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from: 改革フォーラムさん

2009/12/11 00:34:19

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 戸田城聖先生 巻頭言集

目次宗教革命人間革命無用の長物邪教をつく宗教の偉力日本民族の生命王法と仏法広宣流布の姿神札と菩提寺--因習の打破内容主義か形式主義か僧侶の大功績日蓮大

   目 次
宗教革命
人間革命
無用の長物
邪教をつく
宗教の偉力
日本民族の生命
王法と仏法
広宣流布の姿
神札と菩提寺 -- 因習の打破
内容主義か形式主義か
僧侶の大功績
日蓮大聖人と折伏の徒
日蓮正宗の御僧侶に望む
三法律
青年訓
御僧侶の待遇と信者への反省
折伏活動に価値的行動を望む
入仏式について
折伏小論(一)
折伏小論(二)
折伏小論(三)
七百年記念特集号のことば
瑞相現わる
利益論
信仰の在り方
寿量品について
折伏の心がけ
科学と宗教(一)
科学と宗教(二)
科学と宗教(三)
異体同心
折伏について
忍辱の鎧を著よ
中道論
創価学会の信心に御利益のあるわけ
譬如良医について(一)
譬如良医について(二)
青年よ国士たれ
主徳
御書の拝読について
書を読むの心がまえ
指導者
業病について -- 太田入道殿御返事による
信心の在り方について
受持即観心を論ず
青年よ心に読書と思索の暇をつくれ
天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか
私の悩み
宗教の正邪批判の方法
我見について
生活に学会人としての襟度を持て
信心
自らの命に生きよ
広宣流布と文化活動(一) 広宣流布の二つの意義
広宣流布と文化活動(二) やさしい仕事では断じてない
広宣流布と文化活動(三) 国立戒壇の建立は日蓮門下の重大使命
国士なき日本の現状を憂う -- これ亡国の兆か
王仏冥合論
 一、総じて王仏冥合を論ず
 二、人法論
 三、時を論ず
 四、国立戒壇論
 五、実践活動の先例
 六、結論 -- 国立戒壇の功徳すなわち平和論
人生論
受持
組合活動と信仰
人間革命の精神
折伏(一)
折伏(一)
ジャーナリストを論ず
末法のらい人が尊い
勇猛精進
選挙と青年
信仰と組織
思想の混乱
 項目別索引

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from: 改革フォーラムさん

2009/12/11 23:14:13

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「Re: 戸田城聖先生 巻頭言集」
広宣流布と文化活動(二)
        
  やさしい仕事では断じてない

 もったいなくも、大聖人が、三大秘法の南無妙法蓮華経を弘通せられた道程を拝するに、まず建長五年四月二十八日の、宗旨建立のとき、初めて題目を唱えられ、その後、幾多の苦難を経られつつ、題目の流布に当たられたのである。

 その後、佐渡流罪のとき、ようやく御本尊をおあらわし遊ばし、その後は、御本専の流布に、お力をお注ぎ遊ばされたのである。

 しかして、弘安二年十月十二日に、戒壇の御本尊を建立遊ばされた。この御本尊は、一閻浮提総与の御本尊であり、大聖人の極説中の極説であるゆえに、日寛上人の観心本尊抄文段の御本尊についていわく、『(御本尊においては)弘安元年已後は、究竟の極説なり。就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり』と。

 これをもってみるに、本門の題目の建立は、建長五年四月二十八日、本門の本尊の建立は、弘安二年の十月十二日で、本門の戒壇の建立は、一期弘法書にみるがごとく、後世の弟子に残されたのである。
 しかし、義分においては、本門の本尊のいますところ、これ戒壇の義であるがゆえに、三大秘法の義においては、判然と確立されていることは、いうまでもない。

 しかして、在世のなかに、事の戒壇たる国立戒壇が、なぜできなかったということについては、われら凡夫においては、ご仏智は、計りがたいが、もし国立戒壇の建立あるときは、化儀化法の広宣流布が、一時に成り立って、むしろ民衆の信仰を永続させえないと、深くご思慮遊ばされたのではなかろうか。

 翻って、大聖人滅後の広宣流布の様相をみるのに、題目は一日一日と全国にひろまり、現今は、日本国中、題目を知らぬ者がないまでになったのである。かくしてみれば、題目の広宣流布は、既になされえたと、一応は考えられるのである。

 さて、本尊の広宣流布においては、どうなっているであろうか。各宗各派は、互いに勝手な本尊をつくりあげ、正邪混とんとして、いずれが邪か、いずれが正かは、一般民衆には判定のつかない状態である。すなわち、佐渡御書において『釈教の中に、小乗大乗権経実経・雑乱して明殊と瓦礫と牛驢の二乳を弁へざる時は、天台大師・伝教大師等の如く大小・権実・顕密を強盛に分別すべし』とあるごとく、大聖人のご真意の御本尊と、ご真意にあらざる本尊とを、しゅん別しなければならぬときがきている。

 しかして、正しい御本尊をもって民衆に付与して、大聖人が観心本尊抄に、『一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し、五字の内に此の珠を表み、末代幼稚の頸に懸けさしめ給う』とおおせられた、ご聖意を徹底すべきである。

 これがためには、正しき御本尊を判定して、大聖人のおおせのごとく、身命を賭して、随力弘通をなさなければならない。さて、そのご聖意の御本尊は、いずれにあり、いかなる御本尊であろうか。 それは、先に述べたごとく、日寛上人のご断言のごとく、かつは確固たる証拠のある、弘安二年十月十二日の、一閻浮提総与の御本尊であることは、いうまでもない。
 しかして、この御本尊は、日蓮正宗富士大石寺に、六百数十年来、厳然として守られている。されば日本国中、この御本尊に統一せらるべきは、いうまでもないことで、これにそむくやからは、仏敵と断じてさしつかえない。

 ゆえに、国立戒壇建立のときは、この御本尊が、戒壇の御本尊なることは当然である。この国立戒壇は、当然日蓮門下において、遂行されなければならないが、これは重大なる仕事であって、一朝一夕になし得られるような、やさしい仕事では断じてない。
 さればこそ、日蓮宗内に七百年近くの間、ただ夢のごとく言いならされてきて、大部分は単なる理想境とし、実現不可能事とせられているのである。
                           (大白蓮華 昭和三十一年四月一日)

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