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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年06月29日 06時10分46秒

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    好きだから

     どんな状況でも、決して揺れることのないしっかりした考えで、行動している人を見ると頼り甲斐のある人に見えてきます。
     揺れる原因には、様々な要因があります。
    ・周りの状況が気になる。
    ・人からどう思われるかが心配になる。
    ・自分で決めることに不安がある。
    ・本当にそれでよいかを自問自答してしまう。
     私たちは、一人では生きていけません。必ず人との関わりの中で生きています。これが判断を鈍らせたり、遅らせたりすることにもなります。
     その点、揺れない人というのは、自分だけでなく、他人にとっても大事な考えだと思っているからそれができるのではないでしょうか。

     真理に近いところでの判断があるように思います。
     だから、素晴らしいのではないでしょうか。

     例えば、教師ならば、「子どものために」という思いが強い人には惹かれます。
     子どものためなら、時間も惜しまない。
     子どものためなら、私財おも持ち込む。
     子どものためなら、家庭まで巻き込む。
     こんなことをしていたら、自分の時間がなくなるのではないかと心配してしまいます。
     そこまでしなければならないかといえば、そうではありません。

     ただ、保護者は、わが子のために最善を尽くしてくれる教師に惹かれることは確かです。
     人は情で動きます。どの程度の努力があればよいというものではありません。情を感じたときに心が動くのです。動く努力ができることがとても重要になります。

     決められた枠の中で努力していても、惹かれるものがなければ努力が足りないと受け止められます。だらか、私的なところまで枠を広げて頑張ろうとするのです。

     でも、本当は、努力の量ではないのです。努力の質になのです。
    時間をかければよいわけでもなく、お金をかければよいわけでもないのです。「子どものために」と考える思いが言葉や行いの端々に感じるのです。
     一瞬にして「この先生ならば、任せられる。」と思うのもそれがあるからです。
     
     子どもが好きでなければ、教師は務まりません。それは育てる対象が子どもだからです。

     好きだから、そばにいたいのです。
     好きだから、目を離さないのです。
     好きだから、子どものことを考えるのです。
     好きだから、夢や希望をもつのです。
     好きだから、我慢できるのです。
     好きだから、諦めないのです。

     子どものためにどれだけの思いを自分に課しているのでしょう。これが努力の質になるのです。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年06月25日 04時46分00秒

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    親同士のつながり

     高学年になるにつれて、子どもは友達が欲しくなったり、友達との関係を崩したくない気持ちになったり、次第に親から離れていきます。これは、自立に向けての歩みです。
     しかし、自立のための判断力は十分育っているとは言えません。そのため、興味関心のあることになると、価値判断よりも欲求が優先し、刹那的に動いてしまうことがあります。時には、集団心理が働き、したくなくても巻き込まれてしまうこともあります。

     なかなか自分たちの力で止められないのがこの頃の子どもたちです。「だって、みんなが・・・。」とか、「○○さんが言ったから(したから)。」などと仲間の判断が基準になって反発することも多くなります。

     ですから、この時期に、子どもたちが健全に育っているかどうか、きちんと見極める必要があります。

     その判断の基準は、「思いやり」です。
    本当に相手の立場になって判断して行動している人間関係が築けているようならば、安心できます。しかし、興味本位の思いで行動しているようならば、危険です。理性が欲求に勝てるはずはありません。興味をもつのは自然な発達だと放っておくと、相手への思いやりを欠きながら、人間関係を築くことになってしまう危険性があります。

     いち早く、子どもたちの状況をつかむためには、保護者同士の連携がとても重要になります。家庭での生活は学校ではつかむことはできません。
    頼りになるのは、保護者しかないのです。これを見過ごしていると問題が大きくなって、複雑に絡み合って問題解決に時間を要することになります。

     保護者同士が仲良くなっていれば、いざと言うときにいつでも協力して事に当たることができます。保護者に見守られながら、失敗から学ぶ子どもたちは、健全に育っていきます。これが子どもたちだけになるとそうはいきません。欲求に動かされ、なすがままの状態になります。

     互いに声を掛け合う仲間になることが重要です。
     「今日は、どうもありがとうございました。うちの子の様子はいかがでした?」と挨拶をし、子どもの生活の状況をつかんだり、「こんなことがあったので、注意をしておきました。」などと関わったりできる関係を築きたいものです。

     子どもを通して、互いに仲良くなれる保護者の関わりを子どもが幼い頃には作っていたはずです。安心するのが早いのです。ある程度自分の事ができるようになったら、今度は健全な人間関係を築くことができるかどうかを見極めることが重要になります。これを見守る保護者でいてほしいと思います。
     ただし、入り込むことではありません。失敗しないように事前に手を回すことでもありません。常に主役は子どもです。
     困ったときにすーっと手を差し伸べたり、相談に乗ったりできる立場にいてほしいのです。
     そのための情報を共有できる保護者同士のつながりがほしいのです。

     「こんなはずではなかった。」と後悔する前に、折りを見つけて保護者に子どもの人間関係に関心をもち、見守る姿勢で、情報を共有できる保護者同士のつながりをもてるように働きかけたい。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年06月24日 06時13分31秒

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    一人で負えない苦しさ

     子育てに悩むことなく過ごしている保護者はきっといないでしょう。事の大小に限らず、誰もが悩んでいると思います。

     学校も一緒になって考えなければならない大きな問題を抱えている保護者の数は年々増加しているように思います。

     本来しなければならないことへ注ぐエネルギーの一部をその問題解決に注ぐことになります。ですから、できる限り問題を大きくしないで、早く解決したいものです。

     問題を一人で抱えて苦しんでいる母親の姿をたくさん見る機会が増えているように感じます。
    ・任されているからどうしようもない。
    ・関わりが少ないので、一人で抱えざるを得ない。
    ・当てにならない(できない)。
    ・頼られている以上はしなければならない。
    など一人で抱えなければならない背景がいろいろある。
     これが、問題を大きくしていることに気づいてほしいと思います。
    子どもは、問題を抱えている母親一人と関わるわけではありません。家族の一員として、他の人とも関わるのです。

     それぞれ勝手な思いで子どもに接していると、子どもは判断の基準がわからず、子どもは刹那的に対応することになります。
    ・甘えさせてくれる人の方に行こう。
    ・面倒だから、楽な方に行こう。
    ・苦しいことは避けよう。
     都合のよいように相手を選んで生活するのです。
    そのため、なかなか伝えたいことが伝わらない状況になっていきます。

     役割を分担する前に同じ思いで子育てをしようとしているのか、ここを揃えると効果も上がります。

     何とか子育てに参加してもらうための努力が必要になります。苦しんでいる母親の抱えている背景を理解しないで、一方的にこちらの願いを伝えても、負担が増えるだけになります。
     
     母親の抱えている問題を取り除くことから始めなければ、先に進むことはできません。このことが、子どもの問題を解決する近道になります。

     一人で苦しまなければならないその背景にどんな問題が潜んでいるのでしょう。一緒になって考える立場をとることが母親にとってとても力強い支えになります。
    ・協力しない人の子育てに対する考え方が母親と違っていないだろうか。
    ・家族関係が複雑になっていないだろうか。
    ・夫婦関係はうまくいっているだろうか。
    ・子ども自身が抱える問題の可能性に家族が気づいてないのだろうか。
    ・親子関係に問題を抱えていないだろうか。
    ・子育てをする環境に問題を抱えていないだろうか。
     これらの問題は、家庭の問題だから、昔は関わりをもたないようにしていたと思います。しかし、関わらないと子どもを支えきれない現実があるのです。
     子どもへの虐待の問題や家庭内の暴力などもあります。病んでいる保護者の気持ちを受け止めながら子育てを保護者と一緒にしなければならないのが今の時代です。

     的確な支援ができるのも、こうした実態を正確につかんでいるからできるのです。勉強だけを教えていればよいという問題ではありません。教師は生き方を教えなければならないのです。

     これは、家庭と関わる教師の生き方そのものに現れてきます。
    「あの先生は、私のことをよくわかっていてくださる。」と言われる教師ならば、母親に聞く耳をもってもらえます。
     保護者と関わる時、教師としての生の自分が試されているのです。どんな思いで子育てをしようとしているのか、保護者は感じるのです。
     「相手の立場になって、一緒に考えよう。」と言うことは、日頃子どもたちに言っていることに他なりません。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年06月22日 06時22分43秒

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    疑ってみる

     私たちは、常に安心や安全を求めています。だからと言って安心や安全な状態に安住していると、変化に対応することができなくなってしまいます。

     このことを人の見方で考えてみます。
    「あの人は、こんな人だ。」と固定してみると、その固定した見方を使って対応を考えることができます。これは安心につながります。
     例えば、仲のよい友達だと思っているから、ここまで打ち明けてもいいだろうと安心して話をしたり、よく分かっているからこんな時は必ずこうしてくれるはずだと考えたりします。そして、思った通りに反応してくれると「やっぱり仲好しだ。」と一層安心してしまいます。
     反対に、相手がどんな人かわからなければ、どんな対応をしてよいのかがわからず、うまく対応できるかどうか不安をもちながら、対応しなければなりません。

     信頼している人だと安心していると、思い通りにならなかったときには、「裏切られた」という気持ちが芽生えます。信頼すればするほどその気持ちは強くなります。つまり、過信が人間関係を崩す原因になります。

     思い通りにならないこともあるという気持ちがあれば、柔軟に対応できるはずなのに、それができなくなります。

     また、親切だと思いすぎるのも同様です。自分でしなければならないことまで、相手がしてくれないからだと勝手に決めてしまうことがあります。助けてくれないかもしれないという気持ちがあれば、自分で解決しようと考えることができます。

     安心や安全を求め過ぎた結果が悲劇を生むのです。「そんな面がある。」という程度に留めておけば、「そうでないこともあるだろう。」と考えることができます。この柔軟さが、互いを生かすことになります。

     この判断の裏にはある程度の冷静さがあります。相手から冷たい人だと思われるかもしれませんが、この冷静さは決して冷たいものではありません。相手を生かすことにも自分を守ることにもなるからです。

     信頼や親切さに縛られて、自分の行動が固定されてしまうと動きづらくなります。失敗ができず、思い切った行動ができなくなります。その時々の優先順位で変わることはあるはずです。縛られているとできなくなります。
     この縛りがないと、期待した通りにならなくても、ある程度耐えることができます。ですから、たくましくなります。

     たくましさを培うためには、ハングリーさが必要なのです。不安定さが必要なのです。これは、安心や安全な状態からは生まれてきません。

     子どもたちは豊かさに埋もれ、安心と安全に囲まれています。これがたくましさを奪っているとしたら恐ろしくなります。どんなことでもし過ぎることは、よくありません。

     自分自身の思い込みを疑ってみることから始めなければなりません。疑うことから、たくましさが生まれます。そして、相手を許容する柔軟性が生まれます。
     
     自分の都合で、相手を固定化してみていることはないでしょうか。固定化して安心して、楽をしていることはないでしょうか。固定化して見ている自分自身の「思い込み」を疑って、そうではない面もあるかもしれないと疑ってみると、新たな発見をすることもできます。

     子どもは無限の可能性をもっています。固定化することで、その可能性を奪っているとすれば、悲劇です。

    「そんな人ではないと思っていた。」とと言えば、相手はかなり傷つきます。「誰でも、失敗することはあるから、その程度ならば許容範囲だ。」と言えば、安心できます。

     すべて、自分次第です。固定してみている自分が相手の姿を作り出しているのです。まずは、自分の見方を疑ってみることから始まります。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年06月20日 07時07分35秒

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    結果を見て判断

     子どもは、失敗をすることが多いはずです。その失敗を失敗にするのか、それともその失敗から学びを生み出すかは、本人よりもそれを支える周りに人々の扱い方で決まってしまう。

     「だから、言ったでしょ。私の言うとおりにしないから、失敗するのよ。」
     「ほら、失敗したでしょ。止めなさいと言ったのに、きかないからよ。」
    これでは、自信がもてません。

     「このことをどう思う?」と子どもに問い、「どうすればよかったのかな?」と考えさせれば、子どもなりの思いを語ることができます。
     その語りは、きっとこちらの思っていることと似ていることが多いと思います。でも、これをこちらが言うか、子どもが言うかでは雲泥の差です。
     子ども自身の内なる声は、自覚に基づいています。しかし、外からの声にはそれがありません。

     ですから、内なる声から出た言葉ならば、「よく気づけたね。」と内なる声に拍手を送ることができます。これが、子どもの自信につながります。失敗しても恐れることがなく、学びの機会にすることができるのです。

     叱ったり、怒ったりする場合の多くは、こちらの思い通りにならない時です。子どもですから、こちらの思う時間内にできることは少ないと思います。また、思い違いをしていて寄り道をすることもあります。

     しかし、それも私たちが通ってきた道ではないでしょうか。子どもが起こした結果で判断するのはなく、結果に至るまでの経過を知ることで、結果を生み出した原因を見つけることができます。
     そして、気づかせる何かを発見することができます。
    ・「どこで間違えたのかな?」
    ・「どう考えたらよかったのかな?」
    ・「なぜ、失敗したのかな?」
    色々な発見があるはずです。子どもと一緒に考えることで子どもは、安心して結果を見つめることができます。
     焦るのは、こちらの都合に合わせられない子どもの姿を見た時です。全てこちらの都合です。子どもには、何の罪もありません。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年06月18日 06時36分28秒

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    勘違い・思い込み

     子ども一人ひとりを大切にしたいと思って、日々の活動をしている。それがどんな形であれ、子どもが大切にされていると感じなければ、大切にしたことにはならない。
     「これだけ、精一杯しているのに。」
     「あなたのためにしてあげたのに。」
     「どれだけの時間を費やしているのか、わかっている?」
    様々な思いになることがある。
     
     しかし、これは、すべて勘違い・思い込みです。
    よいと思ってやっても、「うるさい」と感じられたら、やはり「うるさい」ことなのです。
    「あなたが苦しむから。」と思って先回りしても、「お節介」と感じられたら、やはり「お節介」なのです。

     受け取る側の子ども次第になるのです。いくら「あなたのためにこれだけやってあげたのにどうしてわかってくれないの?」と言っても通じません。

     「きっとこんな気持ちがあるから、こんなことをするのだろう。」と考えて手を打つこともあります。しかし、これも本当の気持ちをつかんでいるかはわかりません。思い込みで手を打っているだけです。
     
     学級に慣れてくると子どもは自分の我を出し始めるといいますが、我を出している子ばかりではありません。ストレスが溜まって、居た溜まれず訴えている子もいるのです。反応が我を出している姿と似ていれば、誤解してしまいます。

     目の前でよい姿を示す子どもであっても、教師のいないところではそうではないかもしれません。教師に叱られたくないと思っていれば、教師の前ではよい姿を示します。叱られないようにしているだけです。

     子どもが知りたければ、他の子どもからの情報を集めたり、その子の一挙手一投足を観察したりしなければ、わかりません。発する言葉も信用できるものではありません。心のほんの一部しか表現できないのです。それも適切な言葉を選んでいるかどうかも疑問です。

     裏づけられる事実をたくさん見つけて、きっとこうなんだと決めるしかありません。常に勘違い・思い込みをしていると思えば、子どもを責めることはなく、「勘違い(思い込み)でごめんね。」と素直に謝ることができます。

     一度に大勢の子どもを育てる授業の場合も同様です。
     私たちは代表を選んでみていることになります。できる(わかる)子の代表、できない(わからない)子の代表を相手にして授業が進むのです。
     必ず、全体に声をかけ、その代表に合わせて手を打っているだけです。
    本当に一人ひとりができているのかを判断することはなかなかむずかしいものです。子どもの言動や姿が揃う様子を見るしかないのです。

     「子どものことは、子どもに聞け。」・・・勘違いや思い込みがいかに多いのかを自覚し、謙虚に子どもから学びたいと思います。まずは、自分を疑ってみることから始まります。 

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年06月16日 05時32分05秒

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    当たり前にしていないか

    勉強が好きだという子どもは、進んで勉強に時間を使います。そうでなければ、なかなか勉強が手につきません。

     学校で力をつけなければならないことなのに、どうして家庭にまで勉強を持ち込まなければならないのかと思っている保護者や家庭では別の事に力を注ぎたいと思っている保護者にとって、宿題は厄介なものになります。
     繰り返しによって学習したことが身に付くのですが、学校だけではその繰り返しが不十分なのです。だから家庭に助けてもらわなければ、身に付かないのです。また、家庭でも学習しなければ、学習習慣も身に付きません。ですから、家庭の協力は欠かせません。

     宿題をすることを当たり前にしていると家庭への感謝の気持ちが薄れてきます。もちろん、多くの保護者は、子どものために出された宿題をさせなければならないと考えているから、協力してもらえます。家庭でどれだけの努力をされているのか想像できるでしょうか。
     子どものもつ能力以上の宿題を出していれば、必要以上の努力を家庭に課すことになります。(これは、本来学校でしなければならないことのはずです。)

     どれだけの努力があるのか想像することもなく、宿題をしてきたか、してきていないかという結果だけで判断する姿には傲慢さを感じます。

     家庭での負担をどの程度考えているのかをじっくり考えれば、宿題をすることが当たり前では済まされません。家庭生活をどれ程脅かすものかを考えて、慎重に宿題を課さなければなりません。

     学習習慣を身につけさせるためならば、概ね家庭での学習時間を想定して、宿題を出します。しかし、習熟を目的にすると学習時間ではなく、学習内容に合わせて宿題を出します。これだと学習時間は、個々によって異なることになります。

     このように教師の考え方次第でどのようにもなるということになります。
     当たり前にしていることが本当にそれでよいのかをじっくり考えなければ、ならないことの一つがこの宿題です。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年06月15日 06時32分26秒

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    罵声をはく

     目の前に居てほしくないと思った時、子どもはとてもうまく罵声をはきます。
     例えば、「あっちへ行って!」「うるさい!」「死んでしまえ!」等いろいろな言葉を使います。そして、言葉で通じなければ、手が出ます。

     こんな時、「そんな悪いことをしてはだめでしょ。」と子どもの言動を責めても何も解決しません。
     
     子どもがこんな言動をするのは、どんな気持ちからするのだろうと探らないと本心が見えてこないのです。

     子どもは、言葉を上手に扱えないことをきちんと理解していれば、対応を間違えずに済みます。

     でも、目の前に居てほしくないと思われても、居なくてはならないことがあります。

     その時の対応が一番難しいと思います。
    多くの場合、子どもを説得する立場でものを言います。
    「何を言っているんだ。」と頭ごなしに自分の主張をするか、それとも相手の気持ちを尊重し、「ごめんね。」と頭を下げながら、願いを伝えるかによって子どもの受ける印象が全く異なってきます。

     相手が大人ならば、きっと頭ごなしに自分の主張をすることはないでしょう。相手が子どもだから、それができるとすれば、ここには、相手を見下した自分が必ずあります。

     これは、敏感に子どもに伝わります。余計に反発する原因にもなります。誰もが自分の立場を認めてもらいたいと思っています。

     してはいけないことを「してはいけない。」と言うことは簡単なことです。また、してはいけない理由を知らせることも簡単です。それは、どちらも指導する側の立場だからです。
     しかし、してしまう理由を探ることは違います。これは、相手の立場で物事を考えることになります。あなたの立場になれない私だから、「ごめんなさいね。一方的になるけど、私の思いをわかってくださいね。」と頭が下がるのです。

     相手の立場に立って話すことの難しさは、相手の立場に立とうとする気持ちのある者にしかわからないことになります。さて、本当に子どもの立場に立って物事を考えられる教師になっているか、自分を見つめたいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年06月11日 05時23分32秒

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    信頼関係は相手次第

    子どもと手をつないで歩いている姿を見るととても仲良く見えます。
    ただ、この状態を作ったのは、誰かがポイントだと思っています。
     つまり、子どもが先に手を差し出したのか、それとも、教師が先に手を差し出したのかということです。手をつないでいる姿を見ただけでは、どちらが先かはわかりません。

     教師が先に手を差し出したとすれば、子どもは、教師と手をつなぎたいと思ったかどうかはわかりません。ひょっとすると、仕方なしに手をつないだのかもしれません。手をつないでいる時に握る力を抜いたときにそれがわかります。

     手をつないでいたいと思う子どもならば、握る力を抜いても手を離すことはありません。手を離すとすれば、仕方なしに手をつないでいたのかもしれません。

     これは、手をつなぐことだけではありません。教師が力を入れている時の姿が本物だと思うことは間違いです。力を抜いた時に本当の姿が見えてきます。

     信じて頼るのは、子どもの側です。子どもが教師を信じて頼るのです。いくら教師が信頼関係を築こうと努力しても、子どもがそれを受け入れなければ、教師の取組がお節介に映ったり、うるさく思えたりします。
     
     子どもから信頼されているか探り続けるしかありません。
    力を入れたり、抜いたりしながら、探り続けるのです。そして、見つけるのです。その子との信頼関係はどんな姿からわかるのかを。
    ・必ずついてきてくれる。
    ・困ったときに助けを求めてくれる。
    ・言動を真似(利用)してくれる。
     子どもの姿からわかるようになると、探るための余分な力を入れなくて済みます。探る必要もありません。無理をしないゆったりとした気持ちで接することができます。

     認められることが子どもの安心安全につながります。否定が不安や危険を作り出します。これは、日頃の会話です。特別な取組ではありません。相手をどんな気持ちにさせる言葉を使っているのかを探ってみるとそれが見えてきます。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年06月10日 04時39分00秒

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    流されやすい

     子どもの成長を見るとき、自分と周りの人々との関わり方で見ることができます。
     その周りの人々との関係性を探ると、自己中心的な低学年の子どもが次第に周りとの関係を作り、仲間と一緒に頑張ったり、仲間のために尽くしたり、人の役に立つことの喜びを感じるようになっていく過程が見えてきます。

     ただ、周りとの関係が深まる中で、自分と他人とを比較し、優劣をつけたり、否定したりすることも増えてきます。中には、皆と一緒でないと不安を感じたり、一緒だと安心したりする姿も見られます。

     仲間との関わりを大切にするあまり、大事なことを見えないように隠したり、すべきことをしなかったりすることが日常茶飯事となると大変です。

     問題点を指摘すると、「みんな〜しているから。」「私だけではない。」などと言い訳をつけるのもそのためです。

     この時、どんな問いかけを自分にするかが、大きな力となっていきます。ここに物事の本質を見極める目をもつことができるようになります。

    ・どんな仲間になりたいのか?
    ・本当に自分にとって大切なことなのか?
    ・本当に仲間にとって大切なことなのか?
    ・何をすべきなのか?
    ・仲間として、これでいいのだろうか?

     時々、感情が邪魔をします。「楽しいから」とか「面白いから」などがそれです。
     そして、「わかっているけど、できない。」という状況が生まれてきます。

     ここでトラブルがおきます。感情をコントロールできれば、自分で状況を変えることができますが、多くの場合、その感情に流され、失敗を重ねることになります。

     時には、教師に叱られたり、仲間から注意を受けたりします。

     感情に流されたり、仲間に流されたりしている姿を見ると、とてももったいない気分になります。

     この感情のコントロールが教育なのかもしれません。まずは、教師自身から感情のコントロールを始めたいと思います。 

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