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  • from: orimasa2007さん

    2010年11月11日 09時52分53秒

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    日本周遊紀行(36)志摩 「志摩の国の九鬼船団」

    .


     日本周遊紀行(36)志摩 「志摩の国の九鬼船団」 




    九鬼嘉隆の水軍と信長指令の鉄甲船

    志摩半島東端、大王町に「波切」の浜があり、この地が九鬼嘉隆の出生地であるという。(元祖である九鬼氏の発祥地は尾鷲市の九鬼の浦といわれる)
    大王崎灯台下から北にのびる小さな岬は緑につつまれた崎山公園になっていて、この一角の波切城趾に近接して「仙遊寺」がある。
    仙遊寺は、九鬼氏の菩提寺で九鬼一族の墓である五輪塔が並ぶ。 その奥に波切神社が鎮座する。



    戦国前期、志摩国の地頭を次々と倒した九鬼嘉隆に対し、信長が志摩国の領有を認め、九鬼氏の家督を継ぐように取り計った。 
    信長が伊勢長島の一向一揆(戦国時代に浄土真宗:一向宗の信徒たちが起こした一揆の総称)を鎮圧する際、海上から射撃を行うなどして織田軍を援護し、敵陣攻略に活躍したためである。

    石山本願寺(浄土真宗の本山寺院、本願寺の跡地に豊臣秀吉が大坂城を築いた)の門主だった顕如(けんにょ)は、毛利輝元などと手を結び信長に対抗する同盟を築く。
    毛利水軍600隻に対し、嘉隆水軍は300隻の船を率い摂津木津川沖で戦ったものの、多くの船を焼かれて大敗を喫した。
    この敗戦に激怒した信長は嘉隆に対して「燃えない船」を造るように命じた。
    この時に嘉隆が辿り着いた答えが、船に鉄の板を貼った「鉄甲船」の建造であった。 


    九鬼鉄甲船、毛利水軍600隻を打ち破る・・!!、

    鉄甲船の建造には莫大な資金が必要であったものの信長がこの案に理解を示し、できる限りの援助と手配りをしたという。 お陰で「伊勢浦の大船」と呼ばれた鉄甲船が完成した。

    1578年(天正6年)、嘉隆の率いる6隻の鉄甲船が石山本願寺の抵抗を物ともせず、堺の港に入りその力を見せつけ、その威力は凄まじく嘉隆は毛利水軍600隻を打ち破ることに成功した。 (この海戦は2005年7月のNHK「この時歴史が動いた」に登場した)

    この戦功によって嘉隆は信長から志摩国に加え、摂津国を与えられる。
    信長が死去した後は羽柴秀吉に仕え、信長同様に水軍の頭領として重用された。 そして九州征伐や小田原征伐などに参陣している。 
    1585年には大隅守に就任し、鳥羽城(現在の鳥羽市鳥羽)の築城に着手する。 
    別称、海賊大名と言われた。


    英虞湾の北西の突端部に浜島温泉があった。 志摩地方には貴重な天然温泉として知られる。 町営の立寄り湯も有るようで向かうことにした。 
    英虞湾の深い入り江になっている、静寂な海面を眺めながら温泉場に着いた。 
    確かに立寄り湯はあったが、やはり時間的に早かったようである。

    浜島温泉は、海を一望できるロケーションの良さから夕日の美しさがポイントの温泉旅館が建ち並び、趣向を凝らした露天風呂を有する宿も多いという。 
    泉質は、ナトリウム-塩化物温泉で、少し茶褐色に色づいた半透明の湯であるとか。 
    源泉温度、40.6℃ 泉質、ナトリウム塩化物、 温泉効能は疲労回復、冷え性、神経痛、痛風、リューマチ、肩こり、五十肩、腰痛、関節炎、打ち身等々。



    浜島町より国道260で田曽浦から五カ所湾沿いを行く。
    神津佐(こんさ)から船越、伊勢路(地名)、相賀浦と時をりリアス海岸特有の五カ所湾の入り江を眺めながら上下に、左右に屈曲している160号線を走る。 所謂、海岸の山岳ハイウェイである、トンネルも多い。
    だが新しいトンネルも完成しており、このあたりの道路は改良・拡幅されバイパスも出来て走りやすい。

    五カ所湾の中央部は「船越」といい、一見、島のように見えるが中津浜浦という半島が、喉仏のように岬へ延びている。
    この地方に、素朴な『よねずもち』という民話が伝わっているという。 
    気に入ったので載せてみた。


    民話・『よねずもち

    『 昔日、こちらでは6月の今時分は、田植えの最盛期だったね。今のように田植機はなく、手作業は大変腰が痛かったとの思い出がある。でも楽し気に残っているから不思議ですね。朝星夕星で働いたそんな苦労を癒すために、私たちの地区には「農上がり」と称した小宴を催す習わしがありました。その時のご馳走に「よねずもち」が作られていたのですが、祖母がこしらえた「よねずもち」は一段と美味かったですね。研いだ只米を晒した後、石臼で米の粉に挽くのですが、石臼への米の入れ具合で粉が粗くなったりして、挽き臼の操作も難しいものだったみたいですね。祖母が挽く手の上から廻すのを手伝った子供の頃が浮かんできますが、今思うと大変な作業だったのでしょうね。昼間の仕事を終え夕飯(ゆうげ)の後から始める作業ですから重労働で、居眠りをする母親をよく見かけたものですね。
    餅米でなく粳米(うるごめ・うるち米のこと)の粉ですから、まだ石臼で挽けるのでしょうが、何せ根気と腕力と時間とを要した重労働でしたからね。挽き終える頃は、明日の暦になっていたそうですよ。作り方は簡単で、一晩かかって挽き終えた米の粉を水で練り上げ、団子状に丸めて蒸籠で蒸し上げる。程良く蒸し上がった早朝5時頃に男手が起きてきて、臼と杵で丁寧に搗き上げる。餡ころ餅にして食べるのですが、餅米の餅と違って只米の餅はあっさりとしているから、美味しい物としての記憶が残っていますね。今はもう何処の家庭も滅多に作ることはありませんが、作り方を覚えている今のうちに、子供に教えて置きなさいと家内に言ってはいるのですが。農家の嫁が徹夜して、一晩中掛かって寝ずに仕上げた農上がりのご馳走で、「よねずもち」の語源は、昔の農家の嫁の悲哀を象徴するかのようですね 』

    夜寝ず餅』のお話でした。 

    次回は、古代伝承の地「紀伊長島



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