、振り返りをしたときにどこで我慢をしたのかを見つめてみる。必ず我慢をしたことがあるはずだ。ほんのちょっとの我慢が大きな成果を生み出したと感じることができれば、我慢をすることはそれほど苦痛ではない。大きな成果を作り出すことの喜びを生み出すための我慢だと考えれば、ちょっと我慢をすることも平気でできるようになる。このことから考えると、時間の使い方をうまくできるようになることは、自分の感情をコントロールする力を身につけることになる。
     我慢できたときには、大いに褒め、よく頑張ったと伝え、その我慢のお陰でできたことの成果を大いに紹介したい。我慢のさせ放しでは、よくない。「我慢しよう。」という言葉を大事に使い、うまく生かしたい。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年07月19日 07時08分52秒

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    もう少しで

     もう少しで願いが達成するのに、そのもう少しの力が出せない。ここにもったいなさを感じる。しかし、それが精一杯の自分があれば、それを受け入れるしかない。「あそこでこんなことができれば、こんな結果になることはなかった。」と後悔しても願いが達成されなかった事実は消えることはない。まさに「後悔、先に立たず。」だ。ただし、この後悔を次に生かすことはできる。この時の反省の仕方が人によって異なってくる。行動を問題にすることで問題解決を図ろうとする考えもあるが、それとは違って、行動の原因となる自分の能力の問題とすることもできれば、それを支える自分の考え方や自分自身の生き方にまで広げることもできる。ここにその後の姿勢に違いが生まれてくる。後悔した衝撃の強さが重要になる。本当に残念だったという強い衝撃であれば、自分の生き方まで広げても新しい自分を作り出そうというエネルギーを作り出すことができる。そうでなければ、小手先の行動を変えることだけで済ますこともできる。心を痛める程の強い衝撃ならば、ここは自分自身の問題としてとらえ直す必要がある。
     1学期の子どもたちの様子から、自分にとって満足のできる姿まで高めることはできたのだろうか。その姿が明日につながるための姿になっているだろうか。後悔する自分はあるのだろうか。そして、その原因を子どもの問題とせず、自らの姿に問題があると考える自分にしているだろうか。いろいろ見つめることができる。教師である以上、子どもを育てなければ教師ではない。育てられない自分を見ていく上で一番欠けるのが、子どもをよく見ていないこと。もちろん目で見ることも大事だが、それよりも目には見えない子どもの思いや考え、性質などをも見ていくことの方が大事になる。特に、子どもの性質を十分つかんでいないために力を伸ばせなかった自分に気づくことはとても重要だ。
     言葉で十分伝わる子どもたちだろうか。それとも、様子を見ることで伝わる子どもたちだろうか。それとも、体験を通して伝わる子どもたちだろうか。子どもたちに伝わりやすい伝え方をしている自分だろうか。
    伝わり易さを知っているだけでも子どもとの関係作りが変わってくる。
    <言葉で伝わる子どもたち>
    ・わかりやすく丁寧な話をするように心がける。
    ・だらだらと長くならないように端的に話す。
    ・わからないことはないかを問う。
    ・伝わりにくさは、言葉足らずだと考える。
    <見る事で伝わる子どもたち>
    ・板書を丁寧に書く。
    ・絵や図を使って説明をする。
    ・伝わりにくさは、見えない形にしているからだと考える。
    <することで伝わる子どもたち>
    ・活動を多く取り入れる。
    ・一つ一つの活動ができたら子どもから合図をもらう。
    ・うまくいったときに握手をしたり、頭をなでたりして賞賛する。
    ・失敗した時に肩を抱き、残念さを伝える。
    ・伝わりにくさは、感じることにまでしてしていないからだと考える。
     子どもへの伝わりにくさを考えていなかった自分に気づいているだろうか。そして、どの子にもわかるように伝えられる自分だっただろうか。もう少しでできる自分を見つめていくと2学期からの取り組みにも意欲が増してくる。夏休みに入った今、自分を見つめるよい機会だ。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年07月17日 06時37分33秒

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    質問は後から

     よく「途中で口を挟まないで、最後まで聞いてね。質問は後から受けるから。」と子どもたちに話すことがある。しかし、子どもはすぐにこれができるようになるわけではない。繰り返し、繰り返ししなければ身に付かない。
     話をし始めると、「質問は後からだよ。」と言いながらも、しばらくの間は黙って聞いている子どもが、話の内容に興味をもち、つい大きな声で質問をする子どもに質問に答えてしまうことがある。これがいけない。話をすることに夢中になるとそうなってしまうのだ。つまり、自分の話に酔ってしまっているのだ。自分の話に焦点が当たり、子どもを育てるという視点がどこかに消えてしまう。質問をする子どもが一人ならばいいが大勢になると話し辛くなる。本当は、話し辛くなるから「質問は後からだよ。」と言っているだけだったのかもしれない。子どもは、素直だから、一人の質問をする子がいれば、これは許されるのだと解釈し、「質問した子がいるからわたしも質問してもいいのだ。」と質問をし始める。大勢になるとうるさくて話し辛くなるからまた「質問は後からだよ。」と言う。これでは、なかなか「質問は後から」は、徹底しない。
     子どもたちは、聞きながら考えている。想像しながら聞いている。そして、もっと具体的にイメージしようとしている。そして、わからなくなると質問をしてはっきりさせたくなる。これは自然に行われることだ。質問をするというのは、話を聞いているからできることなのだ。これを「質問はあとから」では、子どもは納得できない。ここは、にこにこしながら、子どもの発言が収まるまで話をするのを止める。黙って話をやめ、静かになったら話すことだけに集中する。「もう話してもいいかな?そのことは後から話すね。」と話して、話をし始める。時には、脱線をすることもある。「あ、同じだ。」「ぼくんちは」などと自分と重ねて話をし始める子どもは、話に乗っているから自分も話したくなるのだ。この話を聞くことも大事になる。話の途中で言った言葉に乗って相づちを打ったり、うなずいたりすることもある。少し子どもも話をする。つぶやきもこれに似ている。教師の話を聞かないと責めるのではなく、話を聞いているから話がしたくなる子もいると解釈し、話す子どもを許容する。言いたいことを言った後の子どもなら、安心して話の続きを聞くことができる。これが子どもとの会話を楽しみながら、話を進めていくことになる。子どもとの会話はまさに、子ども一緒にダンスをするようなものだ。決して自分の思い通りに子どもを動かすわけではなく、子どもと一緒に話をしながら進めていくことになる。話を聞く姿勢を作ることは、技術ではない。会話の楽しさを教えながら、進めていくことになる。つまり、話すことと聞くことは、裏表の関係にあり、一方だけが話して一方だけが聞くのでない。交互に入れ替わりながら、会話が進んでいく。これを学級という集団でしているのだ。だから、他事をしていれば、これは叱る。聞いていなければ、「今話したことを言ってごらん。」と責める。要は1つの話にクラス全員が集中し、会話を楽しむ関係を作るのだ。他事をしている子を見過ごして、静かだからといって話を進めるとしたら、これは間違いだ。会話の中に学級の全員が入っているかという立場から子どもを見ているとしたなら、話の中に入らない子どもを放っておくことはできない。いくら静かにしていても許せないことになる。これは、学級全員で会話を楽しむことが目的であって、静かにすることが目的ではないからだ。「質問は後からにして」という話は、大事な指導の一つではあるが、使い方を間違えると会話が楽しくなくなってしまう。形を整えても心が通い合うことがなければ、楽しくない。子どもとの関係を壊さないで形を整えていくことが大切になる。グループでの話し合いも同様だ。話し方のルールを作って話し合うことも大事だが、会話を楽しむ仲間にしているかどうかがもっと大事になる。会話を楽しむことを目的にすれば、指導していることがこれでよいのかを考え直す機会にもなる。「話したい。」、「話さなければならない。」と教師側の都合だけを考えているとなかなか会話が進まない。今している指導が子どもに合っているかどうかを見極める必要がある。子どもを自分勝手に話をしていると叱った自分を振り返ってみたい。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年07月16日 05時07分14秒

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    保護者への電話

     保護者は、子どもの学校での生活がわからないので、どんな情報でも知りたいと思っている。その中でも子どもが活躍している情報は嬉しいものだ。逆に子どもの問題行動についての情報は、嬉しいものではない。しかし、受け止め方によっては、気づかない面だったり、本人にとって大切だと思う情報となり、有り難い情報になる。
     特に電話での対応の場合、相手の顔が見えないので言葉のやりとりだけで、伝えなければならない点があり、最善の注意を払う必要がある。
     まず、話すスピード、間の取り方、声の大きさ(強さ)、声の高さなど相手が受け取る話を構成している声をできるだけ相手に合わせることがポイントとなる。一方的にこちらから要求することだけを伝えても相手に伝わるものではない。だから、相手の声をよく聞き、その声に合わせて対応することになる。ゆっくり話される方ならば、ゆっくりと話をする。
     次に本題にすぐに入っては、受け止めるだけの心の準備ができていないので、まずは心を開いて頂けるための手だてが必要となる。それには、子どもの学校生活を話すことだ。それもできるだけ新鮮で、活躍している様子がよい。こうすれば、保護者が心地よい気分になり、心を開き、受け入れる準備ができる。
     そして、保護者が受け入れる状況ができたと感じたら、いよいよ本論となる。それも、「学校でこんな姿があるので、何とかしてほしい。」と学校での問題を保護者に助けを求めることは、教師としての力量の無さを暴露しているようなものだからできるだけ避ける。学校の事は学校で何とかするという構えがなければ保護者から信頼される教師ではない。それでは、どうするのか。それは、学校で起きた問題の背景を探るために相談があるという立場を取ることだ。こんな姿になるのには、何か原因があるはずだ。その原因は何だろう。学校での仲間関係なのか、家庭での生活の不安定さなのか、それとも保護者の願いなのか、どこに原因があるのかをつかみ、もし、家庭生活に何かがあるのならば、家庭にお願いをすることも出てくる。教師と保護者の考え方の違いがあるのならば、それを埋める努力を違いにしなければ、子どもが犠牲になることを話して一緒に考えることが重要になるという立場で話を進めることになる。もし、学校生活の問題ならば、学校での姿をもう一度見直し、解決に当たる。つまり、保護者に学校の情報を提供しながら、よりよい子どもの姿にするために家庭からの情報をもらうという姿勢を取る。これならば、保護者も責められているという思いにはならない。告げ口になると、教師への信頼も薄くなる。ここは、一緒に子どもを育てましょうという気持ちを持ち続け、自分に非があるのならば、それを認め、コミュニケーションを図りながら、改善していく。この努力が保護者との信頼関係を生むのだ。常に否定的なことを言われて喜ぶ人はいない。電話一つではあるが、対応の仕方によってより信頼関係を深めることにもなるし、逆に信頼関係を崩すことにもなる。子どものために一緒に力を合わせようとする姿勢は、この会話で生まれてくる。顔が見えないだけに慎重な扱いが求められる。信頼される教師となるためには、電話一本であっても大事だ。日頃から電話をかけやすい状況を作っているかは日頃の教師の姿勢で決まる。「うちの先生は、話しやすい先生だ。」と言う言葉は信頼関係ができていなければ、出てこない言葉だ。

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