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  • from: orimasa2007さん

    2010年12月04日 10時21分23秒

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    日本周遊紀行(51)和歌山 「紀ノ川」

    .


     日本周遊紀行(51)和歌山 「紀ノ川」 




    「紀ノ川」の河口に架かる紀ノ川大橋(国道28号線)


    紀の国の母なる川・「紀ノ川」

    和歌山は神話の舞台として数多く登場することは先に述べた。
    その理由には、大和盆地(奈良)に発生した古代の政権(大和朝廷)が全国を統一し、その後、国内外にまで進出する過程で大量の兵員・物資を輸送する際に大和盆地の南に位置する「紀ノ川」の水運を利用したといわれる。 
    見知らぬ国から国へ、異国からの文化や不思議な話など、古代の和歌山は日本の窓口、世界への窓口の中心だったともされている。


    和歌山城を少し西へ行くと、紀の国の名河「紀ノ川」が広大に、 滔滔(とうとう:水の盛んに流れるさま)と流れる。
    水源は奈良県と三重県の県境をなす台高山脈の南部、大台ケ原にあり、標高1500m から1700mほどの高山地帯で吉野熊野国立公園に属している。 
    この地域は、わが国屈指の多雨地帯で一日の降水量300mmを数えることもあり、この多量の水は大自然を育み、文化の交流を支え、現実に日本有数の淡水魚群を生み出しながら和歌山湾に流れ込んでいる。


    有吉佐和子の大河小説・『紀ノ川』

    和歌山出身の代表的作家、有吉佐和子の作に『紀ノ川』がある。
    この物語は「家と女」という、日本の伝統の流れに身を任せる母、激しく抵抗する娘、そして新世代の孫娘。 この三代の血の流れを紀ノ川の流れに喩えて重ね合わせ、その情景の中で日本の女の物語が静かに編みこまれている。

    小説『紀ノ川』は、花(はな)と呼ばれる主人公が、紀ノ川上流の九度山(紀の川中流域九度山町)から下流の六十谷(むそた:和歌山市北部の紀ノ川沿い・六十谷橋)に嫁ぐ朝の情景から始まる。九度山にある慈尊院で、花嫁と祖母は故郷の川をしみじみ眺めながら、その美しさを讃えている。物語はその後、花が明治の嫁として伝統に生きる姿、その母に反発する娘、花の思いを受けとめる外国育ちの孫娘などが絡む。 
    和歌山の激しく、華やかな時の流れを、紀ノ川と代々連なる女性の営みに喩えたのかも知れない・・?。

    又、小説『紀ノ川』は、川筋の風土とか人情が巧みに織り込まれている。
    有吉佐和子は、和歌山には幼少の時分と疎開時と合わせても6〜7年くらいしか居なかったらしい。しかし、地名の使い方、土地にまつわる話や言葉使いは実にうまいと、地元の人も教えられるほど、文句の付けようがないと言いわれた。
    小説「紀ノ川」は、昭和34年(1959年)に28才の若さで書いた出世作で、作家・有吉氏は惜しまれながら53歳の若さで急死している。
     


    和歌山県の最北部、既に高野山の北側の登り口でもあり、大阪との府県境にもなっている地域に「橋本町」が在る。 ここは「紀ノ川」の中流域といえるところで、川は南北に分けて流れる地帯でもある。
    この地は日本女性として初のオリンピック金メダリストに輝いた人物の出生地であり、紀ノ川は天然プールとしての練習場でもあったという。


    『 がんばれ、がんばれ、・・・、前畑がんばれ!前畑がんばれ!・・・あと5m、あと5m、あと5m、・・・、勝った、勝った、勝った・・・前畑、勝った!勝った、勝った、前畑勝った!!・・ 』

    その時、NHK・河西三省アナウンサーがデッドヒートの模様を、何度も何度も連呼した実況中継が日本中を沸かせた。
    なんと、このとき「頑張れ」を、38回も連呼放送したらしい。 
    当時は、今の時代とは異なり、音声だけの「ラジオ」での実況だから、聞いている人達は、テレビのように、戦いの様子を眼で見ている訳ではない。
    何か、よく状況は分からないが、ただ「頑張れ、頑張れ」とだけ・連呼する声を聞いて、兎に角、前畑が大したことをやってんだと想像したもんである。
    そして、勝負が決まった後に、「勝った」 を15回も言ったそうである。

    第11回ベルリン・オリンピック(1936年8月11日)での競泳女子200m平泳の前畑秀子の優勝の瞬間であった。  時代は、日本が国際連盟を脱退し、やがてドイツ・イタリアと手を結び第二次世界大戦へ突入する前夜でもあった。
    前畑秀子の金メダルには、そのまま日本という国の勝敗がかかっているような勢いであったともいう。
    前畑は、ベルリンオリンピックの想像を絶するプレッシャーの中で、自分の力のすべてを出しきり、プレッシャーをバネにするという強い精神力が、金メダルをもたらしたのだろう。

    日本女子初の金メダリスト・前畑秀子、その後、日本女子水泳競技に金メダルをもたらすのは、昭和27年のヘルシンキオリンピックの青木まゆみ選手で、実に36年間待つことになる。
    1990年、日本女子スポーツ界より初めて文化功労者に選ばれた。



    『 前畑優勝熱闘譜 』
    ベルリンオリンピック女子二百平水泳決勝実況放送」 NHK・河西三省アナウンス。

    『 切らないで下さい、スヰツチを切らないで下さい、もう予定時間ですが、切らないで待つて下さい、そのまゝ待つて下さい……強敵はスタートのよいドイツのゲネンゲルです。はじめ抜かせて、あとでぐんぐんつめるのがわが作戦です。大日章旗を揚げるか揚げないかの境目です。そのまゝ切らずに待つて下さい、スヰツチを切らないで下さい……ホイツスルが鳴りました、各選手は一斉にスタート台に並びました。たゞ今ピストルが鳴ります……跳びこみました、跳びこみました一斉に跳びこみました。これは我が前畑とゲネンゲルの競泳でございます、ゲネンゲルは未だ潜つて居ります、ゲネンゲルは未だ潜つて居ります、跳びこんだときは我が前畑嬢と同じ、我が前畑嬢と同じ、第二コース、第三コース、オランダのワールベルグは割合に出ましたが、前畑嬢僅かにリード、前畑嬢僅かにリード、オランダのワールベルグが大分出まして前畑嬢と列んで居ります、我が前畑嬢三五、三五米、ドイツのゲネンゲルと列んで居ります、ドイツのゲネンゲルと列んで居ります、第一コースのイギリスのストレー、イギリスのストレーも出て居ります、イギリスのストレーも出て居ります、大部分各選手は列んで居ります、非常に心配であります、非常に心配であります、イギリス、イギリスの、イギリスのストレーが先づ最初のターンをしました、我が前畑嬢つゞいて第二位、しかし我が前畑嬢悠々たるペースをもつてつゞいて居ります、ぐんぐんと、我が前畑嬢折返し四〇米、折返し四五、折返し四五、列んで居ります、前畑、ゲネンゲル二人が出ました、イギリスはおくれました、イギリスはおくれました、僅かに一と掻き、一と掻き我が前畑嬢はリードして居ります、ゲネンゲルよりは僅かに一と掻きリードして居ります、ゲネンゲルと前畑嬢の接戦となりました、他は大分おくれました、他の選手は大分おくれました、前畑嬢一と掻きリード、前畑嬢一と掻きリードして居ります、ゲネンゲルよりは一と掻きリードして居ります、一と掻きリード、あと五米で一〇〇のターン、あと五米で一〇〇のターン、あと二米、あと二米、たゞ今前畑ターン、前畑ターン、つゞいてゲネンゲルがつゞいて居ります、つゞいてゲネンゲルがつゞいて居ります、我が前畑一と掻きリード、一と掻きリード、まさに大接戦、火の出るやうな大接戦、まことに心配でございます、心配でございます、ゲネンゲルも強豪、つゞいて居ります、我が前畑僅かにリード、僅かにリード、一二五、一二五、一二五、僅かにリード、僅かにリード、ゲネンゲル、強豪ゲネンゲルがつゞいて居ります、地元ドイツの応援は旺んにゲネンゲルに声援をおくつて居ります、他の選手は大分おくれました、ゲネンゲルと前畑二人だけの競争でございます、他の選手は大分おくれました、前畑あと一〇米で一五〇、あと一〇米で一五〇、僅かに一と掻きリード、前畑かんばれ!前畑かんばれ!あと二米でターン、あと二米でターン、ターンしました、ターンしました、たゞ今ターンしました、一と掻き僅かにリード、前畑がんばれ!前畑がんばれ!がんばれ!がんばれ!あと四〇、あと四〇、あと四〇、あと四〇、前畑リード、前畑リード、ゲネンゲルも出て居ります、ほんの僅か、ほんの僅かにリード、前畑僅かにリード、かんばれ!前畑がんばれ!かんばれ!かんばれ!あと二五、あと二五、あと二五、僅かにリード、僅かにリード、僅かにリード、前畑!前畑がんばれ!がんばれ!がんばれ!ゲネンゲルも出て居ります、がんばれ!がんばれ!がんばれ!がんばれ!がんばれ!がんばれ!がんばれ!がんばれ!前畑、前畑リード、前畑リード、前畑リードして居ります、前畑リード、前畑がんばれ!前畑がんばれ、リード、リード、あと五米、あと五米、あと四米、三米、二米、あッ、前畑リード、勝つた!勝つた!勝つた、勝つた!勝つた!勝つた!前畑勝つた!勝つた!勝つた!勝つた!勝つた!勝つた!前畑勝つた!前畑勝つた!前畑勝つた!前畑勝ちました、前畑勝ちました、前畑勝ちました、前畑の優勝です、前畑の優勝です、ほんの僅か、ほんの僅かでありましたが、前畑優勝、前畑日章旗を揚げました、前畑さんありがたう!ありがたう!優勝しました、女子競泳で初めて大日章旗が揚がるのです。
     今、前畑さんはプールで二着になつたゲネンゲル嬢とニツコリ笑つて握手して居ります、笑つて喜んで居ます
     』




    この橋本町には、もう一人のオリンピック金メダリストがいた

    前畑氏から20年後の昭和31年(1956)、豪州のメルボルンで同じく200m平泳ぎで金をとった「古川 勝」選手である。 彼の異名は“人間潜水艦”といわれ、戦後初の水泳の金メダルをもたらした。
    世間は、丁度テレビがお茶の間に普及しだした時代であり、小生にもあの時の感動の映像が、頭に残っている。 
    スタート直後から45メートル潜り続け、ターンするとまた潜る。 
    五輪前から驚異の世界新を連発した古川は、決勝でも潜水泳法で挑み、見事2分34秒7のタイムで圧勝した。

    彼は、ベルリン五輪女子200メートル平泳ぎで、前畑秀子が女子初の金メダリストとなった、その橋本市古佐田地区にある前畑家の近所で誕生している。
    前畑氏同様、紀ノ川で鍛えた体には平泳ぎの天才の血が受け継がれていたのであろう。

    彼の潜水泳法は、短期間で身につけ、息継ぎなしで75メートルは潜れたという。
    しかし、五輪後、国際水連は、潜水泳法を禁止にし、古川のあまりの強さが禁止を早めたという。
    紀ノ川」近くにある橋本市役所に前畑選手優勝70周年、古川選手優勝50周年の顕彰碑が建つ。


    紀ノ川の源流学

    本流は、和歌山県内では紀ノ川、奈良県に遡ると吉野川と呼ばれる一級河川で全長136km。 
    その源流域は、その名も「川上村」である。 
    最初の一滴が生まれる源流の村で、吉野杉という有名な木材を産出する中心地として栄えた。
    この水源の村に「森と水の源流館」があり、更に「源流学」というのがあるそうだ。 
    水源地の森を含めた山々を守り、源流部の森を造り、下流には森の腐葉から出る富養の水、清い水を流す。
    そのためには、流域一体となった取り組みが必要であり、それも上流から叫ぶだけでなく下流域が積極的に取り組んでくれることが大事で、和歌山市もこれらに応えてくれていると。
    自然や環境、そこに棲む生き物たちと、人々が一帯となった取組の学門が「源流学」と云うそうである。
    尤も、紀ノ川、吉野川の源流である「大台ケ原」では、一年360日が雨といわれる。
    日本最多の雨地帯であるが、日本の秘境と言われる原生林を育み、300種というコケ類を密生させ、天然のダムの役目も果たしているのである。


    次回は、和歌山の「雑賀党



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