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  • from: orimasa2007さん

    2007年12月06日 11時10分33秒

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    古都鎌倉(15) 「円覚寺」

     巡った寺社、史跡の順番・・。
    鎌倉駅⇒鶴岡八幡宮⇒若宮大路・段葛⇒白旗神社⇒源頼朝の墓⇒大江・毛利・島津の墓⇒三浦一族の墓⇒東勝寺跡・高時やぐら⇒安養院⇒鎌倉宮・護良親王の墓⇒瑞泉寺⇒杉本寺⇒建長寺⇒円覚寺⇒明月院⇒東慶寺⇒常楽時⇒高徳院・鎌倉大仏⇒長谷寺⇒光明寺⇒稲村ヶ崎⇒満腹寺⇒龍口寺⇒常立寺⇒江ノ島


    古都鎌倉(15) 「円覚寺」

    建長寺から更に鎌倉街道を北に行くと、やがてJR横須賀線が右手に現われる。
    間もなく北鎌倉の駅だが、その直前に池を挟んだ線路の向こう側に広大な伽藍が見えてる・・「円覚寺」である。「えんかく」でなく「えんがく」と濁って読むらしい。
    大きな石柱に刻文が「臨済宗大本山円覚寺」とあり、同じく左側に「北条時宗公御廟所」とあった・・。
    階段を上がると、やがて巨大な総門が出迎える・・、その後背に山門、仏殿、方丈と段階的直線に並ぶ。 更にその奥に各塔頭(たっちゅう)が配置されている。
    「塔頭」とは、本寺院内にある小寺院・支院、分院を指す。
    円覚寺の塔頭の数は、現在の鎌倉の寺の中では一番多く18ヶ寺あり、最盛期には40数箇所あったとされる。
    鎌倉には、円覚寺を頂点とした同じ宗派の寺で東慶寺(後述・・)、浄智寺、瑞泉寺といった臨済宗円覚寺派のお寺がある。

    北条時宗の父、時頼が創建した建長寺が官営的性格の強い寺院・官寺に比して、こちら円覚寺は北条家の私的な性質をもつ寺院で、私寺ともいわれる・・。 
    建長寺を開山した高僧の「蘭渓道隆」はすでに没していたため、やはり中国の高僧・「無学祖元」を招いて鎌倉幕府八代執権北条時宗により創建され、1282年に完成している。

    無学祖元は、「弘安の役」(元寇・蒙古襲来)直前の世情騒然たるときに中国より亡命同様に日本に帰化している。
    弟子の礼をとった時宗をはじめ、多くの武士たちの精神的な指導者となり、武士階級に臨済宗の教えを浸透させる基盤を培った。
    一時期、円覚寺と建長寺の兼任座主を務めながら多くの弟子を育てるが、後に五山派の主流となった「夢窓疎石」を輩出した。

    創建の目的は主に、鎌倉時代に時の執権・北条時宗が、この時代におきた元寇・文永の役、弘安の役の戦没者を追悼供養する為に建てたといわれる・・。 
    北条得宗家の祈願寺で、鎌倉時代には北条家によって手厚い保護を受けた・・。 円覚寺は鎌倉五山・第二位の寺挌である。

    山門より右手高台に大きな梵鐘がある・・、ここでは洪鐘(おおがね)と称しているが、さすがに大物で大晦日NHKの除夜の鐘でもお馴染みである・・、国宝指定。

    余談になるが・・、
    総門前JR踏み切りの向側に池がある。「白鷺池」(びゃくろち)というが円覚寺境内に含まれる。
    明治期の戦時たけなわの頃、軍港横須賀へ鉄路を引くため強引に境内を分断する破目になったという・・、今のJR横須賀線である。


    次回は、 「明月院」


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