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  • from: orimasa2007さん

    2008年02月19日 11時46分52秒

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    世界遺産と熊野地方(22) 世界遺産・「熊野古道・中辺路・Ⅱ」

    継桜王子と野中の一方杉、 野中の清水


    世界遺産と熊野地方(22) 世界遺産・「熊野古道・中辺路・Ⅱ」

    <font size="2" color="#0000FF">「継桜王子」に来た・・、野中地区の氏神でもある王子社で社殿もあり、古木杉の囲まれた石段の上の境内に建つ。 
    この境内斜面には「一方杉」といわれる巨木が現存する。 杉の樹齢は800年前後の巨木で、特徴的なのが南向きだけに枝を伸ばしている、ことから「野中の一方杉」と呼ばれており、県の天然記念物に指定。 確かに10本近くあるうち、皆同じように南方にある熊野大社を慕うように枝を伸ばしているともいう。 このため一方杉と呼ばれているわけで、この不思議な現象は、生物の生態を知る上でも貴重なものと言われている。

    道の下位、斜面下に石垣でしっかり囲まれた石造りの池に清涼な清水が結構な勢いで湧き出し、溜められている。 「野中の清水」といわれるもので、周りは朱色の欄干の手摺が施してあり、丁寧に管理、保管されているのが判る。
    小生も早速、ペットボトルに頂いて・・、手すくいで二口、三口流し込んだ。まろやかで清涼感たっぷりの水が喉越しに落ちてゆくのが判る。 思わず美味いと・・叫ぶ程である・・!!。

    清水は野中・坂巻山の湧水で、付近住民の飲料水、生活用水として利用されており、地元住民が清掃などで清水の維持と環境整備を行っているという。 
    日置川の源流の一つでもあり、古来より涸れることなく水が湧出していて、熊野詣の古道「中辺路」の途中で旅人がこの湧水に癒され、この縁を歌枕に詠んだ数々の歌や句を残している。 古記にも「野中の清水と云う名水有り」と記されていて、日本名水百選のひとつにも選ばれている。

    「 住みかねて 道まで出るか 山清水 」  服部嵐雪(1705年) 


    水場より継桜王子まで戻って先へ行く。 
    すぐ其処に茅葺屋根の一軒家がある、「とがの木茶屋」といって貧しい農家の家といった感じであるが、どっこい今では郷愁を誘う雰囲気たっぷりの休憩舎であり、旅籠(はたご:民宿)でもあるとか・・。 
    中には懐かしい囲炉裏なども有って、この囲炉裏を囲んで宿の女将が古道にまつわる「民話」なども語ってくれるらしい。

    「秀衡桜」(ひでひらざくら)は、継桜王子社から約100m東の道端にある、今は三代目としての石碑が建つが・・。 
    『 平安時代後期、奥州の豪族・藤原秀衡夫妻が本宮をお参りするために途中の滝尻(滝尻王子:乳岩や胎内くぐりといわれる秀衡の説話)まで出来たとき、急に産気ずき男の子を出産した。岩屋に残したわが子の無事を祈願しながら野中の地へきたとき、杖代りにしていた桜の木をこの地に植えた。その後本宮を参拝した帰り道再びこの地を訪れたとき挿した桜の木に綺麗な花をつけていた。「これでわが子は無事であろう」と喜び、一枝切って別の木にその桜を継いだ。そして、急いで滝尻まで戻ると確かに息子は元気で無事であったという・・。この子はやがて平泉で成長して藤原忠衡となり、奥州落ちしてきた源義経を助けたという 』・・以上、秀衡桜と継桜王子に因む伝承がある。 
    東北・陸奥から紀伊までは遠かったであろうが紀州・熊野には藤原秀衡にかかわる伝承がいろいろと残っているという。
    ただ、史実は、陸奥国に新熊野社を勧請したとする古記があるらしく、秀衡が熊野を信仰してことは確かだと見られるが、熊野に参詣したという史実は確認されていないともいう。


    継桜王子を過ぎると古道は旧国道と合流し、旧国道を行くことになる。 
    しばらく進むと「中ノ河王子」跡がある。 今は、文字が刻まれた石碑があるのみで寂しげであるが、後鳥羽院や修明門院(平安末期:高倉重子・順徳天皇の母)の参詣録にも記されている由緒あるものだったらしい・・。

    ここからは暫く森の中の旧道を行く。
    「中ノ河王子」から、旧国道を本宮に向かって約2kmで小広峠に着いた。 
    道端の草生した石垣の石段を数段登った奥の草むらに、上方の欠けた「小広王子跡」の石碑が立っていた。 
    村の古記録の説明によれば、元々、小広王子権現は村はずれの小広峠付近にあったが「宮居」が古く維持困難になったため1573年、神意を伺って遷宮と決まり、「継桜王子社」へ移したという。 その後江戸中期、紀州藩が再建したが、明治の道路建設で再び破損したとある。

    歴史は、特に歴史的事実や遺構は栄枯盛衰が繰り返され、やがては消え去って行くものであるが、それらが自然な状態なら良しとするが、人為的に、無意識に、無分別に消されてゆくのは悲しいことで、あってはならないことである・・!。

    小広王子からは、旧車道と分かれて再び険しい山道の参詣道になるが・・・。


    ところで・・、
    冒頭にも記したが平成16年7月に世界遺産として「紀伊山地の霊場と参詣道」と題して認定された。
    紀伊山地には修験道の「吉野」、神仏習合の「熊野」、密教の「高野山」と、三つの異なる宗教の山岳霊場があるが、それら三大霊場とそれらを結ぶ参詣道を「熊野参詣道」、「高野山町石道」、「大峯奥駈道」などによって世界遺産は構成されている。
    この世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の特徴として、まず「道」であることが挙げらる。 「道」の世界遺産は、他にはスペインからフランスを繋ぐ「サンチアゴへの道」があるのみである。

    和歌山・奈良・三重の3県29市町村にまたがり、コアゾーン(世界遺産の資産となる区域)とその周辺のバッファゾーン(緩衝地帯。資産周辺の環境や景観を保護するために、土地の利用に規制がかかる資産周辺の区域)を合わせた面積は約12000haで文化遺産としては日本最大である。 
    また、文化遺産でありながら滝や原始林や川や海岸、岩、温泉など自然景観を資産として多く含む点も特徴のひとつである。これは、文化遺産の中での自然遺産でもあり、所謂、複合遺産としての性格や価値が十分に有るとも思うが・・??。
    因みに、世界遺産には文化遺産・自然遺産・複合遺産の三種類があり、「紀伊山地の霊場と参詣道」は文化遺産である。
    日本の12件の世界遺産のうち10件が文化遺産であり、屋久島と白神山地の2件のみが自然遺産、だが文化と自然の両方を兼ね備える複合遺産は日本にはまだない。

    紀伊山地の三つの霊場・吉野・熊野・高野山は山岳宗教の霊場であり、それぞれ、紀伊山地の自然のなかで育まれたものであって、紀伊山地の自然なしには山岳霊場たりえない。又、三つの霊場がそれぞれ異なる宗教の霊場であるという点が特徴的でもある。
    これらの霊場が熊野本宮を中心として「参詣道」で結ばれている。
    紀伊半島は、日本でも有数の降雨量の多い地域である。このため、所々に石畳で舗装された道跡が残っている。 また江戸時代、紀州藩により整備された一里塚などがが残っている個所もあるという。

    しかし、熊野古道の中には、国道や市街地に吸収されてしまったものもある。 
    例えば、かつて十津川街道として知られていたルートは国道168号線に吸収されており、紀伊路(大阪-田辺)が登録外であるのも同様の事情によるらしい。 又、登録されたルートでも、大辺路・伊勢路の大部分は国道42号線に吸収されている。
    紀伊半島の中央部は、際立った高山こそないものの、どこまでも続く山々と谷に覆われているため、古来より交通開発が困難であり、交通路が敷かれうる場所も限られていた。 そのため、小辺路や大峯奥駈道のような例外はあるものの、古人の拓いた道と現在の主要な交通路が並行(中辺路と国道311号線、JR紀勢本線や国道42号線の紀伊半島部分と大辺路・伊勢路)していることや、重複(前述)していることが少なくないのである。

    「熊野詣」それ自体の盛衰もあり、又、歴史的な変遷から生じた派生ルートなどもあって現在では正確なルートが不明になっている区間も多数在る・・。 世界遺産に登録された熊野古道は、これら全てではないことに留意する必要もある。
    そうした「忘れられた」ルートを再発見しようとする地元の動きもあるようだが、更に、車道に併合されて消された部分や不明な部分は、世界遺産に登録されたのを機に再復活の試みとして、新しく「古道」(・・?復古古道)を造成することも考えられるが・・??。 

    最近、「ご当地ソングの女王」と言われる「水森かおり」が、「熊野古道」という歌を唄っている。 歌の内容はともかく、これを機に地元の有志達が何処かに記念碑を建てて熊野を更にP・Rし客寄せを計っているという。 
    尤もなようだが、もっと前向きで建設的な方法を創造(新たに創り出す)、模索しては如何だろうか・・?。


    この先、中辺路は「小広王子」から「湯の峰王子」までの凡そ20km、険しい山道を辿ることになるが・・、我等は新道の国道311号へ戻って今夜の泊まり宿である「湯の峰温泉」へ一路目指した。

    次回は、 本宮湯宿・「湯の峰温泉」


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