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公開 メンバー数:5人

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from: にょん太さん

2014/06/12 08:49:18

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ロレンツォ・ディ・メディチの業績(中)

フィレンツェと教皇側は、深刻な亀裂の時代を迎えまし~た。1474年、教皇側に勢力拡大に対抗するためにヴェネツィアとミラノと同盟を結びまし~た。ヴェネツ

フィレンツェと教皇側は、深刻な亀裂の時代を迎えまし~た。

1474年、教皇側に勢力拡大に対抗するためにヴェネツィアとミラノと同盟を結びまし~た。

ヴェネツィア

ミラノ

これに対して、シクストゥス4世は、1475年、ナポリ王国と同盟を結びまし~た。
遂に、教皇国+ナポリ VS フィレンツェ+ヴェネツィア+ミラノ、のイタリアをほぼ二分した緊張状態に入ったので~す。

ナポリ

更に、シクストゥス4世は、教皇庁の財務管理をメディチ家からパッツィ家に任せるとともに、パッツィ家の親類で、同家によって庇護されていたフランチェスコ・サルヴィアーティをフィレンツェの承諾なしにピサ大司教に任命したので~す。
ピサは、15世紀初めにフィレンツェの支配下に入ったので、ピサ大司教に任命に際して、フィレンツェのOKを取ることになっていまし~た。

ピサ大聖堂

それならば、ということでロレンツォは、フランチェスコ・サルヴィアーティのピサ行を三年間に渡って妨害したので~す。
また、パッツィ家の遺産相続に対して、特別立法措置によって、その相続に介入、妨害したので~す。
これで、メディチ家とパッツィ家は一触即発の間柄となりまし~た。
丁度時間となりました、この続きはあとで。

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from: にょん太さん

2014/06/12 10:46:07

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続けま~す。

パッツィ家の末弟でパッツィ銀行ローマ支店長を務めていたフランチェスコ・ダ・パッツィは、カテリーナ・スフォルツァの夫ジローラモ・リアーリオと謀議を重ね、遂にメディチ兄弟、ロレンツォとジュリアーノの暗殺を決心しま~す。
暗殺計画には、更にフランチェスコ・サルヴィアーティと教皇軍の傭兵隊長であるジャンバッティスタ・ダ・モンテセッコが加わり、シクストゥス4世の了解を得ながら、具体的な計画を練ったので~す。教皇の公式な暗殺承認は無理だったので、暗黙裡だったと思われま~す。もっとも、ジローラモ・リアーリオは、暗殺費用の教皇による全面的負担を承認したので、教皇の暗黙裡とはいっても、それは上辺だけだったと思われま~す。
これらの謀議にウルビーノ公が加わったとの説がありますが、実際はどうだったか、今となっては分からな~い。

暗殺は、1478年4月26日(日)、フィレンツェ大聖堂のミサの直後に実行されたので~す。

フィレンツェ大聖堂

弟ジュリアーノは、フランチェスコ・デ・パッツィによって全身に19か所も刺されて死亡、ロレンツォは、二人の聖職者によって襲われ、首を刺されたものの。脱出に成功しまし~た。

ボッティチェッリの「ジュリアーノの肖像」

大聖堂は混乱に陥り、広場は騒ぎで駆け付けた市民でいっぱいになり、メディチ支持者とパッツィ支持者で乱闘が起こましたが、メディチ支持者が圧倒的に数が多く、乱闘は収まり、暗殺者が捜しが行われま~した。
フランチェスコ・デ・パッツィ、ピサ大司教のサルヴィアーティは逮捕され、市庁舎の窓から吊るされてしまいま~した。

政庁舎

共謀者は、シニョーリア広場で公衆の面前で拷問され、殺されま~した。

100人近い人々が処刑され、ロレンツォの姉に配偶者だったグリエルモ・デ・パッツィだけが無事だっただけで、パッツィ家の一族は全部処刑されるか牢獄に投獄されたので~す。
遠方への逃亡に成功したベルナルド・デ・バンディーニ・バロンチェッリは、ロレンツォの意を受けたマホメット2世によって身柄を拘束され、フィレンツェに連れ戻されま~した。
1479年12月、バンディーニはポデスタ館(バルジェッロ国立博物館の建物)で絞首刑されたので~す。

ポデスタ館(写真右奥の建物)

レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチ「バロンチェッリの首つり」

これだけで騒ぎは収まらず、第二幕の「パッツイ戦争」の開幕へと続きますが、今日はこれまでとしま~す。

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from: シニョレッリさん

2014/06/12 15:38:59

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にょん太さん、こんにちわ!

フランチェスコ・デ・パッツィとサルヴィアーティの処刑の直ぐ後に、ボッティチェッリが市庁舎の壁に処刑の様子のフレスコ画を描いたそうですが、何処の壁に描かれたのか、大分探しましたが結局分かりませんでした。
ボッティチェッリはロレンツォのお気に入りの画家だったので、ロレンツォの頼みで描いたのでしょうが、後にサヴォナローラに傾倒したように、どちらかと言うと繊細な性格だったと思われるので、実際はあまり気が進まなかったと思います。

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