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輝く瞳と素敵な笑顔

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  • from: 岐阜のすーさん

    2016年01月29日 02時09分58秒

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    2つのコミュニケーション

    子どもは、大人と比べると、体験が少なく、語彙も豊かではありません。そのため、至らない事がたくさんあります。そのため、対等に接することは難しいと思われがちです。
    話をするときでも、言葉を選んで噛み砕いてわかりやすく話そうと努力する人もいます。
    私は、この努力も大切だと思いますが、同じ世界に生きる人として、同じように生きていくために、この不足を補うために子どもは、大人よりも感性が鋭くなっているのではないかと思います。
    私たちが当たり前に過ごしている事でも、日常の出来事の中に大人以上に不思議さを発見したり、一つ教えた事を元に純粋に物事に対応したりすることがあります。
    この感性の鋭さは、コミュニケーションについても同じではないかと思います。

    例えば、話す相手が、知らない人ならば危険を感じ、無口になったり、避けたりする子どもが多くいます。

    極端な例ですが、「お菓子を買ってあげるから、車に乗らない?」と見知らぬ人が子どもに声をかけるという話があります。
    この見知らぬ人とのコミュニケーションを考えてみると
    お菓子を買ってあげる・・・・・子どもが好きそうな話
    見知らぬ人が声をかける・・・・危険を感じてよい対象
    この2つの選択から次の行動を判断することになると思います。

    車に乗る・・・・・お菓子がほしいと感じる
    車に乗らない・・・危ないと感じる
    このことからわかることは、コミュニケーションには、2つのコミュニケーションがあるということです。
    つまり 言語によるコミュニケーションと非言語によるコミュニケーションの2つです。
    事例で挙げた「感じる」というのは、非言語によるコミュケーションになります。
    理屈で車に乗せるのではなく、子どもの「感じる」に期待して、車に乗せようとします。
    例えば、「お母さんが事故にあって、病院に運ばれたので、車で送ってあげる。」と声をかけるのも同じで、子どもの「感じる」に焦点を当てて車に乗せようと企むわけです。

    私たち大人もこの2つのコミュニケーションを使っていますが、言葉によるコミュニケーションに慣れ過ぎていて、言語によるコミュニケーションがコミュニケーションだと思われがちです。
    オレオレ詐欺も「感じる」をうまく利用したコミュニケーションを使っています。理屈ではおかしいと思っていても、感情が揺さぶられてお金を振り込んでしまいます。
    不信感を抱いている人がいくらいい話をしても、その話をいい話とは受け取らず、疑いながら聞くのも同じことです。2つのコミュニケーションが同時に機能していて、言語によるコミュニケーションよりも非言語によるコミュニケーションが優位になっているということになります。
    始めに述べたように、私は、子どもは大人よりも語彙や経験が少ないため、コミュニケーションにおいては、この非言語によるコミュニケーションが優位に働いているのではないかと考えています。
    「あなたのためです。勉強しなさい。」と母親が話しても、「勉強が面白くない」とか「遊びたい」という気持ちがあると素直に勉強に取り掛かりません。
    そんな子どもの顔つきや態度から「勉強したくないのだろうな。」と感じることは容易です。
    この「顔つき」や「態度」などが、非言語によるコミュニケーションをする時の材料になります。
    「勉強ができたらおやつを上げるから頑張って。」と何とか勉強させようとする母親は、子どもの欲しがるものを餌にしています。これは、子どもの感情を揺さぶっていることになります。
    そして、顔つきが変わったり、態度が変わったりするかを観察することになります。
    これも非言語によるコミュニケーションをしていることになります。
    このように私たちは、コミュニケーションをしている時、2つのコミュニケーションを同時に行っています。子どもは、大人と比べると言語が少ない分、非言語によるコミュニケーションが長けていると考えています。
    非言語によるコミュニケーションは、顔つき、姿勢、態度、話し方、声の大きさなどで行われています。
    叱る時に怒った顔になったり、強い言葉になったりします。この怒った顔や強い言葉が、話の内容よりも強く影響を及ぼしているということになります。
    子どもは理屈ではなく、親の顔つき、姿勢、態度、話し方、声の大きさなどに敏感に反応していると考えた方がよいでしょう。
    また、最近多くなったSNSによるコミュニケーションは、言語によるコミュニケーションです。(※この場も言語によるコミュニケーションです。)
    これには、顔つき、姿勢、態度、話し方、声の大きさなどは、全く関わっていません。
    非言語によるコミュニケーションの方が優位に働くにも関わらず、言語によるコミュニケーションにより、感情が揺すぶられていることになります。
    それほど言葉には、感情を動かすパワーがありますが、非言語の方がもっとパワフルです。
    日常を振り返ってみると、いかに非言語のコミュニケーションが多いかに気づくと思います。
    阿吽の呼吸は、才たるものです。
    また、子どもの顔つきを見て、「何か学校であったのかもしれない。」「何か心配事があるのかな?」「体調はいいかな?」などと子どもを心配するのは、非言語のコミュニケーションをしているからです。

    これからも、非言語によるコミュニケーションを大切にして、子どもと関わりたいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2016年01月27日 04時37分05秒

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    今できること

    もうすぐ2月です。学級経営の仕上げの時期になります。
    この1年間に子どもたちと関わり、子どもたちにどんな力をつけたのだろうと振り返り、次年度の準備を始める重要な時期でもあります。
    「わかること」と「できること」とは異なります。
    わかったからと言ってできることにはなりません。
    子どもの力になっていれば、子どもは、自ら考えて、判断し、行動することができます。
    子どもに力をつけたかどうかを知るためには、4月当初と今とを比べて、教師がいなくてもできるようになったことはどんなことなのかを探ることになります。
    例えば、
    始業時刻になったらすぐに学習を始める子どもになっているだろうか。
    人の話を最後まで聞く子どもになっているだろうか。
    忘れ物をしないように準備ができる子どもになっているだろうか。
    など、活動場面に見られる子どもの姿を比べてみます。
    大きく変化した取組もあれば、そうでない取組もあるはずです。
    残り2か月で、変化させようと力を注いでも、大きく変化することはなかなか望めません。
    子どもを変化させるというよりも、変化させた自分の力量を見つめ直す機会ととらえた方がよいでしょう。
    これまでに大きく変化させたことは、担任として力を注いだ事になります。それは、今の自分の力量だと判断する材料になります。
    どのように取り組んできたのかを振り返ります。そこで、どんな知恵や武器を使ったのかを見直してみます。すると、「うまく変化させるコツ」が見つかるはずです。これが、今の自分の力量になります。
    これからの2か月の中で、「うまく変化させるコツ」を生かしながら、まだ十分変化させることができなかったことに生かしてみます。
    これが自分の力量を高める近道になります。
    成果を得るには、それなりの時間が必要になります。
    今が、そのチャンスです。これから1ヶ月を子どもたちに新たな視点で力をつける機会とします。
    子どもたちには、「今年度も残り少なくなったね。何か1つ挑戦して、できるようにして、今年度を締めくくろう。」と話し、新たな視点で力をつけるよう促します。そして、あなたのうまく変化させるコツを利用できないか考えながら、子どもと一緒に取組ます。
    もし、この1ヶ月で変化がみられるようならば、担任としての力量がアップしたことになります。
    さらなる子どもの変化は、教師の変化から生まれます。
    子どもを変えることよりも、自分自身の変化を作り出すことに力を注ぐことになります。
    結果として、子どもが変化すれば、ありがたい話です。

    残り2か月を有意義に過ごすためにも、新たな挑戦に心がけたいものです。
    そして、充実した締めくくりになるように子どもと一緒に歩んで行きましょう。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2016年01月26日 09時05分41秒

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    言葉の受け止め方

    子どもが勉強をしている時、時々、漢字の書き順を間違えたり、計算ミスをしたりする姿を発見することがあります。そんな時、どのような言葉かけをされますか?
    間違っているので正さなければなりません。
    そこで、「それ、違っているよ。」と言うことがあります。その時に素直に間違いを聞きいれるうちは、問題はありません。
    素直に聞き入れず、「うるさいなあ。」と反発することがあります。
    この言葉をどのように受け止めるのでしょう?
    「せっかく、指摘しているのに。」と嫌な気持ちになることはないでしょうか。
    子どもが素直に受け入れられないというのは、子どもの心の中に何か別の思いがあるからです。

    例えば、
    「日頃から小言を言われているので、もう聞きたくない。」
    「間違っているはずがない。」
    「あなたのいう事はあてにならない。」
    などです。
    せっかく支えようと思っていても、これでは、子どもの支えにはなれません。
    「うるさい。」と思っているうちは、素直に支えを受け入れることができません。
    ただし、「できるようになりたい。」「わかるようになりたい。」という気持ちはどの子にもあります。
    支える側に、「間違いは許さない。」とか、「私のやり方が正しい。」「言う通りにやれば、間違いはない。」などというおごりがあると、それが子どもに伝わります。この気持ちが子どもに伝わっている時は、素直に受け止めることができません。
    失敗は誰にでもあります。そして、失敗を通して学ぶことはたくさんあります。至らない点を発見した時こそ、大切にしなければならないのが、子どもへの言葉かけです。
    間違いを見つけた時に、どんな思いで子どもと向き合っているのでしょう?
    「私の言うとおりにしなさい。」「間違いは許さない。」などという気持ちがあると、子どもの言い分を聞くことなく、教えることが先になります。
    どうして間違えたのだろうと子どものつまずく過程を探ることに力を注ぐと、子どもの反応は異なってきます。
    「どうしたの?」「何があったの?」「どうしてこんなことになるの?」などと言う言葉は、「あなたを知りたい、わかりたい。」という気持ちがあります。この気持ちが、子どもに伝わっていきます。
    そして、子どもの言い分を聞き、つまずく過程を探ると、目の前の間違いだけでなく、その背景にある問題が見えてくることがあります。
    ・落ち着いて学習できない。
    ・話をよく聞いていない。
    ・繰り返しの学習をしていない。
    ・別に悩みを抱えている。
    ・見直しができない。
    ・視点がずれている。
    などに気づかされることがあります。
    目の前の事実だけで物事を判断すると、繰り返し同じような出来事に出会うことになります。それは、もぐらたたきをしているようなものです。
    時間はかかりますが、子どもがわかっていく過程、できるようになっていく過程を子どもと一緒に歩むと、子どもは安心して学習に取り組むことができます。「間違えてはいけない。」というプレッシャーの中で学ぶよりも、「間違えたらただせばよい。」という気持ちで学んだ方が子どもは、素直に学ぶことができます。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2016年01月23日 05時51分14秒

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    生かされている

    先日、雪が降り、その雪解けのために、屋根にはしごをかけ、はしごに登り屋根に水をまきました。(一面太陽光発電なので、除雪して太陽に当てたかったのです。)
    その時、はしごがずれ、はしごの上からベランダに落ちました。
    2.5mほどの高さから上向きに上半身から落ちました。かなりの衝撃でした。
    頭にこぶができ、上半身左側にかなりの痛みがありました。
    昼間一人のため、痛みをこらえて妻が帰ってくるまで待つしかありません。
    辛い時間が過ぎていきました。
    妻が帰ってから、病院へ送ってもらい、診察を受けました。
    痛みが激しいので心配しましたが、診察の結果、打撲だけで済みました。
    まだ、体調は万全ではありませんが、現在、痛み止めの薬と湿布で対応しています。
    この時、強靭な身体を作ってきた過去の自分の歩みを思い出しました。
    私は、骨折の経験もなく、大きな切り傷をした経験もありません。
    皮膚を縫う経験は、1度だけです。(2針を顎に縫いました。)
    身体を鍛えておいたことがこの年になって役に立ったとほっとしました。
    そして、同時に「あー。私は生かされている」と強く感じました。
    私にはやりたいことがたくさんあります。まだまだ死ねないと思っています。そして、神様はそれをなし終えるまでは、生かしてくださったのかもしれないなとその時に思いました。
    多くの方の期待を背負っている自分自身の今の立場も感じることができました。
    自分の身体は自分だけのものではないということです。
    身体を壊したり、亡くなったりすることは、自分と関わる全ての人に何らかの影響を与えます。
    私の身体を心配してくれる人もいれば、私がいなくなることで、迷惑を被る人もいます。
    人は、もっている力を100%出し切ることができるはずなのに、関わりが切れることで1%でも2%でも発揮できる力を低下させることになっては、大変です。
    人は、一人では生きていけません。必ず関わりをもつ人がいます。
    影響力が大きければ大きいほど、関わりが切れた時の影響は大きくなります。
    この事さえ、気づかずに自分の身体は自分のものとして、日々生きていました。
    人は、家族の一人でれば、親であり夫であり、子どもになります。それだけではありません。地域の一員であり、職業人であり、趣味の同人であると考えるとかなり多くの人に影響を及ぼすことになります。
    影響力の大きさではありません。
    社会の中で生きている私たちです。影響を及ぼす人に生かされていると考えると自分の身体を今まで以上に大切にしたいと言う気持ちが湧き上がってきます。そして、生かしてくださる方々に感謝の気持ちをもちながら、もっと配慮しながら生きていくことが大事だと思いました。
    親として子どもに生かされている自分、教師として子どもに生かされている自分を感じることはあるでしょうか。
    「生きていてよかった。感謝、感謝。」

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  • from: 岐阜のすーさん

    2016年01月13日 05時38分50秒

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    子どもの成長を見る

    3学期は、1年間のまとめの時期となります。1年間の子どもとの関わりも最後になります。

    この1年間で子どもたちがどれほど成長したのか振り返り、次の学年につなぐ大切な時期になります。

    1年間の成長は、子どもの変化として現れますが、その変化は急激なものではなく、緩やかなため、なかなか変化として見ることが難しいものです。

    この変化を変化として見るためには、今の自分から離れ、時間の経過を意識しながら眺める必要があります。

    例えば、1学期の頃の子どもの様子、2学期の頃の子どもの様子、そして今の子どもの様子とその変化を時間の経過で見ることになります。

    当然、今の姿は、過去の積み上げによって成り立っているので、今を見れば成長した姿として見ることができます。だから、今を見ていればよいというものでもありません。

    事実を冷静に眺めることが重要なのです。

    人間は感情の動物だと言われますが、今の感情が世界を作り出しています。

    相手に対する思いが強ければ強いほど、その感情に動かされます。
    それが、判断を誤らせてしまうことがあります。

    事実に基づいて、きちんと子どもの成長を掴むことが、今大事になります。

    1学期、2学期そして、3学期と長い子どもとの関わりから、思い通りに動く子どもとなかなか思い通りにならない子どもが現れたとしても、それは、子どもの成長とは無関係です。

    子どもの成長を感情を除いた事実から見ていくことが、いずれ手から離れる子どもの成長に役立ちます。

    子どもからすると長い人生の中でほんの一瞬に出会った担任教師です。

    いろいろなタイプの教師のうちの一人です。

    「いや、これだけ心を込めて関わってきたのだから、思い入れが強い。」と感情を加えた判断をすると、引継ぐ次の担任教師にとっては判断を狂わせる材料になります。

    目の前の子どもとどれだけ深く関わろうとも、子どもの成長の変化に対しては客観的で冷静に判断しなければなりません。

    子どもの成長に役立つ情報として、次の担任教師に渡すための資料を作ることがこの時期必要になります。

    そして、この子どもの成長を冷静に客観的に見ることは、自分の力量を知る上でも大切になります。

    学校生活での子どもの成長は、教師の刺激による反応と考えることができます。

    冷静さと客観視ができると、自分がどんな指導をし、それがどんな反応を作り出したのか、じっくりと見つめることができます。

    足りないところは誰にでもあります。それを探すのではなく、何が成果として子どもの成長につながったのかを探るのです。

    これが、指導の自信につながります。そして、次の取り組みへの意欲になります。

    成長した子どもの姿を見つめながら、自分の取り組みのよさを見つけたいものです。

    そして、「よく成長してくれたね。ありがとう。」と心を込めて、次の学年に子ども送りたいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2016年01月03日 04時04分57秒

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    自分を磨くこと

    私たちは、自分の道を究めるために、自分を磨きます。
    磨くためには、余分なものをそぎ落として光輝くようにします。

    見た姿が光って見えますが、自分の道を究める場合は、表面だけでなく、その内面さえも磨かれていきますから、深い理解が伴っています。
    一見究めると主義主張をすることのように考えられがちですが、私は、そうではなくて、何事も取り入れていくことが深い理解につながる磨きだと考えています。
    主義主張をすれば、必ず、その主義主張と合わない力が働きます。これは、違いを明確にすることになりますが、受け入れられるものと受け入れられないものとを作ることになります。そして、どちらかの立場を取れば、一方は取り入れられないという状況になってしまいます。
    そうではなく、どちらの立場も受け入れる柔軟性を発揮することが、本当の意味での深い理解ではないかと考えています。
    これならば、どの立場でも受け入れることができます。
    そして、受け入れることができないののは、未熟な自分だからだと考えることができます。

    善があれば、必ずその裏には悪があります。正があれば必ずその裏には、誤があります。
    コインの裏表のように切っても切り離せません。

    子どもは正しいこともすれば、間違ったこともします。善行もあれば、悪行もあります。
    どちらも受け入れられる立場をとるということが必要です。
    正しいから受け入れられ、間違いだから受け入れられないとなると、正しい事を言ったりやったりする子どもだけが、教師から受け入れられることになります。それでは、間違った子どもは受け入れられないことになります。
    また同様に、善行をする子どもは認められ、悪行をする子どもは否定されていくことになります。悪行をする子どもは受け入れられないことになります。
    私たちは、どちらの子どもも受け入れるために自分を磨くのだと思います。
    正しい事をする子どもだけを受け入れて授業が進むとなれば、一部の子どもだけの授業になってしまいます。善行をする子どもだけを受け入れる学級経営をすれば、一部の子どもだけの学級になってしまいます。
    どの子も生かすためには、より深いところで両者を受け入れる自分になるまで磨かなければ、受け入れることができません。
    どの子も成長の過程にいます。善悪、正誤はつきものです。ですから、両者を受け入れる自分でなければ、切り捨てをしながら、教師を続けることになります。
    誰もがよりよい生き方を目指しています。でも、その過程には、誤もあれば悪もあります。
    それを受け入れることが無理のない授業になったり、学級経営になったりします。
    子どもを裁く前に、教師の柔軟性を問う事になります。
    子どものせいにしないで、自分自身を磨く事で、子どもを救うことができます。
    日々精進です。
    どの子も受け入れられる自分・・・・これは、簡単ではありません。後悔の連続です。
    まだまだ、自分の価値判断で人を裁いている自分があります。なかなか抜け出せられない未熟さを感じながら、生きています。

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