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  • from: orimasa2007さん

    2008年03月05日 11時08分54秒

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    世界遺産・石見銀山(3)・・石見地方・「柿本人麿」

    浜田港


    世界遺産・石見銀山(3)・・石見地方・「柿本人麿」

    <font size="2" color="#0000FF">話を元に戻そう・・、「石見地方」のことである。
    或る著名な歴史家に言わせても・・、「出雲には、日本唯一の風土記完本(出雲風土記)が残っているが、石見に関しては『柿本人麿』の赴任の記事がたった一つだけで、風土記や他の記事すらまったく現存しない。 出雲大社、荒神谷神遺跡(古墳時代:島根県斐川町)、加茂岩倉遺跡(古墳時代:島根県雲南市)など、いずれも出雲地方で発見されている。 しかし、石見は石見神楽に見られるように、郷土の文化に関心がない土地柄とは思えない。」・・と。


    ここで「柿本人麿」について・・、

    西部地域の石西地方の中心とするに益田市は、急峻な山陰の山々に囲まれている地域に高津川及び益田川が主要河川となり日本海に注いでおり、そこに、小さな益田平野が三角州状に広がっている。 その中心に益田の市街地が開けている。 
    その市の西部、高津川の袂に「高津柿本神社」があり、歌人として知られる「柿本人麿呂」を祀っている。 

    どっしりとした風格の入母屋造の本殿を持つ神社で、地元の人は「人丸」と呼んでいるようで、読み方によって「ひとまる」、「火止まる」で火災除けの神様、 「ひとうまる」、「人産まる」で安産の神様と開運・・、つまり火難除け、商売繁盛、安産の神様として人々の信仰を集めているとか・・。
    元来が歌聖であることから、学業成就を願う学生も多く、人麻呂を偲ぶ参拝客が後を絶たないという。

    皆さんご存知の有名な歌に・・、

    元歌・・『 足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾之 長永夜乎 一鴨將宿 』――万葉集歌
    読み・・『 あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む 』―百人一首
    現代訳・・( 夜になると谷を隔てて独りさびしく寝るという山鳥の長く垂れた尾のように 長い長いこの夜を、私は独りさびしく寝るのだろう )

    この歌は、小生たちが高校生頃、学業でも習い覚えたもので、百人一首を嗜(たしなむ)む人達は、どなたも御存じの一句である。 
    柿本人麿呂(かきのもとのひとまろ)は万葉集のみならず和歌史を代表し、強いては日本文学史をも代表する人物で、奈良朝以前の飛鳥時代の歌人である。 
    生涯で300首以上の歌を詠み、「万葉集」に、人麻呂作歌75首、および柿本朝臣人麻呂歌集で歌25首、計100首を載せてる。
    又、百人一首・百人秀歌共に三番目に置かれている。

    「柿本人麻呂」といえば、せいぜい平安期ぐらいの人物と想像していたが、これほど大昔の人とは存じなかった。
    上記、韓文字歌(万葉集歌)は一見したところ何のことやら判らぬが、飛鳥時代には未だ平文字は無く、韓文字で書かれた原文、原歌なのである。
    因みに、「万葉集」が発刊されたのは、奈良中期ごろで、集歌は天皇、貴族から名もない防人(さきもり・兵士のこと)、遊女ら様々な身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたものという。

    人麻呂についての人物史書や記録記載はあまり無く、その生涯については謎とされているが、宮廷での皇室讃歌や皇子・皇女の挽歌(ばんか・死者を哀悼する詩歌、悼歌、哀傷歌)を歌うという仕事の内容や重要性からみても、政府筋の高官であったことは伺える・・。

    人麻呂は、「石見国」へ国府の役人として下向したのであろうと言われているが、その痕跡、足跡は分からないし、当時の国府がどこにあったのかも諸説あるようで、現在のところ浜田市と想定されている。
    その終焉の地も定かではないとされるが、有力な説として現在の島根県益田市であるという。

    柿本人麻呂は、石見地方のことも歌に残している。
    元歌・・『 石見のや 高角山の 木の際より 我が振る袖を 妹見つらむか 』

    現訳・・( 石見の高角山(たかつのやま)の木の間から、私が振る袖(そで)を、妻は見てくれたでしょうか。 )

    これは、柿本人麻呂が、石見の国司として赴任し、妻である依羅娘子(よさみのおとめ)をこの地に残して都を旅立つとき、妻との別れを惜しんで詠んだものと言われている。
    この歌に詠まれた「江津」の高角山に、柿本人麻呂像と並んで依羅娘子像が完成し、設置されているという。
    生誕の地とされる戸田柿本神社、鴨島で死没した人麻呂の霊を祀る高津柿本神社、そして隣接する万葉公園・・・等、石見地方は万葉ロマンに思いを馳せる地でもある。


    その石見地方の中心都市「浜田」について・・、
    新道9号線沿いの港が一望できる高台に道の駅・「夕日パーク浜田」があった。
    港周辺の展望が抜群であり、港を往来する巨大船舶、小漁船と相まって、島へ渡る近代的な大橋がいい風景となって見下ろせる。 橋は「マリン大橋」といい、島は「瀬戸ヶ島」という。 すぐ左には同様ぐらいの大きさの島々が美観を添えてる。

    ところで、こちらは鳶(トンビ)の駅・・?でも有るのかな・・、未だ夕焼けには早い時間帯だが、三橋美智也の「夕焼け空が マッカッカ とんびがくるりと 輪を描いた ホーイのホイ・・」ではないがトンビが1羽どころではなく、無数に飛び回っているのである。 それが低空飛行、滑空しながら人間に近付いてくるのである・・。
    気がつくと見晴らし用の階段の一角で、一人の男が盛んに餌を与えていた。


    浜田市は、益田市、大田市と共に石見三田(いわみさんだ)とも呼ばれているようである。
    浜田は、古代・石見国の国府があったところとされてい。 ただ、国分寺跡らしいものが発見されているが、未だ確証はされていないという。 
    鎌倉時代に守護制度が置かれると、源氏・佐々木氏がこの三国を支配し、室町時代には「大内氏」が領主となって、石見銀山をも支配するように成る。

    浜田に本格的な城郭と城下町が築かれたのは江戸時代初期のことである。 
    元和5年(1619)に伊勢松坂から転封されてきたのが「古田重治」(ふるたしげはる:羽柴秀吉の家臣だった古田重則の三男)だった。
    浜田藩5万5千石の本拠地として浜田城を整備し、このとき、築城ならびに城下町整備のために重治が大坂から連れてきた瓦職人の伝えた技術が、昨今の石州瓦発展の基礎になったそうである。

    その後、浜田藩は古田家以降五家十八代続き、長州(山口県)の毛利氏に対する最前線の抑えとしての役割を果たしてきた。
    しかし、慶応2年(1866)、第2次長州征伐の際には山陰方面の幕府軍の拠点となったため村田蔵六(後の大村益次郎)率いる長州軍の猛攻を受け落城する。 藩主の松平武聡は城に火を放って鳥取へ逃亡し、250年近くに及んだ浜田藩の歴史に幕を閉じている。

    江戸期における浜田港は、北前船の寄港と物資の集散地として栄え、又、一方、密貿易も行っていて浜田藩は多いに潤ったと言う。
    江戸時代は鎖国時代であって、海外との貿易は幕府直轄の長崎港だけで、鎖国を破り海外との貿易を行うことは幕府への反逆行為として大罪であった。 しかし、鎖国は幕府が海外貿易の利益を独占するために行ったという説もあったようである。
    実のところ幕藩時代は、どの藩も財政が窮乏しており、内密で江戸後期には薩摩藩をはじめ危険を冒してでもその密貿易に手を付けた藩や人物は結構いたようである。

    浜田港は北前船の交易も盛んであったが、当節の浜田藩の財政難を見かねた藩の商人「会津屋八右衛門」は密かに朝鮮のウルルン島(当時は竹島)に船を出し交易を行い、数年で何十万両もの利益を上げ、それによって浜田藩は窮乏から脱したとのことであった。

    しかし、それも幕府の隠密とされた「間宮林蔵」に摘発され発覚し、天保7年(1836年)に八右衛門は死罪となり、家老、年寄などの重職は切腹、藩主の松平家も福島に国替えとなっている。
    浜田の庶民の安定した暮らしの中には、このような犠牲も有ったのである・・。

    浜田港の右方、一路越えたところに広大な緑の丘が見渡せる・・、浜田城址(城址公園)である。 
    小生お好みの作家・司馬遼太郎氏は、大村益次郎の伝記小説「花神」の執筆にあたり、浜田城攻防の歴史を調査している。
    この際の記念に、本丸跡の上り口近くに、司馬氏の浜田藩追懐の碑文を記している。

    『 いま、城跡は苔と草木と石垣のみである。それらに積もる風霜こそ、歴史の記念碑といっていい 』
    と締めくくっている。

    松原浦を見下ろす岬の先端に、「会津屋八右衛門」の像が浦を見下ろしている。


    次回は、世界遺産・・「温泉津」


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