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  • from: orimasa2007さん

    2010年04月09日 09時58分29秒

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    日本周遊紀行(84)噴火湾 「八雲、森町」

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    日本周遊紀行(84)噴火湾 「八雲、森町」


    八雲町へ入った・・、

    農業が盛んな町のようで、柔らかい斜面の丘陵地には広大な畑と牧場に色分けされている。
    牧場は、主に牛のようで畜産、酪農か主体であろう。 
    以前、カミさんと訪れたとき、この辺りでKFCの農場・フアームを見物したはずだが・・??、あの時は確か「KFCプランテーション・ハーベスター八雲」とかいう名称だったと思う。 
    名が示すとおりケンタッキーフライドチキン(KFC)の実験農場という形態を採ったレストランを中心にした施設だった。 国道5号線から内陸方面に入ると、とても雰囲気の良い並木道が続いていたはずなのだが、それがない・・?。

    事実KFCは実験農場としての役割は終了したとして、別の経営母体に売却したともいわれるが・・?。



    ところで繰り返し述べてきたが、北海道は元々はアイヌの住む地で蝦夷地といわれた。 
    江戸期に松前藩が置かれて、これがきっかけで各地に和人が住み着くようになった。 
    当時はアイヌとの交易や外国に対する北方警備が主な任務で、所謂、北海道の開拓や開発とは縁遠いものだった。
    幕末になって内地国内では大きな時代のウネリ・変革がもたれされていた。 明治維新である。

    明治期、版籍奉還、廃藩置県、そして身分制度の変化等に伴なって武士社会は崩壊し特に下級武士はいきなり平民に格下げされ、そして生活面でも苦境に陥った。 
    明治中央政府は、これら身分制度によって生じた旧武士達の救済を兼ねて、未開地であった広大な蝦夷地の開拓、開発政策に乗り出したのである。 
    先ず、蝦夷地に開拓使(黒田清隆等の特使又は長官、判官)を置き、指令による派遣(※屯田兵)や自由意思による移民政策を奨励し、併せて、北方の防衛(主にロシア)をも兼ねたものだった。

    このような状況の中、この八雲町は徳川御三家の一つ「尾張藩」の旧臣達の入植により開祖、開発が行はれたのであった。 
    生活に困窮する元武士たちは、旧臣授産(旧臣達の失業者または貧困者に、仕事を与え、生計をたすけること)の道を開こうと藩の支持、協力を仰いで新天地を目指した。 
    この地に150万坪の下付を受け、藩土を移住させて拓いたのが「徳川農場」の始まりであり、この町の団体移民の最初であった。 
    さらに移住者が増え、1881年(明治14年)には47戸、260余名だったという。 
    農場では牧畜も手がけ、混合農業を行い、加えて味噌、醤油の醸造にも着手している。

    ちなみに八雲町の名付親は旧尾張藩主「徳川慶勝」卿である。 


    古事記に記されている・・、

    『 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 
                八重垣作る その八重垣を
     』

    (神が天井より天下へ降臨する時に八重の雲が湧き上がり、地上は楽園になろう)
    を引用したもの。 
    この歌は出雲開祖の神:スサノオノミコトが出雲の地を拓き、宮(出雲大社)を作ったときに詠んだと伝えられている。 
    出雲地方(島根県)にも八雲村があり、この八雲町も同様の意味を込めて命名したという。


    北海道を旅行すると土産店に「熊の木彫り」の彫刻が売られている。 この熊の彫り物は、ここ八雲町が発祥といわれる。 
    同町内にある徳川牧場主・徳川義親が欧州旅行の際、スイスで熊をモデルにした木彫りの民芸品が売られているのを見付け、これを八雲農民の副業に奨励してその生活向上に役立たせようと考え、見本となる木彫り熊を買い求めて帰国したといわれる。 
    そして、直後に八雲を訪れた義親はこれらの見本を農民に示し、出来上がった製品はすべて買い上げることとして制作を試みるよう奨励したという。

    2005年10月、道内でも有数の酪農地帯である八雲町と、日本海に面した往時はニシンの千石場所として栄えた熊石町が合併し、新しい八雲町が誕生している。
    太平洋と日本海の両太洋をを抱く珍しい地域になっている。



    森町に入った・・、

    山中に「濁川温泉」があり、そこに温泉利用した地熱発電所があるという。 
    この発電所は10万世帯分の発電能力を持つといい、地下2,000メートルの熱水や蒸気を利用ししているが、しかしながら、地熱発電は火力に比べ採算が合わないといわれる。 
    道内の地熱・熱水地帯は国立公園内がほとんどで、新規の開発にも制限があるといわれ、ここが北海道では最初で最後であるとか。 
    思うに、日本は火の国・火山の国である。 
    無尽蔵にあるこのエネルギー資源、排出ガスを伴わない環境に優しい、このエネルギーを国家を挙げて有効に利用できないものか・・??。 
    この地熱を利用した農家では、トマトや葉菜の等、地熱によるハウス栽培が多くあるという。


    森町市街地手前に「鷲の木」という海岸がある。 

    時は幕末、慶応4年(明治元年・1868年)、江戸城が開放されて戊辰戦争も幕府軍の敗戦が決定的となり、戦後処理として西軍は榎本武揚が所持する軍艦を接収しようとした。 これをきらった榎本幕府軍2000名が、「開陽丸」を旗艦とする幕府艦隊8隻をしきいて江戸を脱出、出港してしまう。 途中、仙台に立ち寄った後、10月20日に、この地「鷲の木」に上陸しているのである。 
    函館戦争の始まりであった。

    10月26日に榎本幕府軍は函館・五稜郭を占拠し、松前城・江差を奪取して渡島半島の蝦夷地を手中にして、一時は蝦夷共和国を建国した。 
    その後は開陽丸の不慮の沈没事故もあり、西軍は周辺で激戦を繰り返しながら函館周辺を制圧し、土方歳三ら多数の戦死者を出しながら、翌年5月17日榎本武揚は降伏する。
    五稜郭が明け渡され、函館戦争を最後に戊辰戦争は終結した。
    ちなみに新撰組(2004年、NHK大河ドラマ放映)副隊長で、後に榎本軍の陸軍参謀であった土方は自ら死地へ出陣している。 
    因みに、函館戦争で多くの戦死者を出したが、榎本軍の軍幹部の死者は、「土方歳三」たった一人であったという。 残った幹部は全て新政府の要職に付いている。

    森町はモリマチと呼ぶ。 道内で「町」は「ちょう」と呼ぶのが殆どであり、「マチ」と呼ぶのはこの森町だけらしい。 因みに、静岡県に、あの「森の石松」の出身地である森町は、同様に「モリマチ」と呼ぶのは周知である。



    国道5号線をこのまま進むと、大沼から函館へ出る。
    本来、一般の観光客は幹線(国道、鉄道)が走る森から函館へ向うのが普通であろう。 小生の今回の旅の目的は沿岸外周が目的なので、当然国道278方面へ向かう。
    鷲の木辺りから海岸沿いの市街を行くと、左側真近に函館本線の「森」駅が在った。

    海岸なのに、森とはこれいかに・・?」 


    次回は、鹿部、南茅部町




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