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  • from: orimasa2007さん

    2009年12月23日 13時45分11秒

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    日本周遊紀行(43)寿都 「弁慶岬」


    弁慶岬に立つ「弁慶像」



    日本周遊紀行(43)寿都 「弁慶岬」


    北海道で本州側に細長く延びた半島を「渡島半島」(おしまはんとう)といい、一般には寿都から長万部を結ぶ黒松内低地以南の地域を指すのであろう。 

    その先端南部は二つに分かれ、日本海に面する方を松前半島、太平洋が亀田半島と称しているが、こちらは余り一般的な名称ではないらしい。


    地図を観ても凡その見当は付くが、この半島は道内の各所に観られるような原野や平原、湿原といった平坦な地域は殆ど見当たらず、急峻な山地帯が一体を占めている様である。 
    特に半島の日本海に面する北西部の海岸線(30〜40km)は、奇岩や岩礁が連なる山岳地帯となっている。 


    大成町辺りの海岸のすぐ横には標高816mの「毛無山」が聳え、その山塊が日本海に断崖となって崩(なだれ)れ落ちている。 

    この地が、北海道最西端の地といわれる「尾花岬」である。



    北海道最南端の地「白神岬」でも述べたが、北海道の沿岸周を巡っている小生にとっては是非訪れて見たい地であるが、急峻な山岳地と海岸が一体となっている地域で、残念ながらまだ道路も開通していない様で、従って、訪れるのは無理なようである。 

    この辺りは、「日本の秘境100選」にも選ばれている辺境の地なのである。 
    因みに、北海道で100選に選ばれている地域は、知床やサロベツ原野など11ヶ所におよぶらしい。





    その渡島半島の付け根に当る「寿都」(すっつ)へ達した。


    この地は、北に向って鋭角に尖った岬が在り「弁慶岬」という。 

    その一角の大きな台座の上に、長刀を持つ堂々とした「武蔵坊弁慶」の像が、仁王立ちならぬ弁慶立ちで立っていた。


    一般にも北海道には魅力的な「岬」が多いようで、外周旅行を実行している小生にとっては謂わば通り道のようであり、楽しみの一つでもある。 

    銅像は寿都町が岬を公園として整備し建てたものらしく、台座に刻まれた「想望」の文字は、北の大地を駆け抜け、悲劇的な最後を遂げた義経・弁慶一行の思いを伝えているという。  

    ただ、岬の弁慶像を観光の目玉にしたつもりであろうが、今のところ人気の気配は余り無いという・・?。 
    広々とした駐車場いっぱいに、サブちゃんの「弁慶岬」という歌がスピーカーから流れていで、町を挙げて義経伝説に彩りを添えているのは理解できるが。



    その銅像の武蔵坊弁慶は、海を見ている・・、


    毎日、岬の先に立ち、義経再挙の兵を乗せた船団が沖に現れるのを待ったのであろうか・・?。 
    仁王立ちで同志を待つ弁慶の姿を見ていたアイヌたちは、いつしか岬を弁慶岬と呼ぶようになったという。


    チョット、関連するかもしれないが・・、


    これより先、寿都湾に面した歌棄(うたすつ)地区に、佐藤家が明治初期に建てたという漁家建築の代表的な大屋敷「鰊御殿」が海に向って建っている。 

    佐藤家は、義経の家臣・佐藤継信の末裔といわれ、現在でも人が住んでいてニシン場時代の資料館にもなっている。

    幕末の1850年代初頭に歌棄、磯谷二場所の場所請負人(指定された区画、区域が「場所」であり、その交易権(生産行為も含めて)を委託された者を「場所請負人」とよんでいる。)を勤め、維新後は駅逓(郵便)取扱人を命ぜらるなど、同地方随一の名家といわれる。 

    積丹半島の開発および漁法改良に尽力した人物であり、開発功労者として著名であるらしい。

    この佐藤家は、義経の家臣・佐藤継信(さとうつねのぶ)の末裔といわれる。 

    継信は平安時代末期の武将で、源義経の家臣・義経四天王(佐藤継信・忠信兄弟、鎌田盛政・光政兄弟=義経の父・義朝の家臣の子)に数えられる。


    2005年に放送されたNHK大河ドラマの「義経」でもお馴染みであろうが、「佐藤兄弟」(忠信:海東健 、継信:宮内敦士が演じている)は元々奥州藤原家(藤原秀衡)の家臣であった。 

    1180年、義経は、関東・鎌倉において実兄・源頼朝の挙兵を知り、奥州より加勢に向かおうとした際、秀衡の推挙によって義経の側近として兄弟共に平氏追討軍に加わるのである。 

    1185年、「屋島の戦い」において、強弓で知られた平教経が義経を狙って放った矢を、継信が一身で受け戦死する。 

    継信の死を悼んだ義経は、懇(ねんごろに)ろに供養を行ったという。 

    因みに、弟の忠信は、平家が滅亡する「壇ノ浦の合戦」まで戦い抜く。 

    戦後、義経が兄・頼朝と不和になり鎌倉に入れず吉野に逃れた際もそれに従い、義経を頼朝が差し向けた追っ手から逃すために相手に単身で切り込み、義経を逃れさせた後、自ら京の義経の館に戻って北条時政の軍と戦い、そこで自害している。




    弁慶といい、佐藤兄弟といい、いずれも義経の経緯伝説から発しているが、この辺鄙な田舎町に如何にして佐藤継信の子孫が移り住んだか・・?、

    その史的経緯はともかく、このような伝説が残っていること事態に、あらためて歴史のロマンを感ずるのである。 


    義経蝦夷渡来伝説」は各地に存在するが、義経と共に戦って敗れた落ち武者が、この地に土着したことには頷けるのである。



    さて「弁慶岬」であるが・・、


    津軽海峡を渡って北上した義経一行が、弁慶の舎弟・常陸坊海尊が率いる船団を待ち受けた場所とも言われている。


    江戸時代の蝦夷地探検家・松浦武四郎の「西蝦夷日誌」には・・、
    『 近くに小山があり、義経卿此処(ここ)より見給いし 』と記されているとか。 

    寿都町で毎年夏に開催される「寿都湾弁慶祭り」では、かがり火をたいた義経・弁慶の一行が町を練り歩き、羽織はかま姿の町長と口上を交わす儀式が催されるという。 

    役場近くには、長さ約90センチの弁慶ゲタが奉納されていて、合わせて弁慶堂が建っているという。




    弁慶岬』  唄・北島三朗

    海は朝やけ 男の大地 
    いのちはぐくむ 日本海 
    夜明け間近の 寿都湾 
    金波銀波の 輝く海原に 
    道をつくって 船がゆく 
    無事を見守れ 弁慶岬 



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