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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2015年03月02日 16時02分28秒

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    現実か空想かは物語の程度の問題である。

    物理学は唯識論だということを証明したが、本当に証明になっているだろうか。それには自信がないが、物語としてなら楽しめるだろう。プラトンは真理を探究するには理屈ではなく物語れと言った。確かに物語なら真理かどうかは別として実感できる。しかし、フィクションでは締まりがない。ファンタジーなら少しは実感できるだろうか。

    四次元能はプラトンに従い真理を探究するスタイルを科学的な物語に求める。しかし、サイエンス・フィクションでは締まりがないと思うからサイエンス・フィクションの傾斜するである。フィクションとファンタジーではどう違うのだろうか。

    フィクションは架空の出来事を想像的に描いた物語である。ファンタジーは魔法やその他の超自然的・幻想的・空想的な物語である。架空と空想の違いである。どうもすっきりしない定義である。空想は現実に近い。架空は現実離れである。従って、程度問題である。

    全ては物語であるが、現実、幻想、架空という順に並ぶ。

    リアリティ・・・・ファンタジー・・・・フィクション

    現実だと思っていることはそれでさえ物語なのである。現実は事実である。しかし、それを担保する方法がない。見たことを人に伝える。そのことが正しいと証明するには他の人の担保がいる。こうして無限に後退する。無限は実現しないから事実は証明されない。だからすべては識(主張)である。主張は仮説=架空=空想=幻想=超自然である。程度の問題である。




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