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from: しゅーほーさん

2013年09月17日 00時53分42秒

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研修報告その1 家族って?

今回のホスト支部、神戸の方の研修で始まった合同研修。二つあるうちのテーマの一つが、家族についてでした。「家族は絶対的な居場所・いつでも帰って来れる居場

今回のホスト支部、神戸の方の研修で始まった合同研修。
二つあるうちのテーマの一つが、家族についてでした。

「家族は絶対的な居場所・いつでも帰って来れる居場所」
であると同時に
「逃げたくても逃げられない場所」
でもある。
前者であればいいのですが、VFMに寄せられる悩みの多くは、背景に後者の家族が見え隠れしています。
そもそも、前者のような家族であれば、自分たちVFMのような存在など無くとも、困りごとを相談して、思いを話して、なんとかうまいことやっていくことができるのかも…?
そんな事を感じつつ、中には「家族関係は良いけれど、それゆえに迷惑をかけたくないから相談できない」という人もいます。
所詮はたくさんある「集団」の中の一つでしかないのに、簡単には捨て去ることができない。
そして子どもにとっては、活動範囲が狭い分、家族という集団がものすごく大きな比重を占めている。
そんな「家族」という存在ですが、求めるものも、理想とする形は、人それぞれに違いがあります。
あなたは、家族という集団について、どのような思いを抱いているでしょうか。

色々な話が出てきましたが、ここでは「家族の役割」について話す中で出てきたことを二つ取り上げてみようと思います。

一つ目は「無償性」。
…見返りを求めない。
「老後は子どもに面倒を見てもらおう」と考えている親も多いことでしょうから、果たしてどこまで「無償」と言えるかは何とも言えませんが。
時には「下心」があるとしても、ほとんどの行為は「無償」…これをやったから、代わりにあれをしてもらおうといった考えには基づかない行為なのではないか。
そんな行為によって支えられているのが家族なのだろう、といった話が出てきました。
これは「思いやり」「おもてなし」といった精神が根付いている国にあっては、親しい間柄であれば家族以外にも共通する部分が多いのかもしれません。
いずれにしても確かなのは、成長していく上では「見返りを求められない、無償の愛」が絶対に欠かせないこと。
子どもにとっての家族が「居場所」となるかどうかは、突き詰めれば「無償性」の有無にかかる部分が多いのではないでしょうか。

もう一つ取り上げたいのは「役割」「責任」
いくら無償の愛に支えられているといっても、集団を構成する一人一人が何かしらの役割をもっていなければ、いつかは関係がうまくいかなくなっていくことでしょう。
周りのために、自分にできる役割を、責任をもって果たす。
これもやはり、どんな集団にあっても共通して欠かせないことではないでしょうか。

話は少し逸れますが、ひきこもり状態を改善していくための第一歩が、本人にできる家族内での「役割」をもたせることだとよく言われています。
掃除でも、お遣いでも、ペットの散歩でも、何であっても。
人のために動くこと…家族とは比にならないほど大きな集団である「社会」に戻るために、自分にも果たせる役割があるという事を再認識する。
そんなプロセスだと言えるのではと思います。


…話を戻して。
このテーマ内で最も印象深かったのが、この「役割」です。
家族の役割というと、掃除とか洗濯とか、そういう「仕事」について考える人がほとんどではないかと思いますが、今回はまったく別の「役割」が提示されました。
提示された役割は5つ。

1つ目は「ヒーロー」。もしくは「ヒロイン」「スター」。
→成功者や優等生となり、家族の幸せを作り出す構成員。
…ちびまる子ちゃんで例えるなら、花輪君やスポーツ万能の大野・杉山コンビあたりがこれでしょうか。
優等生でも、丸尾君をヒーローと評するのはちょっと…(苦笑
それはさておき、家族にとって輝かしい存在となるのが「ヒーロー」です。
が、そういう立場を保つために頑張りすぎて燃え尽きてしまう、何か失敗すると立ち直れない、他の家族にとっては「自分にはあんな輝かしさは無い」と、無価値観を与えてしまう…などなど。
そんな側面も持つ役割です。

2つ目は「チャーマー」。別名「マスコット」「ピエロ」
→文字通り、家族内での「アイドル的存在」としてみんなを助けてくれる構成員。
…笑いを取ったり楽しませたり。いてくれるだけで周りがほっこり。
「ピエロ」という役割でいけば、ちびまる子ちゃんの「山田君」はまさにこれでしょう(笑
磯野家の「たま」や野原家の「シロ」のように、ペットを飼っている家では人間以外の何かがこの役割を果たす場合もありそうですね。
ペットなら問題ないのですが、人間の場合問題となるのは、「可愛がられる対象」であるためには「子ども」でいなければならないこと。
それゆえ、いつまでもこの立場でいようとすると、自立した大人にはなり難い部分があります。
また、子どもであり、可愛がられる立場なので、自分で何かをするという場面が減り、自信がもてなくなる、マスコット的立場を「演じる」感覚が強くなれば、自分は本当に愛されているのだろうかという疑問が湧いてくる…
一見「おいしい立場」のように見えて、そんな立場だからこその辛さも生じ得る役割です。

3つ目は「殉職者」「犠牲者」
→家族の痛みや苦しみを引き受け、家族を助ける役割
…3つ目にして、突如重い役割が登場。
これは簡単に「あぁ、母親がこの立場であることが多そうだな」と想像がつきます。
お昼まではパート、帰ってこればみんなのために面倒な家事。
お父ちゃんが帰ってくれば「飯」「酒」「風呂」(苦笑
そんな役割をこなしてくれるからこそ回っている家族。きっとたくさんあります。
「父の日」はほとんど注目されないのに、「母の日」だけはものすごく大々的に取り上げられるあたりを見ると、目にする家族のほとんどがそういう家族だと言っても良いのかも分かりません。
こんな役割であるが故に生じる負の側面は、あえて例示するまでもないでしょう。

4つ目は「傍観者」。
→家族から少し距離を置いている。
…家族の中に居場所が感じられない場合もあり、「家なき子」なる別名ももつ役割です。
傍観しているのに「役割」となるのは、家族を客観的に見つめることができるので。
何か問題が生じた時は、他の家族よりも解決方法が見つけやすいポジションなのです。
アニメに出てくる人物に例えるならば、ムーミン谷に出没するスナフキンあたりが当てはまるのでしょうか。あまり自信はありません。
この立場は「傍観者」であるが故に、分離感や孤独感を抱えやすく、つながりが薄いために引きこもりや「ひねくれ者」ともなりがちなのだそうで。
自分のペースで進んでいける分、周りから見れば自分勝手に見えたり、主体的な関わりが薄いために、解決策はもっていてもそれを生かして解決させるまでには至らなかったりと。
一見楽なように見えて、周りからの視線や「自信のもちにくさや無力感」に耐える力が無ければやっていけない、そんな立場でもあるようです。

最後に出てくるのは…「問題児」。もしくは「悪役」「スケープゴート」
→問題を起こすものの、それを解決しようとする家族の結束は高まったり、家族内の別の問題から目を背けるためのきっかけとなったり…。
とても想像しやすい立場です。…ずいぶんとショック療法的な役割(苦笑
意外と身近にいるのかも分かりません。
例えば「合唱コンクールが近いのに、全然練習しない男子!」(笑
熱心な女子が声をかけるも無視されて、泣き出して、クラスの中で一悶着起きるも最終的には団結することができて、うまくいく。
そんなコテコテの展開を何かで目にしたことがある人、きっと多いことでしょう。
当人にしてみれば、なにしろ「悪役」なので…。
それゆえの「負の側面」がたくさんあることは、いうまでもありません。


・・・と、長くなりましたが、こんな5つの役割で「家族」を見つめると。
何か、それまでには無かった「家族」の考え方ができるように感じました。
「役割」として考えられることで、何かしらその役割をもって状況を変えることもできるのではないか…と。
家族関係に関する悩みを受けた時などは、5つの役割がもつ視点を生かせる場面もあるかもしれません。

ちなみに、上記の役割は「兼任」できるので。
ヒーローであってなおかつチャーマーとか、そういう場合もあり得ます。
自分の場合は「3:4:5=4:4:2」といった割合でしょうか(笑
自分の家族について、5つの役割から誰がどんな役割をもっているのかを見つめてみると、意外と面白いかもしれませんね。

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from: しゅーほーさん

2013年09月17日 01時36分06秒

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研修報告その1の続き 「死生観」

…神戸支部2つ目のテーマが、これでした。
ずいぶんと重い…この後に自分のテーマって勘弁してくれよ、と(笑
そんな事を感じつつ、べつに秘密にもしませんでしたが、重いテーマであってそれ故に重要でもある内容です。

なにしろ

「消えたい」

「死にたい」

「生きる意味が分からない」

…相談を受ける上では避けて通れない言葉。ビッグスリーです。
一言ポンっと「消えたい」と送ってくる子の相談を受けた経験があるメンバー、きっと多いです。
掲示板の書き込みいっぱいに「死にたい」を連呼している投稿なんかも、探せばたくさん見つかります。
なにしろ我らが素晴らしき国ニッポン、先進国の中で唯一「若者の死因第一位:自殺」というとんでもない国です。
中年層を見ても、若者以上に自殺者数が多く、しかも近年増加傾向にあって。
全体的に見ても、先進国の中ではやはり「(ロシアと並んで)自殺者数がずば抜けて多い」

あまり意識される場面は少ないかもしれませんし、その方が良いのかも分かりませんが。

「生と死は隣り合わせ」

だからこそ、死生観というのはもっと真剣に考えられるべき題材なのかもしれません。


今回は「生きる意味」を中心に、自分の考えを深めていくことが中心となりましたが…。
生きる意味。ありますか?
自分の場合、「死」に近づいて行くと、どうも「生きる意味」が無くなってしまうのではないかということに思い至りました。
順当に(??)いけば、自分が死ぬ時というのは、歳をとって、衰えて、病気になるとか衰弱するとか、そういうプロセスを経ての「終わり」を意味するのでしょう。
だとすれば…今できていることは、終わりに近づくと共にどんどんできなくなっていく。
言われてみれば当たり前ですよね。
…では、その「できなくなること」に生きる意味が含まれているとすれば。
はたして、新たな価値を見出すことはできるのか。

自分を例にとってみれば、生きる意味はズバリ「社会への貢献」。
…それゆえ、もっとも貢献できるであろう選択肢として、今の仕事を選びました。
この「貢献」の裏にあるのは、ある時まで感謝を忘れていた自分に対する戒めでもあり。
元対人恐怖もちの人間としては不思議なことに、生きる意味をもつためには社会とのつながりが欠かせない。
そんなことに気づきました。
が、同時に。
もしも今病気になって入院、闘病生活となれば、真っ先に「生きる意味」である仕事が無くなり、おまけに趣味として残るのも読書だけ。
自転車でうろついたり、ヘタクソさを生かした珍プレー・好プレーをスポーツで意図せず披露したりということはできなくなるし…
なにより、社会とのつながりもほとんどないに等しくなってしまう。
ずーっとベッドの上でパソコンをカタカタやっている生活なんて言うのは、いくらそこに「つながり」があるとしても、あまりにも辛い…。

「できなくなって辛いこと」「なくなっちゃうと辛いもの」。
これはどのメンバーも持っていたようですが、一人違ったのは全国顧問の泉さん。

「あるものが無くなった時点で、もうどれも心残りなく諦められるようになった」

…年の功というものか(笑
少なくとも、若者世代にとっては「捨てられない大切なもの」…それが趣味であれ何であれ、とにかくそういうものが必要に違いないと思うのですが。
ある程度以上の年齢になり、望ましい形で経験を積んで行くと。
言うならば「完全燃焼」という形で、思い残すものは何もなく、すべてを置き去って「終わり」を迎えられるのかもしれない。
そんなことも感じました。
という事を書くと、「このVFMって団体の顧問はかなり高齢の方なんだな」と思われてしまいそうですが…(苦笑

漠然と「それなりの死生観」は持っているつもりでいた自分も、よくよく考えてみれば気づけていない部分があったのだなぁ、と。
そんなことに気づいた研修でした。
もしもメンバーが集まる回があれば、この研修はぜひ名古屋にも持ち帰りたいなぁと思っています。

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