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輝く瞳と素敵な笑顔

輝く瞳と素敵な笑顔>掲示板

公開 メンバー数:17人

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  • from: 岐阜のすーさん

    2011年06月29日 06時15分53秒

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    所見を書く

     いよいよ学期末となりました。学期末の評価の時期になりました。ここで一番悩むのが、所見です。
     子どもや保護者にどんな内容をお伝えするとよいのだろうと必死に考える時間が増えてきます。

     所見は、伝えたい内容を凝縮した形で示すことになります。

     ここで悩む初任の先生は多いと思います。そして、中には、様々な本を読んで書き方を学ぶ方もいらっしゃいます。

     大切なことは、子どもや保護者が納得できる内容をわかりやすく書くことになります。

     保護者として知りたいことは、
    「うちの子どもを先生は、どのように見ているのだろう。」
    に尽きると思います。
     目の前の子どもの人柄や見方考え方、能力などを知りたいと思っています。
     
     実際の行動を学習と生活とに分けて羅列されている所見をよく見ます。
    でも、その行動は、多く行動を代表する行動になっているかどうかは保護者にはわかりません。
     たまたま、そういう行動をしたということでしたら、それほど重要な行動にはなり得ません。

     保護者が知りたいのは、行動の裏にあるその子らしさにあります。何故、その行動を取り上げたのかを説明することが大事になります。

     こんな行動ができるのは、こんな力があるからだ。
     こんな行動ができるのは、この子はこんな考え方をする子だから。
     こんな行動ができるのは、この子はこんな子だから。

     ここには、教師の主観が入ってきます。言葉として残ることがとても重要ですし、責任を取らなければならないことになります。
    事実を書いているうちは、安全です。
    一旦、自分の判断を書くとなると責任が問われます。

     ここで逃げてはいけません。

     絶対的な評価などありえません。誰がみてもそうだということはありません。
     長所でも見方を変えると短所になります。
     逆に短所でも見方を変えると長所になります。

     ですから、大事なことは、とらえた判断の裏付けとなる事実をどれ程もっているかということです。

     ですから、事実を書いて逃げてしまう所見とは違います。

     十分に配慮して、生み出された言葉には、愛があります。
    その愛を伝えることが、子どもや保護者にも伝わっていくのです。

     事実には、愛はありません。

     子どもと精一杯関わってきた私たちです。その関わりの中から生まれた判断です。その判断には間違いはありません。今のあなたの精一杯がそこにあります。だから、責任が取れるのです。

     1学期は2学期につながる所見にすることで、次の指導の役に立ちます。
    子どもをよりよくしたいという思いは保護者も同じです。ですから、保護者と連携が取れるように伝えたいと思います。

     決してすべてを抱え込んで、自分一人で何とかしようなどと思わないことです。愛があれば、保護者にも伝わります。内容よりもその思いが保護者を動かします。

     中には、十分な判断ができない子どももいるはずです。残りわずかとなってはいますが、今そんな子への関わりを深めるよい機会でもあります。見つめ直す機会にもなります。

     子どもや保護者への愛情のある一言を所見として書き上げるまで、もう少しです。最後まで、子どもを見続けたいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2011年06月27日 04時45分03秒

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    見えるものが変わる

     焦点の当て方を変えると見えるものが変わることは、誰もが知っています。しかし、これがなかなかできないのが私たち人間です。

     「3日経ったら、過去の事は水に流せ。」

     こんな言葉をある友人に教えてもらいました。

     嫌な事を言われたり、つまらない事でいざこざを起こしたりした状態は、すぐには解消できません。記憶として残っているため、それが今の自分に反映されます。

     負い目を感じたり、関わりを気にしたりと自分で勝手に相手との関係を解釈し、「何となく気まずい」「これで、ちょっと距離感が生まれた」などと思ってしまいます。

     これを3日で立ち消えにすれば、また新しい関わりとして創り上げることができます。

     そんなに簡単に気持ちを切り替えることなどできないと思う人が多いでしょう。

     しかし、それは、簡単にできるのです。それなのに止めているのは自分だということに気づいていないからです。

     思い出すと感情が湧き出てきます。私たちは、その感情に支配されてしまいます。

     その感情を意図的に消す作業をしないからいつまでも過去の記憶に足を引っ張られてしまいます。

     記憶のイメージを塗り替えれば、感情が変わります。
     記憶の意味づけを変えれば、感情が変わります。
     その記憶の状況を味わい尽くす。

    この2つで過去の記憶を変化させることができます。

     その場ではなかなか変化させるのは難しいかもしれませんが、少々時間が過ぎてからならば、消す作業は容易くできるようになります。それは、過去の自分と今の自分とを区別し、離しやすくなるからです。

     これには、いくつかの方法があります。
    ・イメージを写真として脳裏に映し出し、その写真を装飾したり、色合いを変えたり、大きさ、距離などを変えたりして、写真のイメージを変えてしまう。
    ・椅子などを用意し、位置を変えて、過去の自分を客観的に観察し、意味づけを変えてしまう。

     味わい尽くすというのは、これとは違う扱い方になります。その時の自分の様子を思い出し、感情を増大させます。嫌な気分になるかもしれませんが、逃げないで味わい尽くすのです。それを味わっている時にふと思い浮かぶ言葉などを扱います。そうするとその嫌な感情が生まれた背景を見つけることができます。
     「そうだ。自分を守ろうとしたんだ。」「裏切られた気持ちになったからだ。」「本当は、好きだったんだ。」などとその感情の奥深くにある思いが見つかります。
     そうするとスーと嫌な気分が消えていきます。「そんなこともあったな。」と事実を受け止めるだけで、特に嫌な感じがしなくなります。

     あくまでこの取り組みは、過去の記憶に引かれることなく、目の前にいる相手との信頼関係をより高めるための準備になります。

     これは、子どもを見る時も同じでいたいと思います。失敗を根にもって枠組みをもってその子を見るのではなく、目の前にいる子どもを大事にしたいと思います。「そんな事実もあったかもしれないが、今の子どもの姿とは、切り離そう。」という気持ちがあれば、必ず新しい発見があるものです。
    固定的に見たり、それに当てはめて見ようとしているから、発見できないのです。

     見方を変えるかどうかは、私たち教師に任されています。

     変化し続けているにも関わらず、固定化し、変化を止めてみようとしているのが私たちです。

     「そうかもしれないが、そうでないかもしれない。」・・・このように見ていると新たな発見ができます。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2011年06月24日 04時51分16秒

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    見方が変わる

     全校的な視野に立って見るという話を以前、書きました。これは、学級全体の子どもを見るために自分の視野を広げることを大事にしたいという気持ちで書きました。
     しかし、全校的な視野に立った時、一人一人の子どもへの見方が変わることにも気づきました。

     一人の子どもに対して、全校的な視野に立ったとき、様々な気持ちが沸いてきます。

    ・子ども同士の関わりは今のままでいいのだろうか。
    ・他学年の子どもたちとの関わりはあるのだろうか。
    ・今年1年だけでなく、6年間で見たとき、これでいいのだろうか。
    など

     見え方が変わると、自分の指導に片寄りがあるかどうかを見直す機会になってきます。
     それは、自分の学級作りの都合に合わせて指導していることはないだろうかということです。

     当然、自分の学級だから、自分の都合のよい育て方をすれば、満足できます。しかし、その後を受け継ぐ人にとって、それが苦しいものになったり、子ども自身が次の担任とのギャップに苦しんだりしては大変です。

     6年間を見通したときに、目の前の子どもが順調に育っていくためには、学校で作ってある指導の学年発達に合わせた指導がとても重要だということがわかってきます。

     何だか飾り物として、あったその指導の流れが、本当に子どものものになっているのか、それとも形式的になっていなか十分検討しなければならないことにも気づいてきます。
     
     学年発達とは関係なく、学年を越えて、毎年毎年指導しなければならないことがあるとすれば、それは、ある学年に割り当てることではありません。
     
     視野が広がると、広げた自分自身のとらえ方が変わってくるのです。
    子どもを育てる視野の広がりが、自分自身を成長させてくれます。

     全校的な視野に立つことは、全校的な視野で見なければならない立場になったときにできればよいというものではありません。今の指導に生きる問題ですから、誰でもその立場になることが重要な気がします。

     学級という小さな所だけを見ている自分だから、子どもがうまく育てられないのだと考えた方がよいのかもしれません。連携して子どもを育てようという気持ちが強くなれば、同僚から学ぶことも増えてくるはずです。それは、自分の能力を高めるというよりも、子どものために連携を取ることの重要性に気づき始めたからできることです。

     全校的な視野に立っている自分なのだろうか、それとも学級という視野に立っている自分なのだろうか、見つめてみたいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2011年06月22日 06時15分56秒

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    できた(わかった)人?

     授業中に個人で考え作りをした後に、先生が「はい、できた人。」と子どもたちに尋ね、挙手した子どもの中から指名する姿をよく見ます。

     そして、挙手した子どもの発言を元にして、授業が進んでいきます。

     この姿に疑問を感じることがあります。

     挙手した子どもで、授業が進むということは、挙手していない子どもたちはどう扱われるのでしょう。

     時間までに考えがまとまらなかったかもしれません。何もわからなかったのかもしれません。この子どもたちに対して、友達の話は、どういう意味があるのでしょう。

     聞いて学ぶための大切な情報になることは確かです。しかし、わからない子どもややりかけの子どもにとって、自分のわかっていく道筋に必ずしも合っているとは言えません。

     わからない子ややりかけの子も授業に参加しているのですから、もっと積極的に参加できる体制が必要に思います。

     できない事が悪いのだという考えをしていると、手だてが打てません。
    また、子どもの側にすると見捨てられた気分にもなります。

     「できた人」と尋ねることは、子どもの実態を把握するためには、とても重要なことですが、できない子どもがいたとしたら、何らかの手だてを打って、できる人になるまでの手助けが必要になります。その手助けが必要とする子がいるか否かを発見するための言葉が「できた人」になります。

     次に活動を進めるための「できた人」ではありません。

    できていない子もできかけの子も授業に参加し、積極的に自分の考えを述べることが必要です。それが学級一緒になって学習に取り組む姿勢になります。

     考える時間が前にあったとすれば、その考える時間を精一杯に取り組み、その中で精一杯考えたことに値打ちがあります。ここには、能力の差はありません。どの子も自分がもっている能力を発揮し、挑戦しているのです。

     この姿を生かすことができたら、もっと自分の考えに自信をもって取り組むことができるのではないでしょうか?

     ほんの些細な言葉ですが、授業を構成する上で考えるべき言葉のように思います。

     「はい、どうぞ。」、「頑張りを教えてください。」などどの子も挙手できる言葉かけをすることで、自分の能力を精一杯出すことの重要性も伝えることができます。

     「あなた、これだけ頑張ったじゃない。発表しないともったいないよ。それに、そうやって頑張ったことを誰が知っているの?発表して初めて友達があなたの頑張りに気づいてくれるはずだよ。あなたが精一杯頑張ったことに間違いはありません。」などと勇気づけることもできる。

     どの子も認められたいと思っています。教師が枠を作り、子どもがその枠に入れない状況を作っているとしたら、子どもにとても申し訳ないことです。

     「わかった人?」も同様で、わかったか否かを判断するための言葉であったり、わからない子どもを探すための言葉でもあります。
     決して授業を進めるためには使わないようにしたいと思います。

     教師の子どもへの愛情がほんの一言で見えてきます。自分の都合で授業を進めているとどうしても、都合のよい意見だけ取り入れて、進めてしまいます。わからない子や自分のペースに合わない子どもは邪魔者になってしまいます。
     これでは、子どもが生かされません。学習からどんどん逃げていきます。

     子どもたちに投げかける言葉が子どもの学習意欲を変える大きな力になります。子どもたちを生かすための言葉かけを考えたいものです。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2011年06月20日 05時27分34秒

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    原因と問題解決

     私たちは、問題が起きるとその原因を探り、解決の方法を考えることが多いと思います。
     しかし、問題の原因は、単純ではありません。複雑に絡み合って問題が発生することが多いのが現実です。

     その複雑に絡み合った原因を一つ一つほどいて、対応していくことは、かなりの時間を要し、問題解決に至るまでに多くのエネルギーを費やしていくことになります。

     刻々と変化する環境の中で、時間の経過と共に生きています。

     このことを考えた時、本当に時間をさかのぼって、原因を探らないと問題解決にならないかといえば、そうではありません。

     原因と問題解決を切り離して考えてみてはどうでしょう。


     <喧嘩をして、叩いて泣かされた>
    原因・・・○原因を探るために両者を呼んで、一人ずつに言い分を聞く。
          一方がもう一方に対して何らかの気に入らない刺激をした。
          それに反応して、嫌がる行動をした。
         ○互いの言い分をすりあわせて、嘘がないか確認する。
          過去の体験や経験を話す。
          自分を守るための反応をする。

    問題解決・・・嫌な気分を解消し、仲良く生活できるようにしたい。

     泣かした子ども・・・・腹を立てている。暴力を振るった。相手に対する嫌な感情がある。
     泣かされた子ども・・・痛い思いをした。相手に対する嫌な感情がある。

     嫌な気分や相手に対する嫌な感情が収まれば、気持ちが変わり、関わりを変えることができます。また、二人の言い分をすり合わせることなく、別々に扱うだけで問題解決をすることになります。

    つまり、次のような取り組みをします。
     泣かした子どもへ
     ・相手に対する嫌な感情を消す。
      イメージを変えるためのワークをする。
      (NLP心理学で扱うポジションチェンジやサブモダリティチェンジなどを行う)
     ・暴力を振わずに済む問題解決の方法をつかむ。
      相手の刺激に対する適切な反応の仕方を教える。
      暴力を振るいたくなる気持ちを抑え、我慢することを教える。
     泣かされた子どもへ
     ・痛い思いをした体験を癒す。
      手当をしたり、抱いたり、話を聞いたり、いたわりの言葉をかけたりする。
     ・相手に対する嫌な感情を消す。
      イメージを変えるためのワークをする。
      (NLP心理学で扱うポジションチェンジやサブモダリティチェンジなどを行う)
     
     この取り組みをすれば、かなり時間を短縮し、効率的に変化をさせることができます。

     過去は記憶の中にあります。その過去の記憶のイメージを変えると感情も変わってきます。
     私たちは、かなり過去のイメージに縛られて今を生きているようです。

     仲良くしなさいと言って、その場で解決したように見えても、過去の記憶のイメージが変わらない以上、刺激があれば、また同じような反応を繰り返します。

     刺激と反応で生きているのが私たちです。

     過去のイメージを変えることが刺激に対する反応を変える近道だということになります。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2011年06月16日 03時24分57秒

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    全校的な視野に立つ

     50m走で、よい記録を出させるためには、50mを走らせるのではなく、それよりも長い距離を走らせます。これは、50mを通過点と考えさせ、駆け抜けるようにするのです。
     50mだけ走らせると、50m手前で減速してしまいます。つまり、走り抜ける方が記録がよくなるということです。

     この例と同じように、学級経営をする時に、学年経営や学校経営という広い視野に立って指導する方が学級経営がうまくいきます。

     例えば、挨拶の指導で考えてみましょう。
     学級の子どもたちの挨拶の指導をしようとするとき、多くの場合、今まで経験した自分の挨拶に関わる指導で学級の子どもたちにアプローチし、成果を上げようと努力します。

     これを全校的な視野に立って指導しようとしたとき、対象の数は、何倍にも増えます。数が増えるだけでなく、学級の子どもたちのように人間関係ができていない子どもへも指導をしなければなりません。

     ここには、学級の子どもへの対応と同様の対応ではうまく行かないことがが一杯あります。

     一人で何とかしようと思っていてもできないのです。必ず誰かに支えてもらわないとできません。

     支えてもらう人に意図を説明したり、同じ行動を取るようにお願いしたりしなければなりません。

     また、人間関係の希薄な相手に対しても指導ができるように繰り返しの指導の回数を増やしたり、指導の仕方を工夫したりしながら、対応を変えなければなりません。

     この努力は、学級を対象に考えた対応では、考えられなかった対応になります。

     振り返ってみると、学級においても、人間関係の密度は、人によって異なります。学級の文化ができあがっているため、その雰囲気の中で挨拶ができるようになっているだけの子どもは、場が変われば挨拶ができない子になっっていることもあります。

     できていると思っていても、できていないという実態が見えてきます。

     この時、全校的な視野に立って努力してつかんだ見方考え方が役に立ちます。
    ・学級の子ども一人一人への対応を変えて指導する必要を感じることができるようになっている自分になっています。
    ・一人の力の限界を知り、支えてくれる仲間を大切にしている自分があります。
    ・今まで以上に挨拶についての考え方深く考えている自分があります。
    ・叱ることよりも褒めることの方が効果的であることに気づいている自分があります。
    ・繰り返しの大切さを実感している自分があります。

     また、全校的な視野に立つと、空間的な広がりだけでなく、時間的な広がりも見えてきます。
     1年間で考えるか在学中という期間で考えるかによってかなり、指導が変わってきます。無理をさせていることはないか、次の学年に引き渡す時までにしなければならないことは何かなどを考えることができます。
    ・指導の手順を変えなければならないかもしれません。
    ・見通しの甘さに気づくかもしれません。
    ・徹底することの大切さに気づくかもしれません。

     このように全校的な視野に立つということは、実は、子どものためではなく、自分のためだということなのです。

     視点の当て方を変えるだけで、自分が変わるのです。

     よく「立場が人を育てる。」と言われます。しかし、実際には、この視点の当て方が変わったから、その視点から物事を考える自分になっただけなのです。

     これは、脳の働きによるものです。
     私たちは自由にその立場を想像することができます。脳がその立場だと思い込むまで、繰り返し使うことで、あたかもその立場になったように脳が働き始めます。立ち場に変わっていてもいなくても無関係に脳は、立場が変わったという視点から働くのです。
     
     このように全校的な視野に立つ自分になることが、今まで以上の自分に変えるチャンスにもなります。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2011年06月14日 04時55分57秒

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    プラス一言

     私たちは、言葉に反応し、内容に合った自分を作り出します。言葉によって自分の過去も未来も自由に考え出すこともできます。

     どんな言葉を選ぶかが、とても重要だということになります。これは同時に言葉がどれだけ人に大きな影響を与えているかということを知ることにもなります。

     ここ数回言葉を選んで書いてみたのも、一つの言葉にどれほどの力があるのかを確認するためでした。

     いろいろな言葉を私たちは無意識に使っています。過去の経験や体験に基づいて創り上げられた言葉です。それが自分にとって今の自分を創り上げるためにはとても重要な言葉だったのでしょう。

     しかし、教師として次代を築く、子どもたちに示す言葉としてふさわしい言葉であるかどうかは別になります。

     私たちが描く未来をイメージし、そのイメージの中で生き生きと生きている子どもたちを今私たちが育てているのです。

     今の状態が未来を決定します。「できないから頑張りなさい。」で描く未来は、「できない事の多い未来」になります。
    「今のあなたが素敵だから、必ずできるはずです。」で描く未来は、「できる事が多い未来」になります。

     言葉かけは、そのすてきなあなたを創り上げるために今できることなのです。

     「おはよう」と声をかけられたと時に「おはよう」と言葉を返すのは、反応でしかありません。

     でも、その後に「元気がいいね。」とか、「今日も一日頑張ってね。」、「車に気を付けてね。」と一言、言葉をかけるとどうなるのでしょう。
    そのから子どもはその言葉に反応し、イメージを豊かにします。これは、「おはよう。」と反応した場合とは異なります。
     子どもは、その言葉に合った自分を自動的にイメージするように反応します。これは、子どもだけではありません。誰もがそうなるのです。脳がそのように働くからです。

     廊下で子どもに出会ったとき、どんな言葉をかけることができるでしょう。
     「頑張っているかい?」「上手に歩くことができるね。」「姿勢がいいね。」「あなたは真面目な子だね。」・・・・等
     どんな言葉かけでもできます。このとき、黙って過ぎ去っても何も問題はありませんが、この一言が子どもの脳に働きかけ、子どもは反応します。

     つまり、育てるということは、これです。

     難しいことを教えることでは、ありません。日頃のほんの一言が子どもを育てます。これを学習につないだり、生活につないだり、自由に扱うことができるのです。

     子どもを育てる機会は、一杯あります。授業だけではありません。日々の言葉かけの営みが子どもを育てるのです。

     子どもが自信をもって、生きていくそんな未来を築くためにも、もっと子どもたちに言葉をかけてほしいと思います。

     「あなたは素敵だよ。」
     「すごいね。」
     「できる。」「できる。」
     「あなたなら、だいじょうぶ。」

     自信につながる言葉をたくさんあびせてあげたいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2011年06月10日 05時07分48秒

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    いいね

     私もそうですが、誰でも認めてもらいたいと思っています。そして、そのお認めてもらいたい量や質は人によって異なります。

     どんな認められ方をすると満足するのでしょう。
     
     私たちが一番、多く使っている承認する言葉は、「いいね。」ではないでしょうか。

    「今、いいですか?」
    「いいじゃん。」
     ・
     ・
     ・
    「それは、いいね。」
    「そのやり方は、いいね。」
    「その考え方は、いいね。」
    「あなたは、いいなあ。」
    「仲間がいて、いいね。」

     いろいろな言い方があります。

     承認するということは、相手の行動だけではありません。もっている能力、価値観や信念、そして、存在そのものを認めてもらいたいと思っています。

     そして、行動よりも、能力、能力よりも、価値観や信念、価値観や信念よりも自分そのものを認められたいと思っています。

     そして、自分と信頼関係をもっている人から承認されることが一番嬉しいと感じます。

    また、
    ・新たな発見をしたという感動を伴う「いいね。」
    ・私も同じだという共感を伴う「いいね。」
    ・あなたらしくて素敵だという気持ちを伴う「いいね。」
     など、心のこもった「いいね。」は、心に染みます。

     受けて側の状態によっても、受け止め方が異なってきます。

     前向きになっている時の「いいね。」と沈んでいる時の「いいね。」ではかなり違いがあるはずです。

     いずれにしても、言葉かけをする相手は、自分にとって価値ある存在であることは間違いありません。
    例えば、 
     関わることは、自分にとってどんな意味があるのでしょう。
     関わることは、どんな影響を創り出すことになるのでしょう。
     関わることは、どんな関わりを創りだすのでしょう。
    と考えてみるのです。

     だから、「いいね。」を言い続けるのです。

     「いいね。」と言葉をかける自分自身も素敵に感じてきます。

     豊かさを感じます。そして、柔軟性を感じます。

     まさに 自分自身への承認になります。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2011年06月08日 04時45分00秒

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    〜してあげて

     「自分の事は、自分でしなさい。」と子どもたちに日常的に教えています。しかし、集団で活動するときには、全員ができるまで待つことはなかなかできません。

     早くできた子は、待たなければなりません。

     逆に早い子に合わせれば、時間がかかる子は、無視されたことになってしまいます。

     このバランスがなかなか難しいものです。

     「〜してあげて」という言葉は、そんな時によく使います。

     この言葉をかけられた時、喜んで助けてあげようとする子どもは、必ずいます。

     ここでは、早くそろって次の活動に進めたいという意図はありますが、必ず関わりを大切にします。
     「手伝ってくれて、ありがとう。」と言う言葉が言えることが子ども同士のつながりを築きます。手伝った方の気持ちが心地よくなります。
    また、「優しい子だね。」と先生も褒めたとすると、かなり自信をもつことができます。

     優しい子だというイメージが子どもの脳に伝わり、あたかも自分は優しい子だと脳は思いこむように働きます。

     繰り返し行えば、それが強化され、優しい子になっていきます。


     このような授業の中でかける言葉の一言一言が、子どもを育てる言葉かけになっています。

     ですから、予定通り進まないから、失敗だと思わないでも済みます。
    何人かの子どもを育てる機会がそれによって得たことになるのです。

     これを続けていると次第に困っている子を助けることが大切なことを実感することになります。

     得手不得手は、人間誰にでもあります。助けたり、助けられたりする立場になることは、誰にでもあることです。

     私はいつも助けてもらっているばかりだと自分を責める子どもがいます。劣等感が芽生えては大変です。

     ここが一番力を注ぐ場面になります。「大丈夫だよ。」と声をかけながら、生きざまのよさを見つけて紹介しなければなりません。

    ・真面目に努力する姿が見つかれば、それを紹介します。
    ・諦めない姿が見つかれば、それを紹介します。
    ・こだわりのある姿が見つかれば、それを紹介します。

     遅れる原因は、いろいろあると思います。段取りが悪かったり、他事を考えていたり、様々です。
     
     同じ事を繰り返さないために何をすればよいのかを考える機会にもなります。助けてくれた友達にお礼を言うだけでは、次も同じことを繰り返す可能性が高まります。

     何を学んだのかをはっきりさせて、次の進むことを考えます。
    「助けてもらってよかったね。」「このことから何を学んだの?。」「もっと早く取り組むためには、何をすればよいのだろう?」と問いかけながら、一緒に考えます。

     子どもたちに任せてしまうと、助けられた子は、孤独感を感じるようになります。人に迷惑をかける子だとしてしまうと、孤独感を感じます。これでは、子どもは劣等感をもつことになってしまいます。そうなっては大変です。教師とのつながりを作ることで、これを解消します。

     こんな時、教師には、常に助けてもらった子どもを見届け、少しの変化でも、承認し、広げていく努力が必要になります。

     「〜してあげて」という言葉を使ったときには、助けてもらった子どもを突き放したり、子ども同士に任せたりすることなく、寄り添う気持ちを常に持ち続けなければ、他の子どもと助けてもらう子どもを差別化して見ることになってしまいます。常にどの子もかけがえのない大切な子だという気持ちを持ち続けたいと思います。

     何度も助けてもらうこととその子とは別です。その子の一部に助けてもらわなければできないことがあるという程度のことです。それは、学ぶ機会が少なかったためだと考えて、フォローしたいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2011年06月06日 04時42分00秒

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    できたね

     子どもたちは、「わかりたい。」「できるようになりたい。」と常に思っています。不安をもちながらでも、やったことに自信をもちたいと思っています。
     だから、ちらっと教師や親の顔を見たり、「ねえ、ねえ、これでいい。」「こっち見て。」などと声をかけてきたりします。

     その時に、教師や親がどのような表情をしているのか、どんな事を言ってくれるのかを楽しみにしています。

     「できたね。」と声をかけられると嬉しくなります。そして、よかったと思います。他者から認められることが自信につながります。

     その他者は、誰でもいいかと言えば、そうではありません。
    一番認めて欲しい相手は、信頼している人です。時には、母親であったり、父親であったり、担任教師であったりします。

     「できたね。」と声をかけられたときのあの笑顔が嬉しいのです。

     その時、「できたね。」と笑顔が一緒になって、子どものイメージとして記憶に残ります。このイメージを思い出すたびに嬉しくなるのです。

     ですから、また、挑戦し、あの「できたね。」と笑顔を求めます。

    幼い子どもが何度も何度も繰り返し、同じ事をするのもそのためです。反応を確かめているのです。

     「何度も同じ事をさせないで。」と言う気持ちになりがちですが、子どもにとって、同じ事を繰り返すことで自信を深め、嬉しくなる感覚を強化したいと、脳が自動的に働いているのです。

     満足すれば、次の行動に移ります。

     こんな時、教師や親は、他者に広げるとよいでしょう。

    「みんな、見て!〜さん、できたよ。」と声をかけるのです。
    友達や家族から「すごいね。」と声をかけられるとさらに自信になっていきます。

     このように1つの頑張りをみんなで共感しながら、進めていくと、頑張りを認め合う集団ができていきます。

     「頑張れば、必ず認めてもらえるのだ。」と記憶されれば、挑戦することが増えていきます。

     「できたね。」・・・・子どもが訴える前に教師や親から声がかかれば、さらによいでしょう。

     つまり、教師や親はちゃんと私のことを見ていてくれるといく安心感に包まれるのです。

     安心できる場におかれている子どもは、自分の能力を発揮しやすくなります。

     これは、私たちにも言えることです。大人になれば、「できたね。」と声をかけられることは少なくなってしまいます。

     認められたいのは、子どもだけではありません。「できたね。」と互いに声を掛け合える仲間になりたいと思います。

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