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  • from: にょん太さん

    2014年06月11日 08時47分01秒

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    ロレンツォ・ディ・メディチの業績(上)

    ロレンツォ・イル・マニーフィコは、実行力に富んだ、したたかな政治家でし~た。
    彼の政治家としての真骨頂を示したのが、パッツィ家の反乱後に起きたパッツィ戦争を収拾させたことで~す。
    今日のテーマは、戦争の原因となったパッツィ家の反乱で~す。

    1471年、フランチェスコ・デッラ・ローヴェレが第212代教皇として選出され、シクストゥス4世となりまし~た。
    ロレンツォは、早速お祝いのためにローマに赴き、メディチ銀行と教皇庁との取引継続を新教皇に願いあげまし~た。
    新教皇は、徹底した同族至上主義を採り、実子または甥であるジローラモ・リアーリオのためにイーモラを買収して、ミラノ公の庶子カテリーナ・スフォルツアと結婚させまし~た。その際、ミラノ公はカテリーナの持参金としてフォルリを与えたので~す。
    そのイーモラ買収資金への融資をロレンツォに命じたので~す。当時、イーモラの隣ファエンツァはフィレンツェの影響下にあり、エミリア街道の戦略上の要地であるイーモラが、教皇庁の支配下になることはフィレンツェへの楔であり、トゲのようなものなので、ロレンツォはその融資話を断ったので~す。

    メロッツォ・ダ・フォルリの有名な肖像画で、パッツィ家の反乱の関係者が描かれています。

    ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレは後の教皇ユリウス2世で~す。

    ファエンツァ

    イーモラ

    イーモラの要塞

    フォルリ

    フォルリの要塞

    イーモラの買収資金4万ドゥカートの融資をロレンツォから拒否されると、シクストゥス4世はメディチ銀行のライヴァルであるパッツィ銀行に話を持っていき、パッツィ家は承諾したので~す。こうして、メディチ家とパッツィ家は対立関係になったので~す。

    チッタ・ディ・カステッロ

    サンセポルクロ(当時はボルゴ・サン・セポルクロ)

    1474年、ウンブリアで反乱が起きまし~たが、波乱鎮圧のため、ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレが進軍して、チッタ・ディ・カステッロに包囲したので~す。
    当時、チッタ・ディ・カステッロはフィレンツェの影響下にあったので、教皇軍の包囲は脅威でし~た。ロレンツォは、教皇軍へ対抗するため、チッタ・ディ・カステッロの隣にあるボルゴ・サン・セポルクロに兵を送り、睨み合いとなったので~す。
    この時は、大事に至りませんでし~たが、教皇庁とフィレンツェの関係は悪化したので~す。

    今日はこれまで、続きはまた。



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コメント: 全4件

from: にょん太さん

2014年06月12日 06時19分07秒

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シニョレッリさん

中世のイタリアの都市国家は、産業や貿易に忙しく、人的にも経費的にも常備軍を整備するよりも、必要に応じて傭兵を雇う方が手っ取り早く兵力が保持できるとしたのです。

ただ、味方からも敵からも金をもらっていたり、本気になって戦わない、虐殺や略奪に事欠かないなど弊害も大きかったのです。

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from: シニョレッリさん

2014年06月12日 05時10分55秒

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にょん太さん、おはようございます。

マルチェッロ・シモネッタの日本語訳本を読みました。

1472年のヴォルテッラ反乱の際、ロレンツォはウルビーノ公フェデリーコを雇い、反乱を鎮圧させたわけです。その一方では、ウルビーノ公は、パッツィ家の陰謀では反ロレンツォの黒幕ということで、傭兵隊長は時の環境に応じて臨機応変に敵になったり味方になったりした好例だと思います。
教皇側はパッツィ家にカネを出させて、ウルビーノ公を味方にした可能性が高いと私は思いました。

この辺の中世イタリア史は本当に面白いと思います。

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from: にょん太さん

2014年06月11日 17時01分13秒

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シニョレッリさん

コメントありがとうございます。

パッツィ家の反乱の首謀者がウルビーノ公だと唱えたのは、アメリカの研究者で、彼が書いた本の訳本が早川書房から出版されています。

マルチェッロ・シモネッタ著熊井ひろ美訳 早川書房刊(2009年)「ロレンツォ・ディ・メディチ暗殺ー中世イタリア史を覆すモンテフェルトロの陰謀」

パッツィ家の資料、暗号文書が残されており、それらの解読に成功したシモネッタが書いた本です。

しかし、反乱は教皇シクストゥス4世が暗黙の了解を与えたのが切っ掛けというのが事実でしょうね。

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from: シニョレッリさん

2014年06月11日 15時01分56秒

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にょん太さん、こんにちわ!

パッツィ家の陰謀事件は有名ですよね。イタリア好きなら常識ですが、知らない人もこれまた多く、困ったものです。

最近の研究によれば、陰謀の首謀者はシクストゥス4世ではなく、ウルビーノ公のフェデリーコ・モンテフェルトロだったという事で、驚きました。
勿論、にょん太さんならとうにご存知の筈、蛇足で失礼いたしました。

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