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  • from: アヒル村長さん

    2011年05月01日 03時08分59秒

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    南無阿弥陀仏のお話

    ひとつ前の書き込みを書いていた時のこと。
    なにやら、学校からメーリングが到着。
    内容は訃報通知。
    クラスの担任の先生のご家族が亡くなられたとのことで…
    新学期に入る前の時から「いつ何があってもおかしくない状態だから」とは言われていたけれど。
    それでもやっぱり、こういうお知らせはドキッとする。

    これまでに3回ほど親戚の法事に参加したことがあるけれど、今回お初だったのは御導師のありがたいお話があったこと。
    その内容が「南無阿弥陀仏」の話。

    いわく、人が「死」というものを恐れるのは、すべてが自分にゆだねられていることにはじまるらしい。
    お釈迦さまが出家したのも病人やら老人やら、そういった人々を見て「自分もこうなるのか」という恐れを抱いたのがきっかけで。
    ある時ふと僧侶を見て、その様子から悩みがなさそう、もしくはそう見えるように生きていると感じたことからそういう道を目指したのだとか。

    …病にかかるのも寿命を迎えるのも、他者の手によるものではなく自分によるもの。
    意識してそうなるわけではないにしても、それらは自分によるものだ、と。
    そしてそれらはいつどこで、どのようなきっかけで訪れるかも分からないもの。
    だからこそ死というものが恐ろしく感じられる。
    そこで、「全ては自分ではなく周りに任せましょう」というのが南無阿弥陀仏の意味らしい。

    すべてを周りにゆだねると、その結果どうなるのか。
    自分について思い悩むことはもう何も無くなる。
    つまり、永遠に安らかな世界で生きることができる。
    それが極楽浄土というものであって…
    そこにいる人々が全てを周りに任せているという事は、周りの人々、
    つまり自分たちのことをしっかり見てくれている、守ってくれているということ。
    死という事は悲しいことかもしれないけれど、そこで終わりではなく、その先に見えるものもあるはずである。
    死という事を通じて見えてくるものが何かあるはずである。

    …では、どう生きていくのか?
    それが自分たちに問われていることであり、南無阿弥陀仏という言葉が問いかけているものなのだ…と。

    ところどころ曖昧で、なおかつ自分のフィルターを通過している記憶を基に大まかにまとめると、
    大体そういう事になるらしい。
    さすが、2年前のエセ宗教勧誘野郎とはまったくレベルが違うお話だった(笑
    なおかつ震災を受けての時事的なお説教でもあるという…


    ご冥福をお祈りします。
    合掌(T人T)


    今日の天気:曇り時々雨

    ※ 宗教、ありがたいお説教は歓迎ですが、そうでないものはお断りします(苦笑

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