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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2009年01月30日 14時52分19秒

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    地上の失楽園

    地上の失楽園
    <PSとの共振>

    虚の自・他が共振して、この世に愛が生まれたときに地上の楽園が現れます。それは自他和合の自覚であり、自己の認識であるといいました。更に言えば、イデアの原自己と原他者が共振して、メディア=空の生成の力によって、地上の楽園が現象化すると言いました。四次元能との関係で言えば、イデア界=虚軸を四次元、メディア界を空=反転ポイント、現象界を三次元と読み替えれば同型となります。

    「プラトニックシナジー(PS)理論」の続きです。詳しくは下記を参照して下さい。
    http://ameblo.jp/renshi/theme12-10002716381.html#main
    以下、編集的引用しました。


    メディア界=空においては、原自己から原他者に向かう二重の志向性があり、その一つが自己の認識をもたらす方向に向かいます。それを式で表すと(i)*(-i) ⇒1です。こちらは地上の楽園行きで、そのためには、イデア界において原自己と原他者が共振していなければなりません。それがメディア界を経由して自己が形成されるのです。(i)*(-i) は本来の自他のあるべき関係、望ましい関係、即ち、地上の楽園行きの切符ということになります。

    しかし、メディア界は即非状態=述語論理が二重化(i*-i,i*-(-i))=(原自己*原他者、原自己*-原他者)されており、悪魔が宿っているのです。それは地上の失楽園行き方向を促す力(i)*-(-i)=原自己*-原他者なのです。

    この式の-は原自己が原他者を否定するという意味です。何故、原自己と原他者が共振せず、原自己が原他者を否定するのでしょうか。

    それは、人間が欲望の赴くままに生きるからです。欲望の赴くままに生きると(i)*-(-i)⇒-1(=自我)となるのです。これが、地上の失楽園行き他者否定の自我方程式です。近代的自我とは、この悪魔が働き、物質的欲望の自我が、更に先鋭化したと言えます。では、何故、物欲的欲望が、-1の自我になるのでしょうか。

    原自己が欲を満たすためには自己を主張するでしょう。そして、最後は原他者を否定しなければならなくなるでしょう。それによってもたらされるのは対立であり、緊張であり、苦です。それを回避したいのが生命の性です。そのためには原自己を限定しなければなりません。原自己を限定するということは欲を抑えることです。

    苦をもたらす原他者とは他人ばかりではありません。例えば環境(暑い寒いなど)も原他者です。環境が悪くなれば、それを避けようとするのが適応という行動です。現他者が人間であれば、戦いであり、環境であれば支配です。これが発展して自己中心の主語論理=左脳優位となるわけです。そして、自我が生成されるのです。苦を回避するということは、苦の原因である原他者を否定することであり、それを複素平面で表現すると、-1となるということです。

    原自己から原他者への志向性とは、原自己が原他者とどう向き合うのかの無意識的な振る舞いです。それが、三次元の現象として、見たり、聞いたり、理解したり、表現したり、行動したり場合に現れます。原他者を知るためには、原自己は原他者に近づかなければならないのでしょう。この「知る」という行為から、様々な行為の連鎖を生み、ついに言語を発生させたと言えるでしょう。言語の発生については既に述べました。言語は自我の発生に大いに貢献しているのです。

    相手に何かを伝えるのは表現しなければなりません。表現という行為には、視覚や聴覚や身体を使います。そこで視覚をi、聴覚を-iとして、自我がどう発生したのかを説明してみましょう。

    メディア界=空には二重の志向性{(i)*(-i) ,(i)*-(-i)}があります。この二重の志向性は、エネルギーのバランスのよって、三次元の現象として現れる方向を微妙に影響します。この関係が、どちらに傾くかで、自我が強められるか弱められるかの分岐点になるのです。視覚は左脳、聴覚は右脳に繋がっており、左脳は自我意識、右脳は無意識ですので、視覚が強くなれば、自我の強化となるわけです。私達の文明は視覚中心になっていることは明らかです。しかし、原生人はサルの時代に森の中で生活していましたから聴覚優位の生活をしていました。ところが、森が消失したために草原に放り出されたサルは、絶滅の危機に遭遇したのです。そして、急いで聴覚→神経→右脳のルートを使って視覚→神経→左脳のルートに組み替えたのです。それで何とか生き延びたのですが、大事なことは、脳の中で何が起きたのかということです。最初は、虚と-虚が共振して、自然に、右脳優位(i)*(-i) ⇒1となったのです。ところが、危機に面して、虚と-虚のバランスが逆転したのです。それが左脳優位(i)*-(-i)⇒-1(=自我)に反動してしまったのです。このように、人間の場合は、⇒1が先で、後で-1がその反動が起きたのです。自然界ではどうでしょうか。磁気のように±が分裂して対等に存在している関係があります。これについては、「虚実の世界は繋がっている(3)」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100078149918

    これによると、自我(-1)優位となるか、自己(1)優位となるか、或いは、二極分裂する仕組みがあるのです。

    いずれにしても、この二重の志向性は現象化において作用しているということです。問題はどのように作用するのかということです。メディア界=空では二重の志向性=即非的差異=混沌{(i)*(-i) ,(i)*-(-i)}ですから、どちらが優位とかの状態ではありません。それが何らかの作用で現象化して、{(i)*(-i) ,(i)*-(-i)}が、分離して、(i)*(-i)と(i)*-(-i)になります。ここで、(i)*(-i)が強ければ、地上の楽園行き、(i)*-(-i)が強ければ、地上の失楽園行きです。何らかの作用といいましたが、それは揺らぎとしか言いようがありません。原自己と原他者のエネルギーバランスが乱れるのです。対称性の破れともいいます。
    (i)*(-i)、(i)*-(-i)のどちらかに方向が決まったとしても、他方がなくなるわけではないでしょう。もし、欲望が強くて(i)*-(-i)⇒-1(=自我)が決まったとしましょう。しかし、(i)*(-i)は、保持されたままでしょう。志向性は二重の志向性といっても、本来は、即非的差異=原自己と原他者を共振させ、包括するのが、自己の望みであり、それが主観の力(i)*(-i) なのです。つまり、言いたいことは、三次元の現象界においても、その主観の力は継続されるということです。しかしながら、(i)*-(-i)⇒-1(=自我)が選択された三次元では、自他を共振する世界などではなく、容赦なく自我同一性を保持するでしょうから、矛盾を矛盾として保持したい志向性=主観、即ち、自己は当惑するでしょう。一旦、走り出したら止まらないのが、自我の塊である官僚の行動に顕著に現れます。10年前のダム建設計画が、時代に合わなくても、遂行されるという愚が罷り通ってしまいます。そのような理不尽を受けた市民はショックを受けるはずです。官僚から見れば市民は否定するべき他者なのです。そのような扱いを受けた市民は天国から地獄へ突き落とされる感じでしょう。とにかく、現象化した世界では、他者が不浄な物としてあるような矛盾に満ちた世界なのです。

    では、取り残された(i)*(-i)はどうなるのでしょうか。官僚の中にも良心は残っているのでしょう。この良心は、主観=本音を志向するでしょう。その、本音は他者である市民と即非関係=共存を形成するでしょう。「官僚」は、「市民」であり、且つ、「市民」ではないという関係です。あるいは、「わたし」は、「ママ」であり、且つ、「ママ」ではない、等々となるでしょう。即非関係=述語状態を形成するとは、「市民」である他者=支援する者と官僚が述語的に同一視されるのです。

    述語的に同一視するとは、私と「私」の眼前や周囲にある物を同一視するということなのです。こうして、主観は、このときに、この共感をサインで指し示すのです。つまり、「市民」である「対象」を「市民」と呼び、「ママ」である「対象」を「ママ」と呼ぶのです。これが、他者と共振・共鳴する言語(サイン)と言っていいでしょう。「わたし」と三次元の物=他者とが共振・共鳴するものとして一体化するのです。こうして、官僚と市民の場合は(i)*-(-i)⇒-1(=自我)に行きかけたのですが、かろうじて、踏みとどまって、(i)*(-i) ⇒1に引き返したことになります。ここまでは、言わば、良い関係であり、地上楽園です。

    さて、この良い関係が破れて、地上楽園が崩壊する時がくるのです。「わたし」は、それまでは、「市民」、「ママ」、「自然」という他者と自己とが共振して一体化していたのですが、あるとき、他者を容認することが出来なくなるのです。共感が成立しないときがくるのです。「市民」は我儘であり、不快なものとなるのであり、また、「ママ」は、「わたし」を顧みなくなるのですし、「自然」は、豊かな恵みをもたらさずに、飢饉となるのです。「わたし」と他者との差異が共振し、共感する関係が破綻するのです。これが、-(-i)の意味なのです。共振ではなく、非共振、反発、排斥です。「わたし」と「他者」は、いわば、疎外関係にあるのです。結婚で言えば破綻です。企業で言えば倒産です。国家で言えば財政破綻です。よそよそしい関係、あるいは、敵対関係になるのです。感情的に言えば、冷たさが生成されるのです。冷暗さです。(i)*-(-i)⇒-1がここに発生しているのです。自我の発生です。自己から自我への反動なのです。

    アダムが禁断の知恵の実であるリンゴを食したのですが、この知恵とは、二元論ないし二項対立の知恵です。西洋文明の知恵と言ってもいいでしょう。客観主義的知恵と言ってもいいでしょう。エデンの園とは、自己と他者が共振・共鳴・共感して、一体となって生活する世界のことと考えることができるでしょう。すべての対立は、主観と他者との疎外関係、主観と他者との二元論的分離と見ることができるでしょう。結局、-(-i)の最初の-が二元論に分離を引き起こした力なのです。

    しかしながら、主観と他者の疎外ですが、もし、主観と他者との二つの差異が共振共鳴して、一体関係が、自然に回復されれば、-は消えて、再び、(i)*(-i)⇒+1の差異同士が同一視=一体化された円満世界に回帰するでしょう。仲直りです。

    このような自我と自己の対立は、人間の問題に関しては、すべて共通するようです。例えば、物質と精神、パラノとスキゾ、意識と無意識、西洋と東洋、農耕と遊牧、モダンとポストモダン、客観と主観、一神教と多神教、ピラミッドとネットワーク、還元と包括、競争と共生、科学と芸術、主語と述語等といった具合です。

    人類史において、自然回帰する思想をもったのはアジア文明ですが、自然回帰を否定した一神教が西アジアに誕生して、西欧、アメリカに伝わり、西洋文明が形成され、今日、経済にグローバル化によって世界を支配したのです。そして、これが、現代において、人類絶滅の危機をもたらしているのです。

    一神教は、自己と他者との疎外関係から発しているとパラノと言えるでしょう。そして、一神教=パラノは自分が生み出した三次元世界を飛び越して、反転空間(即非のメディア界=空)に回帰した宗教であると言えるでしょう。三次元世界の否定がここにあるのです。つまり、三次元世界への冷暗さ・僻み(ひがみ)・妬み・嫉み(そねみ)・恨み・憎しみ・嫌悪・侮蔑等のルサンチマンに基づくのです三次元世界への反動・反発・憎悪(ルサンチマン)から、反動的に、メディア界へと飛翔しているのです。つまり、これは、一種(i)*(-i)への回帰なのですが、しかし、(i)*-(-i)⇒-1をもった(i)*(-i)なのです。つまり、分裂しているのです。三次元世界の現実からの逃避という反動と反転の二重性なのです。即ち、現象界とメディア界との断絶が、一神教の特徴なのです。ここには、分裂・矛盾があるのです。メディア界¬=空は、三次元現象界を志向するのです。つまり、(i)*(-i)⇒+1です。しかし、反動なので、+1を否定して、-1とするのです。つまり、+1と-1とが矛盾分裂しているのが、パラノであると言えるでしょう。一種の精神分裂症(統合失調症)です。スキゾはもともと精神分裂症親和性ですが、精神分裂症ではありません。パラノは、自己(自他が共振して一体化したもの)と自我(自他が対立して分裂したもの)との矛盾分裂なのです。本音と建前の分離です。スキゾは、自己(自他が共振して一体化したもの)であり、矛盾そのものなのです。そして、これは、深層心理学そのものです。深層心理学は、パラノの精神分裂症の20世紀的発現に過ぎないでしょう。これが、西洋文明の「精神」なのですが、近代において、自我が中心となったために、自己性が喪失して、物質優位の二元論・二項対立、唯物科学・近代科学が発生して、それと資本主義が結合して、真に偏ったシステムが発生したのです。即ち、他を認めない、自我の連続した世界のみを同一視する近代的自我=唯物科学的資本主義です。

    これで自我の発生の仕組みの説明をしたことになります。しかし、これでは、正確には、まだ、完全に理論化したとは言えないでしょう。すなわち、何故、自他の共振が阻害(疎外)されて、三次元の日常世界が現象化されるのかが、明確にしていないからです。自我のみを認め、他者を認めないで、自我中心的な主語論理によって、自我を同一視する理論が示していないからです。これを示すのが、これからの課題です。

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  • from: 生成門さん

    2009年01月28日 12時44分05秒

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    地上の楽園

    地上の楽園
    <プラトニックシナジーとの共振>



    四次元能は「悟り」を成就させる生成の舞い・シムダンスであり、心探しのトレジャーハンティングでもあります。そのために道元は座禅瞑想を重視したのですが、四次元能では、瞑想の代わりに、否、支援するためのシムダイヤグラムという新しい瞑想術を駆使します。シムダイヤグラムとは、述語論理による編集思考ですが、複素平面を使った複素数的思考でもあります。複素平面を使うということは実と虚という相容れないものを同時に扱うと言うことで四次元思考でもあります。シムダイヤグラムは、思考の道具であり、脳を拡張するメディアですから、インターネットを駆使します。従って、パソコンも必要ですので、そのためにシムダイヤグラムは四次元脳への反転ソフトウェアでもあります。このシムダンスは、そのソフトのコンピュータ化も目指しているのです。ですから、トレジャーハンティングとは、このソフトの仕様を決めることでもあるのです。

    そのためには、悟りというものを明確にしなければなりません。自我の解体、色即是空、欲望の抑制、心身脱落などと言葉が並びますが、どれだけ言葉を連ねても、悟りは得られないでしょう。だからといって、只管に、座禅瞑想しても簡単には悟りは得られないでしょう。何かが欠けているのです。それは悟りのイメージであり、具体的な実践方法です。

    四次元能に於ける悟りのイメージは簡単明瞭です。それは、感激したときの瞬間、創造したときの瞬間、無我夢中で、打算がなく何事かに打ち込んでいるときの意識の状態をいいます。左脳が優位ではなく、右脳優位のときです。しかし、このような悟りに似た意識の状態は、一過性であり、真の悟りではありません。真の悟りは、持続的でなければなりません。持続的であるとは、自我の解体、色即是空、欲望の抑制、心身脱落を実感として感じられるものでなければなりません。

    そのような悟りをイメージする方法はないのでしょうか。これが難問なのです。悟りの内容が余りにも奥が深く、神秘的なので、簡単にはいきません。おまけに悟りとは即非的であり、「有る・無い」が同時に存在する矛盾した思考なので、まともな論理を受け付けないのです。

    ところが、こうした矛盾した事態に遭遇した分野があります。それが量子論です。量子論においては、粒子は波です。粒子が波であるというのは、まさに、即非の状態なのです。死んでいると同時に生きているなどというのと同じことなのです。こうした矛盾を扱うのに主語論理は向いていません。ですから、主語論理=自己同一性の徹底している科学の分野、哲学の分野では「粒子が波である」などという事態は想像を超えたものでした。こうした事態を量子論はどのように乗り越えたのでしょうか。それが複素平面の導入だったのです。複素平面は四次元ですから、矛盾を扱うのには適しているのです。

    では、哲学の分野はどうでしょうか。哲学というのはあらゆる学問の基本ですから、主語論理=自我同一性は更に徹底しています。デカルトは「我思う。故に我あり」といいました。これを噛み砕いていうとどうなるでしょうか。「この世に確かなものはない。しかし、私が考えていることは確かである。だから、自分がここいるということだけは疑いようが無い。」と言う意味です。これが矛盾を徹底排除して、自我同一性を徹底させ、近代的自我の発端となったのです。哲学など、自分居は関係ないといっている経営者、ビジネスマン、医者、主婦など、あらゆる人がコミュニケーションのために使用している思考は、この主語論理なのです。日常生活はこの論理に依存しているのです。主語論理という言い方が分かりにくければ常識でもいいのです。三段論法といってもいいですし、ともかくも、筋の通った話を求めると言うことは主語論理なのです。主体、主人公、
    主題について語るときは主語論理なのです。「私は・・・・」と語るときは主語論理なのです。演説も井戸端会議も経営会議も主語論理なのです。それらが受け容れられる基盤を作ってきたのが哲学なのです。哲学と言うと難しいですが、要するに「考える」ということです。哲学は正しく「考える」基盤を提供してきたのです。ですから、哲学は長い間、主語論理から逸脱が出来なかったのです。ところが、量子論の影響を受けたポストモダンがその牙城を切り崩したのです。今はそのドラマをここで吟味する余裕はありませんが、まだ、その試みは成功したとはいえないようです。一方、その試みに果敢に挑戦しているホームページがあります。このページは複素平面を駆使して、自我解体の論理を進めています。この論理の基本にあるのは即非の論理です。四次元能では、世界を解釈するためのシム方程式を、V=∫team(a+ib)/4d,gと表現します。Vを悟りとすれば、これは悟りの方程式となります。ここでa+ib は複素数であり、複素平面を代表しています。従って、四次元能とも親和性が高いようですので、「プラトニックシナジー理論」とも、シムダンスを舞いたいと思います。詳しくは下記を参照して下さい。
    http://ameblo.jp/renshi/theme12-10002716381.html#main
    以下、編集的引用しました。


    プラトニックシナジー理論は、現象界、イデア界、メディア界の三界を複素平面に配当して森羅万象を説明します。垂直方向を虚軸=イデア界(i,-i)、水平方向を実軸=現象界(1,-1)、原点をメディア界=即非状態を意味します。メディア界は、この理論では重要な位置を占めており、即非状態が二重化(i*-i,i*-(-i))されていることがポイントです。この複素平面を駆使すれば、自己がどのように認識されるのかを、簡単明瞭に説明できます。

    複素平面での自己の認識は(i)*(-i)⇒+1となります。自己認識とは自覚です。悟りともいっても良いでしょう。従って、悟りの方程式はV=∫team{(i)*(-i)⇒+1}/4d,gと書き換えることが出来ます。

    ここで (i)を虚の現自己、(-i)を虚の原他者とします。原としたのは虚軸=イデア界のイデアであることを強調するためです。

    メディア界においては、単なる(i)と(-i)の共存ではなく、即非状態(i)*(-i)になります。*は虚と-虚の掛け算を意味します。或いは陽イデアと陰イデアの掛け算です。イデアには陰陽対称性がありますので、それらを向き合せる(*)のです。

    このイメージは分かりにくいかもしれません。鏡の前に立ってください。当然、姿が映ります。鏡(*)の前に立っているあなたを陽イデア($)としましょう。鏡に映っているあなたが陰イデア(&)です。

    $---*---&

    これを式で表したのが(i)*(-i)なのです。

    そして、メディア界には、原自己から原他者に意識が向かうという志向性(⇒)があります。この志向性は、イデアを現象化させる力=エネルギーといった理解で良いでしょう。要するに、メディアとはエネルギーであり、イデアはエネルギーの素と考えれば判り易いでしょう。

    (i)*(-i)は、現象界に顕在化する前の孵化直前の状態=生成卵であり、エネルギーの固まりです。生成までは静的な中性状態にあります。しかし、なんらかの原因で、それが活性化します。そして、孵化すると誕生、即ち、現象化します。時間もこの瞬間に発生します。その結果が⇒+1です。これが自己の認識なのです。

    (i)*(-i) ⇒+1は、√-1=iであり、i*-i=√-1*-√-1=+1から導かれます。

    プラトニックシナジー理論では、即非状態=原自己と原他者が共振して、自己を認識することが、自他のあるべき関係、望ましい関係であり、地上楽園なのです。そこで、この(i)*(-i) ⇒+1を自己認識の方程式、自覚の方程式、悟りの方程式とします。


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  • from: 生成門さん

    2009年01月26日 17時26分11秒

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    虚実の世界は繋がっている(3)

    虚実の世界は繋がっている(3)
    <ティトムとの共振>

    真の光、真の時間、真の欲望を見つけることがシムダンスの課題であると言いました。果たして、見つけられるのでしょうか。それが「虚実の世界は繋がっている」ことと、どう関係するのでしょうか。

    今回の舞台は「クラインの壷と虚の世界」の続きです。下記を参照してください。

    http://momloveu.com/titom-teller-j/index.files/Page897.htm

    以下、その編集的引用です。

    原生人は四次元時空意識を持っていたのですが、光の陰謀によって次元低下を余儀なくさせられてしまったのでした。瞑想は、もともと持っていた四次元時空意識を取り戻すという作業であり、意識の反転なのです。瞑想は時空を反転させ、三次元から四次元に回生させるのです悟りとは四次元時空意識ですが、日常の三次元意識とどう違うのでしょうか。複素平面を使って説明してみましょう。この論理は下記の「プラトニックシナジー理論」を参照しています。
    http://ameblo.jp/renshi/theme12-10002716381.html#main

    下の図は、悟りの四次元時空意識を単純化して示したものです。




    垂直を虚として、四次元(時空)意識=イデア=欲望=エネルギーの源とします。水平を欲望が顕在化する三次元(時間・空間)意識=色とします。原点は反転ポイント=混沌=空とします。

    虚軸は+(陽)と-(陰)があり、それぞれ±の欲望(正確には欲望の源)を配当します。+軸は+欲望を意味します。-軸は-欲望を意味します。実軸も±(陰陽)があり、それぞれ三次元現象を配当させます。虚から実への反転は、四次元から三次元の次元低下であり、複素平面を回転させることで複雑な現象を生成します。三次元への現象化には必ず反転ポイント=空を媒介にして実軸に顕在化します。空とは、何もない無ではなく、陰と陽の中間状態=カオス=エネルギー源を意味します。

    この実と虚がクロスする平面を複素平面と言います。普通の平面といえば、X軸、Y軸を交叉させたものですが、その場合、X軸は国、Y軸は人口などとして、国別の人口を比較します。この場合の軸の特徴は、量で測れるということです。量では測れるということは、連続しているということです。ですから、企業は競争に勝つための戦略として「差異化する」といいますが、それらは、一見、質的な差異を意味しているように見えますが、「物」であるのですから、物の次元=三次元と言う意味では連続しています。このような差異は本質ではないのです。しかし、どのようにしても繋がらないモノ=差異があります。それが物と非物の場合です。その代表は意識です。意識は非物=虚です。この非物なモノと物は絶対的な不連続的な差異としか言いようがありません。しかし、その不連続なモノ(実と虚)を私達は日常的に扱っています。意識と物質が、当たり前のようにあるのが私達の世界です。しかし、不思議なことに、それらを同じ土俵では扱っていないのです。私達は、実は実、虚は虚であり、分裂しているのです。科学は実を扱い、宗教は虚を扱いますが、それらは決して手を繋ぐことはありません。しかし、そのままでは、私達が目指す、温暖化問題=欲望の問題は解決出来ないのです。欲望は非物です。ですから、実と虚を同時に、同じ土俵で扱うことが必要なのです。実と虚の世界を繋ぐ必要があるのです。

    そのために旨い道具が複素平面なのです。素粒子論の世界では、複素平面を最も重要な道具として使っていますが、ただ、出てきた答えは実と虚であり、虚のほうは無意味なものとして無視しています。例えば、先進波です。先進波とは未来からやってくる波ですが、三次元ではそんなことは想像すらできないので無視されているのです。ただ、車椅子の天才科学者ホーキンスは、虚時間という概念を持ち出しまして、不連続な点=特異点の矛盾を解決しようとしました。私達の世界の不可思議な現象を単に神秘などと言って、遠ざけないで、虚に親しくならなければならないと思います。

    さて、複素平面上に単位円を描きましょう。単位円とは半径が1となる円です。
    この円を回転させます。この回転の意味が重要です。回転が生成消滅のダイナミズムを作り出すからです。回転をさせるのは空のエネルギーです。空は中性ですからエネルギー=ゼロですが、時に揺らぐのです。この揺らぎがすべての始まりなのです。

    回転すれば、当然、実と虚が交互に現れます。三次元で見れば実軸しか見えませんから、±で振動する様に見えます。これを見るためには、横軸に時間をとって動きトレースします。すると、波のようになるでしょう。そうなのです。複素平面の円の回転とは波なのです。四次元とは波の世界なのです。



    しかし、実際には、このように綺麗な波の形が現れることは先ずありません。波が重なっているので、もっと複雑なのです。



    そうした、複雑な円の動きが四次元の世界なのです。それらのいくつかを見ていきましょう。

    1)分裂モデル1



    分裂モデルとは、実と虚が±で二極化(分裂)するモデルです。虚軸の+i=陽=+欲望のエネルギーと虚軸の-i=陰=-欲望のエネルギーとが、互いに1/4回転するとします。実際は、空を媒介して三次元の+1=陰と-1=陽になります。宇宙はどういう分けか左回転が好きなのです。

    三次元化として現れるときは、例えば、左脳と右脳に分岐しているというようなことです。このような例はまだあります。電気、磁気の±がそうでしょう。虚から実への三次元化現象は、往々にして対称性が破れます。対称性の破れとは、+(陽)か、-(陰)に偏るということです。例えば、陰欲望エネルギーが弱ければ左脳優位、陽欲望エネルギーが弱ければ右脳優位となるでしょう。それを波であらわせば、波に高さ、低さに現れるでしょう。問題は1/4回転しかしないので、実から虚、虚から実にならないので、元に戻らないということです。つまり、左脳と右脳が分裂したまま、ずっと分裂したままということです。これが私達の世界には多い二重人格(ジキル・ハイド)分裂モデルです。科学と宗教の分裂、本音と建前の区別などは、そのいい例です。

    2)分裂モデル2



    分裂モデル1と同じですが、異なるのは回転が時計回りです。自然には反時計回りが多いのですが、このタイプもないわけではありません。回転による二つの区別はつかないと思います。

    3)否定モデル



    他否定モデルとは、虚軸を自他に配して欲望との連関を示すものです。虚の+欲望を自=自分とすれば、虚の-欲望は他=他人の欲望になります。-欲望が時計回りに1/4回転することがポイントです。実軸の陰で「がっちんこ」しますから、どちらかが勝つか、いつまでも組んだまま止まってしまいます。どちらかが勝った場合は、左脳=自我が優位となり、負けた方は反動として右脳=精神に走ります。虚の陽=+欲望が勝利して場合はどのようになるでしょうか。

    社会は左脳優位・官僚主義・組織優先・個性軽視・学歴偏重・効率優先・経済重視の物質文明となり、他者=環境を支配するようになります。当然、虚の陰=-欲望は否定、抑圧されますから、行き場を求めて反動的になります。社会は閉塞感が漂い、-欲望型の人間は負け組となり、癒しを求めて神秘主義などに傾斜するというのがその典型でしょう。

    このモデルを式で表現すると、欲望*-(-欲望)=実軸の陰=-1となります。欲望は虚ですから、一般的に表現すると、i*-(-i)=-1となります。これは、大変に含蓄のある、応用の広い式なのです。「虚が実になる」ことを式で表しているのです。「虚実の世界は繋がっている」ことをi*-(-i)=-1が示しているのです。

    何故、そう言えるのでしょうか。複素数とは、√-1=iとしています。iとはimaginary(想像上の)という意味です。ですから、虚というわけです。しかし、その虚が実になるのです。√-1=i*√-1=iとして見ましょう。√4=2*2です。つまり、これが平方根の式です。同様に、√-1*√-1=i*i=-1となるのです。ここでは虚と-虚の衝突ですから、i*-(-i)=-1であり、-(-i)の-は虚の陰が、時計回り=否定であることを示しています。

    4)自他共振モデル



    このモデルが理想的なモデルです。陰の陽が時計回りをするのがポイントです。この場合は、虚の±が「共振」しますので、擬似的な空が三次元に現れたと看做してよいのです。陰と陽が共生するのです。これを式で表せば、i*(-i)=1となります。これは、否定モデルより、更に大変に含蓄のある、応用の広い有益な式なのです。もちろん「虚が実になる」ことを式で表しています。「虚実の世界は繋がっている」ことをi* (-i)=1が示しているのです。

    i* (-i)=1を自*他=1とします。これはどういう意味でしょうか。他とは自分の他でも、本当の他人でも良いのです。環境でも良いでしょう。自*環境=1として見ましょう。自分が環境という自分以外の他、つまり、非自と*(共生)することを、この式は意味しているのです。環境とうまくやるのが東洋に知恵です。この式は、場所の論理の西田哲学である即非=述語論理を実に良く表しています。自*環境=1とは、即非状態=述語的なのです。思い出して下さい。色即是空の空とは、即非(Aと非A)であるといいました。つまり、二分化する前の中性なのです。それが1であるというのは、即非状態=空が、三次元で顕在化したということなのです。悟りの顕在化、四次元の顕在化と言ってよいでしょう。素晴らしい演劇を鑑賞して感激したときは、悟りの瞬間と言えるでしょう。

    しかし、このモデルにも問題があります。即非状態=空=悟りが持続しないということです。一過性なのです。否定モデルと同じように、虚の±の衝突、つまり「がっちんこ」ですから、そのエネルギーバランスによっては反動が生まれます。+欲望のエネルギーが強ければ、虚の陽が優位となります。当然、虚の陰のエネルギーは、行き場を求めて、実の陰に反動化します。その逆もあるでしょう。いずれにしても水蜜関係の破綻です。環境が氾濫をしたときには、その水蜜関係はたちまち破綻するでしょう。ですから、西洋では、このモデルを捨てて否定モデルに走ったのです。



    5)悟りモデル

    最も理想である共振モデルでも、即非状態=空=悟りが持続しないということが問題であるといいました。愛別離苦、経済破綻、栄枯盛衰の歴史がそうでしょう。この共振モデルを持続的な悟りモデルとするにはどうすればよいのでしょうか。

    もう一度、色即是空・空即是色に戻りましょう。虚から実への反転、実から虚の反転は、複素平面上の円を回転させることで生成します。反転は空を媒介にして行われます。空とは、何もない無ではなく、陰と陽の中間状態=カオス=エネルギー源を意味します。悟りはこの空を拡大することです。それが色即是空・空即是色なのです。実軸の陽=1の位置に実現した一過性の悟りを基軸として、単位円にまで拡大するのです。それには単位円を回転させるのです。回転してエネルギーを停滞させないことなのです。



    どうすれば、この単位円を回転させて、エネルギーを停滞させないことが出来るのでしょうか。また、どうすれば、空を拡大できるのでしょうか。空を空としてだけでなく、単位円で表した色即是空・空即是色をモデルとしてではなく、現実の人間の脳の中に四次元脳として編集したいのです。何を隠しましょう。四次元能はこの悟り=自他の持続的な共振を目指しているのです。

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    2009年01月26日 16時32分01秒

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    虚実の世界は繋がっている(2)

    虚実の世界は繋がっている(2)
    <ティトムとの共振>

    サブプライム問題に始まった世界同時経済危機は、いってみればグローバリズムの破綻です。アメリカはこれから大きく転回するでしょう。某経済学者がグローバリズム理論を推奨していた自らの理論を破棄して、ローカリズムに転向してしまいました。環境を重視して、モンスター=自由主義経済に鎖をつけなければならないと言うのです。ここまでは当然なのですが、しかし、その、締めくくりに唖然としました。なんと、「欲望を抑制しなければならない」と言う精神論で終わっているのです。何のことはない、仏教と同じです。四次元能では、それでは解決にならない。だから、「如何にして、欲望を抑えるか」を、主題にしているのです。

    今回の舞台は「クラインの壷と虚の世界」の続きです。下記を参照してください。

    http://momloveu.com/titom-teller-j/index.files/Page897.htm

    以下、その編集的引用です。

    光の欲望は苦を随伴しますが、そこには必ず時間が隠れています。この時間は空間から分離されたものです。時間が分離された時からが苦が始まったのです。今さら、光の甘言に載せられた現生人に文句を行っても始まらないでしょう。簡単に乗せられるだけの理由があったのです。悟りを得るためにも、四次元時空意識を取り戻すためにも、その理由を知っておくべきでしょう。

    時間を空間から分離させるのは簡単です。定規を用いて線を引くことを考えてください。その線は時間を書き込むのに便利でしょう。それを時間軸といいます。それに沿って行動を書き込むでしょう。これがスケジュール、つまり時間割り表です。このスケジュールには、過去・現在・未来が表現されています。これによって、思考が発散しやすい右脳を規制して効率的に行動ができることになります。左脳の振る回転です。左脳優位は、優等生ですが、実は、次元低下、つまり二次元人間の生成なのです。学校というのは、二次元、三次元人間の作り出す次元低下装置なのです。始業のベルがなります。一斉に本を開くでしょう。そして、終業のベルがなります。一斉にルームを飛び出すでしょう。このように集団的整列行動は次元低下のなにものでもありません。このような標準化は文明全体の問題なのです。標準化、効率化という欲望の過剰生産が資本主義という装置の中で循環しているのです。その循環の度に時間が空間から分離される反動として、人間は苦を何重にも塗装されるのです。

    そのような光の欲望と時間について考えたことがあるでしょうか。時間について、よくよく考えてみると、その必要があるのです。学校のベルならば、パプロフの犬のことを思い出すでしょう。しかし、それを思い出しても何の足しにもならないでしょう。私達はもっと時間と光について真剣に向き合わなければならないのです。これは光害問題なのです。現在とは何時のことなのでしょうか。時間には巾があるのでしょうか。時間を物指しに例えると言うことは暗黙に、直線的に進むことを前提としています。直線的に進むというのは光の性質です。しかし、それは実は光のまやかしなのです。只今の時刻を、丁度正午とします、しかし、正午の時報がなった時は、すでに過去です。禅では生死を諦めることが、修行の目的であるといいます。それで「生の死にならない」という言い方で、時間の直線性を否定して、死に対する悟りを開かせようとするのです。禅では、時間について次のように説明するのです。

    生きている時は死んではいない。死んだ時は生きてはいないから、死を体験できない。死につつある時は、まだ生きて、死を体験できない。だから死の時という現在はあり得ない。死の恐れとは、死そのものではなく、死に対する恐怖なのである。

    分ったような分からない説明ですが、要するに、私達は時間については分っているつもりなのですが、実は明確ではないのです。私達の常識では、死の瞬間とは医者が御臨終ですと宣告した時です。しかし、よくよく考えてみれば、それは本人には関係のないことです。その時は意識がないでしょうから、その瞬間という現在はないことになります。この本人だけの時間を主観的時間といい、御臨終という時間の方は、客観的時間というでしょう。禅がいうところの「生の死にならない」というのは、この客観的時間で物事を考えてはならないということなのです。俗世界ではこの客観的時間認識がなければ、生きていけません。禅とは無意味なことをいっているのでしょうか。
    そうではないでしょう。死のような最大の恐怖こそが人間の解決すべき課題なのです。日常は客観的時間感覚でも良いのですが、いざと言う時のために、心の準備をしておかなければならないというのが禅の基本です。それは死の間際になってから修行しても間に合わないからです。日常を営みながら修行すべきだと教えてくれているのです。

    それには死と言う特殊な状態だけを想定するのではなく、万事において主観的、四次元時空意識を持つことなのです。もちろん、三次元意識を捨てることはできないことですから、共生する術を知ることが肝腎なのです。主観的ばかりでは精神病院行きです。

    万事において四次元時空の主観意識をもつということは、やさしいことではありません。ですから、道元の宇宙は難しいのです。ティトムでは、それを宇宙の四次元から攻めていこうということです。客観性をとことん突き詰めていけば主観に反転するというのです。本当にそうなるのでしょうか。

    客観的現在時間、即ち、只今の瞬間があるとします。それはどのくらいの瞬間なのでしょうか。正午時報の例で話したように、今、思っていたことを振り変えれば、それは過去であり、どうしようと考えれば、それは未来になります。考えている時は現在です。このように時間が列車のように通り過ぎていくというように考えると、今は今ではなく、過去は今でもなく、まして、未来は今ではないということになります。時間は不確定になるのです。客観的時間における、未来と過去と現在の区切りは曖昧なのです。俗世界では、曖昧でも生活には困らないので、どうでもいいのですが、苦からの解放を問題にすると大問題なのです。ですから、時間の意味を厳密に把握しておかなくてはならないのです。

    時間は通り過ぎる列車、いや、それより早い光です。光は直線的に進むのが好きです。時間とは光なのです。光は過去と現在と未来を通過します。光が通過する時に苦という現実=過去・現在・未来を意識化するのです。よって、苦とは時間=光です。苦からの解放とは時間=光の意識を無くすことなのです。この場合の時間意識とは光の直線的指向性です。この光が四次元時空を三次元空間と時間に分離したのです。時間が、何時分離したかを考えてみましょう。

    現生人は四次元時空体であったと言いました。西ヨーロッパに移動した現生人が洞窟から出て来た時に137億年から来た光の使者の甘言に載り、直線的思考により、文明という便利と快適さを選択して、それまで四次元時空体から次元低下させて、三次元空間と時間に分離してしまったのです。その最初の事件が日時計です。日時計とは、二次元平面に太陽の動きを直線で示したものです。こうして直線化が加速したのです。光の思考の特徴は断片化、段階化、線型化であり、それが、自我、都市、科学、生活、社会、組織等のすべての左脳の文明的側面に露出しています。ですから、悟りとはなにかというならば光意識からの解放であり、三次元空間と時間の再構成であるということのなるのです。つまり、四次元時空意識=四次元脳の回生なのです。

    これまで、欲望=時間=光といってきましたが、実は、実世界には陰と陽がありますが、往々にしてその対称性が破れて現れることがあります。つまり、欲望=時間=光にも、対称性があると言うことです。私達は、その片方を見ていません。真の欲望=真の時間=真の光を見ていないのです。対称性の破れがどのようにして現れ、どのようにバランスされるのかを説明するには、その仕組み、ダイナミズムが余りにも複雑なので、簡単には行きません。簡単に説明するには、複素平面を駆使しなければなりません。複素平面は四次元なのです。ですから、まだ準備が足りません。しかし、まもなく、シムハンターは、その仕組みにチャレンジすることになるでしょう。

    簡単に言えば、陰と陽を生成する仕組みがあるということです。それが宇宙の法則であり、生成の元になる虚にも陰と陽があります。つまり、虚の欲望、虚の時間、虚の光があると言うことなのです。それらの二つ虚が空というカオスを媒介にして実に反転するのです。その逆もあります。

    「虚を真」と読み替えれば、シムダンスは究極に真実=宇宙精神=悟りを探しているトレジャーハンティングだということになります。

    こういうわけで、悟りの実現とは四次元時空の述語的編集であり、編集行為それ自体が意識の反転、即ち、即非の証明なのです。実を物的俗世間として、虚を非日常的世界とすれば、悟りとは虚実を反転し、四次元時空の実現によって、虚実を禅循環、善循環させるのです。循環する毎に悟りが深まるという仕掛けがあるのです。同じ循環でも欲望生産の悪循環とは大きな違いです。悟りの善循環とはこういうことです。

    A悟(言語)によって理解して、C悟(瞑想)によって心身脱落して、D悟(表現)によって実証するのです。それを再び、A悟(言語)によって検証するのです。
    悟りについては、道元の悟りを参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070723845
    続く。

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  • from: 生成門さん

    2009年01月26日 16時30分10秒

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    虚実の世界は繋がっている(1)

    虚実の世界は繋がっている(1)
    <ティトムとの共振>

    やっとクラインの壷が登場しました。これまでも、クラインの壷は出ていたのですが、その役割は不明でした。これまでの内容をレビューしておきましょう。「陰陽クラインの壷」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100071801149
    以下、編集して引用しました。

    クラインの壷は下記より引用しました。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A3%BA

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    クラインの壺は、境界も表裏の区別も持たない曲面の一種です。表裏の区別を持たない2次元曲面には他にメビウスの帯があります。メビウスの帯が2次元のテープ状のものを捻り、表をたどっていくとそのまま裏に行き着くようにしたのに対し、クラインの壺は3次元のチューブをひねり内部をたどると外部に行き着くようにしたものです。また二つのメビウスの帯をそのふちに沿って貼り合わせるとクラインの壺ができます。
    ―――
    陰陽については下記を引用しました。
    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD

    以下引用です。



    陰陽とは、古代中国の思想に端を発し、森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から陰(いん)と陽(よう)の二つに分類する範疇です。陰と陽とは互いに対立する属性をもった二つの気であり、万物の生成消滅といった変化はこの二気によって起こるとされます。

    宇宙の最初は混沌(カオス)の状態であると考え、この混沌の中から光に満ちた明るい澄んだ気、すなわち陽の気が上昇して天となり、重く濁った暗黒の気、すなわち陰の気が下降して地となったといいます。この二気の働きによって万物の事象を理解し、また将来までも予測しようというのが陰陽思想です。

    ―――

    大極陰陽図とクラインの壷が合体しました。大極陰陽図とクラインの壷は合体するどうなるのでしょうか。

    <三次元の世界>
    大極陰陽図のみでクラインの壷は見えていないでしょう。生成と消滅が時系列となり、主語的論理、因果律が基本であり、「春は夏になる」でしょう。陰から陽へ、陽から陰への円環的循環、対称性が破れた世界、悟か迷いかどちらかの世界です。

    <四次元の世界>
    大極陰陽図とクラインの壷が合体しています。対生成と対消滅が同時に存在します。対生成=空即是色・対消滅=色即是空、空=中性=(A、非A)であり、
    生成と消滅が共時系列となります。述語的論理、非因果律、平行世界=即非論理=過去現在未来が同時に存在し、「春は夏にならない」し、春と夏は同時に存在する内外反転の循環です。対称性の世界(陰と陽、陽と陰)であり、悟と迷のどちらも同時に存在するでしょう。
    ―――
    今回の舞台は「クラインの壷と虚の世界」の続きです。下記を参照してください。

    http://momloveu.com/titom-teller-j/index.files/Page897.htm

    以下、その編集的引用です。

    原生人は四次元時空意識を持っていたのですが、光の陰謀によって次元低下を余儀なくさせられてしまったのでした。瞑想は、もともと持っていた四次元時空意識を取り戻すという作業であり、意識の反転なのです。瞑想は時空を反転させ、三次元から四次元に回生させるのです。悟りとは四次元時空意識ですが、日常の三次元意識とどう違うのでしょうか。

    意識と関係しているのが欲望です。あらゆる問題の根源=自我は欲望なのです。それで、自我を解体しなければならないのですが、ただ単に「欲を抑えよ」といったところでどうなるわけでないことは歴史が示しています。この欲望をどう扱うのか考えていかなければならないでしょう。

    欲望は生命本能なのです。ですから欲望は必要なのです。ところが、現代に於いては記号社会となり、記号によって消費欲が生産されることになりました。欲は希望と結びついて欲望になりました。希望とは未来を意味しています。つまり、欲がそのつど開放されないで、内部に蓄積されるのです。未来がラッチされ四次元化されるのです。正のフィードバックで話したように、これはきわめて危険なのです。ある限界を超えると歯止めが掛からなくなり、暴走するのです。現在、それが温暖化現象として顕在化しています。欲望が過剰に生成されることが問題なのです。正のフィードバックを四次元現象として理解できれば対処の仕方もあるのですが、私達はその認識がありません。四次元現象は左脳の認識には入らないのです。資本主義というのは光の装置=欲望の生産装置であり、四次元現象なのですが、それを物質面でしか見られないので始末が悪いのです。「過ぎたるは及ばざるが如し」なのです。過剰な欲望は処理しなければならないのです。ところが欲望は生産されっぱなしです。そして、そのまま物質的な処理に向かいます。欲望はエネルギーであり、エネルギーは時間なのです。時間は光の連れ子です。ただし、光を悪者にしていますが、実際には、光には陽光と陰光があり、私達は陽光しか見ていないのです。

    真の光を見ていないのです。シムダンス=トレジャーハンティングは、やがて、それを見ることになるでしょう。

    ここでは、欲望=エネルギー=時間=光という図式を覚えておきましょう。ついでに、時間は三次元意識=左脳ですから、欲望は過去に向うと反省意識になります。それが過剰になると悔やみや憎しみに転化します。一方、未来に向うと、期待や願望、希望となるでしょう。これが欲望なのです。しかし、このような欲望は、すぐに不安、猜疑心に転化するでしょう。いずれにしても、それらは虚のエネルギーと連動していますから変幻自在なのです。反転とは、虚のエネルギーが欲望に生成されることであり、欲望が不安になるのは、反転生成なのです。実に欲望とは厄介な代物なのです。欲望は取り扱い要注意、危険物指定なのです。光の欲望は苦を伴って随伴します。適度な苦は超克のエネルギーになるのですが、過剰になると身を滅ぼすのです。この当たりの、光と欲望、時間のメカニズム、生成流転のダイナミズムは複雑なので説明が困難ですが、これを簡単に説明する方法があります。それは複素平面を使うことです。四次元現象なのですから、複素平面を使わなければ無理なのです。
    それが旨く説明が出来れば、「虚実の世界は繋がっている」ことが実感できるでしょう。今は説明しませんが、今後のシムダンスでチャレンジして見ましょう。今はそのための準備です。
    続く。


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    2009年01月16日 20時11分20秒

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    浅田真央とスピン(2)

    浅田真央とスピン(2)
    <ティトムとの共振>

    ティトムはSFではありません。ですから、簡単に次元を上げて、なんでもありにはしたくありません。それだけは避けようと思います。今回の舞台はオデッセイ21「スピン」の続きです。下記を参照してください。
    http://momloveu.com/titom-j/index.files/Page2603.htm
    以下、編集して引用しました。

    ティトムでは、時間の正体を解明することに取り組んでいるのですが、まだ時間が保存されるというところまできただけです。これから先はどうなるのかは楽観できないのです。実は、これら見えない枠、入れ物、境界は、次元を超えているのです。だからなかなか見えないのです。これを見えるようにするには、コペルニクス的逆転回しなければならないでしょう。それには相当の心的エネルギーが必要なのです。そこで、四次元能・シムダンスに真っ最中のシムハンターにはエネルギーを補給してもらわねばなりません。それじゃエネルギー源をどうぞ。

    ナノサイズの「穴」を見る < 陽電子と小さな原子ポジトロニウム >を参考にして下さい。
    http://www.kek.jp/newskek/2005/novdec/positron.html
    以下、編集的引用です。

    ―――
    この図にあるように陽電子と電子が衝突して、180度、つまり、一直線上で互いに反対の方向にガンマー線が飛び出します。これは手裏剣ジェットそのものです。HH天体やK殻電子などは、ティトム球の宇宙生成サイクルのモデルなのです。その電子がある電子雲を探しに行けば、枠、境界があるかもしれないでしょう。それを探しに出かけましょう。

    もう一つのエネルギー源「電子と原子と分子と原子の結合」をどうぞ。http://www.sugalab.mp.es.osaka-u.ac.jp/~sekiyama/PES1/kaisetu2_1.html
    「金属結合と結晶のはなし」も参照してください。
    http://www.sugalab.mp.es.osaka-u.ac.jp/~sekiyama/PES1/kaisetu2_2.html
    「固体・結晶と気体での電子の振舞い」も参照してください。
    http://www.sugalab.mp.es.osaka-u.ac.jp/~sekiyama/PES1/kaisetu2_3.html
    「えっ、電子も波なんですか?」も参照してください。http://www.sugalab.mp.es.osaka-u.ac.jp/~sekiyama/PES1/kaisetu2_4.html
    ―――
    これで、電子雲に足場枠を組み込む準備は終りました。銀河に枠を建設しましょう。準備ばかりで、料理が食べられないようです。もう補給はないといったのですが、まだありました。足りない人はどうぞ。「ヘリウム 〜凍らない液体と動き回る原子の固体〜」を参照してください。
    http://www.sci.osaka-cu.ac.jp/phys/ult/invitation/helium/helium.html

    ―――
    原子を代表するヘリウムですが、不活性であり、単独で存在するこの原子に型枠を押し付けます。そうすれば、その他の原子や化合物も右習えするでしょう。ヘリウムが絶対零度でも流動性があるというゼロ点振動(不確定のため静止しない)に糸口がないか考えたのですが、ありそうでなさそうなので、別の切り口に向いましょう。踏み迷い、苦闘の末に、やっと、答えにたどりつきました。トリックみたいだとクレームは無しにして下さい。ティトムなりに少しずつ積み上げてきた結果と考えてください。努力すれば報われるのでしょうか。

    ****
    電子の軌道、電子殻、電子雲
    ***

    これらが型枠だったのです。この器の中で原子核と原子の中の事象の地平面が渦を巻いているのです。電子雲、事象の地平面、原子核という順にあるということです。固体では、結晶格子などが例の正8面体や正20面体を経由して、面点変換して、最終的に正4面体結合をし、「四次元的に突き抜けている」のです。

    「四次元的に突き抜けている」という表現が、「何か」を暗示しているようです。面点変換するということは、面が円盤で点がジェットなのですから、水平から垂直への変換があります。そこに「何か」が隠れているのです。風船を捻り二つの領域を作りジェットに繋ぎました。そこに捻りの特異点があります。それが「何か」なのです。

    一方、最初は、小さかった事象の地平面も、円盤から吸い込みがあり、内部圧力で膨らみ、重力、斥力を生み出しています。では、銀河の型枠はどうなるのでしょうか。やはり、降着円盤部分です。私達の銀河系では5本の腕の部分です。従って、太陽系、地球とそれぞれの事象の地平面の外側は枠ということになります。私達は枠に属する存在で、三次元の渦を見ているということになるのです。

    枠の正体が分ったということで終ってしまったら、ちょっと中途半端でしょう。渦と枠の話をもう少し補足します。ティトム天球の枠は、今は認識できませんが、必ずあると考えています。逆に考えると、枠を伴わない渦は存在しないといえるでしょう。

    「渦の影に枠あり、枠の裏に渦あり」です。

    渦がそのまま質量であるかのように見えますが、実際は、ティトム球を通して時間と空間を分割しているということです。このような結論になるとは、正直予想してなかったでしょう。これも瞑想で悟りの啓示のようなものがあったからなのです。車でカーブを廻る時、外に引っ張られます。この引っ張られるということはどういう意味なのでしょうか。問題はこの説明にあるのです。遠心力が働くという説明になるでしょう。これに毒されてしまっていたのです。遠心力とは何かと問わなければならないのです。これが不明なのです。

    ティトム天球からして、回転しているのが宿命の宇宙です。直線方向に、つまり、ベクトルのようなものは、ローカルでマイナーだったのです。光が直進するというのは錯角なのです。ジャイロ回転してボールを横から見ると、直線運動しているように見えるはずです。大きく円運動している物を、回転方向と同じ位置で見ると、上下に振動しているように見えるはずです。間欠泉は真直ぐに上に放射されます。しかし、それはすぐに頂点に達して戻ってくるでしょう。これが楕円銀河のように大きくなると、希薄化して消えてしまうのです。結局、直線は1次元運動であり、瞬間の集合だったのです。線は点の集合です。しかし、いつまでも、点々とはできないでしょう。回転モーメントがあり、円運動の外と内にそれぞれ重力と斥力がセットで組み込まれている空間があるのです。こういう結論になったためにコペルニクス的逆転回が必要なのだと言った訳です。更に、この重力と斥力のセットにラッチする真空が関係しているのです。先ず回転がありきで、次がラッチする真空で、重力と斥力のセットができるのです。

    ここまできたらティトム天球の型枠を見つけたいというが探検家の本能です。時間のことや、光を越えた存在もありそうなので、更に続けましょう。スピンのテーマもだいぶ長くなってきましたので、そろそろ次のステージに移行しましょう。そう思っていたのですが、ゲージ理論(対称性)があり、今のままではゲージ不変とはならなくなります。ティトム天球は回転しているとして、その回転軸はどうなっているのでしょうか。ミソスリ運動とかありますが、電子軌道には軸は無いということです。しかし、太陽系の星たちは自転軸を持っています。そこで銀河にも回転軸があるのでしょうか。自転軸、回転軸などゲージ場を交えて考えないといけないようです。どうも回転軸がどうなっているのか分かりません。やはり、HH天体や銀河には、回転軸は無いのではないかと考えるしかないようです。降着円盤の中心を軸だと考えていたのですが、様子が違うみたいなのです。これは、2.5次元の渦です。たばこの煙のトーラスと捻り風船を合わせ、さらに正4面体のティトム球で三次元を貫いたのです。いわゆる三次元の渦は、降着円盤や電子殻の枠というケースに包まれた状態なのです。このような渦はそこかしこに見えますが、回転軸、自転軸についてはトーラスの軸がそのように見えることがあるだけで、あえて軸を固定する必要はなさそうです。

    さて、円盤と正四面体、ジェットがつくるティトム天球は、直交座標であり、垂直統合であり、主語思考であるとしましたが、そうではないことが判明しました。その良い例があります。真直ぐに進むとされた光でさえ宇宙空間では戻ってくるのです。只、余りに広大なので、どこまでも直線的に進ように見えるだけなのです。

    浅田真央が、スケートリンクでスピンをしながら滑って行くが決して真直ぐではありません。リンクの淵に沿って曲るのです。リンクは天球の枠なのです。
    このテーマ終わり。

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    2009年01月16日 17時13分32秒

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    クラインの壷の登場

    クラインの壷の登場
    <ティトムとの共振>

    四次元能では、虚とは四次元を意味します。非物質的なもの、例えば、精神、時間などは虚なのです。虚と実は差異であり、絶対的な不連続です。物質上の差異は、多様ですが一見不連続に見えても、氷と水のように連続です。しかし、精神と物質は本当に不連続です。このような実と虚の不連続を同時に扱うには複素平面を持ち出すしかありません。


    双曲線軌道を描く彗星はオールトに雲に消えるとき未来に行きますが、それが戻ってきてしまいます。電子も同様な振る舞いをします。パラノ脳にも未来が既に含まれています。畳み込まれているといったほうが良いでしょう。「時間と空間を畳みこむ」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076514902

    そこに共通するのは未来という時間が来る、既に未来があるということです。何故、未来に行って戻ったり、未来が既にあるのでしょうか。それを説明したのが正四面体重合です。正四面体重合は、面と点が接しており、そこで反転します。つまり、内側が実とすると外側が虚であり、それが面点で反転して繋がっているのです。これを未来から戻ってくる、未来があるなどと表現したのです。このような虚は三次元で表現すると死後の世界の話になってしまいます。死後の世界は未来ですから、戻ってくることは出来ません。しかし、それが戻ってくるということになると、オカルトの世界になってしまいます。電子や彗星の世界はオカルトの世界の話ではありません。それは、不連続が連続化したということであり、未来から戻ってきたとしか言えない現象なのです。それで虚の世界に反転して更に実の世界に反転して戻ってくるという言い方になるわけです。実と虚を同時に扱うには複素平面を持ち出すと、このような不思議な現象も三次元で取り扱えるのです。複素平面が死後の世界などを相手にしているだけではなく、電流の計算でも用いられているように、実に現実に有効なのです。そうです。どのような仮説であれ、思考の道具であれ、有効性こそがそれを正当化する決め手なのです。実と虚が反転する世界を説明する方法は、他にもあるでしょう。そのうちで、もっと強力な思考の道具があります。それがクラインの壷です。クラインの壷はこれまでも、余り説明しないできましたが、やっと、ここで、それを登場させる舞台が来たようです。今回の舞台は「クラインの壷と虚の世界」です。下記を参照してください。
    http://momloveu.com/titom-teller-j/index.files/Page897.htm

    以下その編集的引用。


    彗星も電子も姿を隠した時は、過去か未来に散歩に行っているようだと言いました。そして、「未来は虚」であるとしました。それなら「過去も虚である」ということになります。虚とは現在の実世界に対する想像上の世界のことです。私達は現在の実世界ばかりに、自分達が住んでいると思っていますが、それは錯覚です。想像上の世界といっても、それを想像するのは私達自身です。ですから、私達はいつも虚と実の世界に同時に棲んでいるということなのです。それを、便宜的に分離して、虚に世界を無意識に無視しているのです。そのように仕向けたのは自我であり、光の陰謀であると言いました。「光の陰謀(1)〜(7)」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100077569992

    要するに、実世界というのは、私達が四次元から勝手に作り上げた三次元である言ってよいでしょう。私達には意識が絶え間なく働いている生き物ですから、その認識できる世界というのは、虚を含んでいるのです。意識あっての世界なのです。四次元とは、まさにこの生きているという世界のことなのです。想像上の世界というのも意識あっての世界なのです。ですから虚と実を区別しても、実際は分離出来ないのです。

    虚と実が同居しているのが四次元なのですから、ここを基点に考えて行きます。そうしますと、何故、虚と実を反転させる必要があるのかということです。これが解けると四次元の世界がもっと身近になるでしょう。

    ティトムは仏教と物理をシムダンスしているのですから、実と虚を混在させて料理するようなことは、簡単に解決しなければならないのですが、まだ、「こうだ」という結論は得られていません。いずれはすっきりと「こうだ」と言える悟りの時がくるでしょう。

    虚と実を同居させているのが私達の世界=四次元だといっても、簡単には受け容れてもらえないでしょうから、今は三次元に住む私達の俗世界を実世界、あり得ない仮想の世界を虚の世界として話を進めていきましょう。そして、ありそうにもない反転が実際に起きるのだということを示したいと思います。ありそうにもないことが最初に起きるのは、未来/過去と現在、即ち、虚と実が入れ替わるということです。続いて、未来/過去と現実、即ち、虚と実は繋がるということが起きます。それはどういうことなのでしょうか。果たしてそんなことが本当に起きるのでしょうか。

    現実の世界ではあり得ないこと、「未来と過去を散歩している」と言ったのですから、話をまとめなければ、もし落語ならばお客は怒り出すでしょう。しかし、ここはお客の少ないブログです。怒り出すお客もいないかもしれません。しかし、未来のお客のことを考えて四次元的模範解答を用意しておきましょう。

    「オールトの雲」の中には双曲線軌道をする彗星がうじゃうじゃいると言いました。もしそうならば、未来や過去に散歩する彗星ばかりです。その双曲線軌道がどうして未来や過去に行くことになるのでしょうか。そのイメージをもっと明確にしましょう。それを示せないようでは述語的天球反転驚愕動地のシムダンスが廃れるでしょう。種明かしではないのですが、四次元能には得意技があります。それが虚実反転シムテクノロジーです。それを仕込んでから探検しようとしているのですが、いきなり難問が降り掛ってきたので、対処に四苦八苦しているところです。それでも四苦八苦することが難問解決のエネルギーになるかも知れません。探検を続けましょう。これまでの探検から分ったことは、宇宙には反転の仕組みがありそうだということです。それならば宇宙が作り出した脳にも同様の仕組みがあるはずです。このように考えることを相似の思考といいます。相似の思考とは、A=C、B=C、ならば、A=Bということです。宇宙と脳の相似、即ち、述語的共通性=Cを発見することがシムダンスの目標なのです。

    宇宙と脳の述語的共通性から同一視することを述語思考といいます。「宇宙の現在には未来がある」「脳には未来がある」のですから、「宇宙は脳である」ということになります。これが述語的共通性から同一視する述語思考であり、未来は虚であるのですから、複素平面で表せる四次元時空なのです。従って、宇宙と脳は四次元であり、それらは共振しているはずです。このことを証明しなければならないでしょう。これはまだ妄想的仮説です。何しろ、光の陰謀がまだ生きているのですから、これを証明するのは容易ではありません。

    そこで、脳からダイレクトに探検するのはほどほどにしておきます。脳科学の進歩が遅いことがその理由です。これが頼りにならないとすると、後は瞑想による内観しかありません。それで道元とのシムダンスも始めているのですが、こちらもどうも進みは芳しくありません。そこで宇宙の方から攻めてみようというわけです。宇宙を攻めているのは脳ですから、宇宙に四次元を発見できれば、自ずと脳はそれを認識するでしょう。その時には、脳に於ける四次元が理解できると思うのです。そのときに始めて「脳は宇宙である」ということになるでしょう。この意識が芽生えた時に、脳が脳を生成(回生)したということになるでしょう。そのような生成が起きることを期待してのティトムとの共振なのですが、遠慮がちに使用していた四次元という言葉が乱発されるようになってきました。これはティトムの自信の現れなのでしょうか。それともトレジャーハンティングの戦略的アプローチなのでしょうか。いずれにしても四次元時空を編集するということです。新しい価値、概念、仮説を生み出すと言うのは生成であり、それの検証も生成なのです。生成とは編集なのです。この四次元時空の編集が上手く行けば、未来と過去が繋がっていることの証明になると思うのです。

    編集という方法は、四次元能のスキゾ思考の基本ですが、別稿で詳しく述べるつもりです。簡単に言えば、すべての無意識的行為、意識的行為に拘わらず、脳が介在する行為は編集だということです。

    例えば、朝起きて始めにすることはトイレに行き、顔を洗うことでしょう。そのすべての行為が編集なのです。蛇口を捻るにしても、手が動き、捻り、水加減を調整します。そこには時間と空間に関する脳とのやりとりがあるでしょう。脳は空間を認識して時間を意識しています。別の言い方をすれば、情報を処理しています。この処理の仕方には、三次元的処理と四次元的処理が混合されています。無意識にやっている時は四次元的です。外から帰ってきて手を洗う時等は、殺菌するという意識が働くので丁寧になるでしょう。つまり、時間が分離されて、次元低下が起き三次元的となるのです。今日の一日をどのようにして、過ごすか等を思いめぐらす時は、もっと三次元、いや二次元、一次元的になるでしょう。

    ここから類推すると分かるように、瞑想は情報の編集なのです。道元は脳の中の思い巡らすことを経歴するといいます。経歴して配置して眺めることが瞑想なのです。これは極論すれば検索すると言う意味です。つまり、瞑想は無意識が参加する四次元的編集なのであり、悟りとは四次元時空意識なのです。瞑想では、主語論理ではなく述語論理で思考しますから、述語的共通性により思考は発散する方向に行くでしょう。発散思考によって異質なもの同士が突然結びつき、その間に相似な形を発見するのです。その時に即非的反転が訪れるのです。「私は宇宙である」などということになるのです。

    四次元能では、瞑想と同じように述語的共通性を手かがりに宇宙に意識が向いていきます。四次元能では、瞑想ばかりではなく、瞑想の延長としてのインターネット禅による瞑想、即ち、検索中心のシムダイアグラム的編集をしていきます。シムダイアグラムというのは反転のテクノロジーなのです。当然、ここでも主語論理ではなく、述語論理ですから、思考は発散する方向に行くでしょう。まるで、原子核の回りをぐるぐる回る電子のようです。原子核を主語とすれば、電子は述語となるでしょう。そのような回転から軌道が飛躍して、四次元へのトンネルを発見することになるでしょう。その時は、必ず外は内、内は外の即非的反転が訪れるでしょう。この反転で宇宙に四次元時空を発見できれば万歳です。その時には自ずと脳はそれを認識するでしょう。その瞬間が、脳が四次元時空を編集したということの証明になるでしょう。

    さて、四次元時空意識が悟りであり、そのための編集が瞑想であると言ったわけですが、悟りと時空の関係が今一つ明確でないかも知れません。俗世界の意識は三次元時空意識です。もともと人類は四次元時空意識を持っていたのですが、自我によって、光によって、次元低下を余儀なくさせられてしまったのでした。
    光の陰謀であると言いました。「光の陰謀(1)〜(7)」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100077569992

    悟り=即非的述語論理=複素平面=四次元時空=正四面対重合=反転の関係=色即是空・空即是色=未来からの生還はクラインの壷の登場で一気に光の陰謀を打ち砕くでしょう。


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  • from: 生成門さん

    2009年01月16日 11時45分18秒

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    実と虚の反転ストーリー

    実と虚の反転ストーリー
    <ティトとの共振>

    四次元能で四次元という場合は「虚」を意味します。虚とは未来の時間のことです。脳にも虚があります。ですから未来を持っているのです。その証拠はスキゾの「かすかな兆候を読む」能力にあります。未来はこちらが出向くから見えてくるのではなく、先進波のように向こうからやってくるのです。もっと言えば、脳には遅延波と先進波が同時にあり、ループしているのです。ですから、脳には時間がないとも言えるのです。今回の舞台は「オールトの雲」の続きです。下記を参照してください。
    http://momloveu.com/titom-teller-j/index.htm

    以下、その編集的引用です。

    電子が二重性格=即非性=実と虚の同時性であると暴いてしまいましたので、今度は、ハレー彗星の性格を暴く時が来たようです。

    「原子構造の変遷」と同じページにある「ハレー彗星」を参照してください。
    http://www.geocities.jp/ikuro_kotaro/koramu/gensi.htm
    以下、編集して引用しました。
    今日では、600個程度の彗星の軌道が知られていますが、半分近くは太陽を焦点とする細長い楕円軌道を運行し、残りのほとんどは放物線を、そして少数のものが双曲線を描いています。放物線や双曲線軌道というと太陽系の外から飛来したようですが、彗星が観測できるようになるのは太陽の近くにきてからであり、木星や土星の重力で軌道が変わってしまうのです。すなわち、惑星の軌道は楕円軌道であるのに対し、彗星の軌道は楕円、放物線、双曲線いずれのこともあります。もちろん永久に太陽のまわりを回る彗星は楕円軌道ですが、太陽系内部に一度だけ入って去り、再び回帰しない彗星は放物線または双曲線上を動くとみなされます。 ハレー彗星は76年周期つまり人間の一生の長さとほぼ同じ周期の細長くのびた楕円軌道になっていて、あまり長くのびているのでニュートンなどは放物線軌道ではないかと思っていたほどです。しかし、76年ごとにやってくることに気づいたのがニュートンの親友ハレーで、ハレーは力学的軌道計算によってハレー彗星の素性を明らかにし、1758年に再び地球に接近することを予告して1742年に没しています。 回帰する彗星の中では、ハレー彗星は周期が短いほうに属し、一番最近では1986年にやってきました。ハレー彗星のように周期が200年以内の彗星は短周期彗星、日本で有名なイケヤ・セキ彗星などは長周期彗星に分類されます。短周期彗星は現在約120個知られていますが、それらの軌道面は惑星の軌道の近くにあり、木星や土星などの重力で太陽近くに捕らわれたものと考えられています。一方、長周期彗星は惑星の軌道面とは無関係に分布しています。

    人間のタイムスケールは天文学的なタイムスケールよりずっと短いですから、彗星の場合、現実問題として長い時間(とはいっても天文学的には短い期間にすぎない)の観察は所詮無理で、軌道全体にわたる天体観測には限界があり弧の一部が観測されるに過ぎません。一直線上にない3点を通る2次曲線、3点を通る3次曲線はただひとつ存在しますが、それは座標軸の方向が定まっている場合であって、一般には、平面上の任意の位置にある5点が唯一の円錐曲線を決定します。ニュートンは「プリンキピア」のなかで5点を通る円錐曲線の作図法などを案出しながら壮大な天体力学を展開しています。円の一部であれば3点を与えれば軌道の大きさと位置を決定できますが、座標軸の方向すら定まっていない一般の円錐曲線では小さな弧だけで軌道全体の大きさを計算することはできません。そのため、天文学者は、軌道がほぼ放物線である場合に、数回の観測だけで、長軸の非常に長い楕円で再び帰ってくるのか、放物線あるいは放物線に近い双曲線であって決して帰ってこないのかを判定するのにしばしば困難を余儀なくされることになります。放物線を一方向に変形すれば楕円になり、反対方向に変形すれば双曲線になるからです。
    ―――
    彗星は、人間の認知の限界を知らされます。それを乗り越えるのは、虚の導入しかありません。もっとも、虚の導入する必要はなく、もう既に、脳には虚が住み着いているのですが。そこで勢いに乗って、楕円軌道を選んだ彗星は実時間、双曲線軌道を選んだ彗星は虚時間、虚円に属するとしてみましょう。この虚を選んだ彗星が双曲線軌道の振動によって太陽に水素を供給しているのです。つまり太陽の寿命を維持しているのです。つまり、双曲線軌道を選んだ彗星がオールトの雲の中に落ちていくのです。太陽を蜘蛛として、オールトの雲を蜘蛛の巣とすればわかりやすいでしょう。彗星は餌なのです。もっといえば、太陽の事象の地平面がオールトの雲であり、ここが太陽系の最後の砦なのです。双曲線軌道は虚を扱うのでマイナーになりがちですが、電子のように二重人格者が現れたりすると、とたんに楕円軌道では扱えなくなる代物なのです。しかも、オールトの雲の中では双曲線軌道の彗星がごちゃごちゃいるのです。これでは楕円はお呼びではないでしょう。そこでティトムでは双曲線軌道が宇宙の本質であるとします。このように双曲線に脚光を当てるのは、なんとかして電子の軌道の飛躍のような現象をオールトの雲の中で見たいという思いの現れと思ってください。それが瞑想の効果を倍にするのです。是非やってみてください。いずれもっとすごい瞑想術を披露します。ほら、もう、瞑想の効果が現れました。どうにか虚の軌道が見えたようです。

    正4面体重合の図を参照してください。この図で、太陽を2番の正4面体に例えてみます。
    http://momloveu.com/titom-j/index.files/Page1234.htm
    以下、引用しました。


    2番の球をオールトの雲として、その中のある彗星が衝突等で内部に落ちてゆくとします。衝突の場合、双曲線軌道を取るとします。ある焦点をスイングバイして、雲に戻ったとき、消えるでしょう。そして虚の軌道に移ります。これが未来に飛躍した現象です。2番の4面体の頂点が接している3番の4面体の面に伝わり、2番の別の頂点を伝わり、再び実の世界に姿を見せます。これが軌道の実虚の反転のストーリーです。

    2番の頂点→3番の面→2番の別の頂点

    オールトの雲の内側にあり、重力などで自然落下を開始した彗星は実の軌道を通り、降下を続け、焦点が2つある楕円軌道を通ることになります。一つの焦点が太陽で、もう一つの焦点は降下をするきっかけを作ったのです。例えば惑星とかになり、何万回(見たことはないが)も楕円軌道を維持できるのでしょう。彗星が消えたからといって、驚くことはありません。予定調和の範囲で、近い将来姿を見せるのでしょうから。来るべき近未来への旅をしただけなのです。今のところ私達に見る能力がないだけなのです。ブラックホールの周りの鳥の巣状の雲、オールトの雲、電子雲、雲の姿が虚の軌道の存在を教えてくれていたとするならば、これこそが悟りの境地=実と虚の反転です。それでも、オールトの雲は仮説の世界です。本当に未来から戻ったと言えるのでしょうか。ちょっと不安が顔をのぞかせます。悟りとは、そんな程度のものなのでしょうか。そうではありません。まだまだ、悟りの段階が低いのです。もっと瞑想をしましょう。私達の三次元で未来と過去を見せましょう。チラッとだけですが。未来からやってくるという波があります。以下「先進波」を参照してください。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E9%80%B2%E6%B3%A2

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    以下、編集して引用しました。

    先進波とは、マックスウェルの電磁方程式から算出される通常とは逆向きに進む波のことです。先行波ともいいます。マックスウェルの電磁方程式を解くと、
    波動関数=時間が前に進む波+時間が後ろに進む波
    となります。式の前項が通常の波である遅延波です。ここで後ろの項も数学的な解としてはありえるものであり、この波は数式上時間軸的に遅延波とは逆向きの成分をもっているように見えます。
    球面波の場合を考えてみましょう。球面波では原点に波動の原因があり、遅延波は中心から外側へと広がる波です。これに対して外側から中心へと向かう波が後項の波ですが、この波は時間軸的に周囲から押し寄せて来て波の元となった時と場所で一点に集約する波となります。波動を起こす原因の中心の原点から広がっているとすると、この波は時間を遡って過去へ向かっていると解釈しなければなりません。そのためこの波を先進波と呼びます。
    通常、先進波は因果律やその他の物理的経験常識から意味のない解として捨てられ遅延波のみを物理的に意味のある解として採用します。
    ―――
    先進波を捨てるのは賢明でしょう。しかし、ティトムでは時間をかけて、先進波を捨てないで、意味を持たせてみたいと思います。「未来からやって来る波」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100077764803


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  • from: 生成門さん

    2009年01月16日 11時40分05秒

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    未来とは虚である

    未来とは虚である
    <ティトとの共振>

    双曲線軌道を描く彗星は、戻ってこないとされていますが、ティトムでは戻ってくると考えています。それは、双曲線は楕円を二つに割って、お椀にして球の中に捻って閉じ込めて考えてください。そうすると実の方の軌道が「行き」で、反転して、途中に虚の軌道に移り、又実に戻ってきます。これが、未来に行って戻ってきたとする輪廻の彗星です。この虚についてはもう少し詳しい説明が必要でしょう。何しろ四次元能の四次元と言う意味は「虚」なのですから。今回の舞台は「オールトの雲」の続きです。下記を参照してください。
    http://momloveu.com/titom-teller-j/index.htm

    以下、その編集的引用です。

    ボイジャー1号は双曲線軌道で飛んでいるそうです。もう既に、未来にいっているのでしょうか。「オールトの雲」付近では、双曲線軌道はねじれているのでしょうか。もしそうならば、その当たりで彗星は虚の軌道に移るのでしょうか。虚の軌道に移れば、私達には見えなくなるでしょう。では、虚と何かでしょうか。その答のヒントがここにあります。すばらしいページです。以下の「原子構造の変遷」を参照してください。
    http://www.geocities.jp/ikuro_kotaro/koramu/gensi.htm
    以下、編集して引用しました。

    原子とは小さな電子という惑星が中心にある原子核という太陽の回りを旋回するというイメージをいまも多くの人が思い浮かべてしまうでしょう。ハレー彗星が出現した1910年、人類はまだ原子がどのような構造であるのかさえもよくわかっていなかったのです。先ず、最初にあらわれたのが、トムソンが考えたブドウパン・モデルです。プラスの電荷がパンで、電子が点々している状態を考えたのです。次に現れたのが、長岡・ラザフォードモデルであり、太陽系をモデルとしました。α線散乱実験によって確認されたのですが、α粒子の軌跡は双曲線を描き、原子核のまわりを電子が円運動しているイメージです。原子の中はほとんど空虚であるとしました。このモデルにはいくつかの難点がありました。円運動をする電子は、電磁波を放出してエネルギーを失い、らせん運動をし、ごく短時間に原子核にぶつかり吸収されるのです。すなわち、原子は閃光を発してたちまちにして消滅し、物質は跡形もなくこの世から姿を消してしまうのです。しかし、現実の原子は安定しています。このように安定しているのに、消滅してしまうという矛盾を説明できないのでした。

    そして、しんがりに出てきたのが、ボーアモデルです。このモデルは、三つの不連続性を明らかにして、自然の秘密を暴きました。その三つとは、原子と電気素量とエネルギーの不連続性です。不連続のように見えるものを量子化の概念で連続かして、長岡・ラザフォードモデルの難点を解決したのです。量子化とは、アナログをデジタルにしたようなものです。しかし、このモデルにも不具合がありました。電子の運動を古典物理で説明しようとしたために複雑になってしまったからです。

    そして、ついに真のしんがりが登場しました。それは、電子は粒子と同時に電子が波動であるという量子力学的原子モデルです。それらはコインの裏表であり、電子は原子内の任意の点に確率で存在します。電子は粒子でも波でもなく、粒子であると同時に空間に広がる波です。電子は原子核を取り巻く雲として存在するのです。こうして電子の粒子性と波動性の二重性格が暴かれたのです。電子は理解しにくい二重人格者なのです。
    ―――
    電子の軌道は太陽系の軌道から類推されました。そして、電子は雲として存在するのです。まるで「オールとの雲」と同じです。「オールトの雲」付近では、彗星は消えてしまいます。つまり、未来に行ったのです。同じように、電子が雲ならば、未来に行って戻ってくるということになるのでしょうか。その様にいう根拠は、電子が波動と粒子の二重性格を持っているからです。波であれば、どこに行っても不思議ではないでしょう。しかし、その波が粒子でもあると言うのですから、もうこれは「悟りそのもの」というしかありません。悟りとは、色即是空・空即是色という、「有る・無し」が同時にあるような、絶対的に自己矛盾なのです。もしそうならば、二重性格者(ジキルとハイド)は仏なのでしょうか。ジキルとハイドは交互に現れ、同時ではありませんから、それを仏というのは乱暴な言い方でしょう。ただ、分裂していると言うことでは、左脳(パラノ)と右脳(スキゾ)に分裂した現代人は二重性格者であるともいえるでしょう。本音と建前を使い分ける日本人は、二重性格者ももどきと言っても良いでしょう。もどきと言ったのは、本音→建前→本音→だからです。これは同時ではありません。タイムシェアリング(時分割)なのです。ですから、二重性格者も本音・建前人間も、絶対的に自己矛盾=仏ではありません。

    精神分析では、パラノイアとは偏執型の執着性気質、スキゾフレニーを分裂型気質と言うようですが、ここでは、一般的な性格、つまり、スキゾーとは気分屋、引越し好き、一匹狼、運まかせ、いきあたりばったり、ワイルドと言った、右脳人間に見られる傾向を言います。パラノは日本人に多いでしょう。定住し、その道一筋の頑固さをもち、協調性や家族愛を重んじ、過去を引きずる左脳人間に見られる傾向を言います。ですから、スキゾは分裂病のことではないのですが、分裂病と親和性があるとは言えます。四次元能では精神病理学者の中井久夫氏の仮説を支持しています。以下を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100070762988
    以下、引用しました。

    精神病理学者の中井久夫氏の著書「分裂病と人類」の中にも分裂的親和性=右脳であることが著されています。中井久夫氏は次のように述べています。

    狩猟民は分裂病親和的であり、「かすかな兆候」を敏感に察知します。農耕民は几帳面に田んぼをこまめに手入れします。ですから、狩猟民の中では分裂病者は正常ですが、農耕社会では分裂病親和者は疎外されるのです。と述べています。

    確かに、スキゾは自分の近い空間のことは無関心で遠い空間のことに敏感です。遊牧民が地平線に敏感なのは視野の地平に現れた敵を素早く感知することが生きる智恵だったに違いないと思います。農耕民族は自分に近いところの空間、つまり畠、田圃で何が起きているのかが最大の関心です。こういうことからも農耕民族と遊牧狩猟民族では脳の働きが違うのです。
    ―――
    分裂病的親和性=スキゾは原生人=四次元時空体の気質だと思います。ではなぜ淘汰されずに残ったのでしょうか。その最大の特徴は「かすかな徴候を読む能力」であり、それが傑出しているから生き残ったのです。そしてその気質は原生人からモンゴロイドに受け継がれました。現代では農業と共にパラノ気質が優位になり、多数ですから、その集団の中では、かすかな徴候を読む能力の有用性が低下してしまい、時に失調を起こして病になるのが、自閉症であり精神分裂病なのです。このスキゾの最大の特徴である、「かすかな兆候を読む」という能力は時に占いに利用されたり、透視といったところに現われます。占いの起源が遊牧民であるというのも、このスキゾの気質に由来するだろうと思います。「かすかな兆候を読む」とはどういうことなのでしょうか。未来を読むなどという未来予測とは違います。それは左脳のすることです。占う、透視、読むというのは感じることであって、計算することではないからです。現代の占う、透視は左脳によって、ビジネス化されましたが、本来は、聴覚→右脳の脳力なのです。「かすかな兆候を読む」とは、未来を読むのではなく、未来がやってくるという性質のものなのです。いわゆる先進波(未来からやってくる波)です。ティトムの文脈で言えば未来をラッチ(記憶)するということです。未来から過去の時間をすべて畳み込んでいるので「物が見える」という話をしました。「何故物が見えるのか(1)」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076588450
    「何故物が見えるのか(2)」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076614037

    この物が見えるというのも、実は聴覚→右脳の畳みこみを利用しているのです。ということは、脳は時間が止まる特異な場所
    であるのですので、脳には未来が含まれているということになります。「脳は時間が止まる特異な場所」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076954760

    スキゾの「かすかな兆候を読むという能力」や、昔からよく言う、「枕元に現われる」といった類の現象は、脳には未来が含まれているということを示しているということになるのではないでしょうか。それをスキゾの代表である西田幾太郎は即非の論理として表現してのではないでしょうか。即非の論理には、時間がないのです。すべてが同時なのです。西田幾太郎は悟りのプロセスを次のように定義しました。

      出立ち  A=A
      踏み迷い A≠非A
      知り覚え A=A、A=非A
      還りゆく A≠A、A≠非A

    「電子は粒子でも波でもなく、粒子であると同時に空間に広がる波である」を即の論理で表現すると、次のようになるでしょう。

    A=A、A=非Aとは、
    A(電子は)=A(粒子である)
    A(電子は)=非A(波動である)
    つまり、電子は粒子であり波動でもある。

    A≠A、A≠非Aとは、
    A(電子は)≠A(粒子ではない)
    A(電子は)≠非A(波動ではない)
    つまり、電子は粒子ではなく波動でもない。

    悟りのプロセス(出で立ち、踏み迷い、知り覚え、還り行く)は、三次元的な時間の経過ですが、その論理には時間がないのです。時間がないということは、既にそこは三次元ではなく、四次元だということです。粒子が見えるのは実の三次元、波動は、すべてにあるのですから、時間がない、つまり、虚です。これを、色即是空・空即是色とも表現できます。この即非の論理の説明はこのくらいにしておきます。これから、たびたび出てきますので、覚えて置いてください。


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    2009年01月16日 08時44分08秒

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    未来からやって来る波

    未来からやって来る波
    <補完共振>


    太陽から発された光を考えてみましょう。光は四方八方に球面状に広がっていくでしょう。このような中心から外側へと広がる光を遅延波といいます。これに対して外側から中心へと向かう波があります。この波は時間的に周囲から押し寄せて来て一点に集約する波となります。中心から広がっている光が時間に沿って未来に向かっているとすると、この光は時間を遡って過去へ向かっていると解釈しなければなりません。この波を先進波と呼びます。この先進波は科学の世界では、意味のない波として見捨てられていますが、本当に意味のない波なのでしょうか。その可能性を探って見ましょう。下記の「先進波」を参照してください。http://mimas.web.infoseek.co.jp/sentan/papers/spacetm/spacetm1.htm

    以下、編集して引用しました。

    マクスウェルの方程式から導かれる波動方程式(波の伝わる状態)の解を求めると次の形のものが得られます。

    波動関数=A(時間と逆に進む波の様子)+B(時間と共に進む波の様子)  

    これを見ると、二つの項から成り、どちらか一方の項でも解となりうることが知られています。ということは解が二つあることを示しています。この解は先進波と遅延波と呼ばれます。係数Aのついている方が先進波で、Bの方が遅延波です。通常、私達は係数Bの方つまり遅延波のみを採用し、係数Aすなわち先進波の方は物理的に意味を持たないとして棄却しています。遅延波は時間的に遅れて波動が伝搬していく状態、つまり、私達が通常、認識できる波動の姿です。一方、先進波は時間的にマイナスの方へ進む波動の姿をあらわしています。時間的にマイナスということは現在から過去へ進むことを意味していますが、私達は三次元の世界で過去へ進む波をまだ実際に見ていないのです。数式上で現れてくるだけです。なお遅延波の遅延とは、衛星通信する場合の起こる遅延と同じ意味と考えて良いでしょう。電磁波
    は、伝搬する時間が遅れます。それによって通信情報が遅れて目的地に到着するのです。

    マクスウェルの方程式が出現して以来、多くの物理学者達はこの過去に進む波の意味について頭を悩ましてきました。しかし、もしも本当に先進波が存在したらどうなるのでしょうか。通信伝送工学者達は、さっそく有効な応用面を考えるのではないでしょうか。活動領域の広
    がる宇宙空間での通信伝送にとって願ってもないことだからです。先進波をもし実用で使えるなら通信遅延の問題は発生しなくなるでしょう。具体的には、どうすれば良いのでしょうか。それは先進波と遅延波のコンビネーションを利用することです。地球と火星のあいだの交信を例にとってみましょう。地球からは通常私達が知っている電波つまり遅延波を火星にむけて送るものとします。火星では 4.3分たってから受信されます。一方、火星からの返事は先進波を使って送信します。こうすると、地球上では火星の時刻より4.3 分さかのぼった時刻に受信されます。

    このように遅延波と先進波の組み合わせで、通信遅延の時間分をキャンセルすることが出来るのです。従ってリアルタイムで交信できるという驚くべきことが起こるのです。どんなに遠距離であっても時間的遅れについては関係ないものとなります。また、よく問題となる因果関係の逆転ということも遅延波と先進波のコンビネーションを利用するなら問題となることはないでしょう。もしもしという問いかけ(原因)があって、はいはいの返事(結果)があるように、あたかも対面して話しているような、ごく普通の現象だからです。ただ先進波が時間をさかのぼって情報を送ることができるなどということは常識的に理解できるものではないでしょう。物理学者を悩ませているのは多分このことだろうと推測します。

    しかし、宇宙の不思議というのは常識を超えるような現象があって当然という見方もあります。アインシュタイン時空では光速に近くなると時計の進み方が遅くなる等の例で知られています。先進波をどう考えれば良いのでしょうか。一つは自然界の対称性にあります。天と地、表と裏、前方と後方、電気と磁気のプラスとマイナスなどです。エネルギー的に考えると遅延ポテンシャルは通常のプラスのエネルギーとして未来へ進みますが、先進ポテンシャルはマイナスのエネルギーとして過去へ進みます。未来へ進む量と過去へ進む量があって自然界の均衡が保たれる、という考え方です。最近のホーキング博士の宇宙論では、虚時間というものの存在を強調しています。虚時間については先進波よりも、もっと理解しにくい概念です。波動方程式にあらわれる、このミステリアスな過去へ進む波、先進波もじつは虚時間を含めた複雑な関数(まだ十分に解明されていない)で説明がつくかもしれない実体の片鱗を見せているのでしょうか。ホーキング博士の野望は、宇宙全体を波動関数で記述すること、つまり神の設計構造を一つの方程式でまとめてしまうことであるといいます。電磁波の発見は人類の偉大なる遺産であるといわれます。マクスウェルの方程式に、実在を確かめることができるものと、そうでないものが混在していました。まったく数式上だけの話なのでしょうか。実在するが人間がまだ見出す方法を知らないだけで、いずれは解明されるときがくるのでしょうか。物理学とは数式で表されるものの実在を確かめる学問であるといいます。物理学者ならずとも興味をそそる話です。ここにあげた物理学上の謎が解かれるのを一つの楽しみにとっておくことにしましょう。
    ―――
    このように、先進波と言うのは想像上の波であり、実際には存在しないとされていますが、絶対に存在しないとも言えないようです。もし存在したら、トンデモです。山彦の場合をイメージしてください。「おーい」と言いうと、しばらくして、「おーい」と返事が返ってきます。ところが、「おーい」と言った瞬間に「おーい」と返事が返ってきたら、びっくりしてしまします。しかし、これは三次元の世界の話です。四次元の世界では、このような現象がありうるのです。四次元能はそのことを、三次元に居ながらにして示そうとしています。

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