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創価学会SGIを本音で語ろう

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  • from: 21世紀さん

    2011年11月25日 19時23分49秒

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    間違い氏の書き込みについて

    内容から意図的なデタラメな書き込みと「渋川」の地名から、かっての「むらむら氏」と思われますので削除のうえ書き込み禁止としました。

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  • from: 22世紀 - 2さん

    2011年11月25日 09時06分46秒

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    池田大作「権力者」の構造

    道具としての女性観と廉潔を裏切る金銭観

     池田の私生活も、私人的な言動も、創価学会=公明党の首領であるという自意識から決して離れられなかった。彼
    は戸田の率直さだけは受け継がずに圧殺し、自ら立てた浅ハカな大義名分によって厚化粧した。
     彼は女性との関係に関しては、
    「法治国の国民としては、それ(一夫一婦制)に従うべきだ。ただし――ただしですよ、(笑い)――もし、それだけの
    理由と力があって、しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠外の行為でも私は男性として認め
    ます」(『宝石』前掲号)
     と述べ、妾を抱えていた戸田仕込みの、まことに融通無礙の見解を持ち、今ではそれを実地に試みたと報じられて
    いる。『週刊新潮』(昭和55年6月12日号)によれば、池田と「ただならぬ〝間柄〟」の女性は公明党参議院議員・
    渡部通子、中国担当副会長・上田雅一の夫人、創価大学図書館長Yの夫人、第一庶務の女性たち、東海研修道場
    の女子職員、山陰地方のある幹部の夫人、と多数に上っている(創価学会は同誌に対し昭和55年6月5日、記事の
    即時全面取り消しを求めて抗議したが、同誌は6月19日号で逆に「当誌を<誹謗・中傷>する目的で書かれた<許し
    難い>文章」だとして取り消しを拒否、その後現在=昭和56年4月=に至るまで同誌記事は黙認されている)。
     池田の対女性観や性についての考え方はいくつかの池田語録にうかがわれる。
     そのうちの一つは本部職員の机の間を動きまわって、目につく一人一人に総括を加えたものである。
    「(高田新平君に)精気を奪われちゃった顔して、こっちへこい。快活に仕事ができないんじゃー、しようがない。誰と
    結婚したの。(冬木さん)もう五ヵ月たったんなら、いいだろう。夫婦の問題は自由だけど、現場の戦いでは男のいくさ
    だ。そこへ(夫婦の)延長がみえるようじゃーしようがない。戸田先生はそれはすごかった。毎日ふるえ上った。女房と
    一緒にねられるか!そんなくだらない!とね」(昭和50年10月24日、本部で、内部文書)
     もう一つはフランス日蓮正宗副理事長・長谷川彰一について語った言葉である。
    「フランスの長谷川さんも十年前は乞食だった。今ではセーヌ河に家を建てた。奥さん二十歳上だ。フランスの画家の
    大家だから・・・・・。(略)うんと絵をうって、といった。それまでなかなか絵を描かなかった。それじゃーやろうと決めて
    やりだした。奥さんには長生きして!  といった。長谷川さんには(奥さん)もうじき死んじゃうから、二人目の新しい
    奥さん、もらえばいい、といった。僕は内証がきらいだから、いっちゃうけど・・・・・」(昭和50年7月7日、創大職員七月
    会との会食で、内部文書)
     池田に信仰者の慎みは無縁である。彼はおそらく平均的な成人男子以上に、女性を快楽の道具とだけしか見ていず、
    会内における彼の超絶的な権力者の地位を、超絶的なオスの位置にもスライドさせて一部女性会員に臨んだ形跡が
    ある。そればかりか彼は、妻との情交をその夫に承認させることで、幹部会員の全生活面に及ぶ彼の権力を確認する
    と同時に、その夫たる幹部の自尊心をくじき、人間性を損ない、自立的な判断を放棄させて池田の命令に絶対服従
    する人間につくりかえることにも用いたと見られる。
     池田の行いはうじゃじゃけたものとはいえ、夫たる会員にとっては極限状況的な試練なのだった。ちょうど一睡もさせ
    ずに総括して人間改造を図る訓練法のように、彼には己の性器を幹部の「人間革命」に用いたことが疑われる。
     また池田は金に対して身を慎んでいると宣伝してきた。彼の年間所得は昭和49年の1億3,533万円をピークにその
    後はほぼ漸減し、54年には3,450万円へと下がったと届けられている。池田の家は創価学会本部近くの東京・信濃町
    の一等地にあり、41年3月、家・土地ともに創価学会が播磨造船所から買い取ったものを、49年7月に池田に売却した
    形をとっている。池田は41年9月から、創価学会から同家を借りていたが、あらためて買い取ったのである。敷地は
    462.84平方メートル(約140坪)、家は木造瓦葺きの二階建てで、一階333平方メートル、二階が111.12平方
    メートルと、土地柄からいえば頭抜けた豪邸である。
     内部文書をたどると、この家を池田は創価学会から時価よりだいぶ低目に買ったとみられる。
     まず家を買う前、48年10月8日の記録では、池田はこういう。
    「私は、月給18万円ですよ。重労働者だ。家だって借り屋ですよ。(略)私は私有財産ゼロですよ。(略)女房が言って
    いた。あなたが死んだら困るからこの家だけでもなんと(か)買ってくださらないかって。中西(注・総務の中西治雄)に
    相談したら、7,000万円だという。とても、そんなの買える金がない。高くて買えないよ」(総本山で)
     この年の池田の年間所得は1億1,357万円であり、月割りにすれば946万円あまり、「月給18万円」とは雲泥の開
    きがある。が、ここで重要なのは7,000万円という家の価格である。
     ついで51年11月3日の語録では、「私(の)家だって、まだ十年月賦で五分の一しか払っていない。何もない、私は」
    (第4回鳳友祭での挨拶)
     という。彼は49年7月に買ったのだから、この時までに二年余り経過しており、ちょうど十年月賦、頭金なしの均等割
    りなら、「五分の一」にぴったり相当する。
     ところが一ヵ月後の12月9日、池田は原島宏治(公明党初代委員長)の十三回忌の席でこういう。
    「私も、ついこの間までは、借家です。それではまずいということで、いろんな原こう(稿)を書いておりますから、原こう
    書いているから今のうちになんとかしなくちゃならないという、強い要請がありまして、十年ばかりで今払っている。
    2,700万今残っていますけども、それが実態です」
     彼の言によれば、残り五分の四が2,700万円である。ということは総額3,375万円の家ということになる。48年時、
    7,000万円の住宅をその後の値上がりや金利分があるにもかかわらず、池田は半値以下、十年賦で入手したことに
    なろう(池田は『週刊朝日』昭和56年4月10日号で、彼の家は7,800万円、銀行ローンで支払い、銀行には十年賦で
    返済し、期限前に返し終わったといった意味のことを述べているが、登記簿には銀行ローンの記載がなく、「財産と言え
    ば、この家一軒」のはずの彼は何を担保に銀行ローンを利用できたのだろうか、きわめて疑わしい話である)。
     長期間にわたる池田の会内での地位の重要さを思えば安い支払いともいえようが、これが彼の廉潔の宣伝を裏切る
    行為であることはいうまでもない。加えて池田にはマルピー代の疑惑が持たれている。
     マルピー代とは中元、歳暮、池田の外遊などに際し、通常のそれらとは別に公明党議員や創価学会の外郭企業、
    本部職員などから集められ、池田に贈られる現金である。国会議員や都議が一人3万か4万円、地方議員が1万円か
    ら2,000〜3,000円、党本部職員が3,000円から1,000円、外郭企業とその社長から多くは100万円単位、少なくて
    数十万円が集められるという(『週刊文春』昭和55年8月7日号)。
     マルピー代はその都度、数千万円の現金となって池田の手に入るが、源泉課税されず、池田が所得申告して贈与税
    を支払ったという話を聞かず、今では脱税が疑われている。
     池田はこうして所有権において廉潔ではなかったが、使用権においてはなおさら度をこしていた。創価学会は昭和
    49年から52年にかけて会員から特別財務として670億円を集め、全国各地に会館や研究所を乱立させたが、山崎
    正友の手記(同前、昭和55年12月4日号)によれば、そのうちの三分の一を下らない額を池田専用の豪華施設に
    振り向けたという。彼は多くの会館に専用フロアを設け、そこではトイレにまでじゅうたんを敷き詰めさせていた。
     そのほか、池田が国産と外車と、二台の車を乗り換えていたとか、旅行に専任のコックを引き連れていくとかの話が
    伝えられている。彼が所有においてより使用において專横をきわめたのは、創価学会規則(45年1月施行)で彼の
    利益が保証されていたからである。
     その第17条は「代表役員(池田)はこの法人と利益が相反する事項については代表権を有しない。この場合において
    は、第14条第一項の規定に準じて仮代表役員を定める」と一応池田の権限を規制していたが、その第14条第一項
    というのは「代表役員の代務者は代表役員(池田)が予め定められた順位により責任役員が就任する」となっており、
    まるっきりの尻抜けであった。池田は息のかかった者を代表役員代務者に定めれば、創価学会の財産でも思うがまま
    に処置できたのである。
     こうして創価学会自体が池田の持ち物だったから、創価学会への寄付も、創価学会からの借家の買収も単に形式に
    過ぎなかったともいえよう。


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  • from: れいなさん

    2011年11月25日 01時07分25秒

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    大阪堺市 隣人殺害事件

    http://youtu.be/ntICg9YWNdk

    アップいたしました!

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  • from: ハムスターさん

    2011年11月25日 00時31分46秒

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    週刊文春より抜粋



    私が担当し始めた頃はまだお元気で、週に一、二度、屋上で外の空気を吸ってらっしゃいました」

    著作や写真を投げ始め……

     その後、池田氏の容態は悪化。病室の外へ出ることができなくなったと、Aさんは振り返る。

    「担当した当初から、先生はご病気の影響で言語障害が出ることもあり、お話も聞き取りづらい部分はありました。でもその頃は、なんとか会話もでき、幹部の方など関係者がお見舞いに来ていろいろお話しされていたようです。 食事も自分でされ、病室の大きなテレビを見たり、読書をなさっていました。

     ただ、屋上へ上がったり、読み書きができたのも今年の一月頃までだったと思います。高齢や脳梗塞のせいで認知症の症状が進行してしまったからなんです」

     東日本大震災が起きる前、池田氏の病室である〝出来事〟が起こったという。
    「病室には、池田先生の著作や、各界の著名人と撮られたお写真などが飾られていました。

    一月の終わりから二月のはじめ頃だったと思いますが、先生が車椅子に乗ってらっしゃったとき、突然、奇声を上げてご自分の著作や写真を投げ始めたのです。慌てて、秘書や看護スタッフでお止めしました。
     この後、先生の近くにモノを置いておくのは危ないということになって、そういった展示品は撤去されました。メガネも自分で割られてしまうかもしれない、と外すことになりました」

     三月に入ると、池田氏の症状はさらに進んだという。
    「他の人を認識できていないのでは、と思う日もあり、看護師や来客の方とも意思疎通ができないこともありました」

     また、その他の能力も日を追うごとに衰えていった。
    「咀嚼(そしゃく)が困難になり、食事もきちんと摂れなくなりました。看護する側としても、誤嚥(ごえん)が怖い。誤嚥性肺炎を起こしてお亡くなりになる高齢者が非常に多いからです。そこで首から一日三回、経管注入で栄養剤を入れることになりました。

     口から食事を摂れないと、どんどん痩せていきます。みなさんがご覧になられている写真より十キロ以上痩せ、お元気な頃の面影がなくなっていました。顔のつやがなくなり、頬がこけてゲッソりした感じでした」



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  • from: 22世紀 - 2さん

    2011年11月24日 13時29分31秒

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    池田大作「権力者」の構造

    なりあがりの大物好み

     もっとも池田は勝ち抜いてきた者として、大物との人交わりを好み、彼らに親近感を抱いていた。その際の必要条件
    は、相手が彼を認めるという一点につきた。彼にとっては彼の権威を認めないこと、彼に礼を尽くさないことにすぐる
    権利侵害はなかった。彼はそれを傲慢と決めつけ、皮膚感覚的にヒステリー反応を起こした。
     「威張る者とは戦おう。それが社会正義の人だ。威張るのは、キャラクターとして、最低だ」(小林正巳『池田大作』)
    と池田はいきまき、たとえば彼を呼びつけた上、待たせた大野伴睦にひどく恨みを含んだ。創価学会の勢力の伸張と
    ともに、池田は表敬に過敏となり、それだけ立腹の機会も多くなっていた。
     が、逆に彼に頼みごとをもって訪ねてくる大物ほど彼を喜ばせるものはなかった。池田は頼みごとを必ずしもかなえ
    はしなかったが、依頼を彼の権威の承認と受け止め、ひとり悦に入った。
     池田への依頼持ち込みの最盛期は昭和38年4月に行われた、現職の東龍太郎と、阪本勝が一騎打ちした都知事
    選で、この時には大野伴睦、岸信介、南条徳男、佐藤栄作が池田を訪ねているという(草柳大蔵『現代王国論』)。
    彼らの依頼が奏効したか、公政連は、それまで都政の欠陥と腐敗を攻撃していたにもかかわらず、その都政の最高
    責任者である東龍太郎支持を表明し、多数都民の批判を浴びた。
     池田をはじめとする創価学会=公明党幹部には、つねに正当に評価されていない、世に認められていないという、
    被害者類似の意識が濃厚だったから、自らの利益に支障ないと判断できるかぎり、大物に認められ、おだてられれば、
    時に豚のように木に登った。
     また池田はこれと思う大物を創価学会の文化祭に招き、参加者名簿をその声望と権力の貯金通帳として眺めた。
    42年10月の文化祭への来賓は5,000人にのぼり、『日本の潮流』によれば、そのおもな顔ぶれは次の通りであった。
    「政界は三木外相、前尾繁三郎(自民)、賀屋興宣(同)、田中角栄(同)、田中法相、塚原総務長官、劒木文相、柳田
    秀一(社会)、佐々木秀世(自民)、石橋政嗣(社会)の各氏ら。美濃部都知事、秦野警視総監、竹山静岡県知事、
    東前都知事もローヤルボックスに姿を見せ、じっと見守っていた。官界からも多数が顔を見せていた。
     財界では松下幸之助氏の姿が目立った。銀行関係は田実渉(三菱)、岩佐凱実(富士)、堀田庄三(住友)、金子嘉徳
    (東海)、村野辰雄(三和)、原純夫(東京)の各氏ら。
     建設業界は本間嘉平(大成)、竹中練一(竹中)、吉川清一(清水)、渥美健夫(鹿島)の各氏。
     デパートは松田伊三雄(三越)、飯田新一(高島屋)、小菅丹治(伊勢丹)、古屋徳兵衛(松屋)、堤清二(西武)、根津
    嘉一郎(東部)、服部礼次郎(和光)の各氏ら。
     製紙業界は熊沢貞夫(王子)、金子佐一郎(十条)、木下又三郎(本州)、白石稔(三菱)の各氏(以下一流企業の大
    どころが続くが略す)。
     学者では大熊信行(神奈川大)、清水幾太郎(学習院大)、木下広居(専修大)、磯村英一(都立大名誉教授)、古田
    重二良(日大)の各氏ら。それに一流出版社の幹部も数多く姿をみせた」
     池田はこれらの知名人に、動く人絵や人文字を見せて、会員の統制された、彼自身への忠誠心を見せつけ、出席者
    に様々の感慨を強いた。森下泰は「団結力」に感嘆久しくしたし、木下広居は「日本の将来に明るい気持ちをもった」
    (『週刊現代』昭和42年11月2日号)。
     また昭和38年の関西文化祭を見たマックファーランドは、「こうした大衆のエネルギーと盲目的従順の表明に慄然と
    した。第二次世界大戦当時を覚えている者にとっては、こうした光景は決して忘れられるものではない。私の心に、
    ナチスの青年大会のニュース映画の一コマや、文明を絶滅させてしまった全体主義の光景が、ちらっと浮かんで来る」
    とその著に記さねばならなかった。





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  • from: 21世紀さん

    2011年11月21日 12時56分50秒

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    「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
    第68世御法主日如上人猊下御指南(H23.11)
    平成23年11月度 広布唱題会の砌

    (於 総本山客殿)

     皆さん、おはようございます。
     本日は、十一月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
     いよいよ本年も十一月に入り、残り二月となりましたが、各支部ともに本年度の折伏誓願を達成すべく、昼夜を分かたず、僧俗一致の戦いを進めているものと思います。
     御承知のとおり、本年は三月の東日本大震災をはじめ、台風やその他の異常気象などによって大雨・洪水等が発生して各地で大きな被害をもたらし、多くの方々が犠牲になられたことはまことに悲しむべきことであり、心から御冥福をお祈り申し上げるものであります。
     私どもは、こうした悲惨な現状を目の当たりにして、その根本原因が那辺にあるかを探り、平穏なる仏国土実現のため、今、何をなすべきかをしっかりと見極めていかなければなりません。
     結論から言えば、天変地夭をはじめ世の中の混乱と不幸と苦悩の根本原因は、大聖人様が『立正安国論』に、
    「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず」(御書234㌻)
    と仰せられているように、ひとえに「世皆正に背き人悉く悪に帰す」故であります。すなわち、その根本原因は、すべて謗法の害毒によるのであります。
     されば、今こそ我々は謗法を対治し、折伏を行じていかなければならないのであります。
     大聖人様は『立正安国論』に、
    「若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし怱いで対治を加へよ」(御書248㌻)
    と仰せであります。
     世の中の人々の幸せを願い、現当二世にわたる国土の安穏を折らんとすれば、まず不幸の根源たる邪義邪法の謗法を対冶することが最も肝要であることを知るべきであります。 折伏は最大の慈悲行であります。苦悩にあえぐ多くの人々を救い、平和で安穏な世の中を築くためには、この慈悲行をもってすることが最善の方途であります。
     また、折伏によって世の中の人々の心田に妙法を下種結縁し、仏性を目覚めさせ、妙法を唱えせしめることは、まさしく大乗の菩薩のなすべき最高の仏道修行であります。
     故に、菩薩の総願たる「四弘誓願」の最初には「衆生無辺誓願度」が置かれているのであります。
     四弘誓願とは、菩薩が発する四つの誓願、すなわち衆生無辺誓願度・煩悩無数誓願断・法門無尽誓願知・仏道無上誓願成のことでありますが、すべての菩薩が共通して起こすので、総願とも言うのであります。
     このうち、衆生無辺誓願度とは、生死の苦しみに縛られ、苦悩にあえぐ人々をすべて成仏に導こうと誓うことであります。この衆生無辺誓願度を四弘誓願の最初に置くのは、他の三つが自行の誓願であるのに対し、化他行を重視し、衆生教化を菩薩の本分とするが故であり、また、それが菩薩の修行にとって最も肝要であるからであります。
     よって『御講聞書』には、
    「所詮四弘誓願の中には衆生無辺誓願度肝要なり。今日蓮等の類は南無妙法蓮華経を以て衆生を度する、是より外には所詮無きなり」(御書1862㌻)
    と仰せられているのであります。
     世間的に言っても、世のため人のために尽くすことは、自分自身がそこに生きがいと喜びを感じ、自らの成長が図られ、充実した人生を歩むことができると言われております。 仏法においてはなおのこと、折伏によって一人でも多くの人々を幸せに導くことは、我ら地涌の菩薩の眷属として最も重要なことであり、これこそ最高の喜びであります。その折伏には、また自らも幸せになり他をも幸せとする、自利利他の大きな功徳を存しているのであります。
     そもそも、末法の衆生は本未有善であります。その本未有善の荒凡夫が成仏をするためには、爾前諸経に説かれるような歴劫修行や、末法の衆生には到底不可能な六波羅蜜等の修行を経なくとも、ただ寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経を受持し、自行化他の信心に励んでいくことによって、必ず成仏がかなえられるのであります。
     故に、無量義経には、
    「未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も、六波羅蜜自然に在前す」(法華経43㌻)と説かれ、『観心本尊抄』には、
    「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。四大声聞の領解に云はく『無上宝聚、不求自得』云云」(御書653㌻)
    と仰せられているのであります。
     まさしく、正像適時の本已有善の凡夫と異なり、末法本未有善の荒凡夫が成仏得道しうる秘法は、ただ寿量品文底秘沈の妙法蓮華経にして、この妙法を信受する以外には末法の荒凡夫が幸せになれる道はないのであります。
     さればこそ、我々本宗僧俗は大確信を持って、一人でも多くの人々に対して大御本尊様の広大無辺なる功徳を説き、折伏を行じ、救済していくことが最も肝要となるのであります。
     今、宗門は僧俗挙げて、来たる平成二十七年・三十三年の目標達成へ向けて大前進をしております。この戦いのなかで最も大切なことは、大御本尊様に対する絶対的な確信と、あらゆる困難・障害を排して断固、折伏を実践する、たくましい行動力であります。
     そのためには、しっかりと唱題することが肝要であります。唱題の功徳と歓喜をもって折伏に打って出ることが、誓願達成の秘訣であります。
     唱題の功徳によって、たくましい力と智慧と勇気が湧いてくるのであります。そして、私達の発する確信あるひとこと、ひとことが、必ず相手の心を大きく動かすことになるのであります。
     本年も残り二月、一人ひとりがこの大確信を待って折伏に励んでいただきたいと思います。
     時間の価値は、その内容によって決まります。広宣流布のために、いかに充実した時間を送れるか否かは、これからの我々の戦いのいかんによります。その結果は、的確に我々の成仏、不成仏につながっているのであります。
     是非とも残り二月、限られた尊い時間を一時も無駄にすることなく、各支部ともに、なお一層の精進をもって、僧俗一致・異体同心して折伏を行じ、もって本年度は必ず全支部が折伏誓願を達成されますよう心からお祈りいたしまして、本日の挨拶といたします。

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  • from: 21世紀さん

    2011年11月20日 17時14分55秒

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    信濃町探偵団―創価学会最新動向

    2011年11月 信濃町探偵団―創価学会最新動向
    投稿日: 2011年11月14日 作成者: okkotu
    ●原田会長が再任

    ・10月22日付「聖教新聞」「学会の会長選出委員会行う 原田会長を再任」
     「創価学会の会長選出委員会(議長=山本武総務会議長)が、21日午前10時半から東京・信濃町の学会本部別館で行われ、全員の賛同で原田稔会長を再任した(2期目)。同委員会に引き続き行われた最高指導会議(秋谷栄之助議長)は、これを承認した。同委員会は、原田会長の任期(5年)が11月17日をもって満了となることから、創価学会会則に基づき次期会長選出のため行われた}

     ※創価学会会長の任期は、会則において5年と定められている。原田稔現会長が、秋谷栄之助前会長の後任として会長に就任したのは平成18年の11月。今年の11月で5年の任期が終了することから、原田会長が再任となるのか、あるいはポスト池田大作体制を視野に入れて、新体制となるのか、その帰趨が注目されていた。
      本誌の133号で紹介したように、平成13年に原田氏は参院選挙での惨敗などを背景に自己批判・自己総括を余儀なくされるなどしている。またそもそも昭和54年に池田大作会長が日蓮正宗との第一次の対立の結果、教義違背などの責任をとって辞任した際に、辞任に反対しなかったとして、山崎正友元創価学会顧問弁護士や原島嵩元教学部長、野崎勲青年部長などとともに、辞任を推進もしくは容認した人物であるとして、池田氏から「悪の4人組」などと非難されていた経緯もある。
      それだけにもともと学会本部の事務総長を長く務めるなど、どちらかといえば事務型の宗教官僚の原田氏はショートリリーフであり、本格的なポスト池田大作体制を構築するにあたっては、創価学園や創価大学出身である正木正明理事長や、谷川佳樹学会本部事務総長への交代も取り沙汰されていた。
      だが池田氏の健康状態の悪化や、矢野絢也元公明党委員長による創価学会の国税調査妨害問題の暴露などにより、創価学会は現在、組織の存亡にかかわる危機的状況にある。そうした状況下では冒険は許されない。結果的に堅実な事務型官僚の原田氏の続投に落ち着くこととなったものと見られる。
      もっとも秋谷前会長は平成18年の7月に5期目の続投となったが、わずか3カ月後に事実上更迭され、原田氏へと交代しているだけに、原田氏が5年の任期を全うできる保障はない。

    ●新環境対談……福島原発事故を受けて路線修正??

    ・10月30日付「聖教新聞」「ヨーロッパを代表するドイツの環境学者 E・ヴァイゼッカー博士と池田SGI会長の対談始まる」「月刊誌『潮』12月号から連載 『地球革命への挑戦』」
     「池田SGI会長と、欧州を代表する環境学者のエルンスト・フォン・ヴァイゼッカー博士の対談が、月刊誌『潮』の12月号から開始される。タイトルは『地球革命への挑戦――人類と環境を語る』(中略)折しも、福島の原発事故を受けて、人間と自然の関係、エネルギーの在り方に根本的な見直しが迫られる時だけに、注目すべき対談となろう」

     ※トインビー・池田大作対談で原子力の平和利用すなわち原発を推進・容認していた池田大作氏。そうした池田氏の意向を受けて公明党は、原発政策を推進し、プルトニウムを燃やすプルサーマル計画まで容認していた。また創価学会の外郭出版社である潮出版社の月刊誌「潮」が、原発を推進する電気事業連合会の広告を多年にわたって掲載していた事実も、すでに本誌は報じている。
      こうした不都合な事実を糊塗するために、おそらく「潮」における池田・ヴァイゼッカー対談では、原子力の平和利用に対する警鐘や抑制をアピールする可能性が高い。
      それにしても「週刊文春」で「脳梗塞」を発症したばかりか、「認知症」も進んで他者を認識できないとまで指摘されている池田氏に対談など可能なのか。「週刊文春」記事もその事実を指摘しているが、これに対して創価学会は「連載対談は近年の往復書簡をまとめたものです」と答えている。
      かつて「大作の代作グループ」である「特別書籍部」の責任者だった原島元教学部長は、池田氏と海外要人や学者などとの往復書簡も、「大作の代作グループ」がまとめたものであることを明らかにしているが、おそらく「潮」で始まる新連載対談もそうした類なのだろう。それにしても池田氏の名前で出すためには本人の了解が必要なはず。仮に「脳梗塞」や「認知症」の影響で、対談内容を把握・理解していないにもかかわらず池田大作名で出しているとすれば問題だ。羊頭狗肉どころか詐欺的行為という以外ない。

    ●またまた香峯子蘭を宣伝

    ・10月4日付「聖教新聞」「美しく咲き誇る香峯子蘭」
     「シンガポールで育てられている“香峯子蘭”が、美しい花を咲かせている。〓香峯子蘭〓は、『シンガポール国立植物園』が2007年、新種の蘭に、池田SGI会長夫人の名前を冠し、『デンドロビューム・カネコ・イケダ』と命名したもの。(中略)シンガポールの国花である『蘭』。同国には新種の蘭に国賓や著名人の名を付けて贈る伝統がある。これまで、南アフリカのマンデラ大統領などに贈られてきた。デンドロビュームの花言葉は『真心』『思いやり』である。いかなる困難があっても、友のために尽くし抜く創価の母たち。その気高き姿を映すかのように、“香峯子蘭”が可憐に咲き誇る」

     ※池田大作夫人というだけで宣揚に宣揚が続けられる池田かねさん。2007年以来、「聖教新聞」は「香峯子蘭」が咲く度に紹介記事を続けている。そういえばかの国にも「金正日花」というのがあり、「金正日花」が咲くとテレビで大々的に宣伝。「金正日花」のバッジや歌まで作られているという。そのうち信濃町の三色旗を掲げた売店でも、「香峯子蘭」の絵葉書やバッジが売られるかも。

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  • from: 21世紀さん

    2011年11月20日 17時08分39秒

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    矢野絢也著『乱脈経理』が明かした創価学会の税務調査妨害

    2011年11月 特集/矢野絢也著『乱脈経理』が明かした創価学会の税務調査妨害
    投稿日: 2011年11月14日 作成者: okkotu
    「宗政官」の醜悪な癒着構造 宗教界の共通利害と「公益性」

    柿田睦夫
    ジャーナリスト

     フル活用された大蔵省人脈

     矢野絢也元公明党委員長は新著『乱脈経理』で、創価学会に対する税務調査をめぐる国税当局との攻防劇を明るみにした。それは醜悪極まりない闇取引だった。
     発端は1989(平成元)年6月の「捨て金庫事件」だった。横浜市のゴミ処理場で見つかった現金1億7000万円入りの古金庫が、警察の捜査の結果、聖教新聞社の倉庫から搬出されていた事実が判明。池田大作創価学会名誉会長の腹心で、「池田大作の金庫番」「創価学会の大蔵大臣」などの異名を持っていた中西治雄氏(当時・創価学会総務)が「自分の金だ」と名乗り出た。
     中西氏は「(日蓮正宗総本山)大石寺境内の売店で売った金杯の収益」などと説明したが、1億7000万円の中には大蔵省印刷局の封緘(ふうかん)つきの「一度も市中に出回っていない新札」もあった。また1億7000万円を金庫に入れて保管していたことを忘れていたというが、中西氏の自宅には極度額350万円の根抵当権が設定されており、1億7000万円の存在を忘れて350万円の借金をしたということになる。そんな説明が通用するはずがないにもかかわらず、ことの真相は闇の中に消えてしまった。「金は中西氏のものではなく、中西氏が預かるか管理を委託されていたものだから、中の金に手を付けられなかったのだろう。これが大方の推理だった」「金は池田氏の裏金だと疑っていた」と矢野氏は言う。
     この事件のあと、国税庁が動く。「マルサより怖い」とされる東京国税局資料調査六課(料調)が90(平成2)年6月、創価学会の税務調査を公式に開始。調査は92(平成4)年まで2次にわたって実施される。このとき創価学会の懇請で国税当局との裏交渉に当たったのが矢野氏だった。当時、委員長を辞任して公明党常任顧問の職にあった(以下、カッコ内は『乱脈経理』からの引用)。
     公明党書記長・委員長としての20年余の間に、「私は大蔵省・国税庁の幹部級に旧知の人が大勢できた。そういう人たちと意見交換する会を私は定期的に開いてきた」。その人脈を駆使した。すべて水面下の交渉である。「この当時の官界では、『(議会で)キャスティングボートを握る公明党を敵に回すとどんな報復を受けるかわからない』という『永田町神話』が定着していて、大蔵省の高級官僚は常日頃、公明党を巧みに抱き込んできた。ときには公明党に妥協することもあった」。そういう関係を、創価学会と池田氏を守るためにフル活用した。
     大蔵省事務次官、国税庁長官ら幹部たちとの、水面下の交渉が頻繁に行われた。「後でバレたら重大なことになる。こちらもそちらも」。こんな場面が341ページの本書の、ほぼ2、3ページに1回は登場する。これに池田氏の「殿御乱心の表現も的外れではない」ヒステリー状態の様子や、資料の改ざんや破棄に走る学会幹部の狼狽と自己保身の様子が重なる。
     宗教法人創価学会には非課税の公益事業会計(会員の寄付)、墓苑事業会計と軽減税率が適用される収益事業会計(主に聖教新聞)の3つの会計帳簿があるが、そのすべてが「ブラックホールだらけ」だった。
     記帳漏れなどという単純なものだけではない。例えば特定金銭信託(営業特金)。聖教新聞社が学会マネー運用で投資していたものが億単位の損失を出した。「その巨額の損失を聖教新聞社で処理せず、(非公開の)公益事業会計に回して損失隠しをしていたのである。「学会の資金運用は秘中の秘で隠し通す必要があった」からだ。こんな手口が次から次と登場する。
     学会が最も恐れていたのは池田大作氏による学会財産の公私混同が暴かれることだった。学会内の池田専用施設や池田氏が本部職員らにバラ撒く「激励費」、池田氏や同夫人が私的に使う公用車…。いずれも個人所得などとして課税対象になる。
     象徴的なのが絵画だった。池田氏が買い漁る絵画の費用は「ほぼすべて学会持ちだった」。もし国税庁が学会の帳簿や財産目録をチェックすれば、「記載のない持ち主不明の美術品がゴロゴロ出てきて収拾がつかなくなっていただろう。帳簿にあっても現物が見当たらないということもあったはずだ」。これに「絵画取引で15億円不明」と騒がれたルノアール絵画事件の発覚が追い打ちをかけた。
     帳簿をどこまで出すか、どこで妥協するかの攻防。学会からの最終指示は「(1)池田名誉会長にさわらず、(2)第一庶務(池田秘書室)にさわらず、(3)絵画などは未整理で提出できない、という三原則」だった。
     国税庁は最終的にこれを受け入れた。墓苑会計のみを対象として申告漏れを認定し、学会は過去3年分の追加法人税と追徴課税として約7億円を納付。それ以前の申告漏れは不問になった。他の事業会計で認定した申告漏れは4000万円。「内心、私にとっては望外の少ない金額だった」。矢野氏はそう告白するが、さらにこのあと後述する政治工作により「事実上、税金をゼロにする」ことになる。「あとは重い宿題として次に残す」という国税庁の通告で2次にわたる税務調査は集結した。それから20年近く、国税は一切、創価学会に手をつけていない。「宿題」は残されたままである。
     矢野氏は本書で「国会議員が税務調査潰しに手をかすなどというのは言語道断の行為」だと認めている。創価学会なかんずく池田氏はその行為を指示し、矢野氏は実行したのだ。このあと、池田氏は矢野氏に特別製の「香合」を贈って矢野氏の尽力を慰労、矢野氏はこれを受領した。

     宗教法人の自浄作用蝕む「学会防波堤」

     「言語道断の行為」に手を染めたのは矢野氏だけではない。公明党それ自体もフル動員されていた。それは政権党との政策的取引にまでエスカレートする。
     公明党はまず湾岸戦争で90億ドルの追加支援賛成に回る。「『法案に反対して自民党から税務調査に妙に介入されたら困る』といった意識が公明党執行部に働いた」からだった。
     党執行部はさらに「ウルトラC」まで持ち出した。自衛隊初の海外派遣となるPKO協力法である。「国税問題に対処するためには(法案に)賛成し、官邸を味方にする必要がある」「ウルトラCをやると後々ツケが回る。…しかしやむを得ない」。税務調査が大詰めになった91(平成3)年11月、自公両党は衆議院の委員会で同法案を強行採決した。
     陰の功労者はもう一人いた。国税との攻防の終盤、本書にも頻繁に登場する。
     「私は大事な電話をした。相手は竹下登元首相である」「『尾崎(国税庁長官)には強く働きかける』と請け合ってくれた」…。そして「竹下氏は、事実上、税金をゼロにするよう国税庁首脳を説き伏せていたのだ」。攻防決着のとき、国税幹部は「今回は矢野さんや竹下さんの顔を立てて、この辺で納めた」と語っている。
     創価学会のためには政治取引をし、立法権をも行使し行政を動かす。そこに公明党の存在理由があるのだが、これは「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」という憲法20条に明白に違反する。つまり公明党という存在自体に憲法上の疑義が生じることになる。
     「政官癒着」という言葉があるけれど、本書の内容は「宗政官」の醜悪なまでの癒着構造である。
     もう一つ、重要な事実が本書にはあった。この当時、他の宗教団体も税務調査を受けていたのだ。
     「…別件だが、ある宗教団体についても教祖の自宅まで調査した」「竹下さんや、小沢さんなどに頼んでもムリだ。他の宗教団体もいろいろあった」は国税幹部の発言。「他の宗教団体の中には政治家を通じて国税庁に圧力をかけてきたところもあったというが、私自身も同じことをやっており、他の宗教団体のことをとやかく言う資格はなかった」は矢野氏の述懐である。
     教団の傭兵として動く政治家。その物量に違いはあっても宗教団体はそれぞれに矢野氏のような議員を抱えており、創価学会に似た手法で動いているということだろう。宗教団体はその代償に、選挙では教団あげて支援し、信者の票を提供する。「信仰」をしばりにして信者の政治的自由を奪っている。
     その背景には「学会がやっているのだから」という〓学会防波堤〓の意識がある。07(平成19)年に33年ぶりに選挙参画した浄土真宗本願寺派幹部は、内部の会合で「学会に負けてよいのか」と発言している。宗教界には宗教法人税制という共通利害があるが、宗教の公益性は権力から与えられるものではない。自浄努力と市民の共感によって獲得するものなのだ。
     宗教界だけのことではない。学会マネーは寄付金、協力費、研究補助、広告代と、形をかえて各方面にバラ撒かれる。その結果、学者・研究者の世界にも、マスコミの中にも“鶴タブー”が生まれる。これこそが問題なのだが…。

    柿田睦夫(かきた・むつお)フリージャーナリスト。1944年生まれ。業界紙記者などを経て1979年から「しんぶん赤旗」社会部記者。2011年の退職までの間、「現代こころ模様」シリーズなどで「宗教と社会」の関わりを取材。葬儀や戦後遺族行政に関わるレポートも多い。著書に『霊・超能力と自己啓発―手さぐりする青年たち』(新日本新書、共著)『統一協会―集団結婚の裏側』(かもがわ出版)『現代葬儀考』(新日本出版社)『宗教のないお葬式』(文理閣、共著)など。

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  • from: 22世紀 - 2さん

    2011年11月19日 09時25分34秒

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    池田大作「権力者」の構造

    池田流社交術

     こうして池田は組織活動に指針を与え、権力を組織的に支えた。しかし首領である池田の役割はそれですむもので
    なく、なにかと引き合いに出されては心労のたえまがなかった。
     そのような場合、池田の原理の基調は創価学会=公明党の利益に置かれ、その言動はすべて、組織の利益にどの
    ような効果を及ぼすかという観点からなされた。彼は基本的には会外者を信用しないという、油断のない打算をもって
    行動し、小心なまでにその権力の保守に汲々とした。
     このことは彼のもっとも得意とする分野、人あしらい、対人の態度によくうかがわれよう。草柳大蔵は池田に関する次
    のエピソードを紹介している。
    「会員が600万世帯をこえ、『聖教新聞』『公明新聞』が日刊となったときのことだ(昭和40年か、41年)。ある〝大物〟
    が池田を訪ねて来て言った。
     『君のところはずいぶん強大な組織になったが、いったい、これからどうするんだ』
     彼は池田の顔を読むような眼つきになった。池田はこう答えている。
     『とんでもないことです。組織はこのへんが頭打ちですし、議員の質にしても、その他の人材にしても、そうは整いませ
    んよ』
     『うん、そりゃそうだな』
     池田は、このとき吉川栄治の『三国志』の中の、曹操と玄徳のエピソードを思い出していたという。雷が鳴ったとき、
    玄徳は』あな、おそろし』と机の下に潜りこんだ。それを見て、豪傑・曹操は『ハハア、なんたる臆病者か』と笑った。
    あとで玄徳は『あのとき、あの豪傑と張り合っていたら、どんなに冷酷な手を打たれるかわからないからな』と呟くので
    ある。このクダリが頭にあって、池田は〝大物〟の『創価学会にはもう人材はおるまい』という判断に従って見せた
    わけである」(『文藝春秋』昭和44年9月号)
     このプラグマチックな組織防衛反応は、単なるエピソードにとどまらず、池田の言動の随所に見られる反応であった。
    彼はしばしば三国志を思い出しては自制し、実利を自分にいいきかせ、今に見ていろとの鬱屈と憎悪の心を養ってき
    た。大時代な意気と、粗雑な認識の持ち主である池田にとって『三国志』は、汲めどもつきぬ知恵と指針の泉だったの
    である。
     青島幸男との対談でも、彼は次のように応対して青島の鉾先を玄徳ばりにしのいだ。
     「青島 (創価学会が)なんで政治に介入してこなければならないのかという点がもう一つわからないんですね。つい
    には議席をふやして与党になり、池田大作が王にとって代わるのではなかろうかというような・・・・・(笑い)心配して
    いる人もあるんじゃないかな。
     池田 まるで落語ですね。三議席ふやすのにも十年も命が縮まっているぐらいですよ。与党なんか夢物語ですよ。
    ・・・・・ファッショだとか、なんとかいうのは、アンチ派の恐怖症ですよ。そんなに簡単に議席がとれますか。とんでもない
    (笑い)。
     ・・・・・だいたい私みたいな気の弱いものがファッショの中心になんてなれっこないじゃありませんか。こんな平々凡々
    な、面倒くさがりやで、体が弱くて、政治が嫌いで、平凡に生きたいという念願できた人間が、そんなことできませんよ、
    おかしくて」(『宝石』昭和44年1月号)
     池田の対人の態度は、大物やウルサ型に対しては笑いにまぎらしつつ、へり下ることが基本型であり、かなり底の
    割れやすいものといえた。そしてその卑下には態度ばかりか、内容の割引――嘘も用いられた。「与党なんか夢物語」
    という言葉は、池田の心内では、与党にしたいという願望とまるで矛盾せず、与党への有用な過程的な言辞としてだ
    け把えられた。そこでは虚言しないという一般倫理は、与党になるとの彼にとっての善の前に吹っ飛んでいた。
     一体に池田は非常に恨みがましい性格の持ち主で、その自尊心は対者の些細な言動でしばしば傷つけられたが、
    彼はその場で溜飲を下げることが得策でないと見れば、「生意気」と思いつつも怒りを胸の内におさめた。そのことは
    発表時に手入れされたはずの彼の『若き日の日記から』にも、なお散見される。
     昭和26年2月13日(池田23歳)、「吉沢君なぞに於いては言をまたず。――先輩にへつらい、盲目にして生意気な
    女性よ。――」
     同年4月7日、「夜、青年部月例部会。出席者、約数十名。男女共に。愚かな、気ざな、幹部が気に入らぬ。町の、
    青年部の幹部のつもりでいる」
     28年1月8日(25歳)、「二時、R(竜年光と思われる)宅にゆく。交通事故の、弁償金、八万円也を、整理してあげる。
    心からの礼もいわず、いやな同志と思う。利己主義と権威主義の同志ほど、情けなきものはなし」
     同年10月22日、「Y君、少々慢となって来る。そろそろ厳重に、指導の要ある。自分が謙虚になっていると、図に
    乗って来る」
     29年6月23日(26歳)、「S宅を訪う。実に生意気である。じっと耐えよう。そして三年後に勝負せんと、帰り、一人
    思索する」
     同年7月30日、「大宮方面に出張。K氏の生意気を憤る。5年後、10年後の勝負を――と我慢する」
     同年12月29日、「8蒔、R(たぶん竜年光)宅へ。参謀室の友と共に。生意気な一家、特に女房に怒りをおぼえる」
     陰にこもった立腹の甚しきものは古来小人と決まっているが、まして宗教人にとっては、「生意気」「図に乗る」などの
    語や、他人の「女房」を悪しざまにいうなぞは、理由がどうあれ聞き苦しく、池田の野卑な人格、逆投影した傲慢を察知
    させてあまりあろう(なお文中の「勝負」とは果たし合いではなく、創価学会員用語で、何年か後をゴールと決め、その
    時までにどちらが幸福になっているか、出世しているかを較べる意)。
     おそらく、池田が相変わらず日記をつけているなら、青島幸男は、「青島の生意気を憤る(!)。十年後に勝負せんと、
    帰り、一人思索(!)する」と彼の日記につけられたはずである。なにしろ、池田は彼のために、「こんな平々凡々な、
    面倒くさがりやで、体が弱くて、政治が嫌いで・・・・・」といわせられたのである。
     もっとも、池田も「勝負」の念いだけでは精神衛生に悪いと知ってか、平凡に関する態度の方を変えて心の不協和を
    解消していた。池田の常用する「平凡」は、彼の内部においては決してへり下りを意味せず、自制の代償をきちんと
    済ませる構造になっていたのだ。
     「〝偉大な人〟とは、平凡であることの偉大さを知った人のことだ」(池田『指導要言集』)
    池田がこのようにいうからには、彼は、「平凡であることの偉大さを知っ」ており、また自ら「平凡に生きたい」と願って
    いるのだから、彼は「偉大な人」となる道理だった。まことに語るに落ちる、すさまじい尊大ぶりというべきだろう。
     池田の対人のもう一つのパターンは、彼がインタビューされる企画にもかかわらず、相手(ホスト)のことを尋ねてみ
    せるというテクニックだった。相手に関心を持っていることを示せば、相手が喜び、自分の扱いもよくなるだろうという
    きわめて皮相な、一面では人をなめた発想である。
     現に前出の青島との対談の冒頭部分で池田はこういった。
     「きょうは青島さん、私のほうから幾つか、是非お聞きしたいことがあるんですよ。
     ・・・・・私の友人でも、うちのお手伝いさんや隣り近所の人にも、青島さんのファンがおりましてね、その人たちを代表
    して三、四点お聞きしたいんです」
     嫌味なほどに池田は露骨なくすぐりを常用した。彼にとってはその場を巧妙に立ち回れればそれでよく、品性を疑わ
    れそうな卑屈なこともさらりといってのけた。ジョン・ガンサーとの対談もその例である。
     「ガンサーさんは世界における言論界の大統領でありますので、今日は私こそ青年を代表して質問をさせてくれませ
    んか。こんどアメリカに行ったときは私はゆっくりと質問を受けますから(笑い)」(『中央公論』昭和41年12月号)
     これでインタビュアーが無名の新聞、雑誌記者になると、これらの手はつかえないから商売ホメ――「わたしは新聞
    記者志望でした。息子も記者志望でしてね」――と、対照の妙とでもいうべきテクニック――池田の両側に幹部が並び、
    彼らは茶菓にも手をつけず、池田が記者に語る言葉を必死にメモする。その中で池田は悠揚迫らず、お茶をどうぞ、
    お砂糖は? などと細かい心つ゛かいを見せる――を使ったようだ。記者は目の当たりにする池田の権威との対照で
    さらに強められる池田の頭の低さに感じ入ることを狙う演出である。
     また、池田はしばしばインタビューの予定時間を超過してしゃべりこむというサービスを行った。談話取材者のつねで、
    忙しい身にもかかわらず、これほど熱心に他の約束をすっぽかしてまで応じてくれるとはと、ひとしお感激を新たにする
    わけである。長時間にわたる異例の会見であったと前書きにうたう記事が、いかに多かったことか。
     池田がジャーナリズムにこれほどの気をつかったのも、池田や創価学会=公明党が何よりジャーナリズムを重視した
    からである。昭和45年の言論抑圧批判への逆攻撃のさなかでも、『聖教新聞』声欄に、例の「社会党のうすバカども」
    とやった渡部発言(昭和45年1月11日、創価学会学生部幹部会)中に新聞記者への誹謗があったのはまずい、との
    投書をのせるほどに、彼らは社会的な孤立をおそれていた。
     さらに池田は必要とあらば、老人の肩を抱き、大石寺で酒を出し、また婆さんに頬ずりし、髪をなでながら「あばあさん、
    本当に偉いね。いちばん可愛いよ」(央忠邦)とやることも辞さなかった。重要なのは彼の世評であって、彼の好悪では
    ない。
     池田はこれらの泥くさいセリフや仕草を律義に繰り返してきた。彼の人間認識の原型は、人は賞められれば喜び、
    へり下れば安心するというみごとなほどに単純なものであった。単純を厚顔にも押し通すという点で、彼は実に優れた
    演技者であったといえよう。


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  • from: 22世紀 - 2さん

    2011年11月14日 12時59分45秒

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    池田大作「権力者」の構造

    勤勉と型ハメ


      池田はまぎれもない世俗の勝者だった。彼はゼロから出発して、他に較ぶべくもない権力と知名度、地位と潜勢的な
    財力をすべて手中にした。彼は精神の世界に所属し、世俗の功利とは無縁であるとの論はあたらない。日蓮正宗の
    在俗の信者の団体・創価学会の会長だからであり、また彼の存在と品性のありようからである。
     勝者の第一の要件は池田の力説する通り確信であった。
     「将として、もっとも大事なことは〝御本尊は絶対なり〟という確信をもつことである。確信ほど強いものはない。どんな
    事態でも打開し、どんな人でも救い、どんな戦いでも勝ち抜いていく源泉が確信である」(池田『指導要言集』)
     不信と懐疑の蔓延する時代に、池田は教義への確信によって闘争への力を得、また確信をもって感動的なまでの
    指導性を発揮した。さらに彼は病・貧・争の出身に由来する人情の機微に関する熟達と、諸々の劣等感とその裏返し
    である優越感とをもって効率的に組織の運営拡張にあたってきた。
     池田の成功、すなわち創価学会の伸張は、昭和25(1950)年の朝鮮特需から池田勇人の高度経済成長政策を経て、
    GNP第二位に至る日本経済の復興と進展をそのままになぞった。会員はこの間の名目賃金の上昇と電化製品の購入を
    自家の家計の向上ととらえ、そこに「功徳のすごさ」の実証を見て、さらに己の会活動に拍車をかけ、その結果、会員は
    急増した。
     そしてこの期における池田以下会幹部の指導的な信条は、忙しさの信条とでもいうべきものであった。それは忙しさ
    自体がモチベーションになるという奇態な、とはいえ会外でも見られなくはない馬車馬の信条であり、彼らをおそろしく
    勤勉な人種にしあげた。創価学会の一中堅幹部(森田康夫、昭和55年8月副会長)は、「忙しいということは、それだけ
    存在価値があるということになり楽しい」(後藤弘『創価学会の経営学的分析』)といった。
     この境地は創価学会を絶対とする確信を前提として生まれ、それが彼らの睡眠五時間といった活動を支えてきた。
    彼らは日本経済の底の浅さが個人に刻印したいわゆる「モーレツ」や「エコノミック・アニマル」の模範的な尖兵だった。
     池田の思念はつねに、彼の持ち物である創価学会=公明党を離れず、彼はこれまで繰り返し述べた入信神話などの
    嘘、戸田のアダ名ヒバリ天をヒバリ男とするような虚栄、仏法民主主義といった用語に見られる折衷のほか、借用、
    型ハメといったパターンの駆使において勤勉であった。それらは池田の創始になるものでなく、主として戸田以来の
    創価学会に見られるものだったが、池田はそれをさらに拡張して、彼と創価学会=公明党が共有する性向にまでたかめた。
     借用という点では、まず創価学会自体が日蓮正宗の歴史と権威を借用する団体だった。また戸田、池田二代にわたって
    愛用の「人間革命」も、昭和22年、東大総長・南原繁の卒業式での演説「人間革命と第二次産業革命」からの戸田の
    借用によった。さらに池田による雑誌『潮』の命名も、本来、小口偉一が『世界』(岩波書店)の「日本の潮」欄に無署名で
    「創価学会」を書き、それを見た戸田が早速借用して、「いまや創価学会は日本の潮であります」といったことに始まって
    いた。
     その他、『朝日新聞』の「声」欄からの『聖教新聞』の「声」欄、公明政治からの公明党の命名、労音に対する民音という
    発想、池田の著書における古今東西著名人の言葉の、権威つ゛けを目的とする引用など、すべて借用の例であり、その
    最たるものは、公明党参議院議員・渋谷邦彦の『創価学会の思想』3のうち「社会主義と人間性社会主義」における、
    民社研議長・武藤光郎『社会主義と実存哲学』からの18ページにわたる盗作であった。
     型ハメとは、まず枠組みや外見をとらえ、もしくは整えてから、という発想である。その濫觴は戸田の教師時分の
    「綴り方教育法」――「今のようにありのまま書くのとは反対で、一つの形式を作り文章を自由にこなさせた上で、形式
    から創造するという方法だったんだな。今は誰もやりませんよ」(戸田談、『宗教と信仰の心理学』)――に求められよう。
     創価学会で愛用される「方程式」という語、創価学会=公明党の滅多やたらの組織、ポストつ゛くりと、政府や地方官庁
    に対する組織設置の要求等が型ハメの例であり、また創価学園生徒への過度の宿題やテストでの締め付けも、この気味が
    強かったといえよう。池田の読書論も例外ではなかった。
    「いかなる本を読むときでも、最初に〝はしがき〟〝序文〟等を読むこと。そこには、その著者の意図、および思想が
    要約されているものです。これは大切なことだと思う」(池田『指導集』)
     これらはすべて内容や理念、伝統を持たないものがインスタントにそれらを取り込もうとする結果だった。実際、創価学会
    の教義を現代に適用してみても、具体的な何ものをも創造し得ず、どうしても嘘、折衷、借用、型ハメといった方策に走らざる
    を得なかった。第三文明とか真の革新とか、言葉としてはいえても、言葉だけでは創価学会=公明党の経営は一日として
    成り立たなかったのだ。
     またこれらは、組織が革新ではなく、安定と永続を目ざすとき、不可避的にとらざるを得ない方策でもあった。戸田時代の
    無から有を生じた破竹の勢いの奇跡から断たれそうな不安を覚えた池田は、つねに会員に戸田時代を再確認させる
    だけでは足りず、強迫観念にも似て、組織理念の立つ足場をあらゆる所に求めざるを得なかった。理念がつぎはぎ
    だらけだろうと、頑丈でありさえすれば、頑丈に見えさえすれば、それで池田は安心出来たのである。
     池田以下幹部たちは創価学会の教義への確信と、忙しさの信条をもって、鋭意これらの方策につとめてきた。



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