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  • from: orimasa2007さん

    2008年02月13日 10時39分11秒

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    世界遺産と熊野地方(18) 世界遺産・「熊野本宮大社」

    本宮大社、八咫烏と鳥居、本宮旧社の大鳥居

    世界遺産と熊野地方(18) 世界遺産・「熊野本宮大社」

    <font size="2" color="#0000FF">難所の国道169から宮井大橋を右折して本宮大社方面に向う。 
    山々が迫っている・・、熊野川と付きつ離れつしながら・・。
    小生、先ほど分岐する二つの川は「北山川」と「十津川」と記したが、この辺り和歌山県内では熊野川と言い、R168が北方の奈良県の十津川村へ至って十津川と称するのが正しいらしい・・。 

    大塔山に源を発する大きな支流の大塔川を渡る。 
    この先は、有名な川湯温泉や渡瀬温泉があり、更には、今夜投宿する「湯峰温泉」が点在する。 特に、川湯温泉は熊野川の支流大塔川の川原を掘ると温泉が湧き出すという全国でも珍しい温泉で、体が浸かる大きさまで掘れば自分だけの露天風呂が出来上がるという。 冬毎年11月から翌年2月にかけて川を堰き止め、広大な露天風呂が出現する。 仙人風呂(千人風呂)と呼ばれ、野趣あふれる冬の風物詩として親しまれている。
    熊野は、「木の国」とはよく言ったもので、左を見ても右を見ても見事に植林された杉や桧の大木が山の斜面に天を貫くように連なっている。

    やがて国道は、再び、熊野川に突き当たる。 ここからは、熊野川の河岸に築かれた国道168号線を北に向かって走ることになる。 
    熊野川も、かなり上流域なのに意外と河原の幅が広い。 熊野の山野を潤しているこの母なる川も今は渇水期なのか、夥しい川石がまるで海岸の砂浜のように続いている。

    車は、やがて本宮の市街地に入り、支流・音無川の畔に鎮座する熊野本宮大社の鳥居の前に到着した。
    傍らで、巨大な八咫烏の幟(のぼり)がはためく大鳥居の前に立ち、木製の鳥居が天を指して、そこにはやはり「熊野大権現」と記してある。
    この社(やしろ)が熊野信仰の中心の所謂、「熊野本宮大社」である。

    熊野詣の総ての参詣路はこの神社を目指している。 ここから熊野川を下って速玉大社、那智大社へと巡るのが、熊野詣での昔からのコースである。 
    大鳥居の奥に年輪の就いた杉並木の石段が続ていて、左右にびっしりと「熊野大権現」と「八咫烏」の図柄の旗群が参詣者を歓迎してるようである。 

    石段を登り切ると参道の向こうに神門が見える。 神門から神域に一歩神域に足を踏み入れると、正面にパノラマのように社殿が広がる。
    先ずは拝殿に額ずいて参拝を致す・・。

    社殿は古色木目調で、那智や速玉の社殿の朱色の煌びやかさに比して、いかに落ち着いた風格を醸し出している。
    小生の知るところ、「出雲大社」を彷彿させる・・。

    祭殿は三段に施してあり、奥まった位置の「上四社」の主殿・第三殿には家津美御子大神(ケツミミコ)、第一殿に伊邪那美大神(イザナミ)、第二殿に伊邪那岐大神(イザナギ)、第四殿に天照皇大神(アマテラス)などの祭神を祀る。
    家津美御子大神(ケツミミコ)は素盞鳴尊(スサノオ)の別名で出雲の国の太祖にあたり、大国主(オオクニヌシ:スサノオの子、又は孫)を同時に授かる・・、出雲の祖神でもある。 スサノオはイザナギとイザナミの間に産まれたとされ、三貴神・三兄弟神(アマテラス、ツキヨミ、スサノオ)の末子に当たる。 
    因みに、、産まれた時アマテラスには天を、ツクヨミには夜を、スサノヲには海(水)を支配するように言いつけたという。
    だが、スサノヲは高天原では荒ぶる神として嫌われ、姉のアマテラスに追放されて葦原中国(アシハラノナカツクニ:日本)の出雲に降りたとされる。 

    出雲地方には出雲一宮である「出雲大社」」があるが、出雲第一の宮といわれる熊野大社(島根県八雲村熊野)もあり、一説によると、この出雲・熊野大社が出雲の国から紀伊の国・熊野地方に勧請されて紀伊・熊野大社になったとも云われる・・。

    序ながら、出雲地方における熊野大社の置位については・・、
    「出雲国風土記」によると『熊野山、郡家正南一十八里なり、いわゆる熊野大社坐す』とあることから、遥か大昔は八雲村の熊野山(今の天狗山)にあったことになる。
    熊野大社は、食物の生産を見守る強い信仰のあった神様と言われ、熊野山に祭られたのは、古代出雲文化の中心であった意宇平野(出雲国内でも一等の古墳地帯、古代の政治・文化の中心地で国庁・国分寺が所在した)の水田をうるおす水の源・「水の神」として祀られたという。
    そして、出雲大社の大国主命は、この食物の生産を見守る熊野大社(須戔嗚尊)をいただいて国造りをされる神様として祀られた。
    このことは、出雲国造を相続するときは、熊野大社で火継式が行われたと伝えられることからも知ることができる。
    つまり、熊野大社は出雲大社の親神であり、それは「水の神」でもあった。 更に、紀伊地方の「熊野」という呼称は、八雲村の熊野から伝わって来たことにもなる。


    戻って「熊野本宮大社」の社殿のことである・・、
    次に中間の「中四社」の各殿にはオシホミ、ニニギ、ヒコホホデミ、ウカヤフキアエズなどの天孫の錚錚(そうそう)たる神々が祀られている。
    手前の「下四社」・各殿の神々と合わせて全十二社神を祀っている。
    こちらの十二神も熊野三神に概ね共通する神々である。

    熊野本宮大社は、先に訪れた熊野速玉大社、熊野那智大社と並ぶ熊野三山の主神で全国に数千もある熊野神社の総本宮である。 古色蒼然とした檜皮葺きの社殿群は、概ね重要文化財に指定されている建造物でもある。
    境内の隅に「都道府県別、熊野神社全国分布図」とした掲示板がが有った。
    千葉、福島、愛知が其々200社以上あってビック3であり、全国合わせて3831社とあった。

    ころで本社殿は明治24年に移建された社宮だと云う・・。 
    本宮大社の社殿は当初から現在地にあったのではなく、元の社殿は熊野川とその支流の音無川と岩田川が合流する「中州」にあったとされる。 
    明治22年(1889)の大洪水で倒壊したため、神像とともにこの地に移され、現在に至っているとのことらしい。 
    旧境内は大斎原(おおゆのはら)と呼ばれ、現在の社地の八倍の広さだったという。
    大洪水は大斎原に鎮座していた上、中、下各四社のうち、上四社を除くすべての社殿を一瞬のうちに押し流してしまい、そのため上四社のみをを明治24年に現在の社地に遷し、その他の流された社殿は仮に石祠を造営して合祀してあるという。 

    旧境内の田園の中に、近年(平成11年)造営された大鳥居が天を突いている。


    次回は、 「熊野参詣」について


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