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創造目的学会

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  • from: from POCS MLさん

    2007年12月31日 07時06分09秒

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    「Re:Re:高御産巣日神(別名高木神) 造化三神と易における太極、陽、陰との対応」

    先日ご紹介した
    http://bbs.goo.ne.jp/ac55492/message/20071030?format=time

    「学研 歴史群像シリーズ67 古事記」
    http://books.yahoo.co.jp/book_detail/07101569

    に、興味深い記述があります。

    これを読むと、まさに、創造原理の神の二性性相の話のところに当てはまります。

    また、この記述の最後には
    「そこには、宇宙の創造原理から人間の生き方まで一切が記されており」
    と書かれているのは、注目に値すると思います。

    以下、最後までではないですが、途中の二性性相の話の部分を抜粋いたします。


    「易経で見る古事記」(大宮史朗)


    「ちなみに『古事記」の冒頭に出現する神は、天之御中主神、高御産霊神、神産霊神、すなわちいわゆる造化三神といわれる神であるが、これらの神は、易における太極、陽、陰と対応するということは江戸以前からいわれていたようである。

    天之御中主神という神はその名前の通り、天の真中の主の神ということで、この宇宙の中心に鎮座されて、宇宙の全体をうしはぐ、つまり統括している神とされる。

    高御産霊神というのは、健く、高く進みゆく皇産霊の神という意味で、これは宇宙の中心に存在する天之御中主神から、宇宙の外面に向かって遠く離れ、健く高く進んで膨張する神徳がある神とされる。

    神産霊神というのは噛みしめる皇産霊神という意味で、宇宙の外面から、宇宙の中心に存在する天之御中主神を求めて、噛み締まり収縮し来る神徳がある神とされる。

    神道においては、この天地の間の一切のものは造化三神の中心、遠心、求心の三徳の作用によって、生成化育して尽きることがないと考える。

    易においては、一切を生み出す本源を太極とする。太極とはつまり、宇宙の核となるところである。ものの根本をなすものであり、この核がなければなにものも存在しえない。

    宇宙の森羅万象はこの太極より発生する。太陽も月も星も、植物も動物も、山も海も一切はこの太極から生じてくるとする。

    もっとも、太極から直接的に一切が生じるわけではない。太極からは、「陰」(マイナス、消極性)と「陽」(プラス、積極性)、両極二つの気が発現する。陰のあるところには必ず陽があり、陽のあるところには必ず陰がある。それは万物を貫く原理であり、生と死の源泉である。

    陰の気と、陽の気とが交わることによって、ありとあらゆるものが誕生し発生し成長していく。すなわち易においては、陰と陽は一切を産み出す気とされるのである。

    このように比較してみると、確かに、神道でいう造化三神と、易でいう太極、陰、陽は、表現はいささか異なるにしろ、似通った特質を見ることができる。

    そのため、易を研究する人の中には、太極と神道における天之御中主神とは同じものであると主張する人もいたらしい。」

    (続く)


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  • from: from POCS MLさん

    2007年12月30日 06時41分20秒

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    「Re:高御産巣日神(別名高木神)」

    神道の記述だと、神様が創生の時に顕れ、身を隠しているが、実は霊的な技を継続して行っているということですが、

    例えば、造化三神の男性格主体である高御産巣日神と他の二神の関係性が不明確(それぞれは根本的には同じで属性を表わしているとか)ですので、その関係性を明確にしないといけないと思うのです。

    密教の場合は、大日如来の知恵の顕現となっていますから、知恵の顕現はロゴスであり、ロゴスは大日如来の慈悲の心情から創造された被造物であるはずだと言う見解が妥当だと思うので、創造は明確ではないが創造だと思われる内容があります。

    まず、位置付けの関連性から括りのようなものを考えていくと良いかもしれないですね。


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  • from: from POCS MLさん

    2007年12月29日 07時06分21秒

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    「高御産巣日神(別名高木神)」

    S先生の論文(神道の統一原理的解明)にもありますように、
    http://pocs.hp.infoseek.co.jp/pocs/gairon_sugiyama.pdf

    伊邪那岐命と伊邪那美命が、
    人間始祖アダムとエバであることは間違いないと思います。

    天照大神はその子なのですが、
    天孫降臨にいたる葦原中国の平定において、

    天照大神とともに、造化三神の男性格主体である高御産巣日神(別名高木神)が登場するのはとても興味深いことだと思います。

    記述においてこの両者は一体化しているように書かれています。

    そして、天照大神の息子と高御産巣日神の娘の間に生まれたのが天孫・天津日高日子番能邇邇芸命です。

    古事記 上つ巻系図
    http://www.asukanet.gr.jp/cha-san/keizu1.htm


    この高御産巣日神と天照大神は、
    日本書紀においては高御産巣日神が主体なのですが、
    古事記では天照大神が主体になっているそうです。

    アマテラス 葦原中国の平定
    http://homepage1.nifty.com/o-mino/page982.html

    古事記葦原中国の平定
    http://www.ibara.ne.jp/~kazumina/koziki_asiharaheitei.htm

    私本日本書紀ー神世(下)
    http://www.loops.jp/~asukaclub/syoki/syoki009.html


    このあたりが問題なのかもしれません。


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  • from: from POCS MLさん

    2007年12月28日 06時28分51秒

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    「Re:Re:八百万の神々を整理する本地垂迹」

    本地垂迹という概念は
    相当、深いものかもしれませんね。
    研究の余地がありそうです。

    それでは、よろしくお願い申しあげます。

    ▽▽▽

    神道の神仏人の合一の考え方は面白いものですが、
    仏教が神、天使、人の区別が不明確である以上に、
    神道は、神、天使、人、自然(万物)の区別が不明確であるので自然主義に陥り、果ては唯物思想に吸収されてしまう危険性を持っています。

    仏教は密教において大日如来から展開する流れと大日如来の位置が明確になっていますが、
    神道の隠身という考え方は、霊的働きとも見れますが、その実質的な存在位置が非常にわかりにくく隠身してお役目ごめんと去ってしまったがごとき印象を与えます。

    大日如来は、曼荼羅において明確な位置と役割が大日如来から分け与えられたものであり、大日如来の知恵によってすべては仏を内在しているという思想が明確です。

    ただ、前にも書きましたように創造をもう少し明確にしなければ堕落というものが理解できず、悪も大日如来から来たものと解釈せねばなりません。

    理趣経にはそうではないと読み取れる内容が書いてはありますが・・。

    神道においてはここら辺の整理をさらに明確にしていく必要があると思います。


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    2007年12月27日 07時27分36秒

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    「Re:八百万の神々を整理する本地垂迹」

    昨日紹介したホームページの一番下の「歌に戻る」をクリックすると、
    天照大神を大日如来の垂迹とする歌が紹介されています。

    深く入りて神路の奥を尋ぬれば
    http://www.d4.dion.ne.jp/~happyjr/ibaraki/640_hukakuirite.html

    「深く入りて神路の奥を尋ぬれば
      又うへもなき峰の松風」

    大日如来の本地垂迹のあとを思いつつ
    神路山の奥深く入ると
    この上もなく尊い
    又微妙な神韻を伝える
    峰の松風が吹くよ


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    2007年12月26日 06時46分58秒

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    「八百万の神々を整理する本地垂迹」

    絶対者なる神様を意味する真如あるいは大日如来。
    一方、日本民族が篤く信じてきた八百万の神々。

    この両者を、前者を主体とし、後者を対象として、整理したのが、
    本地垂迹という古来からの考え方だったのかもしれませんね。

    本地垂迹
    http://www.d4.dion.ne.jp/~happyjr/ibaraki/mm_honjisuijaku.html


    S先生の論文には、本地垂迹説は、仏教が神道を配下に治めたものとして、
    異議が唱えられております。

    神道の統一原理的解明
    http://pocs.hp.infoseek.co.jp/pocs/gairon_sugiyama.pdf

    先生がおっしゃるように、神道においては、
    絶対者を天之御中主神と呼び、統一原理を神道に当てはめることも出来ます。


    しかしながら、日本の神道は、もともと人間である天照大神を神として奉ってきましたので、この部分は整理する必要があります。

    人間は人間であり、絶対者とは違いますので、
    天照大神が人間であることは明確にして、
    絶対者との結びつきを整理しておかなければなりません。

    仏教においては絶対者のことを大日如来と呼び、
    これは神道における天之御中主神のことなので、

    天之御中主神と天照大神の関係を明確にすることと、
    本地垂迹によって大日如来と天照大神の関係を明確にすることは、
    等しいことと言えるかもしれません。


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    2007年12月25日 07時11分49秒

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    「理趣経」

    理趣経は、すべての欲望は本来清浄だと説く経典であることが有名ですが、

    その理由は、すべての欲望は本来、大日如来たる神によって与えられた創造本性であることであり、

    それが、そうでなくなってしまった理由は、自己中心により善の達成(創造目的を神を中心とした四位基台造成による四大心情圏と三大王権の確立、三大祝福の完成)以外にそれが用いられるからだと言えます。

    そのような観点で、下記の第三段を読むと理解が深まると思います。
    しかし、これを大儀をなすためには何をしても良いと勘違いをすると本来の趣旨から離れてしまうように思われます。

    ネット上で見つけたものを添付します。

    RisyuKyou
    http://www.sra.co.jp/people/aoki/Buddhism/RisyuKyou/RisyuKyou.html#p4


    第三段 悪にその性なし(降伏の法門) 釈迦牟尼如来の章

     大日如来は、従い難いものどもを、心身を制御することによって、煩悩や悪行に打ち勝つという調伏の修行に励む釈迦牟尼如来(お釈迦様)の姿になり、すべての法は平等で、善悪を離れているという最も勝れた境地をもたらす教えを説かれた。
    これは真実の智慧の理趣(みち)である。


     貧り(むさぼり=貪欲:自己の欲するものに執着して飽くことを知らないこと)は、その本質からすれば、善悪の分別も、それに執らわれた表現も超えたものであり、人によっていかなる善にも活かすことができる。

    貧りがかかるものである以上、瞋り(いかり=瞋恚:自分の心に逆らうものを怒り恨むこと)も同様で、善悪の分別も表現も超えたものである。したがって、もし我執することなく、それを善に活かしきれば、邪悪に打ち勝つための大きな瞋りが生み出される。

    このように、瞋りが善悪の分別を超えたものであるとすれば、痴しさ(おろかしさ=痴愚:根本の真理を知らないこと)も同様で、善悪の分別を超えたものである。ゆえに、小さな自我に執らわれず、それを善に活かす時は、これが愚かとか、あれが賢いなど、物事の理非をあれこれと言いたてるような、小さな痴しさを超越して、大きな痴しさの境地に至るであろう。


     このような三毒と呼ばれる貧りと瞋りと痴しさの悪しき心の働きは、すべて相対的な区別にたった認識に過ぎず、すべてのものは善悪の区別や表現を超えたものなのである。

    したがって、すべてのものが、その本質において、現象の上に見られる相対的な区別や表現を超えたものである以上、この本質を知るための真実の智慧の理趣も同様に、かかる区別や表現を超えたものでなくてはならない。


     こうして「悪はもともと悪ならず」という善悪を超えた法門を説き終わり、大日如来は金剛手菩薩に呼びかけられた。

     金剛手菩薩よ。もしあなたたちがこの「悪にその性なし」という理趣を聞いて、これを読み誦え、身に保ち持っていたならば、たとえ三界の一切の生き物を殺したとしても、決して悪の報いを受けて地獄に墮ちることはない。

    それどころか悪しきものを調伏(うちなび)かしたことの果報を得て、速やかに無上正等覚(さとり)を証することであろう。

     かくて、金剛手菩薩は、この悪を調伏する教えを、より一層に明らかにしようと考えて、手に降三世の印を結び、蓮華の花のような美しい微笑みをうかべながら、一方では、はげしい忿怒の表情で、眉をひそめて睨みつけ、鋭い牙を出しながら、法力を以て仏敵や怨敵や魔障などのすべての悪を降伏する(討ち倒す)姿に変身された。

    そして、この教えを一字で表わす聖音「フーン」を唱えたのであった。


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    2007年12月24日 06時48分27秒

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    「金剛界曼荼羅 続き(2)」
    [458]の続き

    (4)供養会
    この区画にくると、中央の十字形を形成している「五仏」以外の諸尊はすべて「女性」の姿で表されている。

    ①大日如来を拝する衆生の象徴
    大日如来に仕える衆生が「女」として表されている。
    スェーデンボルグによると女性は愛、そして善の象徴である。
    それゆえに神の対象の立場に立つ信仰の世界において女性は重要な役割を担うと統一原理においても言っている。

    ②大日如来と衆生の関係の「二方向性」と「加持」
    衆生の象徴である女仏たちは大日如来にそれぞれの供物を捧げるポーズをとるが、これは「大日如来の人を救おうとする願い」と「衆生が大日如来を求める心」の二つの方向性があって初めて成り立つことを表している。


    「大日如来の人を救おうとする願い」を「加」、「衆生が大日如来を求める心」を「持」といい、その「二方向性」のことを「加持」という。

    このことは「仏の智恵」がもつ「衆生が求めさえすればいついかなる時でも与えられる」という性質を表していると考えることができる。

    これは「求めよ!さらば与えられん」という聖書の言葉を連想させる。


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    2007年12月23日 07時05分04秒

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    「金剛界曼荼羅 続き」

    金剛界曼荼羅 続きの内容を仏教霊界通信の内容を整理して説明を加えながら見ていきます。([453]の続き)


    (2)三昧耶会
    「成身会」から発した大日如来の智恵は、すぐ下のこの区画に降りる。

    ①「三昧耶」の意味
    「誓願」という意味であり、人を救おうとする仏の切なる願いあるいは決意を表す。

    ②三鈷杵・宝塔・小月輪などの仏具による表象
     三鈷杵⇒祈る人の三業がそのまま仏様の三密に通じることを表します.
         明王や天が持ち、煩悩を打ち破るとされる。
     宝塔⇒多聞天や毘沙門天が持つ、仏舎利(釈迦の遺骨)を納めた塔。
      
    表象とは仏の知恵や概念の表象であり、その象そのものを拝ませる偶像とは趣旨が違う、高いレベルのものであると「仏教霊界通信」では説明される。

    偶像は肉身的な充足を象徴したものであるのに対して、より高い精神に引き上げるべく、その象徴としてある仏具は偶像ではないという意味であろう。


    (3)微細会
    曼荼羅全体に描かれた各区画の配置が「太陽系」あるいは「原子」の基本構造に酷似していると「仏教霊界通信」では説明される。

    大日如来の智恵が「宇宙」の隅々にも、また「物質のもっとも微細な部分」にも遍満している、すなわち、神のロゴスによってすべては成り立っている、と解釈できる。

    一点から四方に広がる形となった大日如来の智恵は、曼荼羅の各区画の上を「向下門」の方向性に従って右回りに、あたかも「渦」もしくは「星雲」のように旋回する形で広がり、変化していく形になっている。

    それゆえに「金剛界曼荼羅」が「宇宙の法則と秩序のすべてを表している」といわれると「仏教霊界通信」では説明される。


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    2007年12月22日 08時16分10秒

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    「愛染明王」

    > グラフ新天地10月号には、
    > 文亨進氏が大山寺で「曼荼羅」を受け取られるところや、
    > 須磨寺(本尊「愛染明王」の大きな提灯が下げてある)で
    > 手を合わせる場面の写真が載っていますね。
    http://www.kogensha.com/products/magazines/s471.html
    >
    > この愛染明王も、実に深奥な意味を持っていますよね。

    Mさま
    Sです。
    いつも、お世話様です。

    M様、投稿ありがとうございます。

    この記事で空海に関心を持つ人が増えますね。

    それでは、よろしくお願い申しあげます。

    ▽▽▽


    愛染明王で検索してみますと、やはり、いろいろと興味深いことが書かれていますね。



    愛染明王
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E6%9F%93%E6%98%8E%E7%8E%8B

    「愛染明王(あいぜんみょうおう)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の1つ。」

    「愛染明王は「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」とする功徳を持っている。」

    「マーラは第六天に住む天界の最高神であり、他化自在天や第六天魔王ともいう。(天界の最高神ではあるが、仏教では、その上にさらに多くの世界が存在することをご理解いただきたい)他化自在天は弓をもった姿で描かれ、この世のすべてを自在に操り他人を楽しませ、自分も楽しむ神である。見方を変えれば誘惑者であり、また、楽しい気持ちにさせてくれる神である。大日如来はこの他化自在天の王宮で説法したとされる。愛染明王も、愛に対する見方を変え極めた仏といえよう。」


    愛染明王
    http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/aizennZ.htm


    『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』  愛染王品第五
    三世三界中一切無能越 此名金剛王頂中最勝名 金剛薩た定一切諸佛母
    「すべての世界でこの明王を越えることができない。この明王の名は金剛王の中で最高である。金剛薩たは、すべての仏の母であると定めました。」


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