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なんでもカフェ
いらっしゃ~い。ここはまったりゆったり、なんでもおしゃべりできる場所クー。
特にお構いはしないけど、どうぞ気楽に自由にくつろいでいって欲しいのクー。
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from: 福ちゃんはるちゃんさん
2025/01/01 16:53:53
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今日の小さな幸せ~みっけた🌈🕊️🍀
日常の中のちょっとした出来事をお話しするコーナーだ😺にゃんどなたでも、参加出来ますよ~😽😺よろしくお願いします🐾
日常の中のちょっとした出来事を
お話しするコーナーだ😺にゃん
どなたでも、参加出来ますよ~😽
😺よろしくお願いします🐾
from: 福ちゃんはるちゃんさん
12時間前
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私が学生の頃、社会の授業では「ユーゴスラビア(首都はベオグラード)」でドナウ川が流れている、一つの国として存在していました
その後、内戦が起こったニュースを見ました
サッカーの大きな大会でご自身の国旗を持って、「世界平和」を訴えた選手がいたと思うのですが…すみません、うろ覚えで記憶違いかも…
また、高校の英語の授業中に「湾岸戦争」が勃発して、授業を中断して、爆撃される映像をテレビで観ていました。その後、基地のある沖縄が戦闘に巻き込まれるのでは…と言う話にはなりましたが、お昼はいつも通り食べていたのが…少し異様と言うか、若き日の私達は、対岸の火事のように捉えていたのかも…
eichan様は、戦後旧ユーゴスラビアを訪れたのですね…
写真の建物の壁に銃弾の跡がありますが、洗濯物が干されているので、そのまま生活をされている方もいるのですよね…
この戦争の痕跡を見ながら、子供たちは成長して行くのでしょうか…
画像の地図の3/4が黒い点で印されている、都心部の建物が殆んど壊滅して、多くの方が命を落とされたのですよね…
話がだいぶズレますが…
中学校を卒業して数年後、運動場の整備工事中に、「○十キロ不発弾、数個発見されました」と報道されてビックリした事があります
不発弾に伸管が残っていたのかは覚えていませんが、もし、運動場で体育の授業中に爆発したら、大変な事になっていたと思います
戦後何十年も経過しても、地中には多くの人の命を奪った爆発が残っていることを「負の遺産」と言っています…
ただ、不発弾は、現代の生活に支障をきたしていますが、爆発しなかった事で、戦争中、逃げ惑う人の命が奪われずに済んだ
のだと…考える事もあり、複雑な心境でもあります…
また、原爆の被爆地「長崎の平和祈念象や資料館」と「沖縄の平和祈念資料館」訪れた事がありますが…、同級生の反応は様々でした
展示された写真や資料を素通りして、「出口はまだ先なの~、この後は、昼休憩だって…」「当時の水筒だけど、水が入っている、腐っているんじゃない、嗅いでみる…」と同じ世代の人が悲惨な目に遭った話を授業で聞いて、ここに来ているのに…
この同級生はどんな大人になって、自分の子供にどんな風に戦争や平和について話をするのだろうか…と思い悲しくなりました
沖縄は、6月23日は「慰霊の日」で学校や公共機関もお休みになります
ただ、この日の意味を知らずに「何かの日で休み、やったー」と言う子供もいるので…
eichan様、このトピックは、ちょっとした日常の出来事を投稿する場所でしたが…、お花の投稿から平和について、そして近隣の戦争についてのお話になってしまいましたが…気付いたら重い感じのやり取りになっていますが、大丈夫でしょうか…
from: eichanさん
2025/05/02 21:03:39
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福ちゃんはるちゃん様






まだまだ我々に比べると若い貴女がお肌の潤いを気にされると気にされる
牡丹とシャクヤクの違いはその内、同じ個所に黄色い牡丹と赤いシャクヤクが咲くのでお見せしますよ。
葉牡丹、これはキャベツの仲間ですから全く牡丹には関係がないですよね。
私の花の投稿がお役に立てば私も嬉しい限りです。
>草木花を通して、四季を感じる事が出来るのは、日本が平和であるからかと...🌈🌷
その通りですね、平和でないと式を感じることは無いですから。
その昔というか、2009年に旧ユーゴスラビア解体に伴って誕生した、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スロベニア・モンテネグロへ旅しました。
その時クロアチアをイタリア国境から南下する時、戦争の傷跡の村が破壊された廃墟や、ドブロブニクという世界遺産の街を見たとき、爆撃や弾痕が街中のほとんどの建物を襲った写真を見せられたり、ボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産の古橋を見るとき、日本だとマンションというでh層けど、アパートの壁にも弾痕の跡が見えたり、通りに面した建物は屋根も無く壁も弾痕でレンガが剥き出しの建物を見ました。
何より胸が痛んだのは、古橋へ行く途中の町角で、30代の終わりと見える母親と小学2年生くらいの女の子がマネーと言いながら私達について歩くなど、日本ではついぞ見なくなった乞食の格好そのままの姿を見たとき、戦争の悲惨さを思い起こしました。
私も65・6年前には駅の構内や列車の中へ傷痍軍人が沢山おられた光景を見ていましたから、戦争は起こしてはいけないことを知っていますし、亡き父はS12年の日誌事変には中支へいて実践真っただ中を経験し、広島原爆投下翌日の早朝には片付けに入っていたので被爆者でもありました。
今は戦争も知ることは無い良き時代ですが、そうは云ってもお隣には大国が2国に小さな国でありながら、核開発をしている国もあることを心してい置かないと、とも思います。
ボスニアの古橋とその時見た被災建物です。 上流から
下流から古橋を
被災建物
世界遺産ドブロブニクをスルジ山より
この中を歩くときは入り口に被災建物を著した地図が壁にありました。黒い印は被災建物のようです。上の写真は山が北側へあるので、地図の一番上の丸い箇所が写真の右手前の丸いところになります。
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