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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2015年03月02日 14時59分30秒

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    宇宙がこうなっているという数式モデルがあるのはS科学だけである。ビッグバン宇宙論は相対論から導かれた式であり、宇宙モデルではない。

    量子論と相対論は合体できない。何故なら、共に宇宙モデルが存在しないからである。量子論の帰結と相対論の帰結はどこに落ち付くのかが分からないのである。量子論は発散の問題を抱え、ひも理論にその代役を任せたが十分ではないようだし、相対論では心臓から送出される血液の速度が光速度を超えることを説明できない。

    宇宙モデルがないということはシナリオがないドラマと同じで結末がないのである。当然、物語は支離滅裂にならざるを得ないということにある。その点でS科学は宇宙モデルがある。そのモデルはネジである。ネジが宇宙の姿を示しているのである。ネジはイデアが現象化した姿である。そのネジの裏に隠れている物を語るのがS科学である。

    宇宙はこうなっているというモデルを示したのは昔から沢山ある。そのどれも式を使って簡単に示したものはない。言葉で述べているだけである。

    宇宙論
    http://ja.wikipedia.org/wiki/宇宙論

    簡潔に示したという点では陰陽宇宙論の右に出るものはないだろう。陰陽論は二元論と一元論である。一元気(太極)から二元気(陰陽)になるのである。それが循環する。しかし数学的表現がない。だからそこから深化することができない。そのまま現在に至っている。結局、確率と癒着してしまい占いとなった。

    陰陽論の本質はメービウス構造である。陰が極まれば陽に転化し、その反対もある。これを数学に出来ていないのである。これを数学するためにはx⇒1/x=tとならなければならないのである。xを陰とすると陰が極まれば様となるは陰⇒1/陰である。つまりx=∞になると1/∞=0となる。陰陽論で語れるのここまでである。陰陽論ではこれ以上の解釈はできないのである。解釈できないということは物語がここで止まるということである。しかし、メービウス構造をはS科学はここでは止まらない。

    同じ宇宙モデルであっても数学を使ったモデルとそうでないモデルでは物語の展開の速度と深さとがまるで異なるのである。

    裏に隠れているモデルの真の姿を物語るためには、どうしても数学という言語ゲームを持ち込なければならないのである。その一端を示してみよう。

    F*v=一定はネジのモデルである。これが螺旋モデルに変身するのは簡単である。ここではメービウス構造が隠れていることを露呈させることに専念する。-F*v=1として万有引力F=1/x^2を代入してみる。本質だけを見るのだからF=MmG/r^2の係数はMmG=1としていく。v=dx/dt、r=xとする。そうすると-1/x^2(dx//dt)=1だから、1/x=tとなる。F*v=1の方でやると-1/x=tとなる。この1/xがメービウス変換なのである。

    巷に溢れているネジという簡単な構造物が宇宙モデル=メービウス構造になるというは画期的な発見である。これだけでもイデアに近づいた気がするだろう。この様な発見は陰陽論をどう逆立させても出てこないだろう。これが裏に隠れているモノを露呈させるのが数学の力である。引力は距離の二乗に比例するという抽象的な式である。これは引力だけでなく電磁気の力にも言えることである。これを見てもいかに物理現象の背後には式(識)はあることが分かるだろう。

    引力を相互作用の式に代入しただけで、何故、メービウス変換がでてくるのだろうか。それだけではないx⇒1/x=tである。距離が反転すると時間になるのである。これがまた凄いことになる。距離が無限大になると突然にt=0になるのである。これは無限大の位置が今なのだからタイムマシンでテレポートしたことになる。

    こんなすごい仕組みがF*v=一定から出て来るのである。単にとってつけた話ではないのである。

    この物語は物理が如何に唯物ではなく唯識であるかを語っているところである。唯識だということを示すだけならいくつかの例を示すだけでも良いかもしれない。しかし唯識の仕組みを話すとなるとそうはいかない。唯識を数学することになるからである。唯識を数学するということはイデアを語ることになる。しかし、イデアは裏に隠れているモノであり見えない触れることのできない語ることのできないモノである。それを語るというのだから超難題である。

    だから生成の門は超難関なのである。式を極めるには認識の門をくぐらなければならない。物を極めるには存在の門をくぐらなければならないである。イデアの門⇒生成⇒認識(唯識)⇒存在(唯物)と続く門である。それを逆から進んでいるのである。だから最後はイデアの門になるがそこが鬼門なのである。果たして辿り着けるだろうか。まあ、少しづつ進んでいこう。

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