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  • from: シニョレッリさん

    2012年08月29日 06時40分29秒

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    「リナシメント芸術家(6) ジロラモ・ムツィアーノ」
    今日は、マニエリスム後期に主にローマで活動した画家ジロラモ・ムツィアーノを取り上げます。
    1555年に彼が描いた「ラザロの蘇生」はミケランジェロから絶賛され、ミケランジェロから当時の第一級の画家の一人と目されました。時代と共に彼の名声は色褪せましたが、特に日本では不当にも今では殆ど忘れられた(初めから無視されていたと言うのが妥当かも知れません)存在になっています。
    然し、ローマの主だった教会を訪ねると彼の作品を可なり見ることが出来ることから、やはり当時一級の画家であったことは間違いないと認識すべきと思います。


    ミケランジェロによって再構築されたサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会です。


    ヴィットリオ・エマニエル二世記念堂の隣に建つサンタ・マリア・イン・アラチェリ教会です。

    彼の作品があるので教会の写真を載っけました。

    Girolamo Muziano(1532ブレーシャ近郊のアクゥアフレッダ生まれ〜1592ローマで没)

    1544年から1546年にかけて、パドヴァで最初にドメニコ・カンパニョーラに師事してから、次いでランベルト・スストリスに弟子入りしました。その後、ヴェネツィアに赴き1549年まで同地に留まって、ヴェネツィア派の画家たちと交流すると共に、ヴェネツィア派の作品を通して多くを学びました。特にティツィアーノから大きな影響を受け、ティツィアーノ・スタイルのヴェネツィア派と言うのが彼の初期の画風になりました。1550年頃、ローマに移住し、以後死去するまでローマに住みましたが、当時ローマで活躍した画家たちから影響を受けるようになり、画風が徐々に変わって、ミケランジェロ、セバスティアーノ・デル・ピオンボ、タッデオ・ズッカロらの影響を受けた、自然主義のマニエリスム様式に転じました。
    ローマに於ける主な教会から次々と注文を受けましたが、画題主題となる人物や事象よりも背景に重点を置いて、山々や木々の風景や建築物を大きく取り上げると言う彼の独自性が好評を以って迎えられ、1570年から1580年代にかけてのローマで最も活躍した画家となりました。
    また、1577年には法王グレゴリオ8世を説得して、アッカデミア・ディ・サン・ルカの設立に成功しました。
    サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に墓があります。

    初めは全く名前さえも聞いたことが無い画家でしたが、ローマの教会や美術館で彼の作品を見かけ、背景の風景を大きく強調して描いた作品がバロックの前兆、萌芽を思わせ、妙に気になったのが切っ掛けで、調べるうちに気に入った画家の一人になってしまいました。


    「ラザロの蘇生」です。オルヴィエートの大聖堂付属博物館にあります。


    「キリストの鞭打ち」です。これもオルヴィエートの大聖堂付属博物館にあります。


    「聖マッテオの殉教」です。ローマのサンタ・マリア・イン・アラチェリ教会にあります。


    「聖母被昇天」です。個人蔵なので、私は見たことがありません。

    最後にこれ迄に私が見た彼の作品リストを載っけます。
    ヴァチカン美術館:「ラザロの蘇生」
    ローマ、バルベリーニ宮国立古典絵画館:「十字架を担ぐキリスト」「聖ジロラモ」
    ドーリア・パンフォーリ美術館:「年取った男の顔(聖ジロラモ?)」
    ローマ、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会:「ガブリエッリ礼拝堂のフレスコ」
    ローマ、サンタ・マリア・イン・アラチェリ教会:「聖マッテオの殉教」
    ローマ、ジェズ教会:「磔刑」
    ローマ、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会:「砂漠で説教する聖ヒロエニムス」
    オルヴィエート、大聖堂付属博物館:「ラザロの蘇生」「キリストの鞭打ち」
    ボローニャ国立美術館:「聖ジロラモ」

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  • from: シニョレッリさん

    2012年08月28日 06時37分26秒

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    「リナシメント芸術家(5) マリオ・ミンニーティ」
    バロック期初期にローマ、シチリア各地などで活動した、シラクーザ出身の画家マリオ・ミンニーティを取り上げます。

    標題が「リナシメント芸術家」となっていますが、標題が長くなるのでそうしているだけで、バロック期までを対象にしています。

    マリオ・ミンニーティが有名と言うよりは今日まで名が残ったのは、ミケランジェロ・メリージ通称カラヴァッジョの舎弟、つまり弟分としての密接な繋がりからだと思います。カラヴァッジョよりも6歳年下でした。

    Mario Minniti(1577シラクーザ生まれ〜1640シラクーザで没)


    シラクーザ・オルティージャ島は今なお海に浮かぶ要塞に見えます。


    シラクーザ大聖堂です。外観は典型的なバロック様式ですが、堂内はギリシャ神殿みたいで雰囲気が全く違います。ギリシャ神殿の改造と聞けば、それは当然と頷けます。


    暮れなずむドゥオーモ広場です。


    今迄の三つの写真はマリオとは直接関係ありませんが、この写真は違います。
    右側の手前から二番目の建物がミンニーティの住居だったそうです。宿泊したB&Bのオーナーから住所を聞くと共に地図に印を付けて貰って行きました。でも建物は何の表示も無いので確証はありません。


    カラヴァッジョの「果物籠を持つ少年」です。ボルゲーゼ美術館にあります。
    この少年のモデルがミンニーティだったと言われています。
    ミンニーティは1593年ローマに出て、同郷の三流画家ロレンツォ・カルロに弟子入りして工房で働き始めましたが、ロレンツォに雇われ一日に人物の頭を3点描く仕事をしていたカラヴァッジョと知り合い、直ぐに同居する程の親しい間柄になりました。


    ルーブル美術館にあるカラヴァッジョの「女占い師」です。「女占い師」にはモデルが違うものがローマ、カピトリーノ美術館にあります。ルーブルの豊頬の少年のモデルもミンニーティと言われています。

    ミンニーティはカラヴァッジョと殆ど一緒にいて暴れていた様ですが、ローマで画家として大成するのを諦め、1606年シチリアに戻りました。性格はカラヴァッジョに似ており凶暴で、シチリアに戻って直ぐに殺人を犯してしまいましたが何とか許されたので、地方画家として身を立てることにしてシラクーザに工房を構え、最初のカラヴァッジェスキとなりました。やがて彼の工房は繁栄して地方の名士になるなど成功を収めました。

    1608年マルタ島から脱獄して聖ヨハネ騎士団から追われる身となったカラヴァッジョはミンニーティを頼ってシラクーザに来ました。友情に篤いミンニーティは親身になってカラヴァッジョを助け、仕事の世話も行いました。こうしてカラヴァッジョはシラクーザで「聖女ルチアの埋葬」を制作しました。カラヴァッジョはシラクーザを離れメッシーナに逃れて、メッシーナでも作品を制作しましたが、これもミンニーティの斡旋によるものと言われています。

    では、ミンニーティの作品を幾つか見ることにします。


    シラクーザのベッローモ州立美術館にある「聖女キアラの奇蹟」です。
    ミンニーティは才能に乏しく、大したことない画家と言うのが通り相場ですが、どう思われますか?


    シラクーザのベッローモ州立美術館にある「聖女ルチアの殉教」です。


    シチリア、エンナのサンタントニオ教会にある「スティグマテ」です。


    メッシーナ州立美術館にある「ナインの寡婦の奇蹟」で、彼の代表作と言われています。

    彼の作品を見ると、「大したことが無い画家」と即断することは到底出来ないと思います。沢山の注文があり、結構な数の作品が残っているからには、それなりの評価を下すべきだと思います。カルパッチョ、ティントレットなどの粗製乱造した駄作群よりは遥かに感動を受けます。

    最後に例によって私が観た彼の作品リストを掲げます。
    シラクーザ州立美術館:「聖女ルチアの殉教」「聖女キアラの奇蹟」「十字架降下」
    シラクーザ、カルミネ教会:「四聖人」
    シラクーザ、サン・ベネデット教会:「埋葬される聖ベネデット」
    シチリア、ヴィッツィーニ、サン・ジョヴァンニ教会:「救出の聖母」
    シチリア、アギラ、サンタントニオ教会:「スティグマテ」「Le cinque piaghe(何と訳すべきでしょうか?)」
    メッシーナ州立美術館:「洗礼者ヨハネの殉教」「ナインの寡婦の奇蹟」「ロザリオの聖母」「磔刑」
    カターニャ市立美術館:「寓話の情景」
    カターニャ、教区美術館:「十字架のキリスト」
    ミラッツォ、ルチフェロ美術館:「カルバリーへの道」「キリストの鞭打ち」

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  • from: シニョレッリさん

    2012年08月24日 07時50分47秒

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    「リナシメント芸術家(4) ニッコール・デル・アッバーテ」
    マニエリスム期にモデナ、ボローニャ、フォンテーヌブローなどで活躍した画家・彫刻家、ニッコール・デル・アッバーテを取り上げます。ニッコロ・デッラッバーテとも呼ばれました。

    Niccol dell Abbate o Niccolo dell'Abbate(1509モデナ生まれ〜1571フォンテーヌブローで没)

    モデナの彫刻家の息子に生まれ、父から彫刻家としての手ほどきを受けてから、モデナの彫刻家であるアントニオ・ベガレッリの工房に入り腕を磨きました。ところが、後になって、何時からかは不明ですが、ジュリオ・ロマーノに弟子入りして画業の修行を始めました。彫刻家よりも画家としての才能が有った様で、直ぐに頭角を表しました。当初はガロファロやドッソ・ドッシなどのフェッラーラ派の影響を受けた画風でしたが、1548年から4年間、ボローニャに滞在し仕事をするうちに、コレッジョやパルミジャニーノの影響が色濃く認められる画風に転じました。従来の宗教画における風景は飽く迄背景の一部として描かれるのが普通でしたが、これに捉われず、風景画を大きく取り上げた点に彼の独自性が発揮されました。
    1552年、アンリ2世からフォンテーヌブロー宮廷に招聘され、死ぬまで同地に留まりました。その間、マニエリスム様式をフランスに紹介すると共に、フランス風景画様式の改革向上に寄与しましたが、後世の印象派の風景画確立に影響を与えたと言われています。
    フランス芸術の後進性を痛感していたフランソワ1世、アンリ2世は先進国イタリアからアンドレア・デル・サルト、ピエトロ・アレティーノ、ロッソ・フィオレンティーノ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ニッコール・デル・アッバーテなどの画家たちを次々と招聘しました。


    ボルゲーゼ美術館にある「鹿狩り」です。


    ロンドン・ナショナル・ギャラリーにある「オルフェウスとエウリュディク」です。


    ルーブル美術館にある「プロセルピーナのレイプ」です。


    「スキピオの自制」です。ルーブル美術館にあります。

    モデナのエステンセ美術館に彼の作品が多数展示されています。

    最後に私が観た作品リスト(上記以外の)を掲げます。

    モデナ、エステンセ美術館:「エステンセ宮殿カメリーノの間の絵画」「聖母子と四聖人」「十字架磔刑」
    ローマ・バルベリーニ宮、国立古典絵画館:「犬と若い男の肖像」
    ナポリ、カポディモンテ美術館:「若い男の肖像」



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  • from: シニョレッリさん

    2012年08月17日 03時40分32秒

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    「リナシメント芸術家(3) タンツィオ・ダ・ヴァラッロ」
    今日は17世紀前半にピエモンテなど北イタリアで活動した画家タンツィオ・ダ・ヴァラッロを取り上げます。
    表題のリナシメントとはイタリア語でルネサンスの意味ですが、ここではバロック期も対象なので表題が長くなるのを避けて、敢えてリナシメントとしています。


    ミラノのブレラ絵画館です。


    ナポリのカポディモンテ美術館です。

    ブレラとカポディモンテに彼の作品が展示されているので、写真を載っけてみました。

    Tanzio da Varallo(1580頃リアーレ・タラーニャ生まれ〜1632頃ヴァラッロで没)
    Antonio di Giovanni d'Enricoとも呼ばれています。父が彫刻工房を営んでいたことから、初めは父から彫刻の手ほどきを受けたと思われていますが、画家としての修行過程、画風形成の過程は不明となっています。カラヴァッジョ風のリアリズムを、ロンバルドの後期マニエリスムの優雅さによって修正したものを基調に、ピエモンテ風の稍田舎くさいタッチを加味させた、力強い表情の人物表現、写実的で明暗を強調した躍動感溢れる表現など独自の画風を確立しました。
    私にとっては微かにカラヴァッジョの影響が認められるので、中々興味深く彼の作品と接することが出来ます。


    「聖ヒロエニムス」です。キャンサス・シティのネルソン・アトキンズ美術館にあります。随分前にこの美術館に行った時に、この作品を見たかも知れませんが、当時は印象派に傾倒していたので記憶に残っていません。


    「洗礼者ヨハネ」です。個人蔵です。私は見たことがありません。


    「紳士の肖像」です。これも見たことがありません。

    最後に、私が見た彼の作品リストを掲げます。
    カポディモンテ美術館:「聖霊降臨」
    ブレラ絵画館:「紳士の肖像」「淑女の肖像」「Il martirio dei beati francescani e Nagasaki」
    ヴァラッロ市立美術館:「パドヴァの聖アントニオ」「聖母子と2天使」「ダヴィデ」
    ノヴァ―ラ、サン・ガウデンツィオ教会:「センナリブの敗戦の祭壇画」



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  • from: シニョレッリさん

    2012年08月16日 10時03分11秒

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    「リナシメント芸術家(2) ブレスチアニーノ」
    盛期ルネサンスにシエナ、フィレンツェ、ローマなどで活動した画家、本名アンドレア・ピッチネッリ通称ブレスチアニーノを取り上げます。
    Andrea Piccnelli, detto il Brescianino(1487頃シエナ生まれ〜1525以降フィレンツェで没) また、アンドレア・デル・ブレスチアニーノとも呼ばれました。


    シエナのプッブリコ宮です。現在も市庁舎として使用されていますが、その一部が市立美術館になっています。


    マンジャの塔からドゥオーモが見えます。


    シエナの国立絵画館中庭です。


    フィレンツェのサン・マルコ修道院です。


    ローマにあるボルゲーゼ美術館です。


    ローマのバルベリーニ宮で、国立古典絵画館となっています。


    ナポリのカポディモンテ美術館です。

    これらの写真の美術館などに、彼の作品が展示されています。地味であまり馴染みが無い画家かも知れませんが、イタリア各地で展示されているという事は、それなりに活動し、評価されているという事を示していると思います。

    彼の作品を三つ紹介しましょう。


    「聖母子と聖ジョヴァンニーノ(幼き洗礼者ヨハネ)と聖ペテロ」です。個人蔵なので、普段見ることが出来ませんが、数年前の特別展で観ました。


    ボルゲーゼ美術館にある「ヴィーナスと2キューピッド」です。


    「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」です。これも個人蔵です。私は見たことがありません。

    シエナの画家ジロラモ・デル・パッキアに師事したと思われています。最初の活動記録は1507年シエナの教会装飾に従事したことですが、それ以前にシエナで活動していた様です。1507年か1508年にフィレンツェに赴き、ラファエッロ、フラ・バルトロメオ、レオナルド・ダ・ヴィンチから大きな影響を受けたので、初期の作品にはフィレンツェ派の色使いと構図の影響が認められています。1510年頃弟ラファエッロと共にシエナで工房を創設しました。1516年頃ローマでバルダッサレ・ペルッツィの助手としてファルネーゼ荘装飾に従事した後、シエナに戻り、フィレンツェへ仕事に出ることはあっても終生シエナに留まりましたが、1525年以降フィレンツェで仕事中にペストで死去しました。
    度々フィレンツェに行くうちに、特に1510年以降アンドレア・デル・サルトの強い影響を受けた画風に転じましたが、1520年頃からデル・サルトのスタイルを基調に、当時のシエナで大活躍していたドメニコ・ベッカフーミの影響が加わったものになりました。
    15世紀第一四半世紀のシエナに於いて、ドメニコ・ベッカフーミに次ぐ活躍をした様ですが、シエナ派の栄光を取り戻そうとしたドメニコの積極的な動きに対して、ブレスチアーノは地味な存在だったと思います。
    私にとっては過去の国際ゴシックの伝統を垣間見せる彼の優美で装飾的な表現が心に残ります。

    最後に私がこれ迄に見た彼の作品リストを掲げます。(個人蔵の作品を除きます)
    シエナ市立美術館:「聖母子と二天使」
    シエナ国立美術館:「三つの美徳」
    シエナ大聖堂博物館:「キリストの洗礼」
    シエナ、サンティ・ピエトロ・エ・パオロ教会:「聖母戴冠」
    フィレンツェ、サン・マルコ修道院美術館:「聖母と聖アンドレアと聖ロレンツォ」
    ボルゲーゼ美術館:「ヴィーナスと2キューピッド」
    ローマ・バルベリーニ宮、国立古典絵画館:「サルピツィア・ペトルッチ(女性)の肖像」
    カポディモンテ美術館:「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」
    ロンドン・ナショナル・ギャラリー:「聖母子と聖人たち(弟ラファエッロ・デル・ブレスチアニーノと共同制作)」

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  • from: シニョレッリさん

    2012年08月15日 08時46分12秒

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    「美術鑑賞の手助け(5) 聖人の識別 その4」
    私が見た作品は、画家・彫刻家毎、美術館・博物館毎に整理しており、画題毎には整理していません。「聖人の識別」を簡単に考えていましたが、上記の理由で聖人毎の適当な作品画像が中々見つからず、アップするには結構時間が掛かってしまいました。


    コズメ・トゥーラの「聖ドメニコ」です。ウッフィツィ美術館にあります。

    聖ドメニコは説教師の修道会であるドメニコ会を創設したので、ドメニコ会の白い修道服の上に黒いマントを着て、純潔の象徴である百合を手にして描かれる場合が多いと思います。また、額の上に星が画かれることもありますが、その星はドメニコの持つ聖性のオーラを表します。


    ジョヴァンニ・ベッリーニの「聖ドメニコに扮したウルビーノのフラ・テオドーロの肖像」です。ロンドン・ナショナル・ギャラリーにあります。ドメニコ会の修道士だったフラ・テオドーロが聖ドメニコの格好をしたと言う、珍しい肖像画です。

    次に聖女チェチリアに移ります。


    ドメニキーノの「聖女チェチリアと天使」です。ルーブル美術館にあります。
    聖女チェチリア(日本ではローマ生まれの彼女を何故か聖女セシリアと呼ぶことが多いようです)はローマ皇帝によるキリスト弾圧(ローマ皇帝の誰の時代であったかに付いて数説あって、彼女の没年は定かではありません)の際、夫ヴァレリアヌスと共に逮捕されて殉教しました。伝説によれば、彼女は楽器を奏でながらキリストを賛美したと伝えられており、その事から楽器がアトリビュートになっています。彼女の名前がラテン語の盲人を意味する単語に由来することから、音楽家と盲人の守護聖人とされています。


    グイド・レーニの「聖女チェチリア」です。パサデナのノートン・サイモン美術館にありますが、私は未だ見たことがありません。大好きなグイド・レーニの作品なので、敢えてアップしました。


    アルテミジア・ジェンティレスキの「リュートを奏でる聖女チェチリア」です。ローマのスパーダ美術館にあります。アルテミジアは近年評価が飛躍的に高まり、カラヴァッジェスキの代表的な画家とされています。初めてこの作品を見た時、単に「リュートを奏でる女」だと思っていました。恥ずかしながら、女性が聖女チェチリアを表すとは思いませんでした。

    次は聖アンドレです。
    聖アンドレは聖ペテロの弟で、キリストの二番目の使徒で、十字架に架けられて殉教したので、十字架を手にして描かれる場合が多いのですが、X字型の十字架に架けられたので特にX字型十字架がアトリビュートになっています。また、長い髪と長い髭の姿で描かれる場合が多く、大体緑色の服を着ています。


    エル・グレコの「聖アンドレ」です。トレドのグレコ美術館にあります。


    エル・グレコの「聖アンドレと聖フランチェスコ」です。プラド美術館にあります。

    今日の最後は聖女アガタです。
    聖女アガタはカターニアに生まれ、大変な美人に成長しましたが、ローマ帝国からシチリアに派遣された役人クインチアノが彼女の美貌に惚れ込み求婚したところ断られてしまいました。怒ったクインチアノはキリスト教徒であることを理由に彼女を逮捕して、拷問にかけキリスト教を棄教してクインチアノと結婚すれば罪を赦すと言いましたが、彼女は屈しませんでした。激怒したクインチアノは、彼女の乳房をヤットコで潰してからナイフで切り取るように命じました。その後、彼女は獄中で殉教しました。このことから、彼女はヤットコなどで乳房を責められる姿や切り落とされた乳房を皿の上に載せられた姿で描かれる場合が多いのです。乳房が彼女のアトリビュートになっています。


    セバスティアーノ・デル・ピオンボの「聖女アガタの殉教」です。フィレンツェのパラティーナ美術館にあります。


    フランシスコ・デ・スルバランの「聖女アガタ」です。モンペリエのファーブル美術館にあります。

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    2012年08月14日 10時05分10秒

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    リナシメント芸術家(1) アミーコ・アスペルティーニ

    一応の目安としてバロック期までの芸術家を対象に、個々の芸術家について、私の独断と偏見に基づき、色々記したいと思います。

    第一回の今日は、マニエリスム期のボローニャの画家アミーコ・アスペルティーニです。

    Amico Aspertini(1474頃ボローニャ生まれ〜1552ボローニャで没)
    ロレンツォ・コスタとフランチェスコ・フランチャに師事した生粋のボローニャ派の画家です。当初は師であるコスタとフランチャの折衷した画風でしたが、ローマ、ルッカ、フィレンツェなど各地を遍歴するうちにペルジーノやラファエロの影響が加わると共に、マニエリスム様式に接近し、最終的にマニエリスムの先駆を成す画風に転じました。筆使いが早く、一作品を完成させるのに時間がかからなかったと言われていますが、残っている作品数は然程多くありません。
    フランチャの様な光沢のある鮮やかな色彩の影響を残しながら、少しくすみを入れたアミーコの色使いが何とも良いと思います。


    ボローニャのサン・ペトロニオ大聖堂です。


    ボローニャのサン・マルティーノ教会です。



    ルッカのサン・フレディアーノ教会です。見事なファサードのモザイクはアミーコとは関係ありません。
    以上、三つの教会の写真を掲載した訳はアミーコの作品があるからです。


    ルッカのグイニージ塔からのルッカの絶景ですが、アミーコとは関係がありません。

    これ迄に私が鑑賞したアミーコの作品リストです。
    ウッフィツィ美術館:「羊飼いの礼拝」「アレッサンドロ・アキリーニの肖像」
    フィレンツェ、パラティーナ美術館:「マギの礼拝」(傑作と思います)
    ボローニャ、国立絵画館:「マギの礼拝」「幼きキリストを崇拝する聖人たち」「聖母子(フレスコ)」「聖家族」
    ボローニャ市立博物館:「聖母子」
    ボローニャ、サン・マルティーノ教会:「聖母子と聖人たち」
    ボローニャ、サン・ペトロニオ大聖堂:「ピエタ」「聖ペトロニオの四つの物語」
    ボローニャ、サン・ジャコモ・マッジョーレ教会サンタ・チェチリア祈祷所:「聖女チェチリアと聖ヴァレンティヌス(チェチリアの夫)の生涯(フレスコ)」(代表作です。場面毎に師匠であるフランチャ、コスタ、アミーコの三人で制作しました)
    ルッカ、グイニージ邸国立博物館:「栄光の聖母子と四聖人」
    ルッカ、サン・フレディアーノ教会:フレスコ
    ブレラ絵画館:「聖カッシアーノ」
    ジェノヴァ、赤の宮殿:「男の肖像」



    ウッフィツィ美術館にある「羊飼いの礼拝」です。


    ブレラ絵画館にある「聖カッシアーノ」です。


    ボローニャのサンタ・チェチリア祈祷所のフレスコです。


    サンタ・チェチリア祈祷所のフレスコで、アミーコが制作したものです。


    同じくアミーコの制作したフレスコです。

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    2012年08月09日 14時06分05秒

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    「美術鑑賞の手助け(4) 聖人の識別 その3」

    ジョット・ディ・ボンドーネの「聖ステファノ」です。フィレンツェのホーン財団美術館で展示されています。
    聖ステファノは、キリスト教信仰の為、最初の殉教者となりましたが、石打で刑が執行されたので、頭部や肩の上に石が描かれることが多い。また、死に対する勝利や殉教の象徴である棕櫚(しゅろ)の枝を持って描かれることがある。聖ステファノは石、棕櫚の枝で特定される。


    ドメニコ・ギルランダイオの「聖ステファノ」です。ブダベストの国立西洋美術館にあります。


    ドメニキーノの「聖女アグネス」です。ウインザーのロイヤル・コレクションにあります。
    聖女アグネスはローマ帝政時代の人で、ローマ総督の息子から求婚された時、既に入信してキリストに身を捧げているので、これを拒んだ事によって処刑されました。アグネスはギリシャ語で「純潔」と言う意味で、その発音が「神の子羊(アグネス・ディ)」と似ていたので、ヒツジと共に描かれる場合が殆どとなっています。仔羊が彼女のアトリビュートになっています。


    フランチェスコ・デ・スルバランの「聖女アポロニア」です。ルーブル美術館にあります。
    聖女アポロニアはローマ帝政時代のアレクサンドリアの人で、歯を全部抜かれる拷問を受け、異教の神をたたえると言わなければ火の中に入れて焼死させると言われたが、僅かのすきを見て自ら火の中に飛び込んで殉教しました。歯を抜いたヤットコの様な道具と共に描かれ、それがアトリビュートになっています。

    次に聖女ルチアに移ります。


    ドメニコ・ベッカフーミの「聖女ルチア」です。シエナの国立絵画館にあります。
    聖女ルチアはシラクーサの人で、304年に殉教しました。名前のルチアはラテン語の「ルクス(光)」に由来することから、ランプを手にして描かれる場合があります。また、彼女に熱心に求婚した男が「貴女の目が誘惑するのだ」と言ったので、自分の目を抉り出し男に与えたと言う伝説と、目を抉り出す拷問を受けたにも拘らず、彼女は目が見えたと言う他の伝説があり、皿に載せられた一対の目と共に描かれることも多いのです。ランプと一対の目が聖女ルチアのアトリビュートになっています。


    カラヴァッジョの「聖女ルチア」の埋葬です。シラクーサのパラッツォ・ベッローモ州立美術館の所蔵ですが、数年前にベッローモ宮の修復工事に伴う美術館閉鎖のため、サンタ・ルチア・アッラ・バディア教会で展示されるようになりました。2012年4月に行きましたが、修復を終わった美術館は開館していましたが、カラヴァッジョは未だ教会の方で展示されていました。カラヴァッジョの作品は、元々聖女ルチアが埋葬されたサンタ・ルチア・アル・セポルクロ教会の主祭壇画として描かれ、数年前までアル・セポクロ教会の主祭壇を飾っていました。


    パラッツォ・ベッローモ州立美術館中庭です。


    正面が現在カラヴァッジョの「聖女ルチアの埋葬」があるサンタ・ルチア・アッラ・バディア教会です。


    アッラ・バディア教会です。赤く見えるのが「カラヴァッジョ作品がここにある」の標識です。


    ナポリ民謡「サンタ・ルチア」で有名なナポリのサンタ・ルチア港です。聖女ルチアはナポリの船乗りたちの守護聖人です。


    ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅です。
    304年殉教した聖女ルチアはサンタ・ルチア・アル・セポルクロ教会に埋葬されましたが、後に彼女の遺体はコンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)に移されました。その理由として、シラクーサがイスラムから攻撃を受けたのでその脅威を避けるため、単に遺体を売った、などの説があります。遺体の売買は我々日本人の想像を絶することですが、キリスト教社会では聖遺物売買は珍しくないようです。
    第四次十字軍はキリスト教徒が同じキリスト教国家を攻撃した不可思議な十字軍でしたが、それに主要な役割を果たし戦勝したヴェネツィアは、聖女ルチアの遺体を戦利品として持ち帰り、今のFS駅の場所に埋葬して教会を建てたのです(サンタ・ルチア教会)。
    ヴェネツィアに鉄道を通すときに、サンタ・ルチア教会の場所に駅を建設することになり、彼女の遺体をサン・ジェレミア教会に移すと共に、教会を合体させて、今のサンティ・ジェレミア・エ・ルチア教会となったのです。


    ヴェネツィアのサンティ・ジェレミア・エ・ルチア教会です。教会の壁に小さな絵が見えませんか?
    パルマ・イル・ジョヴァーネの「聖女ルチア」の写真が壁にかかっています。本物が教会内部にあります。

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  • from: シニョレッリさん

    2012年08月08日 13時16分00秒

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    「美術鑑賞の手助け(3) 聖人の識別 その2」

    フィリッポ・リッピの「聖母子」です。メディチ・リッカルディ宮殿にあります。(下の写真)


    聖母マリアは幼いキリストによって特定されます。つまり、聖母のアトリビュートは幼児キリストなのです。当たり前の様に多くの聖母子絵画を見ていますが、アトリビュートを意識したことが無く、幼児がアトリビュートとは少し意外に思えます。


    アントネッロ・ダ・メッシーナの傑作「受胎告知される聖母」です。パレルモのシチリア州立美術館にあります。(下の写真は美術館中庭)


    「受胎告知」は、聖母単独で描かれる場合、通常、大天使ガブリエルと2枚セットが普通ですが、この作品は飽く迄聖母単独で描かれました。アトリビュートはありませんが、女性の手、表情、書物によって聖母であることを示していると言われています。
    この作品そっくりの精巧な模写がヴェネツィアのアッカデミア美術館にあります。アントネッロの甥であるアントネッロ・デ・サリバの作品です。

    次に聖女カテリーナに行きます。
    紛らわしいことに聖女カテリーナが二人いるので、区別するために「アレキサンドリアの聖女カテリーナ」と「シエナの聖女カテリーナ」と必ずアレキサンドリア、シエナを付けます。



    ミケランジェロ・メリージ通称カラヴァッジョの「アレキサンドリアの聖女カテリーナ」です。マドリッドのティッセン・ボルネミッサ・コレクションにあります。
    大釘の付いた車輪でカテリーナを引き裂こうとした時に、神が車輪を破壊したとの伝説から、大釘付きの車輪はカテリーナの車輪と呼ばれ、アトリビュートになっています。
    また、カテリーナは斬首によって殉教したので、剣を手にして描かれることも多く、剣もアトリビュートになっています。
    説教が得意だったので、書物を手にして描かれることもあります。
    もう一つ、カテリーナには定番と言うべき画題があります。天からの啓示によってキリストの花嫁として指輪を与えられたという伝説を描いた「聖女カテリーナの神秘な結婚」です。沢山の画家が制作しています。


    ドメニコ・ベッカフーミの「聖女カテリーナ(アレキサンドリアの)の神秘な結婚」です。サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館にあります。
    聖女カテリーナの他に聖人も描かれていますが、ここでは触れず、先に行きたいと思います。


    ポンペオ・バトーニの「シエナの聖女カテリーナの法悦」です。ルッカ・グイニージ邸の国立博物館にあります。(下の写真)


    シエナの聖女カテリーナは裕福の家に生まれましたが、ドメニコ会に入り生涯を貧しい人々や病気の人々の救済に捧げたほか、教皇庁をアヴィニョンからローマに戻して、教皇庁の分裂解消に尽力しました。
    キリストと同じ33歳でローマで急死しましたが、シエナの人々は彼女の遺体がシエナに戻ることを強く希望しましたが、許されず、仕方が無いので頭部だけを鞄にに入れて運ぼうとしたところ、検問に引っかかり、鞄が開けられましたが、鞄の中はバラの花びらで一杯になっていました。ところが、シエナに戻って鞄を開けると彼女の頭部があったと言う伝説から、シエナの聖女カテリーナはバラを持った姿で描かれるのが普通で、バラが彼女のアトリビュートとなっています。また、ドメニコ会修道女ですから、ドメニコ会の法衣を着た姿で描かれるのが普通です。


    フラ・バルトロメオの「シエナの聖女カテリーナの神秘な結婚」です。ルーブル美術館にあります。
    シエナの聖女カテリーナは病気になってから自身の手紙の中で「キリストとの結婚」と書いたので、この画題がシエナの聖女カテリーナにもあるのです。
    両方の聖女カテリーナに「神秘な結婚」があるので紛らわしいのですが、シエナの彼女はドメニコ会の法衣を着て描かれるので区別できるのです。


    ローマのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会にシエナの聖女カテリーナの墓があります。写真は同教会前にある象のオベリスクです。

    絵画画像は全てWeb Gallery of Artからの転載です。

    カラヴァッジョの「アレキサンドリアの聖女カテリーナ」と関連して、おまけとして、このモデルの話をしましょう。アトリビュートとは関係ありません。


    再掲します。


    カラヴァッジョの「ホロフェルネスの首を斬るユディト」です。ローマ・バルベリーニ宮の国立古典絵画館にあります。


    ユディトの拡大画像です。
    モデルは同じ人に見えます。


    カラヴァッジョの「フィリーデ・メランドーニの肖像」です。国立ベルリン美術館にありましたが、第二次世界大戦で焼失したとされていますが、ソ連に奪われたと言う説もある様です。
    従来、聖女カテリーナとユディトはこのフィリーデがモデルと言うのが定説でした。私には少し似ていない様な気がずっとしていました。
    日本に於けるカラヴァッジョ研究の第一人者である宮下先生の著書全てには、フィリーデがモデルと書いてあります。
    ところが二年前、この二つの作品のモデルは殆ど無名の画家ロレンツォ・カルリの未亡人ファウスティーナであるとの新説が出されました。その後、どうなっているのか、私には分かりませんが興味津々です。
    ところで、フィリーデですが、フィレンツェの貴族ジュリオ・ストロッツィの情婦を経て、ラヌッチョ・トッマソーニの女になった高級娼婦です。後にカラヴァッジョがラヌッチョを殺して、逃亡の旅に出ることになりました。何かと因縁がありますね。

    さて、おまけのおまけは、昨日の「四聖人」です。


    教会の中でフラッシュ無しで撮ると、画像がはっきりしません。と言う訳で、私が絵画作品の写真を撮ることは滅多にありません。

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  • from: シニョレッリさん

    2012年08月07日 10時57分59秒

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    「美術鑑賞の手助け(2) 聖人の識別 その1」
    ルネサンス絵画の定番と言うべき画題に「聖母子と聖人たち」や「聖人たち」があります。

    その聖人たちを特定出来れば、絵画鑑賞が更に楽しくなるでしょう。
    聖人が何を持っているか、何と共に描かれているかによって、聖人が特定出来るのです。それをアトリビュート(持物)と言います。
    アトリビュートは絵画鑑賞の基本中の基本で、西欧では多分常識なのでしょうが、何故か日本ではアトリビュートに言及した書物が少なく、あまり馴染みがありません。
    と言う訳で、今回は老婆心ながらアトリビュートの話をします。既にご存知の方々が沢山いると思いますが、その場合はご容赦を。


    ルッカのサン・ミケーレ・イン・フォロ教会です。ピサ・ルッカ様式のファサードが印象的です。
    この教会の右翼廊にフィリピーノ・リッピの板絵「四聖人」があります。


    左に描かれているのは聖ロッコです。ペストの治癒に力を入れたので、ペストに対する守護聖人となっています。聖ロッコは、自分の足の一部を犬に分け与え食べさせたと言われているので、足に傷をして描かれたり、時に犬と共に描かれます。足のキズ、犬などが聖ロッコのアトリビュートです。
    聖ロッコの隣に弓矢を手にして描かれているのは聖セバスティアヌスです。聖セバスティアヌスはキリスト教に改宗したローマ軍の兵士で、兵役拒否をしたことで軍によって弓矢で射られ殉教したので、弓矢がアトリビュートとなっています。ただ、この作品の様に弓矢を手にして描かれることは少なく、多くの場合、下の作品のように弓矢で処刑された若者として描かれます。


    ポッライウォーロ兄弟の「聖セバスティアヌスの殉教」です。ロンドン・ナショナル・ギャラリーにあります。

    聖セバスティアヌスの隣は聖ヒロエニムスです。教会博士の聖ヒロエニムスは、聖書をラテン語に訳し、後で枢機卿の位を追贈されましたが、ライオンの足に刺さったトゲを抜いてやった逸話が残っています。それらの事から枢機卿の法衣である緋の衣を着て、書物(ラテン語訳聖書)を手にして、ライオンと共に描かれます。この作品でも足もとにライオンが描かれています。
    右の女性は聖ヘレナです。キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝の母ヘレナは、真の十字架を発見したことから、十字架がアトリビュートとなっています。

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