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  • from: 倭寇の末裔さん

    2018年07月24日 09時25分52秒

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    お見舞い (1)

    一般に知人、縁者が入院すると、即お見舞いということになる。そが常識のようだし、その志は有り難いが、それが正しいとも言えない。
     筆者の父親は、入院したとき、お見舞いを是絶対に厭がった。ひとが「お父さんはどうしていらっしゃまかと尋ねたら、旅行していますと答えなさい」と言われたものである。
     お見舞いを厭がる理由は、病気で普段とは違うしょぼくれた自分の姿を見せたくないからだと云う。いかにも明治人らしい考え方ではある。
     筆者の家内もお見舞いは厭がる。婦人の場合は、病気で髪は乱れているままだとか、化粧もしていない姿を見られたくないという気持もあるのでであろう。
     筆者の場合は、上記の理由とは異なるが、やはり見舞いに来られるのは好まない。その理由は、病状を聞かれていちいち説明するもの面倒だし、病気で苦しんでいるときには、話をするのもおっくうだからである。
     これは筆者に限らずそう言う人は多いと思う。誰か家族が入院しても、一番大変なのは通院して患者を看護する家人である。
     今は、どこの病院でも完全看護ということになってはいが、なかなか完全とまではゆかない。
     医師は日に一回回診にくるだけ、看護師さんは、点滴とかちょくちょく顔は出すし、ナ-スコ-ルを押せば来てくれるが、看護以外のことはしない規則になっている。だから、飲み水や日用の身の回りの小物を売店にいって買ってくるとかの肌着の取り換え、洗濯もの持ち帰り等の雑用は、介護の家人に頼まねばならない。
     こういう理由で、介護する家人が毎日通ってくることになる。通常は妻である。だから、大変なのは妻である。
     こう考えると、見舞いは、患者よりも介護の家族への慰労の方が意義があると思う。それをどういう形でやるかは、両者の関係とか親密度によって違うであろう。が、「大変ですね。何かお手伝いすることがありましたら何でもっしゃって下さい」という挨拶だけでも厚意は伝わるであろう。

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