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2009/10/27 10:58:18
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正本堂問題と52年路線とは何か? ★池田大作の大謗法★
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2009/11/22 10:50:23
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「Re:Re:正本堂問題と52年路線とは何か? ★池田大作の大謗法★」
所感恩師のニ十三回忌に思う
昭和55年4月2日(聖教新聞第1・2面)
(つづき)
「六・三〇」が教学展開の規範
次に、学会の教学は、御書を根本に、日寛上人の文段を釈として、信心のうえから、また実践のうえからの研さんを重ねてきた伝統に貫かれおります。戸田先生も御書の拝読にあたって「いずれも信の一字をもって、一切をつらぬいていることを、知らなくてはならない。かつまた、民衆救済の大確信と、燃ゆるがごとき大聖人の情熱が、その根底をなしていることを、読みとらなくては、また無意味になることを知らなくてはならない」と信心の教学、実践の教学であるとの原理を残されております。そのうえで、この深遠な仏法哲理を、宗教に無知で無理解な現代人の心にいかに説いていくかの展開があったのであります。私自身も、この展開については、幾度となく御指南を仰ぎ、日達上人からも、学会の教学は「活釈」としてお認(みと)めいただいてきたのであります。
しかし、この難解な仏法をだれにでも分かりやすく説くために、いつのまにか、そのなかに安易な適用が行われたり、元意から遊離して勝手な展開が行われる等、いわゆる催尊入卑(さいそんにゅうひ)のそしりを免がれない恐れがあることは確かであります。この点、御書の拡大解釈や逸脱については、すでに「六・三〇」(教学上の基本問題について)に指摘されております。ここで反省し、確認された事項は、今後とも絶対に踏み違えてはならない重要な規範であります。したがって、この徹底を怠ってはならないし、また、正宗の正法正義を正しく学んでいくことは、世々末代にわたる肝要と深く自覚しなければなりません。とともに、広宣流布のいっそうの推進のために、この正宗の法義、伝統を正しく踏まえたうえで、生活に、社会に、世界にと、確信をもって、教学を展開しゆくことは、私ども創価学会の使命であることを銘記して、進んでまいりたいのであります。
なおここで、いわゆる〝会長本仏論〟について、重ねて申し上げておきたい。申すまでもなく、末法の御本仏は日蓮大聖人ただお一人であらせられ、また、代々の御法主上人は、唯授一人、その遺使還告(けんしげんごう)のお立場であらせられると拝し、尊崇申し上げるものであります。私どもは、瞬時たりとも、この原点を忘れては信心の筋道を逮えることになってしまいます。しからば、創価学会の会長とは何か。牧口常三郎先生、戸田城聖先生は、広宣流布の仏法実践の指導者なのであります。いかなる団体であり、いかなる国であり、一つの組織が存在すれば、そこには為のずと、指導者が必要になるものでありましょう。創価学会の代々の会長ならびに幹部は、その意味からも、いわゆる仏法実践展開の指導者であるとともに、文化、平和、社会へ仏法を展開しゆく指導者であるといえるのであります。いうまでもありませんが、指導者と仏とはべつであり、そこには、いささかたりとも混同があってはなりません。
このことについては、かつて私も「創価学会には、教祖も、唯一至上の絶対者などもいない。私も会員諸氏も、共に広宣流布をめざして進む同志である。(中略)すなわち日蓮正宗創価学会員にとって、唯一至上、絶対の尊崇は三大秘法の御本尊であり、他はすべて、創価学会会長といえども、平等に末法の衆生であり、凡夫である」と述べたとおりであり、同じことは、今までも数多くの会合で話してまいまりした。したがって、代々の会長を神格化などしてはなりません。とくに私は若くして第三代会長の任に就きましたが、私などを絶対視してはならないし、かりそめにも、主師親の三徳とか、本門弘通の大導師といった表現を用いることは誤りであり、絶対にあってはならないことです。私自身、罪業深き、過ち多き身であることをよく知っております。「大荘巖懺悔」とあるごとく、日々、大御本尊に対し奉り強き信を持ち、三業(さんごう)を三徳に転じゆく修行であり、人生であらねばならないと肝に命じ、深く謗法罪障消滅を御祈念し奉る日々であります。
また、今日の種々の問題も、私の指導性の不徳のいたすところであり、多くの会員信徒に多大なご迷惑をおかけし、ご心労をわずらわしたことについても、御本尊に深くお詫びの合掌をさせていただいている日々でもあります。ともあれ、学会は絶対尊崇の本源たる本門下種人法一筒の御本尊、宗祖大聖人に対し奉る信仰を根本として、永遠に代々の御法主上人猊下を仏法の師と仰ぎ奉り、強き広宣流布の戦士たる誇りも高く、さらに、日蓮正宗の信徒として、いっそうの外護の任を全うしてまいる決意であります。
一つの歴史の終わりは、新たな歴史の始まりでもあり、どこまでも、前へ前へと進んでいかなければならないのであります。広宣流布の長征のために、いかなる慈愛ある教訓を汲み取るかが、私どもの信心ともいえましょう。今一度、学会の存立基盤に立ち戻り、あくまでも外護と布教という根本の宗教活動を主体とし、そのうえで、社会的存在としての文化活動を推進してまいるようお願いしたい。
その意味から、僧俗の和合をあくまでも根本とし、学会の使命遂行には、いささかも揺るぐことなき信心の大確信を堅持し、社会との融合を図りながら、広宣流布を進めていかねばなりません。さらに、一生成仏と広宣流布という、個と全体の目的の調和をとり、一人一人が自身の信仰をいよいよ深めることが、全体の安定と調和につながるとの原理を再確認したいのであります。
昨年4月24日、私が会長を勇退し、合議と協調を基調とした新会則を制定し、規則の改正を図り、そのもとに、北條第四代会長の体制が誕生したのも、安定路線を具体化するためのあらわれの一つでありました。いわば、80年代以降の学会の新展開の助走といえましょう。ともあれ、いたずらに時を過ごし、改悛のみにとどまり、広宣流布の前進を忘失したならば、宗開両祖の御精神に背くことになるのを深く恐れるのであります。私どもは、以上を踏まえつつ、ふたたび、勇んで広宣流布のため、民衆救済の前進を開始してまいろうではありませんか。
一層の外護誓い広布へ挺身
――昭和33年4月2日。桜花咲き蕉るなか、恩師は逝かれました。以来22年間、私は「七つの鐘」の総仕上げを願って走りに走りつづけてまいりました。この間、師のあの岩をも砕く大確信、あの五体から迸りいずる大情熱、そして、あの秋霜にして烈日の指導――そうした恩師の言々句々が、私を勇気づけ、私をして疾走に向かわしめずにはおきませんでした。
私にとっては、今日までの長い星霜の一日一日が「4月2日」であったと申せましょう。今は「七つの鐘」の総仕上げを終え、創立五十周年の佳節を刻むことができ、不肖の弟子なれども、その喜びと誇りと満足は、なにものにも代えがたいものであります。ともに尽力してくださった会員諸兄に対し、厚く厚く感謝申し上げるのみであります。
しかし、私の胸には、今もなお恩師が生きつづけております。広宣流布に尊い生涯を捧げ尽くされたその勇姿が、瞼から離れません。恩師がそうであったように、私もまた一個の信仰者として、広宣流布に邁進して、この一生を終わるのだとの責任が、つのるばかりであります。信仰とは、生涯にわたる課題であり、いな三世にわたる追求でなくてはなりません。
「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」――私の会長就任時に、かたじけなくも、日達上人が贈ってくださった御聖訓であります。立場は異なったとはいえ、広宣流布へ向かう信仰は変わるものではありません。いやまして月々年々に高まらなくてはなりません。大聖人の仏法の実践は、後退を許さぬ生涯の旅路であるからです。ゆえに、私は名誉会長として、また、インタナショナル会長として、同志のために、一段と激励と応援をしてあげねばと自覚しております。さらに、緒についたばかりの平和と文化の次元での貢献も、信仰者の使命として、私としてできるかぎりしてまいりたいとも考えております。
恩師二十三回忌にあたり、懐かしくも尊い恩師の教えを胸に、三十三回忌を目指して、私なりの立場から、広布に身を捧げ、御宗門の外護に尽忠させていただくことを、ここに、大御本尊にお誓いするものであります。それはまた、長い年月、風雪に耐え、血と汗を流しながら、私とともに学会を築き、広布へ挺身してこられた会員諸兄に応えうる、ただ一つの誠実であり、人間の道であるからであります。
御聖訓にいわく「異体同心なれば万事を成し、同体異心なれば諸事叶う事なし」と。またいわく「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」と。
この御金言に明らかなごとく、どうか会員の皆さまにおかれては、北條第四代会長を中心に、異体同心の団結をもって、世界への前進を開始されんことを願ってやみません。皆さまのご健康と、ご一家のご隆盛を心よりお祈り申し上げ、恩師戸田先生の二十三回忌を迎えての所感とさせていただきます。
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