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シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

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ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

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  • from: 生成門さん

    2009年06月29日 16時00分33秒

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    四次元に因果はない

    四次元に因果はない
    <補完共振>

    三次元の世界に現象化する四次元性(らしい)の代表的な現象は、人間であるといいましたが、それをもっと限定すれば脳に現れる意識です。もっとも、どのような現象もイデアの力で現象化するのですから四次元性なのですが、大概の物質現象は因果で説明できますので、取り立てて四次元性などという必要はないのでしょう。それでも因果で説明できないような不思議な現象もあります。そのすべてが因果で説明できないとは言えないのですが、その背後にあるイデアの力を認めなければ説明できないものがあることを示したいと思います。

    脳現象は因果で説明できない不思議のナンバーワンでしょう。脳に非物質の意識が生成されたということは、それだけでも不思議なことですが、それを神経ネットのメカニズムで説明するのは今のところ成功はしていないようです。単なる物質現象とは違った特別な四次元性(因果のない)なのではないでしょうか。

    ただ因果的な説明の可能性が全くないのでしょうか。意識は脳という三次元物質を基盤としています。その証拠は、やる気を引き起こしたり、切れたりするという人間的な意識や感情や行為に脳内物質が関与しているということです。つまり、意識や感情が現象化したのは物質的な因果が関係しているということです。もしそれで説明ができれば、四次元性=四次元のイメージを持ち込むことは必要がないでしょう。

    ここでは脳内物質と意識の関係を掘り下げませんが、物質だけの因果で意識現象を説明できるとはとても思えません。

    物質は正四面体イデアが重合して生成され、更に、いろいろな性質を創発してきましたが、その物質の性質が創発されてことと意識のような現象が創発してきたことは似ているように見えます。物質であれ、意識であれ、そこに共通していることは正四面体イデアの畳み込みが関係していることだけを予告しておきます。

    その前にやるべきことがあるのです。
    それは因果のない四次元性をしっかりと把握しておくことです。

    因果で説明できないのは虚という概念です。虚を持ち出されると因果も形無しでしょう。

    その究めつけは「すべての現象化が、i*-i⇒+1、i*-(-i) ⇒-1で示される」とする考え方です。この式は、iと-iという四次元の対称性(陰陽イデアぺアリング)が、実軸に形を変えて現れること意味します。iと-iのペアリングは、虚の陰陽イデアエネルギーであり、イデアはペアとして、陰陽イデア、±イデア、原自己、原他者などの名称で虚軸を構成するわけです。こうした考え方は因果を超えてしまいます。複素平面を持ち出したときから、既に、四次元能は因果とは決別していたのです。

    では、因果のないイデアに向かいます。人間におけるイデアペアリングは、自己と他者を区別する自他イデアですが、これが三次元では自己、他者となるわけです。

    虚のイデアペアリング(陰陽)は、その他に様々な形を伴って実軸に現れます。電気の±、雄雌、凸凹、陰陽などです。

    四次元能で最も重要な対称性は、脳を基盤とした意識の現象化であり、パラノ=アポロとスキゾ=ディオニッソスというペアリングです。脳は右脳と左脳のペアリングですが、そこにパラノ=アポロとスキゾ=ディオニッソスが乗っているのです。

    自然の対称性は、磁気のようにいつも完全に現れるようです。しかし、対称性は破れることのほうが多いのです。意識の対称性はアルカリと酸性を示すペーハーのように混在し、雄雌比は偏っています。男女の恋愛も破れることがあります。

    ただ、破れたペアリングは元の鞘に戻ろうとするのが自然です。人間では、元の鞘=復縁を意味しますが、再婚も元の鞘=回帰でしょうか。

    元の対称性に戻ろうとするのは、宇宙の生成消滅原理=回帰なのです。対称性が破れても復元しようとするのは、虚のエネルギーの有様に関係しています。

    対称性がどのような形であれ、現象化する場合、その有様は分裂・分離・対立から共鳴・融和・結合・共感・共生まで多様です。それは虚のエネルギーの共振、反共振の程度によって現象化するからです。

    虚が実になることをi*-i⇒+1、i*-(-i) ⇒-1と表わしますが、これはイデアエネルギーの共振、反共振を意味します。
    共振、反共振は因果とは反対にある響きのある言葉です。対象に共感・共鳴するという感覚を私達は実感していますが、例えば、相性が良いという現象を説明することは因果論では説明が出来ないでしょう。

    共感・共鳴という現象は「これはこうすればこうなる」という因果論ではなく、イデアエネルギーの共振、反共振の陰陽論で説明ができるのです。

    陰陽論では現象を分類すると64パターンにもなります。どのような現象も、始めは陽または陰が強く、陰(陽)が弱く、だんだんと、陽(陰)が弱く、陰(陽)が強くなって、逆転し、循環するのですが、それが64パターンあるのです。これはイデアエネルギーの綱引きがあり、対称性を取り戻そうとする性質を示しています。

    人間の場合も、イデアエネルギーの綱引きがあるので、右脳と左脳の働きには偏りができます。つまり、対称性が破れるのです。その良い例が、パラノドライブがかかることです。その原因は虚エネルギーのバランスが破れるからです。それが空の自他共振i*-iと自他反共振i*-(-i)を媒介して現象化するのです。i*-iよりi*-(-i)が強くなると、パラノドライブがかかり三次元脳が強くなるのです。

    つまり、i*-i⇒+1自他共振=四次元脳よりi*-(-i) ⇒-1自他反共振=三次元脳が強くなるのです。パラノドライブばかりが可能性ではありません。パラノとスキゾのイデアエネルギーの共振、反共振を陰陽論で表せば64パターンにもなるでしょう。

    このパターンが現象化されるということは、人間は四次元人間でありながら、三次元脳と四次元脳を混在させているということです。ただ、現代は圧倒的にパラノが優位となっています。いずれは、スキゾ優位になるのでしょうが、それを自然に待っていても対称性が回復するというような甘いものではないようです。

    三次元脳とは自我意識であり、この世界を三次元と認識する脳ですが、四次元脳は潜在意識と繋がった脳であり、本来の自己であり、この世界を四次元であると認識できる能力をもった脳です。ですから、四次元脳を持った人間を四次元人間というべきなのですが、三次元脳をもった人間でも、四次元脳を持っているのですから、四次元人間であることには代わりがありません。陰陽のバランスが異なるだけなのです。

    その三次元脳=自我に強く支配されている人間は、主語論理を中心として思考しますので、因果が無ければ世界認識が崩壊してしまいます。

    一方、四次元脳を持っている人間は、述語論理を中心として思考しますので、因果に縛られることはありません。道元のように、「春の後に夏は来ない」などというのです。四次元脳人間は即非的な空を自覚しているのです。

    悟りの実践とは、まさに、四次元性を空の認識を通じて自覚しようとするものであり、三次元に現象化した三次元脳から四次元脳を持った人間への挑戦なのです。

    悟りの実践とは瞑想を中心とした脳の四次元の編集です。瞑想とは光の影響を遮断して左脳の働きを封じ込めるために目を閉じるのです。そして音を見るのです。ですから観音なのです。

    瞑想すれば、因果のない自在な編集が可能となります。何故、道元禅では座禅瞑想=只管打座としたのかが、これで分かったでしょうか。光を遮断して右脳優位の述語的編集=四次元の編集を行い、イメージの早送り、巻戻し、停止、拡大、縮小、ズームインとズームアウトと自在に操作するのです。

    四次元の編集は瞑想によって四次元性を想像して、操作するということです。それによって、パラノドライブを沈めるという狙いがあります。

    どのように瞑想をするのでしょうか。目の前に広がる大海原は、今日は大きく荒れています。だからといって、昨日あった海であることには代わりがありません。まして、宇宙の姿は毎日同じように見えます。しかし、本当にそうなのでしょうか。

    宇宙や海のように手で掴めないような対象ではなく、粘土のような手で捏ねられるようなものはどうでしょうか。粘土なら直に接触し、操作することが出来ます。すると、どうでしょう。契ったり、くっ付けたりして自在に形を変形することが出来ます。しかし、内と外をひっくり返して繋げるなどは、どうでしょうか。所謂、クラインの壷です。これだけはできないでしょう。これが次元の壁なのです。この次元の壁は乗り越えられるのでしょうか。

    四次元は手では操作できないのです。宇宙のような大きな対象は手に余ることは当然ですが、さてどうでしょうか。

    遥か彼方の宇宙をデジタル画像や焼き付けられた写真で見るということは、三次元を二次元に落としてみていることになります。見ている私達は三次元に現象した四次元人間ですから、写っている対象(銀河)を三次元と認識して、二次元的な映像を三次元に再現して、その銀河の後ろ側を想像することができます。

    比較的近い距離なら後ろに回りこんで見ることもできます。実際に月の裏側に廻って見ることが出来ています。

    しかし、さすがに銀河や星の中に自在に出たり入ったりはできません。これが三次元に現象した四次元人間の壁なのです。

    遠くの銀河は映像を見て構造が分かっても、実際に出たり入ったり出来ません。しかし、想像することはできます。想像には、三次元的な想像と四次元的な想像があります。三次元的な想像とは因果の律に従うことです。つまり、科学的な根拠によることです。しかし、それでは見落としてしまうものがあります。単なる不思議として処理されてしまうような現象です。それを救う手立ては四次元の
    メガネと鏡で見ることです。そして、四次元的な瞑想をすることです。四次元能では、これを明晰夢で瞑想するといいます。四次元的想像とは単なる思索ではないのです。想像とは瞑想なのです。

    問題は、その三次元の映像を見て想像=瞑想する場合、その正確さを確かめられるかどうかということです。映像だけでは解釈のズレが大きくなってしまうでしょう。

    解釈上のズレを少なくするためには、静止画を連続させて精度を上げることになるでしょう。銀河が大規模になると一枚の静止画から想像すると、その違いは今から50億年前だったり、50億年後だったりします。

    これが誤差なのか、解釈の違いなのかをどうしたら分かるのでしょうか。この難しさが画像から四次元性を正しく把握するための大きな障害となるのです。

    因果が連続している現象なら誤差かもしれないし、因果が不連続なら解釈の違いとなるでしょう。つまり、ある銀河の映像が50億年前だったり、50億年後だったりするのは、三次元では有り得ないことなのですが、それが四次元空間に属しているならば有り得るのです。

    どのような映像なら因果の無い四次元性を示しているのでしょうか。ただ只管に宇宙の映像を片端から見るしかないのでしょうか。それだけでは四次元らしい因果の無い不可解な現象は上手く探せないでしょう。

    四次元性(因果のない)は、三次元では奇怪な現象でも、四次元では当たり前ですが、その四次元性に対して確信が持てるようなイメージを映像から得られなければ、瞑想などしても意味はないでしょう。

    最も四次元性を示すのは、球体流の生成原理で示した先進波と後進波のような現象です。球体流では、内と外が入れ替わるようなイメージであり、そこでは時間が逆行するのです。そのような因果が逆転する現象があればいいのです。

    そのような映像はないでしょうか。今のところ、四次元性を際立たせるものは見つけることは出来ていません。又、宇宙のどこを見ても、内と外が反転するような現象は見つけることはできていません。

    いつもパラノ意識に縛られているので、四次元性を探すというのは、大変なのです。一気に核心に迫ることはできなくても、焦らないで行きましょう。探検は長いのですから。映像を見ていれば何がしかの副産物があるものです。

    副産物を示しておきます。四つほどありました。

    一つは、太陽のイメージが果物のライチによく似ていたことです。これが四次元イメージを示すヒントなのです。

    二つは、映像を見るだけで、世俗の柵、苦が簡単に吹き飛んでしまう効果があります。いろいろ抱いていた畏れのようなものが吹き飛んでしまうでしょう。実に宇宙は美しいのです。四次元は精神を開放する効果もあるのです。

    三つは、虚のエネルギーを得られることです。ご来光を拝むと、この身に力がみなぎりますが、それが虚のエネルギーです。宇宙では、数万年とか、数百個の銀河を重ね合わせて、物質を押し込めています。このあたりの動きを見ると壮観です。パワーが違うのです。気のパワーと同じエネルギーでしょうか。

    四つは、宇宙はちょうど「精霊流しの明かり」のようだということです。夜の高速道路のイメージに似ているでしょう。いや、もっと動きがあります。灯りが点いたり、消えたり、ゆっくりと銀河のような点や球が膨らんで、しぼんでいくのです。超新星の爆発もゆっくり膨らむ球のように見えるのが印象的でしょう。

    その瞬間、稲光りのような、背景の明暗にチカチカッと光るような現象がないかつぶさに見たのですが、漆黒の背景ばかりです。もし稲光りや背景のゆらぎがあれば、これは光を越えたタキオンかもしれないと言いたくなるのですが、それはありません。

    「因果のない」世界に行ける可能性を見つけるために、その四次元性を探して、こまでやってきました。随分と遠くまで来ました。いや、遠くというのは正しくないでしょう。四次元では遠いは近いのですから。

    三次元に現れた四次元性をちょっと瞑想しただけで体調は良くなり、精神も安定するでしょう。これは副産物以上のものです。しかし、注意も必要です。因果の除去、物質や時間のかかわりを確証するりません。それには正しい四次元性=四次元イメージを持つことです。

    宇宙の映像を見たら、日常の小さな流体的な三次元の現象、例えば、水道の蛇口を捻ったときに勢いよく飛び出す水の流れとか、水飛沫の散らばり方とかをよく観察しましょう。それらはエネルギーに相関しますから、それが大規模になったらどうなるのかを想像することで、四次元イメージを補完することができるでしょう。

    パラノ的な記憶や三段論法、主語論理との隔絶し、文脈を断ち切り、解体するにはエネルギーを消耗します。それに対する体力、知力をもたなければならないのでしょう。

    四次元イメージをもつということは、現実を離れるということです。座禅している時ならば、重力を感じて、足が痛くなるでしょうが、待ちを歩いている時は、携帯をしながらの運転は危険であるように、ビジネスの場面でも非因果の意識を出すのは危険です。このところを忘れてはなりません。

    本格的に四次元に行くためには、それなりの心構えが必要なのです。

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  • from: 生成門さん

    2009年06月29日 15時35分52秒

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    四次元には無限はない

    四次元には無限はない
    <ティトムとの共振>

    複素平面の回転、次元化と現象化、スキゾとパラノ、正四面体イデア、陰陽イデア、中性子、ニュートム、明晰夢、悟りなどの話が混在してくるので、そろそろ読者も混乱しているでしょう。読者といってもいるのかいないのやら。シムハンターならきっと我慢してくれると思って続きをいきます。

    HHスパイラルの映像から四次元球とクラインの壷の関係を明らかにしてみたいと思います。詳しくは、下記を参照してください。

    http://momloveu.com/titom-teller-j/index.files/Page535.htm

    以下、編集的引用しました。

    三次元の球(例えばゆで卵)をナイフで切ってみましょう。切り口は円になるでしょう。切り方にもよりますが大小様々な円が現れます。同じように、四次元球をナイフ(隠喩)で切ると大小様々な球が現れるでしょう。この球を泡と呼ぶことにします。これを複素平面で表現すると「ナイフで切る」というのは、複素平面を「回転させる」となり、「泡が現れる」とは実軸に三次元球が生成されるという意味になります。

    宇宙の泡構造はこのようにして生成されたのでしょうか。そんなに単純ではないとは思いますが、ともかくも、宇宙はなにもかもが、広すぎ、重過ぎ、寒過ぎ、熱過ぎ、大き過ぎ、小さ過ぎるのです。

    銀河宇宙は想像を絶する大規模な構造です。銀河の巨大な泡構造がどのようなものかを知っておきましょう。「宇宙の大規模構造」を参照して下さい。
    http://www.tsuitate.com/linkvp40.htm
    以下、編集して引用しました。

    宇宙の大規模構造とは、宇宙の中で銀河の分布が示す巨大な泡のような構造のことです。宇宙の泡構造と呼ばれることもあります。銀河は数百から数千集まって銀河群、銀河団を形成しています。この銀河群や銀河団が更に集まって超銀河団を形成していますが、この超銀河団は平面状の壁のような分布を示しています。この巨大な壁をグレートウォールと呼びます。1980年代になって、1枚のグレートウォールと他のグレートウォールとの間には、光を発する天体がほとんど無い領域があることが明らかになりました。

    これを超空洞(ボイド)と呼び、その直径は1億光年を超えます。宇宙の大規模構造はグレートウォールと超空洞が複雑に入り組んだ構造ですが、これはあたかも石鹸を泡立てたときにできる幾重にも積み重なった泡のような構造です。つまり、泡の膜面たるグレートウォールには銀河が存在し、泡の中の空洞たる超空洞には銀河がほとんど存在しないのです。
    ―――
    泡が三次元の球なら、ただの大きい丸い球というだけです。しかし、それが単なる大きい球ではなさそうなのです。四次元球を考えるときに忘れがちなことは、宇宙の大きさを錯覚しまうことです。どんなに大きくても、それを映像で見てしまうと私達の視野に入ってしまうと言うことです。光が届けば見えるということです。ですから、対象が無限であっても、その先は光が届いていないだけであると割り切ってしまうことです。

    四次元能でも、うっかり間違いを犯していました。正四面体重合の解釈についてですが、正四面体重合は原子から大規模宇宙までの入れ子になっていると言いました。それはその通りですが、その終わりは示していませんでした。無限とは「果てがない」ことです。この「果てがない」という発想はおかしいと思わなくてはならないのです。

    現生人が地球を「果て」のない平らな地面だと思っていたのと大した違いがないのではないでしょうか。現生人が地球の外から地球を見ることができなかったように、私達も宇宙の外から宇宙を見ることが出来ないだけなのです。宇宙は想像を絶する大規模な構造なのです。

    戻ってくるはずのない彗星が戻ってきたように宇宙は閉じているのではないでしょうか。ビッグバン宇宙論も量子論も同様の錯誤をしているのではないでしょうか。どこまで行っても果てが無いのなら、つまり、無限大と無限小なら、いつになってもその先があるということです。

    これは三次元脳の認識の限界なのです。無限=「果てがない」という錯誤があるのです。「宇宙は無限大ではない」を参照して下さい。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100078633356

    また、「次元誕生の秘話」でも説明しましたが、無限を閉じ込めることができる方法を示しました。それは反転させることでした。反転させるということは、次元を上げることです。例えば、一次元の直線は無限ですが、これを次元化=収縮反転して原点に閉じ込めます。それを更に膨張反転して面とします。面は二次元ですから直線の無限はなくなったわけです。

    この次元化の方法を使えば、三次元の無限もなくすことができます。しかし、その前に「果てがない」ということをおかしいと思う思考を持たなければなりません。

    四次元脳は空間に「果てがない」というのは変だと思う「能=脳」です。そこが三次元脳の人間と決定的に違うところです。完全な四次元脳に変身した人間ではなくても、まだ三次元脳の人間でも「果てがない」ことのおかしさに気づくことができる方法があります。

    それは「自分を映す鏡」を持つことです。前に突き進むしかできない猪にとって世界は「果てがなく」繋がっているのです。それに対して反省・自省・自覚するという意識を持つことは「果てがない」と思う意識から抜け出す方法なのです。もちろん、すべての三次元人間は「自分を映す鏡」を持っています。ここでいう「自分を映す鏡」とは、手鏡のことではありません。「自分を映す鏡」とは、宇宙とは自分のことであり、自分を映すことは宇宙を映すことです。宇宙を映すことは自分を映す鏡であり、即ち、それは四次元を映す鏡(ナイフの喩)なのです。

    既に四次元のメガネというものを出しています。これとどう違うのでしょうか。四次元のメガネは四次元の構造がどういうものかを示すものです。三次元の現象が、どのようにして生成されるのかを教えてくれるでしょう。

    それに対して四次元を映す鏡はどんなものなのでしょうか。四次元を映す鏡は四次元そのものを映す鏡ではありませんが、少なくとも四次元性を映す鏡です。その一端を担ってくれるのが、宇宙の外から宇宙を映すことが出来ると同じ効用をもたらす「ハッブル望遠鏡」です。ハッブル望遠鏡は三次元の鏡ですが、これによってより深い四次元球を想像することを可能にしてくれるのでしょう。
    従って、四次元脳をもってハッブル望遠鏡の映し出す映像を見れば、それが四次元性を映す鏡というもののです。

    ここで有能なシムハンターはおかしいことに気がつくでしょう。四次元のメガネがあれば、四次元性=イデアの力が見られるのですから、四次元を映す鏡など必要がないのではと思うではないでしょうか。

    メガネと鏡の違いですが、メガネは装着するものであり、鏡は映すものです。メガネ=イデア論と鏡=述語的同一視論といっても良いでしょう。イデア論は、複素数的な思考によって解釈することであり、述語的同一視論とは、異なる現象から共通性・相似性を見出すというものです。共に四次元性を意識していることが前提にありますので、お互いは補完関係にあるのです。

    この大きな宇宙が実際どうなっているのか、その大きさに惑わされないで、メガネと鏡を駆使して、本当の姿を見抜きましょう。その手掛かりは四次元の鏡に映った彗星にあることを既に示しました。「未来から戻ってきた彗星」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100077755560

    電子も又、未来と過去を往来していることを「四次元時間回廊」で示しました。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100078483941

    こうしたことを踏まえて、先走って、「HH天体にはクラインの壷が隠れている」と言いました。下記を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100068780299



    ―――
    先走りは良くないので、じっくりといきましょう。電子は軌道を描いて原子の周りを廻っていますが、太陽の周りを廻る地球のように明確な軌道を描いているわけではありません。電子の軌道は雲と言われるような球になります。実はこの球状が四次元球ではないかと思っているのです。そうならばクラインの壷との距離はずっと近くなります。水素原子の軌道を参照して下さい。http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0030/part4/chap02/com2_6_1.html
    以下、編集して引用しました。


    電子は振動する波動性と粒子性の二重の性質をもっているという考え方から、水素原子の中の電子のエネルギーは、飛び飛びになっています。最もエネルギーが低い電子は、1s 軌道に次が、2s、3sと言う具合です。

    1s 軌道の電子は、球形の分布をしていますから、その断面に電子がどのように見出されるかを描いて見ると、右図のように円形になります。

    このような描き方を電子雲といいます。しかし、電子は雲みたいなものだと誤解しないで下さい。水素原子の中には、電子はひとつしかありませんから、もしも、その位置が観測できたとすると、それは一つの点となるはずです。そのような観測を繰り返したとき、雲のような図になるということです。雲のかけら、つまり、電子のかけらというものは、存在しないことに注意して下さい。
    ―――
    電子の軌道は雲みたいであり、球の形をしているのですが、もし、その球がクラインの壷であれば、その軌道はクラインの壷に沿っていることになります。どうしてそういうことが言えるのかと言いますと、正四面体重合で述べたよう、電子雲の球の内と外は捩れているからです。パイプ(ジェット)が突き抜ける部分が四次元への回廊なのです。

    電子は四次元(虚と実)を往復しているのですが、電子雲の球を三次元としか見なければ、電子の現われ方は虚の部分が見えないので神出鬼没に見えでしょう。実際は双曲線軌道の先では繋がっていて戻ってきていると考えるべきなのではないでしょうか。

    水素は二次元物質であるといいましたが、ここでは四次元球であるとしています。どんな次元であれ、四次元=複素平面ですから、それを丸めると四次元球になります。ただし、実軸は二次元です。雲のように見えるから球状であるといっていますが、それは間違いです。一瞬一瞬は核と電子の関係ですから、厚みのない円盤です。二次元であっても虚に次元はあるのですから四次元であるというわけです。

    そのように見ないで三次元脳で探し出そうと躍起になると、とんでもない場所に出てくるのです。とんでもない場所に出てくるように見えるだけなのであり、電子は過去と未来に行って戻ってきただけなのです。決して気紛れに散歩していたのではないのです。そこには未来/過去の回廊が存在しているのです。これが四次元時間回廊というものです。

    鉄原子ができるプロセスで、HH30天体を例に示して手裏剣ジェットの出現が三次元直交座標を誕生させたと言いました。「手裏剣ジェットの出現」を参照して下さい。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100074839588

    この三次元直交座標空間というのは、実は四次元時間回廊が隠されている場所なのです。四次元時間回廊とはクラインの壷なのです。

    三次元では川が流れるように時は流れます。それは渦が流れるからです。しかし、渦の中心では、球の内と外が入れ替わっていくのです。「爆発は宇宙サイクルの序に過ぎない」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100078633596
    以下、引用しました。

    HH天体が内外反転する球だとすれば、それは四次元球であるでしょう。ですから、HH天体にクラインの壷を重ねてみたのですが、その形は、座禅をしている姿に見えないでしょうか。只管打座すると、心身脱落して、自我が抜け落ちます。点になるのです。その時が宇宙と一体となる特異点=空なのです。更に内観が進めば、円が現れるでしょう。つまり球に包まれるのです。これを一如といいます。特異点から渦が巻き始め、無限に向って、その逆の無限から特異点に向います。いや、無限ではありません。螺旋の時間回廊です。

    これを複素平面で解釈すれば、HH天体には、次元化・現象化のプロセスがあり、空のダイナミズムがあります。内観とは、ゼロ次元から一次元の線、二次元の円、三次元の球への現象であり、一如というのは次元の畳み込みであり、ここには発散と収斂の振動があります。悟りにも宇宙にも次元化・現象化のサイクルがあるのです。宇宙にも収縮=次元化があるということは主流の理論では認められてはいないのですが、それは半分しか認識させられていない陰光のせいなのです。発散膨張が宇宙に真理であり、禅ではそれを悟りと称して瞑想=内観によって、それを感得するのです。

    宇宙のどこかで衝突、拡散、爆発に遭遇したら、三次元に顔を出した四次元の尻尾だと思って間違いありません。そこでは時間が進んでいるはずです。光は半分しか私達に見せないようにしています。陰光には陽光というパートナーがいるとは既に述べましたが、私達は真の光=陽光を見ていないのです。ですから、陰光を追求していけば、陽光を見つけることが出来るかもしれません。その時こそが四次元への入り口が見つかるはずです。

    とりあえずは、斥力=爆発している場所を発見することから始めましょう。
    ―――
    直交座標空間の原点は円盤とジェットの交差する特異点です。原点は円盤の外側に通じる三次元世界と繋がっており、特異点は虚軸に繋がっています。複素平面で言えば、原点は実空であり、特異点は虚空ということになります。

    ジェットは円盤と垂直の方向に突き抜けているのですが、これが四次元の虚軸の方向を示しています。ただ、噴出すのがジェットガスですから、虚は見えないはずなのでちょっと困ったことになります。一応ここでは、特異点の無の海から、直ちにジェットの一次元が生成されたのではなく、虚軸の陰陽イデアが生成されて、それがジェットガスとして見えたとしておきます。

    更にもう一つ疑問があります。円盤を突き抜けていると言ったのですが、それは、串刺しのように上下は繋がっているのでしょうか。特異点は反転する場所ですから捻りがあるはずです。それと突き抜けの関係はどうなっているのでしょうか。

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    2009年06月29日 14時58分35秒

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    正四面体と中性子

    正四面体と中性子
    <補完共振>

    宇宙で最初に真空を閉じ込めたのはヘリウムですが、そのヘリウムの形は正四面体です。何故、正四面体であるのかは、既に説明しました。再度、要約しておきます。

    電子や陽電子は点であり、ゼロ次元の真空の海に「対」でじっとしているのですが、突然、そこから顔を出してきます。つまり、一次元の波=線=エネルギーとして現れるのです。そこには陰陽イデアの虚エネルギーと複素平面の回転と次元化と現象化の空のダイナミズムがあります。正四面体は三次元物体が現れるときのイデアです。水素は二次元物質でヘリウムが三次元物質です。水素は円のイデアが形となったのであり、三次元物質ではないとするのは、四次元能の独特の言い方であり、正規の物理理論では二次元物質というような言い方はしません。

    四次元能はイデア論なので、領域という考え方が宇宙の有様と深い関係があると考えています。領域がどうあるのかがイデアによって左右されていると思うからです。イデアとは虚エネルギーであり、宇宙の法則はエネルギーを最小で安定する形を求めて現象させるのだと考えています。真空では電子と陽電子が対で陰陽イデアそのままで静態しています。それが活性化すると実エネルギーとなって一次元、二次元、三次元という次元の階段を登っていくのですが、それは中性子と関係しています。真空は原子番号ゼロのニュ-トムと看做してもよいという理論もあります。四次元能はこの理論を引用しています。詳しくはこちらを参照してください。
    http://www4.ueda.ne.jp/~guoningqiu/dojutaihome/index.htm
    これによると、水素とニュ-トムの違いは中性子があるかないかなのです。中性子とは一体何者なのでしょう。中性子の正体を掴む必要があるのですが、それは又の機会にします。

    それよりも明らかにしなければならないのは、何故、次元の階段を登っていくということです。次元が上がるということは、虚エネルギーが実エネルギーになるということです。ゼロ次元と一次元だけなら、単にダンスをしているだけであり、何の変哲もないのですが、三次元にまでくると様相が一変します。物質は、いつかは崩壊するのですが、それでも長い年月をその形で保持します。生命になると固体はなくなっても、ゼロ次元に戻らないで命のリレーをしていきます。つまり、三次元を維持していくのです。三次元を維持するということは、エネルギーを保存していくということです。しかも、そのエネルギー保存の形態は、不安定から安定に向かうように調整されます。原子は中性子を取り込んで、より多くの電子と陽電子を消滅させないで、近くに繋ぎ止めておきます。しかし、原子と原子が融合して陽電子が多くなったり、少なくなることがあります。その場合でも自然に調整されて最も安定な核になります。安定かどうかの調整役は中性子が担っているのです。

    そうした元素から出来ている物質は更に高度な構造となってエネルギーの保存量を増やしていきます。高分子構造をもった遺伝子やタンパク質などを出現させました。それらの構造もよく見るとエネルギーが最も安定する形を選択しています。その形は一見すると複雑に見えますが、結局のところ、正四面体が重合しているのであって、その根源は正四面体イデアにあり、正四面体こそが最も安定した三次元エネルギーの形なのです。

    最初の物質として正四面体ヘリウムが選ばれたのは、三次元エネルギーの形を保存するために必要な条件だったのです。つまり、頂点が四つであることが絶対条件だったのです。

    一次元では絶え間ないダンスや回転が必要であり、すぐにゼロ次元に戻ってしまいます。エネルギー形態としては安定しません。宇宙の法則は、一時でもエネルギーを保存したいのかのようです。中性子はそのような役目を背負って、宇宙空間から光とともに派遣されたのかもしれません。中性子は名前のように、中性ですから電気的に中性です。また、反物質が自分自身なのです。電子と陽電子が対なっているときは、消滅してかのように真空の中でじっとしているのですが、中性子は対(中性子とい中性子)であっても、じっとしておらず、どこにでも出現するのです。

    そして、物質の次元化には必ず顔を出すのです。物質の次元化とはゼロ次元を三次元まで昇華せせることです。つまり、三次元物質を現象化させることです。それによってエネルギーを保存するのです。

    その基本であるのが最初の物質としてのヘリウムなのですが、陽子2と中性子2で出来ているとしてきました。これが四つの頂点を持つ正四面体の条件だからです。ところが、この陽子と中性子の関係についてよく分からないことが多いのです。実は陽子を誰も見たことがないのです。まだ認められてはいないのですが、新しい原子核の理論によれば陽子は陽電子と中性子であるといいます。詳しくは下記を参照してください。
    http://www4.ueda.ne.jp/~guoningqiu/dojutaihome/index.htm

    この理論は四次元能と親和性がありますので度々引用しています。電子と陽電子が近くにありながら消滅して真空に戻ってしまわないのは、中性子が何か重要な役割をしているからです。中性子は陽電子の中に取り込まれるのですが、そのような状態になった陽電子には電子は近寄れなくなるのです。まるで中性子は用心棒みたいです。

    水素単体は電子1、陽電子1、中性子1で二次元の面を構成しているのですが、
    中性子が二個になっても、その振舞いも次元も変わりません。中性子が三個になると水素ではなく、名称がトリチウムとなりますが、その振舞いも次元も変わりません。

    ところが、トリチウムの近くに真空から電子と陽電子が対生成されて出てくると様子が変わります。陽電子が原子核に取り込まれ、電子二個がその外殻を廻るようになるのです。廻るというよりは飛び跳ねるといった方がいいのですが、いずれにしても、二個の陽電子と三個の中性子、二個の電子という組み合わせになるのです。これがこの理論で言うところのヘリウムです。

    これまでヘリウムは電子2・陽子2・中性子2という組み合わせであると言いました。陽子2・中性子2だからこそ、四つの頂点を持つ正四面体を構成するとしてきたのです。この理論を取り入れるとティトムとの齟齬が生じてしまいます。困ったことになります。

    水素単体は陽子1と電子1ですが、中性子があるとはメジャーな理論でも言っていないのです、これは従来の考え方とは大きく違ってきます。何とか折り合いをつけなければなりません。ましてニュートムなどという原子番号ゼロの原子まで登場させてしまいましたから、メジャーな理論からするとトンデモと言いたいでしょう。

    私達は電気製品に囲まれているのですが、そこには電気があります。つまり、電子のオンパレードです。物質は元素から出来ており、その元素の外殻は電子です。ところが、この世に電子は沢山あるのですが、陽電子があまり出てこないのです。この理論によれば、この説明も簡単にできます。

    真空=ニュートムから電子と陽電子が絶え間なく生成して、すぐに消滅しているなら、この世に電子も陽電子もないはずですが、現実には電子だけ目立っています。陽電子の姿が見えないのは不思議なことです。勝手に消滅することはないので、どこかに隠れているはずなのですが、一向に姿を見せません。

    この疑問を解いてくれたのが、この新しい核の理論です。陽子が陽電子と中性子であるという考えは画期的な説ですが、果たして整合性は取れるのでしょうか。

    先ず、真空から生成された電子と陽電子が同じ量だけあるならば、元素は大体バランスが取れていますから問題はありませんが、電気製品を流れる電気は電子ですから陽電子とのバランスが悪いのです。この理論によれば、真空には陽電子と電子が対としてあって、その振動が電流であるという説明が出来るのです。

    この理論を採用するとなれば、これまでのヘリウムについての説明との整合を図っておかなければなりません。陽子を陽電子と中性とすると、大きな問題が出てきます。ヘリウムは電子2・陽子2・中性子3になるのです。そうすると頂点は5ですから正四面体ではなくなります。頂点が5の立体はありません。陽電子一個と中性子三個のトリチウムの方が四つですから正四面体となるに相応しいように見えます。しかし、陽子一個では、電子一個しか引付けることが出来ないのです。トリチウムは不安定なため陽電子を取り込んでヘリウムになって安定します。

    この理由から、中性子三個のヘリウムが正四面体でよいのです。あまった中性子は何の役にも立たず、邪魔もせず浮遊しているということです。この理論では中性子を元素の基本にしており、中性子を原子量として、元素の安定性を示す指標となるようです。

    正四面体イデアは、エネルギーを保存する最も安定な形であり、その形はヘリウムの電子2と陽電子2と中性子2であり、その形によって真空を閉じ込めたといいました。一方、陽電子と電子の対が真空であり、原子番号ゼロのニュートムであるとも言いました。さて、そうなると、正四面体はニュートムを閉じ込めたことになるのでしょうか。エネルギーを保存するとは、ニュートムのことなのでしょうか。陽電子2と中性子2で形成する正四面体の中にどの程度のエネルギーが保存されるのでしょうか。

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  • from: 生成門さん

    2009年06月29日 13時13分58秒

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    真空とは空=原点=場

    真空とは空=原点=場
    <補完共振>

    宇宙の始めは「何もない」のですから、無、つまり、真の空なのでしょう。実は、この「何もない」というのが曲者なのです。「何もない」というとき私達は無意識に「物がない」ことを前提にしています。つまり、三次元空間を前提としているということです。

    三次元空間ではそこに物がなければ、「空いている」、つまり、物と物の間は空きスペースであることははっきりしています。人が住んでいない空き家です。
    水の中に石を入れると水はその場所から排除されます。石がその空間を埋めたのです。そういう水も実際は物ですから水にあるところは空間とは呼べませんが、ここは空間の隠喩としての水です。この場合、空間が水から石に変わっただけですが、もし、水も石もなくなれば、その空間は真空といえるのでしょうか。真空は水のように流動性があって物がくるとそこを譲るのでしょうか。

    三次元空間の場合は比較的イメージしやすいのですが、ゼロ次元空間、一次元空間、二次元空間、四次元空間となるとイメージしにくいでしょう。これらの空間にも真空はあるのでしょうか。

    真空についていくつかの疑問を投げかけてみました。四次元能ではこの真空が重要な役割を果たします。真空が分かれば四次元が分かったと言ってもよいかもしれません。四次元能的な答えとはどんなものなのでしょうか。それでは早速取り掛かりましょう。

    四次元能ではこの世界は四次元と考えています。しかも、四次元=複素平面と考えています。この四次元は、一次元、二次元、三次元を含んでいます。ゼロ次元、虚次元という特別な次元もありますが、結局それは四次元のことです。

    それぞれの次元には原点・特異点があり、それを空と言います。空には実空と虚空があります。原点を実空といい、特異点を虚空といいます。結論ばかりを並べ立てましたが、ここだけしか読まなければ混同するばかりでしょう。これに加えて真空が出てきたのですから、シムハンターの皆さんは更に混乱していると思います。

    投稿毎に独立して読めるようにしたいのですが、なかなかそうもいきません。できるだけ、他のテキストも読んでください。

    さて、本題です。

    真空と言うようになったのは、地球上の独特の事情があると思います。地球では何もない場所を空間と言いますが、厳密に言えば、そこには空気があります。空気は酸素や窒素という元素で構成されていますが、それらは列記とした物質です。空気が読めないとか言いますが、この場合の空気とはムードや雰囲気のことで非物質的なものです。このような気分的なものでさえ現象ですから、四次元的であると言えるでしょう。それが三次元物質である空気と一緒に論ずるのが四次元能なのです。その話は、ここでは深入りしません。

    地球上には、宇宙空間からやってくる光や宇宙線が降り注いでいます。何もない空間とはいえ、粒子や物質で満たされているのです。そこで固体のような物がなく空気だけがあるような空間と区別する意味で真空と言ったのだと思います。

    地球上ではあらゆる物質を除去して人工的に真空を作り出すことが出来ます。真空管がその例でしょう。ところが、これが本当に何もない真の空なのかということです。それが違うのです。何もないはずの空間から電子と陽子が飛び出してきたのです。この事実が確認されたことで真空の意味が変わったのです。

    真空の新しい意味は、エネルギーの海だということです。無の海という表現がされるようになりましたが、無の海=真空はエネルギーの貯蔵庫なのです。

    真空では電子と陽子が対になっており、エネルギー的はプラスマイナスのゼロ状態=中性であるということが分かってきたのです。このような真空状態にある点をゼロポイントといい、中性のエネルギー状態にあります。真空状態にある点をゼロポイントエネルギーともいい、更には、この真空が広がる場をゼロポイントフィールドとも言います。

    このような真空は四次元能がいう空、或は虚次元とはどういう関係にあるのでしょうか。これを明確にすることが指し当たっての課題です。

    真空についてもう少し、ミクロな世界で見ておきましょう。量子の世界では、真空は電子と光とが交互にダンスをしているといいます。真空とは電子と陽電子が一体、つまり、中性の状態としてあり、同時にダンスをしている場であるというのです。この言い方には少し矛盾があると思います。

    電子とか光が動いているということは、粒子ではなく波であるということです。粒子は粒子であると同時に、波としての性質があります。動かないときは粒子ですが、動いているときは波です。波のような粒子という言い方が適切でしょう。

    電子と陽電子が一体としてあるときはそこにじっとしているのですから粒子であり点です。しかし、動き出したら点とは言えません。電子と陽電子が生成したということは、波=線として生成されたのですから、その粒子が動く場とは一次元の空間です。つまり、無の海とダンスをしている場は一次元であり、真空とは言えないということです。これをはっきりとしなければなりません。

    無の海とは中性であり、真空が広がっている場ですが、ダンスをしている粒子は動いているのですから、点としての粒子ではなく、波としての粒子です。一次元の波だということであり、無の海の真空は、粒子のような波が一次元として生成された原点だということです。

    つまり、無の海は真空ですが、ダンスをしている場は真空ではなく、一次元の空間であるということです。粒子が入ってこないように遮蔽すれば真空になるのでしょうか。真空から粒子が自発的に生成されるのですから、完全な遮蔽はできないのではないでしょうか。

    この質問自体も矛盾です。完全な遮蔽は三次元を前提にしています。ゼロ次元と一次元しかないならば、遮蔽など意味がないわけです。次元というのは重なっているのではないでしょうか。まして、四次元能ではゼロ次元とは虚次元ですから重なっているどころか一体なのです。

    地球上のメタファーに頼って表現すれば「月濡れず、水破れず」です。これは道元の正法眼蔵の現 成 公 案の「悟り」を表現した一節です。悟りとは水に月が宿るようなものだというのですが、水を真空と考えれば、真空の意味が分かるのではないでしょうか。道元については下記を参照してください。
    http://www.soto-kinki.net/zenwa/zenwa-wahei/zenwa-wahei-7.html
    以下、編集して引用しました。

    水に映る月は濡れないし、水も破れません。月は広く大きな光なのですが、小さな水にも宿り、月の全体にも宇宙全体も草の露にも宿り、一滴の水にも宿るのです。悟りが人を破らないことは、月が水に穴を空けないと同じことです。人が悟りの妨げにならないということは、一滴の露が天の月を映す妨げにはならないのと同じです。水が深く見えるということは、月が空高くにあるということです。悟りがどんな自説見られたたかということは、大きな水か小さな水かを点検し、天の月が広いか狭いかを考えてみればいいのです」

    つまり、一滴の水があって、真理そのものである月が、その水に映りますが、その月は水に濡れない。水は月を映しても破れない。我々の心もそうです。真理を宿しても、我々の心は破れない。真理は濡れない。そして月というのは大きな光だということなのだけれども、小さな水にも宿り、月の全体も、宇宙全体も、一滴の露にも宿るということです。草の上に付いている一滴の水滴に宇宙全体が宿る、月全体が宿る。つまり、この中に真理が全部、宿っているということです。
    ―――
    水を真空だとすれば、月が悟りの意識現象です。つまり、悟りが現れたとしても、悟りは真空に影響されるわけでもないし、真空の方もなくなるわけではないということです。悟りを宇宙の精神=生成消滅の原理と考えれば、あらゆる現象は真空に宿るということになります。逆に言えば、あらゆるところに真空はあり、その真空からあらゆる現象が生成消滅するということになります。少し無理な解釈をしましたが、真空を考える意味での参考になると思います。

    四次元能では、道元の世界を超えて、更に奥深く行きます。つまり、この生成消滅させる背後にイデア空間があると考えているのです。

    イデア空間とは、空を特異点とする陰陽軸とする虚エネルギーの虚次元の空間です。四次元とは、この虚次元を虚軸として、生成消滅する現象空間を実軸として、複素平面を構成するのです。複素平面は回転して陰陽イデアが実軸に実エネルギー現象として現れるのですが、そこには空というダイナミズムがあり、次元化という畳み込みがあり、現象化と並存して複雑な世界を作り出しています。

    ここで空を真空と読み替えると真空は虚軸とも繋がっており、イデアエネルギーを実エネルギーに反転させる重要な媒介役を担っています。

    ですから、実軸に一次元が生成されたとしても、虚軸に繋がる空=真空は「月濡れず、水破れず」という関係であるということです。月を実軸の現象とすれば、月のイデアが虚軸にあることになり、水は空ですから、複素平面は虚軸と実軸が交差しているのですから、重なろうがなくなろうが複素平面は何の影響も受けないのです。

    従って、無の海は真空=空(実空・虚空)であり、ダンスをしている場は一次元であり、真空とは、虚次元の特異点であり、それが畳み込まれた一次元の原点であり、真空は原点としての点と虚次元として広がる点であるということです。

    虚次元は一次元が生成される前のゼロ次元のことです。ゼロ次元とは実軸サイドから見たときの呼び方であり、虚次元とは虚軸サイドから見たときの呼び方です。ですから全く同じなのですが、複素平面をイメージすれば理解で出来るのではないでしょうか。ただし、実空と虚空の二重性をもたらす鍵になりますので、単なる呼び方の違いではないのですが、詳しくは空のダイナミズムで説明します。

    さて、真空は陰陽イデアエネルギーが静的な状態、即ち、中性の状態にあります。中性の状態とは電子と陽電子の対がゼロ次元の点としてあることです。点はどこでもありますから、どこでも真空であるのですが、その一つの点に一次元の光(ガンマー線)が飛び込んできたとします。すると電子と陽電子が対生成することになります。このとき光は消え真空になります。生成と消滅は同時であり、その場所を原点とする電子(-)と陽電子(+)の新たな一次元が生成するのです。

    この生成した電子と陽電子が出会う(生成したのと同じとは限りませんが)と対消滅してゼロ次元の真空に戻ります。一方、同時にガンマー線(光)を出して新たな一次元が生成されます。このようにゼロ次元と一次元は絶えず行ったり、来たりしているのです。

    話が複雑になってきましたが、ここで次元誕生の話を思い出してください。点とは次元の元であり原点です。ゼロ次元では原点はゼロのことになります。ゼロ次元ではゼロしかないのですから、どこにでもあります。又、ゼロ次元は虚でもあるのですから、四次元でもあります。複素平面では虚軸に相当します。虚軸と実軸が交差した点が空であり、空から次元が展開するのです。これを空のダイナミックスといいます。

    つまり、真空は原点であり空なのです。
    空は虚軸の虚空であり、一、二、三次元の原点=実空ですから、真空は三次元にもあることになります。しかも、そこにはゼロ次元が畳み込まれているのですから、どこにでもあることになるのです。

    光は点の連続として真空を伝わります。この場合の真空はゼロ次元の真空です。つまり、真空が反転して一次元の波として伝わるのです。これが一次元の現象なのです。もっと正確に言えば、光はゼロ次元と一次元の空を介して、出たり入ったりしています。複素平面が回転していて、私達は実軸上に現れた飛び飛びの光を見ているのです。ただ、虚軸の光は見えないので実軸の点を光線として見ているのです。

    二次元空間では真空はどうなっているのでしょうか。二次元物質は水素ですが、それは電子と陽子が回転して二次元空間を作っているからです。この空間にもゼロ次元の真空はあるのでしょうか。

    一次元はゼロ次元が畳み込まれて次元化して原点となり、現象化して二次元となり、二次元が畳み込まれて次元化して原点となり、現象化して三次元となりました。三次元の物体では、正四面体が三次元空間を作っています。この空間にも二次元の原点としての面と共に、ゼロ次元の真空が畳み込まれているのです。

    真空は点でありながら空間として広がっているのです。真空はゼロ次元としての原点でありながら、一次元や二次元や三次元の空としてどこにでもあるのです。

    要約しておきます。

    当初、虚空は特異点として陰陽イデアの中和した不活性な状態にあります。そこから虚軸が出来て、陰陽のイデアエネルギーとなり、再び空になります。虚軸→空→虚軸の方向で振動しているとうことです。中和した状態の空を見れば(見えないのですが)電子と陽電子が対になって隠れています。

    ここで、なんらかのきっかけで虚軸が回転するとします。すると虚空が活性化して実空の原点に移り、実軸に現象化します。これが電子と陽電子の対生成であり、無の海のダンスであり、一次元の誕生です。一次元の誕生とは、イデアエネルギーが一次元直線の実エネルギーになったという見方も出来ます。しかし、このエネルギーは電子と陽電子が出会うと、すぐに消滅してしまいます。同時に一次元は消滅して、ゼロ次元=虚次元=真空に戻ります。

    ところが、ここに中性子が現れると異変が生じます。中性子自体は別の真空から一次元として生成した現象です。その中性子が電子と陽電子の出会いを阻むのです。中性子は陽電子の用心棒のようになって電子が近づくのを阻止するのです。

    電子は仕方がなく、その周りをトランポリンのように飛び跳ね、廻ります。これも無の海のダンスであり、二次元の誕生です。二次元の誕生とは、イデアエネルギーが一次元に畳み込まれて虚から実に反転して、二次元の円盤エネルギーを形成したという見方も出来るでしょう。しかし、このエネルギー形態は、電子と陽電子が出会って、すぐに消滅したようには簡単には消滅しません。他の水素原子と結合して、水素分子(H2)となり、二次元を維持するからです。

    更に、ここに中性子二個が取り込まれると中性子3、陽電子1、電子1のトリチウムとなり、やや、三次元に近い二次元のエネルギー形態となるのです。そこに無の海から一次元エネルギー形態の電子と陽電子が対生成して現れます。すると陽電子が取り込まれます。

    中性子というのは用心棒ではなく遊郭の女郎のようなものかもしれません。電子が正妻であるとすれば話の辻褄が合うのです。正妻の電子は仕方がなく、トランポリンのように飛び跳ね、周りを廻るだけです。

    ここで、ようやく三次元エネルギー形態を持つ正四面体ヘリウムの出現です。外部には電子が正妻であることを示すために、その形は電子2陽電子2という形で体裁を保っています。しかし、内実は中性子3に囚われているのです。

    正四面体ヘリウムの出現したことで、エネルギー形態としては不安定な一次元の粒子や二次元の水素、トリチウムはゼロ次元に戻ることなく、三次元エネルギー形態を維持することが出来るようになったのです。もちろん、虚次元には絶えず戻っているのですが、そのリサイクルは、いつも虚次元=ゼロ次元から一次元に戻って、それから始まるわけではなく、いきなり三次元に戻るのでイデアとしての目的には適っているのです。

    イデアとしての目的とは何でしょうか。それはエネルギーの保存です。無の海から生じたエネルギーを無の海に返すのではなく、出来るだけ長くエネルギーを保存すること、それが中性子の役割なのです。

    中性子は原子の安定性の指標であり、陽電子が一つ上がると原子番号が上がっていきます。原子番号が上がるのは核融合ですが、それに伴って陽電子と中性子と電子が増えていきます。そのときに、陽電子が多すぎたり、少なすぎたりします。陽電子が少ないときは、電子(花嫁候補)が多いということですから婿養子(陽電子)を迎えてバランスを取ります。このときは原子番号が一つ上がります。格=核が上がるとはこのことなのでしょう。一方、陽電子が多いときは、花嫁(電子)を迎えて核外に追い出します。要するに、原子核はエネルギー的に安定になりたがる傾向にあり、人材(陽電子)を入れたり、リストラをしたりして、安定に向かうのです。その基準を決めているのが中性子だということです。この考え方は「新しい原子核理論」を参考にしています。詳しくは下記を参照してください。http://po4.ueda.ne.jp/~guoningqiu/dojutaihome/index.htm

    参考までに、この理論の原子番号と原子量を示しておきます。原子番号は陽電子数、原子量は中性子数です。

    原子番号 原子量 原子名  原子核(陽電子・中性子・電子)       
    0    0  ニュートム        1    0   1
    1    1  水素1          1    1   1
    1    2  水素2          1    2   1
    1    3  水素3{トリウム}    1    3   2
    2    3  ヘリウム3        2    3   2
    2    4  ヘリウム4        2    4   2

    ここで面白いのはニュ-トムという原子です。陽電子と電子が対になって真空を形成しているのですが、これを原子と看做せば、真空とはニュ-トムという陽電子と電子の対の原子で満たされているということです。水素とニュートムとの間の違いは中性子があるかないかということだけですので、中性子の意味が重要となってきます。

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  • from: 生成門さん

    2009年06月20日 18時27分03秒

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    正4面体イデアはまるで生き物(2)

    正4面体イデアはまるで生き物(2)
    <補完共振>
    原子核を形成するのは中性子と陽子とされていますが、それらはお互いに変身できるのですが、その関係には沢山の疑問点があります。中性子と陽子では何が同じで、どこが違うでしょうか。そして、原子核の中に入り混ざった時にどのようにして、この時の自分は「中性子である」、あるいは「陽子である」と識別されるのでしょうか。この疑問に答えてくれる新しい原子核理論があります。「陽電子-中性子説(同重体理論)を参照してください。
    http://po4.ueda.ne.jp/~guoningqiu/dojutaihome/index.htm

    これによると、陽子とは陽電子であるとする画期的なもので、従って、原子核は陽電子と中性子から構成されるということになります。まだ、学会では認められてはいないようですが、陰陽イデア論とも親和性が良いので、四次元能ではこの説を取りたいと思います。

    そうすれば、ヘリウムモナドが何故電位の餅鏡のような二極に分かれて磁場を形成するのかが、よく分かるのではないでしょうか。陽電子2と電子2は対になり、上下の電位の餅鏡になるという図式が見えてきたからです。

    規模の大きい宇宙になると大きな磁場が形成されますが、それは、物質の最も基本にある正四面体イデア由来のヘリウムの電位の餅鏡、つまり、二つの電子と二つの陽電子に磁場を形成させる役目を担わせているからです。

    ヘリウムモナドが何故二個の電子を従えているのか、これで明確になりました。三次元立体を構成するには、最低四つの粒子が必要であり、更に、電気的に釣り合いを取るためには、内と外は中和されなければなりません。内には陽電子が二個ありますから、対称性を維持するためには、反対の電子が必要なのです。

    ここで、ミクロからマクロに目を転じてみましょう。宇宙に於いては、対称性はどうなっているのでしょうか。当然、陰陽イデアが支配していなければならないのですが、どうでしょうか。先ず、宇宙サイクルを見てください。この図は物質が解体されて、ゼロ次元に戻り、そこから次元が再成される様子を示しています。

    物質が円盤に達するとばらばらになります。やがて、回転しながら中心によっていきます。そこで粒子となり、二つに分かれるのです。ここにもヘリウムモナドと同じ、正四面体イデア由来の二極反転の構造があります。

    粒子までバラバラになったということはゼロ次元に戻ったということです。粒子はプラスとマイナスの二極に分化さ全体としてはゼロ、即ち中性です。

    この後、円盤が回転することで内部に蓄えられた捻りエネルギーが一気に反転して垂直に噴出するのです。二つの餅鏡に分離された物質と反物質の元がそれぞれのルートを経て事象の地平面に噴出すのです。噴出したものは波のような粒子ですから、一次元を生成していると言えるでしょう。

    垂直に飛び出るジェットとは四次元への回廊であるとも言いました。ところがここでは、一次元であるといいます。この混乱はどうしたことでしょう。ここには表現されていませんが、次元を生成する複素平面がかくれているのです。

    円盤が畳込まれて空(実空)になり、次元化(四次元に向かう準備)をします。そして虚空に引き渡されて虚軸が出来ます。再び、陰陽イデアによって、虚空となり実空にシフトして、一次元に現象化します。この図では、このプロセスが表現されていないのです。




    再び、ヘリウムモナドの話に戻ります。下の図の意味は、正六面体が八つの粒子を持つ原子核を表現できると同時に、四つの頂点を持つ正四面体二つを重ねたものに等しいことを示しています。これはヘリウムモナドが二つあることを意味しています。ヘリウムモナドが二つとは何を意味しているのでしょうか。



    ヘリウムが正四面体として空間を閉じた時、ヘリウムモナドは電位の餅鏡を生成しました。そして融合が進みネオンになると五つの正四面体モナドで形成され、8個の外殻電子が露出してきます。そして磁場を形成します。このネオン原子から電磁領域が活性となってくるのです。その理由は、正四面体が重合することによって電磁的性質が強化されるからです。電磁的性質の±は、その重合したモナドが風船を二つに捻った形で上下に二分されることで表現します。捻りの点は特異点=空を意味します。虚軸は表現できていませんが、想像して下さい。


    ネオンから電磁領域が活性するといいましたが、正四面体が重合するだけで、いろいろな性質が現れてきます。電子の数だけの違いで元素の性質を作り出す不思議が起こるのです。信じられないのですが、四次元能では正四面体イデアにその由来があると考えます。

    ヘリウムはかなりの流動性を持っています。それが正四面体重合を重ねると金属性や放射性が生成されていきます。はっきりしていることは流動性がなくなり個体性が強くなることです。それでもなくならないのは、二極陰陽性です。

    ヘリウムでは、二個の電子が外殻にあり内部の陽電子と共に物質の対称性の基本である餅鏡の役目を担っています。それを宇宙サイクルとして示したのですが、すべての物質に陰陽が付きまとうことを餅鏡が意味しているのです。

    大事なことは、どのようにして陰陽イデアが物質に現れるかということです。

    ヘリウム五個を融合させるとネオンになります。これは一個の正四面体と二個の正六面体を正四面体五個で代用できること、つまり、すべては正四面体重合であることを意味しています。この場合、陽電子は10なので10個の電子が対応します。そのうち8個が外殻電子として露出してきます。二個はヘリウムモナドに使われています。

    原子番号が10のネオンが出来るまでには、リチウム(3)、ベリリウム(4)、ホウ素(5)、炭素(6)、窒素(7)、酸素(8)、フッ素(9)を経由して出来ます。当然、それぞれの特性があるのですが、流動性は確実に低下してきます。ところがネオンになると、突然、電気的な性質が表れてきます。それは8個の外殻電子が露出してくることと関係してくるのです。鉄に行くまでは、まだ先が大分ありますが、硬い金属であることは誰でも分かっているでしょう。

    物質の性質は正四面体の数と電位の餅鏡、電子の数だけで決まるということです。しかも対称性が保持されているということです。それは最深部に正四面体イデアが現象化した正四面体モナドが「どーん」と居座っているからです。

    この「すべてが陰陽イデアによって陰陽を現象化させる」という事実は、四次元能にとってすごく大事なことです。重合しさえすれば、対称性を維持しながら、どんな性質も生成されるということではないでしょうか。心さえも、です。

    正4面体イデアは単に立体であるというのは大きな間違いです。このイデアはまるで生き物のようなのです。いや、生き物の原型だからこそ、生き物が生成されてきたのかもしれません。

    元素という物質は、外側の正四面体の外部には、内部の陽子(陽電子)と同じ数の電子をもっています。しかも、それらは、正四面体が重合して、風船のように捻られ、その度に畳込みと収縮があり、反転して、内と外が入れ替わり、自在に姿を変えてきた結果です。この様子は次元誕生で述べました。この空のダイナミックスは元素レベルでとどまらず、核酸、タンパク質と繋がり、複雑さを増してきました。更に脳神経にまで来ると、その複雑さは指数的に爆発します。これをどう解釈したらよいでしょうか。

    正四面体は球に内接します。この球を複素平面と考えて見ましょう。複素平面は回転して、反転します。一回転一反転ごとに、畳み込みが行われます。この事態は、よくある光景にではないでしょうか。宇宙サイクルはまさにそれです。

    もっと身近な例を出しましょう。誰かと話しているときです。自分が話して相手が聞く、そして交代する。これが会話です。自分が相手の中に侵入して、相手が自分に侵入してきます。これが続くと、お互い自分を変容させるでしょう。

    やがて、まるで自分がひっくり返った正4面体モナドの中、つまり相手の中にいるような感覚を味わうのではないでしょうか。

    インターネットのメールのやりとりでも似たような経験をします。自分が相手に飲み込まれ、次に自分が相手を飲み込み、自分が相手になっているという不思議な体験です。

    自分は内なのに外を反転して内に包み込み、この外へとやってきたのは、他ならぬ自分自身であり、実は内と外を作っているのだという実感をもったことがあるのではないでしょうか。

    自分(内)→外=相手(内)→外=自分(())→相手(())→自分((()))→相手→((()))

    この喩えが分かりにくいようでしたら、鏡と自分の関係に置き換えても良いでしょうし、万華鏡を覗いても良いでしょう。

    正四面体が分けているのは内でも外でもなく、その境界である正四面体そのものであるということが理解できるでしょう。

    陰陽イデアから正四面体イデアとなり、正四面体が重合して、陰陽対称性を維持しながら、複雑化して、とうとう物質とともに精神までを生成してしまいました。陰陽イデアというキングオブイデアから生まれたまるで生き物のような正四面体イデアの自在な性質によるところが大きいのです。正四面体イデアの変幻自在さはこれからどんな姿を見せてくれるのでしょうか。お楽しみに。


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  • from: 生成門さん

    2009年06月20日 18時20分15秒

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    正4面体イデアはまるで生き物(1)

    正4面体イデアはまるで生き物(1)
    <補完共振>

    四次元能では、陰陽イデアがあれば、すべての次元を誕生させ、すべての現象を出現させることが出来ると考えますので、陰陽イデアはすべてのイデアの王様とするのに相応しいでしょう。

    宇宙の始めはいつでも無から始まります。無とはゼロであり点です。ゼロ次元に於いては点のみです。複素平面がまだ出来ていない無の状態、即ち、空のみの不活性な生成卵状態としてあります。つまり、実軸も虚軸も生成されていないと考えます。

    従って、無の空では陰陽イデアは中和されていなければならないのです。中和とは、陰陽が合体した状態、つまり±ゼロです。揺らぎによってその中性が破れると、虚軸が出て来ます。虚軸が回転すると実軸が出て来てきます。これによって複素平面が姿を見せるのです。つまり、実軸上に陰陽の二極分化が現れるのです。これを膨張反転の現象化と呼んでいます。膨張反転は空の実軸上への展開のことであり、回転と同じ意味です。

    次元の階段はゼロ次元陰陽イデアから、始まりますが、その様子を垣間見ておきましょう。ゼロ次元陰陽イデアから、一次元の直線(±)イデア、二次元の面(半陰半陽)イデア、三次元の立体、即ち正四面体イデアが次々と生成されます。そして、ゼロ次元の陰陽イデアは、すべての次元で対称性=陰陽を作り出すのです。では、ゼロ次元の陰陽イデアが、具体的にどのようにして物質に対して対称性を現わすのでしょうか。

    「二つの餅鏡と二つの正四面体」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100073027685
    以下、編集して引用しました。



    ヘリウムは中性子2、陽子2、電子2で構成されています。原子核には、中性子2、陽子2の4つの粒子があります。この四つが正四面体の頂点に対応します。原子核の外側には、K殻(もっとも内核に近い軌道)に二つの電子があります。

    K殻の二つの電子と四つの粒子の正4面体を一体として、一つの粒子と看做します。この粒子をヘリウムモナドといいます。ただし、点としての粒子と複合粒子とは次元に於いては区別されなければなりません。ヘリウムモナドは三次元の現象であり、波動性を持ち、磁場を発現する粒子なのです。

    一次元の線は原点を境に陰陽に分離され、二次元の円も原点があり、原点を境に陰陽に分離されることは容易に理解できるでしょう。三次元も球であれば原点があり、その原点を境に陰陽に分離されることは容易に理解できます。ところが、正四面体となると、中心はあるものの、それが陰陽に分離するとは考えにくいのです。幾何学的なイメージと陰陽の形が適合しないのです。これは困ったことになりました。でも安心してください。それがモナドの考え方なのです。正四面体は球に内接するのです。しかし、このモナドただの球ではありません。モナドと化した正4面体イデアはまるで生き物、変幻自在なのです。

    自画自賛はこのぐらいにして、何故、このモナドは、外部のK殻に電子を二つしか許さないのでしょうか。それは支配者がいるからです。支配者とはキングオブイデア=ゼロ次元陰陽イデアです。

    四次元能では、粒子を点と看做して、ゼロ次元の空に属するものとします。このゼロ次元から一次元(波のような粒子)が生成され、二次元(水素)が生成されてきました。そして、いよいよ三次元物質=ヘリウムができる段階です。

    二次元(水素)が畳み込まれると、既に畳み込まれている中性子と合体して、三次元ヘリウムの原点=実空ができます。ここではまだ正四面体=原子核(陽子2と中性子2)です。ここで虚軸ができて、ゼロ次元の陰陽イデアを受けついた陰陽イデアがしゃしゃり出ます。そして回転すると電子を引き連れていますので、虚空にヘリウムモナドが出来るのです。

    できた瞬間はまだ不活性ですので、陰陽が合体した中和状態、つまり、陽子2と電子2で電気的に釣り合っているのです。

    その虚空のヘリウムモナドが活性化して、実空にヘリウムモナドとして引き渡します。更に、空のダイナミックスi*-i⇒+1によって陰陽を内包したヘリウムモナドが実軸上に生成されます。

    この場合、陽ヘリウムモナドと陰ヘリウムモナドが二極に分化して現象化するのではありません。陰陽が一体となった中間的な形=中間体で現象化します。中間体という形で現象化するのは間々あることです。例えば、雌雄同体がそれであり、正物質と反物質が同じ光子、中性子とかがそうです。

    ヘリウムモナドの内部では、陽(電気的にプラス)の陽子と、陰(電気的にマイナス)の電子は二極化して、二つの餅鏡、つまり、磁場を形成するのです。

    これが三次元物質に陰陽が現れたはじめての陰陽イデア事件なのです。

    一次元では陰陽の二極分離は、ゼロ点からの対生成で知られるプラスの電子とマイナスの陽電でしょう。ゼロとしての電子と陽電子が線として現れたときです。

    二次元での陰陽の二極分離は、電子1と陽子1が結合して、円となって現れたときです。水素には陰の水素、陽の水素というのはありませんから、これも中間体としての現象です。しかし、電子と陽子はプラスマイナスですから、しっかりと陰陽でがんばっています。

    ここでいう二次元の水素(H)とは単体の水素ですが、H2の水素も三次元とは認めません。安定するために単体水素が二つになっただけであり、やはり、二つの円が重なっているだけなのです。次元誕生でも述べましたが、厚みのない円を幾ら重ねても、円柱にはならないのです。そういうことですので、H2も二次元と看做します。

    水素が物質ではないというと違和感があると思いますが、四次元能では正四面体が物質の始めであると決めましたので了解してください。

    無事、三次元物質のヘリウムに陰陽が現れたのですが、どうしても腑に落ちないことがあります。それは、何故、電子の反物質は陽電子なのに、陽電子が対にならないのかということです。それに電子は沢山見かけるのですが、陽電子がそう見かけないのが不思議なことです。

    この宇宙は対称性の原理で生成されたのですが、現実は非対称でもあるのです。私達の世界が物質で出来ていることがその最も顕著な例です。反物質はどこにいったのでしょうか。隠れているのでしょうか。暗黒物質が反物質なのでしょうか。もっとも、私達が存在出来ているのは、非対称であるからでもあるので、もし、反物質が近くにあって、遭遇するようなことがあったら、たちまち、その世界は雲散霧消してしまうのですから、非対称はありがたいことでもあります。しかし、温暖化の元凶であるパラノドライブという非対称はありがた迷惑です。


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  • from: 生成門さん

    2009年06月19日 20時15分47秒

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    ハービック・ハロー(HH)は四次元の原型か

    ハービック・ハロー(HH)は四次元の原型か
    <ティトムとの共振>

    四次元能は、ティトムの「宇宙は先ず天体ありき、天体には枠があって中に渦がある」という考え方を、四次元のイメージの核にしていきます。宇宙といっても、広大な天体だけを意味するのではなく、微小な原子核もミクロコスモスというようにれっきとした宇宙です。従って、どこにでも「枠と渦」はあるということになります。

    今回は、テラー5「ハービック・ハロー天体」が舞台です。映画の「ミクロの決死隊」にならって、電子のスケールでミクロコスモスを探検してみましょう。詳しくは下記を参照してください。

    http://momloveu.com/titom-teller-j/index.files/Page535.htm

    以下、編集的引用です。

    原子は正四面体が入れ子になっており、内と外が反転して繋がっていることは既に示しました。正四面体重合の図を思い出してください。詳しくは、「正四面体曼荼羅」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100073208566


    ―――
    内と外が反転して繋がっていることは、正4面体重合の面点反転として表現されます。このような反転した空間はクラインの壷であると隠喩的に言いました。

    これまで四次元脳を持った人間は、現象の背後にあるイデアを認めるから四次元を認識できることを繰り返し述べてきました。その前提は、四次元空間=クラインの壷=複素平面という図式です。これは四次元能の核心的でもあるのですが、その根拠は示してきませんでした。この図式は四次元認識の基本なのですから、隠喩を越えて、四次元空間の根拠がクラインの壷=複素平面であることをもっと具体的に示す必要があるでしょう。

    お馴染みになったハービック・ハロー(HH)天体の図を見てください。HH天体の図は下記から引用しました。
    http://www.cosmiclight.com/imagegalleries/stars.htm




    ハービック・ハロー(HH)天体の特徴は、円盤があって、上下に垂直にジェットが噴き出ていることです。これが宇宙の生成モデルの基本になったことは既に述べました。もちろん、この図には隠れて見えないのですが、反転したクラインの壷が隠れていて、それが四次元空間の根拠として話を進めてきました。しかし、この説明では飛躍があるでしょう。

    もう少し、掘り下げていきましょう。ミクロコスモスではどうなっているのでしょうか。ヘリウムという正四面体からスタートして、重合という入れ子によって、ベリリウムを経て鉄原子(下図)が生成されたことは述べました。
    この中にも、同様のHHスパイラル構造があることは既に述べました。詳しくは「手裏剣ジェットの出現」を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100074906355
    以下、引用しました。

    この真空の閉じ込めのプロセスが「ベリリウム変遷」の流れです。ベリリウム変遷の空間の特徴は、球の中が二つの上下空間に分離され、水平と垂直の方向があることです。このような構造はジャイロのように垂直位置がいつも天球を指しているような構造なのです。水平と垂直のジャイロ構造はいつ発生したのでしょうか。

    それはベリリウム変遷の図を見れば一目瞭然です。二つのヘリウムが重合して、ベリリウム核が融合された時に既に十字クロスが見えています。この十字クロスが直交空間(直交座標)なのです。もっと正確に言えば、二つの正四面体(ヘリウム)を内包した正六面体(ベリリウム)の真空の形が、磁界と電界の90度の関係として直交座標を誕生させたのです。こうして直交座標を持った鉄原子モデルですが、実はこの十字クロスがHH天体と似た形をしているのです。この十字クロスは四次元性を示す基本です。四次元能にとっても大変重要な構造なのです。

    十字クロスは四次元宇宙精神の現れといってもいいでしょう。HH天体の十字クロスには、水平軸に降着円盤があり、垂直軸にはジェットがあります。この直交座標の形を「ハービック・ハロー・スパイラル」、「HHスパイラル」といいます。HH天体自体寿命自体は数千年です。宇宙の時間からすれば、そう長くはないのですが、このHH天体の直交座標HHスパイラルは、銀河系にも、太陽系にも同様にあるということが大事なのです。
    ―――
    これで四次元のイメージの説明としては十分でしょうか。シムハンターのあなたは、これで満足しないでください。飛躍しないでください。四次元のシムダンスは探検なので、危険が伴うのです。例えば、時間を切断して因果を断ち切るなどという密教の荒修行と比べても数段、高い精神的転回が求められるのです。それには、更に、奥深く突き進んで、明晰夢でビジョンがやってくるまで、四次元のイメージを極めなければならないのです。

    その第一歩がHHスパイラルを吟味することなのです。HHスパイラルを三次元の世界から見ると渦でしかないでしょう。しかし、この渦こそが、四次元の尻尾であり、三次元から四次元への玄関なのです。もう少しこの渦に近づいて見ましょう。

    HHスパイラルに見えている渦は時間に忠実に連動しています。時間とは渦なのです。四次元に近づくには時間を切断しなければなりません。三次元の因果と決別するのですから、「時間を切断する」には渦を止めてしまえばよいでしょう。渦を止めてしまうと単なる円盤になるでしょう。実際に止めることは出来ませんが能の舞台でならできるでしょう。

    能とは虚という世界、つまり、仮想現実を演出する脳の編集なのです。能とは脳の中の出来事(瞑想)なのであり、瞑想とは明晰夢なのです。能とは舞であるともいいます。編集とは生成です。今、四次元能は、脳にどのような生成をしようとしているのでしょうか。

    そう。それは四次元の編集です。ですから四次元能=四次元脳=生成の舞=シムダンスというのです。この編集には道具が必要です。生成の道具はいろいろと取り揃えました。そして、これがやがてシムダイアグアムとしてツール化されるのでしょう。

    どんなに恐ろしい台風でも通り過ぎてしまえば、空も綺麗になり、平穏になります。渦は影も形もなくなります。どのような渦も回転していることは、それ自体にエネルギーがあるということです。

    回転がなくなれば、渦を維持することは出来ませんが、想像して見ましょう。渦から回転を除いて形だけを見るのです。スナップ写真を撮れば、渦の静止画が見られるでしょう。それが上に示したHH天体の写真です。

    1995年、1998年、2000年の三回にわたって撮影をしています。このHH天体が示すHHスパイラルから、余計なものを棄てて円盤とジェットだけに注目します。そして、抽象化して、簡単なモデルとして示します。

    渦のないHHスパイラルの根元を良く見て下さい。円盤の中心付近です。この二次元化された平面に突き抜ける一本の直線があるでしょう。これが手裏剣ジェットです。間歇泉のイメージです。時間を切断したので回転はなくなりましたが、上下二つの円盤と上下の手裏剣ジェットが浮き彫りになったでしょう。これがハービック・ハロー天体の四次元モデルの原型なのです。

    この単純化されたハービック・ハロー天体モデルを正四面体重合に隠喩的にスライド(述語的同一視)させてみます。更に、シムダンスの舞を激しくステップして、四次元の本質に近づいてみようというわけです。

    正四面体の三角形の面に注目してください。面に一本の直線が突き抜けているのが分かるでしょうか。これが重要なのです。三次元ではこの突き抜けた部分が渦(方向性が現れる)になります。正四面体重合の場合では、三角形の面に突き抜けている線が三本(辺)あります。

    建築にも「吹き抜け」という構造があります。下から上に空気を吹き抜けさせる構造です。これと同様に、この正四面体重合という「突き抜け」が、宇宙のミクロからマクロに通じている空間の仕組みなのです。そして、これが四次元性でもあるのです。正四面体重合という「突き抜け」=述語の共通性が鉄原子とHH天体に見えてきたのでしょうか。

    「突き抜け」という述語の共通性から、更に、見ていきます。HH天体の円盤からジェットが出ていることは自明ですが、これは正四面体の三角形の面に一本の直線が突き抜けているに相当します。正四面体重合の「突き抜け」は三箇所あります。従って、HH天体にも残りの二本がどこかにあるはずです。見えていないだけなのです。この二本がクラインの壷の空間反転に関連しているのでしょうか。

    ミクロの原子とマクロの天体が構造的に相似しているということは、そこに宇宙の精神が貫通しているということです。つまり相似とは述語的に同一視して見るということであり、隠喩的仮説(似たものの法則)によって法則(異なる現象に同一性)を発見する思考の典型なのです。しかし、どのように想像を逞しくしたとしても三次元から四次元球(仮想的天体)の一部を垣間見ているにすぎないということを忘れないでおきましょう。所詮、私達の脳は錯覚しやすく出来ているのです。決して、真正の四次元球などを見ることは出来ないのです。

    相似、述語的同一、隠喩、仮説、仮想のどれにしても、もともとは、三次元空間に居住する人間の想像でしかないのです。このようにしてしか、三次元人間は四次元を認識できないのです。

    それなら四次元に行ったつもりで四次元球の姿をイメージできないのでしょうか。これもまた想像して隠喩的に表現するしかないので、蟻がアリクイを想像するようなものです。隠喩パワーをアップするためには、四次元球とクラインの壷の間にあるギャップを埋めることです。そのためにも、単なる静止画像に過ぎないHH天体のHHスパイラルの映像を四次元ライクな操作をして見ることです。何かが見えてくるでしょう。
    四次元ライクと言ったのは、三次元に於いては真の四次元操作は出来ないからです。

    テープを編集する場合に、早送り、巻戻し、停止、拡大、縮小などは自由に操作します。これは二次元的操作です。一つの部屋の変化や動きである三D映像を自在に操れるのは三次元的操作です。ズームアウトして地球を納め、ズームインして地球の内部までカメラを持ち込むのは四次元的操作です。

    四次元的(ライク)な操作のヒントになるのは、因果のない自在な編集が行われている例を参考にすることです。それが禅の瞑想や明晰夢です。瞑想では、光を遮断して右脳優位の述語的編集を行ないます。明晰夢でも、記憶イメージの早送り、巻戻し、停止、拡大、縮小、ズームインとズームアウトなど自在に操作するでしょう。こうした四次元的な操作では、空間と時間の分離はなくなり、時空が融合した状態になるでしょう。三次元の空間に存在するもの全てを、時間が経つにつれ、球の裏と表、内と外が入れ替わるように操作しているのです。

    HHスパイラルの映像をじっくり観察して、瞑想=明晰夢に入れば、四次元ライクな操作することができるでしょう。

    次回は、四次元と無限について考えてみたいと思います。こうした映像観察と明晰夢を繰り返していけば、三次元脳を解体して四次元脳へ変身する可能性が開けてくるでしょう。

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  • from: 生成門さん

    2009年06月19日 13時53分15秒

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    イデアの王様(2)

    イデアの王様(2)
    <補完共振>

    虚軸=虚次元=ゼロ次元=イデア界=四次元といったいろいろな表現をしますが、それぞれに重きを置くところが違うだけで、本質は変わりません。共通するのは、虚エネルギーがあること、非物質であること、見えないこと、現象を生成する根源の力=原型があることです。

    ところで、虚軸イデア界はイデアエネルギーであり、陰陽が基本です。陰陽イデア、陰陽イデアエネルギー=非物質的な精神原型といっても良いでしょう。このイデアから物質が出てくるのですが、その元になる物質原型=正四面体イデアがあることは既に述べました。

    イデアの王様は正四面体であると言ったのですが、それは物質中心のイデアのことであり、精神は単に創発したに過ぎないと言いました。それだと陰陽イデアとの関係が不明です。ここで明らかにしたいと思います。

    虚次元はゼロ次元ですので、一次元、二次元を経て三次元になります。その場合、複素平面が活躍します。つまり、一次元陰陽イデア、二次元陰陽イデア、三次元陰陽イデアがあるということです。一次元陰陽イデアは直線であり、二次元陰陽イデアは面であり、三次元陰陽イデアは立体、即ち正四面体です。プラトンはすべての物体にイデアがあると言ったのですが、それは余りにも都合が良過ぎると思うのです。

    四次元能では、陰陽イデアがあれば、すべての次元を誕生させることが出来ると考えますので、陰陽イデアはすべてのイデアの王様とするのに相応しいでしょう。そして、これが対称性を作り出す元になるのです。

    イデアのイデア  ・・・陰陽
    一次元陰陽イデア・・・直線(±)
    二次元陰陽イデア・・・面(半陰半陽)
    三次元陰陽イデア・・・立体、即ち正四面体

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    2009年06月17日 18時30分42秒

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    混沌としての空っぽの器(3)

    混沌としての空っぽの器(3)
    <補完共振>

    空はどこにでもあり、すべては繋がっているということです。目の網膜に畳み込まれた光は、宇宙のすべてから来たものであることを既に示しました。

    一つの空に着目した場合、その複素平面は回転しています。その回転にはエネルギーが必要でしょう。素粒子の世界では、この回転は無の海で素粒子がダンスを踊っているのだといいます。そこで何をしているのかといいますと、素粒子同士がエネルギーの交換をしているのです。例えば、光は持っているエネルギーを電子に与え、電子はそのエネルギーを光に返すのです。このエネルギーの交換には虚のエネルギーと実エネルギーの交換があるのです。

    実→実→実→の連鎖が、私達が思っている三次元の現象ですが、本当は、虚→実→虚→実→虚→なのです。虚→実は虚→空→実ですから、そこで空を介して虚から実にエネルギーが供給されるのです。これは極めて四次元的な現象なのです。三次元現象の連鎖は錯覚でしかなく、本当は不連続なのです。

    見かけは連続している三次元現象においても、実際は、虚実がリサイクルしています。その不連続の点において虚のエネルギーが絶え間なく補給されていることを忘れないでおきましょう。

    さて、問題は、突然に何かが現れる現象です。それが偶然であるにしても四次元では突然ではないということを、波の場合を例にとって示しました。連続した現象の裏に虚は隠れているように、虚はどこにでも入り込むのです。

    現象化のプロセスの最初である生命の誕生を見てみましょう。卵の内部では空が綱引き状態にあるでしょう。空の中から、何らかの理由で現象の始めの雛が飛び出します。それを見て突然だといいます。遺伝子が新しい機能を獲得するのは、偶然であると言います。どんな場合も、その後は、実軸に移り、因果の連鎖が始まるというのです。これは正しいのでしょうか。

    歴史上の大事件は、よく偶発的に起きたというような言い方をします。確かにその契機は偶発かもしれませんが、事件の起きるのは必然的な理由があるでしょう。それが三次元の現象なのであれば、連続しているということです。ところが、どうしても文脈が無く突然起きるようなこともあるのです。

    文脈もなく無から有が生まれる現象の代表は非物質の精神です。意識にも論理的な意識の連鎖(自己同一性)があります。もし、意識に連鎖が無くなかったら、私は私でなくなってしまいます。支離滅裂とは論理の連鎖がないことを言います。

    文脈のない意識の典型は、閃きです。閃きは突然の変化=偶然に見えるでしょう。しかし、閃きといえども、無意識レベルでは、様々な意識の醸成があると思います。四次元能では、明晰夢を使い、閃きを積極的に招くようにしますが、それは無意識の働きを認めているからです。意識のように確認できない上に、意識を再認識しできないのですから、これは実軸の現象とは言えません。だからといって、虚ともいえません。

    無意識は見えないのですから、只今は実軸の現象ではなく、虚でもない空であるとしておきます。後で詳しく吟味します。

    そういう空の内部では、もっとどろどろとした戦い、混沌があります。そして白黒決着がついて現象化したということです。閃きは無意識から意識に上ったということです。噴火したのです。

    大概は、オスメス、±、白黒、右左の陰陽に分極化して現象化するということです。受精卵が出来るのは莫大な数の精子からたった一匹だけが選択されますが、その瞬間は偶然としか言いようがないでしょう。この偶然の瞬間に虚はどのように関係しているのでしょうか。

    突然に現れるというような現象は、次のように考えると分かりやすいでしょう。

    複素平面は回転しておりますが、その度に現象化するわけではありません。空の内部では、静的な状態から、どろどろとした戦いの混沌とした動的な状態があります。それが長く続いているときは、現象化はしないわけです。ビッグバンはそんな空の状態から、揺らぎがきっかけとなって、現象化が始まってとされています。ですから、ビッグバンはいつでも起きるのではなく、170億年前に一度おきたのです。

    偶然によって形として何かが現れるのを式で表すと、i*i⇒-1、-i*i⇒+1となります。偶然でなくて連続しているように見えても、i*i⇒-1、-i*i⇒+1です。偶然と連続の違いは、三次元の人間には、そう見えるということであり、四次元では違いはないのです。空は虚軸では(+i)*(-i)、(+i)*-(-i)ですが、これが1/4回転して-1/+1になるのです。

    虚軸においては+i、-iに分割されていますが、1/4回転の結果、実軸においては左右に分割されることになるのです。このように、複素平面の1/4回転(スピン)の中心が空なのです。

    現象化とはイデアが形となることですが、その形には硬い形と柔らかい形があります。硬い形は物質であり、正四面体の重合であると言いました。正四面体そのものは物質ではないのですが、常識では物質と呼んでいますので、そう呼びます。柔らかい形は正四面体の重合の多重化であり、非物質であり、創発的な精神現象です。どんな現象化も-1/+1の二極化となるでしょう。

    正四面体の発現(ヘリウム)→正四面体の重合→・・・・・→正四面体の重層(遺伝子)→正四面体の多重層(心)→正四面体の多重層(心)



    -1/+1の二極化は、精神の現象においても現れます。現象化⇒-1は物質的な因果を重視する主語的な同一性(AはAである)を出現させたということです。⇒+1は共振的な即非性(Aであり、Aではない)を出現させたということです。

    人間の気質が現われる現象では、-1はパラノ化であり、+1はスキゾ化です。また、脳の物理的な配置では、-1が左脳であり、+1が右脳です。-1に左脳優位の主語論理を駆使するパラノ(アポロ)気質の三次元脳人間が現われ、+1右脳優位の述語論理を駆使するスキゾ(デォニッソス)気質の四次元脳人間が現われるということです。

           虚空=i*-(-i) i*-i  
    -1・・・・・・・・・・・・・・・空・・・・・・・・・・・・・+1
     i*-(-i) ⇒-1実空i*-i⇒+1

    左脳優位            右脳優位
    主語論理            述語論理
    パラノ(アポロ)気質      スキゾ(デォニッソス)気質
    三次元脳人間         四次元脳人間

    四次元メガネで見ると、このように見えるということです。四次元メガネの要はなんと言っても空ですが、この空の特徴は、二面性・二重性・志向性・二極性ということになるでしょう。

    二面性とは、虚軸に繋がる特異点としての虚空と実軸に繋がる原点としての実空があることです。二重性は、虚空が即非iと-iが同時に存在し、しかも、共振とi*(-i)反共振i*-(-i)のどちらかになっているということです。

    志向性とは、虚空が1/4回転して実軸に現象化させエネルギーを引渡しすることです。これは実空の働きです。つまり、虚エネルギーを実エネルギーに反転させるということです。その反転はエネルギー共振が強ければ、i*(-i)⇒+1、反共振が強ければi*-(-i)⇒-1となります。

    +1か-1に分岐することを二極性といいます。自然界では二極分化は対等であり、電磁や磁気のように対称になるのですが、時に非対称になるときもあります。人間界では非対称になることが多いようです。非対称だからといって、片方が無くなたわけではなく、隠れているといった方が適切でしょう。

    二重性・・・i*(-i)とi*-(-i)の即非的(ある・ない)側面
    二面性・・・虚軸と実軸に開かれている矛盾的(虚実)側面
    志向性・・・i*(-i)⇒+1、i*-(-i)⇒-1
    二極性・・・+1、-1

    三次元実軸の現象界からは虚軸のイデアを直接見当たり触ったりすることは絶対的に出来ないことを肝に銘じて下さい。だからこそ、虚次元は科学の対象にならずに、宗教が拾い上げてきたのです。しかし、科学と宗教の分裂した状況を放置している時代は終わりました。科学と宗教を融合する方法が見つかったからです。それはこの四次元能が挑戦しているように複素平面を駆使することです。

    複素平面を回転させると、その見えない虚軸が実軸に時間として現象化するのです。そして、虚が見えるようになるのです。ただ、それは現象の生成流転として分かるだけであり、虚自体をダイレクトに感知しているのではありません。ですから、時間軸を作って現象を並べたところで、それは変化の因果や歴史を説明するだけで、現象の背後に隠れている虚を知ったとは言えないのです。

    宗教は、人間にとって必要ですが、それが何故必要なのかを上手く説明することはできていないのが現状です。何故、説明できないのでしょうか。それは-1に現象化したパラノ人間が虚を否定しているからです。

    ここに複素平面を導入する意味があります。特に⇒+1にその核心があります。

    ⇒+1は、自己と他者が共振していることを示しており、虚空から実空を介して、右辺に現象を誘発させる働きがあることを示しているのです。例えば、人間の場合、スキゾの四次元脳人間を現象化させます。四次元脳人間とは、虚の存在を認め、即非=矛盾をそのまま受け入れ、生きられる場所に添って想い感じる述語的人間です。自分を自分として維持し、且つ、同時に、他者をも受け入れることが出来るのです。

    ⇒+1は、即非=述語的ですから、未開人が自分は鹿であるというのと同じ意識なのです。それは「自分は鹿のように早い」から、「自分は鹿である」という論理です。これは、「自分は自分である」と同時に「鹿でもある」という分裂した意識です。

    これは主語論理からするとおかしいのですが、述語的な思考であり、生き物が生きるために最低限必要な場所の論理でもあるのです。これを禅では悟り=即非といいます。西田幾太郎がこの悟りを論理化して「絶対矛盾的自己同一」と言ったのです。呪文のような長い言葉ですが、これが左脳優位の西洋の近代思考と言われる主語論理独占的状態を打つ破った金字塔なのです。

    ⇒+1は、虚空において共振エネルギー状態のi*-iが潜在しているのです。⇒+1から、出現した+1の有り様を、分かりやすく言えば、主語論理を認めつつ、即非であるということです。他者を認め、受け入れる態度であり、環境と共生する志向の源となるわけです。つまり、虚空i*(-i)は、iを自として、-iを他とし、自と他が共振(*)しており、それが実空で⇒+1に向かわせるのです。虚空から実空への引渡しがあるのです。

    一方、⇒-1は、虚空において反共振エネルギー状態のi*-(-i)が潜在しているのです。つまり、i*-(-i)=i*i=-1ですから、iを自として、-iを他として、自と他が衝突=反共振(*)しており、それが実空で⇒-1に向かわせるのです。つまり、虚空から実空への引渡しがあるのです。

    -1では、自=自我しかなく、他は認めないという人間が現われるということです。その人間は、他者を否定し、受け入れない態度をとり、競争社会をつくり、環境を支配する力の源となるわけです。

    つまり、⇒+1においては、他者とは自分であるという述語的な一致が見られるのです。そこには現象の背後にある虚エネルギーのイデア共振i*(-i)が内在しているのです。分かりやすく言えば、自他が分化していない潜在意識の状態の虚空があるということです。つまり、空とは潜在意識=無意識のことなのです。

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  • from: 生成門さん

    2009年06月17日 15時08分44秒

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    アカシックレコード

    アカシックレコード
    <補完共振>

    虚と実は空を介してどのように繋がっているのでしょうか。虚が実になるというのは、実体のない虚が三次元実軸に現象として何かの形となって現われるということです。現象とは、三次元の物体、エネルギーであり、人間であり、石ころであり、意識であり、精神です。

    正確には、実軸に現れた物体は正四面体重合の形であり、精神はその正四面体がさらに多重層化して創発したものです。空には精神や物質の正四面体の形の元があり、更にその大元は正四面体イデアであり、虚軸にあるのです。これらを説明するには、正四面体の重合、複素平面の丸め化と回転による球面=天球、膨張反転の現象化と収縮反転の次元化、畳み込み、正四面体の多重層化、次元誕生の仕組みといった空のダイナミズムを理解しなければなりません。これまでは、それらを断片的には話してきましてが、ようやくそれらを纏めるときがきたようです。

    三次元の現象は、虚からダイレクトに現れるのではなく、混沌であると同時に空っぽの器から生成されるのであり、卵が孵化するイメージです。卵が空っぽであるというのはイメージしにくいですが、何もないところからいくらでも出てくる綿飴機を想像してください。子供のころは、回転さえすればどんどん綿飴が生成されてくるので不思議に思ったのではないでしょうか。実際は砂糖が入っているので空っぽではないのですが、空には砂糖に相当する虚エネルギーが絶え間なく供給されているのです。

    その虚エネルギーが反転して実エネルギーに変わり現象化するのです。その現象化する仕組みは、何もない空から生成されるのですが、何もないというには余りにも複雑です。その仕組みをこれから明らかにしようと思います。もっとも、ゼロ次元から膨張反転(現象化)と収縮反転(次元化)とを繰り返し、そのつど、過去を畳み込んで一次元、二次元、三次元と進化・進展してきたのですから、ゼロと謂えども侮ってはならないのです。

    現象するということは、虚エネルギーが絶え間なく供給されていることを忘れないでおいてください。現象化の前提なのです。私達が日常においてスポーツをするときは食事に気を使います。それはエネルギーが必要だからです。しかし、頭を使うときは余り気にしません。ところが、考え事をするときでも相当のエネルギーが消費されているのです。現象とはエネルギーの消費が前提なのです。

    ただ、この話は三次元現象の連鎖に必要な実エネルギーのことです。エネルギーが無くなれば死んで解体されるのです。つまり、次元を落とすわけです。無に戻り再び次元化のプロセスを繰り返すだけなのです。

    しばらく休んで休息を取って、食事して、再び活動するときは、三次元にとどまって、現象化と次元化を繰り返しているということです。ただし、その場合、畳み込みがありますので進化学習があります。

    こうした生成消滅のサイクルは、ゼロ次元に戻るときも、三次元に留まった場合でも、物質現象が連続しているように見えます。
    死んだ場合で、灰になっても元素に戻るだけですから、ゼロ次元とはいえないのです。一旦生まれた物質は完全にゼロ次元に戻り事はないでしょう。素粒子レベルのようなときだけが、ゼロ次元に戻る事があるだけでしょう。私達が普段目にしている多くに現象は、三次元の連続した物質現象なのです。ただ、それで説明できない現象が心とか意識とかという精神の現象です。心はそれぞれの固体にあるのですが、死んでしまうと心もなくなります。しかし、新たな生命が生まれてくると、勝手に心が芽生えてきます。これは三次元の連続した物質現象では説明が出来ないのです。生成消滅のサイクル=次元化と現象化は、どの次元であろうと存在しており、実と虚が交互に入れ替わっているのです。ただ、三次元の私達には、それが見えないので、物質は三次元の実軸における連続した現象に映り、精神は勝手に現れるのです。

    何故見えないのでしょうか。それを説明するには複素球面の回転を持ち込むことです。波を想像して下さい。サッカーのときのウェーブでも良いでしょう。波は時間軸に添って進みますから、サインカーブを描きます。しかし、これは時間軸、つまり、横から見ているからそう見えるのです。これを波が進んで来る方向から見てみましょう。
    人が立ったり座ったりするのが見えるだけです。これは人の波の場合なので、立ったり座ったりするのが見えるのですが、もし、それが、上下方向が虚であるとしましょう。つまり、見えなくなるのです。三次元に交差した時だけが見えるのです。それは点として見えるでしょう。

    列車を横から見ていると進んでいくのが見えますが、上下方向が虚なら、時々見えなくなるのでしょう。進むスピードが速くなると、連続しているように見えますから、真っ直ぐに進んでいるように見えるでしょう。

    線路に座ってみているとどう見えるでしょうか。遠くにいるときは、こちらに向かっているのかどうかは分かりません。むしろそこにとまっているように見えるでしょう。縦方向が虚軸なら、時々姿が見えなくなり、又見えるというようになります。進むスピードが速くなると、連続しているように見えますから、いつでもそこにいるように見えるでしょう。

    この波の例で言いたいことは、私達には虚の次元は見えないということであり、見えるのは実軸に交差したときだけであり、それを連続していると思うのは錯覚だということなのです。交差した点の現象は、毎回異なっているのです。連続しているように見えるので、ずっーと変わらないと思っているだけなのです。いつも顔を合わせていると、その人が年をとったことに気がつきませんが、しばらく会わずにいると、ずいぶんと年を取ったことに気がつくでしょう。

    こうしたことが問題になるのは、列車が見えるとか見えないとか年を取ったこと、つまり連続の中の不連続ではありません。波には始点と終点があります。問題はここにあるのです。つまり、突然、不連続な現象が起きることです。生や死がそれであり、意思や精神がそれなのです。こうした不連続な現象をどう説明するのかが、この混沌としての空っぽの器のテーマなのです。

    さて、全く何もないところから何かが現れる・無くなるというのは、どのようなことが隠されているのでしょうか。誕生や死は、嬉しいことでもあり、悲しいことでもありますが、大きな変化であることには違いありません。親しくしていた人が突然怒り出したりしたら、びっくりしますが、相当ストレスがたまっていいたのだと解釈するでしょう。しかし、これらはある程度は、三次元の連続した因果で説明出来るでしょう。誕生は受精であり、死は老化や病気が原因であるとか、意識は脳の働きであるとかです。

    しかし、それでは説明がつかないことが余りにも多くあり過ぎるのです。何故、心は脳にあるのか、何故、心にはパラノとスキゾがあるのか、何故、命が無機物な世界から出現したのか、何故、宗教には対立があるのかなどなどです。これに一貫した答えを用意するのは容易ではありません。

    科学が答えられないからであり、宗教は対立しているぐらいですから答えはないでしょう。科学は論理的にいいところまでは辿りつくでしょう。宗教は本質をつき、いい線を行くのですが、どうにもなりません。となると、残された方法は、科学と宗教を合体させることです。合体は無理としても、共生はできるでしょう。それがこの四次元能の狙いでもあるのです。イデア論的な科学とでもしておきましょう。

    波の図で示したように、複素平面がこの世界の有り様であり、それは回転しているのです。ところが、三次元の実軸にいる私達は、それを波のようにしか見ることが出来ません。つまり、虚軸は見えないのですから、現象はいつも連続しているようにしか見えないのであり、たまたま、突然に現れたときは、偶然であるとして片付けてしまい、時には、神を持ち出して奇跡としてしまうのです。

    複素平面の回転という考えを導入すれば、不連続な現象を神や偶然の精にして終わりにする必要はなくなります。回転するごとに、すべてが収縮反転して、空に畳み込まれて、更に、膨張反転して、現象化するという空のダイナミックな運動=生成消滅のリサイクルがあるのです。

    この様な考え方は仏教にも見られます。仏教では、阿頼耶識にすべての過去の行ないが収蔵されるとしていて、アカシックレコードとも繋がると思います。アカシックレコードとは、宇宙や人類の過去から未来までの歴史全てが宇宙バンクに記されているというものです。アカシャとはサンスクリットで「虚空」、「空間」を意味するのです。空っぽの器とはアカシックレコードといってもよいでしょう。
    その他にも似たような考え方があります。ルパート・シェルドレイクの形態形成場やC・G・ユングの集合無意識、プラトンのイデア論でいう「真なる世界」も、実はこれと同じものを指していると思われるのです。

    このような考え方を、命の誕生にも当てはめると、すべてはアカシックレコード=空に溜め込まれるのですから、特別な場所が形態形成場となり、アカシックレコードからの情報が伝わり、命が誕生してもおかしくないでしょう。また、脳が形態形成場=空となり、無意識=阿頼耶識となりアカシックレコードからの情報が伝わり、意識が創発してもおかしくないでしょう。

    科学ではこのような考え方は認めないので、例えば、進化論では、生命は有機物な核酸から生まれたとされますが、その究極の答えはなんと偶然であるというのです。核酸は塩基には入れるですが、それが突然に変異したことが原因だというのです。最近、新型インフルエンザのパンデミック(感染の世界的な流行)がおきていますが、その原因はこれまでのウイルスに突然変異が起きて、人間の細胞に入りやすいウイルスに変わったからとされています。そうなのです。生命現象は偶然の作用なのです。

    しかし、それで終わってしまってよいのでしょうか。偶然に見えるのは、私達が虚の次元が見えていないからなのであり、宇宙はアカシックレコード=空で繋がっているのではないでしょうか。私達は空であり、すべてに空があるのではないでしょうか。アカシックレコードを大空とすれば、私達の空は小さな空であるのではないでしょうか。もっとも、大きいとか小さいというのは三次元的な言い方であり、四次元では関係のないことなのです。ゼロの次元は無限のゼロを含んであり、それが三次元の土台になっていたことを思い出してください。


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