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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2008年05月31日 22時20分43秒

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    西洋と東洋の比較

    西洋と東洋の比較

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  • from: 生成門さん

    2008年05月31日 19時53分11秒

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    右脳と左脳の機能的意味


    前回の投稿「英知の正体」では、いきなり右脳と左脳の機能的違いが自我と結びつく文脈となったので途惑ってしまったしょう。四次元能では重要な論点なので簡単に説明しておきましょう。先を急ぎたい人はこちらを参照してください。http://gyroman65.exblog.jp/8825503/

    何故脳は左右対称なのでしょうか。何故それぞれに役割があるのでしょうか。何故宇宙の法則と同じなのでしょうか。疑問は尽きないです。脳の左右対称は物理的には明らかです。右脳と左脳があることが分かっているからです。機能的にはどうでしょうか。二つ脳が偶然に無意味にあるわけはないでしょう。右脳と左脳を繋ぐ脳梁があるといいます。それぞれが勝手に動いているのではないから救われる思いがします。

    以下は「脳は宇宙である」
    http://gyroman65.exblog.jp/8825503/
    からの引用です。

    先ずは右脳と左脳の機能的意味を明らかにしておこう。

    右脳は感覚的なパターン認識、左脳は言語機能であるという。実際はもっと複雑だろうが、一応、この定義で話を進めていく。
    脳は右脳と左脳の矛盾的自己同一
    http://d.hatena.ne.jp/mayumeto/20070207/1170829104
    を参照。

    以下、編集的引用。

    脳は何時ごろにその形を現してきたのであろうか。進化の歴史が40数億年とすると、それ以内であることは間違いない。しかも古い地層に新しい地層が積み上げられるように、脳にも層があるだろう。現在知られているのは三層(爬虫類脳=脳幹、旧哺乳類脳=大脳辺淵系、新哺乳類脳=大脳新皮質)になっているということである。最も一番上の大脳新皮質が霊長類に特有の脳である。この大脳新皮質が宇宙の法則に従った左右対称の脳であり、矛盾的自己同一としての脳である。打消し合うものが反対のものが同居しているのである。それでいて一つの纏まりとして機能しているのだ。

    この左右対称の右脳と左脳の比較をしておこう。ここで説明する右脳と左脳の機能分離説は通俗的な説であり、科学的裏付けがあるわけではない。

    ・右脳
    結合(統合化)、具体性・イメージ(写真・動画)、拡散・拡大、空間、同時性、アナログ(連続性)、東洋、集団化、多様化・複雑性

    ・左脳
    分解(細分化)、抽象性・文字音声(言葉・記号)、収束・収縮、時間、因果関係(論理思考)、デジタル(点集合)、西洋、個人個性化、単一(統一)化・単純性

    [右脳と左脳の機能的特徴]

    ・右脳は、多様性を抱え込む。
    ・左脳は単一・単純なものへ分離。
    ・音は左脳が処理する。
    ・メロディーとしては右脳が処理する。

    [統合と統一の差異]

    ・右脳側に統合、左脳側に統一がある。
    ・統合は個性多様性を持ったまとまり。
    ・統一は個性を消し去った単位化である。

    [東洋と西洋の差異]
    ・西洋は左脳優位の方向で進んできた。
    ・東洋は右脳優位で進んできた。
    ・文字でも、西洋文字は抽象性が高い。
    ・東洋の漢字は具体性を残している。
    ---

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  • from: 生成門さん

    2008年05月31日 19時14分46秒

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    英知の正体




    英知の正体

    今は、簡単に述べるにとどめますが、現生人の敵は猛獣だったはずなのですが、いつからか同じ人間同士が敵と味方をはっきりさせなければならない事態が頻発したのかということです。

    確かに原自我の発達により食料事情は良くなったでしょう。それは原言語と原意識のお陰です。しかし、人口が増えて仲間がいつしか敵になってしまったのです。

    敵は追い出さなければなりません。自分(達)が生きる為には敵は否定されなければならないからです。その自分(達)とは自分(達)の身体を含むのです。

    身体とはテリトリー的身体です。従って、自分達の土地から他人を追い出さなければならいのです。自分達と同じところに住む者と土地とは、自分と同一であるというように認識することが自我の構造なのです。

    この原初の自我はテリトリーを含む身体的自我であったのです。それがだんだんと裕福になり、一緒にいる共同体が小さくなり、家族単位になり、それにともなって土地という身体を切り離していったと思うのです。

    次第に自我の領域も小さくなり、ついには身体まで切り離してしまったのです。身体と精神が分離されたのは近代になってからのことです。それでこれを近代的自我というのです。

    自我や論理的思考とは広大な海に浮かぶ氷の表面に顔を出している部分であり、水面下にあるのは無意識です。この無意識から意識の原形が生まれ、やがてそれが論理的思考する自我へと進化したのです。しかし、もとはいえばそれは混沌スポットから沸き出した妄想だったのです。

    妄想から生まれた自我ではありますが、もともとの妄想からは想像もつかない程華麗に変身したのです。妄想は支離滅裂であり区別がなく混沌でした。だから、時には狂気ともなったのです。それが料理され綺麗な秩序だった差異、区別、分別意識に加工されたのです。分別意識とは左脳優位の言語中心の世界をつくりました。これにより自分を同じものとして保ち続ける自我が生まれ固定化されました。これを自我同一性といいます。

    分別意識は、同様に分析的思考の科学として、日常の生活を維持する文化として変ぼうして、ついに人類の英知といわれる存在となったのです。

    さて、そうするともともとの妄想の特徴である、でたらめさ、柔軟さ、危うさ、混沌などはどこにいったのでしょうか。

    妄想は自我により検閲を受け、論理的思考に適合するものは想像、アイディア、仮説、想念、思案などとして大手を振って通行許可がでましたが、支離滅裂思考は表に出ないようにシャットアウトされたのです。

    しかし、この妄想というのは変幻自在なのでシャットアウトされても隙間があると出てきてしまうのであす。妄想は、いつでも無意識の中の「混沌スポット」という特別な場所(どこかは特定できないが)から沸き出しているのです。無意識は情動の力なのでエネルギーが高まれば自我の抑止も効かずに論理的思考を押し退けて出てくることがあるのです。

    どんな時に出てくるのかといえば、日常においては建前と本音が分離している時です。大概、本音は自我=建前の裏に隠れていて出番を伺っているのです。本音が完全に封じ込められると間歇泉のように飛び出してくるのです。堪忍袋がきれるとき、忍耐が出来なくなるときです。

    非常時には無意識から直ちに出動せよという指令が出されます。そういうときは自我の崩壊の時(退避)です。例えば個人や社会の反対、反動、革命、事件などの様々な形で社会現象として表出するのです。

    脳には自分をモニターする機能があるということが分っています。このモニターは自我のやることを見ていて自我の力があまり強大になることを抑止しているのではないかと推測されます。

    さて、人類はいろいろなルートを辿って移動しましたので、そのルートによって自我の形成も環境の変化に伴って異なったのです。環境によって左脳がどれだけ使うかが求められたのです。整合がとれないかも知れないが推理しておきます。図のアフリカからの旅立ちを見て下さい。中沢新一氏の芸術人類学のビジョンを基に編集して作成したもので、アフリカの新人が三つのルートを辿って世界各地に移動したこったことが説明されています。そのなかでも西方へ移動した人類が芸術の源泉であるとなっています。


    詳しくは、こちら。http://www.tamabi.ac.jp/iaa/vision/index.html

    西ヨーロッパへ進出した方はネアンデルタール人との戦いと寒冷地だったので農耕への依存が早まり(実際に寒冷地で農耕が発達したという仮説があります)。左脳への依存が過剰になったのではないかと思われます。農耕とはまさに断片化、直線化、段階化、蓄積、保存、忍耐を特徴とすしますので、左脳優位=言語機能=表音文字と一致します。この言語中心が後の科学的知を生み出す源なったのではないでしょうか。

    一方、南方へ移動した現生人(モンコロイド)は温暖で、狩猟中心だったので左脳への過剰な依存傾向はなく、言語も象形文字に見られるように包括的、感覚的であり、右脳=パターン認識機能と一致します。その後は寒冷の北方に進出した人種もいたましたが、遊牧の生活様式に移行したので、右脳優位は変わらなかったのではないかと思われます。

    どちらのルートをとったにせよアフリカを出発した時よりは言語が発達したことは確かです。それがどれだけ左脳へ傾斜したかが鍵となります。左脳へ過度に傾斜したのはヨーロッパへ移動した人種です。それが現在の欧米人であり、左脳へ傾斜がそれほどでもなかったのは現在のアジア人、中南米、太平洋の小さな島々の人種ではないかと思われるます。左脳への傾斜度合いが人種の気質や文化や文明の形、特徴に現れているのです。

    西洋人に発達した自我は区別することを徹底させ、二者択一を迫り、どちらかを正しいとして、その正しさの一貫性を追求するのです。そのために対象を分解し還元し、論理の筋を通すのです。これが分析的論理思考の自我の特徴です。東洋においてはこの徹底性があまりなかったために西洋程には科学文明が発達しなかったのです。

    しかし、今や西洋文明=石油文明はグローバリズムの波によって世界の隅々まで浸透しつつあります。

    さて、結論です。

    人類を滅亡させるかも知れない文明を発達させた人類の英知とは西洋人の左脳=言語優位の分別思考であるということです。

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  • from: 生成門さん

    2008年05月31日 18時47分44秒

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    原自我の発生


    原自我の発生

    原言語により妄想が洪水のごとく生み出されるようになりましたが、その原言語と原意識の裏切りで洪水は治まったのです。原意識は妄想を封じこめに成功してからは、その区別する力を拡大していきました。区別する能力とは分別する意識とイコールです。現代の言葉で言えば、分別とは差異を感じ、差異を認識する意識です。自と他の区別を意識的にできる能力です。意識的にというのが重要ですね。

    動物との違いがここにあります。差異の敏感さが、神経の使い方とか、他に対する支配、配慮など、より進んだ関係の現れになっています。例えば、差異の意識は動物に向かえば飼育となりのすが、植物なら栽培、森ならば開墾、他人なら交際、支配となっていくでしょう。

    この区別する原意識が、他を対象として見立てることができるようになってはじめて自と他の区別が出来たといえるのです。サルは鏡に写った自分の姿を自分であるとは認識できません。犬も同様です。水に写った自分の姿を見て吠えるのです。それで口にくわえた肉を落してしまうのです。これが原意識のあるなしの違いです。この原意識が原自我であるといってもいいでしょう。

    原自我は対象を噛み砕きます。現代風に言えば、分析、還元するという意識であり、筋を通すなどという論理的思考の源泉になったということは容易に想像出来るでしょう。この原自我が古代自我、中世自我を経由して近代自我となるまではそんなに時間はかかっていないのです。

    話は現代に飛びます。

    左脳の発達、即ち言語機能の発達が妄想を転じて論理的思考を経由して、単なる思いつきを想像や仮説まで高め科学や芸術が生まれました。そして、科学は文明を、芸術は文化を育んだのです。しかし、ここには大きな問題が潜んでいたのです。

    言語の発達は自我と論理的思考を生み、そのお陰で文明が栄えました。それはそれで現生人としては成功だったのですが、それに伴って食料事情が良くなったので劇的に人口が増え、悲劇を生み出していくことになるのです。当然、土地を巡っての争いが起きます。追い出された方は新天地を求めて流浪の旅を強いられたであろうことは容易に推測できます。

    こうして人類は世界に彼方此方に移動をして住み着いたのです。その過程で何が起きたのかは歴史を紐解けば分かる事です。ここで問題にされなければならないのは、言語の機能と連動して生まれた自我意識がどのようなものなのかということです。

    そして、自我意識と同じようにして科学的思考は生まれました。その人類の英知が何故告発されなければならなくなったのかということです。それらの事を考えていかなければならないのです。

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  • from: 生成門さん

    2008年05月31日 18時35分41秒

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    原意識の発生


    映像の引用先です。
    http://akiya.blog.so-net.ne.jp/archive/c15353835

    原意識の発生

    左脳と咽喉が結びついたことで原言語(原始的なシグナル)が発達し、その結果、妄想が今迄以上に「混沌スポット」から温泉のように止めどもなく沸き出してきたと思います。沸き出してきた妄想の大概は邪魔なものであったと思うのですが、原言語の発生で原意識が生まれたのは間違いないと思います。

    例えば、腐ったものを食べて成功したようなケースが次第に蓄積され、言い伝えられ固定化されたのだと思います。そのよう経験が少しずつ積み重ねられて、海に浮く氷(無意識)のように水面(意識)に少しずつ顔を出してきたのです。これが原意識であるということにします。

    しかし、妄想の洪水が起きては現実の生活では混乱をもたらします。そこで次におきたのは原意識が妄想に対して反逆したのです。つまり、妄想をより厳しく選別するようになったのです。原意識は都合が良いか悪いかを選別し、都合の良い妄想だけを許したのです。これは既得権の仕組みのようなものです。混沌スポットから出てきた妄想の中から自分と同じであれば受け入れるというような仕組みだからです。

    とにかく、長い年月をかけて妄想を少しずつ受け入れ、成功した場合のみを意識として固定化させるということを繰返して少しずつ意識の領域を拡大したのです。

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  • from: 生成門さん

    2008年05月31日 18時21分32秒

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    妄想の沸き出す場所

    画像の引用先です。http://www.sutosoft.com/room/archives/000330.html


    妄想の沸き出す場所

    現生人は喉仏のお陰で出せる音の種類が増えたことで原言語から徐々にボキャブラリーを増やしていったと思います。それに手振り身振りが加わってコミュニケーションの量と質が指数的に増大したのでしょう。このことによってサルよりましな人間らしい振舞ができたのではないでしょうか。無意識に支配されていた状態から徐々に意識の量が増えたのです。

    意識の量が増えるとはどういうことでしょうか。無意識のレベルでは直接的な解釈「腐っているものは食べない」がすべてです。そこに解釈のゆとりはありません。現実と脳の対応は1対1であり、動物的な対処の仕方であり、無意識的であり本能的です。しかし、妄想が働けば「まてよ」となるでしょう。「食べてもいい」のではないかと妄想(思案)すると思います。妄想とは間接的な解釈ですから、現実と脳の対応が1対1でなく、1対多となります。たまたま発酵していたものが食べられて美味しかったとします。そういう成功体験をします。それで嬉しくなり記憶にとどめるのです。そうなるとこれは妄想ではなくなるのです。妄想ではなく思案、空想、想念です。

    そのように意識は上質になっていったのです。そして、やがて妄想している自分という意識が芽生えてきたのです。ここからは言語の発達と相乗して自我意識が誕生するまでは早かったでしょう。つまり、こういうことです。無意識の中に妄想の沸き出す場所があり、それを「混沌スポット」ということにします。混沌スポットは無意識の情動エネルギーを活発に受け止め、妄想を泉のように沸き出すのです。この妄想は善でも悪でもありません、現代人から見たらでたらめな意味不明の思考です。それでも、妄想は役にたつ時があったのです。生きるために都合が良いならば、それは選択されるのです。それは正しいのです。そしてその妄想は生残るのです。これが意識の原形なのです。

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  • from: 生成門さん

    2008年05月31日 15時03分43秒

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    温暖化問題への二つのアプローチ


    画像は地球温暖化のしくみからの引用です。
    http://www.dia.janis.or.jp/~nccca/sub2-1.htm


    温暖化問題への二つのアプローチ

     温暖化問題は私達が作り上げた世界の有り様そのものであり、人類の英知そのものであるといいました。その英知を解体しなければ、人類は間違いなく滅亡にまっしぐらです。しかし、問題はここからです。

     天動説の時がそうであったように、生活の基本となる世界観は簡単には捨てることは出来ないのです。そこには頑固な保守性があります。現実の世界の有り様は、今の生活を成立たせてくれているのであって、確実であり、決して虚構などではないと思う人は「不都合に事実」を突出されても、そう簡単に捨てられないのでしょう。まして、それを捨てることで利権がなくなる人にとっては生きる場を失うことですから、よりどころとなる精神の崩壊を意味することになります。それは精神の放浪者になることであり、下宿を追い出されることに等しいでしょう。天動説と地動説の時の戦いは、個人の名誉や生死が係わったでしょうが、多くの人の生死に係わることではありませんでした。

     今の危機は、その虚構を信じ続ければ、人類が生きていけなくなる程深刻なのです。否応なく「現実の世界は虚構ではない」という信念を捨てる時が来ているのです。一体、どれ程深刻だというのでしょうか。現在の人類の置かれた状況を見てみることにしましょう。いうまでもなく非常に不都合です。

     石油を燃やして二酸化炭素を排出して温暖化を招いていることの深刻さは新聞やテレビのニュースでも話題になっていますよね。温暖化の原因は他にあるという説もあるのですが、ここではCO2原因説に従って進めていくことにします。気候変動は地震や津波のように強烈ではありません。徐々に、しかし確実に蝕んできます。本当に怖いのは臨界があることです。既に述べましたように、ある閾値を超えたとたんに暴走するのです。そうなると後戻りはできないのです。もうすでに臨界点を超えてしまっているという説もあるようです。ではどうしたらよいでしょうか。

     「不都合」に対する処置としては二通りの方法があります。一つは誰でもが思いつく対処療法です。不都合な事実の原因を探り、手当てするというものです。これはこれで効果があります。風邪を引いて発熱したら薬で発熱を抑えるのですね。酷い時は改善的なので、つぎはぎになりどうにもならなくなることもあります。それは崩壊・破滅の時です。

     二つは根源的療法です。これは抜本的、革新的、革命的なアプローチです。問題の原因を現象面からだけでなく、その現象をもたらしている深層に焦点を当てて、真の原因を探り対処するのです。しかし、この方法では既得権益が犯されるので、抵抗が多く血を流すことになり誰でも避けたがるのです。仮に、この方法が採られたとして安心は出来ません。大概は抜本的、革新的、革命的という名の下に対処療法化してしまうからです。誤魔化してしまうのです。落しどころを探ぐり妥協的になるのです。政治的決着の場合にはこれが多いのです。

     しかし、気候変動のような問題はごまかしが効きません。政治決着のような妥協は許されないのです。そうこうしている内に事態が深刻になるだけなのです。温暖化問題は時限付きだということを忘れないでください。根源的原因にメスを入れて、根本的改革をしなければならないのです。さもないと人類は滅亡するのです。

     温暖化による気候変動の根本的原因は、活動範囲が国や地域に限られていた時に、人間に都合のよい解釈で成立つ世界観を作り上げた人類の英知そのものにあると既に述べました。その人類の英知が文明を栄えさせてきたのです。しかし、今や人間の活動は地球規模になり不都合が多くなってきました。根本的な解決を真剣に取り組むべき時がきたのです。

     その場合に、時間がないということが重要なファクターです。対処療法でお茶を濁している暇はないのです。国内だけでなく、国同士の利害が絡み対処療法では遅々として進まないでしょう。政治的手法で解決する見込は薄いでしょう。政治的手法というのは、まさに人類の英知の結果なのですから、人類の英知を解体しなければならないとしたら、国そのものが精神の放浪体となってしまうでしょう。だから、最初に述べたように温暖化は大変に困難な問題なのです。人類にとってはかつて経験したことのない危機なのです。

     これで英知の正体を明かす時がきたようです。我々の頭脳の中にある精神の構造、思考の回路を覗く時がきました。

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    2008年05月31日 14時33分25秒

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    温暖化は精神の問題


    温暖化は精神の問題

    温暖化の問題が何故難しいのかを実感しておきましょう。人類が飢餓や危機を乗り越えて来た背景には英知がありました。この英知があったからこそ地球で繁栄しているのです。しかし、今はその反動が来ているのです。英知そのものが告発されようとしているのです。この告発されるべき英知とは何かを考えてみましょう。

    英知を叡智、知能といってもよいですし、精神の働きといってもよいでしょう。いろいろな英知がありますが、その基本を抑えておくことにします。

    繁栄をもたらした英知の中で重要な位置を占めるのは、なんといっても飢餓や危機から逃れるための英知でしょう。安心安全を得るための英知、快適さと便利さを得るための英知も重要です。

    これらの英知は収蔵されるという意味では文化と読んでもいいでしょう。文化とは英知を蓄積伝承するためのものであり、妄想で狂気の沙汰にさせないようにする装置、即ち、人を規制し、呪縛する精神装置ともいえます。

    つまり、人類は英知を文化として装置化したのです。装置というのは機械的な意味があるので気に入らないという人は「仕組み」と言い換えても構わないでしょう。

    この仕組みは変幻自在です。それは学校であり、教育であり、規律であり、経済であり、組織であり、主義であり、国であり、企業であり、株主であり、政治であり、その他何にでもなるのです。この仕組みは二重構造となっているのです。現象面からいうと表層的であり、歴史の観点からいうと深層的です。いずれにしても装置ですから、帰属する精神(愛社、愛国精神、芸術等)を作り出すために規制管理するのです。

    次に、この英知は文明を発達させるためにも貢献してきたのです。新たな英知を醸成育成するために装置化され、科学的精神を規制管理する方向に働いたのです。では、これらの英知は一体どのような姿をしているでしょうか。

    人が外界と触れあう時の原点に遡って考えてみることにしましょう。私達は外界をどのような世界として見ているのでしょうか。常識的には外界の世界は、私達の心とは独立してあると思っているはずです。見たり、聞いたり、感じたりする日常的な風景の世界がそのまま、真実としてあると確信しているはずです。そのような確信がなかったら、薄氷を踏む思いで過ごさなければならないでしょうから、確信を持って生きる方が「都合がいい」のです。

    しかし、その確信はただしいのでしょうか。実は、これが怪しいのです。私達の現にある実世界は、実は私達が勝手に作り出したのです。私達が信じている世界はそのように思うと「都合がいい」ということでしかないのです。

    英知の働きをまとめておきます。

    一、外界を「都合がいい」虚構として解釈します。
    二、虚構を「現実にある」と思わせます。
    三、虚構は装置化(仕組化)されます。

    英知には欠陥もあります。とんでもない解釈をしても、それで都合が悪くなければよいとして、装置を介して信じさせてしまうことです。かつて人類は、地球は平らだと思っていたのですし、天体が地球を廻っていると思っていました。活動の範囲が小さな時はそれでも良かったのですが、稼動の範囲が広がってきたら不都合が生じために修正されたのです。

    現在、人類はグローバリズムが示すように、活動範囲が地球規模になりました。その結果、生産消費廃棄の行動が環境に悪影響を及ぼすことになったのです。そして成長の限界を超えてしまったのです。「都合がいい」から「都合がわるい」へと移りつつあるのが現状なのです。ここまできたら、天動説を地動説に転換した時のように、これまでの世界観を修正するか、他の世界観と置換されなければならないのです。

    それには、先ず、私達の抱いている世界の姿は想像の産物でしかないということを受容しなければなりません。正しいとか間違いとは関係ないのです。そのような解釈が生きるのに「都合がいい」というだけのことなのであす。現実とはその程度のものであると認めることなのです。

    現実という世界は人間が「都合がいい」と解釈をした一つの見方、虚構にすぎないことを生物から学ぶべきなのです。鳥は電磁波を使って方角を知るといいます。鳥の世界観というものがあるとすれば、それは人間のそれとはかなり違うものでしょう。どんな動物も外界を都合良く切り取り獲物を獲得したり、危険を察知して逃げるという行動をします。生物には獲物や危険という事態を察知する独自の仕組みがあるということを意味します。植物やウイルスも同じです。その中でも動物の仕組みは高度です。感覚器間を通じて外界の情報を取り込んで、その外界のものが何であるかを認識する脳の神経系の働きの総体があります。この総体を情報解釈する仕組みと呼んでも構わないでしょう。

    鳥の場合は電磁波という外界の信号を、情報として方向探査に使い世界を解釈しているわけです。人間には電磁波を方向探査に使う能力はありませんが、それに代わる外界の解釈という柔軟な仕方をする英知があります。しかし、鳥と人間の解釈のどっちが正しいというものではありません。どちらの解釈も都合がいいから生残ってきたに過ぎないのです。それが進化の本質です。

    現実の世界は外界の解釈であり、虚構にしかすぎないことを人間社会の場合を例にとり示しておきます。先ず、風景に対する解釈です。誰でも経験することですが、同じ景色を見ても感動しない時と特別な感動に襲われる時があるでしょう。心の有り様によって同じものが違って見えるのです。外界が心に関係なくあるならば、いつでも同じでなければなりません。この例は、外界にある現実という名の世界が如何に移ろい易いものであるかという証拠です。

    もう一つの例は虹に対する解釈です。虹の色は何色に見えるのかという問題を出して見ます。誰でも七色と答えるでしょう。それはそう見えるのだから正しいです。しかし、五色、三色と答えても正しいのです。実際そう答える民族がいるのです。これが何を意味しているのかはもうお分かりであですよね。民族の生活の条件によって外界の見え方が違うということです。日本人で虹が七色に見えない人はいないと思います。いたとすると健常者とはみなされなくなるでしょう。しかし、七色に見えるのが絶対正しいのではありません。それは文化であり精神装置の仕業なのです。

    さて、外界の見え方が精神装置による虚構であり、それを現実として、一つの正しい世界観であると思わせるのも精神装置の仕業なのです。精神装置が一つの虚構を採用するかどうかの基準は、その地方、国、民族の「生きるのに都合がいい」という暗黙の合意なのです。一旦採用されても「不都合」ならば、それは捨て去るか、修正されなければならないのです。これまでも悪習慣や信仰などの観念は、捨てさられ修正されてきました。

    温暖化は、これまでの世界観がグローバリズム以前のものであることを警告しているのです。もう、捨てさるべき時にきていると言っているのです。

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  • from: 生成門さん

    2008年05月31日 12時36分05秒

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    原言語から原意識へ

    原言語から原意識へ

    シムダンスは四次元能です。四次元脳を持つ人間への復活劇です。この温暖化を防止するにはそれしか方法がないと思います。四次元脳は三次元の物質文明に汚染された私達の心(欲望)を洗ってくれるのです。四次元脳を持つためには、いくつかのハードルを越えなければなりません。それほど温暖化の問題は人類が遭遇した中で最も難しい状況だと思ってください。四次元とは何かについてはいずれかはっきりさせますが、温暖化の問題が私達の心に根源がある以上、まず、私達は何者で、どこから来たのかを知らなければなりません。心(欲望)のルーツを探さなければならないのです。それをいきなり四次元宇宙に求めるというのは安易であり危険です。せめて地球に生命が誕生したときぐらいまでには遡って、その連結を確認してから探求しなければならないでしょう。そうしたことを念頭に置きながら、とりあえずは、当面の私達のご先祖様、現生人に会いに行きましょう。

    現生人はアフリカでサルが二足歩行をして進化した私達の先祖です。10数万年前のことです。その当時の現生人は昼間に狩をして、夜は洞窟で寝ていたのだろうと思います。洞窟の中の夜は暗いですから、妄想もしたでしょう。

    何を妄想していたのでしょうか。ここからは推測です。推測というと格好がいいのですが、現生人とあまり変わらない科学的に根拠のない妄想です。これからの展開に関係があるので妄想(推理)してみます。この妄想がどのようにして想像や仮説などの思考に進化したのかということを突き止めたいわけです。その手がかりはサル同士のコミュニケーションにあります。現生人はサルよりはちょっとましな無意識的な状態(多少は意識的なところがあった)、或いは原言語を使用していたと思います。その意識の原形がどのようにして芽生えたのでしょうか。現生人とサルを分けたものは何かというところまで遡らなければならないでしょう。

    当時はまだ言語は発達していなかったことは明らかです。しかし、拙い言語でもそれは言語ですから、仲間とコミュニケーションできる程度の仕草と「あっ」とか「うっ」というサインのようなものを使用していたに違いないでしょう。飼い猫でもお腹が空くと、独特の声を出して食事を要求します。主人とコミュニケーションをしているのです。まして当時の現生人ならば、もっとレベルの高い言語のよるコミュニケーションをしていたに違いないと思います。

    ところで、脳には右脳と左脳があり、それぞれの役割があるとされています。それらを繋ぐ脳梁もあります。右脳は感覚的なパターン認識、左脳は言語機能であるとされています。しかし、現生人の脳はこのような右脳と左脳の機能分化は十分に発達していなかったのではないでしょうか。混濁していたでしょう。この時に使われていた混濁コミュニケーションの言語を原言語としておきます。

    詳しい事は分からないのですが、前後して脳の組み替えという大きな事件が起きたようです。
    脳の組み替えが何を意味するのかは謎なのですが、組み替えの場所は脳梁当りではないかと思います。当てにはなりませんが。いずれにしても、この事件により原言語と脳との局部連結がち密になったと考えられます。右脳と左脳の機能分化は、このあたりまで遡らなければならないのです。生成門はそれが専門ではないし、先を急がなければなりませんので、これ以上の追跡は諦めます。

    言語の発達に関して咽喉のことを忘れてはならなりません。大事件とは咽喉信号と脳が連結したのかもしれなということです。咽喉とは喉仏です。これによって空気を震わせられるので多様な音を出すことができるのです。咽喉は人間にしかありません。これが言語の発達にとって重要であったというのは言い過ぎではないでしょう。咽喉がないために他の動物はいまだに「あっ」とか「うっ」としか言えていないのです。ついでにいうとネアンデルタール人は、現生人より早くアフリカを出発し、今の西ヨーロッパ辺りに着いたのですが、現生人によって滅ぼされたといわれています。その理由は咽仏のある位置が高く、多様な音を出せなかったことが、知能の発達を妨げたためだという説があるようです。ネアンデルタール人は死者を葬っていたといいますから、相当の情動を有していたと思うのですが、滅びたのは言語能力を獲得できなかったからなのでしょうか。

    http://caffetribe.exblog.jp/7129215/のcaffetribeでは中沢新一氏のカイエ・ソバージュ「対象性人類学」を引用して、ネアンデルタール人の言葉には「無意識」がなかったといっている。更に、現生人の脳に起こった革命的な組み換えにより、流動的知性が運動を開始し、様々なイメージ、記号、文様などが生まれ形を変えながら生活の中に広がって来たと述べている。

    これが意識の原型ではないだろうか。

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  • from: 生成門さん

    2008年05月30日 13時59分24秒

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    シムピープルの誕生



    シムピープルの誕生

    現代の物質的豊かさを享受している私達ですが、心の方はどうも満足していないようですね。いくら物質的豊かになっても原油が上がったらたちまち、あらゆるものが値上がりしてしまいます。政治のせいにしても、拉致があかないようにも思えてきます。無党派層が多いのは、心の満足が得られていないから、政治に対する無関心さが生まれてきているのでしよう。一方では、気候変動という無気味な変化が身の回りに起きています。何かがおかしいと感じてはいるのですが、だからといって、どうにもなにない。そんな虚無感に襲われているのではありませんか。毎日はただ忙しく過ぎていくだけで、これといってなにかをしなければならないという緊迫感もありません。

    本当の原因はどこにあるのでしようか。

    人間には本質的に、現実の便利さ快適さを求めるという欲望があります。この欲望がなかったら生きて行けません。ただ、いつのまにか、この欲望に適度というのがくなくなってしまったのです。限り無く、もっともっとと欲が過剰に生まれてしまうのです。この限りがなくなった欲望が、不安、苦しみの原因であることを先ずは、直視しなければならないでしょう。

    人類にこの欲望がどうして過剰に生まれてしまったのかということをつかまなけなれば、私達自身の問題はおろか、迫り繰る滅亡の危機さえ回避することは出来ないのです。日本は戦争に敗れましたが、その後奇跡的に復活し、今はアメリカやヨーロッパと肩を並べる先進国になりました。しかし、恐ろしい現実が隠されています。日本の借金は1兆円になろうとしているのです。貴女の貴方の給料と比較して下さい。この額が途方もないことに気がついて下さい。個人ならとうに破産宣告です。この額はどうやっても精算出来ないものです。いつかはとんでもないことが起きるでしょう。

    このような暗たんたる状況を作り出したのは又、温暖化の原因と同じく私達の欲望に起因しているのです。このような訳で冒頭に述べたように未知との遭遇という危機を回避するのは容易ではないといったのです。このような過剰な欲望はどうして生まれたのでしょう。それには人類がどのようにしてここまで生きてきたのか、その謎を探っていかないと分からないのです。

    かつて人類は、様々な飢餓や危険と遭遇した時に、生き延びようとして様々な工夫をしたことでしょう。そして今日のような快適で便利な生活を実現したのです。しかし、辿り着いたのは石油文明を土台にした大量生産・大量消費・大量廃棄という生活様式です。これによって人類は絶滅の危機に遭遇しているのですから皮肉なものですね。その生き延びるための工夫というものが、実は現在の人類の英知といわれているものです。

    人類の英知(後に自我といわれます)とは他の動物にはない脳の働きです。この脳の働きは10万年程度前にある劇的な脳の進化があったとされています。これがその後の人間と動物の生き方の違いを生みました。人間は言語を使うことができるようになって、更に生活の智恵を貯えていきました。これが今日迄営々として続いているのです。ただ、人類はその後、大きく二手に分かれて発展していきました。一つは西洋文明を築き、片や東洋文明です。

    今日の石油文明を築いたのは西洋の英知です。このお陰で私達は大いなる物質的な豊かさを謳歌しているのです。ところが、この英知が先に述べたような問題を引き起こしてしまったのです。今や毒知として猛威を奮っているのです。人類が絶滅の危機から救われるには、文明のを解体し再生しなければなりません。それにはとりもなおさず人類自身が変革しなければならないということです。

    ここで大きな障害があることを注意しておかなければなりません。絶滅危機回避の方は時間がないということです。残り少ない時間の中で、如何にして変身できるでしようか?如何に文明を解体再生できるでしょうか?素早く温暖化を防止できるでしょうか?素早くエネルギー転換ができるでしょうか?そんな起死回生の方法が求められているのです。

    人類の生き残りを賭けての最後の戦い、不死鳥の祈りにも似た気持ちを込めて生成門の扉をこじあけましょう。そしてフェニックスのように甦る起死回生のシムダンス(Synm Dance)を舞うことにしましょう。シムダンスのSynmとは、Syn/symであり「共に」という意味があります。シンクロ(共振)、シンパシー(共感)、シンメトリー(対称)などに代表される宇宙・生命における生成のキーワードです。シムダンスが目論むのは人類の絶滅回避であり、新しい文明と人類の生成です。起死回生のシムダンスを舞う人、精神の自由を獲得した人を「シムピープル」と呼びましょう。シムピープルは、人類の原点に回帰して、自然との共生を主眼として、生まれ成る回生人です。シムピープルは精神の放浪者ではなく、精神の探究者であり、新たな英知を獲得し、新たな思考回路を持ち、旧態の精神装置に邪魔されずに生きる根源人、原点に回帰する玄生人です。

    シムピープルは、下宿の掟にとらわれずに堂々と現実と仮想の世界を行き来していく、新たな生きるためのコンセプトとビジョンを獲得した自覚人です。

    シムピープルは、人類の滅亡を防ぐために、新たな英知による画期的な仕組みづくりの方法を駆使して温暖化を防止に邁進する仕組み人なのです。

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