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  • from: orimasa2007さん

    2011年06月18日 14時05分55秒

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    日本周遊紀行(141)川内  「川内川」

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     日本周遊紀行(141)川内  「川内川」  .



    古代・薩摩の政事、文化の発祥は「川内川」から始まった・・!  。

    川内」はその昔、薩摩国府が置かれ、国分寺が建立された南九州の政治・経済・文化の中心として栄えた歴史的な街でもある。

    神代の御陵地から国道、肥後おれんじ鉄道と新幹線に挟まれた地域に川内市国分寺町が在る。
    実際の国分寺跡が整然と整備されて、「国分寺跡史跡公園」は国の史跡にされている。


    聖武天皇が741年に国状不安を鎮撫するために各国に国分尼寺とともに建立を命じた寺院の1つであり、国府のそばに置かれた。
    多くの場合、国庁とともにその国の最大の建築物であった。 

    薩摩国分寺の創建の時期を明らかにするものは残っていないが、奈良期(710〜784年)後期ごろと推定されている。
    当時の仏教文化のシンボルとなるもので薩摩の国では、国府の置かれたこの川内川に隣接して置かれていて、主要な伽藍は基壇・中門・回廊・築地・通路・水路など発掘調査結果に基づいて復元されているという。 
    尚、薩摩国分寺は平安時代に1回、鎌倉時代に1回再建されたことが発掘調査で確認されている。

    鎌倉時代以降次第に国府の勢力が減退するにつれて、国分寺も衰え、南北朝の時(1300年代)に衰減したと伝えられているが、薩摩国分寺は豊臣秀吉が九州に侵攻し、(天正14年:1586年)川内で島津と戦った際焼き払われたとあり、建立以来少なくとも800年の間は寺が存在したことになる。


    ところで日本中の何れの国府もそうであるが、薩摩の国府も国分寺に隣接していると想定されているが、まだ確とした遺構は発見されていないという。
    ただ、川内川を挟んだ地域に展開していたようで、墨書土器や戯画が描かれた土師器(古代、素焼きの土器)などが現在の「川内中央中学校」近辺から発見されているという。


    平安期の頃、各地の国府に地方長官として中央(都・京都府)から派遣・赴任させていたが、薩摩の国司は、天平8年(764)から薩摩守として万葉歌人として有名な「大伴家持」(おおとものやかもち)が赴任していた。
    そして、この役所(国府)で政務を執ったとされるが、薩摩守時代の歌人としての家持の歌は一首も伝えられていないという。



    鎌倉幕府成立にともない薩摩、大隅、日向三カ国を「島津忠久」と名乗る武人が勢力を蓄え守護に任命、赴任されてきている。 

    忠久は頼朝(庶子:正妻ではない女性の子)の子とされ、初代薩摩の領主(藩主)であった。
    一の宮・新田神社の総代・執印氏(しゅういん)と薩摩国分寺の留守職・国分氏、そして薩摩藩主・島津氏は同族であったとされ、中世の薩摩の政事や新田神社、国分寺の活動の様子が「薩摩の古文書」に、文書でのやりとりや行き来があったと伝承され残されているという。



    国道3号線沿い川内川手前に「泰平寺」がある。 
    創建は国分寺より古く、1300年も前の和銅元年( 708)に創建されたと歴史は刻み、薩摩屈指の古刹とされる。 
    薩摩国の中心都市、川内(千台)の地に、女帝・元明天皇の即位と共に出された勅願により「天下泰平・万民豊楽」を祈願して建立されたという。 

    又、この寺院は戦国期に豊臣秀吉の九州平定の本陣となり、ここで島津義久との和睦の会見が行なわれたことは有名である。

    豊臣秀吉は、天下統一のため九州平定を決意し出兵する。
    関白職に就任後の天正13年(1585年)10月2日、勅諚をもって薩摩の島津義久・島津義弘兄弟に豊後の大友氏との和平を勧告したが、しかし義久は応ぜず秀吉は翌14年10月、日向・肥後の両面より豊後に進撃する。 

    秀吉の動員総兵力は25万ともいわれ、30万人分の兵糧1年分、馬2万頭の飼料1年分を調達したという。 
    先陣の宇喜多秀家に続き、羽柴秀長以下の諸将も順次征途についき、秀吉自身は3月1日に大阪城を出発し、水俣から水路、薩摩の出水に上陸し、5月3日川内の泰平寺に本営を設けた。 
    秀長から義久の無条件降伏を知らされた秀吉は、この日に泰平寺にて義久と接見し、これを認めて義久に薩摩、義弘に大隅を安堵したという。 

    直後、秀吉は「小田原征伐」に続いて「奥州平定」を果たし、名実共に豊臣政権の日本全国完全平定が実現した。



    国道3号線を南へくだると、川内川に架かる太平橋を渡る。
    滔々(とうとう)として川幅いっぱいに流れる清流・川内川は九州の三大長流の一つで、熊本県南端、九州山地の白髪岳を水源にしてる。 
    川内市を中心とする川内平野を造り、平野は河口より10km以上の奥まで広がっている。 
    古代、南九州の文化の流入はこの川から齎されたとされる。


    新田神社から南へ真すぐ延びる参道は、川内川に突きあたる。
    つまり、交差する地点にあって古来より海、山、河、平地の生産物資の集散地として、川内川の水運が利用されていたことを物語っている。 

    北隣の南北に長い東郷町の中心部は川内川に面していて、国道267号沿いには舟倉地区という地名も在り、今でも「舟倉通り」を歩行者天国にして東郷特産の手づくり品の「市」が並ぶという。
    地名から察しても水運の中継拠点として発達したことが判る。  


    2004年10月12日 東郷町、樋脇町(ひわきちょう)、入来町、祁答院町(けどいんちょう)、甑島(こしきしま)4町村と合併、新市名「薩摩川内市」となっている。

    次回は、「牧園



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