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  • from: orimasa2007さん

    2008年02月12日 11時04分19秒

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    世界遺産と熊野地方(17) 熊野川・「瀞峡」

    瀞峡:瀞八丁(特別名勝・天然記念物)と亀岩

    世界遺産と熊野地方(17) 熊野川・「瀞峡」

    <font size="2" color="#0000FF">昨日訪れた新宮の地、新宮高校のある橋本という交差点を左折し、国道168号線を内陸へ向って北上する。 
    熊野の清流をすぐ横に見ながらの快適なドライブである。 

    道の駅「瀞峡街道熊野川」があり車を寄せてみたけど、駐車スペースは小さくなんとなく沈気である。看板に「アイドリング、花火、宿泊禁止」とあり、宿泊禁止はマイカー旅行者には冷たい感じがしないでもない。 個人で営むんでいるのだろう、田舎のドライブインといった風で入るのには気が引けた・・?、そのまま直ぐに出立した。

    熊野川沿いから、間もなく熊野川町に入ったらしい・・。 
    チョット賑やかな町並み集落を過ぎると、「古志」という地域に来ると急に賑やかになり、 道路沿いに華やかに瀞峡観光巡りの案内、看板が目立つ。 
    ここは、ウオータージェット船の船着場乗り場で、ボチボチ観光バスも停まっていた。

    聞くところ、この先の上流部に「和船」の乗り場(玉置口)があって、どうもユックリ、のんびり観光するには其方のほうがいいらしい・・、途中、R168とR169、本宮と玉置口への分れ道があり熊野川にかかる宮井大橋を渡る。

    この辺りは、熊野の大河が大きく二つに分岐してて、通称、右方が「北山川」で北山村へ、左方が「十津川」となって十津川村へ遡っている。
    瀞峡の本命は北山川である。この北山川は和歌山・奈良・三重の3県にまたがって流れている。 峡と言うだけあって山域、山腹が狭まり川筋は、その間をぬって激しく蛇行を繰り返している。

    それにしても国道と言いながら道の細さには参る・・、殆ど両一車線のみの上下曲折の道路である、びくびくしながらも、案内板に従ってどうにか辿り着いた。 
    地元の農家の方が営んでいるらしく、「はるや」という和船乗場の小店兼受付所があった。たまたま同様の夫婦連れと同船した、4人で5000円。 
    ウオータージェットは一人3350円であるから、一応納得である。


    川の流れ、山の香り、そして耳をすませば、洞穴の奥から滝の流れる音を聴き取ることもできる。 川面は、急峻な山が迫り、迫力ある自然でありながらも、どこか上品な風情を感じられるのは、瀞(とろ)であるゆえか・・。
    「瀞」というのは、「河水が深くて流れがユッタリと静かなところ」という意味である。秩父にも「長瀞」という地名があるが、「瀞八丁」を地元の人は「どろはっちょう」と濁って呼んでいるようだ・・。
    因みに、川、特に渓谷の流れは多々表情がある。これらの流れには、滝(たき)、瀞(とろ)、釜(かま)、滑(なめ)、瀬(せ)、淵(ふち)、等と流れの地形や表情によって、いろんな名称が付いているが・・、瀞の場は、大抵の場合急峻な岩場が競り合っている所で、流水が深く淀んでいる所であり、川幅も比較的広く、ゆったりと流れているところである。
    そんな中で、瀞峡は、岩塊や断崖が多くの表情を表し、自然の造形美を造っているのである。

    「和船」はウオータージェットと違って、完全開放型で小さな推進エンジンを付けた、手漕ぎのボートを一寸大きくしたような6人乗りぐらいの小型船である。 
    昔は同様の大きさで参詣人達、たまには貴人を載せてこの川を往来したのであり、瀞ばかりでは無く、場所によっては波立つ急流をも上下したのであろう・・。

    船頭の洒落た語り口、案内で同船の4人はスッカリ打ち解けて談笑もしきりである・・。 川面を滑るように和船の雰囲気は、それだけでも風流であり風雅である。
    しかも、これだけの大自然の中にスッポリ納まってしまうと、世相の憂さや、汚(けが)された身も心も川の水と一緒に洗われ流されて、自然と一体となった清爽味を感じるのである。

    ところで瀞峡は流域によって下瀞、上瀞そして奥瀞に、其々上流に向かって区分呼称されているとも言う。 「下瀞」は、我等が和船の乗り場・玉置口から瀞ホテル付近の十津川村田戸間を指し、「上瀞」は田戸から上流部で北川峡ともいい、紀和町小松辺りを指している。そしてその奥、北山村のほぼ全域で七味ダム辺りまでを「奥瀞」と称している。最近では奥瀞の七色峡・筏下りが人気を呼んでいるという。

    序に、「北山村」のことであるが・・、
    地図を良く観ると判るが行政区分は和歌山県に属しながら周りを奈良県と三重県に囲まれており、所謂、領域が飛地になっている。このような村は、日本の市町村単位では唯一の自治体であるという。
    しかも平成の大合併で村が消滅するなか、和歌山県で唯一の村となっている。
    北山村はその村域の大部分が山林地帯であり、古来よりその木材を切り出して北山川に流し、下流の新宮の商人がそれを売さばいて村の人々の暮らしが成り立っていた。つまり新宮との結びつきが強く、明治期の廃藩置県で「新宮」が和歌山県に入ると、この村も新宮との結びつきの強いゆえに和歌山に入ることを望み、これが叶った為に「飛び地村」が出来たという。
    村の集落は、北山川沿いの南端部分に小さく点在するのみであったが、七色ダムの建設にともない、更に多くの集落が湖底に沈んだという。
    明治中期に小集落の北山村が出来て以来この村に合併でなどは一切無く、「飛地」故に現在でも人口が少なくとも一村を維持してきている・・。
    近隣の熊野川町も和歌山県の飛地の町であったが、2005年の合併により新宮市の一部と成っている。
    又、村の北側に下北川、上北川の両村があるが、何れも奈良県に属している。


    さて、我等が向かっている下瀞は「瀞八丁」とも呼ばれ、瀞峡では最も景勝の地と云われるらしい。摂理の綺麗な両岸は岩質が硬いため浸食に強く、古代から変わらぬ姿を示しているといい、崖の高さは約50m、水深も16〜20mに及び、川幅も60〜80mにもなる地域であるという。
    進むに従って特色ある岩塊が出現し夫婦岩、亀岩、ライオン岩と賑やかである。中天門というのは「瀞八丁」でのメインで、河両岸に大絶壁が連なる地域である。その中に「すべり岩」というのが有って、その昔地震が起きたときに滑り落ちたという謂れがあるとか・・。

    間もなく左手に断崖の上に聳える木造の吊り橋と木造の建物が見えてきた、「瀞ホテル」といって断崖の上に危なっかしく、辛うじて建っているようである・・。 本館が奈良県十津川村、吊橋を渡った川向こうの別館が和歌山県北山村と、地域が全く異なったところに建つ変わった旅荘でもある。(現在は休業中らしい・・?)

    この辺りで和船は向きを変え、引き返すことに成る。概ね、40分位の遊覧であったろうか。


    次回は、 「熊野本宮大社」

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