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  • from: orimasa2007さん

    2008年02月03日 11時19分37秒

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    世界遺産と熊野地方(10) 補陀洛山寺・「浜の宮王子」

    世界遺産と熊野地方(10) 補陀洛山寺・「浜の宮王子」

    <font size="2" color="#0000FF">定期循環バスで一旦駐車場の場所まで引き返し、次に「熊野速玉大社」へ向うが、その前に勝浦の浜の一角にある「補陀洛山寺」へ立寄ることにした。
    ヘアーピンカーブの急な坂道を下っていくと、こんもりした杉の大立ちが列を成して延びている・・、先ほどの「大門坂」である。 
    来た道をそのまま下ってやがて国道へ出ると、その左角に「補陀洛山寺」が在った。
    広い境内は庭園らしい創作は無く、芝生を敷き詰めた単調な広場であった。 奥まった所に室町様式の「高床式四方流宝形型」といわれる品の良い造りのお堂・本堂が構えて在った。比較的新しいと思われるほぼ正方の造りである。
    正面拝所の上部に右書きで「補陀洛山寺」(ふだらくさんじ)と記してある。 
    お堂内正面須弥壇(しゅみだん:仏像を安置する台座)には本尊の十一面千手観音像が安置されているのが判る。

    創建は那智山・青岸渡寺の開祖で、仁徳天皇の御世(4世紀)にインドから熊野の海岸に漂着したといわれる「裸形上人」によって開山されたと伝える古刹である。 今は、那智大社や青岸渡寺のような賑やかさは全く無く、静寂の中にヒッソリと佇んでいる。
    しかし、寺院の歴史は青岸渡寺と同様に古く、宗教儀礼である「補陀洛渡海」で全国的にも有名で、尚且つ世界遺産にも登録されている物件なのである。

    境内の一角に「熊野古道・浜の宮王子」と記した石柱が建つ。
    又、境内右手には、ここは大木に囲まれて「熊野三所大神社」として、やや粗雑な社殿が鎮座していた。 熊野三所社とは本宮、那智、速玉の各大社の意味である。この神社は、元は熊野九十九皇子の一つで「浜の宮王子」だったため、浜の宮大神社(はまのみやおおみわしゃ)とも呼ばれている。

    浜の宮王子は中辺路、大辺路、伊勢路の分岐点であり、那智山参拝前にはこの王子で「潮で垢離」(こり:神仏への祈願や祭りなどの際、冷水を浴び身を清めること)を行って身を清めたといわれている。 

    補陀洛山寺は浜の宮王子の守護寺でもあり、那智山の末寺の一つである。
    明治初めに那智山で神仏分離が行われたとき、那智山の仏像仏具類が一斉にこの補陀洛山寺に移されたという。 寺院は寺の本堂は平成2年(1990)に建て替えられたということで、本尊の十一面千手観音は平安後期の作で重要文化財に指定されている。


    「補陀洛山寺」は特異な寺院として往時は良く知られていた・・、ここが補陀洛渡海の出発地とされたからである。 
    那智地方には熊野灘の彼方に観音菩薩が住む浄土・補陀洛(ふだらく)があるという信仰があり、そのため僧侶、住職達は浄土へ向かって旅だっていったとされ、これを「補陀洛渡海」と称している。 渡海船を復元した模型が、寺の境内の建物の中に展示してある。

    記録で最も古い補陀洛渡海は平安初期には行われたとされ、それ以後18世紀の初め頃までこうした渡海が続き、特に補陀洛山寺の住職は61歳になると渡海を行うことが何時の頃からか習慣化していったという。 

    16世紀後半、金光坊という僧が渡海に出たものの途中で屋形から脱出して付近の島に上陸してしまい、たちまち捕らえられて海に投げ込まれるという事件が起こった。 
    後にその島は「金光坊島(こんこぶじま)」とよばれるようになり、またこの事件は井上靖氏の小説『補陀洛渡海記』の題材にもなっている。 
    以降、江戸時代になって生者の渡海は行われなくなり、代わって補陀洛山寺の住職が死亡した場合、あたかも生きているかのように扱って、かつての補陀落渡海の方法で「水葬」を行うようになったという。

    補陀洛渡海で往生した僧たちは渡海上人とも呼ばれ、補陀洛山寺の裏手には渡海上人たちの墓がある。 
    記録では那智の浜からは21人が渡海を遂げたと言われ、こちらにも補陀落を目指して船出した人々の名を刻んだ碑が寺の境内に置かれているという。

    寺院を一巡して速玉大社に向かった・・。


    次回は、 新宮・「徐福伝説・・」


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