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輝く瞳と素敵な笑顔

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年08月31日 06時23分28秒

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    潜在カリキュラム

     私たちは目標を立てて、子育てをしています。しかし、その目標通りになかなか子どもを育てることができません。その時、目標達成のための努力が足りないときっと思うでしょう。
     しかし、努力の問題ではなく、自分自身の癖がそうさせているということに気づくとまた違ってくると思います。

     よく潜在カリキュラムという言葉を聞くことがあると思います。子どもたちを意図的・計画的に育てる学校の教育目標にそったカリキュラムではなく、自らの学級経営を作り上げていく上で、自分の価値観をもとに叱ったり、褒めたりしながら、学級をまとめあげていくカリキュラムです。

     自分の価値観は、身に付いているため、意識せずに無意識のうちに子どもに指導という形で現れてきます。

     例えば、時間厳守を大切にしている教師ならば、子どもにもそれを求めます。時間を守らない姿を見ると、腹が立ったり、イライラしたりします。自分は当然時間を守ることは当然として動いています。身に付いているためこれは簡単です。教師が模範となっている子どもたちに自ら示しているので、子どもたちは何も言えません。身に付いている自分の価値観だから、当たり前のようにできるのです。
     子どもは叱られたり、褒められたりして次第に時間を守る子どもに育っていきます。
     時間にあまりこだわらない教師ならば、そこまで徹底しないだろうということでも、してしまいます。
     子どもが時間厳守で動くことができるようになれば、イライラすることも腹が立つこともないからです。
     人は誰でも安心・安全な状況で過ごしたいと思っていますから、時間厳守の教師は時間厳守の状態が保たれている間は安心・安全な状態なのですから、それを求めるのも当然です。

     このような価値観は、すでに誰もがもっているものです。それは、知らず知らずのうちに子どもに影響を与えています。
     身に付いているため、意識しなくても無意識のうちに働いているからです。

     潜在カリキュラムは、そういうものです。

     意識して指導していること以上に無意識で指導していることの方が多いことに気づくと、びっくりします。

     この潜在カリキュラムの発見こそが、自分の学級経営の効果を上げる一番の近道になります。

     潜在カリキュラムは、必ず感情が伴っているので、その感情が変化したときの自分を見つめてみると、潜在カリキュラムが見えてきます。

    ・イヤな気分になった時の自分を見つめる
    ・嬉しい気分になった時の自分を見つめる
    ・不満を感じた時の自分を見つめる
    ・満足感をもった自分を見つめる

     この時、何故そういう感じをもったのかを見つめてみる
    ・私は、○○を大切にしているからだ
    ・私は、○○が好きだからだ。
    ・私は、○○が嫌いだからだ。
    ・私は、○○の方がよいと思っているからだ。

     その意識したことを声に出してみるのです。
    そして、それを子どもにも伝えるのです。

     子どもたちは、教師が無意識にしていることでもいろいろな教師と関わりをもっているので、よく知っているはずです。
    「この先生はこんな時によく叱る。」
    「先生は、よくこんなことを言う。」
    「いつも先生は、○○だ。」
    などと子どもはつかんでいます。

     自分の癖を子どもに聞くのも潜在カリキュラムを発見する近道になります。

     自分の癖を意識することでより効果的な指導ができるようになります。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年08月30日 05時16分45秒

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    教師だからこそ

     人は自分自身に一番関心があると以前聞いたことがあります。実際、誰もが褒められると嬉しいものです。

     ところが、日々の生活に追われていると、なかなか自分を見つめる時間が少なくなり、事に使われたり、人に使われたりして、次第に自分らしくない自分になってしまう自分に気づかず、流されて生きていくことが多くなります。人間ですから、動かされてもその変化に対応することができます。
     しかし、その本来の自分とのギャップがあるため、苦しんだり、悩んだりします。それを受け入れることが出来ず、次第に体にも負担をかけることになったりもします。

     事に使われたり、人に使われたりすることがなければ、どれだけ自由に物事に対応できることでしょう。

     人との関わりがあるから、そんなに自分勝手なことばかりはできないと思うかもしれませんが、本来の自分はそんなに自分勝手なのでしょうか。それは違います。人とうまく生きていけるように設計されているのが私たち人です。

     ですから、人と関わるときに最適な姿を作り出してくれるのが本来の自分です。この判断ができる自分であるにも関わらず、事や人に使われてきたため、価値判断をするようになってしまったのではないでしょうか。それも、自分を生かすために仕方ない価値判断だと思いこんでしまっているように思います。

     人は信じるに値する存在ではないでしょうか。人に起こることは、自分にも起こる可能性があります。様々な条件の違いから、実際には起こらなかっただけではないでしょうか。

     こんなことを考えていると、教師は常に人間を見続け、人間のあり方を追求している職業だと思えてなりません。
     それも、子どもの見本となって常に活動している存在です。

     これには、責任を伴いますが、自分を見つめる機会が多い分、自分を日々成長させる機会を得ていることになります。
     これほど、自分を生かしてくれる職業はありません。これは、お金に換えることはできません。かけがえのない職業だと思います。

     人生は自分見つめの旅だとも言われます。教育もまさにそれではないでしょうか。
     子どもに話をするとき、「あなたはいかがですか?」と常に自分に問いかけている自分があります。これにはいいわけは通用しません。すべて身になって現れてきます。
     日々精進。これです。

     大人は変わらないとよく言いますが、決して変わらない訳ではありません。変えたくないと思っていたり、変化の鈍さに気づいなかったりするだけです。大人も変化しています。

     自分のために、教師としての職業を生かすことができれば、必ず子どもへもよい影響を与える存在になるはずです。
     二学期に向けて、「挑戦」という言葉を胸に秘め、頑張りたいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年08月28日 04時57分38秒

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    夏休みの課題への取り組み

     長い夏休みも終わろうとしています。いよいよ学校に活気が戻ってきます。子どもたちとの再会を待ち遠しく思っています。
     きっと再会のための準備をし、楽しみにしている教師も多いことと思います。

     どの子も無事に夏休みを終えて、元気な顔を見せてくれるだろうか。
     夏休みの課題について、どんな取り組みをしてきたのだろうか。
     二学期の活動に意欲的になっているだろうか。

    様々な子どもへの思いが浮かぶことと思います。
     
     教育は、子どもとの信頼関係の上に成り立っています。そして、愛情をかけた分、必ず子どももそれに応えてくれます。その愛情がこんな思いを生み出しているのでしょう。

     中には課題に十分取り組めなかった子どもたちもきっといるはずです。そんな子どもに対してどのように声をかけるのでしょう。
     取り組みは、過去でしかありません。その過去に縛られているとなかなか前に進めません。
     大事なことは、今です。二学期に向けて前向きに取り組もうとする意欲を欠いては何もなりません。

     課題は、教師との約束だと考えると、子どもたちがそれに十分応えてくれなかったことへ不満が出てくると思いますが、それは、教師との関わりがそれほど強くなかったと考えることもできます。
     二学期の取り組みに向けての新たな課題の発見になります。

     ですから、叱ることではないと思います。十分できなかった自分を見つめさせ、今の自分をどのようにして、二学期に向かわせるのか、その姿勢を作る機会ととらえることができます。
     しまったと思えば、その失敗をどのように乗り越えさせるのかを一緒に考えることができます。

     見落としがちなのは、一応課題について取り組んできたけれど、その取り組み方に問題を感じる子どもです。
     一応形を整えてはきているが、自分のもっている力を十分発揮していないのです。何故自分の力を十分発揮できないのかが問題です。
     約束だから仕方ない。
     課題が多すぎて、やるだけで精一杯だ。
     家族から声かけが多くて、主体的になれなかった。
    きっと様々な原因が考えられることでしょう。これは、課題に対して受け身となっている姿です。自ら主体的に取り組める姿を作り出すか、教師としての二学期の取り組みが重要になります。

     また、子どもの能力以上ではないかと感じる取り組みをしてきた子どもを見つけることもできます。
     この子たちは、家庭の協力が適切で、十分あったために自分の力を発揮できたのか、それとも家族が手助けをし過ぎているためにこの姿になっているのかの見極めが大事になります。これも、教師としての二学期の取り組みが重要になります。

     いずれにしても、課題への取り組みを振り返ることは、子どもの姿を元にしながら、二学期に取り組むべき方向を修正する機会になります。
     
     子どもから多くの事を学ぶことができます。その機会をどうぞ大事にしてほしいと思います。
     子どもの責任だと叱って済ませてしまってはもったいないと思います。

     二学期の始めには、まず、元気な姿を見せてくれる子どもとを待ち遠しくしているその気持ちを子どもたちに十分伝えたいと思います。まずは、子どもとの信頼関係を築きたいと思います。

     過去にこだわるのではなく、未来に向けて歩み出すための大事な今に焦点を当てた指導をしたいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年08月25日 04時32分10秒

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    トップダウンとボトムアップ

     子どもは、かけがえのない命をもった存在だということは、誰もがわかっています。
     わかっていても、子どもを自分の奴隷のように扱ったり、暴力を振るったり、自分の欲求不満のはけ口にしたりするのは、何故でしょう。
     
     ここには、かけがえのない命をもった存在と同時に弱い立場の人間としての存在が浮き上がってきます。
     
     弱い立場・・・体力的に弱い、依存している、未発達である

     この弱い立場であれば、客観的に見ると守りたくなるのが一般的な立場になります。

     しかし、我が子となるとどうしても客観的に見られなくなるため、弱い立場を意識することができないのかもしれません。

     そのため、子どもは自分の所有物であり、思い通りにできる存在になってしまうのではないでしょうか。
     躾ることは、その典型となる行為です。我が子だからこそ、私の価値観を受け継いでもらいたいと思うのです。これが他人であれば、価値観を押しつけることはないでしょう。
     
     日頃の一挙手一投足が子どもに影響を与えています。もし、それだけだとすると、子どもは親のロボットでしかあり得ません。
     ただ、そのお陰で、教えられた価値観をもとに、判断し、行動できるようになっていくのも確かです。
     
     いつも親の側に居れば、きっと親のロボットとして確実に育っていくのですが、そのようにはならないのは、何故でしょう。

     それは、子どもが育つ社会の影響を受けるからです。人と関わることで、自分のもった価値観と違った価値観と出会い、葛藤が生まれます。
     この葛藤の中から社会に適応できるように価値観を変化させていきます。つまり、親の判断ではなく、子ども自身が判断して自分の生きる社会に適応できる生き方に変えていくのです。

     ここには、親の介入は本来ならば、ありません。
     子どもの世界で起きていることに口出しは無用です。子どもが生きる社会なのですから、いつまでも親に頼ることはできません。

     ところが、我が子と自分が同一であるかのように感じている親だとすると、子どもの苦しみが自分の苦しみであり、子どもの喜びは自分の喜びであるかように映るのです。
     そうなると口を出したくなってきます。自分の価値観を否定されたり、ないがしろにされたりするように思ってしまうからです。自分の反映としての子どもになっているのです。

     これでは、親自身も不自由です。子どもに縛られた人生を歩むことになります。
     子どもに縛られないで親自身も自由に自分の人生を歩んでほしいものです。

     それでは、親は親の責任としていつまで主導権を握る必要があるのでしょうか。
     脳神経の発達から考えるとある程度それが見えてきます。0〜3歳までに脳神経の60%程が発達し、5〜7歳までに脳の80%以上が発達するということを考えると、親の出番は小学校低学年までということになります。

     それ以後は、子どもに寄り添い手助けをする、子どもを全面に出させバックアップする、子どもから離れ、見守る等と次第に子どもから離れていくように考えることができます。

     ということは、乳幼児と呼ばれる時代の子育てがとても重要になります。
     主導権を握っているから私の思い通りに動きなさいと子どもを育てるのも一つです。これはトップダウン(上から下へ)の教育です。
     もう一つは、ボトムアップ(下から上へ)の教育です。つまり、子どもの発達に合わせて、一つ一つ積み上げていく子ども主体の教育です。
     
     トップダウンの教育では、常に目指す山が見えています。そのため、今の自分は山の上に到達できない子どもが存在します。これはうまく扱わないと自己否定につながっていきます。

     ボトムアップの教育では、目指す山が見えにくいため、今の自分が重要となります。できた自分を積み上げることで、きっとこれもできるだろうという育て方になります。これは自己肯定につながっていきます。

     「あなたはだめだ。」と言われるよりも「これができるようになったあなただから、きっとこれもできるだろう。」と言われた方が自信がもてます。
     誰も子どもを自分の物のように扱いたいとは本来思っていません。自分の思い通りにしようと願うのではなく、子どもの幸せを願って子育てをしています。それなのにいつの間にか思い通りに動かないことに腹を立てている親になってしまっているのです。

     これは、ただ、子育てがトップダウンになっていることに気づいていないだけなのです。
     目の前にいる子どもを見ているのではなく、理想とする子どもというイメージした子どもを見ているため、目の前にいる子どもを見えないのです。

     「みんなができるのに何故あなたはできないの。」「うちの子はどうしてできないのだろう。」と周りと比較したり、「これができなければ、大きくなれないよ。」「何度言ったらできるの?」と目標から子どもを見ているのは、まさにトップダウンの子育てなのです。

     子どもがもっと幼い頃には、「はいはいができるようになった。」「立って歩けるようになった。」と目の前の子どもの発達を喜びながら見ていたはずです。このボトムアップで子育てをしていたにも関わらず、それがいつの間にかトップダウンに変わってしまったのです。

     ここには、親の価値観が見え隠れします。本当に大切なのは、目の前の子どもです。子どもを育ている過程のどこか目の前の子どもから目を離し、理想とする子どもを見ている自分になってしまったのではないでしょうか。
     目の前の子どもを見ていると、今この子は、何を求めているのかが何かが見えてくるはずです。欲しているものに合わせて子育てをしている中で価値観が見えてきます。育てる価値観が見えてくるはずです。

     一緒に活動するその姿勢がその価値観そのもののはずです。

     遊んだ後に一緒に後始末をします。その時の後始末の仕方はまさにあなたらしさのはずです。遊びの中で様々な工夫をします。その工夫の視点はまさにあなたらしさのはずです。手洗い、トイレの使い方、物事への取り組み方すべてあなたらしさのはずです。
     後回しにするあなたならば、子どもも後回しにします。とことん一つのことにこだわるあなたならば、子どももとことん一つのことにこだわります。今の自分にもっと自信をもって子どもと一緒に関わることがとても大事なのです。
     見えない理想とする子どもを見るのではなく、目の前の子どもを見て一緒に活動するのです。そこに必ずあなたらしさがあるのです。
     
     子どもから目を離した時から目の前の子どもが見えなくなってしまってはいないでしょうか。子育てが本当に目の前の子どものためになっているのか、もう一度見つめ直してほしいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年08月20日 03時44分19秒

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    反応を楽しむ

     私たち大人は、様々な経験を経て、様々な価値観を身につけてきました。その身につけた価値観をもとに、今起きている事象に反応して生きています。あたかもそれが自分であるかのようにです。
     反応で生きているということは、常に過去に作り上げた自分だということになります。これでは、なかなか創造的な生き方はできません。

     子どもが、いたずらをするときは、何か意味があるにも関わらず、いたずらをする子どもが目の前にいると、「いやがることをしてはいけません。」とすぐに注意をしたくなってしまいます。
     本当は、相手になってほしいと思っているのです。こちらを見てほしいと思っているのです。もっと関わってほしいと思っているのです。

     子どもが、泣いたとき、「そんな弱いことで、困ります。ここは我慢しなさい。」と諭します。本当は、もっと甘えたいと思っているのに、甘えさせてもらえません。

     いつも自分の価値観で、子どもを見ているのです。そして、子どもを育てることがそれだと思ってるのです。

     本当にそうなのでしょうか?

    ・いつもそばにいてくれるとことがわかっていたら、安心してそばにいてほしいとは思いません。逆にいつもそばにいるとうるさいと思うようになれば、自然と離れていきます。甘えてくれるのもそれほど、長い年月ではありません。いずれは離れていくのが子どもです。
     関わりを広げたいのならば、一緒に関わりながら、自分一人でもできる可能性に気づかせる方が子どもの生きる力になります。

    ・甘えたい時に甘えさせてもらえると安心します。不安定なままでは、何をしてもうまくいきません。甘えることが問題ではないのです。我慢強くしたいのならば、一緒に耐えることを経験し、我慢して学んだことを教える方が体験的によくわかります。

     子どもには私たち大人以上に柔軟に対応できる力をもっています。子どもが本当に何を求めているのかをつかめば、育てる側の創造力を働かせることができ、無理なく子どもを創造的な子どもに育てることができます。

     価値観は自らの体験で身につきます。決して親の体験や経験から学んだ価値観を押しつけることではありません。

    1 子ども自身が価値観を身につけられる環境を用意すること
    2 その環境の中でどんな反応をするのか楽しむこと
    3 そして、どうしても許せない時は叱り、素敵だと思ったことは褒めること
    4 体験から学んだことを言葉にすること

     子どもの反応を楽しむゆとりがあれば、失敗した時は、価値観を身につける機会だと喜ぶことができます。うまく行けば、素晴らしい力を持っていると感心することができます。ですから、いつも笑顔で子どもの姿を見ることができます。
     この子は将来どうなるのだろうと心配することもなく、この子ならきっと自分の力で将来を切り開くだろうと思えるエネルギーを感じるはずです。
     ひょっとしたら、そのエネルギーをこちらの価値観に合わせさせるために使わせてしまっていることはないでしょうか。
     もし、そうだとしたら子どもは不幸です。切り開くエネルギーが取られてしまっているのです。そして、過度に要求されると、自己否定につながることもあります。

     その子らしさをきちんと見極めることができれば、安心して任せられるはずなのです。

     常に子どもと寄り添い、子どもは何を欲しているのだろうか。そして、どのように伸びようとしているのかをつかもうと探り続けるのです。そして、どんな体験をさせればよいのだろうと、創造的に考えるのです。

     子育てのおもしろさは、ここにあると思います。こちらが創造的にならなければ、楽しくありません。子どもの反応を楽しむのです。

     もし、そんなゆとりがないとか、それは理想だ、無理だ等というのならば、それは、子どもの問題ではなく、育てる側の問題であることに気づいてほしいと思います。

     自分で枠を作っているから、その枠に縛られて子育てをしていると考えてほしいのです。子育ての限界は、育てる側が決めているのです。決して子どもが悪いわけではありません。

     子どもは常に反応しているだけです。刺激を与えるのは育てる側なのです。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年08月19日 06時09分04秒

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    一人ひとり違っていいと言った責任

     一人ひとり違っていいといいながら、本当は一緒にしたいと思うことはないでしょうか。
     実際に学級経営をするときには、一人ひとりの行動がばらばらでは困ります。皆がそろって初めて学級として成り立ちます。
     それでも一人ひとり違っていいとはいえません。学び方であれ、学級の約束であれ、みんなが一つにならなければなりません。
     となると一人ひとり違っていいというのは、どういうことなのでしょう。

     山登りの例えるとわかりやすいと思います。目指す山は一つです。これが皆揃うということです。しかし、山の登り方は一つではありません。様々な登り方があっていいはずです。この登り方まで揃えようとすると難しいのです。当然登り方が一つならば、教え方も一つで済みます。これがたくさんになるとそれぞれの登り方に合った教え方をしなければならないのです。

     教師にとって、一人ひとりが違っていいと言った以上、個々の登り方を保障していることが前提となっています。

     これを十分理解せず、違っていいと言うと大変なことになります。

     どこかで強引に自分のやり方に当てはめて子どもを導こうとするので、子どもからは「言っていることとしていることが違う。」と不安を感じたり、信頼をなくしたりします。時にはその反動がきます。
     これは当然のことであり、子どもに罪はありません。教師の一人ひとり違っていいと言ったその一言が問題を作ったのです。

     ですから、歩みが遅くても、登り始めた子どもの道を確実に登れるようにフォローする立場でいることが大事になります。
     「それでいいよ。」、「安心していいよ。」、「失敗してもいいよ。」と伝えながら、「ここをもう少し考えたできるはず。」、「こんな見方をしてみたらどうかな。」などと助言を加えながら、子どもを道案内するのです。

     子どもが、生かされていると実感したとき、初めて一人ひとり違っていいとわかるのだろうと思います。
     違っていいと言った以上、その責任を十分とっている教師だけが、子どもを生かすことができるのだと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年08月18日 05時39分50秒

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    心を開く

     相手を受け入れる心があるということは、どういうことなのでしょう?
    長年生きていると様々な価値観が固定化され、次第に受け入れるものと受け入れられないものとがはっきりしてきます。このことからすると次第に心が狭くなっていくようにしか思えません。
     価値観を元に判断すれば、必ず、合う合わないが出てきます。これでは受け入れられることと受け入れられないことが生まれてきます。
     どれも受け入れるためには、価値観に基づいた判断をしないか、どれも受け入れる価値観を作り出すしかありません。

     子どもが安心して心を開き、信頼してくれるためには、丸ごと受け入れる気持ちが必要になります。

     しかし、私たちは学級を作るときには、自分なりの価値観を前面に出して、その価値観に合った学級作りをすることが多いと思います。
     これだと、必ず合わない子どもが生まれます。合わないと感じた子どもは、避けるか、合わせるかのどちらかになります。
     どちらにしても本来の子どもの姿ではなく、仮の姿でしかありません。

     何を言っても受け入れてくれると感じない状況では、子どもは仮の姿しか見せてくれません。

     子どもが教師から離れた後に、「あの頃はちゃんとできたはずだ。」と言っても、教師の価値観の中での事であり、本来の姿ではなかったのです。

     教師の手を離れたときにでも、同じ姿として現れるとすれば、きっとそれは本当の姿を見せていたのだと思います。集団の中で育った姿だと思います。

     子どもが本当の姿を見せるか、どうかは、教師の価値観が前面に出ているか、出ていないかによって決まるということが、このことからわかります。

     それでは、どんな学級経営が、子どもの本来の姿を出しやすい学級経営なのでしょう。

     教師が前面に出るのではなく、子どもが前面に出て、子どもが自らの力で創っていく学級がそれではないでしょうか。

     そのためには、教師は、常に子どもに反応を求める姿が必要となります。仲間のしたことや言ったことに反応し、納得できることを積み上げていく学級にすることではないでしょうか。

     最小のルールを作り、そのルールに乗れば、安心してどの子も自由に自分の考えが言えたり、行動できたりする学級を目指すことになります。
     それには、まず教師自身が心を開き、受け入れる態勢を作ることから始まります。
     あなたは、素晴らしい。
     あなたは、学級の大事な一人なのだ。
     あなたは、常に変化する存在なのだ。
     あなたは、素敵な仲間と一緒に磨きある存在なのだ。

     どの子にもこのことを伝えたいと思います。そして、心が自然に開くような笑顔を子どもたちに浴びせようではありませんか。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年08月13日 06時09分03秒

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    わからないことを大切に

     わからないことがあると、何となくスッキリせずもやもやした気持ちが心の中に残ってしまう。これは、誰もが経験することです。
     そして、この気持ちが、探求心につながります。何がわからないのかをはっきりし、腑に落ちるまでこの気持ちが続きます。

     対象によっては、かなり長い時間このすっきりしない気持ちが続くこともあります。

     特に子どもにとって、わからないことは目の前にたくさん転がっています。そのため、大人よりも子どもの方が「なぜ?」という問いかけをすることが多いのではないでしょうか。
     
     この問いかけにどこまですっきりとした答えを出してやれるかがとても重要に思います。子どもなりにわかるような答え方をしていくことが腑に落ちることになります。子どもが納得できれば、答えが必ずしも正確でなくてもいいのです。

     ここが、対応の難しさになると思います。大人はすでに様々な体験を経て、自分なりに解決しているため、自分の理解で説明しようとします。
     しかし、子どもに理解させためには、その子どもが理解できる少ない言葉を使って、大人が説明しなければならないのです。
     難しい言葉を使えば、その難しい言葉についての疑問がわき、新たな「わからない。」が出てくるため、複雑になり余計にわからなくなってしまいます。もし、新たな言葉が必要ならば、その言葉も丁寧にわかるように教える必要があります。

     必ずしも正確でなくても、納得すればいいというのは、そのためです。

     いずれ今よりよくわかる自分になれば、答えに疑問をもてば、また追求するのです。ですから、子どもの今の状態でわかる範囲で答えが出せればいいのです。

     すべて正しいことを伝えなければならないと考えことが大事だと言っても、理解する側が受け止めなければ、伝わりません。

     ここが受け手の子どもの理解に合わせなければならないという必然性なのです。

     特別に支援が必要な子どもへの配慮もできないで困っている子への支援もすべて同じです。

     子どもに合わせて対応しなければ、伝わらないのです。

     教えたからわかるはずというのは教える側の傲慢さでしかありません。子どもがわかって始めて、教えたことになります。

     ですから、わからないを大事に扱うことが、子どものわかりたい気持ちを育てることになります。

    ・「忙しいから後にして。」
    ・「こんな事ぐらい、わからないの?」
    ・「前にやったから、わかるでしょ。」
    等と平気で子どもに話す姿をよく見かけます。
     これは、わかろうとしている子どもに対してやる気を削ぐ言葉かけになります。

     今困っていることに誠実に答えようとする、教える側の姿勢が子どもに伝わるのです。一緒に考えてくれる人がいることが子どもに安心を与えます。これは、正解を教えること以上に重要です。

     一人で悩み苦しむ子どもにしては解決になりません。どうか、もっと子どもに寄り添っていただけませんか?
     少ない言葉しかもたない子どもの声にならない声に耳を傾けてほしいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年08月12日 06時28分14秒

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    見えるものしか見えない

     いろいろな考え方をもっている人がいると、様々な議論が飛び交います。ときどき、相手を攻撃し、自分の考えを押し付けようとする人がいます。自分の経験体験から、これが本質だと言いたいのでしょう。そして、これがあたかも真実のように様々な情報を提供してくれます。

     互いに自分の思いを伝えたいというだけに収まらず、自分の考えの正当性を訴え始めます。
     誰もが自分の大事にしている価値観を否定されたり、拒否されたりするといやな思いになります。
     ですから、相手も同じように感じていることです。それは、脳のはたらきによるものです。特別な人だけに起こることではありません。脳は安心安全のために働きます。攻められれば守るために働くのですから、当然です。

     それぞれ人はみな違う体験をしているのですから、違っていて当たり前なのです。相手と同じ体験をしようとすれば、相手が関わった時間を費やす必要があります。その意味からすると相手を理解することは不可能だと言ってよいでしょう。

     それでは、どうして「あの人は私の事をよくわかっていてくれる。」とか「気持ちのわかる人だ。」や「少しもわかってくれない。」などということになるのでしょう。
     相手と同じ思いを自分の過去の経験や体験の中に相手と同じような経験や体験があれば、同じように感じることは可能になります。よくわかっているとかわかってくれる人というのは、そういう過去のイメージをうまく引き出すことができる人だと思います。
     よくわかってもらえない人というのは、それがうまくできず、自分の言いたいことだけを言って満足している人ではないでしょうか。

     誰もが自分の見えるものしか見えません。相手を理解することは不可能だということを前提に考えていれば、もっと相手を知ろうとすることが大切になります質問したり、確認したりする努力が必要となります。そして、自分の体験と結びつけながら、どんな思いになるのか探ってみるとよいのではないでしょうか。

     相手を責めても、いやな気持ちが残るだけです。相手をねじ伏せたとしても、ねじ伏せられた方からするとよい経験ではありません。ですから、互いを理解しようとするところから、話を深めることができるように思います。

     議論は、互いを理解することから成り立っているように思います。そして、新しいものを創り出す思いがなければ、いつまでも平行線になってしまいます。みんな仲良く暮らしたいと思っているのですから、ちょっと今の立ち位置を見てみるといいのかもしれません。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年08月10日 05時45分04秒

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    挑戦

     新しい事を始めようとするとき、わくわくし、胸が躍ります。このわくわく感が自分を成長させてくれます。
     このとき、その新しい事をすると、どんな影響を周りに及ぼすことになるかを考えて行動することがとても重要になります。
     独りよがりになると、よい事でも必ず批判が出ます。

     やりたい事は、必ず周りにも影響を与えます。周りがそれを知っているだけでも、見方が違います。何も知らないと誤解を招くことがあったり、勝手に解釈されたりするのです。事前に周りに知らせることだけでも相手を思いやる気持ちを相手に伝えることになります。

    ・なぜ、始めようとしたのか。
    ・始めるためにどの程度の準備を考えているのか。
    ・始めようとすることをどのように進めようとしているのか。
    ・始めることによって、何か変わるのか。
    ・始めることにどんなねうちがあるのか。
    ・結果としてどんな姿をイメージしているのか。
     
     これらは、夢を語ることになります。始める事の大小に関わらず、それは夢なのです。これに協力してくれる仲間を増やすことが夢の実現に近づきます。
     自分一人の小さな力では至らないことも多くあります。事前に話すだけで、助言が貰えるかもしれません。新たな課題を発見するかもしれません。
     自分が始めたいことが人のためになると考えているのならば、人に話すことがすでに夢の実現に近づいているのです。

     夢を語っているときのわくわく感は、始めようとしたときのわくわく感と同じです。語り出すことで一層、そのわくわく感が増すのではないでしょうか。
     
     挑戦は、自分自身の成長に必ずつながります。挑戦をやめたとき、成長が止まると考えた方がよいでしょう。自分の道を極めるためにも挑戦し続けたいと思います。

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