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from: ノエルさん

2007年05月26日 22時24分09秒

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困らせる患者

みなさん、こんばんは。ノエル@時給換算1250円まで復活です。昨日の話の続きがありました。‘医師を困らせる患者’です(~▽~;)。1大声を出す。2一句

みなさん、こんばんは。ノエル@時給換算1250円まで復活 です。
昨日の話の続きがありました。
‘医師を困らせる患者’です(~▽~;)。

1 大声を出す。
2 一句一語をメモする。
3 家族が大人数でバラバラな意見を言う。
4 病気以外のことをいつまでもしゃべる。
5 いつまでも診察室から出ていかない。
6 説明しても理解しない。

ふははっ(^^;)、私は1、5、6で引っかかっちゃいました。私、声が大きいんです(^_^;)A。自分じゃ普通にしゃべっているつもりでも、友人などに時々、うるさいって言われちゃいます。

また、説明を聞いても理解できないと、医師に再度同じ質問をする時があります。←かなり頭の回転が遅い性質←結果的に5に引っかかる

で、医師は私が理解できないというより、諦めの悪いヤツじゃーっと思っているかもしれまへん。医師は時々私に、「だからー、それはもうできないって言ってるでしょぉぉっ」って笑い怒り顔で言います。

うーむむ、ここまで書いて気が付きました。私って、鈍いんだな…(~_~;)“> ←だから結果的に5に引っかかるのであった

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from: yukoさん

2007年05月29日 04時17分27秒

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「Re:Re:Re:困らせる患者」
ノエルさん、こんばんは。
仕事は段々元のペースに戻りつつあるようで、快調で何よりです。

さて、
> 私も同感です。インフォームドコンセントが一般的に実施され始めたのは、十年ちょっと前ぐらいからだったと記憶しています。
>
> 自分の経験になりますが、十数年前に家人が癌の告知をされた際、私たち家族が別室へ呼び出され、担当医から告知を受けました。私は頭が真っ白になり、腰が抜け、その場にへたり込んじゃいました。全然頼りにならない患者の付き添いをやっちゃいましたー(T▽T)“> 

そうなんですか。私は一昨年まで病院とはあまり関係がなく過ごしてきました。母のときには、検査結果を聞くのに家族同伴と指示されたため、母に付き添いました。
ドクターは私たちにずばり、肝臓癌であること、その見込みをおっしゃいました。治療法はひとつだけしかない。しかし効果は分からない、しないという手もある。何もしなければ、それほど長くはもたない。数ヶ月だと思う、とのことでした。

非常に衝撃的な内容でした。母は家族が同席するように前もってドクターに指示されたときから、あらかじめ予想していたと思います。告知により、動揺が大きかったのはむしろ私の方です。
その後、実家に二人で帰宅して、母と話したところ、「どうってことはない。別に普通と変わらない。心配することはないから。」と私に家へ帰るように言いました。
そのまま私は帰宅したのでした。

そして、母はその後も一人で暮らすことを強く望んだため、私や妹は、実家に通ったり泊まるという不規則な生活を続けたわけです。

末期癌になる前にお世話になった病院では、良性腫瘍だと診断されており、それに安心して、母は通院をやめていたのでした。
同居していないこともあり、私たちも病院へ行くことをいつも勧めていたのですが、そのうちに行くわ、と言われれば、うのみにしていたのです。

結局、母は医師とのコミュニケーションをうまくとることができない人だった、それが原因でどうにもならない状況になってしまったのでした。

CTを7ヶ月おいて撮り、その画像を見比べて位置が全く変わらないこと、大きさも変わらないことから良性の腫瘍ですよ、と診断された、と母は大変喜んで私たちに話してくれていました。日記にも残しています。その次に、これでもう、何があっても病院には行かない、とも記しています。造影剤アレルギーがあって、検査後は大変不快な状況になるためです。

そうして、4年5ヶ月後に末期癌が発覚。良性と診断された腫瘍は大きくなり、次々と増えていったようでした。
当時、C型肝炎であることは分かっていました。良性といわれても腫瘍があるのだから、癌の可能性があるのではないかと警戒して、通院していくべきであったこと、など今となっては後悔するばかりです。
最後の通院が平成12年1月ですから、そのときになぜインターネットで調べてみようと思わなかったのか、今では不思議です。
多分それは、
公立病院にかかっており、ドクターの言われることを疑いもしなかったことが原因だろうと思います。

ともあれ、平成17年には末期癌が判明し、ドクターの予告どおり、母は亡くなりました。母は日記を残していましたので、元の病院への最後の通院日は分かっていました。
そのとき、私はその当時に医師が良性であると診断した根拠は何だったのか、それは妥当だったのだろうか、知りたいと思いました。
カルテの保存期限は多分5年。廃棄までには時間があまりなく、情報公開請求をするかどうか、とぎりぎりまで迷ったのでした。

すいぶん考えましたが、結局何もしませんでした。
母に付き添いして、自分の状態を正しく伝えない、という母の様子が分かったからです。
元の病院では、造影剤アレルギーがあって、検査が辛いことは医師に話していたので、検査時は心配してついてくださった、と喜んでいました。
しかし、「この検査は辛いのでもう受けたくない」とまでは強く主張しなかったと思います。

末期癌が分かり、何とかならないかと3軒の病院を訪ねました。そのとき、エコー検査でも経過を観察できたのですよ、と言われた病院がありました。
それなら、通院をやめてしまうことはなかったのでした。

後悔先に立たず。私は母をしっかりした人だと思っていましたので、最初の診断時に付き添いませんでした。
同席していれば、良性と診断されても、今後の見込みとか、これからの治療についてなどいろいろとお尋ねしたことでしょう。
そして、医師の考え方もつかめたことだと思います。

医師とのコミュニケーション不足から、癌を発見し、治療を受ける機会を母は失ってしまったのです。
私や妹は母への愛惜の念が強く、追慕は抑えがたいものがあります。毎日、母のことを思い出さない日はありません。

そのため、元の病院で自分たちが母をフォローしていかなかったことが残念でなりません。
元の病院での主治医はなぜか放射線科のドクターでした。
近所の病院から紹介されて行ったものですが、そこでの診断だけでなく、他の病院での意見も聞いてみればよかったとか、私たちがいろいろと調べるべきであった、と今では思います。

もし、情報公開を請求すれば、病院側は警戒心をもつことになるだろう、と私は思いました。母が良性と診断されたとき、どういう状態だったのか、そして通院を勝手にやめたため、聞かなかった直前の検査結果はどうだったのかなど、知りたかった。しかし、医療側を責めるつもりはない、という気持ちを伝えるには、情報公開請求はドライな感じがしたのです。
それに、知ってどうするのか、その先は?など突き詰めて考えると、何もしないのがよい、という結論に達したのでした。
>
> 病気のカミングアウトは固より、病名は一家の秘密事項といった雰囲気がありました。だから患者家族として私は秘密を守るため、本人や周囲とのやり取りでは相当な苦労をしましたヨ。精神的に参ってしまい、体調を崩しましたもん。
>
> んで、五年前に家人はまた別のがんになったのですが、その時は医師が本人に直接告知しました。本人は大変なショックを受けましたが、家族としての私は初回に比べると、精神的負担が軽減しました。本人に対する秘密がなくなったからです。

このことは本当にそうだと思います。
患者に本当のことを言わないで、最後まで貫くというのは、すごいストレスだと思います。
これでまいってしまいますね。
>
> インフォームドコンセントが本人にとって良いのかどうかは、私にはわかりません。人によると思っています。しかしながら、インフォームドコンセントを重んじようとするのなら、それを受ける練習というか教育が必要だと思います

言い方も難しいと思います。
双方ともに緊張する一瞬ですね。
直る可能性のある人にはまだ告げやすいでしょう。
そうでなく、死が近いと言う場合は辛いことだと思います。
余命告知を受けたことについて、気丈な母ですら、あれは聞かなかったほうがよかったのではないか、とよく言っていました。
何をどこまで話すのか、人によって受け取り方は違うでしょうから、難しいですね。でも、日頃から死ということ、受けとめ方については常々考えておくことは、大変大事だと思いますよ。

> 検査結果を聞きに行ったら、いきなりがんの告知を受けたというのでは、大方の患者は驚いて医師の説明など聞けなくなるでしょう。

実際にそれはあるのです。経験しましたから。

> 私の場合は、家人のがんの告知を数回受けた後に自分の告知があったので、冷静に医師の説明を聞けました。というか、既にがんの告知に飽きていた、というのが本音です(~▽~;)。ま、飽きるまで練習なり教育なりする必要もないとは思いますが(^^;)。

そう。私も母のことがあるので、動揺はしませんでした。
結果が分かるまでの方が大変苦しかったですね。
>
> > 一番悪いのは、自分の状態をきちんと伝えず、「大丈夫ですか?」と尋ねられたときに、「はい、何ともないです」と言いながらもらった薬を飲まなかったり、捨てたりして、その場をしのいでいた私の母のような人だと思いますね。
>
>
> この薬を飲むと調子が悪くなるから、薬を飲まない。でも、せっかく処方して下さった、尊敬する医師には申し訳ないから事実を言えない…。そんな美徳があるのでしょうか。

それもあるでしょうね。医師に対しては、基本的に畏れ敬うという態度でした。
>
> 医師と患者がよく話し合って一番よい治療法を見つける、という現代のスタイルには全く慣れていないし、医師とコミュニケーションを試みるという教育は受けていないでしょう。

全くそのとおりですよ。
私もこのような形になっていることをあまり知りませんでした。
一般的には知られていないのでは?それに乳癌以外の病気でもこうなんでしょうか?
治療法が確立していれば、いちいち患者と話し合うことはいらないでしょう。時間がかかって仕方ありませんよね。説明は必要だと思いますけども。
>
> 医師の位置付けが、彼らと我々とでは、かなり違うように思います。家人の付き添いとして担当医と話をすると、必ず「これっ、先生に対して何て失礼な質問をするのっ!」って怒られちゃいますもん。

ええ。違いますよね。今日は長文になりましたが、上の世代の人にとって、医師とのコミュニケーション不足から、とりかえしのつかないことになることもあるのだ、という見本だと思って書き込みました。

それではまた。
yuko

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