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from: むんこ - 2さん

2012年03月18日 19時18分07秒

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思い出の曲 (カーペンターズ)

今日はまた久しぶりにyoutubeでいろいろな曲を聴いていた。昔よく聞いたアーチストが今も現役で活動しているのも、どうしているかなとか、探してしまうの

今日はまた久しぶりにyoutubeでいろいろな曲を聴いていた。昔よく聞いたアーチストが今も現役で活動しているのも、どうしているかなとか、探してしまうのだけど、見つけても・・・結局見なかった方が良かったかなぁと、思うこともある。・・とすると、結局いつも昔の曲を聴くことになる。

流行した当時はそれほど気にならなかったけど、今聴くと本当にいい曲だなぁと思う曲にめぐり会うと幸せな気分になる。

カーペンターズ・・・流行した当時に聴いてるなんて奴がいたら、軟弱な奴だなと、表面は繕っただろうな。

でも実は今だから言える・・・・中3の時「雨の日と月曜日は/カーペンターズ」のシングルを買っていた。その前に流行した「遥かなる影(close to you)」が好きで、その続編みたいな感じで、うれしくて購入し、聴いていた・・・。

カーペンターズは、その後「yesterday once more」とか「top of the world」の快進撃が実はうれしかったりした。

改めて、今日聴いていて、カーペンターズの曲だいたい好きだけど、
これがいいかなと、思う。あの頃、ラジオで本当によくかかっていたと思う。

○Close To You (遥かなる影)
http://www.youtube.com/watch?v=mqJPIh_pw3Y

○Superstar
http://www.youtube.com/watch?v=yu0rAdzVD2Y&feature=related

○Yesterday Once More
http://www.youtube.com/watch?v=rcAyJYdz5cA&feature=related

○Rainy Days And Mondays(雨の日と月曜日は)
http://www.youtube.com/watch?v=TADXA1651Mw&feature=related

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from: むんこ - 2さん

2012年03月25日 09時43分18秒

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「Re:Re:思い出の曲 (山下達郎) 力作でぇ〜す。」

1975年10月31日、イシバシステッチコンサートが始まった。私には日仏会館は何度も通っているので、自分の居場所があるような、安心感を与えてくれるような場所であった。当時はあまり感じ無かったが、あまり広くも無く、ステージとの一体感を感じさせてくれるぐらいな広さだったと思う。今から考えると、200〜300ぐらいの座席数か。

まずは勝ち抜いたバンドがどんどん出てきた。先に話した「TULSA」を見るのが何より楽しみだったが、他のバンドで心に残っているバンドが2つある。

ひとつはドゥービーブラザースのコピーバンド。ドゥビーの曲「ジーザスイズオールライト」のコピーが迫力があった。あっ、この曲こんなにいい曲なんだって感じだった。
 当時の洋楽状況は、個人的には?その前のイギリス一辺倒は終わり・・アメリカのウェストコーストを聴いていた。(あとオールマンとかの南部かな。)ドゥービーとイーグルスがウェストコーストの代表バンドという感じだった。あとスティーリーダンかな。・・・で、それなりに、どれもよく聴いていたこともあり、うれしかったな。
 完全コピーバンドはドゥービーと同じ編成で、ダブルドラムとか、パーカッションが入っいた。やはり人数が多いと、迫力があるなとか。素人バンドだと、多人数は、当時はあり得なかった・・・ほとんどは、3人か4人が普通だったかな。

ニールヤングのそっくりさんも出ていた。顔はそんなに似ていなかったが、着ているものがデニムの上下とか?・・本物に少しでもアプローチしようとしているのは、登場して、すぐに誰でもわかった。はっきり言って、汚い感じ(当時の私が人のことは言えないのですが・・・)ステージはもちろん、彼一人マーチンアコギ一本だった。
 演奏が始まった。「オンザウェイホーム」が始まった。ギターのイントロが始まると拍手が湧きあがった。私は彼を見るのが初めてだったが、きっと今までに見た応援団もたくさんいただろう、
 本物そのままのコピーだった。ニールヤングのあの叩くような弾き方・・うれしくなった。さらに歌もそっくりだった。当時本物のニールヤングは見れなかったので、こういうコピーだけで、充分幸せだった。(因みに翌年高校3年の時、ニールヤングが来日した。もちろん見に行った。)
 当時のニールヤングのベスト盤は、「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」か「ハーベスト」だったから・・演奏したのは、あとやったのは「テルミーホワイ」だったかな?・・「孤独の旅路」はやらなかったのは覚えている・・というのは、1番のヒット曲だったから、やるかなと思ったが、やらなかったからだ。

素人バンドのトリだったと思う。私の期待するギター・ベース・ドラムの3人バンド「TULSA」が登場した。もう会場は大盛り上がりだった。今までの出場とかで私のようなファンがたくさんいたのだと思う。
ギタリストの彼、太っていて、風采はパッとしない感じだが、時おり見せる笑顔がうれしかったとか。?当時私が17歳だとしたら、彼は21.2という頃かな。曲名は、当時わからなかった。(当時はクラプトンがレイラでやるような数曲しかそういうこてこてプルースは知らなかった。)太っているので、指も太かったのも、思い出した・・その指の動きに魅了された。
 ベースの彼も、すごかったなぁ。フェンダーのプレジションベースだっけ。当時よく見かけたベースを抱えて出てきた。ブルンブルン鳴らすベースはレコードのジャックブルース以外知らなかったから、感激だった。
その後、石橋楽器店のチラシに彼のことが出ていた。成毛滋などプロから誘いを受けていたと書いてあった。やはり・・と私は当時うれしく思った。※その記事は取ってあったので、最後に載せます。
 (この後1989年・・・これが1975年だから14年後だ・・に素人バンド合戦の番組「イカ天」が始まったが・・・も〜うはまったよね。)
 他にもバンドは5〜6は出ているわけだから、15〜20分ぐらいのステージだったと思う。すぐに終わってしまったのが、悔しかったとか。

そして結果発表・・・当然ながら、「TULSA」の優勝だった。私の思い通りだった。

次はあこがれのゲストバンド「シュガーベイブ」のステージだ。私は、その頃、ラジオの公開録音(当時そんなに無かったように思う。)をラジカセで録音したのを、それはもう何度も何度も聴いていた。それが生で見られる・・・もう、うれしさは全開だった。

前の方の座席で見ていたと思う。ここで書くように、思い出があまりに鮮明だし。1番前か?前から3番目ぐらいでは見ていたような気がする。(当時の私はステージの真正面で無くても、ステージに近い所で見るのが好きだった。)

バンドは真ん中に山下氏が立ち、ボーカルとギターで、キーボードの大貫妙子、リードギターの○○次郎(山下氏がいつもじろう・じろうと言っている方。)ベーシストとドラム??(あまり有名ではない?)の5人編成だった。シュガーベイブには伊藤銀次氏もいた時期があったようだが、この時はいなかった。ボーカルのほとんどを山下氏が担当し、1.2曲大貫妙子がソロで歌っていた。大貫妙子が茶髪にしていて、似合わないなぁ・・と思ったのをなぜか・・覚えている。(因みに、シュガーベイブ解散後、大貫妙子はずっとソロで活動・活躍?している。最初に出したLP「グレイスカイズ」は、ラジオで聞き、素晴らしいのでですぐ購入した。特に「愛は幻」はよく聴いたっけ。その後、あの茶髪て見かけたことは無い。)
 演奏曲は「ダウンタウン」「パレード」・・知っている曲ばかりだった。今から考えると、レコードも出して無かったし、オリジナル曲があまり無かったのだろう。

 さらに・・・うれしかったのは、そのシュガーベイブの演奏に、先の「TULSA」の太ったギタリストがギターを持って登場したことだ。会場は大盛り上がり・・そう、私も本当にうれしかった。彼が入ることで、シュガーベイブの曲の中に、プルースセッションという趣きの演奏が始まった。私の人生の最高のライブだったと、今になって・・・思う。

 その後、シュガーベイブは、LP「ソングス」を出し、個人的には大ブレークだったが、世の中ではそんなに取り上げられず、鳴かず飛ばずだったかな。(私には)

・・・・・そして、その後3年後の・・1978年・・・山下達郎氏のソロでの曲「ライド・オン・タイム」」が大ブレークした。確か何かCMで使われたのがきっかけだったと記憶している。少し流れたと思ったら・・いつの間にか・・・いつもあちこちで流れるようになっていた。

 その頃、友人と雀荘によく行ってて、友人に「数年前、山下達郎見たんだよ。」という話を雀荘でしたことを覚えている。友人は、「あっ、そう。」って感じだった。私にとっては、こんなに、こんなに大きなことなのに。

※下のは、当時石橋楽器店の月刊新聞?「ミュージックシーカー」というのが配られていた。それに「TULSA」のベーシスト「三井究」氏が取り上げられていた。当時、やはりすごい・・と思ったっけ。
 三井氏は今検索すると、サーフショップの店長をされているとか・・もちろん彼は私のことを知るわけも無く、完全な片思い。

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