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  • from: orimasa2007さん

    2009年11月13日 10時53分56秒

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    日本周遊紀行(19)象潟 「芭蕉と象潟」


    象潟:陸の松島と言われた田園風景


    芭蕉碑と舟つなぎ石(写真下)


    日本周遊紀行(19)象潟 「芭蕉と象潟」

    出羽の国(古名で出羽の国は山形、秋田を指し、正確には「羽後」である)、秋田県に入りました。 

    ここ象潟は芭蕉が訪れた最北の地でもあるが、元より、ここ象潟の地は芭蕉は訪れる予定はなかったらしい。 最上川から酒田へ出た時、「象潟はいい所だよ」と誰かに聞かされて、此処まで脚を延ばしたらしい・・キット!! 。 
    そう言えば、ここは「陸の松島」とも言われた。


    芭蕉がこの地を訪ねたのが元禄二年(1689)のこと。

    当時は、象潟は「九十九島・八十八潟」といわれた景勝地であり、芭蕉も「東の松島 西の象潟」と評したほど景観随一の地であった。 
    しかし、江戸末期には「松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し」と評されている。 

    それは何故か・・?、

    1804年、芭蕉が訪れた凡そ110年後、この地を大地震が襲ってきて象潟の美景は、土地の大変動によって大きく失われてしまったのである。

    往時、芭蕉はこの地で次のような句を詠んでいる。


    『 象潟や 雨に西施が ねぶの花 』

     「西施」(せいし)とは中国・春秋時代(紀元前5世紀頃、呉越の戦いの時代)の「越の国」の美女のことである。
    越王・勾践(こうせん)が呉に敗れて後、西施が呉王・夫差(ふさ)の許に献ぜられ、夫差は「西施」の色に溺れて国を傾けるに至った・・、「傾城の美女」の起こりである。 

    序に、呉と越は長年の宿敵同士であり、呉王は越を滅ぼすべく大軍を率いて攻め込んだ。  しかし、越の奇策によって大敗し、代わって太子の夫差が呉王として即位した。
    夫差は、父を殺された恨みを忘れないために薪の上で寝るようにし、功臣の補佐を得て呉を建て直して、今度は、越に攻め込み越を滅亡寸前までに追い詰めた。
    勾践は夫差に和を請い、夫差はこれを受け入れた。

    勾践は、呉に赴き夫差の召し使いとして仕えることになったが、勾践はこのときの悔しさを忘れず、部屋に苦い肝(きも)を吊るして毎日のようにそれを舐めて呉に対する復讐を誓った。勾践のこの時の深謀遠慮を・・?、「臥薪嘗胆」という故事の元となったという逸話である。

    ねぶの花」の合歓(ねぶ)の木は、日当たりのいい湿地を好んで自生する樹木で、夕方になると葉と葉をあわせて閉じ、睡眠をする。
    眠(ねむ)の木とも言い、漢語では色っぽい、合歓という。「合歓」とは、男女が共寝をすることである。 
    ねぶの花は、羽毛に似て白に淡く紅をふくんで、薄命の美女をおもわせる。 

    芭蕉は、象潟というどこか悲しみを感じさせる水景に、「西施」の凄絶なうつくしさに憂いを思い、それを「ねぶの花」に託しつつ、合歓という漢語をつかい、歴史をうごかしたエロテイシズムを表現したともいわれる。 
    芭蕉は、深い情感を以ってこの句を詠んでいる様で、同時に、芭蕉はこの時、一人身のやるせなさを句に託し、女性を想っていたに違いないともいう。

    当時の「象潟」は、こんな気持ちが透き通るような風景の地であったのだ。



    こんな「九十九島・八十八潟」と言われた象潟は、今から約2600年前、鳥海山の大規模な崩落によって流れ出た土砂が日本海に流れ込み、浅い海と多くの小さな島々が出来上がったという。 
    やがて堆積作用の結果、浅海は砂丘によって仕切られて潟湖が出来たといわれ、そして小さな島々には松が生い茂り、松島の様な風光明媚な「象潟の風景」が出来上がったと言われる。
    芭蕉は正にこの風景をみて感じ入ったのである。

    ところが、今から200年前の文化元年(1804)に大地震が起こって、海底が2m40cmも隆起し潟の海水が失われて、水に覆われていた「潟」は陸地に変わってしまい、往年の美しい面影は失われてしまった。
    残念ながら現代の私たちは、芭蕉が眺めた様な風景を観賞することはできず、つくづく200年前の地震が恨めしいのである。 

    尤も、当時の人からしてみれば、突然地面が湧き上がり、新しく土地が出来上がった事で、稲穂の実る水田となり、米作を作れるようになったのであるから、喜ばしいことだったには違いない。


    現在は陸地になり、水田の中に元々島であった小山が点々と存在するような場所となり、美しい島々の姿が、古様(いにしえ)を偲ばせてくれる。
    これが「陸の松島」と言われる由縁(ゆえん)である。

    その後、干拓事業による水田開発の波に飲まれ、歴史的な景勝地(松が茂る島々)は消されようとしていたが、当時の「蚶満寺」(かんまんじ)の住職の呼びかけによって保存運動が高まり、今日に見られる景勝地の姿となったという。

    蚶満寺は、松林の中に立つ曹洞宗の古刹で、かっては象潟の海に浮かぶ島々の一つだった所に座していたが、時の大地震で海が隆起し現在の様になった。 
    境内には往時を忍ばせる「舟つなぎ石」も残っている他、芭蕉も立ち寄ったことから、その句碑も立っている。


    蚶満寺は「かんまんじ」は、象潟・「きさかた」の名の起こりとも云われる。
    「蚶」とは「赤貝」のことで「きさがい」ともいい、古い時代には「象潟」は「蚶方」とも書かれ、寺名は「蚶方寺(きさかたでら)」であったという。 
    それがいつのころからか「蚶万寺」と書き間違えられ、さらに「蚶満寺」と書き換えられ、一時は「干満寺」と書かれたこともあったという。
    こうなるともう訳がわからなくなるが、早い話が「象潟」と「蚶満」はもともと同じ言葉であったということで、読み難いだけでなく何とも面倒な地名なのだが、こうなると逆に何故か心地よい気もする・・?。


    一帯は、国の名勝で、鳥海国定公園の指定地でもある。
    現在も、102の小島が水田地帯に残され、とりわけ田植えの季節ともなると満々と水が張られ、この様子はあたかも往年の多島海の風景「松島」を彷彿させるという。

    次回は、「岩城」



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