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  • from: 花散里さん

    2020年01月22日 10時36分41秒

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    リッポン本 「話題の人物編」

    リッポン本には、スケオタ達に名前をよく知られたコーチや選手とのエピソードも語られている。全体からすると量的には、そんなに多くはないのだが、スケオタツイ界隈では、その部分だけが話題になったりもしている。
    本を読んだ人の個人的感想だけを漏れ聞いて、その前後に想像を膨らませて、誤解している人もいるかも?
    なので前後含めて訳してみたいと思います。

    今訳し始めてますが、のろのろペースで(;^_^A
    区切りの良いところまで訳し終わり次第貼り付けていきますね
    (*^-^*)

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コメント: 全9件

from: 花散里さん

2020年03月11日 11時23分00秒

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≪デトロイト 編≫ フランク・キャロル ラファエル・アルトゥニアン 佐藤有香&その夫のジェイソンといったコーチ名 振付師のパスカル・カメレンゴ 選手名ではライサチェック ジェレミー・アボットといった名が・・・P66の8行目~P67

 その頃カルフォルニアにフランク・キャロルというコーチがいて、彼は僕を高く買ってくれていたので、僕は彼と一緒にトレーニングしたかった。そこへ行って二週間過ごしたが、彼はオリンピックチャンピオンのエバン・ライサチェックと契約していて、ライサチェックはスケーティングを続けるのか否かまだ決めていなかった。

 フランクは、同じカルフォルニアに居るラファエル・アルトゥニアン というコーチを勧めてくれた。でも、ラファエルは自分の家族を訪問中で3週間先までジョージア(ジョージア州ではなく、国名のジョージアだ)に居た。

 僕は、今起こることが、これからの年月の全てのように感じていて、今何かが起ころなければこれから先、全く何も起きないように思えた。旅行は計画通りに行かなかった。僕の予定表によれば、フランクと、または少なくともフランクに代わりとして勧められたラファエルとトレーニングする筈だった。しかし、僕はその年のトレーニングに入る必要があったので、どちらも実際の選択肢ではなかった。
 
僕はフランクとトレーニングした後に、振り付け師のパスカル・カメレンゴに次のシーズンの二つのプログラムを振付てもらう為にデトロイトへの旅行を既に予約してあった。僕が理想とした世界では、僕はデトロイトからカリフォルニアに戻る筈であったが、悲しいことに、これはもはや必ずしも理想的な世界ではなくなっていた。
 
 デトロイトに着いた時、トロントでの時と同じように、そこに居たスケーター達や何もかもに、そのリンクと恋に落ちたんだ。もし僕がまだフランクかラファエルと一緒にトレーニングできないのであれば、そこが完璧な場所のように感じられた。

 僕はジェイソン・ダンジェンと佐藤有香夫妻のチームと一緒にトレーニングし始めた。夫妻は現全米チャンピオンのジェレミー・アボットのコーチもしていた。有香とジェイソンは、ジェレミーが自分の競争相手と一緒にトレーニングすることをOKしてくれるのか、彼と話さなければならなかったが、彼はそれが両方にとって良い事だと快く承知してくれた。

 デトロイトについて重要なのは、僕が初めてエリートスケーター全体のグループの中にいたということだ。それは、ユナと僕、もしくは他に一人か二人の選手というのは違っていた。自分と同じくらいか年上の、僕がしていることを正確に知っていて、夜遅くに出かけたりパーティーに行ったり-僕が決して楽しめないことーをしない人々と継続的な友人の仲間をもったのは、初めてのことだった。

もし僕達が一緒に遊んでも、映画を観て9時には帰宅するだろう。なぜなら、僕達は皆朝からトレーニングしなればならないからだ。僕がいつも招待を断ることで相手を失望させたりするようなことにはならなかった。とはいえ、全員がオリンピック選手になりたいと思っている30人とのサマーキャンプのようなものだった。皆が知っていた。僕の人生を永遠に変えるのはこの友人達だった。


≪感想≫

この時からラファエル・アルトゥニアンコーチについていれば、四回転にももっとはやく取り組めていたし、世界初の4回転ルッツ成功者になれたかもしれない(´-`).。oOアスリートとしてのキャリアにもっと大きな成功を収めていたかも(´-`).。oOと残念に思わないこともないのですが。。。

でも、この時デトロイトを選んでなければ、その年と翌年にジェレミーの振付をしたベンジー・シュイマーさんと知り会うこともなく、後にベンジーさんに振付依頼することもなく、オリンピックの演技で全米を感動させた鳥さんプロも誕生しなかったかもしれない。

あのプログラムは、ベンジーさんが、アダム・リッポンの感性や個性を充分に理解していて、アダム・リッポンの魅力を存分に表現してくれたプログラムだとも思っているんで。。。(´-`*)

だから。。。まあ、アスリートとしてのキャリア的には少々周り道になってしまったとしても、表現者としては後の成功に結び付いたわけで「万事塞翁が馬」ってことで

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from: 花散里さん

2020年03月10日 18時11分35秒

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≪キム・ヨナ編 後≫P65の15行目~P66の7行目

オリンピックが終わって、僕が素晴らしいシーズンを過ごした後、関係に緊張が生じて、ちょっとした喧嘩をするようになった。ユナは韓国に帰った。
僕はいつも彼女にメールを送ったが、一週間彼女から連絡はなかった。 最後に長いメールが届き、もう二人は同じページにいないことがわかった。

ユナの言う別れる理由は、もう英語を話したくない。ということだった。英語を話すのはとても疲れてしまうからと。まるで髪を洗いたいから韓国に留まるというような調子だった。

別れることは最良の選択であり、お互いに激しい感情はなかったけれど、当時は落ち込んだ。「もう英語を話したくないって彼女は何を言ってるのだろう?」と考えた。「彼女は生活の中でどうしたって英語を話さなきゃならないじゃないか」しかしそうではなかった。彼女は、韓国に留まっていれば、自分が望まない限りもう
"ハーイ ハワユ―?" なんて言う必要はないのだ。(完全に別れて後に、数回彼女に会うことがあった。そして僕達は今は良い関係にあるが、お互いに僕達の交際について話したことはない)


彼女はその夏の後半にトレーニングのためにトロントに戻ったが、僕は彼女を無視した。僕達の交際が、出だしは良かったのに途中でしぼんでしまったように、僕のスケートもそうなった。

この新しいシーズンの最初、僕には勢いがあった。シーズン最初の競技会で2010年オリンピックメダリストの2人を打ち負かしたのだ。それに伴い、僕が慣れていない、または対処する準備ができていない新しいプレッシャーに襲われた。僕はよく演ずることを、もう負け犬ではないことを期待された。全てが一度に僕を襲ってきた。僕はオリンピックに行けなかったことを受け入れ、強くシーズンをスタートしたのに結局は弱くシーズンを終えてしまった。自分の中ではそうだった。視点を変える必要があったので、それにはトロントを後にするのが最善だと考えた。


≪感想≫

ユナを責めることはできないなと思う。

互いが互いを好きっていう同じ思いを共有するのに言葉は要らない。お互いを思い合ってるときの意思疎通は絵文字で事足りていたのだろう。でも、それぞれの主張がぶつかり合う時には、自分の考えや思いを上手く言葉にできない側は、言いたいことを飲み込まざる得ない。相手の言うことが、よく聞き取れなければ、相手の言い分を納得するのも難しかろう。リッポン君は対等にちょっとした口喧嘩をしてるつもりでも、ネイティブでない側は、反論できずに、ただ言われっ放しになってしまわざる得ないってこともあったろうと、想像に難くない

国が違う、母国語が違う関係の難しさだよね。
ネイティブの側により思いやりが必要なのだと思う。
あの時の経験を生かして、JPさんとの間では、そうならないように・・・と願う

あんなに優しかった理想の王子様に、冷たい態度とられるのは、
リッポン君綺麗な顔立ちなだけに、その表情を想像すると結構キツイものがあって
:;(∩´﹏`∩);: キム・ヨナに同情してしまうわ

もちろん、なんでフラれてしまったのか戸惑って落ち込むリッポン君にもね

この頃、リッポン君が初めて自分で振付けた(振付師と一緒にですが)エキシプロは
「思うにまかせぬ恋の切なさと戸惑いを表現した」そうで
歌詞和訳みると。。。なんか未練たっぷりだな(ーー;)



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from: 花散里さん

2020年03月10日 17時00分22秒

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≪キム・ヨナ編 前≫P62の下から8行目~P63の3行目
(ニコライの元を去ることにしたその続きになります)

次のイベントに集中する時だった。
僕は母に、すみやかな解決には振付師が必要だと思うと伝え、母はトロントにいる振付師、デイビッド·ウィルソンと連絡を取った。
僕は彼との練習のためにトロントへ行ったが、そのリンクとそこでトレーニングしていた人たち-その全てと恋におちた。

より難しいことが僕に要求されていたので、もう一度最高のトレーニングをすることがぼくには重要だった。僕は二度のオリンピックメダリストであるブライアン・オーサーと練習することにした。当時彼はキムヨナもトレーニングしていて、彼女は次年度の世界チャンピオンになった。

(オーサーコーチの人柄や教え方とか、チームオーサーに関するエピソード等の記述は全くありません。全米、ジュニア世界選手権 次のグランプリシリーズなどのリッポン君自身の成績について、ウィキ見れば分かる内容の記述が続くので、その部分は略して)

P64の18行目~P65の14行目

トロントに来てからしばらくすると、僕はキムヨナに夢中になりだした。僕達はお互いにピッタリだった。彼女はシャイで美しい内気な東洋の少女で、僕もまたシャイで美しい内気な東洋の少女だった。まあ、少なくとも僕自身は自分をそのように思っていた。冗談はさておいて、僕達はボーイフレンドとガールフレンドになり、その当時は互いにとって非の打ちどころのない関係だったんだ。

 僕は彼女のスケートキャリアにとって害のない相手だった。なぜなら、僕は彼女を傷つけるようなことは何も望まなかったし、このスポーツのスケージュールを理解していない部外者のように、彼女の時間や注意を要求したくなかったからだ。僕はまったく邪魔にならないボーイフレンドだった。

 僕達は毎日リンクで会ってるというのに、しょっちゅう携帯でメールしあい、ミックスCDを作って送り合ったり、全て恋する十代がすることさ。僕達は毎週末にデートをしたが、ディナーと映画そして9時には帰宅した。なぜなら僕達には翌日のトレーニングがあったからね。僕達が一緒に出掛けるお気に入りの場所はトロントの街中にある川べりだった。(好色な)人達は疑うと思うけれど、肉体的には、軽いキスやハグよりエスカレートすることは全く無かったんだ。僕達の付き合いは純潔な優しい協力的なものだった。

ユナは2010年の冬季オリンピックで優勝した。今となっても、トロントのアパートで彼女が金を獲得するのを見たのは、僕の経験の中でも最もクールな出来事の一つだったよ。

 僕はスマホでメールを送った。「愛してるよ。君を誇らしく思う」その夜、彼女から受け取った返信は、涙を一つ浮かべた笑顔の絵文字だった。僕達には互いに通じ合う絵文字って言葉があった。それは、文字を使って自分の気持ちを表現する以上に、お互いにどう感じているのかを表現できた。僕達は身体を使って自分の気持ちを表現することはなかった。僕達にあるのは絵文字だけで、まだクローゼットの中にいる20歳の少年にとっては、完璧だった。


≪感想≫

恋に恋するような、ピュアでスィートな関係(´-`*)
そのワクワク感が伝わってくるエキシプロは、
キム・ヨナに捧げられたものだったのね。そっかそっか(*´▽`*)





この頃のリッポン君、初心な十代の少女にとっては、白馬に乗った王子様幻想を裏切らない理想的ボーイフレンドでしょう(⋈◍>◡<◍)。✧♡
韓国女子にキャーキャー言われて、リッポン君もまんざらでもなさそう。(´∀`*)ウフフ
キム・ヨナったら
スィートな恋もオリンピック金メダルも、両方ゲットで、裏山鹿~(´Д`)

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from: 花散里さん

2020年02月25日 11時36分19秒

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≪感想≫

コーチには、いろいろと問題が多くても
チームニコライは、当時のトップ選手達の練習を間近で観て学べる。多種多様な国の個性的な選手達が集まってる。コーチがリンクに居る時には、彼の注目を自分に惹きつける為のコンテスト状態になる。って意味で非常に刺激的な環境だったようですね。

高橋大輔・安藤美姫・アモディオ・ハビとも、ここでチームメイトとして親しくなったわけですし

十代の頃、ここで思春期を過ごしたことは
リッポン君の表現者としての成長と、人格形成に与えた影響は大きかったと思います。反面教師としての困った大人の醜態を目の当たりにしていたことも含めてね

ニコライコーチの滅茶苦茶な言動を面白おかしく語ってくれていて
彼のことを信頼できなくなったのは仕方ないと納得されるけれど
でも、それを嫌悪し憎んでるって感じではなく
なんだか、駄目な人だなぁ~って呆れつつも、
それでもコーチとして、振付師として惹かれる部分も愛着も少なからずあって
もっとちゃんと自分のことを気にかけて欲しかったし、もっと沢山彼の指導受けたかったんだなよね ってちょっぴり切なくなるね。
そんな風に感じるのは、もしかして、わたしだけ?(;'∀')?

競技者としての技術向上を目指すって観点からは理想的環境とはいえないが
純粋培養されたアスリートではないからこその
一見邪魔となりそうな経験からも培った強さと面白さと賢さとが
今のリッポン君の魅力を形作ってると思うんだな(´-`*)

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from: 花散里さん

2020年02月25日 09時27分30秒

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P61の16行目~P62の下から9行目

僕の態度が変わったのはある日の練習でニコライが僕にこう言った時だ。大輔を教えるのに飽きたから他の日本人スケーターをみると。

「大輔と彼を取り換えちゃう気?」現世界選手権メダリストを放り出すつもりなのかと疑って、僕はニコライに聞いた。
「そうさ。俺はうんざりした。彼は自分でやりたがっている。なんでかんでも。自分でやってみるがいいさ。俺は他の誰かをみる」
僕は考えた。「もしニコライが大輔を去らせるのなら、次は僕かもしれない。彼はいつでも僕と誰かを取り換えることができるんだから」

 今なら、コーチは自分のためだけでなく、アスリートのためにも、できるだけ優秀な生徒を名簿に詰め込む必要があることを理解できる。
それは、アスリートに、あまり楽をさせ過ぎず、常に頑張る必要があることを分からせる為だ。
文字通り、毎日のコンテストに勝つためにトレーニングをしているのでなければ、本当の意味でそれほど上達はしない。
一部の選手はそのプレッシャーに耐えられなくなるかもしれないが、優れた競争相手はそれに対処できる。

 僕の問題は、あまり練習したくないというようなことではなく、むしろもっとハードに練習したいってことだった。 ニコライは頻繁に日本にいたので、彼は僕をあまりトレーニングしてくれなかった。 大輔に対する彼のコメントは、僕に自分が何の注目も得ていないと思わせ、ドアから出て行きたくさせた。 皮肉なことにHPキャンプでのAlanis Morissetteのパフォーマンスと同じだった。

(この章の最初に、オリンピックセンターでの強化キャンプに参加した時、同じチームメイトの先輩に、バレーボール選手でいっぱいのテーブルの所に行って歌うように囃されたので、アダムくんがカフェテリアの中で突如パフォーマンスを披露したというエピソードが語られていて。その時、アダムくんが歌ったのがアラニス・モリセットの「アイロニック(皮肉)」であった。)

 僕はニコライに言った。「僕がオリンピックに行きたいのなら、あなたの助けが必要なのに、あなたは僕に手を貸してくれない」と、オリンピックまであと1年だった。「問題ない。君には時間がある」と彼は言ったが、僕には時間があるとは思えなかったし、彼のコメントは、僕にとても無理だと感じさせた。僕は直ぐにもオリンピックに行かねばと自分にプレッシャーをかけていた。

(僕は最終的にオリンピックにいくんだとは思えなかった。ただそれには10年かかるんだけどね)

 しまいには、僕はここを去る必要があると思った。ニコライはもう僕に決して振付をしてくれないだろう。彼は僕に、僕は充分に優秀で、自分自身でそれが出来ると思うと言ったんだ。でも、僕は19歳だったんだよ。その資格を与えられたようには感じられなかったよ。

 僕はニコライに電話したことを覚えている。彼が日本にいる時で、彼にこう言ったんだ。あなたが僕の為に充分な時間をかけてくれているとは感じられないから他のコーチと一緒にやっていきたいと。彼がなんて言ったか決して忘れないだろう。
「君は自分が何をしているのかわかってない。この電話を後悔するよ」そして電話は切れた。

僕は自分が正しいことをしていると感じていたが、同時にもしかして僕は間違いを犯してしまったのではとも感じていた。彼はジャッジ達に僕に悪い点を与えるように言うつもりだろうか?彼は他のコーチ達に僕と一緒にやっていくべきじゃないというつもりだろうか?その時点ではそれは問題なかった。彼は多分そんなことはしないだろうと分かっていたし、自分の経験から彼を信頼すべきでないと感じる他の理由があったんだ。

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from: 花散里さん

2020年02月25日 09時19分50秒

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P60の3行目~P61no15行目

 完璧に練習に熱中している時の方がはるかに多かったんだけど、同時に、時には馬鹿をやる十代らしい楽しい時間もあった。

 一度僕達全員で独立記念日の週末にコネチカットに行ったことがあった。なぜなら僕達が練習しているリンクが祝日で閉まっていて、コネチカットでは、どうやら愛国心などもっていなかったのかな、そこはオープンしていたからだ。
 
短期滞在していたロシア人スケーターが22歳だったので、僕達は彼を説得してスミノフアイス(酎ハイカクテル)を3ケース買いに行かせた。22歳の年長のロシア男子に未成年のガキどもの為にアルコールを買わせるのを思い付くのは容易い。彼は酒だけじゃなくて、いくつかの花火をもってきた。僕達7人くらいで、リンクの駐車場に座って、スミノフアイスを呑み、花火をして遊んだんだ。
 
これほどまでに胸がドキドキしたことはなかった、それがスミノフアイスのせいだとは思わない。僕には妄想癖があってね、僕たちが捕まるか、または体を壊してしまうか、またはその両方だと考えていたんだ。それでも、僕のお気に入りの思い出の1つだ。あの時、こう思ったんだ。「僕は成長してまるで大人になったみたいだ」って。
 
ハッケンサックにいた時、一緒にスケートしている仲間のうちで、僕だけが唯一人のアイルランド系白人のカソリックで、そんなことは初めてだったよ。なぜなら、ニコライがトレーニングしているアメリカ人選手は僕だけで、他のスケーターは皆余所の国からやってきた選手だったからだ。彼らはいつも旅行していた。そんな環境にいるので、僕はいろいろな意味でより広い世界を知ることができた。そのことには感謝している。これは僕が小さな街出身のお子様から実社会の人になれた時だった。

 US Figure Skating の誰もがそんな風に思っているわけではなかった。中には、ニコライの行動が物議を醸し過ぎていると感じている者もいた。USFSの誰かが、ある大会で僕に言ったんだ。「ニコライの指導が、あなたのためにうまくいっているのはうれしいが、彼とは距離を保つようにしなさい」と。

僕はどうしたかったんだろう?他の誰かの処へ行って、最終的に、立派なスケーターになる?僕は、自分のこれまでのキャリアよりもずっと上達しているのに、危険をおかすことはできないって風に感じていた。生徒がニコライから離れていこうとすれば、彼は、奴らは愚かで自分が何をしたいのか分かってないんだって言っていた。

 僕が他のスケーターとニコライから離れることについて話題にしていた時、何人かは、ニコライは尊敬されスケート界に強いコネがあるので、彼がジャッジに僕達を駄目な選手だと話して、僕達の点数はさんざんなものになるだろうと恐れていた。彼が何かそのようなことをしているのを見た者は誰もいないが、僕達の中にはそんな恐れがあったんだよ。

 僕が、ただひたすらにニコライの注意をひきたかったのは、どんなに上手くスケートをしても、いつも自分が彼にとっては一番価値のない生徒のように感じていたからだ。彼は、殆どの時間、アイスダンスカップルと、他には大輔と安藤美姫という有名な世界チャンピオンの2人の生徒だけをトレーニングしていた。僕の為に時間をさく必要が彼にはないんだと感じていたので、ぼくにはその価値があると証明する為には、本当に何でもした。

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from: 花散里さん

2020年02月24日 12時31分03秒

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≪感想≫

ツイッターで、「モロゾフの描かれ方がひど過ぎる~」と話題になってたのは、この部分だな。(;^_^A

アルコホリックなのでは?と疑ってしまうご乱行ぶりで
イメージダウンも甚だしいな
無名のジュニア選手からジュニア世界チャンピオンへと大躍進させてくれた恩あるコーチの醜聞には触れずにおくこともできたであろうが・・・

「それから彼が僕のママのおっぱいを掴んだ時、(文字通り)それが彼の命取りになった。」
「でも、もし彼が僕のママのおっぱいを掴もうとすれば、僕は彼に後悔させてやるんだ。」

・・・を実行に移したわけだね(≧▽≦)

でも私生活は滅茶苦茶でだらしなくても
天才コーチといい、とても強いパワーがあったとか
彼がリッポン君にどんな風に自信を与えてくれたか
ちゃんとコーチとして認める部分は認めてもいるんだけど
ツイでは醜聞ばかり紹介されて、ちょっと可哀想かも?(^^;)

あと、ニコライがデートしたり、ワザと喧嘩別れしたりしてモチベーション操作していた20歳くらいの女性スケーターって。。。
もしかして日本人ですか~?(´-`).。oO
名前臥せて書いているんだから憶測はよくないが(ーー;)でも気になるよね

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from: 花散里さん

2020年02月24日 11時49分58秒

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P57の下から3行め~P60の上から2行目め

 僕がスケートに集中していることを母が監視しようとし続けてる間、ニコライはあらゆる面でクレイジーだった。

 動機付けと心を操る事のとの間には適切なラインってのがあるよね、時に彼は行き過ぎるように思われた。

 例えば、彼の元に居た20歳のくらいの一人の女性スケーターの場合、彼女には本当に気分にムラがあった。彼は彼女とデートし始めた。彼女があまりよくスケートをしない時、彼は彼女と喧嘩別れをするんだ。そう僕は感じてた。すると彼女は「彼を振り向かせてやる」って気持ちになって再び上手くスケートし始める。そうすると彼はよりを戻すんだ。けれども、彼が何をしたにせよ、この女性は本当に上達した。それはもう目に見えて。それが彼の仕事だった。

 彼は僕に対しては無礼なことは決してせずに、より希望を持たせて元気づけるやり方を用いた。時々彼は、僕をおだてあげて完璧だって言う。それでなんでもできるような気になって、リンクへ出て行くと、パーフェクトな演技ができるんだ。すると彼は「君がそうなるってわたしには分かってたよ」って風なんだ。それはそれで充分に価値があるよね。彼にはとても強いパワーがあったので、もし僕がちょっと彼の水晶玉を覗き込めば、彼の言うことは何でも信じただろう。

 それだけではなく、ニコライには滅茶苦茶な部分もたくさんあった。初めて僕達が一緒に世界的な競技会に行った時、彼は髪をきちんとバックに流して、デザイナースーツに身を包んで現れ、まるでジェイムズ・ボンドのように見えた。でもその彼が前日の夜酔っ払ってホテルの壁に小便をしているのを見たと、後から母に聞かされた。彼がそれをどのように始末したのかはわからないけれど、彼にはいつものことだった。

 ニコライが全員に日曜の午後にスケートするように言わたしたことがあって、それはちょっと変わっていた。普段、母は平日のスケートの為に僕を日曜の夜に車で送ってきてくれていたが、この大事な集まりの為に早い時間に僕を車で送って来て、僕の練習を見ていくことにした。母が毎日僕を送り迎えしていた最初の頃そうしていたようにね。

ニコライは、自分が指定した集合時間から一時間たっても現れなかった。僕達は皆彼と練習する為にそこに居るのに、コーチの彼が現れるのを待って、ただスケートをし続けているだけだった。ついに彼が正装してリンクに入ってきた。正装でってのはちょっとおかしいよね。彼のシャツが乾いたゲロで覆われているのを見た時、僕達全員、彼がこれまでどうしていたのか、分かってしまった。

彼は一日中呑んでいたんだ!彼は遅い朝食をとりにいって少なくとも2本のシャンパンを呑み続けて、吐いて、乾いたゲロをシャツに付けたまま登場し、何事もなかったかのように僕達を教え始めたんだ。

それから彼が僕のママのおっぱいを掴んだ時、(文字通り)それが彼の命取りになった。まあ、彼が実際にママのおっぱいを掴もうとしたのか、もしかして、彼は腕を掴もうとしてあやまって手がおっぱいにいっちゃったのか、僕には分からないけれど、どちらにしても彼の手がおっぱいを掴んでた。母は彼の性的な悪ふざけを思い悩んだりはしなかったけれど、僕達がその日リンクを去った時には、明らかに憤慨していた。その理由を彼女は僕に話したがらなかったが、僕が強いて問い詰めたので、ついには何が起きたのかを僕に話した。

翌週いっぱい練習中僕が彼に対して冷たい態度を取り続けていたので、しまいには彼が尋ねてきた。「君に何か悪い事をしたかい?」
僕は彼が母にしたことを彼に話したが、彼は全く覚えていなかった。「あなたが僕に意地悪をしようがポンコツよばわりしようが構わないさ、でも、僕の母に触ったり、彼女を悪く言ったりするのは許さないからな」彼は後悔し、母に電話して謝った。彼は天才コーチだから、しばしば彼の悪い態度も許されていたのだと思う。でも、もし彼が僕のママのおっぱいを掴もうとすれば、僕は彼に後悔させてやるんだ。

こんなことがあった。彼はチームの皆を日本食レストランに連れていって、一晩中日本酒を呑んでいた。僕達の食事が終わった時、彼が言った。「スケーター全員の家まで俺が運転してってやる」彼は既に用を足す為にトイレに立つことすらできなくなってたのに、僕達全員を無傷で家に送り届けるなんてできるわけがない。
幸い僕達のうちの一人のエージェントがそこにいて、彼が言った「やっぱり、わたしが君らを家まで送ろう。居合わせたんだしね」

ニコライと彼の友達は、これがまた同様にクズなんだけど、僕達が去った後に自分達の車で帰った。彼らが家についたのは、結局もっと遅くなってしまった。ニコライは警察に連れていかれてなんとか逃げて来たと言った。それが本当がどうかは、分からないが、僕が若い頃に目撃した最大のスキャンダルであることは確かだ。

母が僕を過剰に監視していたとしても不思議ではない。- 僕がクレイジーな人(の世話になっていて)と付き合っていることを知っていたからね。

《感想の後後編に続く、明日感想を添えて貼り付け予定》

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from: 花散里さん

2020年02月24日 11時15分35秒

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≪ モロゾフ編  高橋大輔もちょこっと登場≫

≪それまでの経緯、アダムくんは15歳の時にはソフィアという女性のロシア人コーチの元に住み込んで指導を受けていました。アダムくんがUSFSからHP(high-performanceの略)キャンプに召集されるようなレベルになったのを機に、ソフィーは、自分にはこれ以上引き上げられないから、もっと力のある別のコーチを探すようにと勧め、ソフィーは身を引く形となります。≫

P53の17行目~P56の5行目

 僕は当時のメジャーなスケーター達の多くが使っているリンクに行った。僕はコーチや何かを惹きつけようとしていたのではなく、リンクの感触を掴もうとしていただけだった。そこに競技会で見たことのある年配のコーチの一人が、僕の所に来て君のコーチはどこにいるんだい?と尋ねた。「ああ、もう彼女とは一緒に練習してないんだ」と言った。

少し後に彼はまたやって来て、そのリンクにいる別のコーチのことを僕に話した。その人が過去に教えた中には二人の世界チャンピオンがいて、2006年のオリンピック金メダリストのコーチをしていて、僕に、彼のスケーター達がトレーニングしているアイスリンクに来て彼にスケートをしてみせてくれとのことだった。僕はそうした。それがトライアウトで、ちょっと勧誘があった。彼の名前はニコライで、彼の元で指導を受けることに同意した。もしこの有名なコーチが少しでも僕に興味を示してくれたのなら、その機会を掴まない手はない。フルタイムで2ケ月以内に荷造りをしてハッケンサックに引っ越した。(ビリー・ジョエルの歌「Movin' Out」には、"Who needs a house out in Hackensack? Is that all you get for your money?"誰がハッケンサック郊外の家なんて欲しがるんだ、そんなものに金を使うのか?という歌詞がある。あのハッケンサックだよ)

 ニコライと一緒にトレーニングし始めて短期で僕は劇的に良くなった。彼はソフィアとは全く異なるコーチで僕は犬のように訓練された。以前は、僕は朝に数時間スケートをして午後に数時間スケートをしていた。それが今では、まるで仕事のように朝の8時からぶっ通しで夕方の6時まで、スケートをしていた。それは僕の仕事だった。

試合での順位は急激に上がり、僕の人生の中でこの上なくエキサイティングな時代の一つだったよ。毎晩ベッドに入る時には、朝になってリンクに行くのが待ちきれない程だった。「素晴らしい!明日が楽しみだ。僕は今夢の世界に暮らしているんだ」って感じ。ぼくは自分のスケートで何か素晴らしいことを成し遂げられると考えるようになった。ペンシルバニアのピッツトンのアイスボックス出身の小さなアダム・リッポンが、毎日チャンピオン達と同じ氷の上でトレーニングしていた。それまでの経験の中では、何時もリンクに居られることも、そこでは自分が一番下手なことも初めてのことだった。それは僕のモチベーションを上げ、僕に自分を向上させたいと熱望させた。

ニコライのところで訓練するようになってからの最初の数ヶ月は、ぼくはまだ母と一緒に家に住んでいたから滅茶苦茶な毎日だった。僕は早朝に起きて、兄弟全員分のランチを作り、母が彼らを学校に行かせるのを手伝い、それから母と車でリンクに向かう。母はリンクから仕事の為の電話をし、僕の練習が終わると家まで途中休憩無しに車を運転した。母がどうやって毎日をやり繰りをしていたのか分からないよ。でも彼女はそれをやってのけた。毎晩家族との夕食が彼女の一日のゴールだったんだ。最初の数ヶ月間のニュージャージーと家との行ったり来たりを僕達はやり遂げた。

最終的に、ニコライは他所の町からの生徒を宿泊させる為にキープしているアパートメントに僕を移らせたので、母が毎日車で送り届ける必要はなくなった。アパートはリンクからそれ程遠くはなかった。

当時、ニコライは、日本の高橋大輔という世界選手権銀メダリストのコーチもしていて、彼もそこに住んでいた。彼はあまり英語を話さなかったが、僕達はいつも近くに座って日本のアニメを見たんだ。僕はただそこに座って、何が起きてるのか分からない漫画をじっと見つめていた。「ああ、僕はルームメイトの高橋大輔とアニメを見ているんだ。それだけ、大した事じゃない」自分をつねってみる必要があると感じる瞬間だった。
彼が街に居ない時には、彼は自分の自転車を僕に貸してくれたんだけど、僕はそれを繁みに突っ込ませてしまったんだ。何故彼の自転車がひっかき傷だらけなのかを彼に説明しなければならなかったし、また僕の腕もひっかき傷だらけだったから数日間長袖を着ていなければならなかった。

アパートの住人達が僕のことをまだよく知らない時、彼らに度々「ニコライは何時戻ってくるの」と質問された。僕は分からないと答えた。彼らはニコライが家賃を滞納してると文句を言った。

彼が請求書を支払ったか否かに関わらず、彼は僕に対して彼の務めを果たしてくれた。競技会での僕の順位は飛躍的に上がった。前年の全米選手権(Jr)6位から、翌年には参加した全ての競技会で勝って、ジュニアレベルでは最も重要な大会の一つであるジュニアグランプリファイナルで優勝。全米ジュニア選手権で優勝。ジュニア世界選手権で優勝。僕はそれまでにはジュニア世界選手権のチームに入ったこともそこに近づいたことさえ無かったのにだよ。

その当時僕はジュニアの競争では他の誰とも異なっていて、まるで大人の様にスケーティングしていたんだ。僕は他のジュニア達と同じジャンプを飛んでいたし、技術面で飛び抜けていたわけじゃなかったが、インタープリテーション(音楽表現)が並外れていた。そしてスケーティングの質は充分なレベルに達していた。そのシーズンを通して、小さなミスがたった一度あっただけだったんだ。それで僕より難しいことをしようと試みる人達を僕は容易く打ち破ることができたんだ。何故なら当時はより綺麗にすべることが全てだったからだ。(僕が今のジュニア選手でないことを神に感謝するよ。彼らのプログラムは、僕がオリンピックで滑ったのよりも難度が高いんだよ)

僕は初めて現実的にオリンピックに行きたいと考えるようになった。ジュニアグランプリで勝った時、僕は自分自身についてこう思った。「僕はその夢を現実にできるだろう。他の人もそうだったんだ。これはオリンピックにいくような人達が通ってきたステップなんだ」と。ゴールがこれまで以上に明確になったんだ。
「ミッション・インポッシブル」(不可能なミッション)だったものが、今や僕は「ミッション・ポッシブル」(可能なミッション)にしていた。僕はジュニアフィギュアスケーティングのトム・クルーズだった。

数か月間一緒に練習してきたニコライとは、氷の上でかつてのように多くの時間を過ごす必要はなかった。何故なら僕は自分に必要なことは全て自分自身で行えたからだ。僕が充分に自分で出来るようになっていて良かったよ。何故ならニコライは彼の生徒達と一緒により多く更に多くを日本で過ごすようになりだして、ニュージャージーのリンクで僕をみる時間はあまりなかったからね。

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