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from: ことのは帖さん
2026/07/25 16:43:10
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🌿『猫から熊へ――経済界の立志伝になりつつある人たち』
きっかけは、正直に言えば小さな不満だった。楽天のいわゆる「三木谷ポイント」と呼ばれる仕組みで、私は少し引っかかる思いをした。楽天回線に乗り換えるとポイ
きっかけは、正直に言えば小さな不満だった。
楽天のいわゆる「三木谷ポイント」と呼ばれる仕組みで、私は少し引っかかる思いをした。
楽天回線に乗り換えるとポイントが付く。
一見すると利用者への大きなサービスに見える。
しかし実際には、誰にでも同じように分かりやすく与えられるものではなく、申請した人、確認した人が得をするような仕組みに感じられた。
その時、ふと思った。
「大きな企業になった今でも、こういう細かな仕掛けで人を動かすのか」と。
そこから興味は、単なるポイントの話ではなく、三木谷浩史という人物そのものへ向かっていった。
そして、頭に浮かんだもう一人の人物がいる。
ソフトバンクの孫正義 氏である。
今では誰もが知る大企業だが、創業当初は決して今のような圧倒的な存在ではなかった。
既存の巨大企業が持つ信用や設備、長年の実績に対して、後から参入する側は同じ戦い方では勝てない。
だからこそ、彼らには彼らなりの戦い方があった。
ソフトバンクは、当時としては「そこまでやるのか」と思わせるような、遊び心のあるキャンペーンを次々に打ち出した。
物品プレゼントやデジタル関連の特典など、消費者の心をつかむ仕掛けは、それまでの通信会社にはなかった新鮮さがあった。
一方、楽天はポイントという分かりやすい武器を前面に出した。
カード事業とも結びつけながら、「使えば得をする」という感覚を人々に広げ、テレビCMなどで強く印象づけていった。
方法は違っても、どちらも後発企業ならではの知恵だったのだと思う。
大企業が「安心」や「実績」で勝負するなら、彼らは「驚き」や「お得感」で人の心を動かした。
そうして気がつけば、小さかった存在は大きな影響力を持つまでになった。
まさに、猫がいつの間にか熊になるような変化である。
もちろん、私は彼らをただ称賛したいわけではない。
小さな違和感を覚える部分もある。
しかし同時に、時代の流れを読み、巨大な壁に挑み、実際に社会を変えてしまった力には、認めざるを得ないものもある。
創業者が最初に持っていた情熱や反骨精神は、巨大企業になった後も残り続けるのだろうか。
それとも、成長の中で別のものへ変化していくのだろうか。
変化の速度がますます速くなる今、その行方を私たちは見届けていくことになる。
小さな違和感から始まった興味が、いつの間にか時代を動かした人物たちを見る視点になっていた。
そんなことを考えた一件だった。
from: ことのは帖さん
2026/08/01 10:28:31
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😎 刑事ドラマのお国事情
■ なぜ今また海外ドラマに刑事ものが多いのか
NHK BSではアンコール放送や新作を交えて、刑事ドラマが実に多くなっている気がする。
定番の老舗「刑事コロンボ」から始まり、
・「刑事モース」英
・「刑事フォイル」英
・「アストリッドとラファエル」仏
そして8月から放映の
・「刑事マードック」加
と、各国の作品群が並ぶ。
ヒーローである刑事の個性的な魅力の描き方は、やはり日本のドラマとは違う。
クライマックスで崖っぷちや大富豪の庭園の中などで、事件の伏線回収をするような演出はほとんどない。
つまり、逮捕前に犯人と刑事が立ちっぱなしで種明かしをする、あの“説明場面”がないのだ。
では刑事ドラマはリアルかというと、そうでもない。
発端も経緯も顛末も実に人間臭く、判断に迷うところが多い。
時代が政治の暴走と憎しみを煽り、全体主義の思想を生み、それを拒絶するもの、黙して従うもの、それぞれが強く反応する。
平凡そうな暮らしから始まる家族関係の崩壊、愛欲、金欲、恨み。
今回取り上げた海外ドラマの背景には、第一次世界大戦前後の影が濃いものが多い。
ヨーロッパ大陸という地続きの土地柄、お国柄の違いは是々非々としてはっきりしているのだ。
主人公の刑事は、日本のドラマに出てくる刑事とは少し異なり、それぞれが職務に対する個性と主義を持っている。
体制に迎合するわけでもなく、かといって型破りで破天荒すぎるわけでもない。
漫画チックで過剰に反逆的という感じでもない。
人間としてはむしろ円満で、現実の延長にいる存在として描かれている。
だからこそ、リアルさを映し出し、見ていて普通に納得できる静かなドラマが多いのだと思う。
日本の「伝七捕物帳」や「銭形平次捕物控」は大好きだけどね🥰



from: ことのは帖さん
2026/07/29 19:36:42
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🌿 サンブル川の事件
前回も触れたが、サン
ブル川流域の町に暮らす一見どこにでもいる小市民的な男が、30年にわたり56人もの女性に対してレイプを繰り返していた。
フランスとベルギーの国境を流れるサンブル川沿いは、労働者階級の人々が多く暮らす、静かな田舎町である。そんな場所で、誠実そうに見える家庭持ちの男が、なぜ早朝を狙い、無抵抗な女性たちを次々と襲ったのか。
その背景を辿れば、彼の家庭環境に行き着くのだろう。そしてそれは、彼自身の人生を歪ませる動機ともなっていったに違いない。もし彼が未成年であったなら、「やったことは悪いが、そうなった環境にも問題がある」と、社会はある程度の同情や更生の余地を見出したかもしれない。
しかし逮捕時、彼はすでに妻も子も孫もいる初老の男だった。そこに同情の余地はない。判決は、彼の歪んだ性癖と犯罪性そのものに向けられることになる。当然の帰結だ。
一方で、なぜ30年もの間、この犯罪は見過ごされてきたのか。
それは彼が、あまりにも「普通」で「勤勉」な生活を送っていたからに他ならない。少年サッカーのコーチを務め、警察関係者とも親しく交流していた。つまり彼は、自らに向けられている捜査情報にさえ触れうる立場にいたのである。
後にその事実に気づいた警察官の友人は、愕然としたのだろう。定年を待たず職を辞し、町を去ったという。
そして問題は、残された家族である。
妻や娘は、このおぞましい犯罪を前にして、彼を夫として、父として受け入れることができるのか。懲役22年を経て罪を償ったとしても、その事実は消えない。80歳を超えた彼にとって、残された時間の中で更生とは何を意味するのか。
さらに見逃せないのは、この長い時間的空白の背景にある構造である。調べれば調べるほど、警察という組織が一度動き出すと簡単には止まれない性質と同時に、ヨーロッパ社会においてもなお残る男尊女卑的な価値観が、どこかで影を落としていたことに驚かされる。被害の訴えが軽く扱われ、結果として犯人追及の遅延を招いた側面があったとすれば、それは単なる個人の犯罪ではなく、社会そのものの問題でもあるだろう。
本人は、副人格の存在を理由にしたかったようだ。しかし実際には、過去の経験が深層心理の奥から浮かび上がり、理性を失わせたのではないか。もはや自分では止められず、誰かに暴かれ、告白させられることをどこかで望んでいた――そんな他力本願的な衝動すら感じられる。
それにしても、最初の事件からなぜここまで長く見逃され続けたのか。その問いは、この事件の本質を静かに突きつけている。
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