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輝く瞳と素敵な笑顔

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  • from: 岐阜のすーさん

    2012年10月29日 05時02分26秒

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    基本を大切に

    私たちは、よい授業を作るために毎日努力をしています。毎日の気づきの中で次第に授業はきめ細かくなり、丁寧になっていきます。  きめ細かくなることは、とても重要です。しかし、ここに落とし穴が待ち受けています。 発問の内容、板書計画、活動のさせ方、ノート作りなど様々なきめ細かなことが気になり始めます。 すると、次第に焦点が現実の問題解決のために大事なことから目が離れてしまいます。    授業であれば、大事なことは、本時のねらいを具現することです。 そのための一つ一つの努力なのです。 ねらいを達成するために多くの努力が必要であって、一つ一つを完璧にこなすことなどそれほど簡単ではありません。  しかし、常にねらいにせまるための一つ一つの努力であることを忘れないで、細かな点に焦点を当てる場合と、単に細かな点に焦点を当てる場合とでは、かなり構え方が違ってきます。 答えは一つではありません。子どもの実態に応じて変化させなければならないのが私たちの授業です。  ですから、細かな点に問題があったとしても、それ一つが原因で授業がうまく行かなかったという訳ではありません。 複雑に絡み合ってうまく行かなかったことが多いのです。ですから、常にねらいに合った授業になっているのかを明らかにしながら、子どもへの指導を振り返る癖を付ける必要があります。 ねらいを達成するための一番よい方法を常に導き出せるようにキメの細かく授業を見ている自分の視点から選ぶことが重要になります。 つまり、授業は、もともと単純であったにもかかわらず、一旦授業づくりのきめの細かさを身につけていくうちに次第に複雑になっていきます。そして、次に柔軟性を発揮し、次第に余分なものをそぎ落として次第に単純にしていきます。 でも、これは、元の単純ではありません。複雑さから生まれた単純さですから、かなりねらい達成に近づく効率の良い学びになります。 子どもたちと作る授業は、常に創造的になります。 決められた形を作り、それに慣れさせているうちは、まだまだ複雑さが要求されます。一部の子どもだけの授業になっているはずです。どの子も自分の学びになるためには、まだまだ求め続けなければならないはずです。 授業が職人技と言われるのは、そのためです。まだまだ私たちは、授業づくりにもっと力を注がなければなりません。 子どもは様々な価値観の中で揺れています。  本当に自ら「わかりたい。」「できるようになりたい。」という思いに支えられ、自ら学び続ける子どもにしなければなりません。  複雑にする授業作りに力を注ぎすぎて、余分なものをそぎ落とすことを忘れていないでしょうか。 もう一度授業の基本に返って見直しをしたいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2012年10月16日 04時33分06秒

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    状態管理が大事

     叱ることはできても、なかなか褒められないという人は意外に多いようです。私もその一人です。

     褒められた時の心地よさは、誰でも体験しています。ですから、叱られることよりも褒められた方がよいことはわかっているけれど、なかなか褒められません。
     それはなぜでしょう。

     わかっているというのは、意識レベルでの話になります。そして、できるかできないかは、無意識レベルの問題です。ですから、褒める状態よりも叱るという状態を無意識は作り出しているということになります。

     無意識は、今の状況に反応します。

     つまり、今の状態が褒めるに値する状態ではなく、叱る状態だということになります。

     これは、相手の状態ではなく、叱ったり、褒めたりする自分自身の状態です。

     何か相手がしたからと叱ったり褒めたりする理由を考えますが、それよりも今の状態によって反応が異なってくるということです。

     今の状態が、とても幸せで豊かならば、
    「そういう失敗は誰でもある。一度や二度の失敗は、仕方ない。失敗から学べばいいよ。」
    「失敗はない。学びがあるだけだ。」
    などと叱らずに諭すかもしれません。

     反対に今の状態が悪く、苦しんでいたり、悩んでいたりする状態ならば、
    自分の事で精一杯になっていますから、
    「うるさいなあ。自分のことは、自分でしなさい。」
    「いつものあなただから、仕方ない。責任を取りなさい。」
    などと冷たく、突き放すかもしれません。

     また、忙しく時間に追われている状況でも同様です。
    早く済ませたいという気持ちが出たり、焦ったりして
    「早くしなさい。」
    「何しているの。」
    などと結論が早く出るようにはたらきかけます。

     叱ることが多いということは、自分の状況が今は、叱りやすい状況になっていると考えた方がよいでしょう。

     その状況に子どもに接するから、子どもを叱ってしまうということになります。また、子どもでなくても、人と接したときにも似た反応をしていることに気づくでしょう。

     相手は大人であれば、叱ることができず、不満が溜まり何かに当たったり、不平不満を別の人に話したりすることになります。
     その気持ちを人にぶつけることができず、自分にぶつけ、心を病んだり、体を痛めたりすることになる人もいます。

     不安定な時代がこの状況を作り出しているのかもしれません。時間に追われて本来の自分を見失いそうな人が多くなっているのかもしれません。
     人に責任を転嫁し、楽になろうとしている人が多いように思うのもそのためかもしれません。

     しかし、「今の世の中は、状態をよくする環境ではない。」と言って、諦めることはできません。

     私たちは、幸せになりたいと願っています。私たち一人ひとりがその幸せを手に入れたいから日々の生活を向上させているのです。

     ですから、環境とは切り離して、自分の状態をよくするところから始めなければなりません。自分の状態管理がとても重要になります。

     
     人は自分一人で生きていくことはできません。状態管理をよくするポイントがここにあります。

     関わりを感じながら、生きていくことができれば、必ず「何て私は幸せなんだろう。」と思えることが増えてくるはずです。

     感謝の気持ちが芽生えてくるはずです。

     その感謝の気持ちが、相手を認め、受け入れる自分を作り出していきます。

     叱りたくなる相手の存在は、決して自分にとってマイナスではないはずです。
     ひょっとすると何かを教えてくれる機会を与えてくれているのかもしれません。
     実は、今あなたに必要なことを訴えているのかもしれません。

     自然との関わりも重要になります。常に私たちは自然とつながりをもって生きています。
     生きるために必要なものを与えてくれています。当たり前のように手に入れていることでも、それは自分の力ではなく、多くの人々の力に支えられながら、今自分の目の前に現れています。

     今の状態は、自分でしか、コントロールはできません。

    何を見、何を聞き、何を感じるのか、すべて自分次第になります。
     
     見えるものを変え、聴き方を変えると感じ方が変わります。

     私たちは、子どもを幸せにしたいと思いながら子育てをしています。その私たちがまず、幸せな人生を歩まなければ、子どもは幸せにはなりません。

     今の私は、何を見ているのでしょう。
     今の私は、何を聞いているのでしょう。

     自分を見つめ直す機会を本当に作っているのだろうかと自分自身に問いかけています。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2012年10月09日 04時03分29秒

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    言葉に頼る自分

     私たちは、日常会話を通して、相手の考えを知ろうとしたり、相手との距離を近づけようとしたりしています。

     そして、相手の言葉に表れる内容をもとに、相手の心を探ろうと努力します。

     言葉で思いをすべて伝えることはできません。

     常に伝えたいことの一部でしか、言葉では表現できません。

     このことが多くの誤解を招く結果になります。

     言葉を使って伝えたとしても、その言葉の裏には、言葉通りではないことがあります。
     特に子どもは、語彙が少ないために十分に相手に伝えられる言葉をもっていない可能性があります。

     これが相手とのトラブルを起こす原因にもなります。

     「言った」「言わない」で、もめることもあります。
     言葉にならないために、手を出してしまうこともあります。

     もともと言葉では十分伝えられないとわかっていれば、それほど苦にならないのですが、言葉にこだわる人は、苦になってしかたありません。

     また、言葉で何とか説明させようと思っている人も、苦になってしかたありません。

     子どもは体全体を使って、話しているにも関わらず、言葉だけで受け取ろうとするから子どもは辛い思いをします。

     子どもは、「私の事をわかってくれない。」「うまく話せない。」と苦しむことになります。

     私たちは、大人であるからこそ、言葉でどのように表せばよいのかを補うことができます。

     「こういうことかな?」「こんなことを言いたいのかな?」「こう言えばわかりやすいよ。」などと子どもの言葉足らずの部分を補うことができるのです。

     この時、子どもにとっての学習が進みます。「そうか、そう言えばいいのか。」と言葉を獲得することになります。そして、大人にとって子どもの理解が進みます。「本当は、こんなことを言いたかったんだ。」という気持ちになれば、子どもも安心して話すことができます。

     言葉で言い表せないことは、大人である私たちにもあります。過去にどのような体験をしてきたのか、人によってかなり異なります。言葉一つでも人によって解釈が異なります。

     子どもに対して補う気持ちがあっても、大人同士になると子どものようには行きません。

     「相手に失礼になるのでは?」「相手を傷つけることにはならないだろうか?」と相手を気遣うことが裏目に出てしまうことがあります。

     相手を理解したいという願いが強ければ、決してそんなことはないのですが、大人だというだけで、遠慮して聞きそびれたり、憶測したりして勝手に解釈してしまうことがあります。

     本当に伝えたいのならば、本当に分かり合いたいのならば、遠慮することはないのです。

     これは、もともと違っているにも関わらず、同じだという立場を取る自分が作り出すのです。

     決して相手が悪いわけではありません。思い込みを作り出したのは自分です。相手に責任を転嫁しても問題は解決することはありません。

     どんな言葉を使って、相手との関係を築いているのだろう。
     いつも、同じパターンで相手を理解しようとしている自分はないだろうか。

     相手を責めることなく、自分のコミュニケーションの癖を見抜く自分になりたいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2012年10月02日 06時41分24秒

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    特別に支援を要する子

     特別に支援を要する子が増えている。一人の教師ではなかなか対応できず、複数の教師で支えなければならない状況になっているのが現状です。
     
     ここで陥りやすいのが、それぞれの教師が役割分担をしてしまうことです。

     本来、特別に支援を要する子がいても、その子を含めて一つの学級の仲間だということが前提のはずが、複数で関わることによって、その前提が崩れてしまうことになっている場合があります。

     特別に支援を要する子に担当を付けることで、全体を見るはずの担任が、その子への配慮が薄れ、担当者に任せっきりになってしまうのです。

     担任として、特別に支援を要する子の事を考えなければ、その分負担が少なくなり、活動も進めやすくなります。
     
     それをすることで益々特別に支援を要する子との距離が遠のいていきます。

     活動も次第に異なるものになってしまいます。

     これは決して、特別に支援を要する子のためにもなりません。また、担任としてもプラスになるものではありません。

     担任は、常に全体を眺め、全体への指導に心がけ、至らない場面で支えてもらうという姿勢が必要になります。

     特別に支援を要する子が学級で活躍する場面を作ることで、存在感を増し、その子なりの頑張りを学級の仲間が認め合うという姿が現れます。
     その子の頑張りに刺激を受けて、一緒に頑張ろうとする仲間も増えてくるはずです。

     常に特別に支援を要する子に特別な支援をすることではなく、常にみんなと一緒にいることがその子の幸せにつながるように配慮することが学級みんなの幸せにつながることになります。

     特別を作らないで、常にみんな一緒だという強い信念があれば、全体を指導する場合でも、その子の存在を意識し、指導の手だてを丁寧に行うことができます。

     例えば、言葉だけで指示していることがあれば、具体物を手にして指示したり、わかりやすい掲示を用いて指示をしたいりすることにもなります。
     段取りも丁寧に一つ一つ理解したことを確かめてすることにもなります。

     つまり、特別に支援を要する子がいるおかげで、自分の指導技術が向上するチャンスをもらっているということです。

     自分の思い通りにしたいと思うのが、私たちです。
    しかし、そうならないのが現実です。
    その現実に合わせるために、自分の至らない力を伸ばす機会を自ら作り上げるしかありません。

     特別に支援を要する子が身近にいれば、それは自らの力を伸ばす機会が与えられたと考えたいと思います。

     どうか、特別に扱うことなく、一緒の仲間として受け入れられる自分を作っていただけないでしょうか。

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