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  • from: アヒル村長さん

    2013年03月23日 02時29分36秒

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    脱ゆとりでゆとりが生まれる…?

    久しぶりにまじめな話。

    http://www.asahi.com/national/update/0320/TKY201303200395.html

    最近新聞に出ている教育格差やら、土曜日授業復活やらといった話題。
    格差については半数以上の人が「やむを得ない」もしくは「当然」と答えたらしい。
    調査を始めて以来、格差を容認する声が半数を超えたのは初めてとのこと。

    これについて朝日新聞には
    「生まれの不平等にかかわらず、努力をすれば報われるという平等な社会にあって、教育格差は解決すべき課題」で
    「半数以上が格差を容認する答えを回答していても、まだ4割近く(だっけ?)の人は格差を問題だと捉えていることに期待したい」
    というような趣旨のコメントが載っていた。

    努力をすれば報われる。
    報われた人はどうなるか。金がすべてではないにしろ、おそらくは多くの場合金が手に入る。
    金が手に入るとどうなるか。
    子どもがいる人は子どもに投資することができる。
    子どもへの投資とはどういうことか。
    恵まれた生活環境を整えてやったり、「将来への投資」として色々な習い事へ通わせたり。
    要するに「お金が無いとできないこと」を色々してやれるようになる。
    物に恵まれていれば心が満たされるというわけではないし、塾やらなんやらに通わせられることがその子にとって幸せなことかどうかは別として。
    そこにあるのは「金持ちの家」と「貧乏な家」での格差。
    金がなければ習い事なんて通わせる余裕はない。
    …必然的に「格差」が生まれる。

    生まれた時点で将来が決まってしまうとしたら。
    それはあまりに「不平等」な話。
    でも、それなら努力をしたら報われる社会は「平等」なのか。
    希望する選択肢が選べなかった人は努力していなかったのかと言えば、必ずしもそうではないし…
    例えば専門知識が必要な医者と、技術に加えて体力が必要な肉体労働系の仕事の間に賃金格差があるのはそもそも「平等」なのか。
    もっといえば「平等っていったい何?」

    努力したら報われる。それはおそらく、平等云々とは関係なしに当然の話。
    でも、その「努力」の報われ方は「金」という側面だけで捉えれば決して「平等」とは言えない。
    だから、少なくとも資本主義的な平等社会では本当に「平等な社会」を実現することは決してできない。
    かと言って「サボっても頑張っても同じお給料」という社会は問題外。

    教育格差が問題となる背景にあるのは「学歴」。
    「良い大学へ行けば良い仕事に就いて金持ちになれる」なんて、おなじみの構造。
    良い大学へ行くためには塾へ通ったりする必要があるけれど、金がなければそれは無理。
    だからこそ「努力が報われる平等な社会では教育格差が問題になる」と言いたいのだろうと思う。
    でも、「努力の差」で生じる格差が不平等ではないのなら、教育格差は生じて当然のもの。
    努力をしただけ報われるのだから、報われた結果を子どもへの投資に回すこともあって当然のこと。
    それを改善しようとするなら、果たしてどんな手段があるのか…?
    教師のサービス残業を増やしたり有志を募ったりして寺子屋を開くのか。
    はたまた「学歴社会」の背景にある入試制度そのものを変えるのか。

    親がどうのこうのなんて子どもにはどうしようもないのだから、教育格差の存在は決して無視されるべきではない。
    ただ、資本主義である以上、格差は生じて当然のものでもある。
    「格差があることは当然」。「やむを得ない」。
    格差があるのは当たり前だと捉えたなら、その格差によってどういう被害(?)を被るのか。
    それだって当然知っているはず。
    格差が「当たり前」であっても「それで問題ない」とは一言も言っていない。
    「金持ちほど良い教育が受けられることについてどう思うか」との質問を見て、選択肢を選んだだけ。
    格差の影響を受けたくないから、自分らはそうならないようにしたいという意思表示でもあるのかもしれない。
    もしかしたら、今回のアンケートの結果は「問題」ではなくある種の「前進」なのではないか。
    そして「平等ゆえの不平等」を解決するためのスタート地点になるのではないか。

    …そんなポジティブ思考な見方をしてみたくなった。

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from: アヒル村長さん

2013年03月23日 03時06分35秒

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もう一つ一緒に載っているのは「土曜日授業の復活」。
復活したらお給料は増えるのかな?(笑
まさか部活のようなサービス労働ではない…はず。
学校での電気代とかも増えて、その分税金を納めていただくことになりますが、反対が起きたらどうしましょう?

…そんなことはさておき。
自分らの世代は小1の頃から「土曜日授業が2週に一度」で、なおかつ中二の頃には「土曜日は完全にお休み!」となった世代。
で、ゆとりができたかと言えばむしろ忙しくなって「おいっ!」(苦笑
とりわけ高校時代は休みなんてなかった。
ほぼ毎週部活だけでなく補習もあって、ただの地獄。

そんなこんなで…土曜日授業、復活賛成。

ただ、復活することでむしろ忙しくなくなるから賛成、というわけではなく。
ネット上のニュースによれば、土曜日の授業は総合や道徳の時間として設定することになるらしい。
道徳についてはおいといて…総合。
どういうわけか「学力低下の根源」みたいな扱いを受ける「総合的な学習の時間」だけど。
これ、きっちりやればすごく実りある授業。
有名なのは映画にもなった「みんなでブタちゃんを育てる」あの授業。
今であれば、ああいうことができるのが総合の時間。

調べ学習をしたり校外学習をしたり、調理実習をしたり何かを作ったり。
中心となるのは「生徒の自主性」。
現状では週に1コマしかないので、時間がとってもカツカツ。
でも、土曜日はきっと3時間授業だから、土曜日授業が実現すれば1コマは道徳で残りの2コマが総合になる…はず。
そうなれば、総合の授業はより有意義なものになる。

…今の勤務校では意義ある時間でも、自分の中学高校時代の総合は「補習の時間」。
とりわけ高校。進学のための勉強がすべてだから、理念もへったくれもない時間だった。
母校の高校のような腐った所では何も変わらないとしても…
前回のような見切り発車ではなく、きっちり準備期間を置いた上での土曜日復活、となれば。
少なくとも小中学校では今よりずっと良い授業ができるようになる。はず。

土曜日に置かれるのが総合と道徳だとすれば、実質的に他の授業ができるコマ数として増えるのは週2コマ。
年間で70コマ分。
結構大きいけれど、これで学力が伸びるかと言えばそれは別問題。
ただ、他の授業とは一味違う総合の時間が2コマも入るなら。
土曜日に授業が増えると言っても、それは結構楽しみになったりするのかもしれない。
何をするでもなく家にいるよりはずっと良いし、なによりノートと黒板とにらめっこするのではなく、みんなで協力してあれこれ学んでいける。
理念にかなった総合の時間なら、きっと楽しみの一つになる。
そういう意味で、時間数が増えても心にはゆとりができることすらあるのかもしれない。

学力はもちろん大切だけど、同じくらい大切なのは心を育てること。
勤務校で初めて総合の良さを知った人としては、今度こそ理念を叶えられるものになってほしいと願うばかり。

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