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創価学会SGIを本音で語ろう

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月28日 20時06分02秒

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    信濃町探偵団―創価学会最新動向

    2011年7月
    投稿日: 2011年8月11日 作成者: okkotu
    ・6月3日付「聖教新聞」「ポーランド・国家遺産省からSGI会長に文化功労勲章金賞」

    ・6月10日付「聖教新聞」「南米ボリビア サンタクルス州女性市議会議員連盟 SGI会長夫妻に顕彰証書」

    ・6月14日付「聖教新聞」「ブラジル ポンタグロッサ市 池田香峯子夫人に名誉市民証」

    ・6月23日付「聖教新聞」「池田SGI会長の新対談がスタート 『新たな地球文明の詩を タゴールと世界市民を語る』 インド ラビンドラ・バラティ大学前副総長 バラティ・ムカジー博士と共に」
     「輝くアジアの大詩人タゴール。池田SGI会長の新対談『新たなる地球文明の詩を――タゴールと世界市民を語る』の対談が、月刊誌『灯台』8月号からスタートする。(中略)2004年2月、タゴールの魂を継承する同大学の『名誉文学博士号』を授与するため副総長として来日したムカジー博士は、SGI会長と共に、タゴールの精神闘争の軌跡を語り合った。さらに書簡等を通して進められている連載対談では、一段と幅広く、タゴールの生涯や詩作、女性観などを論じ合っていく」

     ※本誌今号の特集記事「かくも長き不在――本部幹部会欠席満1年」で詳述しているように、池田大作名誉会長が本部幹部会を欠席し始めてから満1年が経過した。健康状態の悪化が取りざたされる池田氏だが、なんと8月から月刊誌「灯台」で、新たな対談の連載を始めるという。しかし「聖教新聞」記事にあるように新たな対談の連載といっても、対談相手と話し合ったのは2004年のこと、あとは書簡の往復だという。公の席に姿を見せない池田氏と、池田夫人に対する顕彰等も相変わらず。結局、創価学会には“池田大作”しか売り物がないことがよく分かる。

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月17日 22時38分14秒

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    かくも長き不在―本部幹部会欠席満1年

    投稿日: 2011年8月11日 作成者: okkotu
    メルトダウンする池田独裁体制
    乙骨正生 ジャーナリスト

     虚構の神話で情報操作

     創価学会の池田大作名誉会長が、本部幹部会に出席しなくなってから、今年の6月で1年が経過した。昨年6月3日開催の本部幹部会から始まった池田氏の欠席。その際に池田氏が欠席理由を述べたメッセージは次のような内容だった。
     「法華経の会座において、幾度もくり返される弟子の誓願があります。それは、〓私たち弟子は、師匠の仰せの通りに広宣流布を成し遂げます。どうか、ご安心ください。心配なさらないでください〓という誓願であります。弟子たちが、本気になり、一丸となって、不惜身命の祈りと行動を起こしてこそ、真実の勝利がある。これが法華経の後継の真髄なのであります。
     ゆえに、私は、きょうは、あえて出席いたしません。厳然と一切を見守っておりますから、原田会長を中心に、皆で明るく元気いっぱいに行いなさい」(平成22年6月4日付「聖教新聞」)
     創価学会が教義上の拠り所とする法華経には、「釈尊」に対して弟子の「菩薩ら」が、「釈尊滅後の弘通」を誓う場面が説かれている。池田氏は、そうした「菩薩」の「誓願」の意味を我田引水的に解釈し、自らの本部幹部会欠席に、さも宗教的な意味合いがあるかのように主張している。しかもこれに続く文脈において池田氏は、晩年の戸田城聖創価学会二代会長の本部幹部会欠席と自らの本部幹部会欠席を重ね合わせ、本部幹部会を欠席するのは、創価学会の後事を託すための儀式ででもあるかのように強調している。
     「戸田先生は、75万世帯の願業が一歩一歩、達成に近づいていくなかで、私たちに、一つ一つ、戦いの指揮を託していかれました。先生は『みんなも立派に育ってきたからな。君たちに任せるよ。自分たちで責任をもって考え、進めていきなさい』と言われ、時には本部幹部会等にも出られなかったのであります。
     それは、未来のために考え抜かれた獅子王の訓練であることが、私にはよくわかりました。先生は、仏法において、何よりも大切な『時』というものを鋭く見極められて、弟子たちが永続的に前進し、勝利し、発展していける流れを創ってくださったのです。
     特に、私に対しては厳しかった。『大作、私が打てる手は全部、打っておいたぞ。あとは、おまえが思う存分、戦いまくれ!勝ちまくれ!』と厳命されたのであります。
     今、私も、戸田先生とまったく同じ心です。君たちに万事を託していく総仕上げの『時』を迎えているからであります」(同)
     この池田メッセージによれば、戸田は晩年、後継の弟子らに後事を託すために、意図的に本部幹部会を欠席した。それは弟子らの成長を受けての措置だったが、同時に戸田は池田氏に後事をすべて託していたということになる。その上で池田氏は、自分も戸田と同じ心持ちであり、創価学会の将来を託すために、「あえて」本部幹部会を欠席すると、もったいをつけた物言いで本部幹部会の欠席を正当化している。
     しかし本誌の176号(平成22年9月号)の特集記事「『闘病記』を発表した戸田城聖と情報不開示の池田大作の落差」で詳述したように、戸田が本部幹部会を欠席したのは、重篤な肝硬変を患っての闘病のためであり、後継の弟子らに後事を託すためではなかった。まして戸田が「君たちにまかせるよ」と指揮権を委託ないしは譲渡したり、池田氏に創価学会の後事を託したという事実はない。
     というのも戸田は、昭和33年2月11日に行った自らの全快祝いの祝宴において、向後7年間にわたって会長を続ける意志を表明しているからである。その発言内容は、池田氏がメッセージ中で紹介した「みんなも立派に育ってきたからな。君たちに任せるよ。自分たちで責任をもって考え、進めていきなさい」との戸田発言とはまったく逆。会長である自らが病気で不在となった昨今は成果があがっていないと、暗に弟子らによる運営を批判し、創価学会の振興は自分にかかっているとして、再び先頭に立って陣頭指揮をとる強い決意を次のように明かしている。
     「会長就任以来七年になるが、私は七年目ごとに難に逢っている。今度の病魔も打ち破ったのだから、もう七年また会長としてがんばるから一つよろしく頼む。末端指導、末端指導と今までずい分力をそそいできたけれどもこのごろは余りその成績が上がっていない。それはもっと根本がしっかりしなければならないということである。『源深ければ流れ遠し』の通りで、要するに学会の振興は会長自身がしっかりしなければならん。私自身が私を教育し磨いて行く。支部なら支部長がしっかりすることだ。そうなって行けば自然に地区部長も班長もしっかりしてくる。自己が大切だということを自覚して、明日から以前と同じように本部へ行って指揮をとる。皆も従前通りよろしくたのむ」
     戸田は、この発言からわずか1カ月半後の昭和33年4月2日に死去する。要するに戸田は、死の直前まで自分が陣頭指揮を取る意志を示していたのである。
     すでに戸田の死から半世紀の月日が流れており、戸田死亡時の事実関係を知る学会員がほとんどいないことから、池田氏ならびに創価学会は、自らが陣頭指揮をとるとの戸田の意志とは全く異なる虚構の「弟子への委託」神話を構築し、それを吹聴することで、池田の本部幹部会欠席の正当化=池田の健康状態の悪化を糊塗するとともに、ポスト池田大作体制構築のための一環として情報操作を繰り広げているのである。
     周知のように日本の原子力発電は、虚構の「安全神話」に基づいて建設され、稼働してきた。そして虚構の「安全神話」を守るために東京電力などの電気事業者をはじめとする政・官・業・学癒着のいわゆる「原子力村」は、事故の隠蔽やデータの改竄などの情報操作・情報統制をくり返してきた。だが、甚大な放射能被害をもたらした福島第一原発の事故は、「安全神話」の虚構性を白日の下に晒した。この事実が示すように、もはや虚構の「神話」を構築し、その「神話」を情報操作・情報統制で維持し、組織や法人の利益や利権を守ることなど無理な時代になってきているのである。
     だが「原子力村」ならぬ「信濃町(創価学会)」は、相変わらず虚構の「神話」作りに腐心し、その「神話」を学会員に刷り込むことで体制の維持を図ろうとしている。そのためのツールとして活用されているのが、過去の池田氏のスピーチ映像である。冒頭で紹介したように池田氏は、昨年6月以来、月例の本部幹部会を欠席しているが、本部幹部会では毎回、池田氏のメッセージが代読されるとともに、元気だった頃の過去の池田スピーチが放映される。

     過去のスピーチ放映はXデーの準備

     池田側近の長谷川副理事長による池田スピーチの代読は、池田氏の健在を誇示する役割を果たしている。過去の池田スピーチの放映も、全国の会館で本部幹部会の録画映像を見ている学会員には、あたかも本部幹部会に池田氏が出席しているとの錯覚をある程度はもたらすだろう。しかし、その効果は限定的であり、むしろ過去の映像の繰り返しは、「お元気」(平成22年9月・本部幹部会での原田発言)であるはずの池田氏の「かくも長き不在」を、視聴する学会員に否応なく意識させるものとなっている。その意味で過去の池田映像の放映は、「かくも長き不在」を続けている池田氏が、「永遠に不在」となる日に向けての予行演習、馴化のプロセスとして放映されているといえようか。
     実際、本部幹部会では池田スピーチを流す前に、原田会長が必ず池田スピーチを放映する意味に言及するのだが、その発言内容は「私どもは永遠に池田先生のご指導通り、正義の前進を貫いてまいりたい」(今年4月度本部幹部会)などと、池田氏の「永遠の不在」を意識したものとなっている。以下に今年6月・4月・2月と、直近の3回の本部幹部会における池田スピーチに関する原田発言を紹介しよう。
     まずは婦人部結成60周年記念全国婦人部幹部会を兼ねた6月の新時代第49回本部幹部会、ここでは2007年1月の本部幹部会・全国婦人部幹部会における池田氏のスピーチを放映した。スピーチに先立って原田会長は、次のように言及した。
     「このあと2007年1月におこなわれた本部幹部会、全国婦人部幹部会での池田先生のご指導を拝聴したいと思います。池田先生の青年部へのご期待、婦人部へのご慈愛を命に刻んで前進の糧にしてまいりましょう」
     同様に、池田氏の会長就任記念日である5月3日を慶祝する5・3記念と銘打たれた今年4月の新時代第48回本部幹部会の原田発言。ここでは池田氏の会長就任記念日を祝福する意味あいもあってか、前出のように池田氏の「永遠性」が強調された。
     「このあとここ関西池田記念会館で2007年に行われた本部幹部会、関西総会での先生のご指導を拝聴したいと思います。私どもは永遠に池田先生のご指導通り、正義の前進を貫いてまいりたい。東北の皆さまも、全世界の同志が祈っております。先生がメッセージでおくってくださった、『断じて負けるな、勇気を持て、希望をもて』、この言葉通りに断じて負けないでください。東北の皆さん断じて勝利しましょう」
     芸術部総会と結成60周年記念第2回青年部幹部会を兼ねて開かれた今年2月の新時代第47回本部幹部会で原田会長は、戸田が死の直前に広宣流布のバトンを弟子なかんずく池田氏に託したと創価学会が主張する、昭和33年3月16日実施の「広宣流布の模擬試験(日蓮正宗総本山・大石寺の大講堂落慶法要)」の意義を語る池田スピーチを学習する姿勢を強調した。
     「さあいよいよ3・16から4・2、そして5・3へ、これが創価の師弟を貫く勝利のリズムであります。このあと池田先生が3・16の意義などについて語ってくださった2009年3月の本部幹部会でのご指導を拝聴し、決意を新たにしてまいりたいと思います。全同志が師弟の精神で、断じて勝利し、栄光の5・3、晴れ晴れと集いあってまいろうではありませんか」
     昨年6月から池田氏は本部幹部会を欠席しているが、それ以前はほとんどすべての本部幹部会に出席して、スピーチや指導を行っている。また各種の会合で池田氏は指導・スピーチを繰り返している。したがって創価学会には、池田氏の指導やスピーチの映像はそれこそ枚挙に遑のないほどにストックされているはずである。
     そうした池田氏の指導・スピーチの内容は、宗教指導に名を借りた十年一日の内容(主として自己宣揚と自慢話だが)であり、2005年のものでも2007年のものでも、はたまた2009年のものであってもたいして変わりはない。
     それゆえ今年2月の本部幹部会において、「3・16」の意義を強調する2009年の池田スピーチ映像を流してもなんら違和感がないのである。
     4月の本部幹部会で、2007年の関西総会を兼ねた本部幹部会での池田スピーチを流したのも、4月の本部幹部会の会場が関西だったからに他ならない。
     同様に6月の本部幹部会で、2007年の婦人部幹部会を兼ねた本部幹部会の池田スピーチが流されたのも、6月の本部幹部会が創立60周年記念全国婦人部幹部会を兼ねており、6月には全国各地の組織で婦人部総会が開催されることから、婦人部幹部会を兼ねた本部幹部会での池田スピーチが流されたのである。
     要するにこの先も、九州で本部幹部会があれば、かつての九州総会や九州総会を兼ねた本部幹部会での池田スピーチを、11月の本部幹部会であれば、11・18の創価学会創立記念日を祝福した本部幹部会での池田スピーチを流せばいいのである。そうした池田氏の映像を繰り返し放映し、「私どもは永遠に池田先生のご指導通り、正義の前進を貫いてまいりたい」(4月後本部幹部会・原田発言)と強調しておけば、当面、困ることはない。
     かくして全国の学会員の心底に、「永遠の不在」への免疫が醸成され、飼いならされた学会員は従順に世襲体制を受け入れると、創価学会の執行部は目論んでいるのだろう。
     だが原発の「安全神話」が福島第一原発の事故で脆くも崩壊したように、創価学会の「炉心」である池田氏が「メルトダウン」を迎えた時、創価学会が世襲体制へと安定的に移行できるかどうかは未知数である。〓無謬・常勝・正義〓などの「池田神話」が国政選挙の敗北、司法による断罪、日蓮正宗からの破門などで次々と崩壊する中、「神話」に基づいた世襲体制など、砂上の楼閣に過ぎないからである。
     「かくも長き不在」が「永遠の不在」に移行した瞬間から始まる池田独裁体制のメルトダウンは、日本の政界・社会にいかなる影響を及ぼすか。警戒を怠ることは危険である。

    乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』『司法に断罪された創価学会』(かもがわ出版)など。

    FORUM212011年7月 特集

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月16日 22時53分53秒

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    「Re:日顕上人から創価学会員への説諭」
    【「法主何する者ぞ」】

    たとえば、池田大作氏は、実質的には公明党という政党の支配者と言われています。法華経自体の教えの中には、「俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも皆正法に順ぜん」という教えがあります。「治世の語言」というのが、政治に当たると思うのです。

    これは、法華経のよい教えが広宣していけば、政治そのものが妙法の教えに順じて、すばらしく立派になるという意味での、法華経の功徳を言っているのです。憲法的解釈からの政教分離という言葉がありますが、あくまで宗教において本当に陶冶されて、思想や境涯の次元が高くなった人びとによって正しく勝れた政治が行なわれるのなら、これはむしろいいことではないかと、今でも私は思っています。

    しかし、今のあり方はそうではなく、公明党に事件やらスキャンダルやらが続出して、むしろ逆に、法華経を誤解させるような、日蓮大聖人の教えをゆがめるような形になっているのではないかと思っています。


    仏法には第六天の魔王という存在があります。欲界の中の一番上なのです。ですから非常に支配力がある。常人の考えられないような力がある、と仏法の世界観にはあるのです。しかし魔であることに変わりはありません。この者の思うところ、欲界の一切についてのそのあり方は自由自在に支配できる。池田さんも普通の人ではないということは言えると思います。

    実際の池田大作さんはなかなか上手な人で初対面の人はつい「この先生はすばらしい人だ」と思ってしまうのです。実は、私もある時期もっと池田さんのことを信用していました。しかし、本質的には私どもがよくよく見極めていくと、やはり我見の強い、仏法の本来のあり方から逸脱した部分が見えてくるのです。

    法華経に説かれている仏法上の大悪人に僭聖増上漫というのがありますが、これについて妙楽大師が「後々の者(俗衆・道門増上慢にたいする僧聖をいう)はうたた識りがたし」といっています。則ち巧みな心が深く、悪人であることがなかなかわからない、見分けにくいといわれるのです。

    日達上人が、「五十二年路線」の後始末について、いろいろな問題を最終的にまとめられたのは、昭和五十四年五月三日の創価学会本部総会でのことでした。その時日達上人からお言葉があって、ともかく信徒としての基本をはずさない限り、創価学会も日蓮正宗の信徒団体として、これまでのことを一切改めさせたうえ再び協調してゆきたい、と仰せられたのです。

    日達上人がお亡くなりになったのは、ちょうどその二カ月後。その後を私がお受けしたわけです。本宗の場合、血脈相承はもちろん大事な意義があります。大聖人から伝わる法の伝授が中心で
    すが、それと同時に、やはりご先師のお考えを素直にお受けすることが、後の者の責務なのです。そのため私も、日達上人のお言葉を守り、創価学会がきちんとけじめをつければ、また一緒にやっていこうと思ったのです。

    そういうことがあって、一時は創価学会といい、池田さんといい、しばらくは恭順の態度でした。ですから私も、なんとか本来の宗門の信徒という態度を変えないように、そこのところを基本としてやってもらいたい、と思ってずっと十年間やってきたわけです。

    その間、いかにも「猊下を本当に心から信頼しています」というような言葉もあって、私も「本当にこの人は立派な信者だ」と思ったこと確かにありました。


    もっとも、その反面日達上人在世中にも、私はこんな現場に遭遇しました。日大講堂で行なわれた創価学会の総会に招かれて、日達上人が話をされた。総会が終わったあと「早瀬先生と阿部先生は残って下さい」と言われて、まもなく池田氏がやってきて、「今日の猊下の話は、あれは何ですか」と言う。

    私たちが怪訝な顔をしていると、「猊下は私のことに一言も触れなかったじゃないか」。そして、その後の言葉を聞いて耳を疑いました。「図にのぼってるんじゃないですか」と。「法主何する者ぞ」という考え方は、もうこの時にはあったのでしょう。

    法華経の根底にある、即身成仏という考えかたは、素直で我見を捨てた真面目な信仰であります。一人の人間を特別に神だとか仏だとか言うのではなく、みんながそれぞれ持っている命の尊さからの信心の徳を妙法と開いていくということであって、一人の人間が特別に権力を持つということではないのです。

    特に、大聖人様は法華経を広めることによって、法華経に予証されている難を受けられた。その難は俗衆増上慢、道門増上慢、僭聖増上漫という人々が必ず出てきて難を加えるのです。

    大聖人様はあらゆる難をお受けになったうえで、法を顕されるという意味がありました。難を受けてそれを耐え忍んだ上での法の顕れ方なのです。そこには全然、権威だ、権力だなどというものはないのです。



    私などもその教えを受けている者として、教団の中で私のことを上へ上へと奉りすぎるのはいけないと、いつも僧たちに言っているのです。だから、仏法の即身成仏という意味は、本当に権威や権力という意味ではなくて、みんなの真の幸せを願う心の境涯を言うわけです。そこで、今の創価学会のあり方が、いろいろな面から見て民主的とは言えない感じがします。


    創価学会は総本山大石寺について現在こんな噂を流しているそうです。「お山は今草が茫々だ」「野犬がいて危ない」、「ヨタ者が徘徊している」。いずれも反駁する気力も起こらないほどの妄言です。

    また、昨年七月から創価学会運営による登山方式を本宗本来の末寺を通しての登山方式に改めたのですが、戒壇の大御本尊へのご開扉のご供養は基本的に二千円に決めました。これについても、「三万円取られる」とか、「そのうち四万円、五万円になる」と言っているそうです。

    日蓮大聖人様の教えは「正直」が根本です。あくまで、正しいことをきちんと言うことです。悪い人は事実を歪曲して、いろいろ嘘言ったりするけれども、そのためにどんな難が来ようとも、耐え忍びつつ、正直に正しいことを示していく、という教えです。私は絶対に、そうでなければ本当の功徳はない、と思っています。



     【「元なきものはかくの如し」】

    また、近頃、一部には、昭和五十二年当時のように、宗門と学会が和解するのではないかという見方もあると聞きました。

    しかし今回の場合は前回とまったく事情が違います。しかるべき決意をもって、まず「解散勧告書」を出しました。しかし創価学会はかえってこれに反発し、ますます悪質なる誹謗と中傷を加えてきたのでやむをえず、

    「もうこれかちは、日蓮正宗から破門し、創価学会は日蓮正宗とは一切関係のない団体とする」と通告しました。しかも、これは私がひとりで決めたことではなく、宗門僧侶の総意に基づき、また責任役員会の決議を経ておこなったことなのです。

    こういう非常事態になったため、かえって僧侶が民衆を導いていくという、僧侶本来の自覚が各僧侶に出てきたのではないか、と思っているのです。

    私はかつて創価学会第二代会長戸田城聖氏が、昭和三十一年八月十日、岡山市妙霑寺の落慶入仏式の折りに、第六十五世日淳上人に申しあげた言葉を思い出さずにはいられません。

    「将来、もし、学会が大きくなって宗門に圧力をかけたり、あるいは内政干渉をするようなことがあったら、いつでも解散をお命じください」

    かつては、創価学会も、そういう自覚をもって「広宣流布」につとめていたのです。

    学会と訣別するにあたって、私がもっとも心を傷めたのは、学会員の信徒の皆さんのことです。先に述べたように、創価学会を破門したということは、やはりそれに属する会員を認めないことになります。

    しかし、個人個人は今でも日蓮正宗信徒であり、学会員としての主張は認めませんが、日蓮正宗信徒としての立場は宗門として基本的に認めるということであります。

    私は、なんとしても信仰と組織の問で思い悩む学会員の方々のお力になりたいと思っています。そういう方は、ぜひ近くの日蓮正宗寺院をお訪ね下さい。

    また、今なお学会が正しいと思っている方でも、今世、来世、再来世、未来永遠の命の中で、いつか救済すべくお力になれるときがあると思います。

    中国のことわざの中に、「元あるものはかくの如し」それから「元なきものはかくの如し」というふたつの譬えがあります。

    前者は、たとえわずかなものであっても、着実なものであれば、たとえば、泉の水がこんこと涌き出るように、いつまで経っても、どんな日照りでも、水は絶えない、と言う意味であります。

    逆に後者は、たとえ一時的に繁栄したとしても、しつかりとした元がないものは、たとえば大雨が降ったあとの水たまりのように、すぐになくなってしまうという意味であります。

    この誓えを宗門と学会にあてはめれば、宗門は七百年の伝統を持ち、その根本において、大聖人様からの法脈を正しく伝授してきました。日蓮正宗は、下種仏法の元から存在した教団なのです。また、これからも、その意義を受けて法を正しく広めようとする宗団であります。

    これにたいして創価学会は、本来は日蓮正宗の法燈を護るべき団体であるのに、今日では誹謗・中傷を繰り返して、日蓮正宗を口汚くののしるような存在になり下がってしまった。本来の正宗信徒の立場から離れて、非常にゆがめられた存在になってしまいました。元のないところでは、やはり、本当の仏法の功徳はありません。

    創価学会の皆様は、過去世の尊い宿縁によって今世に尊い生を受け、受けがたいご本尊を拝する功徳にも恵まれたのです。心地観経に

    「過去の因を知らんと欲せば真の現在の果を見よ、未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」

    とありますように、誰しも過去、現在、未来の三世の生命をもって今世に生活しているのです。今生の日々の生活は過去世の業因の現われであると同時に、未来世の生活の結果を生む大事な因を積いるのです。

    それを考えると、今こそあらゆる謗法の悪を止めて、正直に本門戒壊の大御本尊を拝することが肝要なのです。

    大聖人様が「仏法は体のごとし世間は影のごとし体曲がれば影ななめなり」と仰せのように、池田さんや学会首脳の信心姿勢が、日蓮正宗本来のあり方から大きく逸脱しているのですから、それに従っていけば、世間法である生活が曲がってくることは当然です。

    どうか皆様には、正直な信心に任し、成仏の境涯を磐石に築かれるよう念じてやみません。

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  • from: 22世紀さん

    2011年08月15日 21時03分45秒

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    池田大作「権力者」の構造

    池田大作「権力者」の構造投稿者:管理人 投稿日:2011年 8月15日(月)21時00分57秒 返信
    創価学会による日本支配計画

     創価学会の政治進出は国立戒壇の建立を大目標としたほか、副次的に、会内の結束、折伏のための下
    工作、会内外に対するデモンストレーション、政治権力を用いた優遇、利権の獲得――などを目的として
    いた。池田は昭和40年から47年、総本山に建つ正本堂が本門戒壇だとして国立戒壇を否定しはじめたが、
    政治権力を握ったうえでの正本堂の国立戒壇への移行を放棄したわけではなかった。池田は信仰上の永
    遠の大目標であるべき広宣流布を現実次元に引き下げ、それへの宗教的なアプローチである折伏のほか、
    政治権力を握ったうえでの正本堂の国立戒壇への移行を放棄したわけではなかった。池田は信仰上の永
    遠の大目標であるべき広宣流布を現実次元に引き下げ、それへの宗教的なアプローチである折伏のほか、
    政治権力を握ったうえでの正本堂の国立戒壇への移行を放棄したわけではなかった。池田は信仰上の永
    遠の大目標であるべき広宣流布を現実次元に引き下げ、それへの宗教的なアプローチである折伏のほか、
    政治権力を獲得しようとする選挙戦を闘うなかで、また公明党がすでに持つ一定の政治権力を利用して、
    広宣流布の実現を目指した。いわば宗教的手法と政治的・社会的手法のミックスであり、両手法の相乗・
    拡大効果によって、広宣流布を達成しようとした。
     広宣流布とは王仏冥合の実現と同義であり、より具体的には、池田内閣、ないし創価学会による日本支
    配を意味した。実現のとき、必然的に日蓮正宗は国教化されようし、その象徴としての国立戒壇なのであっ
    た。
     昭和45年の創価学会=公明党による言論抑圧・出版妨害に対する世論の糾弾、その後の宗門支配を目
    指した52年路線の失敗による宗門問題の激化、55年の教学部長・原島嵩と顧問弁護士・山崎正友の離反
    と批判活動、創価学会脱会者による檀徒と、宗門批判の僧による正信会の批判活動――これらを通して
    池田創価学会の力は相対的に弱まり、それに伴って公明党の勢力を減退したばかりか創価学会との間に
    矛盾をはらむようにさえ変化しているが、池田が政治権力の掌握を放棄していないという事実に変わりはな
    い。たとえ公明党の主な役割が池田創価学会のための政治的防波堤になりさがっているとしても、である。
    「われらが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒
    壇の建立だけが目的なのである」(戸田『巻頭言集』)
    「大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには、関所ともいうべきどうしても通らなければならない
    のが、創価学会の選挙なのでございます」(池田「一致団結、火の玉に」、『聖教新聞』昭和34年5月8日)
     国立戒壇建立を政治進出の大目的に据えたことが、公政連――公明党についていわれる、政策の無さ、
    ジグザグ路線など、あらゆる体質を決定した。
     まず、それは初期においては、具体的な政策をたて得ないという政治団体としての致命的な欠陥をもたら
    した。創価学会議員たちは一般的な政治構想を用意せずに選ばれたから、現実社会への対策を持たず、
    国立戒壇に関係しない通常の議案に無関心を押し通した。そればかりか、その多くが会期中一度も発信せ
    ず(できず)、ただ議席を占めてだけいた。
     そのため公政連においては、政治論理を政策に代用することが行われた。
     昭和37年1月7日、公政連は基本要綱、基本政策を発表したが、基本政策は核兵器反対、憲法改悪反
    対、公明選挙政界浄化、参議院の自主性確立という四項で、その真っ先に掲げられた核兵器反対が、前述
    した戸田の非現実的な「原水爆声明」の繰り返し(「戦争に使用する国々の責任者に対しては、人類の生存
    権を否定する悪魔として死刑に処すべきである・・・・・」)だったことはともかくとしても、政策の半分を政治倫
    理で間にあわせていた。
     公政連の政治倫理の重視、無政策ぶりをなにより雄弁に物語ったのは、その選挙管理委員会のスローガン「公明選挙」のお株を奪った命名である。
     公明選挙と政界浄化の主張や、派閥抗争と党利党略への攻撃は、誰もが反対できない政治的徳目ではあるが、議案の賛否を問われる創価学会議員たちになに一つ指針を示すものではない。彼らが昭和35年の安保問題に頬かぶりしたのも、議員としての職責を自覚する以上に、安保に重要性を認められなかったからにほかならない。
     後の公明党においても、この政治倫理の過重視は、たとえば46年暮れの沖縄国会で、審議拒否はできないとして(あるいはできないとの名目で)、自民党の単独採決を助け上げ、社公民連合を裏切るなど、依然として尾をひいている。
     政策の無さをいわれることは公政連の存在自体を問われるに等しく、政策の立案は、絶対であるはずの創価学会の政治的立場を限定するという新たな困難を引き起こすが、それを押し切り、是が非でも達成されねばならなかった。
     創価学会の議員は、「公政連では、議員候補を決めるとき、収入を重視した。議員となって生業の時間を奪われても生活していける人だ」(高瀬広居『公明党』)とあるように、多く一般会員より上層の、中小経営者層の出身だったから、公政連は彼らの利益を反映し、また池田の第三文明論に裏つ゛けられて中間政党の要因を持ち、その政策も修正資本主義的な大衆福祉に容易に逢着した。
     昭和38年10月、大衆福祉は公政連の第三回大会で中心的な政策として登場した。が、創価学会=公政連の大衆福祉は、民社党のそれとは別の、独自の政治路線でなければならなかった。
     そのため池田は地球民族主義、新社会主義、人間性社会主義、仏法民主主義といった曖昧な新造語、折衷語を乱作し、痙攣的なまでにその粉飾をこらした。公明党結成時の綱領はこれをなぞって、①王仏冥合と地球民族主義による世界の恒久平和 ②人間性社会主義による大衆福祉の実現 ③仏法民主主義による大衆政党の建設 ④議会民主政治の確立、の四項をうたっていた。
     だが、それにしても創価学会員は政治的にではなく、宗教的に同会出身の候補者に投票して、候補者の公的の如何を問わなかったから、いきおい公約にとどまる公政連=公明党の政策は試練を経ず、たとえば正確な税源を示せない福祉経済案など、粗雑という欠点をまぬがれなかった。
     その政策の多くは緻密な論理や計算によらず、短絡的な論理によって解決をはかるといった点で共通しており、そのよい例が官庁の新設で社会的矛盾を一挙に解決しようとする提案でもあった。
     昭和37年3月、公政連は19項目からなる政策を発表したが、そのうち四項は文化省、科学省、経済統合本部、教育企画本部の各設置の要求であった。
     この、組織さえ作れば、との発想は公明党になってからも見られる、創価学会=公明党の顕著な特質で、このほかにも交通安全省、住宅省、軍縮省などの要求があり、また、東京で米・ソ・中・南北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線などを集めた和平会議を開催するという、池田のベトナム戦争解決策なども場当たり的という面で一脈通ずるものがあった。
     これらはまた、蟹は甲羅に似せて穴を掘る、のたとえどおりの創価学会=公明党の機構信仰の反映でもあった。

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月14日 12時37分49秒

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    「Re:日顕上人から創価学会員への説諭」
    【仏法上の誤り】

    学会の組織を大きくしたのは、二代会長の戸田城聖氏でした。この方はまことに機略縦横な方で、仏法の生命論を主体としたわかりやすい説明で多くの人の共感を得られたようです。世間的な苦労も多かった方だから、世間のことに通じて人の心をつかむのが上手でした。また、創価学会をきちんとした組織にしなければということを常に考えてそれを実行したのです。あの方が昭和三十三年に亡くなるまでに、みるみる学会員は七十五万世帯あるいは八十万世帯にもなったといいます。

    私は戸田さんをよく存じあげていますが、戸田さんはいつも会員にたいし「この戸田が広宣流布するんだ」と言っておりました。したがって「お前たちは、ぜんぶこの戸田の言うことを聞け」と言われてもおり、一見言葉は乱暴ですが、真実味が籠もっていて、まわりの人びとを魅了する力のあった方でした。この徹底した会長中心主義のあり方が、会員の獲得に功を奏したのだと思います。同時に戸田さん自身、本当に自分の命を捨ててでも大聖人の教えを守り、また広めていくという、根本の一念をお持ちだったと思います。

    昭和二十年代から三十年代にかけては、終戦まであった「神国日本」の価値観がすべて崩壊した時期で、国民は思想的な拠り所を失って、何を拝んでいいかわからない、何を頼っていいかわからない、という思想的に低迷した時代でした。

    そういう時期に、新興宗教が雨後のたけのこのようにあらわれたのですが、その中で、創価学会の活動が非常に国民の共感を得て、わずかな時期に会員数が急増したものでした。ですから、後には八百万の会員になったという創価学会のその後の発展は、戸田さんに負うところが大きいのです。いったん火がついたなら、後はさらに大きく燃え広がるわけですから。また、よかれあしかれ会長中心主義という学会の体質は、戸田さんのときにできたものでした。

    その創価学会を受け継いだのが、現名誉会長の池田大作さんでした。池田大作さんについて一言で言うことはできませんが、会長に就任してまもなく、こんな発言をしたということです。

    大聖人の御遺命の大事である本門戒壇について、「戒壇建立ということはほんの形式にすぎない(中略)したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえない……」と。

    早いうちから、仏法にたいし浅識、軽視、蔑視の気持ちがあったのではないかと思わざるをえません。民衆の幸福といっても、それは大聖人の本門の戒法から離れたものでは宗門の法義に反するものです。また、創価学会の会長中心主義の流れの中で、「池田先生絶対」という風潮がごく初期から会の中にあったように思います。

    学会の増長ぶりは、教義の上からも由々しい問題なのです。

    少々仏法用語を使うことになりますが、かみくだいて、説明してみましょう。ひとつは「教相」ひとつは「観心」という言葉です。これは仏教上の基本的な意味として、あらゆる宗派にすべて備わっているものです。「教相」とは要するに、教え、ということです。相は、高いもの低いものを選びわけるという意味です。したがって、これが最高であるとか、一番美味しいものなんだということをきちんと分けるのが教相ということです。

    「観心」は、教えを自分の身にあてて、それによって自分が幸せになっていく、心を開いていくという意味です。「教相」はあくまで理論的な教えであり、これにたいして「観心」は実際に自分がその教えを受けるということです。実際に信心して、お題目を唱えて修行していくというところが「観心」になるわけです。

    当然ながら、宗教には、両方が必要なわけです。もちろん日蓮正宗にもその両方があります。「教相」と「観心」の最高のところでは、それが一体になっているのであり、これが大聖人の教えの本質、本体としての「本尊」、あるいは「三大秘法」と言います。

    教えを受ける形にも時として誤りが生じますが、それが左右の偏向です。一番中心になる正しい立場が中道であります。これはご本尊を余計な見解を入れず素直に信じることです。これが根本中心の教えであり、正しく心を観ずるいちばんの元です。つまり大聖人の教えの通り、このご本尊を信じていけばいいわけです。

    しかし、往々にしてそうならないこともあります。その一方のかたよりは、あまりにも「教相」すなわち教えの形式の方にとらわれてしまって、教えの意義を生かしての本当の徳とするという利益が現れてこないことです。

    もう一方のかたよりは逆に「観心」の方に偏しすぎて自分勝手な解釈に走るというものです。歴史的には、平安時代を風靡した天台仏教が、時代が下がってきて中古天台の頃になると、「観心」の方にかたよった思想なり教えがその宗派の人たちによって形成されたという例があります。

    池田会長になってからの創価学会のあり方は、まさにこの「観心」偏重そのものです。「教相」には、小乗、大乗、権大乗、実大乗、それからさらに日蓮大聖人がその一生をかけて説かれた下種本門の教えなどが厳然と存在します。ところが、それらを自分の立場に転用し、あくまでも自己中心の考え方で解釈してしまう。これは、本宗の教義にたいする独断からくる観心主義の中のひとつのあり方なのです。

    上行菩薩という方が、法華経に出てきますが、この方が末法にご出現されます。そして大聖人様のお振る舞いは、たしかに上行菩薩様であります。この上行菩薩様は、じつはその深い久遠の悟りからいえば、一番の元の寿量品という教えに説かれた、久遠の仏様の悟りの内容の中に入るべき意味があります。それが大聖人様であると拝するまではよいが、それと同じように妙法を広めているのは私たちなんだから、その中心者であり、指導者はその意味がある、という考え方にだんだんなっていくのは行きすぎです。

    そのような流れから、「久遠の師」とか「悟達」とかいう言葉が、いわゆる「昭和五十二年路線」のときに出てきたのであります。そういう教義上の問題が、まず根本にあります。当時、創価学会は組繊の力というか、功績もたしかに大きくなっていましたが、一番の問題は、池田大作さん個人の資質であったと思われます。

    池田さんは自らが仏法の元をつかんでいるかのような考え方をする人でした。当時大変問題になって日達上人も本当にご苦労された戒壇に関する我慢偏見もそれです。なんとかこちらが教導しようとしても、俺の考えは絶対正しいんだと……。仏法を私する、まさに悍馬のごとく、手がつけられないという感じが率直に言ってあったのです。

    しかし、この時は池田さん自身が昭和五十三年十一月七日、総本山に登山して自らの信心指導の行き過ぎをお詫びし、さらに昭和五十五年四月二日「恩師の二十三回忌に思う」と題する所感においても反省の意を表明しました。



     【「僧」と「俗」の間】

    現在創価学会がさかんに宗門批判のひとつとして喧伝している事柄の中に、宗門は僧侶をいちだん上において信徒を蔑視しているといういわゆる「僧侶」批判があります。池田さんは「宗教改革」なる言い方まで持ち出しているようです。これは一見聞こえのいい言葉なのですが、本宗の仏法にたいする本来の理解をまったく欠いているといっても過言ではありません。

    平成三年初頭から、創価学会では、「僧俗平等論」なる主張をするようになりました。とくに「阿仏房御書」などの信心成就に約して示された御書や、第九世日有上人の「化儀抄」第一条の本意を曲解し、

    たとえば、「僧侶と信徒の関係にあっては、まずなによりも、信心のうえでは僧俗平等であることが第一義であると思います。その上で僧侶と信徒の本分及び役割を生かした相互の尊重・和合があるのではないでしょうか」(平成三年一月一日付『お尋ねに対する回答』)と、いかにも宗門が権威主義をもって、信徒蔑視をしているかのような主張をしています。また池田氏も、

    「信徒の側は、僧侶の権威にひれ伏した時に、本来の信仰心は失われ、僧に仕え、依存するのみの形式的な信仰となり、真の功徳はなくなる。御本仏・日蓮大聖人、すなわち大御本尊に信伏随従し、仕えることは正しいが、その根本からはずれて、僧侶に仕えることは、仏法の本義に背く誤りであることを知らなければならない」(平成三年十月十七日)

    と言っています。

    これは、明らかに仏法本来の僧俗師弟のあり方を曲解する発言と言わなければなりません。僧俗の次第について、宗祖大聖人は、

    「所詮真言、禅宗などの謗法の諸人等を召し合せ是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那と為り、我が弟子等の出家は主上・上皇の師と為らん在家は左右の臣下に列ならん」

    と仰せられています。僧侶と信徒は、仏法上、師匠と弟子という筋目の上からの相違が存在するのです。さらに大聖人は、

    「僧の恩をいはば仏宝法宝は必ず僧によりて住す。誓えば薪なければ火無く大地無ければ草木生ずべからず、仏法有りといへども僧有りて習伝へずんば……伝はるべからず(乃至)然れば僧の恩を報じ難し、されば三宝の恩を報じ給うべし」

    と説かれました。

    仏法においていかに僧の役目が重く大切であるかが明らかです。その僧は俗の立場とはっきり区別されております。また、日興上人は「遺戒置文」で、

    「若輩為りと雖も高位の檀那自り末座に居る可からざる事」

    と、これまた座席の配列に誓えて、僧俗の相違を明確にされています。「僧俗」という形は、やはり宗門古来のあり方の中で、必然的に存在します。ただ、日蓮大聖人の教えだけが、他の宗派と異なるのは、その教えによって、僧も俗も全部が宗教的な意味での最高の功徳が得られるし、その方法すなわち修行のあり方もまったくおなじであり、これを「僧俗一途」といいます。

    しかし、それにしても僧侶は直接に大聖人から伝わる法の中にあって、それなりの僧侶としての修行もし、寺院にも住して、その法を保っていくという立場は厳然としてあります。

    信徒はそのお寺の信徒として、あるいは日蓮正宗の信徒としての意味で僧侶の教えを受けながらやっていくのです。もちろん、最後的に「僧」と「俗」との違いがあって、僧侶だけが幸せになれる、一般の人はここまでであるということは、絶対にありえません。

    一般僧侶は、法主の血脈によって、「三宝」のひとつ、「僧宝」の一分に加わります。本宗の信徒は、唯授一人血脈付法の法主を仏法の師匠としますが、所属寺院の住職・主管もまた、血脈法水への手続の師匠と考えなければなりません。このように、僧侶は信心成就においては、僧俗が一体平等となるが、そこに至るまでの信心化儀という面では、必ず師弟の筋目が存在するものです。

    ただ本宗の場合は、在家もご本尊をいただいています。自分の一切の祈念も、何も、在家において自分自身でできるということではあります。しかしそれでも、実際の問題として、僧俗のけじめはあって、やはり僧侶は内から仏法を守っていく、在家は外から仏法を外護する。そういうあり方において僧侶は在家を敬い信頼し、在家も僧侶を尊敬し、その教えを聞いていくということが七百年来続いているのです。

    ついに創価学会の批判は、「法主」という立場にまで及んでおります。

    平成三年十月二日付「創価新報」では、『神話だった法主への信伏随従』と見出しをつけて、「法主への信伏随従なるものが、所詮は、信徒に隷属を強いるために後世につくり上げられた『神話』にすぎないものであることがうかがい知れよう」と言っております。

    この言はおよそ本宗の信徒団体とは考えられないものです。不変であるべき法義を、その時その時の、自分たちの都合にあわせて、くるくると変えているのです。あまつさえ、宗門を「法主根本主義」、「法主絶対主義」などと決めつけて誹謗するなどは、宗門の言動の真意が、創価学会にはまったく理解できていない証左といっていいでしょう。

    とくに本宗は、大聖人より特別な血脈相承があって、日興上人から、日目上人、日道上人とずっと伝わっています。そこに聖なる法を末法万年のうえにおいて、伝えていくという、伝承伝持のうえからの、僧宝の厳たるあり方が存在するわけです。

    ここに日興上人、日目上人と連綿と伝わって七百年に及んでいる意味があります。

    それに反して、創価学会では、日興上人だけが、僧宝であるとしきりに言っていました。すなわち三宝の仏の宝、法の宝、僧の宝のうち、仏と法は大聖人様であり、ご本尊ですが、僧の宝は日興上人だけであるということです。しかし、そんなことをいえば、以後は何も伝わってないままで今日にきていることになるではありませんか。ですから、そういう点でも、僧は厳として法を正しく保つ中心であるとされるのです。

    もしそういうことを認めないと言うならば、自分たちでまったく違う宗教観なり、宗教の元となるものをつくらなければならない。けれども、日蓮正宗である限りにおいては、ご本尊を信仰する限りにおいては、宗教改革なんていうことがあるはずがないと、私ははっきり申しておきたい。

    そもそも宗教改革という言い方自体が、日蓮正宗の教義とはまったく相反するものです。むしろ彼らの考えていることは宗教改革ではなく、宗教改変というべきでしょう。

    三宝の問題にしても、自分たちも教えを広めているのだから、僧宝であり、だから、現在の僧とはまったく平等であるというのです。これも僧にたいする観心主義偏向の素人考えです。こういう風に短絡的に考えること自体が仏法信者として失格です。

    うかうかすると、池田氏を大聖人の再来だなどと考えたり、信じたりしている人もいると聞きます。この考えは本宗三宝を破壊する、増上慢的偏見によるものです。

    そこまで教えの元のあり方を自分のところに引き寄せようとするのは、観心主義の悪弊が極まったといっていいでしょう。

    そういうことで、宗教改革とかいろいろなことを言っていますが、ぜんぶ根はひとつところから出てきている感じはします。これは日蓮正宗の教えに対する根本的背反であり、自分勝手な仏法違背の考えだと思います。

    たしかに宗門は、教えのうえから、その正統性を指導することはあります。これは、権威とか権力という言葉とは全く違うと思います。宗門独自のあり方としての法を正しく保つための指導性は、当然あるわけです。

    かたや、創価学会は創価学会として会長中心の権力構造がある、これはこれとしながら、創価学会もまた、宗門をたてていくという形が最初の一頃はありました。

    それがいつのまにか、池田さんには、今度はいよいよ宗門より上へ行こうと。総本山・宗門を、創価学会の傘下にいれようとの考えがはっきり現れてきたのです。つまり権力的にも財政的にも、社会に対する問題からも、創価学会中心になり、宗門はその一部分でいいんだという思い上がりです。そうなれば宗門は雁字搦めになって、宗門の本来の主張、信仰のうえから正統性を述べていくことも、創価学会の都合いかんで左右されるばかりか、頭から権威権力の傘を被せられて身動きできなくなるのは当然です。だから、今度の問題をどうしてもきちんとしたいという根拠の一つは、実はそこにあったのです。

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月13日 22時43分12秒

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    日顕上人から創価学会員への説諭

    [創価学会員の皆さんへ]



    【─宗門はなぜ「破門」を通告したか─】

    平成二年は、日蓮正宗総本山大石寺のご開山二祖日興上人が、身延山を離山され、新たに駿州富士郡上条大石ケ原に大石寺を開創してからちょうど七百周年にあたります。その年から具体的にはじまった、宗門と創価学会との問題は、いまや謗法集団となった創価学会にたいし、宗門の正統性と、日蓮大聖人の教えをまもるための容易ならざるものでありました。宗門は、いわば危急存亡のときを迎えたのであります。そして、ついに昨年十一月七日、本宗は断腸の思いで、創価学会にたいして「解散勧告」をし、同月二十八日には、「破門通告」を発することとなりました。

    創価学会と訣別するにあたって、私はあの宗祖日蓮大聖人のお姿を思い起こしていました。

    文永八年(一二七一年)、鎌倉幕府の手で捕らえられた日蓮大聖人は、鎌倉の大路を馬に乗せられて引き回され、由比ケ浜の竜の口刑場まで連れ出されたのでした。いざ首をはねられんとした時、突如天変地異がおこり、大聖人は虎口を脱したと自ら述べられています。生涯を仏法の布教に捧げた大聖人の法難はまだ多くあります。大聖人がいかなるときでもみずから困難を切り開きあそばされたことを思えば、どうして当代の私が逡巡することができましょう。

    また、日興上人のお姿も私が深く拝する処です。日興上人が、身延山を離山される契機となったのは、当時の身延山大檀越たる波木井実長が、大聖人の教えに背いた行為(すなわち謗法)をおこなったことを、日興上人が厳しく制誠し、聞き入れられなかったからです。厳格に日蓮大聖人の教えを守ろうとされた日興上人が身延を離山し大石寺を開かれたのは、正応三年(一二九〇年)のことでした。

    私はここに宿縁を感ぜずにはいられません。折しも七百年後の今日、再び日蓮正宗が、宗門の根本を揺るがす困難と向き合うこととなろうとは。

    昨年十一月七日、宗門は、創価学会にたいして「解散勧告」をし、さらに十一月二十八日「破門通告」をいたしました。このことは広く報道されることとなりましたが、一般社会の方にとっては、なぜこのような事態にいたったのか、真相がよくわからなかったのではないかと思われます。

    この間、私の耳にも、学会員の方々が、宗門の信仰と創価学会という組織との問に立って、非常に悩み苦しんでいるという声が多くつたわってきました。その懊悩の声を、私は苦渋の思いで聞いていました。しかし、こうして私自身が、信徒の皆さん、創価学会の皆さん、さらに広く社会一般の方々に、思うところをお話しする機会に恵まれたことを、喜んでいます。

    「解散勧告」及び「破門通告」にいたる直接の端緒となったのは、一昨年十一月十六日の、池田名誉会長の発言でした。その内容に非常に不穏当なものがあったからです。ケジメをつける意味から、創価学会にたいして真意を質しておくべきであるという考えから「お尋ね書」を送達したわけです。それに対して学会からは真面目な返事はなく、まったく別個の、宗門と私にたいする大変ひどい誹謗・中傷をしてきました。これが「九項目のお伺い書」と呼ばれるものでした。
     
    そういう経緯があっても、なんとか善導したいという気持ちは、捨てたわけではありませんでした。そのときのみならず、私が法主となってから十有余年、創価学会と相対してきましたが、その間、なんとか本来の信徒のあり方にもどってもらいたいという気持ちをもちながら、池田名誉会長以下の人たちと対応してきたつもりでした。しかし、残念ながら、ついに十分な教導ができなかったので



      【今回の処置の意義】

    その原因のひとつには、創価学会の池田名誉会長たちの心の中に、やがて自分たちが主導権を握って宗門を支配しようという考えがあったのではないかと思われます。そういうところから、私たちの誠意をもった善導を聞かず、むしろ逆に彼らの立場からは批判なり、嫌悪なりということが、ずっと蓄積されていたのでしょう。それが一昨年、不意に無法な言いがかりという形で吹き出たと思うのです。

    先ほど述べた通り、この発端が、ちょうど開創七百年というときに現れたところに、私は大変不思議を感じておるわけです。なぜかといいますと、七百年の昔に、日興上人が、大聖人の仏法を誤ってはならぬということで、正しく対処する意味で決然と身延を離山し、大石寺が開かれました。それからちょうど七百年目に学会の問題がおこったわけです。じつは、その年の最後に、宗門もきちんとした立場で処置をしておこう、ということで考えたことがありました。

    しかしそのときは、決定的な処分とかいうことではなく、法華講本部の規約改正ということを行い、総講頭などの本部役員の資格を一時的に喪失するということで、その後の反省を期待することとなりました。しかし、まったく期待はずれで、いよいよ宗門にたいして、反抗に反抗を重ねるような様子が出てきたわけでございます。

    その結果、昨年一年教導・制誠を重ねたすえに、やむをえず創価学会にたいする破門というところにまで至ったわけです。

    将来のために、正しい大聖人の仏法を、どこまでも守ろうということで、今回の処置があったということです。日興上人の大石寺開創の意義に通ずるものがあると、確信しています。

    創価学会が、法人をつくり、僧侶をおしやって、自分たちが主導権をもっておるかのような有り様でしたので、僧侶がなにか気持ちのうえで萎縮しているような面がありました。本来の僧侶の自覚と申しますか、民衆の先頭にたって導いていく姿勢が出てこない。

    しかし、今回こういうことになったために、かえって僧侶の自覚が回復したのではないでしょうか。その点からは、私にはむしろやるべきことをやったという意味での、安堵感があるということも言えると思います。

    学会員の中にもいろいろな立場の方がいるようです。「よくやってくれた」という人、宗門を完全に敵視している人、その中間にあって悩んでいる方もあると思います。この信仰と組織の板バサミになっている」方々にご同情申しあげますが、しかし私どもは正しいことをした、と申し上げたい。学会の秋谷会長や森田理事長などが、今回のことは宗門、法主の嫉妬にあるなどと全く見当違いの言をしばしば弄していますが、これなどまさに自分の境涯で推しはかるから「嫉妬」などという考えが浮かぶのです。一心欲見仏不自惜身命の僧侶の確信など到底知りえない人たちだと思います。

    創価学会側の報道は、宗門の悪口だけが先行しています。そういうものだけ読まされている多くの学会員が、非常にゆがんだとらえ方をしているということもあるでしょう。そういう意味で、中間にいて、本質も知らされずに悩んでいる人たちは、お気の毒です。なんとかこの人々にたいして、正しい考え方に基づいて、正しい選択をしていただきたいと念じています。

    ちょっと世間的に見るとおかしく感じられるかもしれませんが、私どもは、あくまで宗教団体としての見解をもって、一切を対応していこうと思っております。

    日蓮正宗では、入信の時、寺院において僧侶からご本尊を受け、そしてその教えを頂く意味での「ご授戒」という儀式があります。それを受けた人たちは、基本的には日蓮正宗の信徒です。これは変わりません。創価学会員の折伏によって入信した人でも、日蓮正宗の信徒としてご本尊を受けたわけですから、個々の人は、創価学会員である前に日蓮正宗の信徒であるということであります。

    ただし、創価学会を破門にしたということは、やはり必然的に学会員の立場の人たちを併せて破門にしたという意味がありますので、学会員という身分とか立場の主張は認めません。そういう対応をきちんとしていくことで、割り切ったつもりでおります。

    ここで、おさらいのために、日蓮正宗と、創価学会のそもそもの関係をお話ししておきましょう。



     【日蓮正宗と創価学会】

    日蓮正宗は、日蓮大聖人が弘安二年(一二七九年)に顕された本門戒壇の大御本尊(総本山大石寺にご安置)を信仰の主体にしています。そして、大聖人の仏法を唯授一人の付嘱によって正統に承継せられたご開山二祖日興上人以来、代々の法主上人が血脈相承をもって、宗祖の仏法をうけついでまいりました。

    これにたいして創価学会は、はじめ創価教育学会として昭和五年に発足し、その後、日蓮正宗信徒の団体となり、昭和二十年創価学会として再建したものでした。法主の指南のもとに日蓮正宗を外護し、また正宗の教えを「広宣流布」するのが設立の目的でした。

    したがって創価学会員は、学会員である前に、まず日蓮正宗の信徒なのです。また創価学会は、宗旨の根本に絶対的に帰依し、法主の教導に従って、日蓮正宗信徒団体としての本分を守らなければならないということは、いうまでもありません。

    創価学会の戸田城聖二代会長は、昭和二十六年、宗門外護と折伏活動の便宜の上からという理由で、宗教法人を設立しようとしましたが、その際、宗門より提示した三つの原則を守ることを確約しました。それは、


    一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること

    二 当山の教義を守ること

    三 三宝(仏法僧)を守ること


    の三点でした。

    すなわち、宗門外護と三原則の遵守こそは、宗教法人創価学会が、自らの会則規則においても定めるとおり、本宗信徒の団体として存立する上で欠くことのできない大前提であったのです。

    本宗三宝とは、仏宝、法宝、僧宝の三つです。本宗の仏宝は宗祖日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は日興上人を随一として唯授一人血脈付法の歴代上人(法主)すべてにわたります。したがって、教えの上からいけば、日蓮正宗信徒及び創価学会会員は、ともに三宝に帰依しているはずです。ゆえに、日蓮正宗を信仰している創価学会員ならば、当然、僧侶を敬い尊ぶものでなければならないのです。

    日蓮正宗の寺院では、これまでは、僧侶のお経などによって、葬式・法要などを行なうことになっていました。それが、一昨年十二月に、法華講本部の規約を改め、それにともなって、前の規約により就任した総講頭、大講頭の職にあった者は一時的に資格を喪失するということになりました。

    するとたちまち、常識では考えられないような宗門にたいする罵言雑言や非難がおこりました。挙げ句の果てに昨年の中頃くらいから「葬式も何も、僧侶に頼む必要はない」と言い出したわけです。これは、自分たちが勝手にいままでのあり方を全部破壊しようというものです。日蓮正宗の本来の信仰のあり方に対する逸脱であるし、背反の行動でもあることは、はっきりしています。

    しかし、宗門側としては、今までも学会員の場合は葬式を引き受けないとか、法要を拒否するとかいうことは一切ないのです。願って来ればかならず僧侶としての立場から、正しく対応しております。

    なにしろ学会は、上層部で非常に強い指導をしているらしく、心の中では「私は僧侶にお願いしたい」と思っている人まで、無理強いのような形で、ぜんぶ僧侶を呼ばない学会葬を強制されているようで、そういう点ではお気の毒だと思います。

    今となっては遠い昔話のようにも感ぜられますが、私は戦前に、創価学会の初代会長である牧口常三郎先生と、何度かお会いしたことがあります。その頃私はまだ十七、八歳だったでしょう。青年僧侶とも言えない年齢でしたが、お通夜の帰り、二人で電車の吊革にぶら下がって、いろいろなお話をしたものでした。

    牧口さんという方は、非常に仏教の信仰が篤く、学究肌の印象の強い教育者でした。「利・善・美」という「利」を強調した独特の価値観をお持ちで、そういう形で仏法をわかりやすく説明されました。真面目な方で、半面、組織経営はあまり得意でなかったようです。当時の創価学会の会員数は五千人………一万人には満たなかったと思います。戦時中特高警察に逮捕されて亡くなったことは返す返すも惜しいことでした。

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月12日 18時35分51秒

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    「Re::【日達上人講述・ 略解日有上人・化儀鈔】」
    【121】一、涅槃経の九に曰く、諸の衆生命終の後、阿鼻地獄の中に堕して方に三思有り、一には自ら思わく我が至る所何れの処ぞや、則ち自ら知りぬ是れ阿鼻地獄なり、二には自ら思わく何の処より而も此に来生する、則ち自ら知りぬ人界の中より来る、三には自ら思わく何れの業因に乗じて而も此に来生する、即ち自ら知りぬ大乗方等経典を誹謗するに依って而も此こに来生す。

    [日達上人略解]

    涅槃経の九に多くの人々は死んで阿鼻地獄に堕ちて初めて反省し、三思があります。

    第一は、自分で今来たところはどこであるかと考え、これは阿鼻地獄であると思惟します。次に自分はどこから、この阿鼻地獄へ来たのであるかと考え、それは人間界より来たのであると思惟します。最後に、では自分はどういう因縁によって、この阿鼻地獄などへ来たのかと考え、それは大乗経典の法華経を誹謗した罪業によって堕墜したのであると思惟します。よって正法誹謗の罪の深きことを知るのであります。

    (注、右二条は、特に引用して、われわれは生をこの世にうけて、仏法に遇いたてまつったならぱ、法華経の弘経に精進することをすすめ、謗法を固くいましめられたのであリます)

    【本文・南条日住師】

    「仰せに日く二人とは然るべからざる由に候、此の上意の趣を守り行住坐臥に拝見有るべき候、朝夕日有上人に対談と信力候わば冥慮爾るべく候なり」

    時に文明十五年初秋三日書写せしめ了んぬ。

    御訪に預るべき約束の間、嘲りを顧みず書き造らせ候なり、違変有るべからず候。筆者 南条日住

    [日達上人略解]

    日有上人の仰せによれば、一人(日鎮上人)にかぎリ申し伝えてよろしいとのことであります。前述の各条を日常に拝見して守っていただきたい。そうすれば、毎日、日有上人とお話しをしあっていると同じであります。そこに、はかり知れない仏様のお心持があると思います。文明十五年(一四八三年)七月三日書写しおわる。

    私(日住)は老年で、あなた(日鎮上人)に葬式をしていただく約束でありますから笑われてもかまいませんから、この条々をあなたのために書きつかわします。この条目に決して違背してはいけません。筆者 南条日住

    以上、百二十一箇条を略解して見ました。まったく、今日の総本山の山法山規の綱格をなしているのであります。日興上人の御遺誡置文二十六箇条と、この百二十一箇条は、正宗をして宗祖滅後六百七十八年(昭和三十四年)の今日まで、一豪の謗法すら、なからしめた指針であったのであります。

    なお、この化儀抄は、数条の項目と、名称の死語等を取れば、全抄が今なお玉条として活用されているのであります。正宗の僧俗は、本抄を、もう一度、熟読玩味いたしましょう。

     (終)

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月11日 22時34分34秒

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    「Re::【日達上人講述・ 略解日有上人・化儀鈔】」
    【119】法華経を修するに五の様あり、夫れとは受持、読、誦、解説、書写等と云云、広して修するは像法の読誦多聞堅固の時節なり、今末法は根機極鈍の故に受持の一行計りなり、此の証人には不軽菩薩の皆当作仏の一行なり、不軽も助行には二十四字を修したもうなリ、日蓮聖人は方便寿量の両品を助行に用い給うなり。文を見て両品をよむは読、さてそらに自我偈を誦し今此三界の文を誦し、塔婆などに題目を書写するは、受持の分の五種の修行と心得べきなり云云。

    [日達上人略解]

    五つの様とは、五種の行、すなわち五種法師の修行で、法華経法師品、法師功徳品に説かれる。皆当作仏の一行とは、常不軽菩薩品に説かれる不軽菩薩が、一切衆生の作仏を信じて但行礼拝の一行を行ずること。

    法華経の修行に五種法師の行があります。それは、受持、読、誦、解説、書写の五つであります。広く五種の行を、それぞれ修行することは、像法の後期、読誦多聞堅固の時代の修行の方法であります。今日末法の人々は、鈍根、劣機の愚人でありますから、信ずるが故に受け、念ずるが故に持つの受持の一行だけで、よろしいのであります。

    その証拠として、過去の不軽菩薩は皆まさに作仏すべしとの信のもとに、但行礼拝の一行のみ行じたのであります。しかし、その不軽菩薩も、但行礼拝の一行を正行としましたが、助行として「我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず、所以は如何、汝等、皆、菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」の二十四字を、読誦修行したのであります。

    宗祖日蓮大聖人は、唱題をもって正行としましたが、方便品と寿量品を助行として読誦せられました。以上のように、方便品、寿量品をもって読むのは読、暗誦して読むのは誦、塔婆に題目や経文を書くのは書写とそれぞれ、読誦書写の修行にあてはまりますが、その修行は受持正行の上にある五種の行で、どこまでも主体は久遠元初本因妙の南無妙法蓮華経を受持するをもって、正行と考えなければなりません。


    【日達上人・註】以下の二章は、日有上人の御仰せではなく、日住師が一乗要決と涅槃経から引用して加入して、正法精進を勧められたのであります。


    【120】一、一乗要決に日く諸乗の権実は古来の諍いなり、倶に経論に拠り互に是非を執す、余、寛弘(丙午)の歳冬十月病中歎じて曰く、仏教に遇うと雖も仏意を了せず、若し空手に終ては後悔何ぞ追わん、爰に経論の文義、賢哲の章疏、或は人をして尋ねしめ、或は自ら思択し、全く自宗他宗の偏党を捨て専ら権智、実智の深奥を擇ぴ終に一乗は真実の理、五乗は方便の説なるを得たる者なり、既に今生の蒙を開く、何ぞ夕死の恨を遺さんや文。

    [日達上人略解]

    一乗は真実の理、一仏乗すなわち法華経は仏の真実を説いた教理であるの意。

    五乗は方便とは、五乗は人、天、声聞、縁覚、菩薩の五つ、人天併称して四乗ともする。さらに人天乗を後の三乗に入れて、三乗と総称するのが普通である。天台大師が、一乗真実、三乗方便と判ぜられたのに対し、法相宗の慈恩大師が一乗方便・四乗真実と主張した。伝教大師は、この慈恩の解釈の誤りを指摘して、一乗真実・三乗(五乗)方便を釈せられたのであります。

    恵心僧都(九四二〜一〇一七)は、その著書一乗要決(寛弘三年〈一〇〇六〉の著)において、諸宗の権実は古来からあります。みな、それぞれ経論を根拠として、たがいに是非を論じあっております。が、私は(慧心僧都)寛弘三年(一〇〇六)十月に、ちょうど病中でありましたが、歎息して思いますのに、遇いがたい仏教に遇いたてまつっても、仏様の真意を了解できず、いたずらに一生を終ったならば、後悔してもおよぴません。

    そこで、経文や論義および先師の章疏を、使いを中国につかわし、この時代の名僧四明智礼に問尋し、あるいは自分で思惟して、自他宗の偏執を捨てて、ただ仏の方便の説と、真実の説法とを分別取捨して、ついに一乗は真実の教理であり、五乗は方便の教であるという結論をえたのであります。これによって、自分の今生における迷いの目を開き得ましたので、すぐこのまま死んでも、少しも心のこりはありません。

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月10日 20時43分32秒

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    「Re::【日達上人講述・ 略解日有上人・化儀鈔】」
    【117】一、神座を立てざる事、御本尊授与の時、真俗弟子等の示し書之れ有り、師匠有れば師の方は仏界の方、弟子の方は九界なる故に、師弟相向う所、中央の妙法なる故に、併ら即身成仏なる故に他宗の如くならず、是れ即ち事行の妙法、事の即身成仏等云云。

    [日達上人略解]

    示し書とは神座を授与の時、法主の名判ありて、本人の法名を書き示さる、その中央は南無妙法蓮華経であります。法名は、僧俗あるいは弟子の別なく、神座もしくは、御未来御本尊授与の時、法主上人の書き判あって、法名を書き示されて授与になるのであります。授与の本尊に法主が書き判せられるから法主は主の方で仏界の方であります。

    法主が書き示されるは弟子の方で、九界の方でありその師弟相対して中尊の南無妙法蓮華経に相向ふので、その所が当位即妙の即身成仏であります。他宗のごとく、紙や木で立派な位牌を作るのとは、異なるのであります。他宗のごとく、ただ、亡者の者だけ書くのは、師弟相対でなく、即身成仏の件もなき理の姿であります。本宗のごとく、師弟相対して中尊の南無妙法蓮華経に向うのは、事行の南無妙法蓮華経で、事の即身成仏であります。


    【118】一、当宗には断惑証理の在世正宗の機に対する所の釈迦をば本尊には安置せざるなり、其の故は未断惑の機にして六即の中には名字初心に建立する所の宗なる故に地住已上の機に対する所の釈尊は名字初心の感見には及ばざる故に、釈迦の因行を本尊とするなり、其の故は我れ等が高祖日蓮聖人にて存すなり、経の文に若遇余仏便得決了文、疏の文には四依弘経の人師と訳する此の意なり、されば儒家には、孔子老子を本尊とし、歌道には人丸・天神を本尊とし、陰陽には晴明を本尊とするなり、仏教に於て小乗の釈迦は頭陀の応身、権大乗の釈迦は迦葉舎利弗を脇士とし、実大乗の釈迦は普賢文殊を脇士とし、本門の釈迦は上行等云云。故に滅後末法の今は釈迦の因行を本尊とすべきなり。其の故は神力結要の付属とは受持の一行なり、此の位を申せば名字の初心なる故に釈迦の因行を本尊とすべき時分なり、是れ則本門の修行なり、夫とは下種を本とす、其の種をそだつる智解の迹門の始めを熟益とし、そだて終って脱する所を終りと云うなり、脱し終れば種にかえる故に迹に実体なきなり、妙楽大師、離脱在現、上の如し云云、是れより迹門無得道の法門は起こるなり云云。

    [日達上人略解]

    断惑証理とは、煩悩を断尽して涅槃を証すること。釈迦の因行とは久遠元初の本因妙の南無妙法蓮華経を指す。若遇余仏便得決了とは法華経方便品の句で声聞が今仏(釈迦仏)の化導に漏れたならば滅後に余の仏に遇い奉って成仏することが出来ると云うこと。その余仏とは、末法出現の宗祖日蓮大聖人のことであります。

    脇士とは、仏の脇に侍して教化を助ける菩薩あるいは聖者。頭陀の応身とは、歴劫修行によって、ようやく得た劣応身の仏で、小乗の釈尊のこと。本宗にては、煩悩を断尽して証を得た釈尊在世中の正機である二乗に対しての仏でありますので、その釈尊を本尊としません。

    末法は下種の南無妙法蓮華経が正宗で、在世および過去の仏法は、序分となります。本宗はいまだ煩悩を断尽しない凡夫で、六即の中では名字即の初心の者のための宗旨でありますから、別教の初地已上、円教の初住已上の聖者に対する仏である釈尊は名字初心の凡位の者の感覚には、とうてい、およばないのです。

    そこで本宗は、久遠元初の本因妙の南無妙法蓮華経を本尊とするのであります。その仏は宗祖日蓮大聖人であります。本因妙抄に「本因妙の行者日蓮」と遊ばされてあるとおりであります。

    また方便品に、もし今の釈尊にて得税ができなければ、滅後来世において他の仏によって成仏することができると、説かれてあります。妙楽大師は、この文を文句記において四依弘経の人師であると釈しております。末法における四依弘経の人師とは取りも直さず、宗祖日蓮大聖人であります。

    中国の儒教においては孔子を、道教においては老子を、それぞれ本尊としております。わが国の歌道にては、柿本人麻呂、菅原道真を本尊とし、陰陽師(天文、暦数等をつかさどる)においては安部晴明を本尊とするのであります。すなわち、その道の覚者、指導者が、本尊とあがめられるのであります。

    仏教においては、小乗教の仏(本尊)である釈尊は、修行を積んで貧者をはらった劣応身の仏であります。権大乗の仏である釈尊は、迦葉尊者、舎利弗尊者を脇士仏とし、実大乗教の仏である釈尊は普賢菩薩、文殊菩薩を脇士仏とし、法華経本門の仏である釈尊は、上行、無辺行、浄行、安立行の本化の四菩薩を、脇士仏とするのであります。

    滅後末法は久遠元初の本因妙の南無妙法蓮華経を本尊として、「所謂る宝塔の内の釈尊、多宝、外の諸仏、並びに上行等の四菩薩を脇士」とするのであります。観心本尊抄に「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す」の通りであります。

    この地涌千界は、神力品において四句の結裏付属を受けて、滅後末法に出現して「一間浮提第一の本尊を此の国に立つ」のであります。その神力結要とは四句の結要、名体宗用すなわち南無妙法蓮華経であって、それを末法に流布するのであり、凡位のわれわれは受持の一行によって得られるのであります。

    われわれの位は名字初心でありますから、このような久遠元初本因妙の南無妙法蓮華経を本尊とするのであります。このことを本門の修行といいます。それは下種を本位とするので、もし、その仏種を智慧解了によって行く迹門の始めを熟益とし、悟り終ったところを脱益とするのであります。脱し終れば種にかえるのでありますから、種を本とし、熟、脱は迹で、この迹は常に動進しているのでありますから、実体はないのであります。それゆえ、妙楽大師は「脱は現に在りと雖も具に本種に騰ぐ」と申され、脱にて成仏はなく、種に返って成仏があると示されているのであリます。これゆえに、迹門無得道と申されるのであります。

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月09日 22時09分44秒

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    「Re::【日達上人講述・ 略解日有上人・化儀鈔】」
    【115】一、薄袈裟にうづら衣はスワウハカマに対するなり、イクワンの時は法服なり椎を重ねたる衣に長編の袈裟は直垂に対するなり云云。

    [日達上人略解]

    本宗の薄地の袈裟と粗末な衣を著けた時は、侍の素抱袴(侍の礼服)に匹敵します。侍の衣冠束帯の礼式の時は、正式の袈裟衣でなくてはなりません。一重の着物を重ねた衣で堅くごわごわした袈裟を着けた時は、侍の直垂の姿にあたります。


    【116-01】一、釈尊一代の説教に於て権実本迹の二筋あり、権実とは法華己前は仏の権智、法華経は仏の実智なり、所詮釈尊一代の正機に法華以前に仏の権智を示めさるれば機も権智を受くるなり。さて法華経にて仏の実智を示さるれば又機も仏の実智の分を受くるなり、されば妙楽の釈に云く権実約智約数と訳して権実とは智に約し教に約す、智とは権智実智なり、教に約すとは、蔵通別の三教は権教なり、円教は実教なり、法華已前には蔵通別の権教を受くるなり、本迹とは身に約し位に約すなり、仏身に於て因果の身在す、故に本因妙の身は本、本果の身より迹の方へ取るなり、夫れとは修一円因、感一円果の自身自行の成道なれども既に成道と云う故に断惑証理の迹の方へ取るなり、夫より巳来機を目にかけて世々番々の成道を唱え在すは皆垂迹の成道なり、華厳の成道と云うも迹の成道なり、故に今日、華厳、阿含、方等、般若、法華の五時の法輪、法華経の本迹も皆迹仏の説教なる故に本迹共に迹なり、今日の寿量品と云うも迹中の寿量なり、されば経に約すれば是れ本門なりと雖も文 (この条は続く)

    [日達上人略解]

    修一円因、感一円果とは、修因感果の理を云うのであって、本因妙を修して本果妙に至るのを云う。釈尊一代五十年の説教は権実と本迹の二た通りに分つことが出来るのであります。権実というのは法華経已前の教は仏の方便の教であり、法華経は仏の真実であります。

    つまり釈尊一代の説法を聴聞する人々について、法華経已前においては釈尊は仏の方便をもって説かれた教でありますから、それを受ける人々も方便を受けるのであって、ついで法華経を説いて仏の真実を説かれたのでありますから、人々も真実の教を受けたのであります。

    ゆえに妙楽大師の解釈に権実約智約数と説いております。権実を云うことは、智と教について論ずることができます。智について論ずるとは、方便を説く妙智と真実を説く妙智であります。教について論ずるとは、蔵通別の三教を方便教として説き、円教を真実教として説いております。

    よって法華経已前の人々は蔵通別の三方便教を受けているのであります。本迹については、身と位とについて論ずることが出来るのであります。身について論ずれば、仏身には因身と果身とがあります。よって本因妙の身は本とし、本果妙の身より余は迹とするのであります。(血脈抄に日蓮は本因妙を本と為し、余り九妙を迹と為すなり、とあり)そのわけは、釈尊は本因妙を修行して本果妙に至る。御自身の自行で成道したのでありますが、すでに熟脱が成道でありますから、断惑証理の覚の辺は迹とするのであります。

    成道以後、人々を目がけて救済のため三世にわたって成道を説くのは、すべて垂迹の成道であります。すなわち迹の仏身であります。それ故に、華厳経の仏と云うも迹仏であります。今日釈尊の華厳、阿含、方等、般若、法華の五時の説法は、迹仏であり、法華経が文上に本門迹門と分けられるが、ともに迹仏の説法でありますから、本迹ともに迹となるのであります。今日釈尊の寿量品も、迹中の寿量品と云う事になります。(血脈抄に、本因妙を本とし今日寿量の脱益を迹とするなり、とあり)よって法華経について論ずれば、本門といっても迹門ということになります。すなわち文上の寿量品は迹門であるということになるのであります。


    【116-02】さて本門は如何と云うに久遠の遠本本因妙の所なり、夫れとは下種の本なり、下種とは一文不通の信計りなる所、受持の一行の本なり、夫とは信の所は種なり心田に初めて信の種を下す所が本門なり、是れを智慧解了を以てそだつる所は迹なり、されば種熟脱の位を円教の六即にて心得る時、名字の初心は種の位、観行相似は熱の位分真究寛は脱の位なり、脱し終れば名字初心の一文不通の凡位の信にかえるなり、釈に云く脱は現に在りと雖も具に本種に騰ぐと訳して、脱は地住已上に有れども具に本種にあぐると釈する是れなり、此の時釈尊一代の説教が名字初心の信の本益にして悉く迹には益なきなり、皆本門の益なり、仍って迹門無得道の法門は出来するなり、是れ則ち法華経の本意減後末法の今の時なり。 (この条は続く)

    [日達上人略解]

    本門とは、ここでいう本門とは寿量品の文底下種の意であります。一文不通とは、文字も読むことのできない愚人のこと。少しも解了を用いないことであります。此の時とは、末法を指す。

    地住己上とは、別教の初地、円教の初住已上の菩薩の階級。ともに凡位を除いて聖位に入る位であります。宗祖は「迹の本は本に非るなり」と血脈抄に釈せられておりますとおり、釈尊の寿量品は迹中の寿量であります。そこで本門寿量品の文底下種の心はどうかというと、五百塵点劫の当初の南無妙法蓮華経にあるのであります。それが下種の本種のことで、下種とは一文の解了(智を用ゆること)もない愚者の信を指し、ただ受持の一行にあるのであります。

    それは南無妙法蓮華経を信ずるところが種となるので、われわれ凡夫の心田に始めて南無妙法蓮華経の種を下すのが本門というのであります。宗祖は「久遠下種の妙法は本」と釈せられております。この南無妙法蓮華経に智慧、解了を加える時にはすでに釈となるのであります。それゆえ、種、熟、肌の三益をそれぞれ天台の六即の位に当てはめる時は、名字即の位は種、観行即、相似即の位は熟、分真即、究寛即の位は脱(注、理即は、仏性を理としてだれでも具している、というだけであるから、これは除く。日有上人は「理即は但だ種子の本法にて指し置きたるなり」と釈せられております)

    種から熟となり、そして脱(得税)すれば、名字初心の一文の解了もない凡位の信の種位に返るのであります。妙楽大師は「脱は現に在りと雖も具に本種に騰ぐ」と釈して、すなわち成仏は別教の初地已上、円教の初住已上に許さるるけれども、結局は久遠下種にもどると説かれているのであります。

    末法においては、釈尊一代の説法は寿量品文底の南無妙法蓮華経だけが利益があるので、その外の文上の寿量品ないし二十八品はことごとく迹であって利益なく、ただ文底下種の利益だけてあります。よって末法は迹門無得道の法門と云うことが出来るのであります。

    日寛上人は「末法は順逆倶に下種益なり」と撰時抄文段に釈せられております。これで法華経の本意は滅後末法の今の時にあるということがわかります。観心本尊抄に「末法の始めを以て正が中の正と為す」と説かれるがごときであります。


    【116-03】されば日蓮聖人御書にも本門八品とあそばすと題目の五字とあそばすは同じ意なり、夫とは涌出品の時、地涌千界の涌現は五字の付属を受けて末法の今の時の衆生を利益せん為なるが故に地涌の在す間は滅後なり、夫れとは涌出、寿量、分別功徳、随喜功徳、法師功徳、不軽、神力、嘱累の八品の間、地涌の菩薩在す故に此の時は本門正宗の寿量品も滅後の寿量と成るなり、其の故は住本顕本の種の方なるべし、さて脱の方は本門正宗一品二半なり、夫れとは涌出品の半品、寿量の一品、分別功徳品の半品合して一品二半なり、是れは迹中本門の正宗なり、是れとは在世の機の所用なり、滅後の為には種の方の題目の五字なり、観心本尊抄に彼は一品二半、是れは但題目の五字なりと遊す是なり云云。

    [日達上人略解]

    地涌千界とは涌出品に説く、大地から涌き出でた、たくさんの菩薩をいう。住本顕本とは本門開顕の十重顕本の第五、日有上人は就仏本意の理と釈せられております。仏の本意につき本を顕わすことであります。

    (注、本文はちょっと読むと、日有上人が八品に組しているかの様に曲解されやすいが、熟読すると八品との間に厳然たる一線があるのが知れるのであります)

    されば、宗祖日蓮大聖人が御書に本門八品(注、在世の種は八品)と題目の五字(注、滅後末法の種は本因妙の題目)と同じく種とせられております。そのわけは、涌出品の時に大地より涌出したたくさんの菩薩は、上行を上首として神力品において南無妙法蓮華経の付属を受けて、末法の今の時、その題目を下種して、われわれを利益するためでありますから、地涌の菩薩がいる期間は、在世においても滅後を表わすことともなります。

    それ故、涌出品、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品、法師功徳品、不軽品、神力品、嘱累品、の八品の間中、地涌の菩薩が出現しておりますから、この時は在世の本門正宗の寿量品(文上の寿量品)も、滅後の寿量品(文底の南無妙法蓮華経)と同じ形式となるのであります。本門八品は、仏の本意につき本を顕わすところの種の方となり、文上の本門の一品二半は脱の方となるのであります。

    一品二半とは涌出品の半品と寿量品と分別功徳品の半品を合して、一品二半というのであります。すなわち、文上の迹中の本門正宗であって、この種、脱は、在世の人々のために必要であるのであります。滅後末法の人々のためには本因下種の南無妙法蓮華経であります。血脈抄に「応仏と天台とは正宗一品二半を本門と定む、報身と日蓮とは流通を本と定む」と、また「我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、その教主は某なり」等の御文思い合わすべきであリます。観心本尊抄に「彼は脱、是れは種、彼は一品二半、此れは但題目の五字なり」と宗祖が御書判せられたとおりに、釈尊と宗祖とは種脱の異が明らかであります。

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