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from: ただの猫さん

2022年09月19日 09時34分45秒

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猫の談話室

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from: ただの猫さん

2023年06月29日 20時55分06秒

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緑の植物は 生命エネルギー

https://news.yahoo.co.jp/articles/852a50d6491a85d4e9f57295b7092f0953764f25

我輩は 緑の植物が大好きで 雑草も大好き だから雑草がない都会では 生命力が「萎える」

しかし田舎は 緑の雑草があるので 緑に惹かれ 毎日 緑の山 緑の野原に行っている

そうすると 生命力が漲り まだ中学3年生の気分になる 緑の自然は 間違いなく生命エネルギーを与えている

若さの秘訣は 緑の自然に 身を置くことである

人は都会化と共に 老化に向かい 緑の雑草と共に 若き頃に向かう

我輩は 緑の雑草 大愛好家で いまだ 肉体も精神も 中学3年生

雑草を 闇雲に 刈り取ってはならぬ

緑の雑草こそ 生命エネルギーだからだ

雑草を見るがいい 踏まれても ションベンを掛けられても 刈り取られても 「逞しく成長している」

緑の雑草こそ 生命エネルギーである ユングも それが分かっちゃいなかった

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from: ただの猫さん

2023年06月30日 20時16分19秒

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いまだ邪馬台国論争

https://news.yahoo.co.jp/articles/10cf0630ca3700b9c26502ebbc542d9cc46f0c31

個人的には 吉野ケ里が 邪馬台国だったと思う

理由は「邪馬台国」と「卑弥呼」の名称

これは「邪(よこしま)な馬の 台国」 「卑(いやしい)弥呼」になっている

これは シナの「魏の国」の魏人が 倭人を「夷《野蛮)」として見下げていた証拠

理由は 西暦200年の頃 漢王朝が 滅亡する

この漢王朝に服属していた民が、漢族で 前漢の武帝が ユーラシア大陸の大部分を征服 漢王朝の支配下に置いたため 漢族こそが「世界の中心となる華」で「中華」と自称

他の民族を 夷(蛮族)として見下す 華夷秩序の思想を築く これが俗にいう「中華思想」

その漢王朝が 西暦200年の頃 滅亡 そのため漢王朝に仕えていた漢族の「曹操(そうそう)」という男が「漢王朝を引き継ぎ 魏の国」を築く

これが漢王朝の次の「魏 呉 蜀」の「3国時代」

漢王朝時代は 前漢と後漢の別れ 後漢時代 西暦57年 倭国の奴国の王が 後漢の皇帝に朝貢をなし 後漢の皇帝から 奴国の国王として承認され 金印王爾「漢委奴国王」印を授かっている

この金印王爾が 福岡志賀島で発見されている

そして同じく後漢時代の西暦173年 今度は 邪馬台国の卑弥呼が 後漢の皇帝が支配する半島の帯方郡に使節を送っている

これらは 後漢の漢書「東夷伝」に書き残されている

この後漢で 漢王朝は 西暦200年の頃 崩壊 そして漢王朝に仕えていた漢族野「曹操」が 魏の国を築く

そして 魏の皇帝が 魏人の使節を 倭国に送る そして 使節に魏人が倭国で見聞した事柄を見聞録として書き残す

当時 倭国には まだ文字がなく 使節だった「魏人(漢族)」が 漢字で「邪馬台国」と名付ける

使節の魏人とは 漢王朝を引き継いだ「漢族」で「華夷秩序」で 他の民族を「夷(蛮族)」として「見くだしていた」ので 訪れた倭国を「邪(よこしま)な馬の台国」と名付け 見下げている

さらに指導者の女を 華夷秩序で「卑しい弥呼」と名付け 見くだしている

倭国を訪れた魏人は 飼いならしていない じゃじゃ馬の「野生の馬」が生息していたので 野生の馬に因み「邪馬」と名付ける

野生の馬は 通常 山林地帯には草がないので「丘陵状の草原に生息」する

そこで 魏人は 野生の馬(邪馬)がいる 丘陵状(台地)で 邪馬台国と名付ける

ここで 吉野ケ里に行けば分る

この「魏の国」の時代 邪馬台国の卑弥呼が 西暦239年 魏の皇帝から 邪馬台国の王として承認され 金印王爾の「親魏倭王」の金印を授けられている・・・文字通り「魏とは親しい倭国の王」=卑弥呼

吉野ケ里は「丘陵状の台地」になっている だから弥生時代 吉野ケ里に「野生の馬」が生息していたので 魏人は「邪馬台国」と名付ける

いまでも宮崎の都井岬には 野生の馬が生息している この丘陵状の光景と 吉野ケ里は「同じ丘陵状の台地」になっている

https://www.tabirai.net/sightseeing/tatsujin/0000480.aspx

以上の理由により 吉野ケ里が 邪馬台国だったと思う

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