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  • from: orimasa2007さん

    2010年12月01日 11時17分56秒

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    日本周遊紀行(50)広川 「広村の津波と浜口梧陵」

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     日本周遊紀行(50)広川 「広村の津波と浜口梧陵」  ,


    先ず、有名な「広村の津波」の話であります

    ほぼ三角形の形をした湯浅湾の最奥部の面しているのが、現在の「広川町」である。
    ここの海岸地帯は昔は「広村」と称して漁業を主に営む寒村だった。
    この村は、地形からして古くから津波で甚大な被害を受けてきた。 その為、既に室町時代には豪族・畠山氏による堤防が小規模ながら築かれていたという。

    阪和道の広川I・Cから国道42を目指して海岸に向けて直進すると、小高い土盛りの堤防らしき物に突き当たる。 高さ約5m、延長約600mの堤防(広村堤防)であり、その一角に、「浜口梧陵」の偉業をたたえる「感謝の碑」が建っている。


    津波と「稲むらの火」

    今からおよそ150年前、安政元年(1854年)、紀州・広村は大きな地震(安政南海地震)とそれに伴う大津波に見舞われる。 村は全滅に近い大きな被害を受けた。 
    浜口梧陵(儀兵衛)はこの時、道筋にあたる水田の稲むら(稲束を積み重ねたもの、浜口家の稲むら)の束に松明で次々に火をつけ、村人を安全な場所に導いた。
    広村では339戸に被害、流出家屋125戸で家屋はほぼ全滅、死者も30人を出したが大半の人々は避難して助かることができたという。
    儀兵衛はこの時以来、被災者の救済や村の復興に尽力するとともに、私財を投げ打って約3年10か月もの歳月を費やし、広村に大堤防を完成させた。

    この広村大堤防は、昭和21年の南海地震の大津波が広村を襲ったとき、村の大部分を守ってたいう。
    この実話は小泉八雲によって、明治29年の三陸沿岸の津波災害の惨状と、浜口梧陵の偉業をヒントに、「A Living God;生き神様」という短編小説を書いている。 
    又、小学校教材の「稲むらの火」と題し、国語読本(5年生)にも掲載されたという。


    【追記】
    近年の地震発生は阪神・淡路大震災から10年、新潟中越大地震から数ヶ月、そして福岡西部沖地震もあった。 更に、地震列島日本にあって、昨年のインド洋の物凄い津波被害は驚きであった。
    2004年12月26日午前8時(日本時間26日午前10時)インドネシア西部、スマトラ島沖でマグニチュード9.0という史上最大規模の巨大地震が発生した。 
    この地震により高さ10m以上もの津波が発生、インドネシア・アチェ州、スリランカ、インド、タイ、マレーシアなどインド洋沿岸諸国でこれまでに30万人を超える死者と150万人の避難者を出す最悪の津波大災害となった。
    そして、あの時この時の教訓としても「稲むらの火」が注目を集めたという。


    浜口梧陵の生涯

    浜口梧陵」(儀兵衛)は、1820年、房州(現在の千葉県銚子市)で醤油醸造業を営む豪商浜口家の分家の長男として、ここ紀州・広村(現在の和歌山県広川町)に生まれている。
    少年時代に本家の養子になり34歳ごろに七代目儀兵衛を相続している。(後年梧陵を名乗る)

    安政元(1854)年、梧陵35歳の時に紀州広村において安政大地震に遭遇、私財を注ぎ込み震災の救済と復興にあたる。 
    浜口家(ヤマサ醤油)は江戸にも店があり、千葉と和歌山を行き来するかたわら、佐久間象山に学ぶほか、勝海舟、福沢諭吉などとも親交を深めていた。 
    開国論を賛じ、外国と対抗するには教育が大切と、広村に「耐久舎」という文武両道の稽古場を開いている。現在の耐久中学、県立耐久高等学校の前身でもある。

    幕末に生まれた浜口儀兵衛は、実業家としての働きと共に卓抜した識見や人間としての気宇の大きさから明治政府にも招かれ、和歌山藩の勘定奉行や和歌山県初代の県会議長を経て中央政府へ進出、初代・駅逓頭(郵政大臣・総務大臣に相当)になって近代的な郵便制度の創設に当たったといわれる。

    現在(2006年)、小泉総理の下で郵政民営化の論議が盛んであるが、(小泉首相の信条)やがて、平成の時代には民営化はされよう。
    明治期、初代の郵政大臣になった浜口梧陵は、既に郵政事業は民間に任すべし、と持論を展開していた。
    『 郵便のごときは、これまで飛脚屋が営んできた仕事であるから、将来は民間の経営にゆだねるがよい 』・・と。 
    梧陵は代々の大事業家として、紀州和歌山藩の藩政改革の責任者として、又、莫大な私財を投じて津波防災堤防を建設した者として、公益の事業は国や藩自らが行わなくとも、「」の活動を通じて社会に貢献し、実現することができると考えていたのである。

    一方、当時の逓信改革の先鋒だった「前島密」(まえじまひそか)は、『 今、日本は諸外国に比して弱小で切迫した状況下にある。中央集権の実現と海外圧力に対抗する国家の組織強化は緊急を要する。郵便通信は「国家の神経なり、急ぐことを第一」として官営の名の下での公益達成の追求が必要である 』・・とした。

    二人の持論は政略の無い国家的持論で、どちらも正論であったが、当時の世相論理としては前島論が支持されて、官営としての郵便網が完成している。 

    しかし目を転じて平成の世は如何か・・?、
    世界の中の日本の状況、経済の安定性、国家財政の窮迫、これらに鑑み、国は三位一体(国庫支費を削減する:税源を地方に移譲する:地方交付税を見直す、という三つのことを同時に実施)・地方分権を目指し、小さな政府で官から民へと移行しつつあるすう勢である。
    今にして浜口梧陵の精神が生かされる時では・・と思われるが・・?

    更に追記
    郵政民営化」は、先ず郵政民営化法案が小泉内閣と国会賛同を経て平成17年(2005)に成立している。 その後、議決された法律に基づき平成19年(2007)10月に実施され、郵政公社が日本郵政グループに分社化された。
    旧郵政省から継承されて運営してきた郵政事業は、郵政三事業(郵便・簡易生命保険・郵便貯金)と郵便局の窓口サービスを国から民間会社の経営に移行した。

    梧陵は国会の研究、開設のため欧米の見学行を企画し、65歳で欧米の制度を視察している。 
    大いに国家に授益せんとして海外への視察旅行中、アメリカ・ニューヨークで客死した。享年66歳だった。
    生前、広村の村人たちが梧陵の積年にわたる恩に報いるため、「浜口大明神」なる神社を建てようとする動きがあった。 しかし、梧陵は頑としてそれを許さなかったという。
    広川町役場前に「稲むらの火広場」の銅像が建ち、耐久中学校の校庭に「梧陵翁」の銅像が建つ。

    次回は、紀州・「神の地・和歌山」 



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