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シムダンス「四次元能」

シムダンス「四次元能」>掲示板

公開 メンバー数:58人

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ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

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  • from: 生成門さん

    2015年03月31日 09時10分51秒

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    数学は信じられるだろうか。1+2+3+4....=-1/12 これが数学だ。

    数学を安易に信じてはいけないらしい。数学は美人局になる可能性を秘めているのである。その一端を覗いてみよう。

    それがこの式である。

    1+2+3+4+...=-1/12

    これは最先端物理の超ひも理論で使われている式である。もしこの式が妥当でないなら紐はひもでなくなる。ひも理論は量子論の無限の問題を解決するために出て来た理論である。それはともかくとしてこの式はどのように計算されて出て来たのだろうか。


    一般化した式Σn^(-s) (nは自然数、sは複素数)を考える。ここでs=-1とすると1+2+3+...となる。Σn^(-s)をζ関数という。ζ(-1)=1+2+3+...である。

    この段階では

    Σn^(-s)=ζ(-1)=1+2+3+...=-1/12

    かどうかはまだ分からない。そこで導く手がかりとして次の等比級数を考えて見る。

    1+x+x^2+... =

    S=1+x+x^2+x^3+・・・+x^(n-1)

    とすると、

    xS=x+x^2+x^3+・・・+x^(n-1)+x^n

    S-xSにより

    (1-x)S=1-x^n
    S={1-x^n}/{1-x}
    S={1-x^n}/{1-x}=1/{1-x}-1/{1-x}*x^n
    |x|<1のときx^n→0だから、S=1/{1-x}

    従って

    1+x+x^2+x^3+・・・=1/(1-x)

    これを微分してみよう。

    1+2x+3x^2+...=1/(1-x)^2

    x=-1とすると

    1-2+3-4+5-... =-1-1-1-1-...=-∞

    であるが、右辺は1/(1-x)^2=1/2^2=1/4


    必要なのは1+2+3+なのでそれが出て来るようにする。

    1-2+3-4+... = (1+2+3+4+...) -2×(2+4+6+...)
    =(1+2+3+4+...) -4×(1+2+3+...)
    =-3×(1+2+3+4+...)

    1-2+3-4+5-... =1/4
    =-3×(1+2+3+4+...)

    従って

    1+2+3+4+...=-1/12

    となる。あっけなく-1/12がでてきた。明かに無限大になる自然数の和が有限の値になり、しかも負である。これは信じられないことである。しかし、導出の過程を見ても文句のつけようがない。本当にこれは数学的に正しいのだろうか。

    無理やり-1/12を導出する方法
    http://nakaken88.com/2014/12/08/080818

    これによれば無理やり導いたとしている。無理やりだが間違いだとは言っていない。素人はどう判断すればよいのだろうか。

    1+2x+3x^2+... = 1/(1-x)^2=1/4

    ここが問題である。条件が│x│<1なのにx=-1として右辺を1/4としている。ここが無理やりである。しかし、そうだろうか。x=-0.9999999としてみよう。

    1/1.9999999^2≒0.25=1/4である。

    これなら使えそうである。(実際は解析接続という方法で正当化される)

    式の変形は数学の基本である。しかし、やってはいけないことがある。無限個の足し算引き算は、順番を変えたら答えが変わることがあるのである。

    1-2+3-4+... = (1+2+3+4+...) -2×(2+4+6+...) = -3×(1+2+3+4+...)

    この変形はだめである。

    それにもかかわらず、この式は超ひも理論で使われているという。

    http://t.co/26iW3TZUpu

    ここでは手厳しく批判されている。

    結局やっていることは、

    1-2+3-4+...=∞+1/4=∞
    1/4=∞-∞
    1-2+3-4+...=∞-∞=(1+2+3+4+...) -2×(2+4+6+...)
    1/4=(1+2+3+4+...) -2×(2+4+6+...)
    1/4=(1+2+3+4+...) -4×(1+2+3+...)
    1/4=-3×(1+2+3+4+...)

    1+2+3+4+...=-1/12

    である。無限大を悪用していると言わないまでも物理の大御所のファインマンもこのよう無限大を利用した方法はトリックであると批判している。ここでは、はっきりと無限大の悪用だと決めつけている。

    QED は 都合のいい "有限"の値 を得るのに "無限大" を悪用している。
    http://www7b.biglobe.ne.jp/~kcy05t/nitrigf.html

    素人にはよくわからないが、こちらの方が説得力があると思える。


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  • from: 生成門さん

    2015年03月21日 14時09分00秒

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    陰陽の気を数学する。

    カオスの式:Xn+1=a(1-Xn)Xnを

    陽気n+1=精気係数*(1-陰気n)*陽気n
    陰気n+1=精気係数*(1-陽気n)*陰気n

    と表してみよう。気が気を生むのである。初期値は精気係数
    が与えられ、陽気又は陰気の初期値X0(元気の素)が与えられて駆動する。気功師はaの値(精気係数)をどう設定するかで気の流れ(カオス)が決まる。a=0なら精気係数(気を成長させる係数)がないということだから、X0からスタートしても気は生成されない。a≠0でなければならない。ここではa>0として考察する。

    この式の意味は元気の素X0からスターとして、それが精気係数倍され増幅されるが50%に達したところで陰と陽の気の割合が逆転するで反転するということである。つまり振動るということである。しかも単純に振動するだけではない。その振る舞いはカオスの淵で力を発揮する。つまり、初期値がどんな値化をとるかで、nを大きくしていくと一定値に収斂したり、複数の値に分岐して周期的に振動したり、カオスと呼ばれる非周期になったりする。

    このカオスの式を気の生成式と呼ぶなら、気がカオスから生成されるという極めて重要な結論になる。nが時間だとすると時間と共に一定値に収斂するというのは、気が安定するということになる。しかし、初期値次第では複数の状態に分岐して、しかも周期的に振動したりする。これは気が揺動しているということだから不安定ながら規則はある。カオスと呼ばれる非周期になると、気が散るということになる。しかし、カオスのとこらから少し異なる精気係数を与えるとまた規則性が現れる。

    このようにカオスの振る舞いは千変万化である。易経では陰陽論を受け継ぎ、気の現れを陰陽の卦として68パターンで表現するが、その力学は不明である。又、陰陽五行では、万物は「木火土金水」という五つの要素は陰陽に分かれて相互作用するというものである。そのメカニズムは曖昧である。

    やはり、気を科学するには数学が必要である。

    カオスの式は気が安定したり、分岐したり、振動したり、カオスとなったりする様子を明らかにするが、気の相互作用については不足である。相互作用とはエネルギーの消費と供給する過程である。そのためにはエネルギーとは何かを明かにしなければならない。そのためには気を量子化しなければならない。量子化については量子論を学ばなければならない。量子論そのものは破綻しているが、量子化という発想は学べる。

    カオスの先のフラクタルがあり、フラクタルとエネルギーが結び付くと気のメカニズムがクリアカットに説明できるだろう。カオスフラクタルが何故重要かというとその現象の裏に物質的因果を超えたイデアがいることを明らかにしたことである。それは物理が唯物論だという固定観念を打破することを意味する。何しろ計算が現象を生むのだからである。式が識だと言っているようなものである。宇宙にはコンピュータが内在しているということである。

    S科学だけが神の存在を証明出来る。
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200707634

    宇宙コンピュータが離散値をベースとする実時間で処理するのは宇宙が有限だからである。
    http://symdance.blog.fc2.com/blog-entry-180.html

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  • from: 生成門さん

    2015年03月21日 12時20分30秒

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    陰陽の力学をカオスの式で説明する試み。

    気を科学するためにカオスの式を見てみよう。式はXn+1=aXn(1-Xn)である。極めて簡単な式である。これが結果を予測できない式なのである。結果が予測できないのに式があるのである。そんなことはこれまでの科学では有り得なかった。

    等加速度直線運動方程式x=x0+v0t+1/2a0t^2は計算しなくてもグラフを描いて見ると大凡の姿は掴める。複利計算も同様である。だから理論家にとって数値計算することは重要ではない。計算は変数で計算するだけである。数値の計算は実務家がやることである。多くの運動は微分方程式で表現される。それを解くには積分しなければならないが、実際に解を求めるためにはコンピュータを使って数値計算する。

    数値計算の分野は計算科学の世界である。純粋な数学ではない。ジャンルが違うのである。その結果、見落とされてきたことがある。それは計算して見なければどうなるかが分からないフラクタル・カオスの現象である。これはコンピュータで一晩もかかって計算した後で発見された。

    何が発見されたのだろうか。

    それは初期値の僅かの違いが大きな違いを生んだのである。運動の式でも複利計算でも小数点以下の違いなど誤差の範囲として無視するだろう。買い物に行ってつり銭など気にしないのが普通である。それも少数点以下10桁も下ならなおさらである。


    カオスの式:Xn+1=aXn(1-Xn)の挙動はaの値とnで決まる。aは初期値であり、実数である。普通の計算ではa=0.00001でも0.000011でも結果は影響ない。ところがカオスの式ではそうとは言えない。しかもnの値によっても変わってくるのである。微分の式の場合は極限を取るとやって、求めることができる。例えば、x^2は{(x+Δx)^2-x^2}/Δxという差分商を作ってlimΔx➝0とやれば求めることができる。実際にやってみよう。

    {x^2+2xΔx+Δx^2-x^2}/Δx=2x+Δx

    ここで、limΔx➝0だから

    =2x

    後はxの値を決めれば解が一義的に求まる。カオスの式:Xn+1=aXn(1-Xn)ではどうだろうか。これは漸化式になっているのでXn+1がXnに自己回帰するのでやってみなければわからない式である。このままではどんな運動を表現しているのかがイメージ出来ない。そこでnを時間としてみよう。時間発展するとXn+1も変化すると看做すのである。

    式をXn+1=a(1-Xn){Xn}=bXnと変形してみよう。これならXnがbの係数で成長する何かと看做せる。ただし、1-Xnがあるから、成長するとその反対にブレーキが係るように係数自体が変化する。


    これらなら気の説明に使えるかも知れない。気には陰陽があり陽(陰)が極まれば反転して陰(陽)になるからである。

    Xnを陽気とすると1-Xnは陰気となる。aは気の精気係数である。初期値X0=元気力とすると、

    X1=a(1-x0)X0
    X2=bX1
    ...
    Xn+1=bXn

    となる。元気力からスタートして、bの精気係数倍で気Xn+1が生成される。時間が無限大になると

    X∞+1=bX∞=a(1-X∞)X∞

    となる。X∞+1はその直前のX∞に依存しており、その値が何かに収束するかどうかは判断できない。つまり、微分の時の様に極限を取ることができない。

    それなら力に任せて漸化式だから漸化的に計算してみよう。

    X1=a(1-x0)X0
    X2=a(1-X1)X1=a{1-a(1-X0)X0}*a(1-x0)X0
    X3=a(1-X2)X2=a[1-{1-a(1-X0)X0}]*a(1-x0)X0*a{1-a(1-X0)X0}*a(1-x0)X0
    ...
    Xn+1=a(1-Xn)Xn

    これだけやってみたがとてもやっていられない。漸化式というのはまさに化け物である。Xn+1から逆に見ると過去がすべて絨毯されてそこに詰まっているのである。これを華厳経では重々無尽という。ここにいる私は生まれた時からこの現在までが漸化式で絨毯されてきたのが結果である。

    この式から分かることは陰の気a(1-X0)=a*0.9999...陽の気X0=0.0000....1からはじまって、自己回帰を繰り返していく。Xn+1が増加していくと、陽の気が増加し、陰の気は減少していく。しかし、1-Xnが0.5を過ぎると陰と陽の大きさの比が逆になってになって、Xn+1を減少させる。つまり、振動することがわかる。わかることがその位である。aの値を実際に入れて見るともっと複雑になりそうである。そんな計算はとてもやっていられないのでコンピュータに任せることにしよう。

    この計算してみないと分からないカオスの振る舞いについてはこちらががくわしい。

    よくわかるカオスとフラクタル
    http://samidare.halfmoon.jp/mathematics/ChaosAndFractal/ChaosAndFractal5.html

    とにかく計算してみないと分からないというのは、人生のようなものである。生きて見ないと自分の生き様は分からないのである。だから未来学が学にならないのである。未來予測はあくまでも線形と看做したときの近似である。売上予測は過去のデータを外挿して予測する。しかし、現実はその通りにはならない。それはパイ捏ね(自己回帰)するからである。

    カオスの式が厄介なのは計算が厄介なでけではない。人間がコンピュータで計算る時はaの値を固定することができる。そのaの僅かな違いを作り出すこともできる。そのわずかな違いが結果に大きな違いを持たらす。この発見が科学を大きく転換させるとになった。

    気は線形というより非線形である。線形と看做せるのはほんのわずかである。ここから言えることは重要なことである。気は物質的因果で現象するのではないということである。気は漸化式で計算されているということである。計算が行わなければ
    気という現象が生成されないのである。これは従来の科学や哲学や芸術の有り様を変えることになる。気の科学・気の哲学の気の芸術の誕生である。

    フラクタル・カオスの式で計算されて気が現象するのである。

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  • from: 生成門さん

    2015年03月21日 12時05分58秒

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    気を科学するためにはフラクタル・カオスを取り込む必要がある。

    気の世界は非線形である。だから説明が難しい。しかし、説明しないことには先に進めない。非線形な世界を扱う複雑系の科学という新しい科学のスタイルが登場してきた。ここで使われる用語は全く新しいものばかりである。バタフライ効果を説明するのだから新しい概念が必要になるのは当然である。

    非線形な気を扱うならフラクタル・カオスの世界に突入することになる。フラクタル・カオスはこれまでの科学とはまるで異なる風景を描くことになる。

    科学と言えども物語だから一つの言語ゲームに過ぎない。フラクタル・カオスが齎した科学的な思考に対しての最も大きな貢献はイデアの実在を証明したことである。形のない物から形が生まれる。物質が原因とならずに物質が現象するのである。


    非線形な現象が予測できないが計算できる。決定論的であるが非線形なカオス、またはフラクタルなのである。計算できるということは式が存在するということである。式があるということは未来が決定されているということである。だから決定論的である。しかし、その式で未来を予言することがきない。やってみなければわからないからである。これはこれまでの科学が想定しない事態である。


    従来の物理の法則は物質的因果を扱う。それが式となり計算される。だから式は現象の表現なのである。ところがフラクタルカオスの式は計算してみないと結果が分からないのである。つまり予言できないのである。式があるのに予言できないとはどういうことだろうか。予言は因果関係があるからできるのである。因果とは物質的因果である。それが式で表現されるのである。

    どうも堂々巡りしてしまう。どこかの論点が定まっていない。頭をクリアカットにしないといけない。

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  • from: 生成門さん

    2015年03月20日 10時37分14秒

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    気を科学すると言いながらまだまだ遠い。気が物質ではないからどう量化するかが問題だ。

    気が重いと言う。その重さを量化できるだろうか。宇宙の根源パラメータは質量m・時間t・空間xである。科学するならこの単位しか使えない。気はエネルギーだろうか。エネルギーはどんな単位なのだろうか。気がエネルギーなら質量と時間と空間(距離)によって表現されなければならない。しかし、気が重いと言っても、物質的な重さでは表現できないだろう。気の重さが3ℊだというのはさすがに気が進まない。

    質量というのは重力が関係しない物体本来の量である。気が重いというのは重力が影響した重量のほうに親和性がある。重圧がかかると気が重くなるからである。しかし、それでも物体があっての重力だから、その質量を問題にしないと重力が現れないように、気も現れないだろう。

    気の本性が何であるかはまだ定義できていない。神秘的な何かと言ってしまうと科学することができなくなる。いずれにしても条件を与えると有意義な結果が予言どおりに起こり、役に立つことが科学だとすると気功や鍼灸は科学である。西洋の科学だけが科学なのではない。当然、東洋医学も科学である。そのスタンスが異なるだけである。

    東洋医学は、非線形な世界を扱うのに対し、西洋医学は、線形な世界を扱う。非線形は因果関係は複雑だから割り切ってしまうことができない。だから説明ができない事が多くなる。説明はできないが経験的に効果があるなら予言も治療することもできる。そこから気を掴んでみよう。

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  • from: 生成門さん

    2015年03月02日 16時02分28秒

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    現実か空想かは物語の程度の問題である。

    物理学は唯識論だということを証明したが、本当に証明になっているだろうか。それには自信がないが、物語としてなら楽しめるだろう。プラトンは真理を探究するには理屈ではなく物語れと言った。確かに物語なら真理かどうかは別として実感できる。しかし、フィクションでは締まりがない。ファンタジーなら少しは実感できるだろうか。

    四次元能はプラトンに従い真理を探究するスタイルを科学的な物語に求める。しかし、サイエンス・フィクションでは締まりがないと思うからサイエンス・フィクションの傾斜するである。フィクションとファンタジーではどう違うのだろうか。

    フィクションは架空の出来事を想像的に描いた物語である。ファンタジーは魔法やその他の超自然的・幻想的・空想的な物語である。架空と空想の違いである。どうもすっきりしない定義である。空想は現実に近い。架空は現実離れである。従って、程度問題である。

    全ては物語であるが、現実、幻想、架空という順に並ぶ。

    リアリティ・・・・ファンタジー・・・・フィクション

    現実だと思っていることはそれでさえ物語なのである。現実は事実である。しかし、それを担保する方法がない。見たことを人に伝える。そのことが正しいと証明するには他の人の担保がいる。こうして無限に後退する。無限は実現しないから事実は証明されない。だからすべては識(主張)である。主張は仮説=架空=空想=幻想=超自然である。程度の問題である。




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  • from: 生成門さん

    2015年03月02日 15時01分51秒

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    物理学が唯識論だということを証明してみよう。

    S科学では作用反作用はF1*v1=-F2*v2となり、vが付く。これが宇宙モデルであることは既に述べた。モデルとは宇宙はこうであるという宣言(命題)である。これは唯識であることの証拠である。現代物理にはこのモデルがない。多世界解釈という宇宙論は解釈だから明かに唯識論である。しかし、宇宙がこうであるというモデルではない。粒子を確率の波としてしまったのでそう解釈できるという物語になったのである。始めに多世界宇宙モデルがあっての解釈ではなく、粒子を確率の波とせざるを得ない実験結果から帰結されたのである。いずれにしても量子論は唯物論ではないことは明らかである。

    ここでは別の観点から物理が唯物ではなく唯識だということを示してみよう。物理が唯物ではないことを示す証拠はS科学が離散値の数学を導入したことに現れている。F*v=一定はネジがモデルである。ネジは回転しながら進む運動体である。運動とは速度がある。その速度は物理量である。物理量には単位がある。この単位がどのようにして作られたのかを見ることで、如何に物理が唯識であるかを実感できるだろう。

    速度は距離と時間の比である。距離と時間の単位がどのようにして出て来たのかの歴的背景を見てきた。如何に生活と密接に関係しているかということだった。

    はじめに時間が生まれたという物語(作り話)
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100201259132

    距離が始めであるという物語、時間と距離は同時であるという物語もある。
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100201260129

    日本人は手でものを計り、イギリス人は足で計る。イギリス人の単位のフィートは、足の裏の長さだった。(1m≒3尺3寸 )

    身体尺
    http://flora.karakusamon.com/syaku.html

    重さはどうだろうか。

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  • from: 生成門さん

    2015年03月02日 15時00分38秒

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    物理や数学の素人の生成門(四次元能)の私はプロに騙されてきた。

    イデアが裏に隠れている者は見えない触れることのできない語ることのできないものなら沈黙するしかない。それでも語りたいのが人間である。ただ、経験重視の神秘主義にはなりたくない。科学を拡張した物語でありたいのである。科学を拡張する為には唯物論という縛りを取る必要がある。その為にはイデアのエージェントが必要になる。イデアのエージェントに手を借りた物語はサイエンス・ファンタジーとなる。

    イデアのエージェントとは何だろうか。

    それはイデアが現象することを促進する者である。その者は数学である。数学こそがイデアのエージェントなのである。ただし、エージェントには美人局もいる。それを区別しなければならない。それを区別するには物理を唯物化・唯識化する数学を見極めなければならない。

    唯物化する数学は連続の数学である。連続の数学とは微分と確率・統計である。これを使った科学は美人局となる。真にイデアのエージェントになるためには離散値の数学を使うべきである。離散値の数学は唯識の数学である。ここでやっと物理学=唯物論の枠組みを取り去るための唯識数学という指針が出て来た。

    唯識数学が真のイデアのエージェントだとすると唯識数学を使う物理学は唯物論ではないことになる。それが四次元能の目下の課題である。物理学が唯物論ではないなら唯識論になる。それを証明する方法はあるだろうか。物理の法則や原理は方程式で表現される。法則や原理は自然はこうなっているということの命題表現である。その命題はA=Bという式で表現される。変化を加えると因果になる。つまり時間発展になる。従って、式はy=f(x)のような関数になる。これはx(原因)⇒y(結果)を意味する。関数は写像だからxをyに写すものとなる。写しのルールがfである。

    命題は「こうである」という宣言である。宣言は意思である。意思は意識である。意識は識である。だから式は識である。ここから物理は本来からして唯識であるということになる。現代物理の作用反の法則は式ではF1=-F2である。これが識であることを示してみよう。式は通常、右が原因で左が結果だから、-F2⇒F1である。これは違和感があるので-F1⇒F2とする。負が作用で、正が反作用である。力に距離をかけるとFx=Eである。従って-E1⇒E2となる。改めて命題表現にするとE2=-E1である。これはエネルギーがいつも釣り合っているという意味になる。E1+E2=0になる。こんなバカなことはない。

    どうしてこうなるのだろうか。

    この式には時間がないからである。時間が変化しなければ釣り合っていればいつもこうである。こうであるというのが式だから式は識である。この命題は正しいのだろうか。時間が変化しないというのが前提である。時間を発展させてみよう。

    式を

    Et+1=-Et

    とする。

    -E1⇒E2⇒-E3⇒E4⇒・・・・・⇒-En⇒En+1

    極限を取るとE∞+1=-E∞となる。この様子はいくら時間が経ってE=-Eであるキャッチボールに譬えられる。キャッチボールではエネルギーを交換しているが、現実とはかなり異なる。何故ならエネルギーは消耗するからである。無限に続けることはできない。E∞+1=-E∞=0でなければならない。

    何が言いたいのだろうか。

    現代物理の作用反の法則:F1=-F2は命題であるが、現実を反映していないということである。

    -E1⇒E2⇒-E3⇒E4⇒・・・・・⇒-En⇒En+1



    -En⇒En+1をEn+1=-Enとして、更にn=1として

    E2=-E1

    と表現したのである。

    言ってみれば任意の時間での式、つまり、スナップショットである。スナップショットを並べてパラパラ漫画にすると現実が見えてくるだろう。その時のエネルギーは減少しているはずである。最後は止まるだろう。この様子がE2=-E1にはないのである。

    作用反作用というのは現代物理ではとても重要な基本的な法則である。これが真実を語っていると思うのが素人の私である。実際そう思っていた。しかし、S科学を知ってこれは単なる主張=命題にすぎないということが分かった。

    実際、Wikiによると作用反作用は「一方が受ける力と他方が受ける力は向きが反対で大きさが等しいと主張する経験則である」と説明している。経験則なのである。プラトンは真理を語るなら経験ではなく、物語をせよと言う。力の作用と反作用だけを見ているとこの法則が真実を表現していると錯覚してしまうが、エネルギーに置き換えて見ると直ちにおかしいことが分かる。如何に素人(私のこと)はプロに騙されるかということである。

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  • from: 生成門さん

    2015年03月02日 14時59分30秒

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    宇宙がこうなっているという数式モデルがあるのはS科学だけである。ビッグバン宇宙論は相対論から導かれた式であり、宇宙モデルではない。

    量子論と相対論は合体できない。何故なら、共に宇宙モデルが存在しないからである。量子論の帰結と相対論の帰結はどこに落ち付くのかが分からないのである。量子論は発散の問題を抱え、ひも理論にその代役を任せたが十分ではないようだし、相対論では心臓から送出される血液の速度が光速度を超えることを説明できない。

    宇宙モデルがないということはシナリオがないドラマと同じで結末がないのである。当然、物語は支離滅裂にならざるを得ないということにある。その点でS科学は宇宙モデルがある。そのモデルはネジである。ネジが宇宙の姿を示しているのである。ネジはイデアが現象化した姿である。そのネジの裏に隠れている物を語るのがS科学である。

    宇宙はこうなっているというモデルを示したのは昔から沢山ある。そのどれも式を使って簡単に示したものはない。言葉で述べているだけである。

    宇宙論
    http://ja.wikipedia.org/wiki/宇宙論

    簡潔に示したという点では陰陽宇宙論の右に出るものはないだろう。陰陽論は二元論と一元論である。一元気(太極)から二元気(陰陽)になるのである。それが循環する。しかし数学的表現がない。だからそこから深化することができない。そのまま現在に至っている。結局、確率と癒着してしまい占いとなった。

    陰陽論の本質はメービウス構造である。陰が極まれば陽に転化し、その反対もある。これを数学に出来ていないのである。これを数学するためにはx⇒1/x=tとならなければならないのである。xを陰とすると陰が極まれば様となるは陰⇒1/陰である。つまりx=∞になると1/∞=0となる。陰陽論で語れるのここまでである。陰陽論ではこれ以上の解釈はできないのである。解釈できないということは物語がここで止まるということである。しかし、メービウス構造をはS科学はここでは止まらない。

    同じ宇宙モデルであっても数学を使ったモデルとそうでないモデルでは物語の展開の速度と深さとがまるで異なるのである。

    裏に隠れているモデルの真の姿を物語るためには、どうしても数学という言語ゲームを持ち込なければならないのである。その一端を示してみよう。

    F*v=一定はネジのモデルである。これが螺旋モデルに変身するのは簡単である。ここではメービウス構造が隠れていることを露呈させることに専念する。-F*v=1として万有引力F=1/x^2を代入してみる。本質だけを見るのだからF=MmG/r^2の係数はMmG=1としていく。v=dx/dt、r=xとする。そうすると-1/x^2(dx//dt)=1だから、1/x=tとなる。F*v=1の方でやると-1/x=tとなる。この1/xがメービウス変換なのである。

    巷に溢れているネジという簡単な構造物が宇宙モデル=メービウス構造になるというは画期的な発見である。これだけでもイデアに近づいた気がするだろう。この様な発見は陰陽論をどう逆立させても出てこないだろう。これが裏に隠れているモノを露呈させるのが数学の力である。引力は距離の二乗に比例するという抽象的な式である。これは引力だけでなく電磁気の力にも言えることである。これを見てもいかに物理現象の背後には式(識)はあることが分かるだろう。

    引力を相互作用の式に代入しただけで、何故、メービウス変換がでてくるのだろうか。それだけではないx⇒1/x=tである。距離が反転すると時間になるのである。これがまた凄いことになる。距離が無限大になると突然にt=0になるのである。これは無限大の位置が今なのだからタイムマシンでテレポートしたことになる。

    こんなすごい仕組みがF*v=一定から出て来るのである。単にとってつけた話ではないのである。

    この物語は物理が如何に唯物ではなく唯識であるかを語っているところである。唯識だということを示すだけならいくつかの例を示すだけでも良いかもしれない。しかし唯識の仕組みを話すとなるとそうはいかない。唯識を数学することになるからである。唯識を数学するということはイデアを語ることになる。しかし、イデアは裏に隠れているモノであり見えない触れることのできない語ることのできないモノである。それを語るというのだから超難題である。

    だから生成の門は超難関なのである。式を極めるには認識の門をくぐらなければならない。物を極めるには存在の門をくぐらなければならないである。イデアの門⇒生成⇒認識(唯識)⇒存在(唯物)と続く門である。それを逆から進んでいるのである。だから最後はイデアの門になるがそこが鬼門なのである。果たして辿り着けるだろうか。まあ、少しづつ進んでいこう。

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  • from: 生成門さん

    2015年03月02日 14時58分29秒

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    全ては物語である。量子論は波が粒に瞬時に収束するという物語である。S科学は宇宙はネジであるという物語である。

    すべては物語である。量子論もその枠組みから逃れるとことはできない。サイエンス・フィクションではないかもしれないがサイエンス・ファンタジーなのである。要するに作り話なのである。その証拠が「波束の収縮」である。波束の収縮は解釈である。解釈とは作り話なのである。本当にそうなっているかは分からないのである。何が問題かと言うと波が物になるその過程である。その過程が語れていないのである。そこがブラックボックスである。瞬間にそうなるのなら時間が必要になる。それは物質原理に反する。

    何かが何かになるというのは変化である。変化は時間である。時間が0というのは変化していないということである。だから波が物になるには時間が0だから変化しない。つまり物にはなれない。だからこの物語は成立しない。成立しない物語は唯物科学ではない。すでにそれは唯識である。波が物になると定義したのである。それ以上の事はない。後はこれを受け入れるかどうかである。

    受け入れなければ、他の物語が語れるということである。そんな物語が存在する。それはS科学である。S科学は波束の収縮など前提にしない。新しい科学である。四次元能はこれを支持する。

    量子論は破綻しているのが、まあ、しかし、語り得ないものは沈黙するしかないといって匙を投げたウィトゲンシュタインを超えたことでは評価で来るだろう。

    語れないモノを語るには勇気がいる。その物語は真理=イデアの近いかどうかで評価されるからである。それに近づくためには特別な言語ゲームが必要である。その言語ゲームは物語=神話=ミュートスではない。新しい言語ゲームである。新しいとは宇宙のモデルが内在していることである。宇宙のモデルとは宇宙はこうなっているという姿である。そのモデルは数式で表現されなければならない。自然言語モデルは必要であるが十分ではない。現代物理には宇宙のモデルは存在しない。アインシュタインの宇宙方程式は宇宙モデルから導かれたのではない。

    光速度が一定が理論的に証明され、実験でも確認されたことから物語が始まる。当然、光速度を超える速度は存在しないことが前提され、速度が早くなると時間が遅れることになり、相対論に帰結する。そして疑似エーテル場を想定したことで光は場を伝播することになったのである。そうなると今度は力である。力が存在するのではなく、力を生成する場が存在するのである。それが重力である。重力とは場の歪なのである。こうして積み上げていった結果からビッグバン宇宙論が導かれたのである。初めに宇宙モデルがあった訳ではない。もし前提が間違っていたらすべてがこける。特に、光速度を超える速度は存在しないことが前提はあやしいのである。これを徹底して批判しているのがS科学である。

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