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  • from: 21世紀さん

    2012年03月30日 21時09分18秒

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    あまりに唐突な「脱原発」提言の唖然

    容認・推進派からいつ転向したのか?
    段勲
    ジャーナリスト

     30年前から原発に警鐘?

     ひと昔前。もう30余年前になるが、全国の原発基地を訪ね集中的に原発取材を行なっていたことがある。そんな1979年の秋頃と記憶しているが、当時、所属していた週刊誌編集部に名指しで1本の電話がかかってきた。
     深夜12時に近く、普段、喧騒の編集部も静まり返り、原稿の締切り時間を気にしながら各記者たちがせっせと原稿を書いていた。原発記事の手を休めて受話器を耳に当てると、いきなり、
    「おい!原発担当の記者か!」
    「はい、そうですが」
    「ふざけたことを書くんじゃないぞ、こら!!今から行くぞ!何が原発反対だ!この安全なものの何が問題だ!」
     あまりの罵声に、思わず耳から受話器を離した。筆者の周囲にいた記者たちにも、受話器から漏れてくる怒鳴り声が聞こえたはずである。30分にも及ぶ長電話。相手は名前を名乗ることはなかったが、福井県・若狭に住む漁師のようだった。
     1970年3月、若狭湾に第1号機の原発が稼働して以来、福井県の海沿いは「原発銀座」(現在、13基)と言われ、地元住民や、社会党(当時)、共産党を中心にした原発反対の運動が燃えていた。そうした取材を続け、報じていた渦中の出来事である。
     その一方、田中角栄首相が発した電源3法の恩恵で、地元に高額な札束が舞い降りていた。先の電話の主は、その〝恩恵組〟の一人だったのかもしれない。だが今日、福島原発が招いた事故で、日本全土は放射能の拡散に恐怖感を抱いている。くだんの電話主は今なお若狭で、「原発は安全だ!」と怒鳴っているだろうか。
     あの昨年3月11日以来、これまで原発推進を訴えてきた文化人たちは、一様に口を閉ざし、東電の広告もメディアから姿を消した。同じく原発容認、推進をしてきた自公の政治家たちも、次期選挙を考慮したものか、言を左右にして煮え切らない。
     そうした中、1月26日付の全国紙「読売新聞」や「毎日新聞」に、以下のような記事が掲載された。
    「池田名誉会長脱原発依存提言……公明党に影響も」
    「原発依存から脱却を、池田名誉会長が提言」
     の見出しで、
    「日本のとるべき道として、原子力発電に依存しないエネルギー政策への転換を早急に検討していくべきだ」
     と、訴えたという。
     同日、全国紙に「共に生きる、共に踏み出す。新しい世界がはじまる」と、晴天の青空の写真をバックにコピーがある全面広告が掲載された。提供は「創価学会」である。この不況下に全面広告とは、随分と景気のいい教団という印象を抱く。ともあれ、そうした学会の全面広告に対する新聞社のリップサービスではないかと疑った。
     というのも、池田大作名誉会長は、確か、原発の容認派で、むしろ原子力エネルギーの開発を推進する言動を残しているからだ。いつ転向したのだろうか。
     先に、脱原発を訴えたという池田名誉会長の提言から紹介してみよう。毎年、1月26日は「SGI」(創価学会インタナショナル)の創立記念日(1983年)に当たり、例年この日に、池田名誉会長が「平和記念提言」を行う慣習になっている。ここ数年の記念提言を見ると、核兵器の禁止、廃絶がポイントになっており、今年も、
    「生命尊厳の絆輝く世紀を」のタイトルで、その1項目に「核兵器の禁止と廃絶に向けての提言」が挿入されていた。その中に、原発からの脱却にも触れられていたのである。以下、ハイライト部分を引用してみよう。
    「私は30年ほど前から、原発で深刻な事故が起こればどれだけ甚大な被害を及ぼすか計り知れないだけでなく、仮に事故が生じなくても放射能性廃棄物の最終処分という一点において、何百年や何千年以上にもわたる負の遺産を積み残していくことの問題性について警鐘を鳴らしてきました。この最終処分問題について、いまだ根本的な解決方法がないことを決して忘れてはなりません」
     池田氏は、30年も前から、原発事故に警鐘を鳴らしてきた、と言う。果たして本当だろうか。不勉強なのかもしれないが、池田氏が原発に言及した言及はこれまで見聞したことがない。いつ、どこで警鐘を鳴らしてきたのだろうか。もし、そうだとしたら、聖教新聞が報じるか、公明党の創設者が、国家のエネルギー政策を左右するような貴重な意見である。同党がすぐに動いたはずだ。
     しかし、30年前といえば、池田氏が最も信頼する公明党が「第15回公明党大会」(1978年1月15日)で、党是として原発容認を決めているのだ。公明党は池田氏に逆らったのか。もう少し提言の引用を続けてみよう。
    「日本は、地球全体の地震の約1割が発生する地帯にあり津波による被害に何度も見舞われてきた歴史を顧みた上でなお深刻な原発事故が再び起こらないと楽観視することは果たしてできるでしょうか。日本のとるべき道として、原子力発電に依存しないエネルギー政策への転換を早急に検討していくべきです……原子炉を廃炉にする際の国際協力について検討を進め」
     原発反対、原子力依存しないエネルーギ政策の転換を早急にと言う、リベラルな提言である。大方の国民もそうした意見にシフトしてきている。しかし池田名誉会長は40年ほど前に、実は原子力エネルギーに賛成、推進する言動を残しているのだ。証拠を見せよう。

     いくらでもある原発推進・容認の証拠

     池田氏は、世界の著名人たちと対談した多くの著書を持つ。テーマは宗教、文化、経済、人生・哲学・平和、医学、ジャズ等、実に幅が広い。世界に冠たる博識者で、日本の有識者が束になってもかなわない賢人である。
     そうした対談集のなかで、池田氏が最も誇りにし、世界中で翻訳されている対談集が、英国の歴史学者・アノルド・トインビー氏との『21世紀への対話』だ。
     1975年3月には日本でも、文藝春秋から上下2巻に分かれて出版され、ベストセラーになった。その下巻、78ページに次のような対話が残されている。
    「池田 今後のエネルギー資源問題を考えるとき、原子力の平和利用が一つの重要な解決策になるとみられます原子力が新たな、将来性のあるエネルギー源として平和的に利用されることは、喜ばしいことだと思います。原子力といっても、将来はいつか枯渇する時が来るでしょう。しかし、世界的にこれからのよい分野であり、その単位当たりのエネルギー量からいっても、石油、石炭に代わる動力源として、大いに期待できると思います」  池田氏のこうした原発推進の発言にトインビー氏が迎合する形で、
    「原子力の平和目的への利用が進むのは望ましいことであり、また事実、必要不可欠なことです」
     と、応じ、対談が進んでいる。
     池田氏が語る「原子力の平和利用」とは、エネルギー源としての原発を指し、「大いに期待できる」とまで発言しているのだ。
     2人が対談した時期は、英国・ロンドンに始まり、1972年から73年にかけてである。すでにこの当時、太陽熱、地熱、風力、バイオ・マスなど自然エネルギーや再生可能エネルギーの研究がスタートした時期であったが、「21世紀の対話」にしては、2人の対談にはこれらが一切言及されていない。もっぱら石油、石炭に代わるエネルギーを原発に依存し、期待していたのである。その原発を著名な歴史学者のトインビー氏は「必要不可欠」と、まで断言した。
     池田名誉会長が、長年、核廃絶を訴えてきたのは事実である。しかし、1979年の「スリーマイル島の原発事故」、1986年「チェルノブイリ原発事故」、1999年「東海村JCOの臨界事故」等に対して、池田名誉会長の目立つような意見はなかった。原発容認の姿勢を崩さなかったからである。
     そうした池田氏の姿勢は公明党にも反映されている。
     1例をあげるなら、昨年5月10日、当時、菅直人首相が静岡・浜岡原発の停止を要請したところ、公明党の山口那津男代表が、こう発言したのである。
    「法的根拠のないことを突然首相自らの判断でやってしまうことに大きな危惧を感じざるをえない。政治主導に名を借りた誤った行政権の暴走だ」
     と。また、この浜岡原発の停止問題で、東京清瀬市議会では「浜岡原発の即時中止を求める意見書」が提出(3月24日)された。議会で採択に入ったとき、4人の公明党議員が議場から退席したのである。棄権だった。原発の運転には賛成でも反対でもない。公明党が得意とする玉虫色である。
     もし池田氏が、30年も前から原発に警鐘を鳴らしていたら、公明党議員もこうした姿勢を見せなかったはずである。

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  • from: ハムスターさん

    2012年03月24日 00時03分33秒

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    フォーラム

    記念特集/創刊10周年に寄せて

    創・公複合体に深く刺さった槍 溝口 敦 ノンフィクション作家

     創刊10周年おめでとうございます。

     創刊以来「フォーラム21」が社会で果たしてきた役割は非常に大きいものがあります。

     創価学会=公明党に対する社会的な警戒心は決して消失していませんが、近年衰退著しい政界やメディアなどが創・公複合体を受容しようとする動きがあります。

     創・公複合体は一定の票や議員数、また巨額の広告宣伝予算を持っているため、それらに頼ろうとする政党やメディアが跡を絶ちません。

     彼らは創・公複合体が社会に流す害毒と、その有害な体質に目をつぶってお先棒を担ぎ、複合体という神輿を担うことで社会的な警戒心や抵抗を弱める働きをしています。

     そういう中でフォーラム21は創価学会批判の旗幟を鮮明にして、戦い続けています。もちろん創・公複合体は「フォーラム21」を目の仇にして、何度も訴訟を乱発し、嫌がらせを行いました。しかしフォーラム21は一歩も退くことなく粘り強く戦い、貴重な勝ちをおさめています。

     フォーラム21は決して立ち位置を変えません。創・公複合体がいくら攻撃を繰り返しても、決して音を上げず、妥協しません。

     だからいつでも掲載記事が信頼できるのです。

     創公複合体と戦う者にとっては橋頭堡であり、情報拠点です。創公複合体から離脱し、新たに戦おうとする者にとっては羅針盤の役割を果たしています。

     フォーラム21が創刊された10年前と今とを比べれば、明らかに創・公複合体の士気も結束力も落ちています。

     力の結集点である名誉会長・池田大作氏の植物人間化で、指揮命令系統が拡散、混乱していることが原因と思われます。創・公複合体はちょうど北朝鮮と同じで、池田氏を英雄的に祭り上げることで個人崇拝に結びつけ、その個人崇拝を組織的な力の源泉にしてきました。

     しかし池田氏の心臓はまだ停まっていないといった病状では、単に生物的に死んでいないだけの話です。組織的にはトップが不在ですから、複合体の官僚が今までの惰性で適当に組織を動かしているだけです。

     このことを端的に象徴するのは「週刊文春」の大誤報に対する創・公複合体の微温的な反応でしょう。同誌は去年10月27日号で、「池田大作名誉会長『厳戒病室』本当の病状」とタイトルにうたい、創価学会の医療関連施設「南元センター」で看護師として勤務していたという人物の証言を載せました。

    「先生の病気は、脳梗塞です。梗塞は2カ所にあり、もともと糖尿病という持病をお持ちなので、合併症を誘発する恐れもあります。自力で歩くことはできず、移動は車椅子でした」  いかにもリアリティのありそうなコメントであり、特集記事でしたが、なんと週刊文春は12月29日号の「編集長から」で訂正し、詫びています。

    「記事につき、創価学会より『該当する看護師は存在せず、証言は事実無根である』との抗議がありました。これを受けて小誌は再取材を行いましたが、証言者が看護師であるとの確証を得るに至りませんでした。病状についての記述を取り消し、ご迷惑をおかけした関係者にお詫びいたします」

     創・公複合体はよほど注意深く雑誌に目をさらさないと見つからないこの小さな訂正文を出させることで週刊文春を無罪放免としました。

     仮にも池田氏の病状に関する誤報です。従前の創価学会なら名誉毀損で裁判に訴え、多額の損害賠償を求めたことでしょう。

     しかし池田氏の病状は誤報とはいえ、週刊文春記事に近いはずですから、池田氏が記事の影響を判断した上、立腹し、裁判しろと号令を掛けることもできなかったのでしょう。

     創価学会がこれまで敵視してきたのは週刊新潮でしたが、新潮に加えて新たに文春も敵に回すのはという気のすすまなさから訴訟を控えたとも伝えられています。

     創価学会の官僚にとっては池田氏に怒られる心配がない以上、誤報の扱いなどはどうでもいいことなのです。

     明らかに創価学会の士気は薄まり、かつて戦闘的といわれた社会への鋭角性を失っています。長期的に見れば、将来はふつうの社会の中に溶融していくでしょうが、それまでの間、フォーラム21は創公複合体に深く刺さった槍であり続けるはずです。

    (みぞぐち・あつし)ノンフィクション作家、フリージャーナリスト。1942年生まれ。早稲田大学政経学部卒。出版社勤務などを経てフリーに。宗教関係をはじめ幅広く社会問題を扱う。『食肉の帝王』(講談社プラスα文庫)で第25回講談社ノンフィクション賞、日本ジャーナリスト会議賞、編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞の3賞同時受賞。『堕ちた庶民の神』(三一書房)『歌舞伎町・ヤバさの真相』(文春新書)『パチンコ「30兆円の闇」』『生贄の祀り』『あぶない食品』(小学館文庫)『武富士 サラ金の帝王』『池田大作「権力者」の構造』『中国「黒社会」の掟』『細木数子 魔女の履歴書』(講談社プラスα文庫)『暴力団』(新潮新書)『抗争』(小学館新書)など著書多数。

    http://forum21.jp/?cat=3

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  • from: たかぼんさん

    2012年03月21日 00時58分18秒

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    工藤玄英氏 創価学会離脱へ

    「池田先生に衣を着せれば即大聖人」と息巻いておった離脱坊主の
    工藤玄英がどうも創価を離脱したという噂だ。
    ・・・また二陣、三陣と離脱坊主が創価に愛想を尽かせ、離脱するようである。
    お前らは創価に利用されたってことだ。

    工藤玄英の本名は卓也であり、創価学会の指示で北海道の愛別の法宣寺を占拠したことが縁で出家、その後千歳市法涌寺住職等を歴任後、立川市の長栄寺に入ったが平成4年(1992年)2月2日に日蓮正宗を離脱、
    平成12年(2000年)に、裁判闘争の後に日蓮正宗と対価と引き換えに長栄寺の所有権を移転することで和解、大宝寺と改めて今日に至る。
    工藤玄英はまず、前非を悔いて日顕御隠尊猊下と日如御法主上人猊下に対しお詫び申し上げることが大切でしょう。

    更に第2第3の離脱もあるでしょう。
    京都の離脱僧小板橋明英は、なぜ離脱寺院能栄寺の御本尊様を日顕上人書写の板御本尊様のままにしているのか、興味があるところです。
    本当は潜在意識の中では、離脱を公開しているのかもしれません。
    天秤にかけているのかもしれません。

    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1226940912

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