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  • from: orimasa2007さん

    2010年07月27日 10時13分43秒

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    日本周遊紀行(123)館山 「里見氏の盛衰」

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     日本周遊紀行(123)館山 「里見氏の盛衰」 



    白浜で房総の実権を奪った里美氏は「館山」に根拠をもつが・・、

    温暖な気候に恵まれてる館山も、千倉同様「花の街」である。
    相浜からは再びフラワーラインがはじまり、両サイドを季節の花で飾られたほぼ直線の道が続く。 可憐に咲く色彩鮮やかな花々に思わず見とれるほどで、この平砂浦海岸通りの途中には「館山ファミリーパーク」「南房パラダイス」、「白浜フラワーパーク」といった施設もあり、特殊な熱帯性の花を楽しむことが出来るスポットである。

    次には、果てしなく広がる大海原、岩礁に散る白い波、荒々しくも雄大な風景の中、間もなく洲崎へ到着した。 大きくカーブする細い道へ入ると洲崎灯台が立つ。 
    対岸にある三浦半島の剱崎灯台とともに東京湾の入り口を守る。 
    ここは、房総半島の先端で、三浦半島の剣崎とともに東京湾・浦賀水道の入口にあたるところであり、また、内房総、外房総の境目となっているところでもある。 

    灯台には入れないが、敷地内からは天気が良ければ、対岸の三浦半島が手に取る様に見え、そして、相模湾越しに富士の秀麗な姿が見事に見渡せるはずである。 つまり、この地は初日の出と、初富士とを同時に見ることができる絶好のポイントでもある。 

    しかし、今日は小雨混じりのドンヨリとした日で、望むべきもない。 



    子供が幼少の頃何度か訪れたことのある海辺に面した「館山国民休暇村」を横に見る。 その向こうは濃い大洋の蒼が広がっている。 
    この大洋を時折眺めながら、ゆったりと車を進める。 内房の東京湾を眺めると、いよいよこの旅も終焉に近づいていることを実感しながら。


    厳しい(いかめしい)海上自衛隊の基地を過ぎると館山市街である。 
    やや内陸部には小山のような丘の上に城山公園があり、白亜のお城が目に留まった。 戦国時代の武将、里見氏の居城・館山城(模擬天守)で、新装なって聳え立っている。 

    古城は天正6(1578)年、里見義頼が重臣に築城を命じ、その子義康が天正16(1588)年に大規模な改修を行い、天正18(1590)年に完成している。 
    城郭から晴れた日には市内と館山湾が一望できる絶好のビュースポットであり、公園内には、椿、梅、桜、ツツジ等の花木が小径をうずめ、四季折々の花が咲き、桜の名所としても知られている。


    「館山」は中世の頃には、戦国武将・里見氏がこの地を統治、滝沢馬琴作の「南総里見八犬伝」の舞台にもなったところで、今でも、里見氏の史跡の数々や八犬伝のロマンが香る史跡が残っている。

    平家が滅んだ後の鎌倉期、この館山は執権・北条氏一族の勢力も及んで、室町時代に入っても鎌倉が関東の中心で、その湾口に対岸する三浦半島即ち鎌倉と安房とは強いつながりをもっていた。

    鎌倉幕府が滅んで政治の中心が京の都へ移った室町初期(足利将軍時代)、鎌倉には将軍の代理として将軍直近の足利氏を任命することになる。(鎌倉公方) 又、この鎌倉公方を補佐するために関東管領職を置いた。
    そして足利四代の足利持氏の時代、補佐するはずの上杉氏(関東管領)と対立が激しくなり、足利氏は側近である里見義実に命じて、安房から上杉氏を追い出そうとする。 

    義実が安房の上杉勢力の追い出しに成功すると、やがて里見氏が安房の武士たちを従えるようになり、その後、里美氏数代にわたって房総半島全域に勢力を広げ、房総最大の戦国大名に成長する。


    戦国末期・里見氏は、関東に覇権を広げつつあった最大の敵・小田原北条氏(鎌倉期の北条とは異なる。後北条)と敵対していた。
    里見家八代目当主・里見義頼の時、北条氏の勢力が上総にまで及んできたことから、家督を継いだ九代目当主・里見義康はその意思を継いで、特に海の戦略的拠点であった館山に城を築き本城としていた。 

    天正18年(1590年)の秀吉の小田原合戦で北条氏が滅んだ後は、小田原参陣が不備だったのを咎められ、上総を没収されて安房一国のみを安堵される。

    更に、徳川将軍家の江戸初期になって、里美家に衰落の変化が訪れる。 
    父の死により忠義が家督を相続するが、その後、内粉・内乱で治世は困難を極め、縁あって大久保忠隣(ただちか:相模・小田原城主、忠義は忠隣の娘を妻に娶っている)と縁戚を持つが、その忠隣が失脚事件(大久保長安事件)を起こし、忠義も連座したとされて改易されてしまう。 
    忠義は更に、嗣子が無いとされて大名家としての「館山の里見氏」は領地を召し上げられ、房総に名を馳せた戦国大名・里見氏は事実上滅亡する。



    館山の西口駅前に広がる海岸方面へ向った。 この海岸も何ともいえない風情が漂う。 
    JR内房線「館山駅」より館山湾を望めるこの荒井、北条地区は鏡のように波が静かなことから「鏡ケ浦」と呼ばれている。 
    遠浅の海、弓なりの砂浜は絶好の海水浴場であり、叉、景観も素晴らしく「日本の夕陽百選」、「関東の富士見百景」に選定されている美景のポイントでもあった。
    市街地の目抜き通りにて、海産品のお土産を購入して先へ急ぐ。 


    館山の市街地を抜けると東方に大房岬(たいぶさ みさき)が突き出ている。 
    房総には珍しく7〜80mの断崖の岬で、雄大な海と奇怪な海蝕景観にも恵まれ展望台も点在している。県はこの岬を自然公園の拠点としてビジターセンターや園地、キャンプ場、宿舎等、各施設を造った。

    又、この岬は高台で東京湾の入り口に当たるため、江戸及び東京の防衛拠点としての台場(要塞)の施設が整えられたという。
    江戸時代の末には黒船来襲にあわてた幕府は、江戸の防衛のために10門の大筒が備えられた。

    明治20年代に入ると日清・日露戦役に備えて日本海軍は兵員の訓練に励み、艦砲射撃の演習場として大房岬が選ばれている。
    又、昭和3年、陸軍は東京湾防衛のため大房岬を買収し、要塞化する工事に着手している。
    それは巡洋戦艦の艦砲(口径20cm)2門の砲塔が2基備えられ、1個大隊の兵士が東京湾の防衛に当たったとされている。
    しかし、いずれも江戸末期の騒乱から昭和の大戦まで実際に使われることは無かったらしく、現在は、砲塔や弾薬庫の痕跡だけがのこっているという。

    館山は、古代から近代にかけても東京湾の戦略的要衝に変わりはなかった。


    次回は、内房・「鋸山




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