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  • from: orimasa2007さん

    2008年02月27日 11時52分22秒

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    世界遺産と熊野地方(28) 「安珍・清姫伝説」

    世界遺産と熊野地方(28) 「安珍・清姫伝説」

    <font size="2" color="#0000FF">国道311が富田川沿いに少し下ったところに、「清姫」の故郷と言われる地に来た。 
    茅葺屋根の小店が立ち、山菜や川魚などの山の幸を使った料理が楽しめるスポットでもある。 この先に、清姫の墓や園地があって富田川の「澱んだ淵」が見渡せる。

    この辺りは「真砂の里」といって清姫の故郷といわれる。 
    「安珍清姫の物語」は、能や歌舞伎の「娘道成寺」などで有名である。 芝居では、裏切られた清姫は安珍を道成寺まで追いかけて焼き殺すということになっているが、この真砂の里に伝わる伝説では、哀しみの余り世を儚んでこの地の富田川に身を投げたということになっているらしい。 


    『 昔々、熊野権現にお参りに来た男前の旅の僧「安珍」が、紀伊の国の真砂の庄の一家に一泊させてもらうことになった。 その家の娘・清姫が安珍に恋をし、夜半に寝床までいって迫った。驚いた安珍は「修行中の身なので、熊野参詣の帰り道もう一度ここに寄るので、それまで待っていてほしい」とその場を逃れた。参詣を終えた数日後、破戒を恐れた安珍は清姫のもとを素通りして逃げてしまった。それを知った清姫は後を追いかけ、やっと安珍に追いついて「主は、安珍か・・?」嘘の返事で人違いと言われ、清姫は激怒した。安珍は「南無金剛童子、助け給え」と祈る。祈りで目がくらんだ清姫、安珍を見失い更に逆上。追いつ追われつ、日高川に到った安珍は船で渡るが、話を聞いた船頭は清姫を渡そうとしない。
    清姫遂に一念の蛇体となって川を渡り、更に、追い続ける。道成寺に逃げ込んだ安珍を寺僧が匿い、鐘の中に身を隠した・・。間もなく清姫もやって来てたが、その姿は完全に大蛇と化していた。安珍の隠れた鐘を見つけた清姫は、その鐘に巻きつき炎を吐いて鐘もろとも焼き払ってしまったという。その後、清姫は蛇体のまま入水してはてたという・・。安珍が焼死、清姫が入水自殺した後、住職は二人が蛇道に転生した夢を見た。そして法華経供養を営むと、二人が天人の姿で現れ、熊野の宮と観音菩薩の化身だった事を明かす 』

    真砂の里、冨田川の淵は清姫が水垢離(みずこり:神仏に祈願するため、冷水を浴び身体のけがれを去って清浄にすること)をとり入水したという「清姫渕」、その時衣を掛けた「衣掛松」、安珍の帰りを待った「のぞき橋」、水鏡にした「鏡岩」、蛇となってその幹をねじた「捻じ木の杉」などの伝説がのこっている。 
    尤も、二人が、熊野の宮(安珍)と観音菩薩(清姫)であったとすると、平安初期以降にみられた神仏集合、本地垂迹の思想、実践、つまり、神に仏が宿り、その内仏が神を呑み込んでしまった実情が、透けて見えてくるのであるが・・?。
    次に、その「道成寺」を訪ねてみよう・・。


    田辺市に出た・・。
    和歌山県中部の中心地であり、熊野古道の中辺路ルート、大辺路ルートの分岐点で、「口熊野」(くちくまの)とも称される。
    現在の田辺市(新制)は、2005年5月1日に、田辺市(旧制)、龍神村、中辺路町、大塔村、本宮町の新設合併によって発足した、中辺路町から本宮町まで広大な地域になって、面積的には和歌山県全域の約22%を有し、県内でも圧倒的最大の面積になったという・・。 尚、全国都市の面積順位では11位になっている。

    国道311から、海道の国道42へ合流し、南部(みなべ)から阪和道にでて「御坊」へ向う。 


    次回は、 御坊・「道成寺」

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