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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2009年05月30日 19時55分07秒

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    魂はどこに行った(2)


    魂はどこに行った(2)
    <補完共振>

    脱魂・入魂のリサイクルは虚実のリサイクルであり、空のダイナミズムです。脱魂と入魂には、それぞれのルートがあります。空は二重構造であり、実空と虚空があります。魂が入魂するときは虚空・実空から、脱魂のときは実空・虚空へとなります。実空と虚空の空の二重構造は、四次元能の核心となるでしょう。

    入魂=現象化 (虚軸→虚空・実空→実軸)
    i*-i⇒+1、i*-(-i)⇒-1

    脱魂=次元化 (実軸→実空・虚空→虚軸)
     +1⇒i*-i、-1⇒i*-(-i)

    脱魂の背景にあるのは占いや進化のゲームにあるのと同じように無意識の願望であり、何をしてよいか分からないときに行う困ったときの神頼みなのです。過去に経験したことのない困窮した事態に遭遇したときには、混沌に身をゆだねるしかありません。

    トラに追いかけられて断崖絶壁に追い詰められた原生人は、泣き叫ぶか、飛び込むしかなかったでしょう。それでも、火事場の馬鹿力などの力が出るようなこともあるわけです。

    実際に、生命は40億年も前からそうして生き延びてきたわけです。人間だけが特別な知性があって、上手く生き延びて来たわけではなく、無数の犠牲と経験があって、命のリレーがあって今日があるのです。

    進化して獲得した知性であっても完全であるとは言えないようです。その証拠が占いという一見非科学的な行為が残っていることだと思うのです。まだまだ、人類はより完全な知を求めて進化の活動を続けているのでしょう。

    祈りや瞑想や明晰夢も脱魂、占いと同じように、その背景にあるのは偶然の必然化であり、「なぜかそうしたくなる」という無意識の願望でしょう。つまり、そこには阿頼耶識からの指令、空のダイナミズムがあるでしょう。それを検証してみましょう。

    巡礼に於いては、魂を鎮める、魂を癒す、魂との邂逅といった願望を人間が持つというのは世界共通のことのようです。
    その理由は、既に述べた通り、不安の解消のための無意識の願望です。

    そこには魂のリサイクル、即ち、空のダイナミズムが関係しているのです。イデアとしての汎魂とは別に意識現象としての心=個魂があります。魂の虚実リサイクルは、イデアから虚空を介して個魂が生成され、脱魂し、実空に戻り、イデアに再生すると説明しました。

    脱魂の場合に、実空への畳み込み(種子薫習)があるので、再生したイデアによって新しい魂となって進化していくということです。進化といっても良いことばかりが起こるのではありません。反共振のイデアエネルギーが反転してリサイクルすると集合地獄に落ちる魂もあるのです。

    魂の虚実リサイクル(脱魂)で、実軸に現象化した身体が死んでしまうと分解されて土や灰に戻りますから、収縮反転し、次元化(畳み込まれる)されて実空に戻ります。その場合の実空はどんな場所なのでしょうか。身体の戻った実空と個魂の実空とは同じ空なのでしょうか。

    身体の実空がなくなれば、個魂の実空=阿頼耶識もなくなります。只し、汎魂の実空はありますから、こちらにお世話になるのでしょうか。汎魂の実空はユングの集合無意識と同じと考えてよいでしょう。以後、実空と虚空を明記するのは必要な場合以外、省略して単に空とします。

    脱魂→→→実空(次元化)・・・虚空→→→イデア→→→虚空・実空→→→入魂(現象化) →→→脱魂→→→


    身体が生きている場合は、個魂は脱魂=次元化されて空となり、畳み込まれ、次なるサイクルの原点として虚軸を生成します。つまり、イデアに戻ります。そして、次なる実軸に膨張反転して同じ身体に現象化(生き続ける=入魂)させます。身体のほうも同じようにリサイクルします。

    魂と身体のリサイクルが共振していないと大変なことになります。心と身体が一致しないことになるのですから精神的な障害になるでしょう。「性同一性障害が教えること」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100079797905

    魂と身体と同じように、三次元に現れたすべての物質と生命は、すべてこの空のダイナミズム、虚実のリサイクル、魂のリサイクルを実践します。違うのは身体に属する魂のように、身体がなくなると、自らも消滅して、より上の階層の空に吸収されるということです。つまり、空は階層化しているということです。

    大事なことは、次元化(脱魂)するときに、すべての時空の記憶が空に畳み込まれて、次の段階で、それが反映された空を介して現象化(入魂)されるということです。これが進化であり、学習であり、自己同一性の根拠であり、種子薫習の意味なのです。

    この虚実のリサイクルで説明するにあったって注意すべきことがいくつかあります。その第一点は、過去の情報が蓄積され、未来に引き継がれると解釈すると、進化論ではラマルクの獲得形質の理論(突然変異ではなく学習によって遺伝する)と同じになります。メジャーな進化論では、学習によって遺伝するということは認めていないので、この点を検討する必要があります。種子薫習では、過去のすべての行いが、未来に影響すると考えていますので、獲得形質の理論に近いのです。この件に関しての詳細は別途とします。

    注意すべき第二の点は、現象化されるものの中には、物質に限らず精神(魂)も含まれるということです。虚軸を非物質的で測定できないもの、実軸を三次元の物質的で測定できるものとしましたので、魂や意識などは虚軸になるのが当然のように思えるのですが、実際の私達は、身体を持ち、精神も持っているという厄介な生物です。しかも、それらは現象したのです。

    そこで無意識は空、意識は実軸としました。無意識も身体に依存しているといえば、現象化したのですから、意識と同じ扱いにすべきなのですが、ユングの集合意識にあるように、それは、三次元を超越しているように思えるのです。無意識は空とすると、実と虚の側面を持っていて二重化しているので、四次元でもあり三次元でもあるのです。

    では、このテーマでもある「魂はどこに行ったのか」ですが、この答えは既に示しました。「魂はどこにあるのか」という方が、答えるのに困った質問になるでしょう。

    個魂の実虚リサイクルは、現象化と次元化のプロセスがリサイクルするというものであり、現象化は、イデアが空を媒介して身体に個魂が現れるということです。次元化は、個魂が空に畳み込まれるということです。ですから、個魂がどこにあるかという質問に答えるとするならば、「身体にある」となり、個魂がどこに行ったのかという質問には、「空」ということになるでしょう。「空」とは、実が虚になる次元化というプロセスの +1⇒i*-i、-1⇒i*-(-i)を支える即非の形{i*-i,i*-(-i)}であると言いました。

    アニミズム信仰では、すべての物には個魂が宿っているとしています。四次元能も同じように考えています。信仰と宇宙の原理の違いはあるでしょうが、アニミズム的な思考はそもそも人間にとっては、宇宙の精神の反映と言えるのではないでしょうか。

    アニミズムでは、その個魂がどのようにして生成されたのか、消滅した後、魂はどこに行ったのかについては明確にしていません。四次元能では、これを明確にしました。

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  • from: 生成門さん

    2009年05月29日 21時43分33秒

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    魂はどこに行った(1)


    魂はどこに行った(1)
    <補完共振>

    心霊術の幽体離脱、シャーマニズムの脱魂のような、魂が身体から離れて勝手に浮遊するといった信念や神話があります。魂が身体から離れて行った先が三次元でなければ、どこに行ったのでしょうか。脱魂と反対に入魂は、一球入魂、気合を入れるなど気安く使われています。これは何故なのでしょうか。

    占いは偶然を利用して必然化するゲームであり、それは無意識の知恵であり、進化のゲームの一部であるといいました。占いの流行は、不安を除去するために無意識の願望が行動させる様式でしょう。不安は知が進化した結果であり、時間の概念が生まれたことが直接的な要因でしょう。不安を除去したいという願望は進化のゲームの中で生まれてきたのですから、占いが地域、時代を超えて人類共通になったのは必然のことなのです。

    心とか魂とか、精神とか、意識とか無意識とか、非物質的なものが沢山でてきました。物質ならそれを構成する元素と分子とか部品とか言えるのですが、非物質的なものはそうは行かないようです。単に、呼び名が違うだけで、本来同じものではないでしょうか。精神を三つにしましたので、それに対応させることが出来るのではないでしょうか。まとめてみました。

    虚軸=イデア軸=虚空と陰陽がある
      -i 虚空{i*-i, i*-(-i)} i
    実軸=実空と±1がある
     -1 実空{i*-i, i*-(-i)}  +1

    現象化=膨張反転=虚空を介して実になる
    i*-(-i)⇒-1(反共振)    i*-i⇒+11(共振) 
    次元化=収縮反転=実が虚空になる
     -1⇒i*-(-i)    +1⇒i*-i

    宇宙精神    空のダイナミズム
    汎イデア精神  宇宙共通のイデア
    個イデア精神  実体個別のイデア
    汎心=汎魂   共同体の非物質的精神=文化=大和魂など
    個心=個魂   個的実体の非物質的精神=個性精神
    意識・気質・脳・文明・文化現象となる

    意識現象   意識・無意識
    気質現象   パラノ=アポロ><スキゾ=デォニッソス
    脳現象    左脳・右脳
    文化現象   パラノ=アポロ><スキゾ=デォニッソス
    文明現象   パラノ=アポロ><スキゾ=デォニッソス

    メモ的にまとめてみましたが、魂と心と個的な精神は明確に区別できません。言霊や精霊などというと更に混乱してしまいそうです。魂と心は同じとして話を進めていきます。

    先ず、基本として、空にイデアとしてのエネルギーがあり、i*-i⇒+1で虚から実になる現象化が起こります。イデアを魂の元とすれば、個の魂が現象化して身体に宿ります。この魂はイデアエネルギーが共振した結果の個の魂です。世俗的に表現すれば、i*-i⇒+1は入魂であり、生き仏でしょう。

    この人が死ぬと魂は+1⇒i*-iとなり、空に戻り、成仏したことになるでしょう。これが本来の脱魂です。イデアとしての魂と個の魂の区別は後で明確にします。

    i*-(-i)⇒-1で現象化した入魂は、イデアエネルギーが反共振した結果の個の魂です。世俗的に表現すれば、鬼のような人、恨みを抱いた人、或いは、後悔ばかりしている人の心でしょう。「仏作って魂入れず」といいますが、このことでしょう。

    この人が死ぬと個の魂は-1⇒i*-(-i)となり、空に戻りますが、成仏できない仏になるでしょう。脱魂したのに行き場にない魂のことでしょう。

    魂を考えるときに、生きているときと死んだ後を考えなければならないということです。

    生きているときは、身体は現象化しているのですから、魂も身体に付帯しているでしょう。一般的には、魂とは言わずに心と言われるのでしょう。ただ、入魂というように魂も使われます。心を魂とすれば、魂の所在は身体ないし脳ということになります。身体と脳はどう違うのかは後で吟味します。

    脱魂という現象は、実から虚になる次元化のことです。つまり、+1⇒i*-i、-1⇒i*-(-i)となることです。身体が死ぬときは魂が抜けるということです。しかし、生きているときも魂は抜けるのです。+1⇒i*-iは生気であり、1⇒i*-(-i)は生きる屍です。

    虚実のリサイクルは、それぞれの実体・物体・固体毎に、いつでも廻っています。例えば、細胞は新陳代謝をしていますから、細胞に宿っている魂は空に戻ります。
    これは入魂と言えるでしょう。

    同様に、睡眠をすれば身体は空となりましから魂は抜けるでしょう。死んだときだけが脱魂するのではなく、人間はいつでも脱魂しているのです。

    寝ていなくても、瞑想をすれば、心身脱落となりますから、魂は抜けるでしょう。
    このように、虚と実のリサイクルは、それぞれの空のあらゆる領域・段階において、いつでも入魂・脱魂して廻っているのです。ですから、魂は現れたり、消えたりしているということになります。死んだときだけが魂が抜けるわけではないのです。死んでいないのですから、直ちにi*-i⇒+1、i*-(-i)⇒-1で現象化(入魂)するわけです。

    いろいろな脱魂・入魂の虚実のリサイクル

    新陳代謝 虚→実→虚(細胞がなくなる)→実(新たな細胞が生まれる)

    瞑想 虚→実→虚(自我意識がなくなる)→実(新たな自我意識が生まれる)

    反省 虚→実→虚(欲がなくなる)→実(新たな欲が生まれる)

    気絶 虚→実→虚(意識がなくなる)→実(新たな意識が生まれる)

    現象化(虚→実) i*-i⇒+1、i*-(-i)⇒-1
    次元化(実→虚) +1⇒i*-i、-1⇒i*-(-i)

    従って、脱魂・入魂は、心身脱落、睡眠、忘我、反省、自覚、気絶など、あらゆる場面で起きているということです。もっと言えば、脱魂とは息を吐くことであり、気を抜くことであり、入魂とは、息を吸うことであり、気合を入れることであり、それらは、刹那・刹那の瞬間に起きているのです。

    ですから、心霊術の幽体離脱、シャーマニズムの脱魂のケースは、密教に於ける荒行やスポーツの特訓のように特別な状況を作り出して、心身脱落(意識の断絶)を行うのであって、それが虚と実のリサイクルの現象化のこととなんら違うことにはありません。

    結論としては、脱魂とは次元化(実→虚) +1⇒i*-i、-1⇒i*-(-i)のことであり、入魂とは現象化(虚→実)i*-i⇒+1、i*-(-i)⇒-1ということになります。

    生きているときを検討しましたが、死んだときも同様で、その場合は、身体がなくなるので、空の三次元レベルが元素(灰になる)に戻るので、魂は成仏した魂=イデアになるでしょう。

    虚実のリサイクル

    死亡 
    虚→実→虚(身体がなくなる)→他の虚に吸収される
    新たなリサイクルが始まる
    虚→実→虚(身体がなくなる)→他の虚に吸収される

    これまでの脱魂は、身体から離れて勝手に浮遊するといった特別な脱魂を意味していましたから、三次元世界ではテレビのエンタメ番組になることはあっても、決してニュースにはならないでしょう。

    四次元能では、入魂・脱魂は虚実のリサイクルとして、呼吸のような運動であるとしました。入魂が一球入魂・一滴入魂というように常識的に使われ、脱魂は特別なこととして扱われてきたのには理由があります。脱魂が死に関係するからです。

    脱魂の神話や迷信と同様に、宗教的な先祖の霊、背後霊とかの霊の話が多くありますが、昔の人は、その背後に何かを感じていたことは間違いないでしょう。そのような背景があることをはっきりと示したのは仏教であり、それを種子説といい、背景の力とは無意識であるというのです。

    その背後の力を四次元能では空のダイナミズム=イデアエネルギーといいますが、それと種子説は大変よく似ているのです。「種子説」については下記を参照してください。
    http://digitalword.seesaa.net/article/21897058.html
    以下編集して引用しました。

    「種子(しゅうじ)」とは精神機能を発現させ行動を生み出す根源的なエネルギーや原因のようなもののメタファー(隠喩)であり、種子からこの世界のありとあらゆる存在と法則が発生してきます。また外部世界へと飛び出た種子から形成される存在や事象は、阿頼耶識に印象(薫習・くんじゅう)を与えて更に新たな種子の発生を促進します。阿頼耶識と外部の対象世界は相互に作用し合っており、阿頼耶識が外部世界を認識し解釈する識を生み出せば、識によって認識される外部世界は阿頼耶識へと薫習(印象)を与えて新たな未来の因果を含んだ種子を形成させます。このような阿頼耶識(無意識)と一切諸法(外部世界・外部対象・法則)の間に働く相互作用のことを「種子薫習(しゅうじくんじゅう)」と呼んでいます。
    ―――
    このテキストを四次元能の文脈に変換すると次のようになります。

    イデアを種子(汎魂)とします。阿頼耶識を空として、識は現象化した意識(個心=個魂)とします。その「種子が生成される」とは、イデア=汎魂が空である阿頼耶識から膨張反転させられて現象化(魂が生まれる=入魂)することを意味します。

    「種子が薫習される」とは、現象を収縮反転させられる次元化を意味します。つまり、イデア=汎魂である種子が回収されて、空である阿頼耶識(脱魂)に戻されます。

    意識(個魂)はあらゆる存在や出来事を現象化させます。その現象世界の体験や感覚が反映されますので、次の新たな種子=個魂が阿頼耶識から生まれ、新たな現象化(個魂が生まれる=入魂)が始まります。

    この種子説では、虚軸と実軸が交差する特異点=空の形成、現象化=膨張反転=入魂、次元化=収縮反転=脱魂、空の二重構造(実空・虚空)という概念がないので、これ以上に精密な吟味は出来ません。

    無意識と外部現象世界の間に働く相互作用のことを「種子薫習」と呼んでいますが、これは種子生成を含めたサイクルと解釈できますので、「空のダイナミズム」=虚実のリサイクル=入魂・脱魂リサイクルそのものです。

    種子薫習を虚実のリサイクルに拡張してみましょう。

    虚をイデアとして根源のエネルギーとします。阿頼耶識は、二重構造であり、虚空と実空があります。虚空はイデアエネルギーを現象化させる入魂のチャンネルであり、実空はイデアエネルギーを回収する脱魂のチャンネルです。汎魂から個魂が生まれる入魂ルートと個魂が汎魂に戻る脱魂ルートが異なるということです。

    現象化とは、虚軸のイデアエネルギー(汎魂)を、虚空を介して実軸へ膨張反転し、意識現象(個魂の入魂)を含めた三次元世界(存在やら認識)を生成します。次元化とは、三次元世界の現象(個魂の経験=悔しい、やるせない、うれしいなど)を収縮反転して、実空に畳み込みます(脱魂)。

    実空には、三次元世界のあらゆる情報(快不快の感情、知識など魂の記憶)が閉じ込められます。実空の情報は虚空に移転され、イデアエネルギー(汎魂)は虚軸に戻されます。

    新しいイデアエネルギー(汎魂)が新しい虚空を介して、新しい意識現象(個魂の入魂)を含めた新しい三次元世界(存在・認識)が生成されます。

    以上が、四次元能流の種子説の解釈ですが、これで魂の行方を更に追及できるでしょう。

    脱魂と入魂のルートを実空と虚空としました。魂が入魂するときは虚空から、脱魂のときは実空へとなります。実空と虚空の空の二重構造は、四次元能の核心となるでしょう。

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  • from: 生成門さん

    2009年05月27日 15時14分45秒

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    占いは偶然を必然にするゲームか

    占いは偶然を必然にするゲームか
    <補完共振>

    「進化は偶然を必然にするゲーム」であるといいました。続きは「占いは偶然を必然にするゲーム」です。「進化は偶然を必然にするゲームか」は下記を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100082328001

    突然変異は、文字通り突然の出来事ですが、そこに全く因果(原因と結果)がないわけではありません。地球には宇宙からの放射能は降り注いでいますから、それが原因で遺伝子配列に変化が生じます。遺伝子の方からするとその変化は偶然の出来事でしょう。又、遺伝子が複製されるときにも間違いが生じますから、それが出鱈目に起きるので、三次元的には立派に偶然といえるのでしょう。問題は小さな偶然の積み重ねと淘汰だけで、これだけ精密な生命が本当に出来たのかということです。

    それが可能であることをシミュレーションゲームの例を使って示しました。ゲームの場合は、ゲーム自体を「戦略的な知性」になるように「意図するもの」、即ち、ゲームを作成する知性を持った人間が、ゲームの外部にいたわけですが、進化の場合は、どうなのでしょうか。いるとすれば神がつくったという創造論になるのですが。神を持ち出さないで説明は可能でしょうか。

    シミュレーションゲームで重要なことは、ランダム=「でたらめさ」=偶然性を上手く利用して、つまり、学習をさせて戦略的な知性を生み出しているということです。これを簡単に、「偶然」と言っているのです。これを四次元的な因果のない現象を見たときの不可思議さの「偶然」と混同しないようにしましょう。

    因果のある偶然=三次元の現象=進化の基本=ランダム=「でたらめ」

    因果のない偶然=四次元の現象=四次元性=宇宙の精神の表れ=空のダイナミズム=進化の背景=虚軸

    今後、「因果のある偶然」を四次元の現象と混同しない限り、単に「偶然」といいます。

    もし、進化を意図するものが外にある(いる)というなら、シミュレーションゲームに似ているのですが、今のメジャーな進化論では、あくまで主役は偶然です。

    一方、進化の大本である形=原形が先にあり、それが外部の環境や重力によって変化するのであり、遺伝子は後追いをするというアンチ進化論もあります。この説の問題は、虚=イデアのような原型ではなく、三次元的な原形ですので、その原形の原型は何かという無限後退(答えが出ない)が起きることです。

    進化の推進役が、重力であるとしても、偶然だとしても、進化を意図する何かが、あたかも、ある(いる)ように見えるのか、本当にある(いる)のかでは、雲泥の差があります。

    偶然を利用している、その裏に何かがあると思わせるものに占いがあります。星座占いや四柱推命は、生まれたという偶然の出来事(生年月日)を、星の組み合わせにより運勢を推察(必然)するという占術です。手相占いは、偶然に現れた手の相を意味(必然)付けします。

    当たるも八卦、当たらないも八卦の易占は、偶然を、筮竹(ぜいちく)を振ることによって作り出します。易では、偶然に出でた卦に意味(必然)があると考えるのです。

    それを信じる人は背景に、何らかの見えない力が働いていることを受け入れているということです。実際には、占い師や本人の解釈が入りますので、当たる・当たらないは恣意的になります。大概は当たるのは半分なので、当たるも八卦、当たらないも八卦となるのですが、当たらなくても見えない力を否定したことにはならないところがミソなのです。

    占いを信じて行動を選択するのも、選択しないのも選択ですから、進化が偶然を必然にするゲームであると同じように、占いも、偶然に出た卦を人生の運命に作用させるのですから、偶然を必然にするゲームといっても良いでしょう。

    占いが文明の発展した今日でも廃れないで残っているのは、人間の知性がどれほど進化しても、未来を正確に予測することは出来ないということ裏返し、つまり、知性が未熟であることを意味しているのです。ですから、偶然を利用するという知恵は、まさに、知性が進化の途上にあるということであり、その知恵は無意識であり、知性の外にあるのですから四次元性の表出ではないのでしょうか。

    このことを別の角度で示すものがユングのシンクロニティー(共時性)です。シンクロニティーとは時間と空間を超えて現れる共振する無意識の現象です。例えば、枕元に母の姿が現れたのは、母が亡くなったというメッセージなのです。この共時性は三次元の因果ではありませんから、四次元性ということになるでしょう。

    進化にしても、シミュレーションゲームや占いに於ける「偶然の効用」には意味があります。その第一は選択の多様性でしょう。決まりきった状況では検証された確かな方法が選択されるのが当然なのですが、混沌として状況では、いくら無い知恵を絞っても、どうにもなりません。この知恵=意識的な知は先ほど出てきた無意識の知恵とは違うものでしょう。

    三人がよれば文殊の知恵=知なのですが、それも効果がないときは、「でたらめ」にやることが良いのですが、なかなかできるものではありません。生物がそう場面におかれたときの行動様式には、「でたらめ」にやる例がありますが、プライドのある人間には無意識の知恵がない、或いは、出来ないので占いに頼るわけです。面白いことは、占いに頼る人と頼らない人がいるということです。頼らない人は、知がある人で、知恵がない人、占いに頼る人は、知がない人で、知恵がある人となります。これをスキゾパラノの文脈で考えると下のような図式になります。

    占いに頼る人=知がなく知恵がある人=無意識な人=四次元脳があるスキゾ

    占いに頼らない人=知があり、知恵がない人=自我のある人=四次元脳が無いパラノ

    人生は短いので、いろいろの占いを試すことはできません。まして結果が出るかどうかの保証がないのですから、すべてを頼るということは出来ません。それを裏付けるように、パラノ文明社会では占いは表舞台から消えたのでした。

    一方、「でたらめさ」に頼るという進化の舞台では、膨大な時間があり、膨大な試みが可能でした。そして、遺伝子という小さな入れ物に、過去の情報をプールしていくことが可能でした。だからこそ、偶然の効用が現れたのです。

    それをシミュレーションゲームでは、「偶然の効用」を、更に、最大限に生かして、膨大な時間を使って膨大な試みができるようにしたのです。シミュレーションゲームは、進化が偶然に依存していることの証明なのです。

    しかし、シミュレーションゲームによって、戦略的な知性が生み出されたといいましたが、だかといって、進化が生み出した神秘的な知性=無意識の知恵とか魂を生み出せるということを言おうとしているのではありません。

    さて、偶然を必然に変える進化の仕組みに関心を向ければ、その背景にも関心が行くでしょう。何故、偶然という「でたらめさ」を利用して進化するような仕組みが出現したのでしょうか。進化論はこれに答えてくれるのでしょうか。それは偶然だと突っぱねてしまうのでしょうか。

    見方を変えれば、進化とは、混沌から秩序に向かう運動であるといえるでしょう。「でたらめさ」とは「揺らぎ」です。宇宙のはじめは、空という混沌、即ち、中性のエネルギー状態=真空から揺らぎによって生成され、そして、また、混沌に戻るというサイクルをしていると言いました。この宇宙のサイクルは空のダイナミズムであるもいいました。

    混沌から生成して、再び、混沌の中に回帰していくというのが空のメカニズムであるとするならば、進化にもこれが内包されているのではないでしょうか。突然変異という偶然性を利用している進化というのは、終わりのない空のダイナミズムなのではないでしょうか。

    それなら、進化とは宇宙の精神=無意識の知恵が現象化するドラマであり、遺伝子は、その現象化なのです。

    遺伝子だけに、進化のドラマのすべて役を担わせるのは酷なのですが、宇宙の精神が現象化するのは、空を媒介するのですから、空の三次元実体は変幻自在であり、何でも良いのであり、あるときは核酸であり、あるときは身体であり、鰓であり、細胞であり、蛹であり、生成卵=受精卵であるのです。占いもその表れなのではないでしょうか。

    四次元能では、空の三次元実体に目を奪われることなく、その根源を探求していきます。つまり、本当の進化のドラマは、「電子や光がダンスを舞っている真空しかなかったところから、無機的な物質が生まれ、有機的な物質が生まれ、そこから核酸が生成され、やがて、命の元=ウィルス様の生命体が生まれ、やがて、遺伝子が登場して、その後は、私達がよく知っている(?)通俗的な進化のドラマが始まった」というのが真実なのです。そこには宇宙精神=空のダイナミズム¬無意識の知恵が働いて次いるというのが四元能=生成の舞の核心なのです。

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    2009年05月22日 13時04分53秒

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    進化は偶然を必然にするゲームか

    進化は偶然を必然にするゲームか

    <補完共振>

    一粒の砂にも個的精神が宿っているという話になりました。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100082256718


    つまり、一粒の砂にも個性=心があるということです。この心を魂といっても良いでしょう。心にせよ魂にせよ、実体は無い=空とするのが、仏教ですが、その空が畳み込まれ、次元化して、現象化の元になるのですから、空のダイナミズム=空のリサイクルは、仏教の色即是空・空即是色と同じことを意味しているといっても良いでしょう。

    空については、四次元の誕生秘話を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100082056787
    以下、引用しました。

    海岸の砂粒一つでも、空があり、虚がある宇宙の中心なのです。この宇宙は、どこでも宇宙の中心であり、空なのです。ゼロ=原点なのです。空は無数にあるのです。空が無数にあるということは、そのどこにでも虚軸が生まれますから、無数の四次元の宇宙が生成されるのです。空は融通無碍ですから、空同士は合体したり分離したりするでしょう。従って、砂粒の空は、過去をすべて含んだ原点ですから、他の星の珪素を含んでいるかもしれません。いずれにしても、あるときから砂粒の歴史が始まり、未来へ繋がっていくのです。砂粒の未来はミミズかもしれません。砂粒に、精神がないなどとどうして言えるのでしょうか。

    砂粒も四次元の存在なのですから、立派に精神を持っています。それは人間とは異質な精神ですが、宇宙精神=四次元という意味では同じです。つまり、虚軸をもっているということです。空は、実と虚の変換をする場所であり、過去をすべて記憶しているのですから、現象化とは時間空間を超越して次元進化する空の運動なのです。仏教でも、あらゆる過去を蓄える種子という概念があります。遺伝子は種子であり、空であると看做せるでしょう。
    ―――
    空が四次元と三次元を繋ぐ橋になるのですが、その橋はただ繋ぐ架け橋ではなく、往来を重ねるたびに、進化という現象をもたらすのです。その典型的な例が遺伝子です。遺伝子を空とすれば、そこに無限が畳み込まれているのです。40億年の歴史・記憶が蓄積されているのです。一粒の砂にも空があり、そこに無限が畳み込まれているのです。その空から心が現象化したのですから、その心は空が進化したということになります。しかも、一粒の砂には一粒の砂らしい心が、人間には人間らしい心が宿っているわけです。更に、一人一人の心に個性があるように、それぞれ違っているのです。

    日本人は、よく「大和魂」などと口にします。これなどは、一人ひとりの心はあるものの、その基盤には、共通の精神があり、それを魂と読んでいるいい例だと思います。「魂が乗り移った」などともいいますが、この場合は、他人の心が、他の人に反映したことを意味していますから、個的な心を魂と読んでいます。
    イデアにおいても、汎イデアと個イデアがありますから、空を介して、汎魂と個魂が現象化しても、なんら差し支えないでしょう。

    問題は、魂が乗り移ったりすることが本当にあるのかということです。遺伝子に他の遺伝子情報が、乗り移ることがありかということです。三次元現象としては、遺伝子の組み換えは、よくあることです。しかし、それが四次元性と言えるのかどうかは疑問です。

    進化という現象には、場所を超えて、時間を超えて、起きていることを認めなければ説明が出来ない現象もあるようです。そんな現象はないとしてしまうのは、簡単ですが、実際に、あるのですから、目を瞑って見過ごすわけにはいかないのでしょう。例えば、枯葉に似せるカマキリの擬態のような現象です。これを遺伝子の突然変異で説明できるのでしょうか。

    個別の形を作り出す遺伝子は見つかっていますし、全体を作り出す遺遺伝子も見つかっているようです。しかし、模様を作り出す遺伝子はまだのようです。というより、模様のようなものは全体が出来てからでないと困難なわけですから、そのような遺伝子が偶然に発現するのは難しいのではないでしょうか。部分がないのに全体が先にあるというのはおかしいことですし、全体が出来てしまっているので後から修正が出来ないわけです。

    ところが、それを解決する仮説が出てきました。擬態は波であるという説です。波を起こす遺伝子があれば、模様は作る出せるというのです。果たして見つかるのでしょうか。


    さて、因果のある偶然の話に戻しましょう。

    三次元では偶然は因果の否定ですから、科学的ではないはずなのですが、それを科学と称しているのは、どういう論理なのでしょうか。因果とは、原因があって結果(現象)があるということです。その結果が原因となり、現象が続くのです。偶然というのは、その因果の系列に、全く違う根拠のない原因を持ってきてしまうことです。偶然が原因になるのです。しかし、進化論の突然変異は、偶然といいますが、放射線やコピーミスの影響などで変わるのですから、無根拠な偶然ではないのです。つまりは、因果を否定していないということです。ですから、因果のある偶然なのです。進化論は因果のある偶然を根拠とするのですから、十分に科学の資格はあるのです。

    しかし、因果のある偶然を根拠にしたのでは、命の出現など説明できない現象が現れるから困るのですが、当然、その因果の呪縛から逃れようとする考え方が出てきます。その一つ「シェルドレイクの仮説」を紹介します。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%81%AE%E4%BB%AE%E8%AA%AC

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    以下、編集して引用しました。
    シェルドレイクの仮説とは、形態形成場(モルフォジェネティク・フィールド)仮説とも言います。事実上、超常現象や超能力に科学的と見える説明を与えるようなもので、疑似科学の1つと見られています。
    この仮説は以下のような内容からなります:
    1. あらゆるシステムの形態は過去に存在した同じような形態の影響を受けて、過去と同じような形態を継承する。(時間的相関関係)
    2. 離れた場所に起こった一方の出来事が、他方の出来事に影響する。(空間的相関関係)
    3. 形態のみならず、行動パターンも共鳴する。
    4. これらは「形の場」による「形の共鳴」と呼ばれるプロセスによって起こる。
    非常に簡単に言えば『直接的な接触が無くても、ある人や物に起きたことが他の人や物に伝播する』ということです。
    ―――
    これを疑似科学として無視するのは簡単ですが、科学の世界では「因果のない」もので現象を説明するものを科学と認めないのですから、科学ではないと言われても、仕方がありません。

    しかし、科学の代表である量子論では、既に、突然に電子が現れたり、時空を越えて関係しているといったテレポーテーションなどの現象を認めています。つまり、三次元的な因果を否定しているのです。一体、因果を前提にしない量子論、因果を前提にした科学という世界はどういうことになっていくのでしょうか。

    イデア論も三次元的な因果がなくても、虚のエネルギーの共鳴と空の畳み込みで現象化するのですから、イデア論は科学ではないことになります。

    シェルドレイクの仮説の「形の場」による「形の共鳴」をイデアの場、イデアの共鳴と置き換えれば、空と同じになります。

    もう一つ因果のない現象「シンクロニティ」を紹介します。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    以下、編集して引用しました。
    シンクロニシティとは意味のある偶然の一致のことで、非因果的な複数の事象(出来事)の生起を決定する法則原理として、従来知られていた「因果性」とは異なる原理として、カール・ユングによって提唱された概念です。共時性とも言います。
    何か複数の事象が、「意味・イメージ」において「類似性・近接性」を備える時、このような複数の事象が、時空間の秩序で規定されているこの世界の中で、従来の因果性では、何の関係も持たない場合でも、随伴して現象・生起する場合、これを、シンクロニシティの作用と見做します。
    ―――
    意味のあることが偶然に一致するというシンクロニシティと進化が偶然の積み重ねであるとすることの「偶然」とは意味が違うことをはっきりさせておかなければなりません。

    シンクロニシティの偶然とは、三次元的な因果がないという意味であり、時間と空間を超越した四次元性のことです。ですから、三次元ではそう度々起きることではありませんが、それが起きたときは、偶然だと表現するでしょう。それを四次元性=空と考えれば、いつも起きていることですから、おきてもおかしくはないわけです。三次元の人間から見たら、因果が無い現象は偶然のように見えるということです。

    一方、進化が偶然に起きるという場合の偶然とは遺伝子の突然変異のことであり、突然変異は、紫外線や放射線、コピーミスという列記とした原因がありますから、四次元性的な突然=偶然ではないのです。ですから、電子のように、因果のない現象が偶然のように見えるという四次元性とは違うのです。立派に、因果のある偶然の三次元の現象なのです。

    三次元の世界のこととは言え、偶然が積み重なって、意味のある進化が起きたということが仮に説明できたとしても、それども抵抗がある人も多いでしょう。だからといって、そこには四次元のイデア的な知性があるというのもすぐには同意できないでしょう。

    そこで、このような三次元的な偶然が、四次元的には偶然ではないことを理解するために、四次元のイデア的な知性とは言えないのですが、それと似ている例、つまり、進化において戦略的に偶然を活用している現象を考えて見ましょう。

    現在の進化論と言えば、ダーウィンの進化論ですが、そこに中立進化説が融合して、新しい展開を見せています。これによると、遺伝子は一軍と二軍に分かれていて、二軍以下はジャンクと呼ばれ、突然変異を受けても淘汰されずに蓄積され、出番を伺っているというのです。環境が変わって、それらジャンクの中から、テストされて予備軍となって、選抜されて一軍に出てくるというのです。

    進化も、単純な偶然ではなく、偶然を必然にする戦略的なゲームだと言うことです。もっともこの戦略的なゲームの主体も、偶然であるというのが進化論ですが、四次元能では、その背景には「イデア的な知性」があるということです。

    偶然を必然にする戦略的なゲームというのはどんなものなのでしょうか。このようなゲーム的な進化が真に進化の中核になりうるのでしょうか。それを四次元性だからと言ってしまうのは簡単でが、それでは、納得できない人のために、三次元の世界でも、偶然を必然にする戦略的なゲームがあることを知っておきましょう。これが四次元性であるかどうかは別として、です。

    偶然を必然にする戦略的なゲームとは乱数を利用したシミュレーションゲームです。「シミュレーションゲーム作成工房」を参照してください。http://www.jyouhoukaiseki.com/rand_command.html
    以下、編集して引用しました。

    シミュレーションゲームだけでなく、ゲーム作成において乱数は、よく使われます。シューティングゲームやアクションゲームでは、敵の動きを決めるのに乱数が使われています。戦略シミュレーションでは、コンピューターの行動を決定するのに乱数が使われるのですが、厳密に指定しないと、行き当たりばったりの行動になってしまい、歯ごたえのないゲームになってしまいます。

    シミュレーションゲームでは、乱数は必ず使うことになるといっても過言ではないほど重宝していますが、乱数を使った場合、戦略性のまったくない命令を発し続けることになります。つまり、行き当たりばったりの命令を出しているわけです。どの命令をいつ、どれだけ行うか、といった戦略性を思考ルーチンに実装していないと、行き当たりばったりのアホルーチンになってしまうのです。それでも、このような繰り返しで、徐々にアホルーチンから強力な思考ルーチンへと修正していくことになります。
    ―――  
    このようにアホルーチンから強力な思考ルーチンへと変身させるために、乱数が利用できるのです。乱数によって知性を作るという現象は、驚きでもなければ、奇跡でもないことが、すでにゲームで実証されているのです。

    最近の分子進化学の知見によると「どの命令をいつ、どれだけ行うか」といった「戦略的な思考ルーチン」に相当する進化のメカニズムがあることが分かってきています。

    私達は知性がありますから、計算して人生を送っていますが、私達の先祖はそのような知性がなかったので、偶然を利用して知性を獲得してきたのです。ただ、それには四十億年という余りにも長い時間が必要でした。無機物の次代までを入れると更に膨大となります。シミュレーションゲームでは、コンピューターによる乱数ジェネレーターを利用しているので、あっという間ですが。

    さて、最後に残る疑問は、このような偶然を必然に変えてしまう戦略的な知性も偶然に出てきたのでしょうか。そこには四次元性が隠れているのではないのでしょうか。

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  • from: 生成門さん

    2009年05月20日 12時53分46秒

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    一粒の砂にも個的精神がある

    一粒の砂にも個的精神がある
    <補完共振>

    一粒の砂にも精神が宿っているといいました。一粒の砂にも個性があるのでしょうか。もしそうなら、その個的精神とは、どんな精神なのでしょうか。

    四次元能では、宇宙精神を探求する生成の舞=シムダンスです。宇宙精神とは、プラトンのイデア論でいうところの「現象の背後にはイデアの力がある」というその考え方と仕組みをいいます。

    プラトンの考え方を発展させて、イデアを虚といい、虚軸を設定して、複素平面で表現し、その虚軸を虚次元=四次元といい、空間の構造としては、無限を閉じ込めた反転と捻りがあるクラインの壷で表現します。

    反転と捻りがあるクラインの壷は空のダイナミズムを代表するのであり、実と虚のリサイクル運動なのです。要約すれば、「すべての現象は、虚から空を媒介して実軸に膨張反転(現象化)し、実が収縮反転(次元化)して虚になり、空にその運動の情報が蓄積され、伝承される」のです。三次元の実軸に現象化されたもので代表するのは物体ですが、どの物体も虚軸を持っており、空から反転して生成された実体(個体)なのです。

    このように実と虚が回転運動する仕組みを宇宙精神というのですが、省略して虚を精神ということもあります。それは、実が物質的であり、虚とは非物質的イデアですから、物質に対してイデアを精神というのです。

    イデアを精神とすると、宇宙精神と混同しやすいのですが、もう一つ混同しやすい言い方があります。それは、人間に表れる意識や感情を精神ということです。意識とは、想像、思考、無意識、妄想、言語の使用による自我であり、感情は、喜怒哀楽に関する精神作用です。いずれも、物質的現象に共生して現れる非物質的現象です。

    人間に限らず生命には意識や感情が生まれます。何を持って意識・感情というのかという問題がありますが、植物にも重力を感知する能力があるのですから、それも広い意味で意識、感情と捉えると問題(精神)の本質が見えてくるでしょう。

    脳死という表現は、脳に意識が「ある・ない」をもって、判断していますが、それを精神と呼ぶことになんら違和感はないでしょう。つまり、脳自体は物質ですが、脳に精神が宿っているということです。脳を神経作用も含めて身体にまで拡張すれば、身体と精神というように、身体に精神が宿っているという言い方もできます。

    このように精神というのは、時には、原理であったり、仕組みであったり、イデアであったり、意識・感情であったりと多様な使われ方をします。混同を避けるために、この三つの使われ方をもっと明確にしておきましょう。三つの精神とは以下の通りです。

    (1)原理・仕組みとしての宇宙精神
    (2)イデアエネルギーとしての精神
    (3)意識・感情としての精神

    原理・仕組みとしての宇宙精神(1)は、空のダイナミズムが基本であり、虚軸のイデアとしての精神と実軸上の非物質的現象である精神(2)を包括します。

    意識・感情(3)は、(1)、(2)の結果、空を媒介して三次元の実軸上に現れた第三の現象です。これらを混同しないようにしましょう。



    1) 原理・仕組みとしての宇宙精神

    精神の三様を示したわけですが、宇宙精神は四次元宇宙そのものですし、全ては宇宙に属するのですから、これだけでも一粒の砂にも宇宙精神が宿っているといと言っても良いのです。詳しくは、「四次元の誕生秘話」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178

    宇宙には、一次元、二次元、三次元の空間が単独で存在するのでしょうか。少なくとも、虚の次元を土台とする宇宙なのですから、虚次元と他の次元がセットで存在するでしょう。ただ、虚次元と二次元だけの世界は、存在しないようです。

    現在の宇宙は、三次元で覆われていますので、一次元だけの世界は存在しないように見えますが、三次元の世界ができる前に光があったことは間違い有りません。光は、重さのない粒子(波)ですから、一次元に属する現象なのです。点の定義を思い出してください。点は何もない無が無限に詰まったものでした。その点が反転して無限に繋がったのが直線であると云いました。これぞ光の波ではないでしょうか。光の波は一元なのです。
    海の波は、水という媒体が必要であり、
    こちらは三次元です。

    二次元に属する単独の現象は、理屈からいってはありうるのですが、それを示す現象、例えば、曲がっていない面だけを見つけることはできていません。ただ唯一の候補として考えられるのは、HH30天体で示した円盤がそうかもしれません。何故、円盤が薄いのかが、分からなかったのですが、一つ一つの粒子が質量のない粒子なら、一次元であり、それが反転して面となっていることは有り得ることでしょう。円盤が薄いこと自体既に三次元なのですが、もしかして、一つ一つ円盤は、厚さがないのかもしれません。厚さのない円がいくつ集まっても、三次元にはならないように、円盤は二次元かもしれないですね。円盤は回転していますから、粒子の回転は二次元なのかもしれません。例えば、電子は質量がありますが、絶えず軌道を回転しています。回転しているときは波ですから、回転軌道は二次元平面と言ってもよいでしょう。

    確かなことは、一次元だろうと二次元だろうと三次元だろうと、あらゆる宇宙は、ゼロ次元から誕生するということです。しかも、ゼロ次元とは、虚次元であり、四次元だということです。ゼロ次元と虚次元と四次元は同じ次元ですが、違いはないのでしょうか。単なる呼び名が違うだけなのでしょうか。

    どの次元にも原点が有ります。ゼロとは何もない無の点であると言いました。長さ、幅、厚さがないのが点だということです。ゼロ次元は無限に無=点があります。その原点には、ゼロが無限に閉じ込められています。これだけなら単なる数学的な点です。

    ところが、世界は無から生じたといいます。単なる数学的な点を無として、宇宙誕生の重要な役割を担ってもらおうと思います。それは無を無のエネルギーとして、その無には対称性があるとします。つまり、無を陰陽のあるゼロ、しかも、虚の±iエネルギーとします。

    これは四次元能が勝手に想定したことではなく、素粒子を探求する科学が突き止めた事実です。つまり、宇宙の出来事なのです。真空の空間にガンマ線バーストを照射すると一時的にプラスとマイナスの対の素粒子が発生します。そして、しばらくすると、これらは結合して消滅するということが分かっているのです。

    ここでは、真空の空間を想定していますから、初めに虚次元を想定していることになります。ガンマ線とは光のことですから一次元です。発生した素粒子は、重さがあるものとないものがありますから、一次元と三次元を想定しているということです。

    宇宙は無であり、その無の空間=虚次元に虚のエネルギーが隠されているのです。そして何らかの拍子で、その無の空間に刺激を与えると、陰陽に分離発生します。

    こうした、陰陽二極に分離する現象は、素粒子だけでなく、電荷等、その発生する形態は多様です。生成された陰(+)と陽(-)の電荷を帯びた電子などは再び出会いを求めて彷徨います。電子は、物質を形成する上で基本となるものです。その証拠に、私達が握手をするときの行為は、ミクロに言えば、電子と電子の接触なのです。元素は電気的にはプラスの原子核とマイナスの電子が釣り合って構成されていますが、その外側が電子であるという事実から、私達に見える世界を作り出している物質世界の主役は電子なのです。

    電子(-)と陽子(+)は、電荷のない中性子も含めて結合すると実のエネルギーになり、最初の物体、ヘリウムとなり、更に、ベリリウム変遷を経由して物質化=現象化が進むのです。基本となるのは無の対称性(ペア)なのです。この世は全てペアとしての無で構成されているのです。

    無と云えども、じっとしているわけではありません。エネルギーですから、振動しているのです。そして、どこかで振動の対称性が破れるのです。そのペアを破るのは「揺らぎ」です。

    「揺らぎ」によって無から、次元が、世界が、現象が生まれるのです。この様子を四次元能的に表現すれば、次のようになるでしょう。

    先ず、空=陰陽=±iの虚エネルギーが分極して、虚軸(i,-i)が生成されます。これで世界の原型=複素平面ができます。ここで、虚軸の原点とは空であり、{i*-i,i*-(-i)}という即非構造を持っています。i*-iは、ペアの虚が共振・共鳴し、i*-(-i)は、反共振・反共鳴することを意味します。空とは、矛盾したエネルギー状態にあります。結局、ゼロと無であり、無とは空のことなのです。

    このような言い方になるのは、ゼロは数学的な性質を、無はカオス的な自然を、空はエネルギーをそれぞれ強調するからであり、それらを同じ意味とするのは、述語的な共通性においてなのです。

    2) イデアとしての精神

    宇宙精神の要は空です。空は、現象化(虚から実)と次元化(実から虚)への膨張反転・収縮反転を繰り返して、過去を畳み込んで未来に継承していきます。ですから、反転を繰り返すたびに、情報が蓄積されていきます。大概の現象は反転を繰り返すたびに、虚のエネルギー供給よりも、エントロピー(無秩序)が増大して、ゼロ次元に戻り、崩壊消滅しますが、中には虚のエネルギーがエントロピー(無秩序)を減少させて、現象を再生産することがあります。その良い例が新陳代謝です。これは三次元から三次元へのリサイクルであり、生命では進化と呼ぶでしょう。

    その進化を担っているのが空に蓄積される情報であり、宇宙の空にはすべて個性があり、同じ空などどこにもないということの意味なのです。ですから、砂粒には砂粒の空があり、人間には人間の空があり、更にそれぞれ個性、つまり歴史があるということです。詳しくは、「四次元の誕生秘話」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100082056787

    すべての空に個性があるということになりました。一次元から二次元が、その後に三次元が誕生する生成の段階を経ていくと、次の「次元」の元である原点に前の次元(情報)が畳み込まれるので、空の中身が豊かになるのです。つまり、空が進化するわけです。

    過去を畳み込む空を原点とする複素平面で考えるというのは、宇宙の個性的な構造を考える上で、重要な意味があります。

    すべての実体は畳み込む空をもった複素平面の宇宙なのですから、人間も砂も、すべての実体は複素平面上の三次元実軸上に物質として現象化した(する)存在なのです。しかし、畳み込む空は、人間をして物質的な身体と共に、非物質的な精神現象を伴った存在にまで進化させたのです。畳み込む空を持った人間と海岸の一粒の砂の精神の間には、どの程度の差異があるのでしょうか。

    無機物は元素から出来ていて、自然崩壊や反応・爆発などによって崩壊、結合します。一部は元素に戻ったり、他の無機物と融合したりします。ですから、どんなに空を畳み込んでも、そこから、生命体のような精神が宿るようなことは起きそうもありません。

    しかし、現実は想像する以上のことが起きています。無機物から有機化合物ができ、塩基が生成され、核酸が出来ました。核酸ができたことは、三次元の空が進展する中でも、最大のトピックでした。これが生命の発端になったのです。

    三次元物質の収縮反転と膨張反転の繰り返しという宇宙のリサイクルが、核酸を生成し、やがて、その延長にある脳という物質を生成させることになったのです。その脳に精神が生成されるのは、空の進展が進んだ、もう少し後の出来事です。進化について語るのは保留にします。

    3) 脳に付随する精神

    何故、一粒の砂に精神が宿ったのかに「けり」をつけてしまいましょう。無機化合物や元素も空の畳み込みを行ってリサイクルをしています。ですから一つとして同じ元素、化合物はありません。確かに、同じ元素、化合物なら物理的・化学的な性質は、全く同じかもしれませんが、それでも空の中身はそれぞれ違うのです。

    私の網膜に映った外部の景色は、それぞれの宇宙の端から飛来してきた光というエネルギーをすべて一点に畳み込んでしまうことで、見えると言う現象を作り出しています。「物はなぜ見えるのか(1・2)」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076588450

    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076614037

    私が見たこの景色と他人が見た景色は、同じ方向、同じ場所を見ていても、決して同じではありません。見る者の位置が若干違うといった程度のものではありません。それは見るもののすべてが畳み込まれるからです。例えば、心理状態が違えば、風景は全く異なって見えます。空というのは場所の論理によって畳み込まれるということを意味しています。砂に心理があるわけではないので、この喩えは適切ではありませんが、心理というのを関係と置き換えてみましょう。

    場所の論理とは、位置だけではないということです。例えば、地球という惑星においても、太陽、月、その他の影響を受けます。そして一点一点に、他との関係が重層化して畳み込まれるのです。何度も噛めば味が出ると言いますが、それと似たように、関係の味が出てくるのです。関係というのは、その要素の数の関係ですから指数的に爆発します。ですから、指紋に同じものが無いのと同じように、一点一点の空は異なるのです。

    地球上の一点である海岸の一粒の砂には、個性的な精神現象があるようには見えませんが、それは見えないだけなのです。見えないから精神なのですが、そこには関係が畳み込まれた空があります。砂粒の場合、波に揉まれた回数に応じた記憶が無限に畳み込まれているのです。記憶が無限に畳み込まれるということは、時間と空間が畳み込まれるということでもあるでしょう。
    「時間を畳み込む(1・2・3)」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076514902
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076514902
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076618740

    ですから、海岸の一粒の砂には、人間のとは同じとは言えませんが、立派に個的な精神が宿っているのです。ただ、無機物と生命体では、エントロピー(無意味)の逓減させる仕方が段違いであるのです。一粒の砂と人間では進化の仕方、スピードが違うのです。

    三次元に現象化した物といっても多様な形態があります。元素から始まって砂粒のような無機物、有機物、核酸、細胞、ウィルス、多細胞、植物、動物、そして人間と様々です。そのどれもが宇宙の生成原理としての精神を持ち、又個性的な固有の精神を持ち生成し、消滅しているということです。人間だけが、特別に進化した脳を持ち、怒ったり、泣いたり、悩んだり、考えたりする生命ですが、それは様々な精神的な活動を可能とする膨大な情報を内包する空を持ったことによるものなのです。

    遺伝子が空であるといいましたが、脳も空なのでしょうか。空は偏在するのですから、脳が空であってもおかしくはないでしょう。何故「脳が空なのか」「脳のどこが空なのか」については別途とします。

    イカと人間の精神にはどれほどの違いがあるのでしょうか。その神経の張り巡らし方にはずいぶんと異なるようです。確かに、人間の方が複雑でしょう。ですから、そこに宿る精神の内容・程度も異なるでしょう。しかし、イカにも精神は宿っているのです。イカも人間も共に固有の精神を有しているのです。

    イカに精神が宿っているという理屈は理解してもらえたでしょうか。人間とイカを同じにするという乱暴な理屈は主語論理では受け容れてくれないかも知れません。まして神経が張り巡らされていない海岸の一粒の砂に精神が宿っているなどといえば、言語道断だというでしょう。

    しかし、宇宙精神の空のダイナミズムという精神が宿っているのであり、そういう述語論理によると、海岸の一粒の砂にも、精神が宿っていないとは言えなくなるのです。更に、空は畳み込まれるのですから、違った空がそこかしこにあってもおかしくはないでしょう。

    植物の重力を感知する能力を精神といったのですから、海岸の一粒の砂に、重力の記憶がないとは言えないでしょう。目の網膜に畳み込まれる光の記憶は、その経路からやってくるすべてです。見るものが同じ経路の光を見ているわけではないので、同じものを見ているとしても、それぞれ違ったものを見ているのです。一粒の砂にも、重力、光、その他が畳み込まれているのです。しかし、経路が違えば、畳み込まれる情報は違ってくるでしょうから、波に揉まれた記憶も、他の海岸の一粒の砂と同じとは言えなくなります。どの物体にも精神が宿っているということでは、述語的には同じですが、海岸の一粒の砂といえども、主語論理的には、固有の精神が宿っているのです。主語論理は述語論理の後に生まれてきたのです。

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  • from: 生成門さん

    2009年05月14日 19時45分16秒

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    四次元の誕生秘話

    四次元の誕生秘話
    <補完共振>

    四次元能では、虚をイデア(i)とする根源のエネルギーから空を媒介にして現象(見える世界)が生成されるとします。この様子を宇宙の法則の図を示しました。この図では、生成卵=空{i*-i,i*-(-i)}から、四次元の虚軸(i,-i)が生成され、そこから三次元が現象として生成されるのですが、その後は空に戻りリサイクルします。更に、「反転と無限の幾何学」をヒントにして、ゼロ次元から一次元、二次元、三次元へと誕生した秘話を紹介しました。「反転と無限の幾何学」については参照をしてください。http://www.aa.alpha-net.ne.jp/u1fueda/tyosho/koujigennsinntai.htm
    PS理論も参考にしています。
    http://ameblo.jp/renshi/theme-10002716381.html

    反転とは、0から∞の膨張と、∞から0への収縮があり、膨張反転は現象化であり、収縮反転は次元化です。これを複素平面で説明すれば、0から∞は虚軸(i,-i)から実軸(1,-1)への1/4回転、∞から0は実軸から虚軸への1/4回転となり、1/4回転とは90度の直交を意味します。

    次元化とは、幼虫(N)が蛹(空)になるプロセスであり、蛹とは次元=次の元です。一般化すれば、N次元の実軸が収縮して、N次元を包んだN+1次元の元=空{i*-i,i*-(i)}となり、虚軸(i,-i)に反転することす。

    N次元→空{i*-i,i*-(i)}→虚軸(i,-i)

    従って、次元化とは、収縮反転であり、PS理論を使って式で表せば、1⇒i*-i, -1⇒i*-(-i)となります。実から虚への1/4回転を意味します。1は∞、-1は-∞であり、複素平面を単位円への置き換え、つまり,
    直線を丸めるという操作です。この空には過去(∞)がすべて含まれています。

    この空=蛹が蝶になるプロセスが現象化であり、一般化して言えば、虚軸が反転してN+1次元の元=空{i*-i,i*-(i)}を媒介にして、N+1次元の原点となり、膨張して、N+1次元の実軸、即ち、現象化することです。従って、現象化とは、膨張反転、即ち、虚から実への1/4回転を意味します。ここでの原点は、N次元の原点とは異なる点であり、N次元が無限に閉じ込められた特異点なのです。

    次元化とは、N次元が収縮して、空{i*-i,i*-(-i)}となり、虚軸(i,-i)に反転することです。実軸が1/4回転して虚軸になるわけです。現象化とは、空{i*-i,i*-(-i)}を媒介にして、虚軸が実軸に膨張反転することです。反転膨張を式で表せば、i*-i⇒1,i*-(-i)⇒-1となります。







    ゼロ次元から三次元までの誕生を振り返っておきましょう。

    ゼロ次元世界Nは、その原点n-1から生まれ、ゼロ次元世界Nが次元化(収縮反転)して、原点nとなり、膨張反転して一次元世界N+1となります。一次元世界N+1が次元化(収縮反転)して、原点n+1となり、膨張反転して二次元世界N+2となります。二次元世界N+2が次元化(収縮反転)して、原点n+2となり、膨張反転して三次元世界N+3となります。

    n-1→N(n-1)→n→N+1(n)→n+1→N+2(n+1)→n+2→N+3(n+2)→

    ゼロ次元世界Nが次元化(収縮反転)してできた原点nは、一次元世界N+1の「次の元」だということです。

    次の元が原点ですから、ゼロ次元世界が次元化して、点=原点となり、その点から一次元世界=線が出来、一次元世界が次元化して、線=原点となり、二次元世界=面が出来、二次元世界が次元化して、面=原点となり、三次元世界=立体が出来たということになるのです。この連鎖が次元誕生の秘話なのです。

    三次元までは、前の世界の次元化で良いのですが、四次元はどうなるのでしょうか。三次元世界を次元化して、それを四次元の原点とするとn+3となります。つまり、四次元誕生は次のようになります。

    N+3(n+2)→n+3→N+4(n+3)

    n+3とは、これまでの次元化の論理からすれば、N+3を無限に閉じ込めた点ということになります。N+3は三次元球ですから、それは良いのですが、それを原点として、反転膨張させるとどうなるのでしょうか。

    実軸は現象軸ですから、眼に見える世界で無ければなりません。三次元以上の空間は、眼に見える世界ではありません。つまり、球を反転膨張させても現象化しないということです。線を収縮させると、空には、無限の線が閉じ込められますが、それを反転させると実軸に面が出来ます。しかし、その前提には虚軸があり、一旦、空から、から虚軸に反転して、そこに虚面が出来、それが実軸に現象化したのです。

    実軸が収縮して空となり、虚軸に反転して、それが回転して実軸になるのです。これが、実から虚、虚から実への反転の正しい意味なのです。だから、1/4回転なのです。

    そこで、三次元球を収縮反転させると、虚軸に三次元球が引っくり返った虚球ができます。それが1/4回転して、実軸に三次元球が出現します。

    N+3(n+2)→n+3→N+4(n+3)
    は、
    N+3(n+2)→n+3→N+3(n+3)

    つまり、三次元世界が収縮しても、反転して出てくるのは、三次元だということです。
    この三次元世界には、一次元や二次元の世界が内包されていますから、今の私達の認識と合致します。三次元世界を色とすれば、色即是空・空即是色とは、
    N+3(n+2)→n+3→N+3(n+3)→n+3→N+3(n+3) → n+3 → N+3(n+3) →

    であると言えるのです。

    となると、四次元はどこに行ったのでしょうか。三次元の実軸と虚軸があるだけです。
    しかも、三次元の球が虚球なり、出てきたものが球であるとなってしまいました。何とか辻褄を合わせなければなりません。

    実球と虚球が二つ繋がって、反転して繋がっているのはクラインの壷です。そうなのです。クラインの壷こそが四次元空間=四次元球なのです。複素平面を丸めて球にすると、実軸が三次元球の実球、虚軸が虚球と解釈できます。つまり、複素球面はクラインの壷なのです。クラインの壷は想像することはできますが、三次元では作ることが出来ません。それは、虚球という四次元だからです。これで、虚とは四次元だということになりました。

    最初にゼロ次元の元(n-1)があり、ゼロ次元が誕生したのでした。

    n-1→N(n-1)

    実はこのゼロ次元が虚次元であり、四次元だったわけです。ということは、この世界は初めから四次元だったのであり、三次元は四次元から生まれてきたのです。

    残る問題は、「クラインの壷は、想像できるが作れないのは何故か」ということです。曲がった面は三次元に属しているので、二次元では作れないように、クラインの壷は四次元ですから、どんないて先が器用でも、工作機械を使っても作れないのです。それは三次元身体であり三次元機械だからです。では、作れないのに、何故想像できるのでしょうか。それは、人間は四次元生命体だからです。身体は三次元ですが、精神は四次元に属しているのです。

    そうすると、又別の疑問が出てきてしまいます。宇宙が四次元宇宙だとして、その四次元からは三次元が現象化するといいました。なのに、人間は四次元なのでしょうか。

    私達は、まだ三次元の中に囚われの身になっています。宇宙という一つの容器があって、その中に星や石や人間が入っていると思うから、三次元でありながら、四次元である人間が理解できないのです。蟻やミミズでさえ、四次元なのです。彼らと云えども、空があり、虚がある宇宙の中心なのです。

    海岸の砂粒一つでも、空があり、虚がある宇宙の中心なのです。この宇宙は、どこでも宇宙の中心であり、空なのです。ゼロ=原点なのです。空は無数にあるのです。空が無数にあるということは、そのどこにでも虚軸が生まれますから、無数の四次元の宇宙が生成されるのです。空は融通無碍ですから、空同士は合体したり分離したりするでしょう。従って、砂粒の空は、過去をすべて含んだ原点ですから、他の星の珪素を含んでいるかもしれません。いずれにしても、あるときから砂粒の歴史が始まり、未来へ繋がっていくのです。砂粒の未来はミミズかもしれません。砂粒に、精神がないなどとどうして言えるのでしょうか。砂粒も四次元の存在なのですから、立派に精神を持っています。それは人間とは異質な精神です。宇宙精神=四次元という意味では同じ虚軸をもっているということです。空は、実と虚の変換をする場所であり、過去をすべて記憶しているのですから、現象化とは進化です。仏教でも、あらゆる過去を蓄える種子という概念があります。遺伝子は種子であり、空であると看做せるでしょう。

    私達人間は、遺伝子という空から現象化したのであり、遺伝子を媒介して、子孫を現象化させます。私をこの世に出現させた遺伝子は前の次元の特異点であり、私は私の遺伝子を媒介して命をリレーします。私達には、遺伝子という空と身体という現象しか見えないのですが、立派に四次元宇宙=複素平面=クラインの壷を持っていると言えます。私達が自分をクラインの壷を持った人間であると認識できるのが四次元脳なのです。

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  • from: 生成門さん

    2009年05月14日 19時27分26秒

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    三次元の誕生秘話

    三次元の誕生秘話
    <補完共振>

    ゼロ次元から一次元、一次元から二次元がどのように誕生したのかをお話しました。簡単に追えば、一次元の直線はゼロ次元のゼロ=原点が反対に無限に膨張反転したのです。その後に、一次元が反転収縮して、一次元を包んだ次の二次元の元=空{i*-i,i*-(i)}となり、それが原点=特異点となり、再び膨張反転して、二次元平面となったのでした。この原点は、ゼロ=原点とは異なる、一次元が無限に閉じ込められた特異点なのです。詳しくは「反転と無限の幾何学」を参照してください。http://www.aa.alpha-net.ne.jp/u1fueda/tyosho/koujigennsinntai.htm

    以下、編集的に引用しました。

    曲った線は一次元直線ではなく、二次元であったように、曲った面も二次元平面ではなく三次元です。常識では、曲った面は二次元平面と見られています。見かけと本質は違っているものです。しかし、この見かけが以外に重要なことを、暗示していることに気がつかなければなりせん。それは、高次元が低次元の世界に姿を現すということです。何を云いたいのかと言いますと、曲った面が三次元であるように、二次元世界のように見えてしまうと言うことです。それは、見るものが、三次元世界にいることを意味しています。これはとても重要なことなのです。四次元の尻尾が三次元のような姿をして、見え隠れしていると言うことです。つまり、見るものは、四次元世界にいるということです。それに気づいていないだけなのです。ですから、四次元探求は、その欠片、影、気配、兆候、尻尾などを見逃してはならないと言うことです。

    曲面を二次元世界の現象と錯覚してしまうのは、暗黙に無限に小さな球を想定しているからです。曲がった面を平面に書くことが出来ないことは、すぐに分かるでしょう。平面には、幅はありますが、厚みが無いのです。平面を丸めてみましょう。それなら曲がった面を描くことは出来るでしょう。平面を丸めるということは、球を作ったということなのです。

    云うまでもなく、球は三次元です。すなわち、曲面は三次元に属しているのであって、二次元には存在しません。地球儀の上に、成田からロスや香港、ロンドン行きの飛行経路をいくつも最短で引くことが出来るのは、それらを含む曲面上に描くからです。その曲面は地球儀という三次元空間に属しているのです。
     
    さて、面には大きさはありますが、厚さはありません。面をいくら重ねても面でしかありません。平面を移動すれば立体になり円の中心を固定してそれを立体方向に回転させれば球ができるというのが従来の幾何学の常識です。しかし、それはあくまでも三次元を前提として結果的に言えるのであって、重なり合おうと回転しようと、そこにあるのは常に面だけです。二次元平面と三次元立体は決定的に不連続なのです。




    では、三次元はどのようにして誕生したのでしょうか。それは、二次元が反転した時です。二次元が反転した世界とは、二次元世界の特異点が表と化した世界です。すなわち、二次元の特異点が無限遠点へと反転膨張したときに現われる世界です。

    図で説明しましょう。二次元が反転凝縮して次元化して、空{i*-i,i*-(-i)}が二次元の特異点となり、それが反転して虚の次元(i,-i)が生まれて、それが1/4回転して、i*-i⇒1,i*-(-i)⇒-1つまり、反転膨張して、三次元が現象化するのです。この三次元は球になります。従って、虚次元の複素平面は、この場合、複素球面と考えた方が良いでしょう。こうして無限に多くの二次元を内包する三次元球体が誕生したのです。

    単位円としての複素平面を丸めて球面としましたので、閉じた単位球面が出来ました。単位球面は<閉じた無限>を意味しますから、その赤道面に出来る球体が三次元世界となります。通常は省略して、-1・・・・0・・・・+1の実軸として表現します。

    赤道面に出来る球体は三次元の球です。球の中心から引いた直線と球面とが交わる点で接する直線は360度の方向に直交関係にありますから、この点を中心とする円は球面に直角に接しています。これは何をあらわしているかというと、球面上の一点は二次元が点と化したもの、すなわち二次元の特異点である無限小の円だということ、そして、二次元と三次元は幾何学的には直交関係にあるということです。

    球面上の一点が無限小の円だということは、この点は円という属性をもっており、二次元平面内の任意の点とはもはや同一ではありません。二次元を内部化している三次元内の任意の点は、ゼロ次元と一次元と二次元が重なり合った点です。ただし三次元の中心点だけは別です。それは三次元が凝縮化した特異点、すなわち無限小の球なのです。

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  • from: 生成門さん

    2009年05月14日 19時06分19秒

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    二次元の誕生秘話

    二次元の誕生秘話
    <補完共振>

    四次元能では、虚から実への反転によって宇宙が生成したと言います。それと「反転と無限の幾何学」は大変似ています。似ていると言うことはそこに述語の論理が潜んでいます。

    ゼロ次元と虚次元も同様です。ゼロの次元というのは、見ることも触ることも出来ない世界です。無の世界なのです。虚無感と言えば、空しさそのものです。境界性人格障害とうつ病になった虚無感でしょう。以下を参照してください。
    http://www.deborder.com/kiseki_05.html
    虚無感にさいなまれているとき、いきいきとした感情はどこかに消え失せてしまって、ぽっかりとこころに穴があいてしまったように、まるで呼吸する置物のようにただ意味もなくそこに存在するように感じるものです。あるいは、四方八方五里霧中の乱気流の中で、能面のようにただ機械的に操縦桿を握らされているような、そんな感覚に襲われます。そんな状態のとき、充実した人生ってどんなことをいうのか想像もつかなくなります。この世に人智を超えた愛など存在するはずがないと無神論的に、ニヒリスティックになります。また、どんなに愛情を注がれても、それに応えるだけの感情が枯れてしまっているので、どう反応していいのかわからなくなってしまっています。人に感謝したり、喜んだり、楽しんだり、優しくしたりすることが偽善的にみえてしまったりもします。なぜなら、自然な感情や情緒、情動がカラカラにひからびてしまっているからです。空理空論、強迫観念で頭でっかちなまま、空回りしているのです。
    ―――
    四次元能は、境界性人格障害の空理空論かもしれません。しかし、この現象は、三次元の精神障害にしか過ぎません。その虚無を反転して、空に意味を持たせて、四次元を解明します。もともと空とは、仏教用語であり、それを三次元人間が反転させて俗語としたのです。虚無も同様です。もう一度反転させて、本来の意味に戻して、真実を探求して見ましょう。

    ゼロ次元から一次元が誕生したことは、理解できたでしょうか。簡単に追えば、一次元の直線はゼロ次元のゼロが反対に反転して生まれたのです。「反転と無限の幾何学」を参照してください。http://www.aa.alpha-net.ne.jp/u1fueda/tyosho/koujigennsinntai.htm

    以下、編集的に引用しました。

    直線はゼロの無が有に転じた「点」の連続だということです。では、曲線も点の連続なのでしょうか。もしそうなら、一次元ということになるでしょう。幾何学ではそうみなされています。しかし、直線上に曲った線を引くことが出来るでしょうか。直線には幅が無いのです。曲線を書く場合、紙の上に描くわけですから、既に、まだ生まれていないのにもかかわらず、紙という平面、つまり、二次元を暗黙に想定しているのです。すなわち、曲線は二次元に属しているのであって、一次元には存在しないのです。





    新しい世界が生成されるためには、その次元の元がなければなりません。一次元の世界はもともとそこに有ったのではなく、ゼロ次元の原点、つまり、0と言う点=無=虚がなければならなかったのです。同様に、二次元世界が生成されるためには、一次元の世界から直接生まれるのではありません。二次元の元が生成されなければならないのです。つまり、二次元の元=次の元=原点です。

    二次元平面が生成されるためには、一次元の直線を反転凝縮して、虚の次元を経由しなければならないのです。それが二次元原点の生成のための次元化というプロセスです。次元化とは、次の元を作ることです。そのために、一旦、一次元という無限現象を解体して、点に閉じ込めなければならないのです。直線を丸めて見ましょう。円になります。それを無限に小さくします。それが点です。この点はゼロではありません。直線が無限に閉じ込められた空{i*-i,i*-(-i)}なのです。一次元という無限現象を色とすれば、色即是空となることです。

    この空は新たな世界を生成する原点となるのです。原点は、直線が無限に閉じ込められた特異点(一次元と二次元のどちらでもない不連続な点)であり、一次元原点とは異なる点、二次元のための「次の元」なのです。

    一次元の直線の任意の点は、虚のゼロが反転することによって生成され、内部にゼロ次元を含んでいる点であるといいました。今度は、この無限の一次元を<閉じた無限>と看做した点といいます。この点は特別なものです。それは一次元が凝縮化した特異点、すなわち無限小の直線です。つまり、線を反転させると点になるということです。この点は、ゼロの点とは違います。ゼロの点は、無限のゼロが詰まっていました。直線の点は、無限の直線が詰まっているのです。この点は原点=特異点=二次元の元なのです。

    -∞→・・・・・・0・・・・・・・←+∞

    さて、線には長さはありますが、幅はありません。線をいくら並べても、そこに面は産まれません。直線が移動すれば四辺形になり、任意の点を固定して回転させれば円になるというのが幾何学の常識です。しかし、それはあくまでも二次元平面を前提として結果的に言えるのであって、幅がゼロの直線が移動しようと回転しようと、そこにあるのは常に直線だけです。一次元と二次元は決定的に不連続なのです。

    では、二次元はどのようにして誕生したのでしょうか。それは、一次元が反転した時です。一次元が反転した世界とは、一次元世界の特異点が表と化した世界です。すなわち、一次元の特異点が無限遠点へと反転膨張したときに現われる世界です。

    図で説明しましょう。一次元が反転凝縮して次元化して、空{i*-i,i*-(-i)}となった一次元の特異点から虚の次元(i,-i)が生まれて、これが1/4回転して、i*-i⇒1,i*-(-i)⇒-1となって、二次元が現象化するのです。この二次元平面は円になります。従って、虚次元の複素平面は、この場合、複素球面と考えた方が良いでしょう。こうして無限に多くの一次元を内包する二次元平面が誕生したのです。

    単位円としての複素平面を丸めて球面としましたので、閉じた単位球面が出来ました。単位球面は<閉じた無限>を意味しますから、その赤道面に出来る輪切りの平面が二次元世界となります。通常は省略して、-1・・・・0・・・・+1の実軸として表現します。

    輪切りの平面は二次元の円です。この円の中心から引いた直線と円周上の一点で直交する直線が円の接線ですね。これは何を表しているかというと、円周上の一点は一次元が点と化したもの、すなわち一次元の特異点である無限小の直線だということです。これが無限に膨張拡大して円を生成するわけです。その元は一次元の線と二次元の線が交差することなのです。ですから、幾何学的には縦と横が交差して二次平面を作ると言う表現になっていくわけです。これを一次元と二次元は直交関係にあるということ言います。

    平面の本質は、円周上の一点が無限小の直線だということであり、この点が線という属性を持っているということです。つまり、ゼロ次元が存在する点として現われた一次元の任意の点とは、もはや同一ではありません。一次元を内部化している二次元内の任意の点は、ゼロ次元であると同時に一次元なのです。

    さて、その次があります。この二次元から、次の元が生まれるのです。それは二次元が凝縮化した特異点、すなわち無限小の円なのです。

    次は、いよいよ三次元の誕生秘話です。

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  • from: 生成門さん

    2009年05月14日 19時01分19秒

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    一次元の誕生秘話

    一次元の誕生秘話
    <補完共振>

    先ず、虚があり、そこから世界が生成されたというのが四次元能の論理です。いきなり、三次元が生成されたわけではありません。ゼロ次元=虚次元の空=特異点=0を媒介して、一次元、そして、二次元、三次元という現象世界の生成の段階があります。宇宙の法則の図では、そこが不明でした。反転と無限の幾何学では、そこを念入りに説明してくれています。これを援用して宇宙の法則の図を補足したいと思います。「反転と無限の幾何学」を参照してください。http://www.aa.alpha-net.ne.jp/u1fueda/tyosho/koujigennsinntai.htm

    以下、編集的に引用しました。



    0次元=虚次元が膨張反転すると、0次元の特異点が表と化した世界が現われます。0次元の特異点とは、0次元のすべてが包まれており、それが次元化(凝縮されると言うこと)して、原点となったものです。従って、原点は、一次元の線(有の点の繋がり)ではなく、線(有の点)の生みの親(無の点)なのです。これが、ゼロという無から、無ではない‘存在’=有である点が無限に連なる世界が現出したことの説明です。無である点から有である点への反転が起きたのです。

    この様子を、複素平面上で表現すると、虚軸が回転して空=特異点{i*-i,i*-(-i)}から、i*-i⇒1,i*-(-i) ⇒-1となり、実軸上に一次元の直線が生成されます。線の両端は無限ですから、1=∞,i*-(-i) -1=-∞と解釈します。こうして直線という一次元の世界が誕生しました。

    反転とは、ゼロの反対の∞となることですから実軸上では、

    -∞←・・・・・・0・・・・・・→+∞

    と表すことが出来るでしょう。

    {i*-i,i*-(-i)}=空=0とする、複素平面上では、

    -1←・・・・・・0・・・・・・→+1

    と表されます。

    こうして無限に多くのゼロ次元を内に含んだ一次元世界が生まれたのです。この時、直線上の任意の点は、一次元に現われたゼロ次元の特異点です。すなわち‘存在’そのものであるこの点は、無ではなく有として扱えるということです。ここではじめて、線は無限個の点からなっているという、常識と一致するわけです。

    次は、二次元の出生秘話です。

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  • from: 生成門さん

    2009年05月14日 18時14分16秒

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    反転と無限の次元学

    反転と無限の次元学
    <補完共振>

    四次元について思索し、検索し、そこからイメージ化し、更に、瞑想=明晰夢、ブログ投稿などすると、本質的な述語的キーワードが浮かんできます。それで更に検索すると似たような考えに遭遇するものです。本質的な述語的キーワードとは「反転と無限」です。

    既に、四次元能では、虚をイデア(i)とする根源のエネルギーから空を媒介にして現象(見える世界)が生成されるという宇宙の法則の図を示しました。この図では、生成卵=空{i*-i,i*-(-i)}から、四次元の虚軸(i,-i)が生成され、そこから三次元が生成されるのですが、一次元と二次元と三次元の関係は省いていました。以下を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076985468




    ―――
    ここに紹介する笛田宇一郎氏は、俳優でありながら、現実社会の権力構造に縛られがちな集団原理の解体を基本理念とし、演劇の文化的かつ社会的な使命を自覚した活動を目指している人です。驚いたことに「反転と無限の幾何学」という演劇とは関係の無さそうなものが、その発想の原点がとなっているのです。更に、四次元身体空間が演劇の基本だと言うのですから、能を主題とする四次元能としては心強い援軍です。下記を参照してください。http://www.aa.alpha-net.ne.jp/u1fueda/tyosho/koujigennsinntai.htm

    以下、編集的に引用しました。

    次元の意味を考えて見ましょう。次元を分解すれば、「次の元」ですが、この語源から、その意味を理解するのは困難です。敢えて、解釈すれば、次の世代を宿す卵は、「次の世代を生み出す元」ですから、生成卵=次の元=次元であると解釈出来ます。

    こんな単純な解釈で、物事の本質がつかめてしまうなんて、まるで、鳥を見せておいて、帽子(=次の元=生成卵)に入れると、旗がどんどん出てくる手品みたいです。実際、「反転と無限の幾何学」では、現在の世界を風呂敷の包んでしまい、それを開くと、全く新しい世界が出てくるのです。「包んで開く」というのがミソなのです。その手品をものの見事に見せてくれるのです。手品では種は明かさないのですが、ここでは惜しげもなくお見せしましょう。

    原点=空は、生成卵=「次の元」なのです。原点が「次の元」であるという述語的同一視は、パラノ脳の常識では受け入れ難いでしょう。それは当然です。原点は原の点ですから、新幹線の基点のようなイメージです。マラソンのスタート地点です。それを「次の元」などと言えば、尚更、何を意味しているのかが理解できないのでしょう。

    こういう場面でこそ述語的思考が求められるのです。「原点」と「次の元」を同一視する述語が生成卵なのです。生成卵とは蛹のイメージです。幼虫は蛹になり、蝶になります。これを変態といいます。幼虫を前の世界として、蝶を次の世界としましょう。蛹は原点です。蛹は「次の元」なのです。

    前の世界  原点   次の世界
    幼虫・・・・蛹・・・・・蝶
       
    原点の蛹は、前の幼虫のすべて含んでいます。それらを解体して組み替えます。そして、全く新しい形を生み出すのです。ですから、蛹は「次を生み出す元」なのです。「包んで開く」こと、これが蛹の本質です。しかも、幼虫と蝶では棲む世界が違っています。不連続なのです。

    原点は前を含みますから、前の代表とは言えますが、次そのものでは有りません。しかし、次を生み出す種なのです。次に繋がっていると言う意味では、この原点を「次の元」といっても何ら違和感は無いでしょう。原点とは空、即ち、即非なのです。

    前の世界と原点と次の世界を、幼虫と蛹と蝶に喩えましたが、一般的には、次元とは世界であり、幼虫の次元、蝶の次元という言い方をします。正確には幼虫の次元世界から生まれたのが蝶の次元世界ということになるでしょう。次元を原点と言い換えれば、蝶の原点=蛹から生まれたのが蝶(の世界)ということになるでしょう。ここから次元と世界の使い方が混同してきますので注意が必要です。

    世界を次元といい、原点を次元と言ってしまうと、何がなんだか分からなくなります。そこで、世界を次元と言い、原点は原点と言うことにします。しかし、原点は次の元であることを忘れないで下さい。

    蝶の世界は蝶の次元であり、蝶の世界を作り出した原点は蝶の元であることを忘れないで下さい。しかも、原点=次の元には、幼虫の世界がすべて含まれていることを忘れないで下さい。

    本当の言い方
    前の世界・・・次元・・・次の世界
    一般的な言い方にする
    一次元の世界・・・原点・・・二次元の世界
    略して
    一次元・・・原点・・・二次元

    次元は世界の基準とか物差しといった定義が常識なのですが、本来の意味は文字通り「次の元」なのです。ディメンションを次元と訳した人は本質を見抜いていたのです。

    生命は連続していますが、親と子という世代では不連続です。その間に遺伝子が入るからです。この遺伝子は「次の元」なのです。

    このように考えると、次元と原点との関係がよく見えてきます。

    ゼロ次元世界Nは、その原点n-1から生まれ、ゼロ次元世界Nが次元化(収縮反転)して、原点nとなり、膨張反転してゼロ次元世界N+1となります。そして、繰り返しています。

    n-1→N(n-1)→n→N+1(n)→n+1→N+2(n+1)→

    この連鎖は、ゼロ次元と原点だけが繰り返している虚の世界の出来事です。これは振動しているともいえます。この連鎖を断ち切って、現象が現われてきます。

    それが、次元の誕生の秘話です。

    先ず、ゼロ次元世界Nは、その原点n-1から生まれ、ゼロ次元世界Nが次元化(収縮反転)して、原点nとなり、膨張反転して一次元世界N+1となります。一次元世界N+1が次元化(収縮反転)して、原点n+1となり、膨張反転して二次元世界N+2となります。二次元世界N+2が次元化(収縮反転)して、原点n+2となり、膨張反転して三次元世界N+3となります。


    n-1→N(n-1)→n→N+1(n)→n+1→N+2(n+1)→n+2→N+3(n+2)→n-1

    ゼロ次元世界Nが次元化(収縮反転)してできた原点nは、一次元世界N+1の「次の元」だということです。

    次の元が原点ですから、ゼロ次元世界が次元化して、点=原点となり、その点から一次元世界=線が出来、一次元世界が次元化して、線=原点となり、二次元世界=面が出来、二次元世界が次元化して、面=原点となり、三次元世界=立体が出来たということになるのです。この連鎖が次元誕生の秘話であり、これからの主題なのです。

    三次元までは、前の世界の次元化で良いのですが、四次元になると、三次元世界を次元化して、それを四次元の原点とすることは出来ません。四次元とは、虚の世界であり、イデアの世界ですから、あらゆるものを生み出す生成卵と同じなのです。ということは、三次元の「次の元」は、ゼロ次元の元n-1だと言うことです。これで目出度し、世界生成は堂々巡りとなりました。色即是空・空即是色です。

    どんな次元の定義を見ても、ゼロ次元=点、一次元=線、二次元=面です。その次元がどのようにして生まれたのかについて、説明しているものはありません。世界がどのようにして出来たのかを説明するのは、物理でしょうが、その基本が次元=空間なのです。ビッグバン宇宙論では、点から三次元空間が出来たとしています。しかし、よく考えて見ましょう。点とは、大きさも長さもない空間ではない無の場所です。素粒子論では、無の場所は何も無いのではなく、あらゆるものを生み出すエネルギーが詰まっているといいます。

    そういう無の場所と大きさも長さもない空間と次元の中心としての点が結びついていないのです。次元の基点である点があいまいのままでは、一次元、二次元、三次元から、四次元へは辿り着きません。

    ゼロは長さも大きさもありません。正真正銘の無です。これを<点>だとすると、ゼロ次元から一次元はどうして生まれるのでしょう。単に、ビッグバンが起きたといわれても困るのです。

    はっきりさせなければならないのは、長さも大きさもない点をいくら連ねても線は産まれないということです。点を移動させれば、そこに線ができるというでしょうが、それはあくまでも、まだ出来てもいない一次元があるかのように前提にしているのであって、ゼロがいくら移動してもそこにあるのは常にゼロでしかありません。ゼロ次元と一次元の間には決定的な溝、即ち、不連続があるのです。

    五目並べをしたことがある人は、石を五つ並べると、そこに点から線が出来たと暗黙に考えています。それは錯覚なのです。石には大きさと長さがあります。更に碁盤(一次元、二次元、三次元)があります。ゼロ次元から一次元が生まれたのではなく、既にそこに一次元や三次元があるのです。ビッグバンにも同じことが言えるのです。私達はこのような錯角をして生きているのです。それを端的にあらわす諺があります。それは「ちりが積もれば山となる」です。錯覚でも、生きるために支障はないのですが、気候変動のような問題では支障が出てくるのです。

    では、実際は、ゼロ次元から一次元はいかにして現われたのでしょうか。

    最初の世界はゼロ次元しかないのですから、ゼロしかありません。しかし、次元というのは世界ですから、ゼロで満ちています。つまり、無限にあるということです。何も無いもものが無限にあるというのはおかしな言い方ですが、透明人間が沢山いると考えれば分かりやすいでしょうか。

    無限とは常識では、無際限に限りがないということですが、その<無限>が、ゼロ次元という世界に閉じ込められているということです。これを<閉じた無限>といいましょう。透明人間なら、大きさ長さも無いので、いくらでも詰め込むことが出来るでしょう。

    際限の無い無限が閉じているというのは矛盾した言い方のように見えますが、ゼロが無限にあっても、それはゼロ次元という世界の出来事であり、次元という閉じた世界なのですから、無限と云えども閉じているのです。

    無限が閉じているというのはおかしいと思うのは、まだ、碁石の錯覚の囚われているのです。世界の初めは何も無いゼロで満ちた次元であるという枠を作ったのは、私達人間自身なのですから、透明人間になったつもりで「閉じた無限」を受け入れましょう。

    ゼロ次元を閉じた無限の世界とするということは、「ゼロ」と「無限」を同時に存在させるということにほかなりません。

    ゼロという無が<無限>として存在するとしましたが、どのようにして、無から有が現われるのでしょうか。

    これが「虚」とか「イデア」と呼ばれている“プラトンの世界”の神秘かもしれません。ゼロを虚と置き換えてみましょう。最初の世界は虚の次元しかないのですから、イデアしかありません。しかし、ゼロ次元というのは虚の世界ですから、イデアで満ちています。つまり、無限にあるということです。何も無い虚が無限にあるということです。イデアという無が<無限>として存在するということです。その虚から現象が出てきたのです。虚無と言いますが、まさに、虚無から有が現われたのです。このミステリーを解くのが四次元能なのです。

    このミステリーを解くのは四次元能の専売ではありません。既に、物理学においては、ゼロ点からエネルギーが生成されるとしています。ゼロ点では、粒子と反粒子が対であり、そこから粒子と反粒子が出現して、この現象世界を作り、また、出会って、ゼロ世界に戻っていくという輪廻を繰り返しているといいます。宇宙では無から有が生まれているのです。

    さて、そうなると、どうして無から有が生まれたのでしょうか。それに答えるのが、この四次元能の「反転∞技」です。反転とは、分かりやすく言えば、世界が裏返ることです。その世界の内部が外部に転じた世界が現われるということです。庭の置石を返したしたときに、うようよといる虫を見たときの、あの仰天を覚えていますか。パンドラの箱を開けて吃驚したことがありますか。

    反転とは、裏表が引っくり返ることです。テニスのボールを想像してください。これを大きくしてみましょう。どんどん大きくします。宇宙よりも大きくします。しかし、いくら大きくしても、内は内、外は外のままです。反転は起きません。それでは、これを小さくしてみましょう。どんどん小さくします。原子よりも小さくします。すると、あるところで交差します。そして今度はどんどん大きくなります。砂時計を想像すれば分かりやすいでしょう。これで、内は外、外は内になりました。これが反転です。



    ゼロ次元は<無限>ですから、その本質は何かといえば、ゼロがびっしりあるということです。次元の中心は、その次元を座標軸によって表した場合の原点にあたります。つまり、その次元の本質が<点>として凝縮化したものです。またまた、点の原点は点であるという、おかしな言い方になってしまいました。

    ゼロ次元では、ゼロ=点が無限を閉じ込めています。ゼロ次元の中心=原点は、ゼロ=点=無限だということです。つまり、ゼロ次元では、中心=原点=すべての点ということになります。

    ここで、座標軸という考え方が出てきましたが、広がり大きさもないゼロ次元では、すべてが原点なので座標軸というのは分かりにくいでしょう。これが一、二、三次元になると大きさや長さが出てくるので、分かりやすいのですが、世界の初めのことなので、受け入れておきましょう。

    ところが、この座標軸という考え方ですが、四次元以上の高次元空間になると、座標軸という概念そのものが成り立たなってしまうのです。ようするに、そこでは、大きさも長さも無くなってしまうのです。なんと、ゼロ次元と同じになってしまうのです。それなら、座標軸という考え方を持ち出さなければいいようなものですが、それでは一、二、三次元がどうして生成されたのかを説明することが出来ません。

    そこで、一つの次元世界の中心を、あえて<原点=特異点=空>と呼ぶことにしたいと思います。

    次元=世界が生成される簡単な説明は、ゼロ次元の中心=即非としての空が矛盾をはらみ、その特異点{i*-i,i*-(-i)}の性質から、揺らぎによって虚軸iと-iが生成され、それが回転して、i*-i⇒1,i*-(-i) ⇒-1となり、一次元世界=線が生成されるという論理です。線の両端は無限ですから、1=∞, -1=-∞と解釈すれば、回転と反転は同じことになります。一次元世界を生み出す元は、ゼロ次元世界の中心=原点=空こそが次元=次の元なのです。

    空から虚軸が生まれ、それが回転して、一次元世界が生まれると解釈しましたが、原点=特異点を軸とするゼロ次元が反転して一次元世界が生まれると解釈しても良いでしょう、回転は反転なのです。ゼロ次元を虚次元と看做すことがポイントです。


    そこで、複素平面の虚軸(i,-i)を虚次元=0次元として図で示します。-1、+1の軸は実軸であり、現象が現われる軸です。現象が現われる軸とは、一次元、二次元、三次元を意味します。

    この複素平面が回転することで、実と虚が交互に現われて、次元もそれに従って、一、二、三次元に高まるのです。1/4回転が反転を意味します。最初の1/4回転は虚から実への反転であり、実軸だけを見れば、0から∞への方向、つまり、膨張反転となります。次の1/4回転は、実から虚への反転であり、実軸だけを見れば、∞から0への方向、つまり、収縮反転となります。収縮と膨張反転を繰り返すところに、次元生成があり、そこに世界が誕生する秘話の核心が有ります。収縮とは、幼虫が蛹になることであり、過去をすべて包むこと=次元化(次の元を仕込む)を意味しています。膨張とは、その次元が原点となり、蛹が蝶になるように新たな世界を開くことを意味します。

    0は空であり、虚次元の原点は{i*-i,i*-(-i))であり、実軸の原点でもあり、特異点です。ゼロからの膨張反転とは、空から、i*-i⇒+1,i*-(-i) ⇒-1となることです。これを実軸上で表現すれば、0が無限になる-∞←0→∞となります。逆に、無限からの収縮反転とは、-∞→0←∞となることです。これは、空を介して、+1⇒i*-i, -1⇒i*-(-i)となり、虚軸に戻ることを意味します。

    さて、これで世界生成の準備が整いました。次は、一次元の誕生秘話です。

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