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  • from: どっと虎夢さん

    2010年12月11日 06時22分56秒

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    岡田彰布入団騒動・前編


    1979年(昭和54年)秋。
    その年阪神は、ドラフト会議で東京六大学野球のスター選手だった岡田彰布の獲得交渉権の一番クジを引いた。
    翌日、球団社長の小津正二郎の密命を受け、編成部トップの小林治彦が岡田の実家に指名の挨拶に向かった。
    出迎えたのは岡田彰布の父勇朗であった。勇朗は、時の阪神の4番打者であった藤本勝己と歌手の島倉千代子を結びつけたほどの、阪神の選手とは通じていたタニマチであった。

    さて、編成部の小林治彦が小津正二郎から受けた密命とは?
    それはチームを驚愕させるものだった。
    なんと、前年に本塁打王のタイトルを獲った不動の4番・掛布雅之をファーストにコンバートさせ、「息子さんにはサードを用意します」という内容だった。
    この時掛布は、岡田の実家でそういう話しがされていたとは知る由もなく、コンバートの話しも聞いていなかった。
    高校時代からサードは慣れたポジション。
    ともすればこちらから阪神に入れるよう頭を下げるつもりでいた岡田の父、勇朗だったがまさか掛布をコンバートさせてまで息子を必要としているとは…。
    しかし、この後、岡田親子を更に驚愕させる事件が起きる。

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