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  • from: orimasa2007さん

    2008年02月06日 10時34分40秒

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    世界遺産と熊野地方(12) 新宮・・Ⅱ「神倉神社と熊野速玉大社」

    速玉大社(拝殿、鈴門、本殿)

    世界遺産と熊野地方(12) 新宮・・Ⅱ「神倉神社と熊野速玉大社」

    <font size="2" color="#0000FF">前に紹介した鳥羽一朗の演歌の「徐福夢男・虹の架け橋」の三番目の一節に
    「・・神倉建てて 幸を呼ぶ・・」という歌詞がある・・。

    国道42が新宮市内に入った頃、左手に緑の山が見えてくる「千穂ヶ峰」(神倉山)である。 南端に500段の急峻な石段を登ると大きな「ごとびき岩」という巨大な岩塊が有って、この絶壁を成すような大岩が古くからの御神体とされ、古代の神の依代、磐座(いわくら)とされている。 この神社を「神倉神社」という。 
    祭神は高倉下命(タカクラジノミコト)で、命は高天原に天孫降臨された瓊々杵尊(ニニギ)の兄で、早くから熊野を統治せられ後に熊野三党、三山祀官の祖(八咫烏・ヤタガラスの元・・?)となった神である。

    神武天皇がこの地に上陸した伝説があり、八咫烏(ヤタガラス)の案内でこの地から奈良に攻め上ったといわれる。 
    神倉山は古代から永く熊野の祭礼場として神聖視されてきた霊山であり、特に源頼朝が寄進したという自然石を積み重ねた「鎌倉積み」という急斜面の石段は、参拝人が登り降りするのに相当のの難儀を強いられるという。

    この急な石段で行われる例大祭が「お燈明祭り」といわれる大祭で、例年2月6日に行われる夜の壮観な火祭りで知られる。 
    1800年以上の伝統をもち、白装束に荒縄を巻いた2000人前後の「上り子」達は御神火を授かっ た松明をかざして、このとんでもない不揃いで急な石段を一斉に駆け下りるという・・、誠に壮観な炎の祭典が繰り広げられる。 

    神倉神社は、今は熊野権現・「熊野速玉大社」の摂社であり、熊野三山の主神降臨の霊地として熊野信仰の根本といわれる霊所である。
    この神倉山の磐座に祀られていた「神」は何時の頃からか北側の山麓、熊野川がS字の曲がりくねる地に遷宮され祀られるようになったといわれる、それが現在の「熊野速玉大社」である。 
    神倉山にあった神倉神社を元宮に対して、現在の社殿の「熊野速玉大社」を「新宮」と呼ぶようになり、これが新宮市の起こりでもある。


    その「熊野速玉大社」は、神倉神社から北方1kmの熊野川に面したところ、国道42号線の速玉大社前という信号から既に宮参道になっている。 
    正面、深緑の木立の手前に真紅の大鳥居が天を指し、「下馬橋」という弧橋が前に控え、両サイドに熊野大権現、熊野速玉大社と刻した石柱が立つ。
    参拝記念の撮影に適したスポットであろう・・。

    右手参道横の駐車場に車を止め、参道へ出るとすぐに「梛(ナギ)の木」(亜熱帯性のマキ科の常緑高木)という樹齢千年の大木が天を貫いていて、余りの大きさに圧倒される。 
    周囲6m、樹高20メートルで高さ日本一の「ナギ」の木は真冬でも濃い緑を絶やさず、夏には大きな木陰をつくる。 
    平安末期の武将・平重盛が植えたと伝えられるが、実際はもっと古く樹齢は千年以上といわれる。 
    強い生命力から平家、その他の武将の信仰も厚かったという、国の天然記念物である。

    これよりすぐに重装な神門を潜ると煌びやかな大社殿が現れた・・。赤と白壁を基調とした社殿群が左右横幅いっぱいに鎮座している。
    先ず、左側の拝殿に額ずいて拝礼・参拝を致す・・。 
    右のほうに真紅の社殿をバックに写真撮影用の長椅子が置かれてあったので両人で記念の撮影である・・、時に平成14年9月7日と熊野速玉大社と丁寧に看板まで設えてあった。

    立派な神門をくぐると目にも鮮やかで煌びやかな各社殿が横一列に配されている。
    尤も、正面に「鈴門」というのが構えていて、御霊を祀る各種本殿や主要社殿は直接的には伺えないが・・、左方に一段と華麗な拝殿が鎮座していて我等参拝者はここで額ずくことになる。 

    拝殿の後方の其々の社殿は、第一殿(結宮)で熊野夫須美大(クマノフスミ:伊弉冉尊・イザナミ)、第二殿(主本殿:速玉宮)には熊野速玉大神(ハヤタマ:伊弉諾尊・イザナギ)、鈴門の後方に第三殿(証誠殿)には家津御美子大神(ケツミコ)、第四殿(若宮)・天照皇大神(アマテラス)と(神倉宮)高倉大命等が祀られ、他の社殿には天忍穂耳命(アメノオシホミミ)、瓊々杵命(ニニギ)、彦火々出見命(ヒコホホデミ)、鵜茅草葺不合命(ウガヤフキアエズ)といった九州地方へ降臨した主神々が合わせて、那智大社と同様に「十二神」祀られている。

    那智大社が主神・伊弉冉尊(イザナミ)に対して、速玉神社は主神に伊弉諾尊(イザナギ)を祀り、両者は夫婦神である。
    そしてその夫婦神から生まれ出たのが家津御子大神(ケツミコノオオカミ)こと素盞嗚尊(スサノオ)で、大国主の父祖であり、出雲開祖の神である。

    次回は、 熊野大神開祖の宮・・?「阿須賀神社」


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